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尚賢王

索引 尚賢王

尚賢王(しょうけんおう、1625年10月16日(天啓5年9月15日) - 1647年10月19日(順治4年9月22日))は琉球王国第二尚氏王統の第9代国王(在位:1641年 - 1647年)。生誕時から薩摩で育つ。しかし、17歳で即位後、「遠見番」をつくり、烽火の制を定めた。また、黒糖、ウコンの専売制はこの時代に始まった。.

21 関係: 向氏浦添殿内天啓 (明)尚豊王尚質王ウコン皇太子玉陵琉球国琉球国王琉球王国第二尚氏順治首里薩摩国10月16日10月19日1625年1641年1647年9月15日 (旧暦)9月22日 (旧暦)

向氏浦添殿内

向氏 浦添殿内(しょううじ うらそえどぅんち)は、越来按司朝則(玉川御殿五世)を系祖とする琉球王国の士族(首里士族)。王国末期に浦添間切(現・浦添市)の総地頭を務めた琉球王国の大名。 系祖・朝則は、玉川御殿四世・読谷山按司朝宜の次男。朝則の娘・玉寄按司加那志は尚賢王妃となり、十一世朝慎の娘・聞得大君按司加那志も尚温王妃となった。十三世朝章、十四世朝昭はともに三司官を務めた。特に朝昭は王国最後の三司官首席として、琉球処分に苦慮しながらも、その引き継ぎ事務は処分官・松田道之も賛嘆せしめるほどの能吏であった。.

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天啓 (明)

天啓年製と書かれた茶器 天啓(てんけい)は中国、明代の元号(1621年 - 1627年)。第16代皇帝熹宗の在位中に使われた。このため熹宗は天啓帝と呼ばれる。.

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尚豊王

尚豊王(しょうほうおう、1590年12月9日(万暦18年11月13日) - 1640年6月23日(崇禎13年5月4日))は、琉球王国第二尚氏王統の第8代国王(在位1621年 - 1640年)。童名は思五郎金。神号は天喜也末按司添(てにぎやすゑあんじおそい)。 第5代国王尚元王の三男・尚久、大金武王子朝公の四男。始め佐敷王子朝昌と称した。尚賢王・尚質王の父。 1636年(崇禎9年)、琉球国王の王号を薩摩藩から剥奪され、琉球国司を名乗る。.

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尚質王

尚 質王(しょうしつおう、1629年10月1日(崇禎2年8月15日) - 1668年12月20日(康煕7年11月17日))は琉球第二尚氏王朝第10代国王。在位1648年 - 1668年。第8代国王尚豊王の子で、第9代国王尚賢王の弟。 童名は思徳金(うみとくがね)、尚豊王の四男として生まれる。一時、尚豊王の弟・尚享(尚久七男、護得久御殿二世)の養子になっていたが、兄・尚賢王の遺命により中城王子(世子)となり、尚賢王の薨去後即位した。養父・尚享は、尚質王の摂政(1654年 - 1666年)を務めた。 羽地朝秀を摂政とし、多くの改革を行なった。また、羽地朝秀は尚質王の代に琉球最古の歴史書である「中山世鑑」を編集している。.

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ウコン

ウコン(鬱金、欝金、宇金、郁金、玉金)は、ショウガ科ウコン属の多年草。学名 Curcuma longa 。英語名ターメリック (turmeric)。インドが原産であり、紀元前からインドで栽培されている。「鬱金」の原義は「鮮やかな黄色」。呉音「ウッコン」が転訛しウコンとなった。 東南アジア諸国には、インドネシア原産でクルクミンの含有量が多く薬効が強い変種ジャワウコン(Javanese turmeric)があり、現地名のクニッツや別名クスリウコンという呼び名で日本でも流通している。ヒンディー語・ウルドゥー語・グジャラーティー語のハルディ (Haldi) でも知られる他に、沖縄方言のウッチン、インドネシア語・マレー語のクニッツ (kunyit)、ハワイ語のオレナ (Ōlena) などでも知られる。タイ語では、カミンチャン。 伝統医学のアーユルヴェーダやインド料理に使われ、また、根茎に含まれるクルクミンは黄色い染料の原料としても広く用いられてきた。今日でもスパイスとして用いられている。日本では、カレー粉に用いられるほか、クルクミンの肝機能への影響を期待して二日酔い対策ドリンクの原料にも用いられる。.

