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幼年ブック

索引 幼年ブック

『幼年ブック』(ようねんぶっく)は、かつて発行されていた日本の幼少年向け雑誌。 国民図書刊行会(帝国教育会出版部などが合併し、1944年設立。現・チャイルド本社)が1947年1月号から1949年8月号まで発行していた幼年向け読み物・絵本雑誌『幼年ブック』と、集英社が1953年9月号から1957年12月号まで発行した幼年向け漫画雑誌『幼年ブック』とがある。本項では両誌を解説する。.

38 関係: うしおそうじ坪田譲治 (作家)奈街三郎宮坂栄一小川未明小松崎茂山川惣治岡本良雄平塚武二チャイルド本社サトウハチロー石森延男竹内てるよ益子かつみ花岡大学草野心平西條八十馬場のぼる鳥居敏文鈴木光明藤田圭雄集英社村山知義村岡花子梶原一騎武井武雄清水崑滑川道夫海野十三浜田広介日の丸 (漫画雑誌)政岡憲三1944年1946年1947年1949年1953年1957年

うしおそうじ

うしお そうじ(牛尾 走児とも、1921年12月4日 - 2004年3月28日)は日本の漫画家、アニメーター、特撮・映像作品プロデューサー、演出家である。映像製作会社「ピー・プロダクション」創業者。 本名は鷺巣 富雄(さぎす とみお)。別名:若林 藤吾、若林 不二吾(わかばやし ふじご)。 弟は、アニメ制作会社エイケンでプロデューサーを務めた鷺巣政安。長男は作曲家・現ピー・プロダクション社長の鷺巣詩郎。.

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坪田譲治 (作家)

坪田 譲治(つぼた じょうじ、1890年(明治23年)3月3日 - 1982年(昭和57年)7月7日)は、岡山県出身の児童文学作家、日本藝術院会員。 同じ児童文学作家、児童文学研究者である坪田理基男は三男。.

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奈街三郎

奈街 三郎(なまち さぶろう、1907年1月2日 - 1978年12月23日)は、日本の児童文学作家。宮城県仙台市出身。東京商業学校(現在の一橋大学)卒業。本名:山田三郎。 小川未明に師事する。 1952年、『まいごのドーナツ』で第1回小学館児童文化賞受賞。1959年『とけいの3じくん』で文部大臣賞受賞。.

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宮坂栄一

宮坂 栄一(みやさか えいいち、1926年 - )は、東京都出身の漫画家。.

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小川未明

小川 未明(おがわ みめい、1882年(明治15年)4月7日 - 1961年(昭和36年)5月11日)は、小説家・児童文学作家。本名は小川 健作(おがわ けんさく)。「日本のアンデルセン」「日本児童文学の父」と呼ばれ、浜田広介と坪田譲治と並んで「児童文学界の三種の神器」と評された。娘の岡上鈴江も児童文学者。 「未明」という雅号は小川の師である坪内逍遥が付けたもので、正しくは「びめい」と読む。.

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小松崎茂

小松崎 茂(こまつざき しげる、1915年2月14日 - 2001年12月7日)は東京出身の画家・イラストレーターである。空想科学イラスト・戦記物・プラモデルの箱絵(ボックスアート)などで幅広く活躍した。.

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山川惣治

山川 惣治(やまかわ そうじ、1908年2月28日 - 1992年12月17日)は主に昭和20年代(1945年から1954年)から昭和30年代(1955年から1964年)に活躍した絵物語作家。.

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岡本良雄

岡本 良雄(おかもと よしお、1913年6月10日 - 1963年2月6日)は、日本の児童文学作家。早稲田大学文学部国文学科卒『日本児童文学体系30』 p.616。「あすもおかしいか」「生きているレントゲン」「三人の0点くん」などの作品がある。.

