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小川村

索引 小川村

小川村(おがわむら)は、長野県にある村である。長野市と北安曇郡白馬村のほぼ中間に位置し、その景観は「信州の自然百選(景観選)」・「信州サンセットポイント百選」に選ばれている。 「日本で最も美しい村連合」の一つ。.

59 関係: おやき南小川村南北朝時代 (中国)古山城 (信濃国)大町市大日方氏安曇郡小川村ケーブルテレビ小川村立小川小学校小笠原貞慶小笠原洞雪斎小河荘川中島バス上杉氏上水内郡中村孝次郎三河国仁科氏会津徳川氏信濃川信濃村上氏北安曇郡北小川村北陸新幹線和田肇国道406号皇室真田氏生団子登録有形文化財白線流し白馬村道の駅道の駅おがわ荘園西沢広義香坂氏豊臣秀吉鳥羽天皇軍役蕎麦粒山長野市長野県長野県道31号長野大町線長野県道36号信濃信州新線長野県道401号小川長野線長野駅JA 〜女子によるアグリカルチャー〜松代藩...松本忠雄 (政治家)武田信玄水野氏戸隠神社昭和日本で最も美しい村連合1955年4月1日 インデックスを展開 (9 もっと) »

おやき

おやき(お焼き、御焼き)は、小麦粉・蕎麦粉などを水で溶いて練り、薄くのばした皮で小豆、野菜などで作った餡(具材)を包み、焼いた食品である。形状は円形で、直径8~10cm程度が一般的。長野県の郷土料理として知られる。 焼き餅、あんびん、ちゃなこ、はりこしなどとも呼ばれる。 長野県の寒冷地である北信地方や安曇野地方発祥で、冬季における米の代用食として各家庭に受け継がれ、お盆の毎年8月14日には仏前の供物として備える風習があった。和菓子店などでも販売されていたが、次第に観光的な価値が見出されるにつれて、1980年代後半以降、おやき専門店が登場するとともに、おやきを常食する食文化のない地域も含めた長野県全域の名物として広まった。同様の粉物(こなもん)食品は長野県のみならず、気候や地形・水利の関係で稲作が難しく、米以外の雑穀類を多く食べた日本各地で作られている。.

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南小川村

南小川村(みなみおがわむら)は長野県上水内郡にあった村。現在の小川村高府・小根山にあたる。.

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南北朝時代 (中国)

北魏と宋 北魏と南斉 東西魏と梁 北周、北斉と後梁、陳 中国史における南北朝時代(なんぼくちょうじだい)は、北魏が華北を統一した439年から始まり、隋が中国を再び統一する589年まで、中国の南北に王朝が並立していた時期を指す。 この時期、華南には宋、斉、梁、陳の4つの王朝が興亡した。こちらを南朝と呼ぶ。同じく建康(建業)に都をおいた三国時代の呉、東晋と南朝の4つの王朝をあわせて六朝(りくちょう)と呼び、この時代を六朝時代とも呼ぶ。この時期、江南(長江以南)の開発が一挙に進み、後の隋や唐の時代、江南は中国全体の経済基盤となった。南朝では政治的な混乱とは対照的に文学や仏教が隆盛をきわめ、六朝文化と呼ばれる貴族文化が栄えて、陶淵明や王羲之などが活躍した。 また華北では、鮮卑拓跋部の建てた北魏が五胡十六国時代の戦乱を収め、北方遊牧民の部族制を解体し、貴族制に基づく中国的国家に脱皮しつつあった。北魏は六鎮の乱を経て、534年に東魏、西魏に分裂した。東魏は550年に西魏は556年にそれぞれ北斉、北周に取って代わられた。577年、北周は北斉を滅ぼして再び華北を統一する。その後、581年に隋の楊堅が北周の譲りを受けて帝位についた。589年、隋は南朝の陳を滅ぼし、中国を再統一した。普通は北魏・東魏・西魏・北斉・北周の五王朝を北朝と呼ぶが、これに隋を加える説もある。李延寿の『北史』が隋を北朝に列しているためである。.

