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小島 (愛媛県)

索引 小島 (愛媛県)

小島(おしま)は、瀬戸内海のほぼ中央部、来島海峡の西部に位置する有人島。愛媛県今治市に属する。来島群島を構成する島のひとつ。離島指定。 明治30年代に日露戦争に備えて芸予要塞が築かれ、遺跡が島内に数多く残されている。 面積0.50km、周囲3kmの「琵琶」の形をした小さい島。集落・船着場・港(漁港)は島の南側にあり、2007年1月31日現在、21世帯、人口33人で、漁業、農業、海運業で生計を立てている世帯が多い。.

22 関係: 大久野島大日本帝国陸軍小沢武雄上原勇作今治市レクリエーションツバキ砲台瀬戸内海芸予要塞芸予諸島要塞馬島 (愛媛県)離島来島来島海峡村上水軍波止浜町波止浜港日露戦争日本愛媛県

大久野島

周辺 2006年国土航空写真。 大久野島(おおくのしま、おおくのじま)は、瀬戸内海芸予諸島の一つであり、広島県竹原市に属する有人島。 「ウサギの島」「毒ガスの島」として知られる。.

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大日本帝国陸軍

大日本帝国陸軍(だいにっぽんていこくりくぐん、だいにほんていこくりくぐん、旧字体:大日本帝國陸軍)は、1871年(明治4年) - 1945年(昭和20年)まで日本 (大日本帝国) に存在していた軍隊組織である。通常は、単に日本陸軍や帝国陸軍と呼ばれた。解体後は、陸上自衛隊との区別などのため旧日本陸軍もしくは旧帝国陸軍という名称も使用される。.

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小沢武雄

小沢 武雄(おざわ たけお、1844年12月19日(天保15年11月10日) - 1926年1月29日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。貴族院議員、男爵。幼名・直之丞。.

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上原勇作

上原 勇作(うえはら ゆうさく、安政3年11月9日(1856年12月6日) - 1933年(昭和8年)11月8日)は、明治~昭和期の陸軍軍人。 元帥陸軍大将従一位大勲位功二級子爵、聖マイケル・聖ジョージ勲章ナイト・グランド・クロス(GCMG)。 陸軍大臣、教育総監、参謀総長。 日向国都城(現宮崎県都城市)出身。妻は野津道貫の娘、槙子。山縣有朋、桂太郎ら長州閥の元老凋落の後に陸軍に君臨し、強力な軍閥(上原閥)を築き上げた。 上原閥に属する者に荒木貞夫、真崎甚三郎、柳川平助、小畑敏四郎らがいた。 陸軍大臣、教育総監、参謀総長の「陸軍三長官」を歴任し、元帥府に列せられたのは帝国陸軍史上、上原と杉山元の2名のみである。.

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今治市

今治市(いまばりし)は、愛媛県の北東部に位置する市である。.

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レクリエーション

レクリエーション(リクリエーション)は、英語で2通りの意味を持つ言葉である(正確にはそれぞれ異なる単語であるが、前者は後者から派生した)。.

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ツバキ

ツバキ(椿、海柘榴)またはヤブツバキ(藪椿、学名: )は、ツバキ科ツバキ属の常緑樹。照葉樹林の代表的な樹木。 日本内外で近縁のユキツバキから作り出された数々の園芸品種、ワビスケ、中国・ベトナム産の原種や園芸品種などを総称的に「椿」と呼ぶが、同じツバキ属であってもサザンカを椿と呼ぶことはあまりない。.

