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幕末の通貨問題

索引 幕末の通貨問題

幕末の通貨問題(ばくまつのつうかもんだい)とは、日米和親条約締結後に決められた日本貨幣と海外貨幣の交換比率に関する問題。日本と諸外国の金銀交換比率が異なったため、日本から大量の金が流出した。.

81 関係: 吹替え吉川弘文館天保天保小判天保丁銀天正外国奉行定高貿易法安政安政小判小判小葉田淳小栗忠順丁銀両替商万延下田市一分銀一分金幕末二朱銀二朱金了仙寺地金ラザフォード・オールコックフィラデルフィアドルアメリカ合衆国インフレーションイギリスグラムタウンゼント・ハリス内外価格差兌換券秤量貨幣物価銀座 (歴史)鎖国計数貨幣豆板銀至文堂金銀比価金貨東洋経済新報社武田晴人水野忠徳江戸江戸幕府江戸時代...洋銀本位貨幣文藝春秋日米修好通商条約日米和親条約日本の貨幣史日本銀行早稲田大学改三分定銀慶長10月7日1837年1854年1856年1859年1860年1月20日 (旧暦)2月11日2月1日 (旧暦)2月22日5月17日 (旧暦)5月25日 (旧暦)6月12日6月1日 (旧暦)6月22日 (旧暦)6月25日6月2日 (旧暦)6月30日7月1日7月21日9月9日 (旧暦) インデックスを展開 (31 もっと) »

吹替え

* 吹替え(ふきかえ) - 流通済みの金属製品を鋳造しなおすこと。改鋳。貨幣でよく行われる。.

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吉川弘文館

吉川弘文館(よしかわこうぶんかん)は日本史関連を主軸とした老舗の出版社。1857年(安政4年)に、吉川半七により設立。戦後1949年(昭和24年)に株式会社として現在に至る。.

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天保

天保(てんぽう)は日本の元号の一つ。文政の後、弘化の前。1831年から1845年までの期間を指す。この時代の天皇は仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉、徳川家慶。.

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天保小判

天保小判(てんぽうこばん)とは天保8年7月21日(1837年)から鋳造が始まり同年11月15日より通用開始された一両としての額面を持つ小判であり、保字小判(ほうじこばん/ほじこばん)とも呼ばれる。また天保小判および天保天保一分判を総称して天保金(てんぽうきん)あるいは保字金(ほうじきん/ほじきん)と呼ぶ。.

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天保丁銀

天保丁銀(保字丁銀) 天保丁銀(てんぽうちょうぎん)とは天保8年11月7日(1837年)から鋳造が始まり、同12月18日(1838年)より通用開始された丁銀の一種で秤量貨幣である。保字丁銀(ほうじちょうぎん/ほじちょうぎん)とも呼ばれる。また天保丁銀および天保豆板銀を総称して天保銀(てんぽうぎん)あるいは保字銀(ほうじぎん/ほじぎん)と呼ぶ。.

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天正

天正(てんしょう)は日本の元号の一つ。元亀の後、文禄の前。ユリウス暦1573年からグレゴリオ暦1593年(ユリウス暦1592年)。 この時代の天皇は正親町天皇、後陽成天皇。征夷大将軍は足利義昭。.

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外国奉行

外国奉行(がいこくぶぎょう)とは、江戸時代末期(幕末)における江戸幕府の職名。外交を担当した。.

