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市川猿翁 (初代)

索引 市川猿翁 (初代)

初代 市川 猿翁(しょだい いちかわ えんおう、1888年(明治21年)5月10日 - 1963年(昭和38年)6月12日)は、明治から戦後昭和にかけて活躍した歌舞伎役者。屋号は澤瀉屋。定紋は澤瀉、替紋は三ツ猿。日本芸術院会員。本名は喜熨斗 政泰(きのし まさやす)、俳名は笑猿(しょうえん)。 「猿翁」は舞台で使われることが一度もなかった隠居名の名跡で、しかも改名直後に本人が死去したため実績もまったくない。逆に「猿之助」の方は53年間にわたって名乗り続けた名跡で、これが今日でも彼が二代目 市川 猿之助(にだいめ いちかわ えんのすけ)として語られることが多い所以である。 当代の二代目市川猿翁(三代目市川猿之助)と四代目市川段四郎の兄弟は孫にあたる。.

57 関係: 原節子千秋楽千束台東区名跡大忠臣蔵大石良雄家紋屋号市川寿猿市川小太夫市川左團次 (2代目)市川中車 (8代目)市川團十郎 (9代目)市川團子市川猿之助市川猿翁 (2代目)市川段四郎 (2代目)市川段四郎 (3代目)市川段四郎 (4代目)平家女護島京華中学高等学校井上正夫仮名手本忠臣蔵俊寛俳名心不全心臓病マキノ雅弘セルゲイ・ディアギレフ傾城反魂香元禄忠臣蔵真山青果猿翁十種聖路加国際病院高峰秀子黒塚自由劇場東京府東京都歌舞伎水谷八重子 (初代)澤瀉十種澤瀉屋朝日新聞東京本社明治昭和浅草区新派日野原重明...日本俳優協会日本芸術院日本芸術院賞1888年1963年5月10日6月12日 インデックスを展開 (7 もっと) »

原節子

原 節子(はら せつこ、1920年6月17日 - 2015年9月5日)は、日本の女優別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.10.

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千秋楽

歌舞伎座の懸垂幕 千秋楽(せんしゅうらく、千穐楽、旧字体:千龝樂)は、複数日にわたって同じ演目を行う興行において、「最終日」を指す業界用語。縮めて楽日(らくび)や楽(らく)ともいわれる。本来は江戸期の歌舞伎や大相撲における用語だったが、現在では広く演劇や興行一般で用いられている。 これにちなみ、千秋楽の前日、もしくはひとつ前に行われる公演は前楽(まえらく)、また、ひとつの演目で各地を巡業した場合、最後の公演地で行われる千秋楽の公演を、特に大千秋楽(おおせんしゅうらく)、略して大楽(おおらく)ともいうことがある。 「千穐楽」など異体字での表記は「秋」の文字にある「火」を忌んだものである。これは、江戸時代の芝居小屋は特に出火や延焼に悩まされることが多かったためである。.

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千束

千束(せんぞく)は、東京都台東区の地名。現行行政地名は千束一丁目から千束四丁目まで。郵便番号は111-0031。.

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台東区

台東区(たいとうく)は、東京都の特別区の一つ。23区東部に区分される。 面積は23区の中で最も狭い。.

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名跡

名跡(みょうせき)は、家制度と密接に結びつき、代々継承される個人名。もしくは家名。「めいせき」と発音するのは誤り。.

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大忠臣蔵

大忠臣蔵(だいちゅうしんぐら)は忠臣蔵を題材にした映画、テレビドラマである。.

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大石良雄

大石 良雄(おおいし よしお/よしたか)は、江戸時代前期の武士。播磨国赤穂藩の筆頭家老。赤穂事件で名を上げ、これを題材とした人形浄瑠璃・歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』で有名となる。 「良雄」は諱で、通称(仮名)は「内蔵助」。一般にはこの大石 内蔵助(おおいし くらのすけ)の名で広く知られる。.