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砲台

清代海防砲台(旅順) 神戸市の和田岬砲台 砲台(ほうだい)とは、大砲などの火器を設置するための台座である。 大きな大砲を防衛上の重要地点や交通の要衝など軍事戦略的・地理的に有利な地点で射界が広く取れる高所に設置して、敵の侵攻に対して効果的な防衛拠点とするものである。また、反動の大きな大砲を専用の砲台に設置することで運用の利便性を高め、同時に命中精度の向上も期待している。 土地を整地しただけの仮設のものから、石組みやレンガ組み、コンクリート造で掩体を作り陣地や保塁としたもの、さらに火薬庫、兵舎などの関連施設を併設して要塞化したものもある。 代表的なものに海上の艦船を砲撃するために海岸線近くに設けられる沿岸砲台があり、幕末に築かれた台場もその一種である。 設置される大砲はカノン砲か榴弾砲であり、沿岸砲台の場合には移動目標である軍艦に命中させるためにカノン砲であることが多い。 旧日本陸軍では、海岸の沿岸砲台を「砲台」、陸戦砲台を「保塁」として区別した。 現代の戦場では、恒久的な砲台が築かれることはなくなった。自軍の砲の位置が固定されると、敵火砲やミサイル、あるいは空爆の的になるからである。対砲迫撃レーダーや航空偵察で正確かつ短時間で発射位置を特定されるようになったため、砲兵は射撃後、すぐに発射地点から移動するのである。高い防御力そのもので敵の進撃を阻害するための永久築城(要塞)もまた、電撃戦に代表される戦術の進化の前に陳腐化してしまった。沿岸砲台もやはり移動式の対艦ミサイルの登場でその役目を終え姿を消しつつある。.

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瀬戸内海

戸内海(せとないかい)は、本州、四国、九州に挟まれた内海。山口県、広島県、岡山県、兵庫県、大阪府、和歌山県、徳島県、香川県、愛媛県、大分県、福岡県がそれぞれ海岸線を持つ。沿岸地域を含めて瀬戸内(せとうち)とも呼ばれている(ただし瀬戸内海の名称源ではない。瀬戸内海は「瀬戸の内海」の意である)。 古来、畿内と九州を結ぶ航路として栄えた。気候は瀬戸内海式気候と呼ばれ、温暖で雨量が少ない。.

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芸予要塞

芸予要塞(げいよようさい)とは、瀬戸内海の忠海海峡と来島海峡の線に設置された大日本帝国陸軍の要塞である。1897年(明治30年)3月に建設が開始された。.

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芸予諸島

芸予諸島(げいよしょとう)は、日本の瀬戸内海西部に位置する諸島。広島県と愛媛県に属しているため、両県の旧国名である安'''芸'''国と伊'''予'''国から一文字ずつ取ってこう呼ばれている。.

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要塞

堡式城郭の例。オランダのブールタング 要塞(ようさい)とは、外敵等から戦略上重要な地点を守る為に築かれた構築物。とりで(砦、堡、塞)、城砦(じょうさい)、城堡(じょうほ)ともいう。.

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馬島 (愛媛県)

島(うましま)は、瀬戸内海のほぼ中央、芸予諸島の島の1つ。愛媛県今治市に属する。.

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離島

離島(りとう)は、本土・本島から離れている島である。法律や行政等において用いられる区分であり、地理学上は、島に関して本島・離島といった区分け・分類はない。そのため、本土や本島に「付属する島」と言う表現も、法律や行政上の区分である。 領海や排他的経済水域(EEZ)の広く確保する基点になったり、外国の領土や船舶・航空機を監視、警戒する拠点になったりするため、経済・安全保障面で重視されることが多い。しばしば領有権紛争の対象となる。 地球上で他の陸地から最も遠い離島は、南大西洋にあるノルウェー領ブーベ島(南極大陸まで約1600km)である。.

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来島

来島(くるしま)は、愛媛県今治市の来島海峡の西側、波止浜湾の入り口、四国から沖合い240mに位置する有人島である。芸予諸島の一部(来島群島)をなし、面積0.04km。島の中央に標高47mの小山があり、かつては来島城もあった。島の南東に来島漁港と集落がある。来島海峡は潮流が速く、潮向も複雑なことからきた「狂う潮」が訛り、「くるしま」となったといわれている。住所表記上は、近傍の小島(おしま)も含まれる。.