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古山城 (信濃国)

古山城(ふるやまじょう)は、長野県上水内郡小川村にあった日本の城。布留山城とも。.

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大町市

青木湖 大町市(おおまちし)は、長野県の北西部にある市。立山黒部アルペンルートの長野県側玄関口として有名。.

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大日方氏

大日方氏(おおひがたし、おおひなたし、おびなたし)は信濃国水内郡に本拠をおいた日本の氏族。 信濃国守護の小笠原氏の庶流だが、小笠原氏とは敵対関係にあった村上氏に与して小河荘(長野県小川村)を拝領し、本拠とした。後には武田氏に臣従し、水内郡から安曇郡にかけてを領して北信濃に一定の勢力を保った。.

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安曇郡

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小川村ケーブルテレビ

小川村ケーブルテレビ(おがわむらケーブルテレビ)は、2009年12月25日にサービス開始した長野県上水内郡小川村が運営するケーブルテレビ局である。老朽化した共同視聴設備・有線放送電話の代替と情報格差の是正を目的に村内全域に整備する。2008年4月8日に信越総合通信局より認可が降りた。 伝送方式は、FTTHで地上デジタル放送6波(NHK総合、NHK教育、テレビ信州、長野朝日放送、信越放送、長野放送)の再送信を行う。.

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小川村立小川小学校

小川村立小川小学校(おがわそんりつ おがわしょうがっこう)は、長野市中心部と白馬村および大町市との中間に位置する長野県北部・小川村の中心部にある唯一の公立小学校である。西には北アルプス連峰がよく見える。.

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小笠原貞慶

小笠原 貞慶(おがさわら さだよし/さだのり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。信濃守護・小笠原長時の三男。小笠原流弓馬術礼法宗家。.

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小笠原洞雪斎

小笠原 洞雪斎(おがさわら どうせつさい、生没年不詳)は、戦国時代の武将。洞雪斎玄也と称し、諱は貞種か。通称孫次郎。信濃国守護小笠原長時の弟で、長時の子貞慶の叔父に当たる。母は浦野弾正忠の娘。.

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小河荘

小河荘(小川荘、おがわのしょう)は、信濃国水内郡(現在の長野県小川村)にあった荘園。.

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川中島バス

新宿高速バスターミナルにて 川中島バス(かわなかじまバス)はアルピコ交通が運行するバス事業のうち、長野県北部地域で主に運営しているバス事業の愛称である。 この項では、前身である「川中島自動車」「川中島バス」およびアルピコ交通長野支社のバス路線について記述する。.

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上杉氏

上杉氏(うえすぎし / うえすぎうじ)は、公家である藤原家の支族の一つ。1252年、公家である藤原重房が、宗尊親王の鎌倉幕府・将軍(皇族初の征夷大将軍)就任に従って京都から鎌倉へ下向して、武家化し「上杉」姓を賜われたのが上杉氏の祖。室町時代には関東管領を世襲し、越後・上野・武蔵・相模の守護を務める有力守護大名として栄えた。室町幕府の初代将軍・足利尊氏の生母は上杉家出身。鎌倉時代、室町時代から江戸時代にかけて栄えた武家の一族(山内上杉家)が著名。山内上杉家15代当主・上杉憲政は北条氏康に敗北し、長尾家出身の長尾景虎(のちの上杉謙信)に上杉家の家督を譲った。豊臣政権の五大老の一人であった山内上杉家17代当主・上杉景勝は、関ヶ原の戦いにて西軍に付いて敗北し出羽国米沢に移転・減封されたが、幕末まで大名としての地位を維持し、明治時代には華族に列して伯爵を授けられた。本貫地は丹波国何鹿郡上杉荘(現在の京都府綾部市上杉)。 江戸時代には、大名2家、旗本4家(うち高家1家)があり、子孫は現代まで続いている。.