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家紋

家紋(かもん)とは、日本固有の紋章である。.

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屋号

屋号、家号(やごう)とは、一門・一家の特徴を基に家に付けられる称号のことである。日本、ヨーロッパにおいて使用されている例がある。日本の場合、家紋のように屋号を記号化・紋章化した屋号紋を指すこともある。また、前述の本来の屋号から派生して企業や店の名称などを屋号と呼ぶ場合もある。.

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市川寿猿

市川 寿猿(いちかわ じゅえん)は、歌舞伎役者の名跡。旧字体は「壽猿」。屋号は澤瀉屋。定紋は三つ澤瀉。二代目市川段四郎の俳名に由来。.

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市川小太夫

市川 小太夫(いちかわ こだゆう)は、歌舞伎役者の名跡。屋号は澤瀉屋。定紋は四つ澤瀉。.

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市川左團次 (2代目)

二代目 市川 左團次(にだいめ いちかわ さだんじ、1880年(明治13年)10月19日 - 1940年(昭和15年)2月23日)は、明治・大正・昭和に活躍し、歌舞伎の近代化に尽くした歌舞伎役者。屋号は高島屋、定紋は三升に左(みますに ひだり)、替紋は松皮菱に鬼蔦(まつかわびしに おにづた)。俳名に杏花・松莚。本名は高橋 榮次郎(たかはし えいじろう)。.

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市川中車 (8代目)

八代目 市川 中車(はちだいめ いちかわ ちゅうしゃ、1896年(明治29年)11月10日または11月2日 - 1971年(昭和46年)6月20日)は、歌舞伎役者、映画俳優。屋号は立花屋。定紋は大割牡丹、替紋は三升の中に八の字。俳名に中車。本名は喜熨斗 倭貞(きのし しずさだ)。 歌舞伎名跡「市川八百蔵」を襲名した者は8名を数え、そのすべてが「中車」を俳名または名跡に使っているが、日本映画で「八百蔵」「中車」といえば 、通常はこの八代目のことを指す。.

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市川團十郎 (9代目)

九代目 市川 團十郞(くだいめ いちかわ だんじゅうろう、新字体:団十郎 1838年11月29日(天保9年10月13日) - 1903年(明治36年)9月13日)は明治時代に活躍した歌舞伎役者。屋号は成田屋。定紋は三升(みます)、替紋は杏葉牡丹(ぎょよう ぼたん)。俳号に紫扇(しせん)・團州(だんしゅう)・壽海(じゅかい)・三升(さんしょう)、雅号には夜雨庵(ようあん)。本名は堀越 秀(ほりこし ひでし)。 五代目 尾上菊五郎、初代 市川左團次とともに、いわゆる「團菊左時代」を築いた。写実的な演出や史実に則した時代考証などで歌舞伎の近代化を図る一方、伝統的な江戸歌舞伎の荒事を整理して今日にまで伝わる多くの形を決定、歌舞伎を下世話な町人の娯楽から日本文化を代表する高尚な芸術の域にまで高めることに尽力した。 その数多い功績から「劇聖」(げきせい)と謳われた。また歌舞伎の世界で単に「九代目」(くだいめ)というと、通常はこの九代目 市川團十郎のことをさす。.

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市川團子

市川 團子(いちかわ だんこ、新字体: 団子)は、歌舞伎役者の名跡。江戸時代に三河屋系が三人、明治以降に澤瀉屋系が五人いる。今日ただ「市川團子」というと、通常は澤瀉屋系の團子を指す。.

