ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
ダウンロード
ブラウザよりも高速アクセス!
 

平安仏教

索引 平安仏教

平安仏教(へいあんぶっきょう)とは、平安時代より興隆した日本仏教の宗派である。具体的には真言宗、天台宗の二宗をさすことが多い。場合によっては融通念仏宗も含める。 桓武天皇による平安遷都(794年)の背景の一つには、奈良仏教(南都六宗)の専横の問題があった。孝謙女帝が僧・道鏡を寵愛し、あわよくば道鏡が天皇にまでなろうとして和気清麻呂に阻止された経緯があり、朝廷の保護の下、力を持ちすぎた奈良仏教の影響を排除することが長岡京、平安京への遷都の一つの動機である。 桓武天皇・嵯峨天皇は奈良仏教に対抗しうる新しい仏教として、最澄が唐から持ち帰った天台宗や空海が持ち帰った真言宗を保護した。 特に最澄は奈良仏教に対抗意識を持っており、法相宗の僧侶・徳一と激しい論争をした。一方で、空海は奈良仏教に対し、融和的な態度をとった。 特徴は一つに山岳仏教の発展である。奈良仏教が都市仏教であったのに対し、最澄は比叡山に延暦寺を、空海は高野山に金剛峯寺を開いた。 もう一つの特徴は加持祈祷を行なう密教を持っていたことである。真言宗の密教は東密(京では東寺が中心であったため)、天台宗の密教は台密と呼ばれ覇を競った。これらの特色によって、平安仏教は皇室や貴族の現世利益をかなえる性格が強くあった。基本的に皇室や藤原氏などの貴族仏教としての性格を持つ。 平安中期になると、天台宗の源信らにより死後の阿弥陀如来による救いを説く、浄土教が大きな力を持ってくる。宇治平等院鳳凰堂は、当時の貴族らの浄土信仰の代表的遺構である。融通念仏宗もその文脈で出てくる。やがて武家勢力の台頭と併せ、平安末期に法然の専修念仏が広まり、民衆全体への広がりを見せ鎌倉新仏教のさきがけとなって行った。.

42 関係: 加持十三宗五十六派南都六宗台密天台宗孝謙天皇宗派宇治市密教山岳仏教平安京平安時代平等院延暦寺徳一念仏嵯峨天皇和気清麻呂皇室現世祈り空海真言宗融通念仏宗鎌倉仏教道鏡高野山貴族阿弥陀如来金剛峯寺長岡京東寺東密桓武天皇比叡山法然法相宗源信 (僧侶)最澄浄土教日本の仏教794年

加持

加持(かじ)とは、仏教用語の1つ。元はサンスクリット語のadhisthana(アディシュターナ)の訳語で、他にも所持・護念などと訳される場合もある。 本来の意味は仏あるいは菩薩が不可思議な力によって衆生(人々)を守るという鎮加護持(ちんかごじ)・神変加持(じんべんかじ)を指す。仏の大悲の力が衆生に加えられ、一方衆生の信心が仏に伝わることでその効果を発揮するとされる。 密教においては、仏が大悲・大智によって衆生に応じることを「加(加被)」、衆生がそれを受け入れることを「持(摂持)」と解釈し、双方が相応一致することで仏と衆生の持つそれぞれの三密が入り混じて他を己におさめ持ち、死後の成仏をはじめとする各種の効果を成就させることから、これを「三密加持」と称する。密教では三密加持を実現させるために、修行者が手に仏の印契を結び(身密)、口に仏の真言を唱え(口密)、心も仏の心境(心密)になることが必要とされ、そのために各種の修法が行われる。それらの修法のために必要な呪禁の作法のことも加持と称した。 更に衆生が仏(場合によっては神)の力の助けを借りるために衆生自身あるいは仲立ちである僧侶が行う祈りのことも「加持」と呼ばれ、祈祷と同一視され、両者を組み合わせた『加持祈祷』とも呼ばれた。.

