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島津斉宣

索引 島津斉宣

島津 斉宣(しまづ なりのぶ)は、江戸時代後期の島津氏第26代当主。薩摩藩の第9代藩主。天璋院(篤姫)の祖父にあたる。.

79 関係: 南部信順堤代長大久保忠愨天保天璋院天明奥州家 (島津氏)奥平昌高孝姫家督安永 (元号)寛政尚古集成館島津久光島津忠厚島津忠徹島津忠剛島津忠義島津重豪島津氏島津斉興丹羽長貴広大院佐竹義和佐竹義敦徳川家斉保姫修理職勝姫国学福昌寺 (鹿児島市)種子島久珍続柄白金 (東京都港区)隠居香淳皇后高山彦九郎高輪豊後国鹿児島市鹿児島県黒田長溥近思録崩れ郁姫阿部正篤薩摩国薩摩国司薩摩藩...邦彦王妃俔子柳沢保興松寿院松平勝善桃令院正四位江戸江戸幕府江戸時代池之上町本多康禎有馬一純有馬頼永戸田氏正明仁春光院 (島津重豪側室)文化 (元号)早川兼備10月24日 (旧暦)12月6日12月6日 (旧暦)1774年1786年1787年1794年1805年1809年1841年1月17日 インデックスを展開 (29 もっと) »

南部信順

南部 信順(なんぶ のぶゆき)は、陸奥八戸藩の第9代(最後)の藩主。.

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堤代長

堤 代長(つつみ しろなが、正徳6年2月20日(1716年3月13日) - 天明3年11月28日(1783年12月21日))は、江戸時代の公卿。名家の家格である堤家の7代当主。父は坊城俊清。母は堤家3代当主・堤輝長の娘。養父は堤家6代当主・堤晴長。正室は竹内惟永の娘。子に栄長、若江長山(若江家養嗣子)、葉室頼凞、春光院(薩摩藩主・島津重豪側室。島津斉宣生母。お千万の方)、玉沢(大奥上臈)、娘(石野基綱室)らがいる。官位は正二位、中納言。 しろなか しろなか Category:江戸時代の公家 Category:1716年生 Category:1783年没.

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大久保忠愨

大久保 忠愨(おおくぼ ただなお、1829年5月20日(文政12年4月18日) - 1859年12月23日(安政6年11月30日))は、相模国小田原藩の第8代藩主。小田原藩大久保家10代。 第7代藩主・大久保忠真の長男・忠脩の長男。母は小笠原忠固の娘。正室は島津斉宣の娘。 天保2年(1831年)、父・忠脩が早世したため嫡子となり、天保8年(1837年)3月19日、祖父の忠真が急死したために家督を継いだ。まだ幼少だったため、忠真とともに改革を行なっていた二宮尊徳は重臣の反発によって失脚した。これにより、改革は後一歩のところで頓挫した。 安政6年(1859年)に31歳で死去した。跡は養嗣子の忠礼(讃岐国高松藩主・松平頼恕の子)が継いだ。 大08 Category:幕末の大名 Category:幕末小田原藩の人物 たたなお Category:1829年生 Category:1859年没.

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天保

天保(てんぽう)は日本の元号の一つ。文政の後、弘化の前。1831年から1845年までの期間を指す。この時代の天皇は仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉、徳川家慶。.

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天璋院

天璋院(てんしょういん) / 篤姫(あつひめ、天保6年12月19日(1836年2月5日) - 明治16年(1883年)11月20日)は、江戸時代後期から明治の女性で、薩摩藩島津家の一門に生まれ、島津本家の養女となり、五摂家筆頭近衛家の娘として徳川家に嫁ぎ、江戸幕府第13代将軍徳川家定御台所となった人物。 実父は薩摩藩主島津家の一門・今和泉(いまいずみ)領主・島津忠剛。母は島津久丙の娘・お幸。薩摩藩9代藩主・島津斉宣の孫である。 幼名は一(かつ)、その後に、市(いち)。本家当主で従兄・島津斉彬の養女になり本姓と諱は源 篤子(みなもと の あつこ)に、近衛忠煕の養女となった際には藤原 敬子(ふじわら の すみこ)と名を改めた(この際に篤の名は君号となり、篤君(あつぎみ)となった)。.