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市川猿之助

二代目市川段四郎の六部実ハ将軍太郎良門(左)と二代目市川猿之助の下男実ハ田原小藤太。二代目段四郎は前の初代猿之助で、二代目猿之助の父にあたる。明治43年 (1910) 10月東京歌舞伎座「二代目市川段四郎・二代目市川猿之助 襲名披露興行」より。『鎌髭』は四代目市川團十郎が安永3年 (1774) に初演した成田屋 市川宗家の「歌舞伎十八番」の一つだが、早くから台本が散逸してその大略も分からなくなっていた。これを大幅な創作を加えて復活上演したのが猿之助父子で、それ以来この演目は澤瀉屋 猿之助・段四郎家のお家芸として定着した。 代々喜熨斗家の墓は台東区寛永寺。 --> 市川 猿之助(いちかわ えんのすけ)は、歌舞伎役者の名跡。屋号は澤瀉屋。定紋は澤瀉、替紋は三つ猿。;初代 市川猿之助;二代目 市川猿之助;三代目 市川猿之助;四代目 市川猿之助 Category:歌舞伎役者の名跡 Category:歌舞伎役者.

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市川猿翁 (2代目)

二代目 市川 猿翁(にだいめ いちかわ えんおう、1939年(昭和14年)12月9日 - )は、日本の俳優、演出家、歌舞伎役者。屋号は澤瀉屋。定紋は澤瀉、替紋は三ツ猿。俳名に華果(かか)がある。また、紫派藤間流二代目家元として二代目藤間紫を名乗る。「猿翁」は隠居名で、49年間にわたって使い続けた三代目 市川 猿之助(さんだいめ いちかわ えんのすけ)としても広く知られる。本名は喜熨斗 政彦(きのし まさひこ)。 慶應義塾大学文学部国文学科卒業。京都造形芸術大学の教授 学内の春秋座の芸術監督もを務めていたこともある。.

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市川段四郎 (2代目)

二代目 市川 段四郎(にだいめ いちかわ だんしろう、1855年9月2日(安政2年7月21日) - 1922年(大正11年)2月6日)は明治・大正時代の歌舞伎役者。初代 市川 猿之助(しょだい いちかわ えんのすけ)としても知られる。屋号は澤瀉屋。紋は、.

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市川段四郎 (3代目)

三代目 市川段四郎(さんだいめ いちかわ だんしろう、1908年(明治41年)10月5日) - 1963年(昭和38年)11月18日)は大正から昭和期の歌舞伎役者。本名は喜熨斗 政則(きのし まさのり)。屋号は澤瀉屋。定紋は三升の中に段の字、替紋は八重澤瀉。東京市浅草区生まれ。 猿之助一座で幹部として活躍したが病に倒れ、長男が三代目市川猿之助を襲名するのを見届けると、父の初代市川猿翁の後を追うようにして死去した。.

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市川段四郎 (4代目)

四代目 市川段四郎(よだいめ いちかわ だんしろう、1946年(昭和21年)7月20日 - )は歌舞伎役者。本名は喜熨斗宏之(きのし ひろゆき)。屋号は澤瀉屋。定紋は三升に段の字、替紋は八重澤瀉。俳名に笑楽。舞踏の名取は琴吹 千草(ことぶき ちぐさ)。.

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平家女護島

『平家女護島』(へいけ にょごの しま)は、近松門左衛門作の人形浄瑠璃。『平家物語』や能『俊寛』を題材にしたもので、享保4年(1719年)の8月12日に大坂竹本座にて初演。その後まもなく歌舞伎にも移されている。 二段目切の「鬼界が島の段」が有名で、現在ではこの段のみが『俊寛』(しゅんかん)の通称で上演される。.

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京華中学高等学校

京華中学高等学校(けいかちゅうがくこうとうがっこう)は、東京都文京区白山五丁目に所在し、中高一貫教育を提供する私立中学校・高等学校。高等学校において、中学校から入学した内部進学生徒と高等学校から外部進学生徒との間で、S特進コース及び進学コースにあっては第2学年から、特進コースにあっては第1学年から、それぞれ混合してクラスを編成する併設型中高一貫校でもある。.