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上水内郡

長野県上水内郡の範囲(1.信濃町 2.小川村 3.飯綱町 水色:後に他郡から編入した区域) 上水内郡(かみみのちぐん)は、長野県の郡。 以下の2町1村を含む。.

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中村孝次郎

中村 孝次郎(なかむら こうじろう、1891年(明治24年)5月28日 - 没年不詳)は、日本の大蔵官僚。.

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三河国

三河国(みかわのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。三の大字を用いて参河国(參河國)とも表記する。現在の愛知県東半部。.

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仁科氏

仁科氏(にしなうじ)は、日本の氏族。系統は仁品王系・皇極太子系・桓武平氏繁盛流(信濃平氏)・清和源氏・義光流・武田支流。また、清和源氏頼季流乙葉氏族の仁科氏もある。.

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会津

会津(あいづ)は、福島県の西部に当たり、西に越後山脈と東に奥羽山脈に挟まれた日本海側内陸の地域である。福島県は、奥羽山脈と阿武隈高地によって区切られており、西から順に「会津」と「中通り」と「浜通り」の三地域に区分されている。 なお、イントネーションについて、福島県内では、「あいづ」と、いにアクセントを置く。.

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徳川氏

徳川氏(とくがわし/とくがわうじ、)は、徳川家康が創始した日本の氏族。新田氏系得河氏・得川氏の末裔を称した際に嘉字を用いて徳川と称したことが始まりとなり、江戸幕府将軍家と親族の家名とした。しかし『徳川家譜』に記される家系に関しては『尊卑分脈』の該当記録に似通った流れはあるものの、当代史料による検証がならず、得川氏と家康の家系との同一性は実証できていない。.

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信濃川

新潟市の河口部(写真左(西)は日本海)写真上(北)から、阿賀野川、信濃川、関屋分水。 信濃川(新潟県十日町市) 信濃川(しなのがわ)は、新潟県および長野県を流れる一級河川。信濃川水系の本流である。新潟市で日本海に注ぐ。このうち信濃川と呼ばれているのは新潟県域のみで、長野県にさかのぼるとと呼称が変わる。この項目では千曲川と呼称される上流部を合わせ記述する。全長367キロメートルのうち、信濃川と呼ばれている部分が153キロメートルなのに対し、千曲川と呼ばれている部分は214キロメートルと千曲川の方が長い。ただし、河川法上では千曲川を含めた信濃川水系の本流を信濃川と規定しているため、信濃川は日本で一番長い川となっている。 流域面積11,900km2は日本第3位。新潟、長野両県内でほとんどを占めるが、一次支川中津川の源流部が群馬県の野反湖付近にあり、水系流域としては群馬を含む3県に及ぶ。 千曲川(信濃川)は古くは万葉の頃から多くの詩歌に歌われ、近代になっても流域の佐久市・小諸市周辺を島崎藤村(千曲川旅情のうた、小諸なる古城のほとり)が、長野市周辺から新潟県境付近の豊田村(現:中野市)周辺を高野辰之(朧月夜、故郷)が歌にしている。.

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信濃村上氏

信濃村上氏(しなのむらかみし)は、戦国時代の村上義清に代表される河内源氏の庶流村上氏の嫡流を指す。.

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北安曇郡

長野県北安曇郡の範囲(1.池田町 2.松川村 3.白馬村 4.小谷村 薄緑:後に他郡から編入した区域池田町と東筑摩郡明科町の間の細かい境界変更は反映していない。) 北安曇郡(きたあづみぐん)は、長野県の郡。略称は北安(ほくあん)。 以下の1町3村を含む。.

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北小川村

北小川村(きたおがわむら)は長野県上水内郡にあった村。現在の小川村瀬戸川・稲丘にあたる。.

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北陸新幹線

北陸新幹線(ほくりくしんかんせん)は、上信越・北陸地方を経由して東京都と大阪市とを結ぶ計画の高速鉄道路線(新幹線)であり、整備新幹線5路線の一つである。 2015年(平成27年)3月14日現在、高崎駅 - 金沢駅間が開業している。また、高崎駅以東については、全列車が上越新幹線および東北新幹線を経由して東京駅まで乗り入れている。.