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定高貿易法

定高貿易法(さだめだかぼうえきほう)とは、江戸時代の長崎貿易の統制のために定められた貿易規定。御定高制度・定高貿易仕法とも。 前年までの貨物市法に代わり、貞享2年(1685年)、金・銀による貿易決済の年間取引額に一定の上限(「定高」)を設定し、清国船は年間銀6000貫目・オランダ船は年間銀3000貫目(金換算で50000両)に限定して貿易を認めた。また、生糸取引は糸割符、その他の商品に関しては相対取引を原則とした。特に遷界令の解除後に出入りが急増した清国船については、船の積荷高・来航季節・出帆地・乗員数などを勘案して、1艘ごとの定高を定め、それ以上の積荷は本国に持ち帰らせた。また、元禄元年(1688年)には年間貿易許可船数を70隻に制限している。 のちに定高を超える積荷については、銅・俵物・諸色との物々交換による決済(代物替)を条件に交易を許し、続く海舶互市新例において代物替が原則とされた。 しかし、銅の減産に伴って、定高そのものの制限が行われるようになり、寛保2年(1742年)と寛政2年(1790年)に2度にわたって定高の半減令が出された。ただし、宝暦13年(1763年)以後、外国船が金銀をもって銅以外の俵物・諸色を交易する場合には外売(ほかうり)・別段売の名目で定高の枠外とされるなど、金銀銅の流出を伴わない貿易については許容されたため、長崎貿易全体の交易額は大きな減少を見せなかった。2度にわたる定高半減後の天保10年(1839年)当時の取引総額は、清国船は8艘6900貫目、オランダ船は1艘970貫目であり、外売・別段売が長崎貿易の大きな部分を占めていたことが分かる。 安政5年(1858年)の安政条約の締結によって、廃止された。.

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安政

安政(あんせい)は日本の元号の一つ。嘉永の後、万延の前。1855年嘉永から安政への改元が行なわれたのはグレゴリオ暦1855年1月15日であり、和暦が新年を迎えないうちに西暦だけが新年を迎えている期間であった。安政元年は西暦1855年1月15日から同2月16日までの短い期間であるため、和暦と西暦を一対一で対応させようとする場合、嘉永7年=安政元年=西暦1854年、安政2年=西暦1855年となって実際とはずれが生じる。から1860年までの期間を指す。この時代の天皇は、孝明天皇。江戸幕府将軍は、徳川家定、徳川家茂。.

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安政小判

安政小判(あんせいこばん)は、安政6年5月25日(1859年6月25日)から鋳造が始まり同年6月1日(1859年6月30日)より通用開始された一両としての額面を持つ小判である。正字小判(せいじこばん)とも呼ばれる。また安政小判および安政一分判を総称して安政金(あんせいきん)あるいは正字金(せいじきん)と呼ぶ。.

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小判

小判(こばん)とは、江戸時代に流通した金貨の一種である。金座で用いられた公式な呼称は小判であり『三貨図彙』では「小判」と明記されているが、『』および『大日本貨幣史』などの古銭書には小判金(こばんきん)という名称で収録されており、貨幣収集界では小判金の名称が広く用いられている。当時の文書には単に金と記されていることが多く、「金百両」などと表記された。計数貨幣であるが量目(質量)および金品位が一定に定められており、金含有量が額面を決める秤量貨幣の発展形である。.

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小葉田淳

小葉田 淳(こばた あつし、1905年4月24日 - 2001年8月8日)は、日本の歴史学者(専攻は貨幣史・鉱山史・貿易史)。京都帝国大学名誉教授。日本学士院賞受賞者、学士院会員、文化功労者。.

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小栗忠順

小栗 忠順(おぐり ただまさ)は、江戸時代末期の幕臣、勘定奉行、江戸町奉行、外国奉行。 通称は又一。安政6年(1859年)、従五位下豊後守に叙任。文久3年(1863年)、上野介に遷任され、以後小栗上野介と称される。三河小栗氏第12代当主で、父方の祖父は同じく勘定奉行を務めた中川忠英。.

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丁銀

丁銀(ちょうぎん)とは、日本国内において主に商取引用として室町時代後期から明治維新まで流通した銀貨である。当時は単に銀と呼ばれ、例えば品位を下げた元禄丁銀は「元字銀」などと称呼された。丁銀という名称は『』の記述によれば棒状の銀塊の意味である銀(ちょうぎん)が挺銀(ちょうぎん)を経て変化したものとされる日本の貨幣(1972, 1973).。.

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両替商

両替商(りょうがえしょう)とは、両替および金融を主な業務とする商店あるいは商人のことである。 古くから国境を越えた貿易は盛んであり、外貨両替、金融などを扱う両替商が多く存在した。現代では主に、空港などで外貨の両替を行う店舗および窓口を指す。.

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万延

万延(まんえん、旧字体: 萬延)は日本の元号の一つ。安政の後、文久の前。1860年から1861年の期間を指す。この時代の天皇は孝明天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂。.