新しい!!: 平安仏教と加持 · 続きを見る »

十三宗五十六派

十三宗五十六派(じゅうさんしゅうごじゅうろっぱ)とは、宗教団体法が施行される、1940年(昭和15年)以前に日本の仏教の成立から見て、教義・歴史・伝統がその根本にある宗派のことである。 「十三宗」とは、それぞれの宗旨のことである。「五十六派」とは、それぞれの分派のことである。宗教学上で仏教の伝統宗教と定義されるのは、この五十六宗派に基づく。また、歴史教科書に書かれる鎌倉祖師たちの宗名は宗旨のことである。 ただし、法相宗、華厳宗、律宗、融通念仏宗、曹洞宗、時宗、黄檗宗は、宗派に分かれていないため、宗旨と宗派が同一である。また天台宗・浄土宗・日蓮宗のように宗派名が宗旨名と同一の場合でも、他派を従属するものではなく、本末・包括関係もない。 本項では、宗旨と宗派を区別するため、宗旨を見出し表示・強調表示とする。また、当時の名称に現名称を補足する形で記述する。.

新しい!!: 平安仏教と十三宗五十六派 · 続きを見る »

南都六宗

南都六宗(なんとろくしゅう/- りくしゅう)とは、奈良時代、平城京を中心に栄えた日本仏教の6つの宗派の総称。奈良仏教(ならぶっきょう)とも言う。.

新しい!!: 平安仏教と南都六宗 · 続きを見る »

台密

台密(たいみつ)とは、天台宗に伝わる密教のこと。京都東寺を根本道場とした真言密教を東密と呼ぶのに対する呼称であり、日本天台宗の開祖である最澄(伝教大師)によって創始されたものである。.

新しい!!: 平安仏教と台密 · 続きを見る »

天台宗

天台宗(てんだいしゅう)は大乗仏教の宗派のひとつである。諸経の王とされる妙法蓮華経(法華経)を根本経典とするため、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる - コトバンク/世界大百科事典。天台教学は中国に発祥し、入唐した最澄(伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられ、多くの日本仏教の宗旨がここから展開した。.

新しい!!: 平安仏教と天台宗 · 続きを見る »

孝謙天皇

孝謙天皇(こうけんてんのう)、重祚して称徳天皇(しょうとくてんのう;稱德天皇、養老2年(718年) - 神護景雲4年8月4日(770年8月28日))は、日本の第46代・第48代天皇。 在位期間は、孝謙天皇として天平勝宝元年7月2日(749年8月19日) - 天平宝字2年8月1日(758年9月7日)、称徳天皇として天平宝字8年10月9日(764年11月6日) - 神護景雲4年8月4日(770年8月28日)。 父は聖武天皇、母は藤原氏出身で史上初めて人臣から皇后となった光明皇后(光明子)。即位前の名は「阿倍内親王」。生前に「宝字称徳孝謙皇帝」の尊号が贈られている。『続日本紀』では終始「高野天皇」と呼ばれており、ほかに「高野姫天皇」「倭根子天皇(やまとねこのすめらみこと)」とも称された。 史上6人目の女帝で、天武系からの最後の天皇である。この称徳天皇以降は、江戸時代初期に即位した第109代明正天皇(在位:1629年 - 1643年)に至るまで、850余年、女帝が立てられることはなかった。.

新しい!!: 平安仏教と孝謙天皇 · 続きを見る »

宗派

宗派(しゅうは)は、教義・信仰対象などの違いや歴史的経緯により生じた分派である。主に仏教において用いられる。実際にどんな仏教の宗派があるかについては、十三宗五十六派および:Category:仏教の宗派を参照。.

新しい!!: 平安仏教と宗派 · 続きを見る »

宇治市

朝日山から宇治市市街地 宇治市(うじし)は、日本の近畿地方中部、京都府の南端近くに所在する市。京都盆地の東南部に位置し、京都市や大津市と隣接する。京都市に次いで京都府内第2位の人口を擁する都市である。 ユネスコ世界遺産ともなっている平等院、宇治上神社等の文化財や宇治茶等の特産品で知られる。西側に非常に大きな巨椋池があったが、豊臣秀吉により干拓地となり、現在は農地と住宅街になっている。京都市への通勤率は29.1%(平成22年国勢調査)。.