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天明

天明(てんめい)は日本の元号の一つ。安永の後、寛政の前。1781年から1789年までの期間を指す。この時代の天皇は光格天皇。江戸幕府将軍は徳川家治、徳川家斉。.

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奥州家 (島津氏)

奥州家(おうしゅうけ)は薩摩守護島津家の別名。初代当主である島津氏久が陸奥守を称していたことからこの名がついた。実際に奥州家と呼ばれるのは初代氏久・2代元久までで、3代以降は奥州家の流れであるが薩摩・大隅守護としての島津家当主であり、この名で呼ばれることは少ない。.

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奥平昌高

奥平 昌高(おくだいら まさたか)は、豊前中津藩第5代藩主。中津藩奥平家9代。「蘭癖大名」の一人として知られている。.

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孝姫

孝姫(たかひめ、こうひめ、文化6年11月21日(1809年12月27日) - 文久2年5月16日(1862年6月13日))は、桑名藩主・松平定和の正室。定和との間に定猷、豊子(黒田長知室)の1男1女がいる。別名壽姫、孝子。.

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家督

家督(かとく)とは、家父長制における家長権を意味する。鎌倉時代に家督の嫡子単独相続、遺産の分割相続が原則とされた。室町時代に両者とも嫡子相続を原則としたが、現実には完全な制度として確立しておらず、内紛が発生した。のち江戸幕府の絶対的な権力を背景として、家督の嫡子単独相続が確立した。 なお、主に武家においては、断絶した家名を他氏の者が相続することを名跡を継ぐといい、実子または血縁者が相続する場合の家督継承と区別された。主な例としては平姓畠山氏を源氏の足利義純が相続し、源姓畠山氏に変わった事などが知られている。 また、鎌倉時代には家督権は財産権とあわせて跡職(跡式)・跡目と称して嫡子が継いだが、庶子に分割する相続財産をも跡職と称した。その後、江戸時代には先代の死亡にともなう相続の場合を跡目相続、先代の隠居による場合を家督相続と呼び分けた。 明治憲法下においても家制度の一環として法制度として存続したが、日本国憲法施行直後の民法大改正によって廃止された。とはいえそれから70年以上経った今日でも家督を重んじる社会通念が西日本を中心に残っている。.

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安永 (元号)

安永(あんえい)は日本の元号の一つ。明和の後、天明の前。1772年から1781年までの期間を指す。この時代の天皇は後桃園天皇、光格天皇。江戸幕府将軍は徳川家治。.

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寛政

寛政(かんせい)は日本の元号の一つ。天明の後、享和の前。1789年から1801年までの期間を指す。この時代の天皇は光格天皇。江戸幕府将軍は第11代、徳川家斉。.

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尚古集成館

尚古集成館(しょうこしゅうせいかん)は、鹿児島県鹿児島市吉野町にある博物館である。薩摩藩第28代当主島津斉彬によって始められた集成館事業の一環として、1923年5月22日に開館した。現在は島津興業によって運営され、島津家に関する史料や薩摩切子、薩摩焼などを展示する。本館は1865年に建てられたもので、国の重要文化財である。仙巌園に隣接する。日本で初めてアーチを採用した石造洋風建築物。 2015年、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」を構成する「旧集成館」の機械工場として世界遺産に登録されている。.

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島津久光

島津 久光(しまづ ひさみつ)は、江戸時代末期から明治時代初期にかけての日本の政治家。幕末の薩摩藩における事実上の最高権力者で、公武合体運動を推進した。明治政府の内閣顧問、左大臣。重富島津家当主、のち玉里島津家初代当主。 位階勲等爵位は従一位大勲位公爵。字は君輝、邦行。雅号は幼少時が徳洋、以後は大簡・双松・玩古道人・無志翁と号した。 島津家27代当主(薩摩藩10代藩主)島津斉興の五男で庶子。同28代当主(11代藩主)島津斉彬は異母兄、同29代当主(12代藩主)島津忠義は長男。次男・久治は宮之城家、四男・珍彦は重富家、五男・忠欽は今和泉家、と島津家の旧来の分家をそれぞれ相続した。.