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下田市

下田市(しもだし)は、伊豆半島南部に位置する静岡県の都市。明治以前は旧伊豆国賀茂郡。.

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一分銀

一分銀(いちぶぎん)は、江戸時代末期に流通した銀貨の一種。.

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一分金

一分金(いちぶきん)とは、江戸時代に流通した金貨の一種。 金座などで用いられた公式の名称は一分判(いちぶばん)であり三上隆三 『江戸の貨幣物語』 東洋経済新報社、1996年、『三貨図彙』には一歩判と記載されている。一方『』および『大日本貨幣史』などの古銭書には一分判金/壹分判金(いちぶばんきん)という名称で収録されており、貨幣収集界では「一分判金」の名称が広く用いられる。また天保8年(1837年)の一分銀発行以降はこれと区別するため「一分金」の名称が普及するようになった。.

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幕末

幕末(ばくまつ)は、日本の歴史のうち、江戸幕府が政権を握っていた時代(江戸時代)の末期を指す。本記事においては、黒船来航(1853年)から戊辰戦争(1869年)までの時代を主に扱う。.

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二朱銀

二朱銀(にしゅぎん)とは、江戸時代末期の日本で流通した銀貨の一種。 丁銀や豆板銀が重量を以て貨幣価値の決まる秤量貨幣であったのに対し、額面が記載された表記貨幣である。 形状は長方形。額面は2朱。その貨幣価値は金貨である二朱金と等価とされ、1/8両に相当し、1/2分に相当する。 南鐐二朱銀を嚆矢とし、1859年の安政二朱銀まで鋳造された。南鐐二朱銀の貨幣面の表記は「以南鐐八片換小判一兩」であったが、安政二朱銀では「二朱銀」と単刀直入なものになった。.

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二朱金

二朱金(にしゅきん)とは、江戸時代に流通した金貨の一種。 二朱判(にしゅばん)ともいう。.

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了仙寺

了仙寺(りょうせんじ)は、静岡県下田市七軒町3丁目にある日蓮宗の寺で、山号を法順山とする。旧本山は、身延山久遠寺。脱師法縁。.

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江戸時代に両替商で用いられた後藤分銅貳拾両(200匁:749.07g), 拾両(100匁:374.62g) 匁(もんめ)(記号:mom)には、以下の二つの用法があった『廣漢和辞典 上巻』「勹部-匁(1410)」,p416.。.

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地金

地金(じがね、じきん)とは、金属を貯蔵しやすいような形で固めたもの。金属塊。インゴット、バーともいう。例外として、水銀は液状であることから、アマルガムを生じない鉄製フラスコやボンベ、または樹脂製ボトルやガラス瓶に注入されて取引される。また、半金属であるアンチモンやビスマスも地金として流通させることが多い。.

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ラザフォード・オールコック

ー・ラザフォード・オールコック(Sir Rutherford Alcock KCB、1809年5月 - 1897年11月2日)は、イギリスの医師、外交官。清国駐在領事、初代駐日総領事、同公使を務めた。日本語訳された著書に、開国後の幕末日本を紹介した『大君の都』がある。.

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フィラデルフィア

フィラデルフィア(Philadelphia)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州南東部にある都市。同州の最大都市かつ北米有数の世界都市である。市内の人口は156万7442人(2015年推計)で全米第5位。 名門のペンシルベニア大学や工学系に強いドレクセル大学、日本にもキャンパスを置く州立大学のテンプル大学を抱える学術都市である。市内に約12万人、都市圏全体で約30万人と、全米で最も多くの学生を持つ都市のひとつである。 漢字の当て字和名は費拉特費、また短縮して費府。 なお、フィラデルフィア都市圏の治安は概ね良好であるが、デラウェア川の対岸にあるニュージャージー州カムデンは、デトロイトやセントルイスなどと並んで、全米で最も危険な都市のひとつとされる。 独立記念館や自由の鐘があり、近郊にはバレーフォージがある合衆国建国ゆかりの地である。.

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ドル

ドル(dollar)は通貨単位のひとつであり、複数の国で使用されている。記号は$。漢字では、字体の似た「弗」を宛てる。.