新しい!!: 平安仏教と宇治市 · 続きを見る »

密教

密教(みっきょう)とは、秘密の教えを意味し、一般的には、大乗仏教の中の秘密教を指し、秘密仏教の略称とも言われる。金剛乗、あるいは金剛一乗教、金剛乗教ともいう。中国語圏では一般に密宗(ミイゾン)という。.

新しい!!: 平安仏教と密教 · 続きを見る »

山岳仏教

野の山岳で修行中の山伏 山岳仏教(さんがくぶっきょう)とは、日本において、平安時代に、仏教の一派である密教(天台宗・真言宗)において行われるようになった、山岳での修行を重視する仏教である。山岳仏教は、政治と結びつきの強くなった奈良仏教の世俗化などに反発するかたちで始まったが、やがて、日本古来の山岳信仰とも融合し、急速に発達していくこととなった。なお、「山岳仏教」を仏教とは異なる独自の宗教とするとき、修験道ともいう。.

新しい!!: 平安仏教と山岳仏教 · 続きを見る »

平安京

平安京復元模型写真(大内裏付近) 平安京(へいあんきょう/たいらのみやこ)は、延暦13年10月22日(西暦794年11月22日)から、一説には明治2年(1869年)まで日本の首都であった都市である。平安城ともいい、桓武天皇によって長岡京からの遷都地に選ばれ、唐の首都長安城に倣って計画都市として建設された。現在の京都府京都市・京都市街であり、当時の街路をほぼそのままに主要都市として現存している。明治2年(1869年)に政府(太政官)が東京(旧江戸)に移転して首都機能を失った。平安京が置かれてから鎌倉幕府が成立するまでの約400年間を日本史では「平安時代」という。.

新しい!!: 平安仏教と平安京 · 続きを見る »

平安時代

平安時代(へいあんじだい、延暦13年(794年) - 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。.

新しい!!: 平安仏教と平安時代 · 続きを見る »

平等院

平等院(びょうどういん)は、京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの寺院。平安時代後期・11世紀の建築、仏像、絵画、庭園等を今日に伝え、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。山号を朝日山と称する。宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ね、現在は特定の宗派に属さない単立の仏教寺院となっている。本尊は阿弥陀如来、開基は藤原頼通、開山は明尊である。.

新しい!!: 平安仏教と平等院 · 続きを見る »

延暦寺

延暦寺(えんりゃくじ、正字: 延曆寺)は、滋賀県大津市坂本本町にあり、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院。比叡山、または叡山(えいざん)と呼ばれることが多い。平安京(京都)の北にあったので南都の興福寺と対に北嶺(ほくれい)とも称された。平安時代初期の僧・最澄(767年 - 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。住職(貫主)は天台座主と呼ばれ、末寺を統括する。1994年には、古都京都の文化財の一部として、(1200年の歴史と伝統が世界に高い評価を受け)ユネスコ世界文化遺産にも登録された。寺紋は天台宗菊輪宝。.

新しい!!: 平安仏教と延暦寺 · 続きを見る »

徳一

徳一(とくいつ)は奈良時代から平安時代前期にかけての法相宗の僧。最澄とのあいだでやりとりされた所謂三一権実諍論や、空海に対して密教についての疑義を提示したことなどで知られる。.

新しい!!: 平安仏教と徳一 · 続きを見る »

念仏

念仏(ねんぶつ)とは、仏教における行のひとつで、仏の姿や功徳を思い描いたり、その名号を口に出して呼ぶこと。サンスクリット語では"buddha-anusmRti"で、仏陀に対する帰敬、礼拝、讃嘆、憶念などの意。日本では一般的には、浄土教系の宗派において合掌礼拝時に「南無阿弥陀仏」と称える「称名念仏」を指すことが多い。.