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和田肇

和田 肇(わだ はじめ、1954年1月28日 - )は、日本の法学者、名古屋大学副総長。労働法が専門。元民主主義科学者協会法律部会理事。 長野県上水内郡小川村生まれ。長野県立長野高等学校を経て、1978年東京大学法学部卒業。1980年同大学院修士課程修了。1982年名古屋大学法学部助教授、1991年教授、法学研究科教授。この間、1986-87年西ドイツ・ギーセン大学、1993-95年レーゲンスブルク大学客員研究員。1991年冲永賞受賞。.

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国道406号

国道406号(こくどう406ごう)は、長野県大町市から群馬県高崎市に至る一般国道である。.

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皇室

皇室(こうしつ)は、天皇および皇族の総称。 狭義には内廷皇族、広義には天皇とその近親である皇族を意味するが、皇族の範囲は時期によって異なる。 近代(明治維新)以降は、天皇と内廷皇族を家族とする内廷と皇太子以外の皇族男子及びその家族で構成される宮家を意味する。 皇室典範第五条に定める、天皇の配偶者である皇后、先代の天皇の未亡人である皇太后、先々代の天皇の未亡人である太皇太后、また、皇太子(皇太孫)、皇太子妃(皇太孫妃)、皇族男子たる親王、王、さらには生まれながらの皇族女子である内親王、女王がある。親王妃、王妃は親王、王の配偶者となることをもって、皇族とされる。戦前(大日本帝国憲法下、日本国憲法施行まで)においては、帝室(ていしつ)とも呼ばれていた。 一般国民の女性は、皇族男子との婚姻により皇族になることができる。また、15歳以上の内親王、王、女王はその意思により、皇太子、皇太孫を除く親王、内親王、王、女王は、その意思によるほかにやむをえない特別の事由があるとき、皇室会議の議決を経て皇族の身分を離脱できる。なお、皇族女子は天皇、皇族以外の者と婚姻したとき皇族の身分を離れる(臣籍降下・臣籍降嫁)。.

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真田氏

真田氏(さなだし)は、信濃国の豪族として興った氏族である。.

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生団子

生団子(なまだんご)は、長野県埴科郡、更級郡(現・長野市)などに見られる特殊な家筋桜井徳太郎編 『民間信仰辞典』 東京堂出版、1980年、215頁。ISBN 978-4-490-10137-9。。 この家筋では生団子仏(なまだんごぼとけ)という仏像を本尊としているといわれる。この仏像は片足が素足で、片方の草履を手に持っているという奇妙な姿のものであり水木しげる 『水木しげるの憑物百怪〈下〉』 小学館〈小学館文庫〉、2005年、96-99頁。ISBN 978-4-09-404703-5。、この家筋との縁組は忌まれるという。また、この生団子仏に供えるために団子を茹でると、その名の通り一つだけ生のままの物が必ずあるともいわれ、彼岸や月見に団子を作っても、3つは必ず生のままになるともいう。 また長野の上水内郡北小川村(現・小川村)には、生団子という名の掛け物が伝わっている。仏像を描いたものだが、その姿は頭に笠を被り、生団子仏と同様に片足が素足、もう片方には破れた草履を履き、身につけた衣も破れており、手には半分折れた杖を持っているというものである。この掛け物を持っている家には、金がたまるといわれている。 生団子の家筋は山伏や武士の末裔というが、阿弥陀仏を本尊にする阿弥陀衆である、仏事を扱った人々である、死者を取り扱った人々の子孫であるなどともいわれることから、「なまだんご」とは「南無阿弥陀仏講」が訛ったものであり、葬事に参与する被差別民阿弥陀衆・念仏衆の末裔とする説もある。 武州(現・埼玉県)秩父地方にも生団子の名は伝わっており、憑き物のオサキやネブッチョウと並び、これらの家筋は秩父の三害といわれたという。.