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アメリカ合衆国

アメリカ合衆国(アメリカがっしゅうこく、)、通称アメリカ、米国(べいこく)は、50の州および連邦区から成る連邦共和国である。アメリカ本土の48州およびワシントンD.C.は、カナダとメキシコの間の北アメリカ中央に位置する。アラスカ州は北アメリカ北西部の角に位置し、東ではカナダと、西ではベーリング海峡をはさんでロシアと国境を接している。ハワイ州は中部太平洋における島嶼群である。同国は、太平洋およびカリブに5つの有人の海外領土および9つの無人の海外領土を有する。985万平方キロメートル (km2) の総面積は世界第3位または第4位、3億1千7百万人の人口は世界第3位である。同国は世界で最も民族的に多様かつ多文化な国の1つであり、これは多くの国からの大規模な移住の産物とされているAdams, J.Q.;Strother-Adams, Pearlie (2001).

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インフレーション

インフレーション(inflation)とは、経済学においてモノやサービスの全体の価格レベル、すなわち物価が、ある期間において持続的に上昇する経済現象である。日本語の略称はインフレ。日本語では「通貨膨張」とも訳す。 反対に物価の持続的な下落をデフレーションという。.

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イギリス

レートブリテン及び北アイルランド連合王国(グレートブリテンおよびきたアイルランドれんごうおうこく、United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)、通称の一例としてイギリス、あるいは英国(えいこく)は、ヨーロッパ大陸の北西岸に位置するグレートブリテン島・アイルランド島北東部・その他多くの島々から成る同君連合型の主権国家である。イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの4つの国で構成されている。 また、イギリスの擬人化にジョン・ブル、ブリタニアがある。.

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グラム

ラム(gramme, gram, 記号: g)は、質量の単位である。国際単位系(SI)において、キログラム(kg)の1000分の1の質量と定義されている。 一円硬貨の質量が、1.0 g である。 メートル法によって新しい質量の単位として定められた。「グラム」という名称は、ラテン語のgrámmaに由来する。元々はグラムが質量の基本単位で、「最大密度にある蒸留水1ミリリットルの質量」と定義された。しかし、作られた原器はキログラムの質量を示すもので、その質量が1キログラムと再定義され、グラムはその1000分の1ということになった。 CGS単位系では質量の基本単位であったが、MKS単位系およびそこから派生した国際単位系ではキログラムが基本単位とされている。ただし、SI接頭辞はキログラムではなくグラムにつけることとなっており、例えばキログラムの10−6倍は、「マイクロキログラム」(µkg) ではなく「ミリグラム」(mg) となる。なお、106 g (.

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タウンゼント・ハリス

タウンゼント・ハリス(, 1804年10月3日 - 1878年2月25日)は、アメリカ合衆国の外交官。初代駐日本アメリカ合衆国弁理公使。民主党員、敬虔な聖公会信徒で生涯独身・童貞を貫いた。タウンゼンド・ハリスと表記されることもある。 日本の江戸時代後期に訪日し、日米修好通商条約を締結したことで知られる。.

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内外価格差

内外価格差(ないがいかかくさ)とは商業用語の一つで、同一の商品やサービスであっても、それが売られている場所が国内であるか国外であるかの違いで生じている価格の差を指す。.

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兌換券

兌換券(だかんけん)とは、何かの代替として渡される券・通貨のこと。.

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秤量貨幣

量貨幣(しょうりょうかへい/ひょうりょうかへい)とは、使用に際して交換価値を品位・量目を検査して計って用いる貨幣。長期間の使用や所有、保管でも変化しにくい金銀青銅などを加工もしくは加工せずに用いた例が多く、貨幣の最古の形態の1つである。鋳造精錬した貴金属は打刻したナゲット状のものや、なかでも金は価値の保存に優れるため砂金のままでも流通した。 これに対して一定の品位・量目の保証のもと、その枚数によって交換価値を計る貨幣を計数貨幣と呼ぶ。 秤量貨幣は流通が容易である反面、品位の安定に不安を生じやすい欠点がある。.

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物価

物価(ぶっか、あるいはcommodity prices)とは、.