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井上正夫

井上 正夫(いのうえ まさお、1881年6月15日 - 1950年2月7日)は、日本の新派俳優、映画監督、書家。本名は小坂 勇一。 松山で初舞台を踏み、新派の一座を転々とした後、伊井蓉峰の一座で頭角を現し幹部俳優となる。やがて新派を離れ、新時代劇協会を結成して近代劇の上演に意欲を見せ、連鎖劇も手掛ける。この頃活動写真の『大尉の娘』等で監督・主演し、画期的な技法を用いて映画を芸術的な域に高めた功労者の一人となった。新派に復帰後は大幹部として、優れた性格描写と重厚な演技で活躍。戦中は中間演劇を提唱して井上演劇道場を創設し、多くの俳優を育成したとともに、商業演劇の向上に務めた。1949年(昭和24年)に芸術院会員。著書に自伝『化け損ねた狸』。.

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仮名手本忠臣蔵

『仮名手本忠臣蔵』(かなでほんちゅうしんぐら)とは、人形浄瑠璃および歌舞伎の演目のひとつ。寛延元年(1748年)8月、大坂竹本座にて初演。全十一段、二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳の合作。赤穂事件を題材としたもの。通称「忠臣蔵」。 大石内蔵助こと大石良雄の家紋「二つ巴」。この家紋のことは『仮名手本忠臣蔵』においても作中に記されている。.

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俊寛

俊寛の墓(喜界島) 俊寛(しゅんかん、康治2年(1143年) - 治承3年3月2日(1179年4月10日))は平安時代後期の真言宗の僧。僧位の「僧都」を冠して俊寛僧都(しゅんかん そうず)と呼ばれることも多い。 村上源氏の出身で、父は木寺(仁和寺院家)の法印寛雅、母は宰相局(源国房の娘で八条院暲子内親王の乳母)。姉妹に大納言局(八条院女房で平頼盛の妻)。.

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俳名

俳名(はい-みょう)は、本来俳号と同義であるが、江戸時代中期以降の芸能分野においては、.

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心不全

心不全(しんふぜん、heart failure)は、心臓の血液拍出が不十分であり、全身が必要とするだけの循環量を保てない病態を指す。.

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心臓病

心臓病(しんぞうびょう、英: heart disease)は、心臓の疾患の総称で、心疾患(しんしっかん)とも呼ばれる。全身へ血液を送るポンプという性質上、重篤な症状を起こすものも多い。.

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マキノ雅弘

マキノ 雅弘(マキノ まさひろ、1908年2月29日 - 1993年10月29日)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、録音技師、俳優、実業家である。本名は牧野 正唯(まきの まさちか)である。 父は「日本映画の父」と呼ばれた牧野省三。父の死後マキノ・プロダクション撮影部長、松竹太秦撮影所長などを歴任、生涯に261本もの劇場映画を監督・製作し、日本映画の黄金時代を築いた。沖縄アクターズスクール開設者のマキノ正幸は実子。 甥の津川雅彦が映画監督を務めた際、マキノ雅彦の名義を用いた。.

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セルゲイ・ディアギレフ

ルゲイ・ディアギレフ(Sergei Diaghilev, Serge de Diaghilev,, 1872年3月31日(ユリウス暦3月19日) - 1929年8月19日)は、ロシアの芸術プロデューサー。 美術雑誌『芸術世界』の発起人や、バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)の創設者として名高く、数多くのバレエダンサーや振付家を育成するとともに、当時の名だたる作曲家に歴史に残るバレエ音楽の傑作を依嘱した。.

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傾城反魂香

『傾城反魂香』(けいせい はんごんこう)は歌舞伎・人形浄瑠璃の演目。三段構成のうち、現在は上の段の「土佐将監閑居の場」、通称「吃又」(どもまた)がよく上演される。 元は近松門左衛門作の人形浄瑠璃で、宝永5年 (1708) 大坂竹本座初演。狩野元信の150回忌を当て込んで書かれた作品で、絵師狩野元信と恋人・銀杏の前の恋愛に、正直な絵師又平(岩佐又兵衛がモデル)の逸話と、名古屋山三と不破伴左衛門との争いから来るお家騒動をないまぜにしたものである。歌舞伎化は享保4年 (1719) 大坂。初演後ほどなく、人形浄瑠璃・歌舞伎ともに「吃又」の部分が単独で繰り返し上演されるようになった。 歌舞伎の初演で三代目嵐三右衛門が又平をつとめて以来、多くの役者によって又平の人間像が練り上げられた。片岡仁左衛門のお家芸「片岡十二集」の一つでもある。.