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登録有形文化財

登録有形文化財(とうろくゆうけいぶんかざい)は、1996年(平成8年)の文化財保護法改正により創設された文化財登録制度に基づき、文化財登録原簿に登録された有形文化財のことである。登録対象は当初は建造物に限られていたが、2004年(平成16年)の文化財保護法改正により建造物以外の有形文化財も登録対象となっている。登録物件は近代(明治以降)に建造・製作されたものが主であるが、江戸時代のものも登録対象になっている。.

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白線流し

白線流し(はくせんながし)は、毎年、卒業式の日に卒業生たちが学帽の白線とセーラー服のスカーフを一本に結びつけ川に流す行事。例年3月1日に、岐阜県高山市にある岐阜県立斐太高等学校で、学校前を流れる大八賀川において行われており、昭和中期の一時期に中断があったものの復活し、70年以上行われている。 本記事では、この行事を元にしたテレビドラマについても述べる。.

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白馬村

八方尾根から望む市街地 白馬村の最高峰の白馬岳(標高2,932 m)。白馬山荘(上)と村営白馬岳頂上宿舎(下)の日本で最大規模の山小屋があり、登山者が訪れる。 白馬村(はくばむら)は、長野県の北西部に位置する北安曇郡の村である。 北アルプスの麓にあり、夏は登山、冬はスキーの観光客が訪れ、避暑地として知られる。単体のスキー場としては国内最大規模の八方尾根スキー場があり、長野オリンピックの会場にもなった。.

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道の駅

道の駅の一例。道の駅信州蔦木宿 道の駅の登録証の一例(道の駅みくに) 道の駅(みちのえき)は、日本の各自治体と道路管理者が連携して設置し、国土交通省(制度開始時は建設省)により登録された、商業施設・休憩施設・地域振興施設・駐車場等が一体となった道路施設である。道路利用者のための「休憩機能」、道路利用者や地域の人々のための「情報発信機能」、道の駅を核としてその地域の町同士が連携する「地域の連携機能」という3つの機能を併せ持ち、2018年4月25日付時点の全国登録数は、1,145箇所ある。.

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道の駅おがわ

道の駅おがわ(みちのえき おがわ)は、長野県上水内郡小川村にある長野県道31号長野大町線の道の駅である。.

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荘園

荘園(しょうえん)は、公的支配を受けない(あるいは公的支配を極力制限した)一定規模以上の私的所有・経営の土地である。なお、中世の西ヨーロッパ・中央ヨーロッパに見られたmanor(英語)、Grundherrschaft(ドイツ語)の訳語としても用いられている。.

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西沢広義

西澤 廣義/西沢 広義(にしざわ ひろよし、1920年(大正9年)1月27日 - 1944年(昭和19年)10月26日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争におけるエース・パイロット。戦死による二階級特進で最終階級は海軍中尉。.

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香坂氏

香坂氏(こうさかし)は、信濃国の武家の氏族。高坂とも書く。東信濃の名族滋野氏で、滋野三家の一つ禰津氏の禰津宗直の五男貞行を祖とする。香坂は佐久郡香坂(現佐久市香坂)に由来する。.

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豊臣秀吉

豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし / とよとみ の ひでよし、)、または羽柴 秀吉(はしば ひでよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。天下人、(初代)武家関白、太閤。三英傑の一人。 初め木下氏を名字とし、羽柴氏に改める。本姓としては、初め平氏を自称するが、近衛家の猶子となり藤原氏に改姓した後、正親町天皇から豊臣氏を賜姓された。 尾張国愛知郡中村郷の下層民の家に生まれたとされる(出自参照)。当初、今川家に仕えるも出奔した後に織田信長に仕官し、次第に頭角を現した。信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると「中国大返し」により京へと戻り山崎の戦いで光秀を破った後、信長の孫・三法師を擁して織田家内部の勢力争いに勝ち、信長の後継の地位を得た。大坂城を築き、関白・太政大臣に就任し、朝廷から豊臣の姓を賜り、日本全国の大名を臣従させて天下統一を果たした。天下統一後は太閤検地や刀狩令、惣無事令、石高制などの全国に及ぶ多くの政策で国内の統合を進めた。理由は諸説あるが明の征服を決意して朝鮮に出兵した文禄・慶長の役の最中に、嗣子の秀頼を徳川家康ら五大老に託して病没した。秀吉の死後に台頭した徳川家康が関ヶ原の戦いで勝利して天下を掌握し、豊臣家は凋落。慶長19年(1614年)から同20年(1615年)の大坂の陣で豊臣家は江戸幕府に滅ぼされた。 墨俣の一夜城、金ヶ崎の退き口、高松城の水攻め、中国大返し、石垣山一夜城などが機知に富んだ功名立志伝として広く親しまれ、農民から天下人へと至った生涯は「戦国一の出世頭」と評される。.