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平塚武二

平塚 武二(ひらつか たけじ、1904年7月24日 - 1971年3月1日)は、日本の児童文学作家。 神奈川県横浜市中区末吉町生まれ。父親は土木会社「平塚組」社長で、遊園地「本牧花屋敷」をつくった、平塚福太郎。 1927年、青山学院高等部英文科卒。鈴木三重吉に師事。1929年赤い鳥社に入社し与田準一とともに雑誌「赤い鳥」復刊の準備を行う『更級日記』童心社、著者紹介。のち「赤い鳥」の編集にたずさわる。「赤い鳥」の廃刊で一時逼塞し、海事新聞記者となる。1942年、童話集『風と花びら』を上梓して童話作家としての地歩を確立した。 戦後も活動を続け、古典や神話、歴史に取材した作品に優れたものがあり、『馬ぬすびと』『ものがたり日本れきし』で知られる。「太陽よりも月よりも」など無国籍童話と呼ばれた風刺的な童話を書く一方、「玉むしのずしの物語」など唯美主義的な童話にも才能を示した。また“願望性虚言症”といわれるほど自分の願望と現実とを一緒にしてしまう性癖があり、児童文学界の奇人として知られた。 1964年に横浜文化賞を受賞。死去後の1980年、「絵本玉虫厨子の物語」(画/太田大八)が絵本にっぽん賞を受賞。 弟子に佐藤さとる、長崎源之助、神戸淳吉がいる。.

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チャイルド本社

株式会社チャイルド本社(チャイルドほんしゃ)は、東京都文京区に本社を置く幼児教育専門の日本の出版社。共同印刷グループ。児童書・教材・保育書の発行を主とする。主な出版物に幼稚園などへの直販誌『チャイルドブック』がある。.

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サトウハチロー

トウ ハチロー(1903年(明治36年)5月23日 - 1973年(昭和48年)11月13日)は、日本の詩人、童謡作詞家、作家。本名は佐藤 八郎(さとう はちろう)。多くの別名を用いており、陸奥速男、山野三郎、玉川映二、星野貞志、清水操六、清水士郎、清水洋一郎、並木せんざ、江川真夫、熱田房夫、倉仲佳人、倉仲房雄、などがある。旧制早稲田中学校(現早稲田中学校・高等学校)中退。作家の佐藤愛子は異母妹にあたる。 「うれしいひなまつり」、「リンゴの唄」の作詞者として知られる。.

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石森延男

石森 延男(いしもり のぶお、1897年6月16日 - 1987年8月14日)は、日本の児童文学者、国語教育学者、教科書編集者。.

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竹内てるよ

竹内 てるよ(たけうち てるよ、1904年(明治37年)12月21日 - 2001年(平成13年)2月4日)は、北海道出身の詩人、小説家、霊能者。本名、竹内照代。 銀行員と芸者との間に札幌市で生まれるが、生後すぐに釧路の父方の祖父母に引き取られる。日本高等女学校を肺結核療養のため中退。婦人記者となった後に20歳で結婚し、一子をもうけるが、脊椎カリエスに罹患して25歳で離婚。以後、詩作を続け、1930年に第一詩集『叛く』を刊行した。2001年2月4日、老衰のため死去。 2002年9月29日、スイスのバーゼルで開催された 「国際児童図書評議会」 (IBBY) 創立50周年記念大会で、日本の美智子皇后がスピーチの中で代表作「頬」を引用したことから、改めて注目されるようになった。 自伝小説『海のオルゴール』は、これまで2回TVドラマ化されている。.

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益子かつみ

子 かつみ (ますこ かつみ、1924年4月1日 - 1971年7月13日) は、漫画家。本名は、益子 勝巳。 東京都立川市出身。小学五年生の時、落書きが担任の先生の目に留まり、漫画家になるのを勧められ、講談社の『キング』や『ユーモアクラブ』に投稿し原稿料をもらったのが病みつき、将来漫画家を夢見る。しかし家業を継がねばならず、中学四年の秋、意を決して家出、知り合った旅の僧にポンチ絵の手ほどきを受け、日本各地の祭礼の燈籠絵などを描き放浪、各地の中学を転々として上京。漫画界の草分け北澤楽天門下になり漫画の指導を受けながら、本郷絵画研究所を経て川端画学校に学ぶ。徴兵で家に帰り入隊。終戦後復員し、漫画家を本職とする。 『週刊少年サンデー』に連載された「快球Xあらわる!!」は、当時同誌の看板作品であった。宇宙から来た野球ボール型の謎の生命体と、人の良さだけがとりえのメガネをかけたさえない少年との心の交流を描いた作品で、『ドラえもん』などの先駆とされる。貸本向けの単行本を多く手がけている漫画家の湧井和夫は弟。 1971年7月13日に脳溢血のため死去。.