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銀座 (歴史)

銀座(ぎんざ)とは、中近世の日本の政権において銀地金の買売、および銀地金への極印打つまり貨幣の鋳造を担った場所に与えられた呼称である。.

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鎖国

鎖国(さこく)とは、江戸幕府が、キリスト教国(スペインとポルトガル)の人の来航、及び日本人の東南アジア方面への出入国を禁止し、貿易を管理・統制・制限した対外政策であり、ならびに、そこから生まれた日本の孤立状態及び、日本を中心とした経済圏を指す。幕末に「開国」を主導した井伊直弼は、「鎖国」のことを閉洋之御法とも呼んでおり、籠城と同じようなものだと見做していた『』 P.183 小林庄次郎 1915年。 対外関係は朝鮮王朝(朝鮮国)及び琉球王国との「通信」(正規の外交)、中国(明朝と清朝)当初は倭寇対策として「海禁」政策を採る明・清政府の正式な交流許可はなく、福建省をはじめとする南方中国の商人の私貿易であった。1684年に康煕帝により海禁が解除された後は寧波商人の貿易船が日本との交易を行うようになる。及びオランダネーデルラント連邦共和国、但し国際法上その独立をヨーロッパ諸国に承認されたのは、1648年のヴェストファーレン条約においてであった。さらにフランス革命戦争で本国がフランスに占拠され、1795年その衛星国バタヴィア共和国となり、併合を経て再独立したのは1815年であった。(オランダ東インド会社本国がバタヴィア共和国となっても、アメリカ合衆国の商船を雇用し、オランダの国旗を掲げて通商を行なっていた。なお、東インド会社自体は1799年に解散させられている)との間の通商関係に限定されていた。鎖国というとオランダとの貿易が取り上げられるが、実際には幕府が認めていたオランダとの貿易額は中国の半分であった。 一般的には1639年(寛永16年)の南蛮(ポルトガル)船入港禁止から、1854年(嘉永7年)の日米和親条約締結までの期間を「鎖国」と呼ぶ。しかし、「鎖国」という用語が広く使われるようになったのは明治以降で、近年では制度としての「鎖国」はなかったとする見方が主流である。 なお海外との交流・貿易を制限する政策は江戸時代の日本だけにみられた政策ではなく、同時代の東北アジア諸国でも「海禁政策」が採られていた清は1684年に海禁を解いているが、その後も長崎貿易に類似した管理貿易制度を維持した(広東システム)。。.

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計数貨幣

計数貨幣(けいすうかへい)は、個数貨幣(こすうかへい)とも呼ばれ、一定の形状・品位・量目を持ち、表面にその価値を示す数字あるいは刻印が施され、それによって数字または刻印に示された貨幣価値を保証された貨幣のこと。これを取引に用いる当事者の間ではその個数を数える(複数の種類を有する場合にはそれぞれの種別ごとの価値の合算によってはじき出された価値)に従って無条件に授受される。 計数貨幣には含まれる金、銀が法的に定められた含有量であり、量目を額面に比例させた本位貨幣と、含有金属の価値が額面とは関係せず、法定貨幣として強制的に通用させる名目貨幣がある。 古くより計数貨幣は存在したが、贋金製造や表面の削り取りなどの不正行為によって、必ずしも保証された価値と実際の価値が合致しない場合もあり、実際の品位や量目に基づいた秤量貨幣が長く用いられてきた地域があった。近代に入り、機械的な鋳造・印刷技術によって精巧な貨幣・紙幣が発行されることによって計数貨幣は一般的な貨幣の仕組みとなった。.

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豆板銀

豆板銀(まめいたぎん)は、江戸時代に流通した銀貨の一種。小粒銀(こつぶぎん)、小玉銀(こだまぎん)とも呼ばれる。当時、銀座において用いられた正式名称は「小玉銀」であり田谷博吉 『近世銀座の研究』 吉川弘文館、1963年、『三貨図彙』にもこの名称で記述されているが、『』および『大日本貨幣史』などの古銭書には「豆板銀」という名称で収録されている。.

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至文堂

至文堂(しぶんどう)は、日本の出版社である。.

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金銀比価

金銀比価(きんぎんひか)とは、金と銀の価値比率のこと。ただし、両替商や銀行における金貨と銀貨の両替のための金銀相場とは直接関連しないことに注意を要する。.