新しい!!: 平安仏教と念仏 · 続きを見る »

嵯峨天皇

嵯峨天皇(さがてんのう、延暦5年9月7日(786年10月3日) - 承和9年7月15日(842年8月24日))は、日本の第52代天皇(在位:大同4年4月1日(809年5月18日) - 弘仁14年4月16日(823年5月29日))。 諱は神野(賀美能・かみの)。 桓武天皇の第二皇子で、母は皇后藤原乙牟漏。同母兄に平城天皇。異母弟に淳和天皇他。皇后は橘嘉智子(檀林皇后)。 嵯峨天皇宸翰『哭澄上人詩』部分(最澄の死を悼む詩)釈文:(香煙は)像爐に(続く) 蒼生橋梁に少なく 緇侶(しりょ)律儀疎(うと)し 法軆何ぞ久しく住(とど)まらん 塵心傷みて餘り有り.

新しい!!: 平安仏教と嵯峨天皇 · 続きを見る »

和気清麻呂

和気 清麻呂(わけ の きよまろ)は、奈良時代末期から平安時代初期にかけての貴族。磐梨別乎麻呂(または平麻呂)の子。.

新しい!!: 平安仏教と和気清麻呂 · 続きを見る »

皇室

皇室(こうしつ)は、天皇および皇族の総称。 狭義には内廷皇族、広義には天皇とその近親である皇族を意味するが、皇族の範囲は時期によって異なる。 近代(明治維新)以降は、天皇と内廷皇族を家族とする内廷と皇太子以外の皇族男子及びその家族で構成される宮家を意味する。 皇室典範第五条に定める、天皇の配偶者である皇后、先代の天皇の未亡人である皇太后、先々代の天皇の未亡人である太皇太后、また、皇太子(皇太孫)、皇太子妃(皇太孫妃)、皇族男子たる親王、王、さらには生まれながらの皇族女子である内親王、女王がある。親王妃、王妃は親王、王の配偶者となることをもって、皇族とされる。戦前(大日本帝国憲法下、日本国憲法施行まで)においては、帝室(ていしつ)とも呼ばれていた。 一般国民の女性は、皇族男子との婚姻により皇族になることができる。また、15歳以上の内親王、王、女王はその意思により、皇太子、皇太孫を除く親王、内親王、王、女王は、その意思によるほかにやむをえない特別の事由があるとき、皇室会議の議決を経て皇族の身分を離脱できる。なお、皇族女子は天皇、皇族以外の者と婚姻したとき皇族の身分を離れる(臣籍降下・臣籍降嫁)。.

新しい!!: 平安仏教と皇室 · 続きを見る »

現世

世(げんせ、げんせい、うつしよ)とは、現在の世のこと広辞苑第五版デジタル大辞泉。古くは「げんぜ」とも読む。.

新しい!!: 平安仏教と現世 · 続きを見る »

祈り

りを捧げるマグダラのマリア (19世紀、アリ・シェフェールによる) 祈り(いのり)とは、神などの人間を超える神格化されたものに対して、何かの実現を願うことである。祈祷(きとう)、祈願(きがん)ともいう。儀式を通して行う場合は礼拝(れいはい)ともいう。.

新しい!!: 平安仏教と祈り · 続きを見る »

空海

海(くうかい、宝亀5年(774年) - 承和2年3月21日(835年4月22日))は、平安時代初期の僧。弘法大師(こうぼうだいし)の諡号(921年、醍醐天皇による)で知られる真言宗の開祖である。俗名(幼名)は佐伯 眞魚(さえき の まお)。日本天台宗の開祖最澄(伝教大師)と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換していく流れの劈頭に位置し、中国より真言密教をもたらした。能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられている。.