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元禄忠臣蔵

元禄忠臣蔵(げんろく ちゅうしんぐら)は、新歌舞伎の演目で劇作家真山青果作。昭和9年(1934年)2月に最終の第10編『大石最後の一日』が初演されたのを皮切りに、昭和16年(1941年)11月に第8編『泉岳寺の一日』が初演されるまでの7年間に、計10編11作が上演された。 この戯曲を松竹と前進座で溝口健二監督のもとに映画化され、同年12月と翌昭和17年(1942年)2月に前編・後編に分かれて公開された。この作品には吉良邸討ち入りの場面は描かれていない。また1957年に第10編『大石最後の一日』のみが東宝で映画化されている。 講談社の『青果全集.第1巻』(1975年復刊)に収められ、他に岩波文庫(上下巻、1982年)でも出されている。.

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真山青果

真山 青果(まやま せいか、旧字体:眞山 靑果、1878年(明治11年)9月1日 - 1948年(昭和23年)3月25日)は、日本の劇作家・小説家。本名は、真山 彬(まやま あきら)。 宮城県仙台市裏五番町三番地に生まれる。父・寛は旧伊達藩士の士族で小学校の校長だった。第二高等学校医学部中退。 仙台市に近い農村を舞台とした農民文学の『南小泉村』(「新潮」1912年5月号)で注目された。 佐藤紅緑、小栗風葉に師事。正宗白鳥と共に新進の自然主義作家として登場したが、極端な癇癖と原稿の二重売り事件で1911年に文壇からは一時遠のく。1919年、新派の座付作家として復活。『元禄忠臣蔵』は新歌舞伎の名作といわれる。ほかに『平将門』など多数がある。『随筆滝沢馬琴』は、初めて滝沢馬琴の全体像を捉えた評論である。井原西鶴の研究もある。 1942年帝国芸術院会員。心臓麻痺により疎開先の静岡県沼津市で急死、69歳だった。戒名は青果院殿機外文棟大居士。 演出家・劇作家で劇団新制作座を主宰する長女の真山美保は、歌舞伎関係者を対象に1982年から2001年まで真山青果賞を設けた。.

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猿翁十種

猿翁十種(えんおう じっしゅ)は、昭和39年(1964年)に三代目市川猿之助が撰じた澤瀉屋・市川猿之助家のお家芸。 祖父・二代目市川猿之助(初代市川猿翁)が創作し、得意とした舞踊劇を十番選んだものである。.

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聖路加国際病院

聖路加国際病院(せいるかこくさいびょういん)は、東京都中央区にある病院である。事業主体は、日本聖公会系列の学校法人聖路加国際大学。なお、「せいろかこくさいびょういん」は正式な読みではない(後述)。.

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高峰秀子

峰 秀子(たかみね ひでこ、1924年3月27日 - 2010年12月28日別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.12.

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黒塚

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自由劇場

自由劇場(じゆうげきじょう)は、作家・小山内薫と歌舞伎俳優・二代目市川左團次が始めた新劇運動である。1909年から1919年にかけて9回の公演(試演)を行った。 劇場や専属の俳優を持たない「無形劇場」で、年2回の公演を目標に、会員制の組織とした。イプセンの『ジョン・ガブリエル・ボルクマン』、ゴーリキーの『夜の宿』、チェーホフの『犬』などの翻訳劇、森鴎外・吉井勇・秋田雨雀などの戯曲を上演した。自由劇場は前後して発足した坪内逍遥の文芸協会とともに、新劇運動のはしりとなり、当時の知識人に好評で迎えられた。.