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金貨

金貨(きんか)とは、金を素材として作られた貨幣。銀貨・銅貨とともに、古くから世界各地で流通した。.

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東洋経済新報社

株式会社東洋経済新報社(とうようけいざいしんぽうしゃ、)は、ビジネス書や経済書などの発行を専門とする、日本の出版社である。.

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武田晴人

武田 晴人(たけだ はるひと、1949年4月11日 - )は、日本の経済学者、歴史学者。専門は近現代日本経済史。東京大学名誉教授。経済学博士。東京都出身。.

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水野忠徳

水野 忠徳(みずの ただのり、文化7年(1810年) - 慶応4年7月9日(1868年8月26日))は、江戸時代末期(幕末)の旗本、幕臣。諏訪庄右衛門頼篤の子。文政5年(1822年)に水野忠長の養嗣子となる。忠敬の父。初名は忠篤。号は癡雲(ちうん)。筑後守・下総守。.

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江戸

江戸図屏風に見る、初期の江戸 弘化年間(1844年-1848年)改訂江戸図 江戸(えど) は、東京の旧称であり、1603年から1867年まで江戸幕府が置かれていた都市である。 現在の東京都区部に位置し、その前身及び原型に当たる。.

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江戸幕府

江戸城天守 江戸幕府(えどばくふ)は、1603年に征夷大将軍に任官した徳川家康が創設した武家政権である。終末期は、一般的には大政奉還が行われた1867年までとされる(他に諸説あり、後述)。江戸(現・東京都)に本拠を置いたのでこう呼ばれる。徳川幕府(とくがわばくふ)ともいう。安土桃山時代とともに後期封建社会にあたる。.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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洋銀

洋銀(ようぎん)とは、幕末から明治初期にかけての日本、および近世の中国に流入した外国製の銀貨のこと。特に断りが無い場合には1497年以後メキシコ(当初はスペイン領)を中心とする、スペイン系の中南米諸国で鋳造されて国際決済で長く用いられてきたSpanish dollar (メキシコドル/メキシコ銀)といわれる、量目420グレーンの8レアル銀貨を指す場合が多い。.

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本位貨幣

日本の本位貨幣(原貨)旧1円金貨・明治4年銘 本位貨幣(ほんいかへい)は、その国の貨幣制度が金、もしくは銀に裏づけされている場合(金本位制・銀本位制)に、その平価に相当する一定量の貴金属を含み、実質価値と標記額面との差の無い貨幣のことである。正貨(せいか)とも呼ばれる金本位制であれば金貨が、銀本位制であれば銀貨が本位貨幣すなわち正貨となるが、一般に「正貨」という語を用いる場合には、金本位制における金貨に対して用いられ、かつ貨幣の形態を取っていない金地金・金為替をも含んだ意味で用いられている。。貨幣とは本来はこの本位貨幣を表すことばである。これに対して本位貨幣以外の非鋳貨は、貨幣の代用物として、「通貨」と読んで区別してきたが、銀行券の本位貨幣への兌換性が失われた今日では貨幣と通貨は重複した意味で用いられる場合が多い。また、硬貨という言葉は通常コインという意味で使われるが、経済学ではハードカレンシーの訳語として、国際決済通貨や、本位貨幣のことを表す場合がある。.

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文藝春秋

株式会社文藝春秋(ぶんげいしゅんじゅう、Bungeishunju Ltd.)は、日本の出版社。東京都千代田区紀尾井町に本社を置く。.

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日米修好通商条約

日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく、Treaty of Amity and Commerce Between the United States and the Empire of Japan)は、安政5年6月19日(1858年7月29日)に日本とアメリカ合衆国の間で結ばれた通商条約である。 江戸幕府が日本を代表する政府として調印した条約であり、条約批准書原本には「源家茂」として当時の14代将軍徳川家茂の署名がなされている。欧語ではアメリカ全権タウンゼント・ハリスの名を冠して、ハリス条約(Harris Treaty)とも通称される。.