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鳥羽天皇

鳥羽天皇(とばてんのう、旧字体:鳥羽、康和5年1月16日(1103年2月24日) - 保元元年7月2日(1156年7月20日))は平安時代後期の第74代天皇(在位嘉承2年7月19日(1107年8月9日) - 保安4年正月28日(1123年2月25日))。諱は宗仁(むねひと)。 堀河天皇の皇子。母は贈皇太后・藤原苡子。子の崇徳天皇・近衛天皇・後白河天皇の3代28年に渡り院政を敷いた。.

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軍役

軍役(ぐんやく、ぐんえき)は、戦時、武士が主君に拠出すべく課せられる軍事力や兵糧その他である。.

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蕎麦粒山

蕎麦粒山(そばつぶやま、そむぎやま)は、山の名前。.

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長野市

長野市(ながのし)は、長野県北信地方に位置する都市。長野県の県庁所在地であり、中核市である。.

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長野県

長野県空撮画像。長野盆地、富士山、浅間山、日本アルプスなどを望む。 長野県の地形図 長野県(ながのけん)は、本州内陸部に位置する日本の県の一つ。令制国名の信濃国に因み「信州」とも呼ばれている。海に面していないいわゆる内陸県であり、大規模な山岳地があるため可住地面積率は小さい。県庁所在地は長野市。善光寺の門前町として発展し第18回冬季オリンピックの開催地となった自治体でもある。.

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長野県道31号長野大町線

長野県道31号長野大町線(ながのけんどう31ごう ながのおおまちせん)は、長野市と大町市を結ぶ主要地方道。起点から長野市笹平の笹平トンネル東交差点までは国道19号との重用である。またバイパス路線として白馬長野有料道路も県道31号となっている。長野県道33号白馬美麻線とあわせて「オリンピック道路」と呼ばれている。.

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長野県道36号信濃信州新線

長野県道36号信濃信州新線(ながのけんどう36ごう しなのしんしゅうしんせん)は、長野県上水内郡信濃町から長野市信州新町へいたる県道(主要地方道)であり、長野市街を山筋に大きく迂回するルートをとる。.

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長野県道401号小川長野線

長野県道401号小川長野線(ながのけんどう401ごう おがわながのせん)は、長野県上水内郡小川村と長野市を結ぶ一般県道。.

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長野駅

東口入口 長野駅善光寺口の夜景 長野駅(ながのえき)は、長野県長野市大字栗田『長野県鉄道全駅』 24-25頁および南千歳一丁目にある『長野県鉄道全駅』 264頁、東日本旅客鉄道(JR東日本)・しなの鉄道・長野電鉄の駅である。 長野県の県庁所在地・長野市の中心駅で、県内最大規模のターミナル駅となっている。標高361m『長野県鉄道全駅』 15頁。.

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JA 〜女子によるアグリカルチャー〜

『JA 〜女子によるアグリカルチャー〜』(ジェイエー じょしによるアグリカルチャー、Joshi ni yoru Agriculture)は、鳴見なる+協力唐花見コウによる共作の日本の漫画作品。月刊誌『ヤングエース』(角川書店(現:KADOKAWA))にて2011年5月号から2014年7月号まで、同名の4コマ漫画が『4コマnanoエース』(同社刊)にて2011年Vol.2から2012年Vol.13まで連載された。単行本はカドカワコミックス・エースより全8巻刊行。.