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東京府

東京府庁(東京市役所との合同庁舎) 東京府(とうきょうふ)は、1868年から1943年までの間に存在していた日本の府県の一つである。現在の東京都の前身に当たる。府庁所在地は東京市。.

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東京都

東京都シンボルマーク。1989年(平成元年)に旧東京市の成立100周年を記念して同年6月1日に制定。「東京都の頭文字の「T」を中央に秘めている『都政 2012』東京都生活文化局広報広聴部広報課 編集・発行、2012年3月発行。東京都が作成した、240ページほどの冊子。」と解説されている。(都の木はイチョウではあるが)イチョウの葉の形を象ったわけではない、という。 東京都(とうきょうと)は、日本の首都事実上の首都。詳細後述であり、関東地方に位置する東京都区部(東京23区)、多摩地域(市部、西多摩郡)、島嶼部(大島支庁・三宅支庁・八丈支庁・小笠原支庁)を管轄する広域地方公共団体(都道府県)の一つである。都庁所在地は新宿区(東京と表記する場合もある)。 都公認の英語の表記はTokyo Metropolis (Tokyo Met.) 。他にはTokyo PrefectureとTokyo Metropolitan Prefectureがある。.

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歌舞伎

歌舞伎(かぶき)は、日本固有の演劇で、伝統芸能の一つ。重要無形文化財(1965年4月20日指定同日文化財保護委員会告示第18号「無形文化財を重要無形文化財に指定する等の件」)。歌舞伎(伝統的な演技演出様式によって上演される歌舞伎)は2005年にユネスコにおいて傑作宣言され、2009年9月に無形文化遺産の代表一覧表に記載された。.

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水谷八重子 (初代)

初代 水谷 八重子(しょだい みずたに やえこ、1905年8月1日 - 1979年10月1日)は、大正から昭和にかけての女優。新劇から新派に入り、戦後は新派の屋台骨を支える大黒柱として日本の演劇界に重きをなした。本名は松野 八重子(まつの やえこ)。.

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澤瀉十種

澤瀉十種(おもだかじっしゅ)は、昭和50年(1975年)に三代目市川猿之助(二代目市川猿翁)が撰した澤瀉屋・市川猿之助家のお家芸。 祖父の二代目市川猿之助(初代市川猿翁)が創作して初演した舞踊に、三代目が演出した舞踊を加えたものである。これに先立つ「猿翁十種」とは異なり、こちらは祖父・孫の二代にわたる猿之助の創作舞踊なので、屋号の澤瀉屋をこの名称に冠した。.

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澤瀉屋

澤瀉屋(おもだかや)は、歌舞伎役者の屋号。 初代市川猿之助(二代目市川段四郎)の生家が副業として薬草の澤瀉を扱う薬屋を商なっていたといわれることに由来する。.

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朝日新聞東京本社

朝日新聞東京本社(あさひしんぶんとうきょうほんしゃ)は、首都圏を中心とした東日本(関東・東北・甲信越)地域、天竜川以東の静岡県に於いて朝日新聞を印刷・発行する朝日新聞社の地域本社である。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

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浅草区

浅草区(あさくさく、)とは、東京府東京市、東京都にかつて存在した区である。現在の台東区の東部に位置していた。.

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新派

新派(しんぱ)は、1888年(明治21年)に始まった日本の演劇の一派。 明治時代に始まった「壮士芝居」「書生芝居」などをもとに歌舞伎とは異なる新たな現代劇として発達し、「旧派」の歌舞伎に対し「新派」と称された。第二次世界大戦を経て、戦後複数の劇団が「劇団新派」に統合した。当代の庶民の哀歓・情緒を情感豊かに描いた演目が多い。 本項ではその系譜に連なる劇団新派(げきだん しんぱ)、および朝鮮半島における新派劇についても解説する。.