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花岡大学

花岡 大学(はなおか だいがく、1909年2月6日 - 1988年1月29日)は、日本の童話作家・小説家・児童文学作家、仏教の僧侶である。本名如是(ゆきよし)、僧名大岳。浄迎寺の住職を務めた。京都女子大学名誉教授。.

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草野心平

草野 心平(くさの しんぺい、1903年(明治36年)5月12日 - 1988年(昭和63年)11月12日)は日本の詩人。福島県石城郡上小川村(現・いわき市小川町)出身。.

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西條八十

西條 八十(さいじょう やそ、新字体:西条、1892年(明治25年)1月15日 - 1970年(昭和45年)8月12日)は、日本の詩人、作詞家、仏文学者。 長男の西條八束は陸水学者。長女の三井ふたばこ(西條嫩子)も詩人。孫の西條八兄はエレキギター製作者。.

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馬場のぼる

場 のぼる(ばば のぼる、1927年10月18日 - 2001年4月7日)は日本の漫画家・絵本作家。本名:馬場 登(読み同じ)。 手塚治虫、福井英一とともに「児童漫画界の三羽ガラス」と呼ばれた。やがて大人漫画や絵本も執筆し、日本経済新聞の連載4コマ漫画『バクさん』、絵本『11ぴきのねこ』シリーズ等が代表作となった。.

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鳥居敏文

鳥居 敏文(とりい としふみ、1908年2月26日 - 2006年8月15日)は、日本の画家。 第9回独立展で独立美術協会賞、第13回独立展で岡田賞、第31回独立展で独立G賞を受賞。 社団法人日本美術家連盟委員、同連盟監事を歴任。「炭坑の家」(1956年)、「炭坑の町」(1959年)などがいわき市立美術館に所蔵されている。1992年2月〜3月の第45回日本アンデパンダン展(日本美術会主催)に出品された「迷路にて」は、日本共産党本部に所蔵されている。 2004年6月、窪島誠一郎、佐藤忠良、野見山暁治らとともに、『九条の会』アピールを広げる美術の会」(略称・九条美術の会)発起人となる。亡くなるまで、独立美術協会会員。.

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鈴木光明

鈴木 光明(すずき みつあき、1936年2月8日 - 2004年11月14日)は、神奈川県横浜市出身の漫画家。.

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藤田圭雄

藤田 圭雄(ふじた たまお、1905年11月11日 - 1999年11月7日)は、日本の編集者・児童文学作家・評論家。.

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集英社

株式会社集英社(しゅうえいしゃ)は、日本の総合出版社。『週刊少年ジャンプ』『週刊プレイボーイ』『non-no』『すばる』 『Myojo』などの雑誌を発行している。社名は「英知が集う」の意味。.

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村山知義

村山 知義(むらやま ともよし、1901年(明治34年)1月18日 - 1977年(昭和52年)3月22日)は、日本の小説家、画家、デザイナー、劇作家、演出家、舞台装置家、ダンサー、建築家。日本演出者協会初代理事長。 息子の村山亜土は児童劇作家。.

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村岡花子

村岡 花子(むらおか はなこ、1893年〈明治26年〉6月21日 - 1968年〈昭和43年〉10月25日)は、日本の翻訳家・児童文学者。児童文学の翻訳で知られ、モンゴメリの著作の多くと、エレナ・ポーター、オルコットなどの翻訳を手がけた。基督教文筆家協会(現日本クリスチャン・ペンクラブ)初代会長(在任、1952年〈昭和27年〉6月 - 1958年〈昭和33年〉10月)。.

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梶原一騎

梶原 一騎(かじわら いっき、1936年9月4日 - 1987年1月21日)は、日本の漫画原作者、小説家、映画プロデューサー。本名は、高森 朝樹(たかもり あさき)。高森 朝雄(たかもり あさお)の筆名も使用した。格闘技やスポーツを題材に、男の闘う姿を豪快に、ときには繊細に描き出し、話題作を次々と生み出した。自身の型破りで豪快な生き方や数々のスキャンダルでも話題を呼んだ。 1966年から『週刊少年マガジン』に連載された漫画『巨人の星』の原作者として名声を上げ、以後『あしたのジョー』(高森朝雄名義)、『タイガーマスク』など、いわゆる「スポ根もの」分野を確立した功績をはじめ、多くの劇画・漫画作品の原作者として活躍した。 弟は漫画原作者、空手家の真樹日佐夫。妻は高森篤子(1945年3月5日 - 2015年4月6日)。1973年から1985年にかけて離婚期間があり、その間の1979年から81年にかけて台湾の有名タレント、白冰冰(パイ・ピンピン)とも婚姻関係を結ぶ。高森篤子との間に2人の娘と3人の息子がおり、白との間に娘・白暁燕(パイ・シャオイェン)がいた。.

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武井武雄

武井 武雄(たけい たけお、1894年6月25日-1983年2月7日)は、童画家、版画家、童話作家、造本作家である。 童話の添え物として軽視されていた子供向けの絵を「童画」と命名し、芸術の域にまで高めた。武井武雄の童画は、大胆な構図や幾何学的な描線によって、モダンかつナンセンスな味わいを感じさせ、残された作品はいまもって古びていない。「コドモノクニ」をはじめとした児童雑誌の挿画、版画、図案(デザイン)、おもちゃの研究・創作「イルフ・トイス」、本自体を芸術作品と捉えた「刊本作品」、童画批評など多岐多彩な分野で作品を残した。.

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清水崑

清水 崑(しみず こん、本名:清水 幸雄、1912年9月22日 - 1974年3月27日)は昭和の漫画家。長崎県長崎市出身。妻は歌人の清水恒子、その姉は俳人の石橋秀野(山本健吉夫人)。.

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滑川道夫

滑川 道夫(なめかわ みちお、1906年11月3日 - 1992年12月13日)は、日本の教育者、教育学者。.

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海野十三

海野 十三(うんの じゅうざまたはうんの じゅうぞう、1897年(明治30年)12月26日 - 1949年(昭和24年)5月17日)は、日本の小説家、SF作家、推理作家、漫画家、科学解説家。日本SFの始祖の一人と呼ばれる。本名は佐野 昌一(さの しょういち)。.

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浜田広介

浜田 広介(はまだ ひろすけ、旧字体:濱田 廣介、1893年(明治26年)5月25日 - 1973年(昭和48年)11月17日)は、日本の童話作家。本名は廣助。日本児童文芸家協会初代理事長。代表作に『泣いた赤鬼』『椋鳥の夢』『竜の目の涙』などがある。坪田譲治、小川未明とともに「児童文学界の三種の神器」と呼ばれた。既婚。息子は音楽評論家の濱田滋郎である。.

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日の丸 (漫画雑誌)

『日の丸』(ひのまる)は、かつて集英社から発行されていた日本の月刊少年漫画雑誌。1958年に『幼年ブック』を改題して創刊し、1963年2月号で休刊になった。形の上では幼年誌であったが、少年誌とは掲載漫画の種類の区別は特につけられていなかったという。休刊時の連載の一部は『少年ブック』に引き継がれた。.

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政岡憲三

政岡 憲三(まさおか けんぞう、1898年(明治31年)10月5日 - 1988年(昭和63年)11月23日)は、日本のアニメーション作家、アニメ監督、演出家。大阪府出身。日本のアニメ黎明期において多大な貢献をしたことから「日本のアニメーションの父」「日本動画の父」と評される。.

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1944年

記載なし。

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1946年

記載なし。

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1947年

記載なし。

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1949年

記載なし。

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1953年

記載なし。

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1957年

記載なし。

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