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松代藩

松代城 旧松代藩藩邸。昭和初期に神奈川県藤沢市の竜口寺へ移築された(現在の竜口寺大書院) 松代藩(まつしろはん)は、江戸時代、信濃国埴科郡松代町(現在の長野県長野市松代町松代)にあった藩。信濃国内の藩では最高の石高を有した。長野県長野市の松代城を居城とし川中島四郡を領した。藩主は、酒井家(左衛門尉)、越前松平家、真田家が就封した。なお本項では、城地は異なるが同じ領地を支配した川中島藩についても記載する。.

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松本忠雄 (政治家)

松本 忠雄(まつもと ただお、1887年(明治20年)7月2日『新興日本名士録』 - 1947年7月4日)は、日本の衆議院議員(憲政会→立憲民政党)、ジャーナリスト。.

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村(むら、そん)とは、日本における普通地方公共団体の一つ。.

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武田信玄

武田 信玄(たけだ しんげん) / 武田 晴信(たけだ はるのぶ)は、戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。甲斐源氏の嫡流にあたる甲斐武田家第19代当主。諱は晴信、通称は太郎(たろう)。「信玄」とは(出家後の)法名で、正式には徳栄軒信玄。1915年(大正4年)11月10日に従三位を贈られる。 甲斐の守護を務めた甲斐源氏武田家第18代・武田信虎の嫡男。先代・信虎期に武田氏は守護大名から戦国大名化し国内統一を達成し、信玄も体制を継承して隣国・信濃に侵攻する。その過程で越後国の上杉謙信(長尾景虎)と五次にわたると言われる川中島の戦いで抗争しつつ信濃をほぼ領国化し、甲斐本国に加え信濃、駿河、西上野、遠江、三河と美濃の一部を領し、次代の勝頼期にかけて領国を拡大したものの、西上作戦の途上に三河で病を発し、信濃への帰還中に病没した。.

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水野氏

水野氏(みずのし)は、清和源氏を称する日本の氏族。戦国時代には緒川城、刈谷城を中心に尾張国南部の知多半島と三河国西部に領地を広げ、織田氏や徳川氏と同盟を結び最盛期には24万石と称される勢力となった。 宗家のほか、大高水野氏、常滑水野氏などの諸氏があった。宗家は徳川家康の母・伝通院の実家にあたり、江戸時代には徳川氏の外戚家として遇された。『柳営秘鑑』では、岡崎譜代とされる。近世大名家を輩出した一族の一つであり、また江戸時代中期から後期には幕府の老中に人物を輩出し続け、享保の改革や天保の改革に関与するなど、国政を握った。 幕末期においては、下総結城藩、駿河沼津藩、上総鶴牧藩、出羽山形藩の各藩の藩主が水野氏であった。その他、寛文7年(1667年)に改易となった上野安中藩の藩主や紀州藩の附家老であった紀伊新宮城主もこの一族であった。.

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戸隠神社

戸隠神社(とがくしじんじゃ)は、長野県長野市北西部の戸隠山周辺に、以下に記す五社を配する神社である。.

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昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

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日本で最も美しい村連合

特定非営利活動法人「日本で最も美しい村」連合(にほんでもっともうつくしいむら れんごう)は、「日本で最も美しい村」(the most beautiful villages in Japan)の名称の使用権を管理し、加盟団体の観光の広報活動などをする特定非営利活動法人。通称「美しい村連合」。.

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1955年

記載なし。

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4月1日

4月1日(しがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から91日目(閏年では92日目)にあたり、年末まであと274日ある。誕生花はカスミソウ、クロッカス。 日本や一部の国では4月1日は会計年度・学校年度の初日である。この日は政府機関、企業などで多くの制度の変更、新設、発足が行われ、異動や新入学など大きな変化が起こる日である。.

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