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島津忠厚

島津 忠厚(しまづ ただあつ)は、島津氏今和泉家第8代当主。.

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島津忠徹

島津 忠徹(しまづ ただゆき)は、日向佐土原藩の第10代藩主。.

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島津忠剛

島津 忠剛(しまづ ただたけ)は、江戸時代後期の今和泉島津家第10代当主。第9代薩摩藩主・島津斉宣の七男。母は籌姫(荒田常明の娘)。天璋院(篤姫)の実父。.

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島津忠義

島津 忠義(しまづ ただよし)は、幕末から明治時代の大名、華族。薩摩藩の第12代(最後)の藩主で、島津氏第29代当主。官位は従一位参議。勲等は勲一等、公爵。 幼名は壮之助。通称は又次郎。元服後の初名は忠徳(ただのり)だったが、藩主在任中は茂久(もちひさ)を名乗る。なお、忠義は維新後の慶応4年(1868年)1月16日に改名した諱である。 第125代天皇・明仁の曽祖父である。.

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島津重豪

島津 重豪(しまづ しげひで)は、江戸時代後期の大名。島津氏第25代当主で、薩摩藩の第8代藩主。第11代将軍徳川家斉の正室(御台所)・広大院の父。 いわゆる「蘭癖大名」のひとりとされる。.

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島津氏

島津氏(しまづし)は、日本の氏族。鎌倉時代から江戸時代まで続いた、薩摩を根拠地とする大名家のほかに、多数の分家がある。通字に「忠」「久」(初名も含めると基本的な通字は全時代を通じて「忠」の字が多く、江戸時代初期までは執権や将軍の偏諱を受けた場合に『「偏諱」+「久」』が多い。明治以降現在は嫡男に「忠」、次男に「久」)を用いる。また、公式文章の面では「嶋津氏」の表記を用いられてきた。本項は主に、薩摩の島津氏を主軸とした記述である。その他の島津氏についてはそれぞれ越前島津氏、信濃島津氏、若狭島津氏、江州島津氏などの項目または島津氏族の段を参照の事。.

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島津斉興

島津 斉興(しまづ なりおき)は、江戸時代後期の外様大名。島津氏第27代当主。薩摩藩の第10代藩主。.

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丹羽長貴

丹羽 長貴(にわ ながよし、宝暦6年5月18日(1756年6月15日) - 寛政8年3月27日(1796年5月4日))は、陸奥二本松藩の第7代藩主。丹羽家第8代。先代藩主・丹羽高庸の長男。母は宮沢氏。通称は五郎左衛門。官位は従四位下、左京大夫、侍従。正室は伊達村候の娘。子は、丹羽長祥(長男)、丹羽貴晋(次男)、生駒親孝(三男・生駒親章養子)、娘(島津斉宣継室)、娘(丹羽貴正室)、娘(池田斉敏継室)など。戒名は雄峯院殿覺道俊英大居士。墓所は福島県二本松市の大隣寺。 明和3年(1766年)1月27日、父高庸が死去したため、家督を継いだ。同年2月15日、将軍徳川家治にお目見えする。同年12月19日、従五位下左京大夫に叙任する。安永元年(1772年)12月18日、従四位下に昇進する。寛政4年(1792年)12月16日、侍従に任官する。寛政8年(1796年)に死去し、家督を長男・長祥が継いだ。 ---- なかよし なかよし Category:1756年生 Category:1796年没.

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広大院

広大院(こうだいいん、安永2年6月18日(1773年8月6日) - 天保15年11月10日(1844年12月19日))は、江戸幕府の11代将軍・徳川家斉の正室(御台所)。実父は薩摩藩8代藩主・島津重豪、実母は側室・市田氏(お登勢の方(慈光院))。市田氏は薩摩藩大坂蔵屋敷の足軽から下級武士階級に昇進したとされるが異説もある。養父は近衛経熙。実名は寧姫、篤姫、茂姫。後に天璋院が「篤姫」を名乗ったのは広大院にあやかったものである。弟に奥平昌高(実の生母は鈴木氏の娘)、姉に敬姫(奥平昌男婚約者)がいる。.