新しい!!: 平安仏教と空海 · 続きを見る »

真言宗

右 真言宗(しんごんしゅう)は、空海(弘法大師)によって9世紀(平安時代)初頭に開かれた、大乗仏教の宗派で日本仏教のひとつ。真言陀羅尼宗(しんごんだらにしゅう) - コトバンク/世界大百科事典、曼荼羅宗(まんだらしゅう)、秘密宗(ひみつしゅう)とも称する。 空海が長安に渡り、青龍寺で恵果から学んだ密教を基盤としている。.

新しい!!: 平安仏教と真言宗 · 続きを見る »

融通念仏宗

融通念仏宗(ゆうずうねんぶつしゅう)は、浄土教の宗派の日本仏教の一つである。大阪市平野区にある大念仏寺を総本山とする。 平安時代末期の永久5年5月15日(1117年6月16日)に天台宗の僧侶である聖応大師良忍が大原来迎院にて修行中、阿弥陀如来から速疾往生(阿弥陀如来から誰もが速やかに仏の道に至る方法)の偈文「一人一切人 一切人一人 一行一切行 一切行一行 十界一念 融通念仏 億百万編 功徳円満」を授かり開宗した。大念仏宗(だいねんぶつしゅう)とも言う。.

新しい!!: 平安仏教と融通念仏宗 · 続きを見る »

鎌倉仏教

鎌倉仏教(かまくらぶっきょう)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて興起した日本仏教の変革の動きを指す。特に浄土思想の普及や禅宗の伝来の影響によって新しく成立した仏教宗派のことを鎌倉新仏教(かまくらしんぶっきょう)と呼称する場合がある。しかし、「鎌倉新仏教」の語をめぐっては後述のように研究者によって様々な見解が存在する(→ 「鎌倉仏教論」 節)。.

新しい!!: 平安仏教と鎌倉仏教 · 続きを見る »

道鏡

道鏡(どうきょう、文武天皇4年(700年)? - 宝亀3年4月7日(772年5月13日))は、奈良時代の僧侶。俗姓は弓削氏(弓削連)で、弓削櫛麻呂の子とする系図がある。俗姓から、弓削道鏡(ゆげのどうきょう)とも呼ばれる。.

新しい!!: 平安仏教と道鏡 · 続きを見る »

高野山

壇場伽藍 壇場伽藍 不動堂(国宝) 高野山(こうやさん)は、和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町にある周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地を指す。平安時代の弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つである。現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)、大本山宝寿院のほか、子院が117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている。 2004年(平成16年)7月7日、高野山町石道と金剛峯寺境内(6地区)、建造物12件が熊野、吉野・大峯と共に『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録された。さらに2016年(平成28年)10月24日、高野参詣道(町石道を含み登録名称変更)として黒河道、女人道、京大坂道不動坂、三谷坂が世界遺産に追加登録された。.

新しい!!: 平安仏教と高野山 · 続きを見る »

貴族

貴族(きぞく)とは、特権を備えた名誉や称号を持ち、それ故に他の社会階級の人々と明確に区別された社会階層に属する集団を指す。 その社会的特権はしばしば強大であるが、同時に国や地域により異なり、同じ国・地域であっても時代によって変遷する。また貴族階級は伝統的な概念ではあるものの、時に新たな人員を迎え入れ、常に人員は更新され続けている。 貴族階級は多くの場合は君主制の下に維持され、称号の付与や特権の保証なども君主によって行われる。一般的に、貴族などという特権階級を認めてしまうということは反民主主義とされている。フランスでは、貴族階級をものともしないヴォルテールの姿勢がフランス的民主主義の基礎となり、フランス革命でそうした考え方は公認のもの、正統なものとなり、ここに民主主義が実現したとされている。しかし共和制など君主の存在を持たない制度においても貴族制度が存在した場合もある。 西洋では特に青い血という言葉が貴族の血筋を意味する慣用句として用いることがある。ただし、これはあくまでもスペイン語由来のものであるため限定的ではある。日本の場合、貴族の起源について穀物の貯蔵が貴族制度の遠因となったと考える論者もある。.