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来島海峡

来島海峡大橋 来島海峡(くるしまかいきょう)とは、瀬戸内海中部、愛媛県今治市とその沖の大島との間を隔て、水域においては西の斎灘(いつきなだ)と東の燧灘(ひうちなだ)とを隔てる海峡。日本三大急潮の一つ。付近一帯は瀬戸内海国立公園に属し、糸山公園(いとやまこうえん)を初めとする景勝地が点在する。また、大島の亀老山山頂の展望台から見下ろす来島海峡の眺め、特に暮れなずむ夕景は観光写真等によく登場する。 海峡付近には島が多く、大型船舶の航行はこの海峡によらなければならないが、昔から「一に来島、二に鳴門、三と下って馬関瀬戸」と唄われるように、潮の流れが速く、海の難所として知られている。海峡は間に存する小島(馬島、武志島等)によって、来島ノ瀬戸、西水道、中水道、東水道の4つの狭水道に分けられるが、いずれも狭く、また大きく湾曲している。潮流は速く、加えて小島の影響によりところにより複雑な流向、流速で、流速は時には10ノットにも達することがあり、瀬戸内海のみならず全国的にも有数の船の難所とされる。 また 鳴門海峡・関門海峡と列び、日本三大急潮にあげられている。.

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村上水軍

村上水軍(むらかみすいぐん)は、日本中世の瀬戸内海で活動した水軍(海賊衆)である。その勢力拠点は芸予諸島を中心とした中国地方と四国地方の間の海域であり、その後大まかに能島村上家、因島村上家、来島村上家の三家へ分かれた。 彼らの多くは真言宗徒であり、京都などに数多く菩提寺が残されている。また、今も瀬戸内周辺地域には村上水軍の末裔が多く住む。主な活動は輸送、航行船の破壊・略奪や信書の開封・破棄等を通じた同盟関係の分断、それらを行わずに安全を保障する代わりに瀬戸内海各所の海峡を関所(札浦)に見立てた通航料の徴収である。平時は漁業にも従事した。20世紀まで瀬戸内海で見られた漂海民も、村上水軍の末裔ではないかといわれている。代表的な表紋は「丸に上文字」や「折敷に縮み三文字」など。 なお、2016年(平成28年)4月25日、日本遺産 第二期の19箇所の一つとして「“日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島-よみがえる村上海賊“Murakami KAIZOKU”の記憶-」のタイトルで認定された。村上水軍が活躍した今治市本土と尾道市本土と芸予諸島に42項目の遺産対象がある。.

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波止浜町

波止浜町(はしはまちょう)は愛媛県の越智郡にあった町である。旧野間郡。.

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波止浜港

波止浜港(はしはまこう)は、愛媛県今治市の中北部に位置する港湾。港湾管理者は愛媛県。地方港湾に指定されている。 港口には来島・小島の2島を控え、古来、箱港と呼ばれている。燧灘・斎灘を航行する船舶が、来島海峡の急潮と風波を回避するため利用していたほか、漁港としても利用されてきた。また、湾奥は古くは塩田であり、塩の積出港として発展してきた歴史もある。 港湾は埋め立ての歴史でもある。港内には、今治造船、新来島どっく、浅川造船、檜垣造船等の造船所がひしめき、クレーンが林立し活況を呈している。西側は古くから港町で栄えてきた歴史を感じさせる建築物・構築物もみられ、来島・小島への定期船もこちらの桟橋から発着する。東側は西側に比べると新しく開けたエリアであり、造船所等の集積する工業港区である。.

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日露戦争

日露戦争(にちろせんそう、Русско-японская война 、Russo-Japanese War、1904年(明治37年)2月8日 - 1905年(明治38年)9月5日)は、大日本帝国とロシア帝国との間で朝鮮半島とロシア主権下の満洲南部と、日本海を主戦場として発生した戦争である。両国はアメリカ合衆国の仲介の下で終戦交渉に臨み、1905年9月5日に締結されたポーツマス条約により講和した。講和の結果、ロシア領の南樺太は日本領となり樺太庁が設置され、ロシアの租借地があった関東州については日本が租借権を得て、関東都督府が設置されるなど日本の勝利で終わった。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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愛媛県

愛媛県(えひめけん)は、日本の都道府県の一つで四国地方の北西部から北中部に位置する県。県庁所在地は松山市。令制国の伊予国に当たる。.

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