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佐竹義和

佐竹 義和(さたけ よしまさ)は、江戸時代の大名。出羽久保田藩第9代藩主。佐竹義敦(曙山)の長男。生母は側室三木清(清瀧、三木宇平太の娘)。幼名は直丸。通称は次郎。官位は従四位下侍従、右京大夫。号は泰娥、知足斎、突故斎、日新斎、荷風亭など。.

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佐竹義敦

佐竹義敦像(天徳寺蔵) 佐竹 義敦(さたけ よしあつ、寛延元年閏10月4日(1748年11月24日)- 天明5年6月1日(1785年7月6日))は、出羽久保田藩の第8代藩主。また画家。第7代藩主・佐竹義明の長男。母は第5代藩主・佐竹義峯の娘。初名は義直(よしなお)。幼名は秀丸。通称は次郎。官位は従四位下侍従、右京大夫。画家としても名高く、号は曙山(しょざん)。.

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徳川家斉

徳川 家斉(とくがわ いえなり)は、江戸幕府の第11代征夷大将軍(在任:1787年 - 1837年)。 御三卿一橋家の第2代当主徳川治済の長男。母は側室のお富の方。.

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保姫

保姫(やすひめ、延享4年(1747年) - 明和6年9月26日(1769年10月25日)は、薩摩藩主島津重豪の正室。兄に徳川治済。法号は慈照院殿円応霊妙大姉。.

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修理職

修理職(しゅりしき、すりしき)は平安時代に設置された令外官。和名は「をさめ(おさめ)つくるつかさ」。.

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勝姫

勝姫(かつひめ)は、江戸時代の大名家の女性名。.

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国学

国学(こくがく、正字・國學)は、日本の江戸時代中期に勃興した学問である。蘭学と並び江戸時代を代表する学問の一つで、和学・皇朝学・古学(古道学)などの別名がある。その扱う範囲は国語学、国文学、歌道、歴史学、地理学、有職故実、神学に及び、学問に対する態度も学者それぞれによって幅広い。.

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福昌寺 (鹿児島市)

福昌寺(ふくしょうじ)はかつて鹿児島市に存在した曹洞宗の大寺。薩摩藩主島津氏の菩提寺であったが、廃仏毀釈により明治2年に廃寺となった 鹿児島県。山号は「玉龍山」であった。曹洞宗大本山總持寺の御直末である。.

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種子島久珍

子島 久珍(たねがしま ひさみち、文政5年2月4日(1822年3月26日) - 嘉永7年1月3日(1854年1月31日))は、薩摩藩(鹿児島藩)家臣、種子島氏24代当主。幼名は報七郎、初名は時珍、受領名は弾正。字は違うが養父・久道と名前の読みは同じである。.

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続柄

続柄の関係図 続柄(つづきがら)とは、血縁関係あるいは婚姻関係を指す語である。俗に「ぞくがら」と読まれることもある。 血族と姻族、直系と傍系、尊属と卑属の意味や親等については「親族」を参照。 本項目において「親族」とは、民法第725条「親族の範囲」で定める「法定親族」を指す。.

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白金 (東京都港区)

白金(しろかね)は、東京都港区の地名・町名。狭義には現在の町名(白金一~六丁目)を指す。また、広義には現在の港区白金に、隣接する白金台などを含めた旧芝白金地区全域を指すことがある。本稿では主に現在の白金について述べる。郵便番号は108-0072(高輪局管区)。.

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隠居

居(いんきょ)は、戸主が家督を他の者に譲ること。または家督に限らず、それまであった立場などを他人に譲って、自らは悠々自適の生活を送ることなどを指す。もしくは、第一線から退くことなど。隠退(いんたい)とも。 日本の民法上の制度としての隠居は、戸主が生前に家督を相続人へ譲ることを指し、日本国憲法の施行に伴う民法の応急的措置に関する法律(昭和22年法律第74号)により、日本国憲法の施行(1947年5月3日)と同時に、戸主制の廃止と共に隠居の制度は廃止された。.

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香淳皇后

香淳皇后(こうじゅんこうごう、1903年(明治36年)3月6日 - 2000年(平成12年)6月16日)は、昭和天皇の皇后。今上天皇の実母。名は良子(ながこ)、久邇宮家出身で、皇后となる以前の身位は女王。 歴代皇后の中で最長寿である(満97歳没)。.

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諱(いみな)とは、人名の一要素に対する中国などの東アジアの漢字圏における呼称である。忌み名(いみな)とも。漢字圏以外でも同様の概念はあり、英語では (直訳すると「真の名」)がそれに当たる。.

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高山彦九郎

山彦九郎歌碑、京都川端三条 高山 彦九郎(たかやま ひこくろう、延享4年5月8日(1747年6月15日) - 寛政5年6月28日(1793年8月4日))は、江戸時代後期の尊皇思想家である。諱は正之、戒名は「松陰以白居士」。父は高山良左衛門正教、母はしげ。兄は高山正晴。妻はしも、後にさき。子に高山義介ほか娘など。林子平・蒲生君平と共に、「寛政の三奇人」の一人(「奇」は「優れた」という意味)。 三島由紀夫が強い関心を持っていたことでも知られる(他には、葉隠・神風連・三輪神社・大乗仏教・密教・陽明学)。.

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高輪

輪(たかなわ)は、東京都港区の地名。現行行政町名は高輪一丁目から高輪四丁目。高輪地区総合支所管内に属する地域である。郵便番号は108-0074(高輪局管区)。.

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豊後国

豊後国(ぶんごのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.

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鹿児島市

かごしま県民交流センター 鹿児島市(かごしまし)は、九州の南部に位置する市であり、鹿児島県の県庁所在地でもある。 鹿児島湾西岸の市街地から桜島を望む景観がイタリアのナポリからヴェズーヴィオ火山を望む風景に似ていることから、『東洋のナポリ』と称される。.

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鹿児島県

鹿児島県(かごしまけん)は、九州地方南部に位置する日本の都道府県。九州島の南側には離島(薩南諸島)が点在する。九州島の部分は県本土と表現され、2つの半島(薩摩半島・大隅半島)を有する。南北の距離は600km、海岸線は2,722kmに及ぶ。県庁所在地は鹿児島市。 世界遺産の屋久島や種子島宇宙センター、霧島山、桜島などがあり、自然・文化・観光・産業などの面において、豊富な資源を有している。.

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黒田長溥

黒田 長溥(くろだ ながひろ)は、江戸時代後期から末期の大名。筑前福岡藩の第11代藩主。養父斉清と同じく蘭癖大名であり藩校修猷館を再興させた事で知られる幕末の名君である。.

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近思録崩れ

近思録崩れ(きんしろくくずれ)は、江戸時代後期文化5年(1808年)から翌6年(1809年)にかけて薩摩藩(鹿児島藩)で勃発したお家騒動。文化朋党事件、秩父崩れとも言われる。処分者の数は有名なお由羅騒動より多い77名であり、薩摩藩の経済改革が遅れる原因となった。 命名の由来は、処分された秩父季保らが『近思録』(朱子学の教本で、儒教の実践に重きを置く)の学習会によって同志を募ったことから。.

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郁姫

郁姫(いくひめ、文化4年3月5日(1807年3月29日) - 嘉永3年3月29日(1850年5月10日))は、五摂家筆頭の近衛家当主で関白・近衛忠煕の正室。別名興子。子に近衛忠房がいる。近衛文麿、近衛秀麿は曾孫、細川護熙、近衛忠煇は来孫にあたる。.

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阿部正篤

阿部 正篤(あべ まさあつ)は、陸奥国白河藩の第2代藩主。忠秋系阿部家10代。.

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薩摩国

薩摩国(さつまのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.

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薩摩国司

薩摩国司(さつまこくし)は、薩摩国の国司。薩摩守、薩摩介、薩摩大掾、薩摩少掾、薩摩大目、薩摩少目の各1人で構成される。.

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薩摩藩

薩摩藩庁が置かれた鹿児島城 薩摩藩(さつまはん)は、江戸時代に薩摩・大隅の2か国及び日向国諸県郡の大部分を領有し、琉球王国を支配下に置いた藩。現在の鹿児島県全域と宮崎県の南西部を領有したほか、間接的に沖縄県の大部分を服属させた。.

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藩(はん)は、諸侯が治める領地、およびその統治組織のことである。.

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邦彦王妃俔子

邦彦王妃俔子(くによしおうひ ちかこ、1879年(明治12年)10月19日 - 1956年(昭和31年)9月9日)は、久邇宮邦彦王の妃。香淳皇后の母。今上天皇の外祖母。 姉は黒田長成夫人・清子、松平直亮夫人・充子、山階宮菊麿王妃常子、徳川達孝夫人・知子、久松定謨夫人・貞子。妹は徳川家正夫人・正子、徳川頼貞夫人・為子。弟は第30代島津家当主島津忠重、旧佐土原藩主で孫である島津貴子の夫の島津久永の父に当たる島津久範ら。.

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柳沢保興

柳沢 保興(やなぎさわ やすおき)は、江戸時代後期の大名。大和郡山藩の第5代藩主。郡山藩柳沢家6代。 文化12年(1815年)6月17日、第4代藩主柳沢保泰の長男として郡山城で生まれる。文政13年(1830年)4月11日に元服し、同年12月16日に従五位下に叙任する。天保9年(1838年)、父の死去で跡を継いだ。弘化2年(1845年)12月16日に従四位下に昇進する。 嘉永元年(1848年)8月21日、江戸幸橋邸で死去した。享年34。跡を三男の保申が継いだ。 Category:郡山藩主 やすおき Category:1815年生 Category:1848年没.

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松寿院

松寿院(しょうじゅいん、寛政9年3月18日(1797年4月14日) - 慶応元年8月20日(1865年10月9日))は、種子島領主・種子島久道の正室。父は薩摩藩主・島津斉宣。母は側室(家臣・島津仲久隣の娘)。兄に島津斉興、弟に島津忠公、妹に随姫(佐土原藩主・島津忠徹室)、郁姫(近衛忠煕室)らがいる。実名は「隣姫」「於隣」。別名「御隣の方」。夫の死後、落飾して「松寿院」と号した。.

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松平勝善

松平 勝善(まつだいら かつよし)は、伊予松山藩12代藩主。定勝系久松松平家宗家13代。.

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桃令院

桃令院(とうれいいん、文化14年3月16日(1817年5月1日) - 明治24年(1891年)1月4日)は、新庄藩主・戸沢正令の正室。子に長男・戸沢正実、二男・本多忠貫、三男・中条信汎(異説あり)、長女・えん、二女・於鑑(岩城隆永室)がいる。桃令院とは落飾後の院号で、落飾前は貢姫と呼ばれた。兄に薩摩藩主・島津斉宣、中津藩主・奥平昌高、福岡藩主・黒田長溥(同母兄)、八戸藩主・南部信順など、姉に将軍徳川家斉の御台所・広大院、桑名藩主・松平定和室の孝姫などがいる。.

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正四位

正四位(しょうしい)とは、日本の位階及び神階における位のひとつ。 従三位の下、従四位の上に位する。贈位の場合、贈正四位という。.

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江戸

江戸図屏風に見る、初期の江戸 弘化年間(1844年-1848年)改訂江戸図 江戸(えど) は、東京の旧称であり、1603年から1867年まで江戸幕府が置かれていた都市である。 現在の東京都区部に位置し、その前身及び原型に当たる。.

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江戸幕府

江戸城天守 江戸幕府(えどばくふ)は、1603年に征夷大将軍に任官した徳川家康が創設した武家政権である。終末期は、一般的には大政奉還が行われた1867年までとされる(他に諸説あり、後述)。江戸(現・東京都)に本拠を置いたのでこう呼ばれる。徳川幕府(とくがわばくふ)ともいう。安土桃山時代とともに後期封建社会にあたる。.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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池之上町

池之上町(いけのうえちょう Ikenoue-Chō)は、鹿児島県鹿児島市の町名。郵便番号は892-0806。人口は1,263人、世帯数は628世帯(2014年9月末現在)。池之上町の全域で住居表示を実施している。 町名は町域内にあった福昌寺の前に池があり、その上方に街が広がったことに由来している『南日本新聞』 2012年5月8日付 14面(373ワイドタウン池之上町新聞)。.

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本多康禎

本多 康禎(ほんだ やすつぐ)は、近江膳所藩の第12代藩主。康俊系本多家宗家12代。.

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有馬一純

有馬 一純(ありま かずずみ、寛政元年6月29日(1789年7月11日) - 天保5年5月23日(1834年6月29日))は、越前丸岡藩の嫡子。様々な事情のため幾度も改名した(後述)。.

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有馬頼永

有馬 頼永(ありま よりとう)は、筑後久留米藩の第10代藩主。久留米藩有馬家11代。.

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戸田氏正

戸田 氏正(とだ うじまさ、文化10年閏11月18日(1814年1月9日) - 明治9年(1876年)6月28日)は、江戸時代後期の大名。美濃国大垣藩の第9代藩主。大垣藩戸田家10代。 第8代藩主・戸田氏庸の長男。正室は薩摩藩主・島津重豪の娘・親姫。子に戸田氏彬(長男)、戸田氏良(次男)、戸田氏共(四男)、戸田氏寛(五男)、戸田氏益(六男)、娘(丹羽長国正室)、娘(池田政詮正室)、娘(有馬温純正室)、娘(松平乗秩正室)、娘(野宮定穀室)、娘(牧野貞久正室)。官位は従四位下采女正。.

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明仁

明仁(あきひと、1933年(昭和8年)12月23日 - )は日本の第125代天皇(在位: 1989年(昭和64年)1月7日 - )である代数は皇統譜による。。現時代においては「在位中の天皇」を意味する今上天皇(きんじょうてんのう)、または敬称をつけて天皇陛下(てんのうへいか)と呼ばれることが多い。 昭和天皇(第124代天皇)の第一皇子。母は香淳皇后。大正天皇の皇孫かつ明治天皇の皇曾孫。 御称号は継宮(つぐのみや)。皇室典範に定める敬称は陛下。お印は榮(えい、文字がお印)。 日本国憲法施行後初めて即位した天皇であり、また京都ではなく東京で即位の礼を執り行った初めての天皇である。.

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春光院 (島津重豪側室)

春光院(しゅんこういん、延享4年(1747年)- 文化8年10月14日(1811年11月29日))は、薩摩藩第8代藩主・島津重豪の側室。子に第9代藩主・島津斉宣。父は京都の公家で名家の堤家当主・堤代長。幼少時の本名は不明、側室にあがって後の雅名はお千万の方(おちまのかた)。 当初は島津継豊後室の浄岸院付の上臈だったといわれている(『島津重豪』ISBN 4642051376)。浄岸院死後、重豪の寵愛を受け、長男・斉宣、三男(名前不詳)、五女・克を生む。安永5年1月22日(1776年3月11日)に薩摩国に下向、寛政元年(1789年)8月に呼称を「お千万様」から「御内証様」に改められる(『島津家列朝制度』巻之二十七-一六七八、一七三二)。文化4年(1807年)8月、重豪の命により江戸に出府。文化8年(1811年)に江戸高輪の薩摩藩邸にて死去。享年65。法号「春光院心月清涼大姉」、墓所は大円寺、後に福昌寺に改葬。.

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文化 (元号)

文化(ぶんか)は日本の元号の一つ。享和の後、文政の前。1804年から1818年までの期間を指す。この時代の天皇は光格天皇、仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉。 町人文化が顕著に発展した時期であり、後続する文'''政'''期とあわせ、化政文化という。.

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早川兼備

早川 兼備(はやかわ かねみつ)は、江戸時代後期の薩摩藩士。早川兼典(早川環)の父。 早川兼彜(早川五郎兵衛) の祖父にあたる。.

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10月24日 (旧暦)

旧暦10月24日は旧暦10月の24日目である。六曜は先負である。.

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12月6日

12月6日(じゅうにがつむいか)は、グレゴリオ暦で年始から340日目(閏年では341日目)にあたり、年末まであと25日ある。.

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12月6日 (旧暦)

旧暦12月6日(きゅうれきじゅうにがつむいか)は旧暦12月の6日目である。六曜は大安である。.

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1774年

記載なし。

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1786年

記載なし。

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1787年

記載なし。

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1794年

記載なし。

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1805年

記載なし。

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1809年

記載なし。

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1841年

記載なし。

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1月17日

1月17日(いちがつじゅうななにち、いちがつじゅうしちにち)は、グレゴリオ暦で年始から17日目に当たり、年末まであと348日(閏年では349日)ある。.

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