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日野原重明

日野原 重明(ひのはら しげあき、1911年(明治44年)10月4日 - 2017年(平成29年)7月18日)は、日本の医師・医学博士。聖路加国際病院名誉院長、上智大学日本グリーフケア研究所名誉所長、公益財団法人笹川記念保健協力財団名誉会長、一般財団法人ライフ・プランニング・センター理事長、公益財団法人聖ルカ・ライフサイエンス研究所理事長などを務めた。 京都帝国大学医学部第三内科副手、大日本帝国海軍軍医少尉等を経て、聖路加看護大学学長、聖路加国際病院院長、国際基督教大学教授、自治医科大学客員教授、ハーヴァード大学客員教授、国際内科学会会長、一般財団法人聖路加国際メディカルセンター理事長等を歴任した。日本循環器学会名誉会員となり、勲二等瑞宝章及び文化勲章を受章した。京都帝国大学医学博士、トマス・ジェファーソン大学名誉博士(人文科学)、マックマスター大学名誉博士。 専門は内科学で、成人病と呼ばれてきた血栓によってひき起こされる心臓病、脳卒中の予防につなげるため1970年代から「習慣病」と呼び、旧厚生省はこの考えを受け入れ1996年に「生活習慣病」と改称し、その後広く受け入れられた。 1995年3月に発生したオウム真理教による「地下鉄サリン事件」では、聖路加国際病院を開放する決断を院長として下し、外来患者の診察など通常業務をすべて停止し、83歳の日野原は陣頭指揮を執り、被害者640名の治療に当たった。これができたのは、この3年前に日野原が北欧の病院の視察からヒントを得て日野原の発案で大災害を見越して廊下、待合室の壁面に酸素配管約2,000本を設置していたことや、広いロビーや礼拝堂を設けていたからである。.

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日本俳優協会

公益社団法人日本俳優協会(にほんはいゆうきょうかい)は、歌舞伎・新派そして商業演劇に出演する俳優の職業団体である。1959年から2012年3月までは、文部省によって認可された社団法人であったが、2012年4月より公益社団法人となる。.

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日本芸術院

日本芸術院(にほんげいじゅついん、旧字体:日本藝術院、英語:The Japan Art Academy)は、美術・文芸・音楽・演劇など芸術のさまざまな分野において優れた功績のある芸術家を優遇し顕彰するために置かれた国の栄誉機関で、文化庁の特別の機関である。.

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日本芸術院賞

日本芸術院賞(にほん げいじゅついん しょう、旧字体:藝術院)は、日本芸術院がその会員以外の者に授与する賞のひとつ。卓越した芸術作品を作成した者または芸術の進歩に貢献した者に対して授与される。戦前は帝國藝術院賞(ていこく げいじゅついん しょう)といった。 昭和16年度にあたる1942年(昭和17年)の第1回から、第二次世界大戦の末期と直後(1945年 - 1947年)を除いて毎年授与されている。昭和24年度にあたる1950年(昭和25年)からは受賞者が増えたことから、以後は毎年の受賞者の中でも特に選ばれた者に対して「恩賜賞」を授与するようになった。 恩賜賞と共に皇室の下賜金で賄われており、受賞者には賞状・賞牌・賞金が贈呈される。 授賞式は、天皇・皇后の行幸啓を仰ぎ、毎年6月に挙行される。 日本芸術院賞を受けると、その多くの者は後日、日本芸術院会員に推される。ただし日本芸術院会員は終身制で定員120と定められているため、日本芸術院賞受賞者全員が会員になれるとは限らない。.

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1888年

記載なし。

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1963年

記載なし。

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5月10日

5月10日(ごがつとおか)は、グレゴリオ暦で年始から130日目(閏年では131日目)にあたり、年末まではあと235日ある。誕生花はカーネーション。.

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6月12日

6月12日(ろくがつじゅうににち)はグレゴリオ暦で年始から163日目(閏年では164日目)にあたり、年末まであと202日ある。誕生花はライラック、ベロペロネ。.

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