新しい!!: 平安仏教と貴族 · 続きを見る »

阿弥陀如来

阿弥陀如来(あみだにょらい)は、大乗仏教の如来の一つである。梵名はアミターバ()、あるいはアミターユス ()といい、それを阿弥陀と音写する。阿弥陀仏(阿弥陀佛)ともいい、また略して弥陀仏ともいう。 梵名のアミターバは「量(はかり)しれない光を持つ者」、アミターユスは「量りしれない寿命を持つ者」の意味で、これを漢訳して・無量光仏、無量寿仏ともいう。西方にある極楽浄土という仏国土(浄土)を持つ(東方は薬師如来)。.

新しい!!: 平安仏教と阿弥陀如来 · 続きを見る »

金剛峯寺

金剛峯寺(こんごうぶじ)は、和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山真言宗総本山の寺院。 高野山は、和歌山県北部、周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地に位置する。100か寺以上の寺院が密集する、日本では他に例を見ない宗教都市である。京都の東寺と共に、真言宗の宗祖である空海(弘法大師)が修禅の道場として開創し、真言密教の聖地、また、弘法大師入定信仰の山として、21世紀の今日も多くの参詣者を集めている。2004年(平成16年)7月に登録されたユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部、pp.39,75。 「金剛峯寺」という寺号は、明治期以降は1つの寺院の名称になっている。しかし金剛峯寺の山号が高野山であることからも分かるように、元来は真言宗の総本山としての高野山全体と同義であった。本項では「金剛峯寺」を中心に、高野山全体の歴史、信仰、文化財について触れる。寺紋は五三桐紋と三つ巴紋。.

新しい!!: 平安仏教と金剛峯寺 · 続きを見る »

長岡京

長岡京(ながおかきょう)は、山城国乙訓郡(現在の京都府向日市、長岡京市、京都市西京区)にあった古代日本の都城。宮域跡は向日市鶏冠井町(かいでちょう)に位置し、「長岡宮跡」として国の史跡に指定されている。 延暦3年(784年)11月11日に平城京から遷都され、延暦13年(794年)10月22日に平安京に遷都されるまで機能した。.

新しい!!: 平安仏教と長岡京 · 続きを見る »

東寺

東寺(とうじ)は、京都市南区九条町にある東寺真言宗の仏教寺院。東寺は真言宗の根本道場であり、東寺真言宗の見解では、真言宗全体の総本山としている。「教王護国寺」(きょうおうごこくじ)とも呼ばれる(名称については「寺号」の節を参照)。山号は八幡山。本尊は薬師如来。寺紋は雲形紋(東寺雲)。 東寺は平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。中世以降の東寺は弘法大師に対する信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めるようになり、21世紀の今日も京都の代表的な名所として存続している。昭和9年(1934年)に国の史跡に指定、平成6年(1994年)12月には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録された。.

新しい!!: 平安仏教と東寺 · 続きを見る »

東密

東密(とうみつ)とは、真言宗に伝わる密教のことである。天台宗に伝わる密教を台密と呼ぶのに対していう。東密の語の由来は、空海が東寺(教王護国寺、現:京都市南区九条)を真言密教の根本道場としたことによるものである。 本有学派・修生学派の2つがある。 東密では、高野山・東寺・根来寺を併せて三大学風と称する。主にこの3箇所を中心にして、教学の研鑽・研究・発展が見られた。 806年(大同元年)、唐から帰朝した空海は、密教のみが悟りの境地へ深達するための真実門であるとして、東寺を都における活動の場の中心に、真言密教を広めた。その後、広沢流・小野流の2流に分かれ、さらに数多くの派に分かれていった。鎌倉時代には東密三十六流と呼ばれた。.

新しい!!: 平安仏教と東密 · 続きを見る »

桓武天皇

桓武天皇(かんむてんのう、天平9年(737年) - 延暦25年3月17日(806年4月9日))は、日本の第50代天皇(在位:天応元年4月3日(781年4月30日) - 延暦25年3月17日(806年4月9日))。.