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日米和親条約

日米和親条約(にちべいわしんじょうやく)は、嘉永7年3月3日(1854年3月31日)に江戸幕府とアメリカ合衆国が締結した条約である。神奈川条約とも呼ぶ。日本側全権は林復斎(大学頭)、アメリカ側全権は東インド艦隊司令長官のマシュー・ペリーである。この条約によって日本は下田と箱館(現在の函館)を開港し、鎖国体制は終焉を迎えた。.

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日本の貨幣史

日本の貨幣史(かへいし)では日本の貨幣の歴史、および歴史上の各時代における貨幣の機能や貨幣制度の歴史を指す。日本に流入した海外の貨幣や、海外で流通した日本の貨幣についても取り上げる。また、歴史的に蝦夷地や琉球と呼ばれてきた地域の貨幣についても記述する。世界各地の貨幣の歴史については、貨幣史を参照。.

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日本銀行

日本銀行(にっぽんぎんこう、にほんぎんこう、Bank of Japan)は、日本銀行法(平成9年法律第89号)に基づく財務省所管の認可法人(財務省設置法4条59号)であり、日本国の中央銀行である。.

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早稲田大学

大隈重信立像(朝倉文夫作) 登台した学生は退学の内規あり 東京専門学校 大正時代の早稲田大学の正.

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改三分定銀

改三分定銀(あらためさんぶさだぎん)は幕末期に、ハリスの提案により、日本国内で三分として通用させるために極印が打たれた洋銀である。.

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慶長

慶長(けいちょう)は日本の元号の一つ。文禄の後、元和の前。1596年から1615年までの期間を指す。この時代の天皇は後陽成天皇、後水尾天皇。江戸幕府将軍は徳川家康、徳川秀忠。.

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10月7日

10月7日(じゅうがつなのか)はグレゴリオ暦で年始から280日目(閏年では281日目)にあたり、年末まであと85日ある。.

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1837年

記載なし。

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1854年

記載なし。

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1856年

記載なし。

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1859年

記載なし。

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1860年

記載なし。

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1月20日 (旧暦)

旧暦1月20日(きゅうれきいちがつはつか)は、旧暦1月の20日目である。六曜は友引である。.

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2月11日

2月11日(にがつじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から42日目にあたり、年末まであと323日(閏年では324日)ある。.

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2月1日 (旧暦)

旧暦2月1日(きゅうれきにがつついたち)は旧暦2月の1日目である。六曜は友引である。.

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2月22日

2月22日(にがつにじゅうににち)はグレゴリオ暦で年始から53日目にあたり、年末まであと312日(閏年では313日)ある。.

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5月17日 (旧暦)

旧暦5月17日は旧暦5月の17日目である。六曜は先負である。.

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5月25日 (旧暦)

旧暦5月25日は旧暦5月の25日目である。六曜は大安である。.

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6月12日

6月12日(ろくがつじゅうににち)はグレゴリオ暦で年始から163日目(閏年では164日目)にあたり、年末まであと202日ある。誕生花はライラック、ベロペロネ。.

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6月1日 (旧暦)

旧暦6月1日(きゅうれきろくがつついたち)は旧暦6月の1日目である。六曜は赤口である。.

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6月22日 (旧暦)

旧暦6月22日は旧暦6月の22日目である。六曜は先負である。.

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6月25日

6月25日(ろくがつにじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から176日目(閏年では177日目)にあたり、年末まであと189日ある。誕生花はアガパンサス、ヒルガオ。.

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6月2日 (旧暦)

旧暦6月2日(きゅうれきろくがつふつか)は、旧暦6月の2日目である。六曜は先勝である。.

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6月30日

6月30日(ろくがつさんじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から181日目(閏年では182日目)にあたり、年末まであと184日ある。6月の最終日である。誕生花はビヨウヤナギ、ヘリオトロープ。.

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7月1日

7月1日(しちがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から182日目(閏年では183日目)にあたり、年末まであと183日ある。誕生花はアジサイ、ベゴニア。.

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7月21日

7月21日(しちがつにじゅういちにち)はグレゴリオ暦で年始から202日目(閏年では203日目)にあたり、年末まであと163日ある。誕生花はヤマユリ、アサガオ。.

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9月9日 (旧暦)

旧暦9月9日は旧暦9月の9日目である。六曜は大安である。.

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