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皇太子

皇太子(こうたいし、Crown Prince)は、皇位継承(帝位継承)の第一順位にある皇子を指す称号。一般的には皇室ならびに海外の王室における君主位の法定推定相続人の敬称として使われる。.

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玉陵

玉陵(たまうどぅん、玉御殿または霊御殿とも)は、琉球王国、第二尚氏王統の歴代国王が葬られている陵墓。所在地は沖縄県那覇市首里金城町。そもそもは第3代尚真王(在位1477年 - 1526年)が父、尚円王を葬るために建築したものである。世界遺産のひとつで沖縄県最大の破風墓。なお「玉陵」と名付く墓所はほかに「伊是名玉陵」、「山川の玉陵」がある。.

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琉球国

琉球国(りゅうきゅうのくに)は、かつての琉球王国の版図(沖縄県)に相当する地域に用いられた地名。 なお、本項目においては簡便のため、太平洋戦争以降の期間は考慮しない。.

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琉球国王

琉球国王(りゅうきゅうこくおう)は、1872年(清: 同治11年、日本: 明治5年)まで沖縄県に存在した琉球王国の君主及びその外交称号であり、明及び清に貿易上の理由から朝貢した際に授けられた封号もそれに含まれる。琉球国内では御主と呼ばれた。外交上の別名称は、琉球國中山王(りゅうきゅうこくちゅうざんおう)。 本項目では、琉球王国成立(1429年)より以前に琉球に君臨し、または君臨したとされる王統についても併記する(#琉球国王の一覧).

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琉球王国

琉球王国(りゅうきゅうおうこく)は、1429年から1879年の450年間、琉球諸島を中心に存在した王国。当時、正式には琉球國(りゅうきゅうこく、沖縄方言:ルーチュークク)と称した。 最盛期には奄美群島と沖縄諸島及び先島諸島までを統治した。この範囲の島々の総称として、琉球列島(琉球弧)ともいう。王家の紋章は左三巴紋で「左御紋(ひだりごもん、フィジャイグムン)」と呼ばれた。 勢力圏は小さな離島の集合で、総人口17万に満たない小さな王国ではあったが、隣接する大国明・清の海禁や日本の鎖国政策の間にあって、東シナ海の地の利を生かした中継貿易で大きな役割を果たした。その交易範囲は東南アジアまで広がり、特にマラッカ王国との深い結び付きが知られる。 外交的に貿易上の理由から、明及びその領土を継承した清の冊封を受けていたが、1609年に日本の薩摩藩の侵攻を受けて以後は、薩摩藩による実質的な支配下に入った。ただし対外的には独立した王国として存在し、中国大陸、日本の文化の影響を受けつつ、交易で流入する南方文化の影響も受けた独自の文化を築き上げた。.

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第二尚氏

二尚氏(だいにしょうし)は、尚円王を始祖とし、尚円王即位の1469年(成化6年)から1879年(光緒5年)までの410年間、沖縄の琉球王国を統治した王家およびその姓の通称。琉球最後の王朝。正式には尚氏だが、第一尚氏と区別するため、一般には第二尚氏と呼ばれる。第二尚氏は、初代・尚円王から最後の尚泰王まで、19代続き、廃藩置県後は日本の華族となった。.

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順治

順治(じゅんち、満州語:、転写:ijishūn dasan)は、清の世祖の治世に使われた元号。1644年 - 1661年。これより一世一元の制を採用したため、世祖は順治帝と称される。.

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首里

首里(しゅり、沖縄方言:スイ)は沖縄県那覇市の一地域。那覇市の北東部を占める。かつて首里市(市制施行前は首里区)だった地区である。また、さらに以前は琉球王国の王都として栄えた。 本項では首里市、同市の市制前の名称である首里区(しゅりく)についても述べる。.

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薩摩国

薩摩国(さつまのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.

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10月16日

10月16日(じゅうがつじゅうろくにち)は、グレゴリオ暦で年始から289日目(閏年では290日目)にあたり、年末まであと76日ある。.

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10月19日

10月19日(じゅうがつじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から292日目(閏年では293日目)にあたり、年末まであと73日ある。.

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1625年

記載なし。

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1641年

記載なし。

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1647年

記載なし。

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9月15日 (旧暦)

旧暦9月15日は旧暦9月の15日目である。六曜は大安である。.

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9月22日 (旧暦)

旧暦9月22日は旧暦9月の22日目である。六曜は赤口である。.

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