新しい!!: 平安仏教と桓武天皇 · 続きを見る »

比叡山

比叡山(ひえいざん)は、滋賀県大津市西部と京都府京都市北東部にまたがる山。大津市と京都市左京区の県境に位置する大比叡(848.3m)と左京区に位置する四明岳(しめいがたけ、838m)の二峰から成る双耳峰の総称である。高野山と並び古くより信仰対象の山とされ、延暦寺や日吉大社があり繁栄した。東山三十六峰に含まれる場合も有る。別称は叡山、北嶺、天台山、都富士など。.

新しい!!: 平安仏教と比叡山 · 続きを見る »

法然

法然(ほうねん、長承2年(1133年) - 建暦2年(1212年))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧である。はじめ山門(比叡山)で天台宗の教学を学び、承安5年(1175年)、専ら阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できるという専修念仏の教えを説き、のちに浄土宗の開祖と仰がれた。法然は房号で、諱は源空(げんくう)。幼名を勢至丸。通称は黒谷上人・吉水上人とも。 謚号は、慧光菩薩・華頂尊者・通明国師・天下上人無極道心者・光照大士である.

新しい!!: 平安仏教と法然 · 続きを見る »

法相宗

法相宗(ほっそうしゅう)は、インド瑜伽行派(唯識派)の思想を継承する、中国の唐時代創始の大乗仏教宗派の一つ。645年(唐代、貞観19年)中インドから玄奘が帰国し唯識説が伝えられることになる。その玄奘の弟子の慈恩大師基(一般に窺基と呼ぶ)が開いた宗派である。唯識宗・慈恩宗・中道宗とも呼ばれる。705年に華厳宗が隆盛になるにしたがい、宗派としてはしだいに衰えた。 日本仏教における法相宗は、玄奘に師事した道昭が法興寺で広め、南都六宗の一つとして、8-9世紀に隆盛を極めた。.

新しい!!: 平安仏教と法相宗 · 続きを見る »

源信 (僧侶)

源信(げんしん)は、平安時代中期の天台宗の僧。恵心僧都(えしんそうず)と尊称される。 浄土真宗では、七高僧の第六祖とされ、源信和尚、源信大師と尊称される。.

新しい!!: 平安仏教と源信 (僧侶) · 続きを見る »

最澄

最澄像(能福寺) 哭澄上人詩(嵯峨天皇宸翰)(部分) 最澄(さいちょう)は、平安時代の僧(766/767年 - 822年)。日本の天台宗の開祖であり、伝教大師として広く知られる。近江国(滋賀県)滋賀郡古市郷(現在の大津市)に生れ、俗名は三津首広野(みつのおびとひろの)。生年に関しては天平神護2年(766年)説も存在する。 中国に渡って仏教を学び、帰国後、比叡山延暦寺を建てて天台宗の開祖となった。 先祖は後漢の孝献帝に連なる(真偽は不明)といわれる登萬貴王(とまきおう)なる人物で、応神天皇の時代に日本に渡来したといわれている。.

新しい!!: 平安仏教と最澄 · 続きを見る »

浄土教

浄土教(じょうどきょう)とは、阿弥陀仏の極楽浄土に往生し成仏することを説く教え。浄土門、浄土思想ともいう。阿弥陀仏の本願に基づいて、観仏や念仏によってその浄土に往生しようと願う教え。.

新しい!!: 平安仏教と浄土教 · 続きを見る »

日本の仏教

日本の仏教(にほんのぶっきょう)について解説する。約8470万人が仏教徒であるとされる(2013年統計)。伝統的な仏教の13宗は、華厳宗、法相宗、律宗、真言宗、天台宗、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗、融通念仏宗、時宗、曹洞宗、臨済宗、黄檗宗である。幕末まで、日本は仏と神を一体で不可分とする神仏習合の時代であった。.

新しい!!: 平安仏教と日本の仏教 · 続きを見る »

794年

記載なし。

新しい!!: 平安仏教と794年 · 続きを見る »

ここにリダイレクトされます:

平安二宗

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »