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山科本願寺の戦い

索引 山科本願寺の戦い

山科本願寺の戦い(やましなほんがんじのたたかい)は、天文元年(1532年)8月23日 - 24日にかけて行われた細川晴元・六角定頼・京都の法華一揆の連合軍と浄土真宗本願寺勢力(一向一揆)との戦い。山科本願寺合戦(やましなほんがんじかっせん)ともいう。.

33 関係: 堺市大山崎町大和国天文 (元号)実従山科本願寺三好元長一向一揆享禄・天文の乱京都二水記和泉国六角定頼石山合戦管領細川晴元畿内・近国の戦国時代証如茨木長隆興福寺柳本賢治河内国法華一揆清水寺木沢長政本願寺浄土真宗日本の合戦一覧摂津国攻城戦1532年8月23日 (旧暦)8月24日 (旧暦)

堺市

堺市(さかいし)は大阪府泉北地域に位置する日本の政令指定都市。 大阪府による地域区分では泉北地域とされるが、市制施行時の堺市域や南河内郡の旧郡域など歴史的に泉北郡ではなかった地域が多く含まれており、他の泉北地域3市1町とは区別されることもある。大阪府内で人口・面積ともに第2の都市であり、人口は2015年4月時点で山梨県・佐賀県・福井県・徳島県・高知県・島根県・鳥取県を上回る。一方、居住人口に比べて昼間人口の割合が低く、大阪市の衛星都市としての特徴も併せ持っている。.

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大山崎町

天王山からの景色、大阪方面 宝寺、殉国十七烈士墓 宝寺、羽柴秀吉出世石 大山崎瓦窯跡 農作業用モノレール、天王山ハイキング道 大山崎町(おおやまざきちょう)は、京都府乙訓郡の町。大阪府三島郡島本町との府境に位置する。京都府下で最も面積の小さい町である。旧山城国乙訓郡。河の南という意味で「河陽(かや、かよう)」の別名がある。.

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大和国

大和国(やまとのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。畿内に属する。.

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天文 (元号)

天文(てんぶん、てんもん)は、日本の元号の一つ。享禄の後、弘治の前。1532年から1555年までの期間を指す。この時代の天皇は後奈良天皇。室町幕府将軍は足利義晴、足利義輝。.

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実従

実従(じつじゅう、明応7年(1498年)- 永禄7年6月1日(1564年7月9日)は戦国時代の浄土真宗の僧。順興寺住持。本願寺第8世法主蓮如の13男。母は畠山政栄の娘蓮能。妻は実順の娘妙意。子に証従、証珍、顕従。諱は兼知、のち兼智。左衛門督。.

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山科本願寺

山科本願寺(やましなほんがんじ)は、京都市山科区にあった浄土真宗の寺院。本願寺第8世法主蓮如により、文明15年8月22日(1483年9月23日)に完成・建立。 周囲には堀と土塁を築いて、寺内町を形成していた。天文元年8月24日(1532年9月23日)、六角氏と法華宗徒により焼き討ちされた。 現在、跡地には浄土真宗本願寺派と真宗大谷派の山科別院が建っており、南殿跡が大谷派の光照寺に、土塁跡が山科中央公園にある。南殿跡と土塁跡は2002年、国の史跡に指定されている。.

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三好元長

三好 元長(みよし もとなが)は、戦国時代の阿波国の武将。細川晴元(六郎)に仕え、その偏諱を与えられて元長と名乗る。 父に関しては三好長秀という説が有力であるが、祖父で長秀の父・三好之長の子という説もある。本来ならば之長の後継者だった長秀が早くに戦死したため、之長が元長を長秀の養子にしたという説もある。.

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一向一揆

三河一向一揆 六字名号(蓮如筆)/本願寺所蔵 一向一揆(いっこういっき)とは、戦国時代に浄土真宗本願寺教団(一向宗)の信徒たちが起こした、権力に対する抵抗運動の一揆の総称。.

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享禄・天文の乱

享禄・天文の乱(きょうろく・てんぶんのらん)は、戦国時代初期の浄土真宗本願寺宗門における教団改革を巡る内紛と、これに触発されて発生した対外戦争の総称。.

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京都

京都(きょうと、みやこ、きょうのみやこ、Kyōto)は、日本の都市の1つである。 都、もしくは京ともいい、歴史的には794年に日本の首都に定められた都城・平安京で、当時は日本の政治・文化の中心地であった。.

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二水記

二水記(にすいき)は、室町時代の公家鷲尾隆康の日記。記述は永正元年(1504年)にはじまり、天文二年(1533年)二月に絶筆している。他の中世の日記同様、欠落が所々に見られ、永正三年から十三年、大永四年、享禄二年などの記述が欠落している。また天文元年の記述は最初からなく、つまり隆康はこの年は日記を書いていなかったようである。内閣文庫に自筆の原本が20冊所蔵されており、写本も複数存在。写本の中には原本の欠落を補填しているものもある。 二水記という名前は記述が始まった「永正」の元号を由来とする。二水とは永正の「永」の文字を「二」と「水」に分解したもので、永正の「正」の字を同じく「一」と「止」に分解し「一止記」という別名で呼ばれることもある。その他、「烏兎私記」、「一暦記」、「一水記」などの別名を持つが、二水記の名が一般的に通用している。 隆康の生きた室町時代の末期は、応仁の乱における京都の荒廃や下剋上の風潮により、没落する公家が多く、隆康もまたそうであった。二水記は、没落してゆく公家の悲哀を知る史料として重宝されている。 朝廷の行事、皇族の日常、室町幕府の動向や朝幕の交渉などが記述されており、更に巷の風聞などにも言及している。筆者の鷲尾隆康は有識故実に精通しており、それに関連する情報が豊富に含まれている他、遊芸にも堪能であったため、連歌、蹴鞠、囲碁、貝合わせなどに関する記事も多い。 隆康の死後、鷲尾家は断絶してしまったが、日記は隆康の実兄四辻公音が所有して保存され、1601年に後陽成天皇の勅命によって書写が行われ、写本が出来た。そして四辻季満が鷲尾の名跡を継いで鷲尾隆尚と改名し、日記も鷲尾家に戻った。後陽成天皇の命で書写された写本そのものは1661年の内裏火災で焼失してしまったが、1652年に東山基賢に、1655年から1658年にかけて後西天皇を中心に複写が行われていた為、完全に消失することはなかった。 原本はその後油小路家に伝来したようである。広橋兼勝の子が鷲尾家と四辻家の両家に養子として入っており、それと何らかの関係があったと指摘されている。しばらく油小路家にあった原本だが、1817年鷲尾家に戻された。明治年間になり、猪野中行、頴川良辰の手を経て、内閣文庫が購入し、現在に至る。 最初の内は天候、日付、その年の干支を必ず付記していたが、年を追うごとに日付、天候の付記は簡略化されてゆく傾向にある。.

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和泉国

和泉国(いずみのくに/いづみのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。畿内に属する。.

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六角定頼

六角 定頼(ろっかく さだより)は、戦国時代の武将・守護大名。室町幕府管領代、近江国守護。南近江の戦国大名。六角氏14代当主。.

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石山合戦

石山本願寺推定地の石碑 石山合戦(いしやまかっせん)は、元亀元年9月12日(1570年10月11日)から天正8年8月2日(1580年9月10日)にかけて行われた、浄土真宗本願寺勢力と織田信長との戦い。本願寺法主の顕如が石山本願寺に篭って戦った。.

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管領

管領(かんれい)は、以下の役職・地位およびその座にあった者を指す名称。.

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細川晴元

細川 晴元(ほそかわ はるもと)は、室町時代後期(戦国時代)の武将・戦国大名。.

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畿内・近国の戦国時代

畿内・近国の戦国時代では畿内とその近国、おおよそ現在の近畿地方の戦国時代について記す。 戦国時代の区分については諸説あるが、この項では狭義の戦国時代の始まりとされる明応の政変が起きた明応2年(1493年)から小谷利明・弓倉弘年(編) 『南近畿の戦国時代』 戎光祥出版、2017年、p.1。、戦国時代の下限とされる天正元年(1573年)までを戦国時代として扱う。.

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証如

証如(しょうにょ、證如)は、戦国時代の浄土真宗の僧。浄土真宗本願寺派第10世宗主・真宗大谷派第10代門首。山科本願寺住職。諱は光教。院号は信受院。法印権僧正。父は円如。本願寺第8世蓮如の曾孫。九条尚経の猶子。第11世顕如は長男。.

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茨木長隆

茨木 長隆(いばらぎ ながたか)は、戦国時代の武将。細川晴元の家臣。摂津国茨木城主。.

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興福寺

興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院である。南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。南円堂は西国三十三所第9番札所である。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。.

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柳本賢治

柳本 賢治(やなぎもと かたはる)は、戦国時代の武将。.

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河内国

河内国(かわちのくに/かはちのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。畿内に属する。.

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法華一揆

法華一揆(ほっけいっき)は、日本の戦国時代の京都における天文年間に起きた宗教一揆である。「天文法乱(てんぶんほうらん、てんもんほうらん)」「天文法華の乱(てんぶんほっけのらん、てんもんほっけのらん)」「天文法難(てんぶんほうなん、てんもんほうなん)」などと呼ばれる一連の出来事についてもここで解説する。.

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清水寺

清水寺(きよみずでら)は、京都府京都市東山区清水にある寺院。山号は音羽山。本尊は千手観音、開基(創立者)は延鎮である。もとは法相宗に属したが、現在は独立して北法相宗大本山を名乗る。西国三十三所観音霊場の第16番札所である。.

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木沢長政

木沢 長政(きざわ ながまさ)は、戦国時代の武将。河内、山城南部の守護代。官位は従五位下左京亮。河内飯盛山城城主、大和信貴山城城主。木沢右近、木沢又八郎は一族と思われる。.

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本願寺

本願寺(ほんがんじ)は、寺院の名称である。 各地に同名の寺院があるが、一般には本願寺系の浄土真宗(真宗)各派の本山である「本願寺」を指すことが多い。浄土真宗における寺号の由来は、13世紀に親鸞の廟堂に対して亀山天皇より下賜された「久遠実成阿弥陀本願寺」(くおんじつじょうあみだほんがんじ)であるとされる。16世紀末期に東西に分裂、東側は20世紀後期に発生したお東騒動の影響で更に分裂した。東西分裂前の本願寺については本願寺の歴史を参照のこと。.

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浄土真宗

浄土真宗(じょうどしんしゅう)は、大乗仏教の宗派のひとつで、浄土信仰に基づく日本仏教の宗旨である。鎌倉仏教のひとつ。鎌倉時代初期の僧である親鸞が、その師である法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え『岩波仏教辞典』第二版、P.541「浄土真宗」より引用。を継承し展開させる。親鸞の没後にその門弟たちが、教団として発展させる。「浄土真宗」の英訳は、浄土真宗本願寺派ではJodo Shinshuとし、真宗大谷派・真宗佛光寺派ではShin Buddhismとしている。.

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日本の合戦一覧

日本の合戦一覧(にほんのかっせんいちらん)は、日本の歴史上で発生した武力を以って行った主要な争いの一覧である。 概ね「戦い」や「合戦」は軍隊同士の大規模な戦闘、「乱」は国家や公的な組織に対する内戦・反乱・クーデターに当たる争い、「変」は国家や公的な組織による内戦・反乱・クーデター、「役」は外国・異民族との戦争。.

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摂津国

摂津国(せっつのくに、旧字体:攝津國)は、日本の令制国の一つ。畿内に属する。現在の大阪府北中部の大半と兵庫県南東部にあたる。.

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攻城戦

ンスタンティノープルの陥落 攻城戦(こうじょうせん、英:siege)とは敵の砦、城、城壁都市を奪取するための戦闘のことである。.

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1532年

記載なし。

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8月23日 (旧暦)

旧暦8月23日は旧暦8月の23日目である。六曜は赤口である。.

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8月24日 (旧暦)

旧暦8月24日(きゅうれきはちがつにじゅうよっか)は、旧暦8月の24日目である。六曜は先勝である。.

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