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富澤赤黄男

索引 富澤赤黄男

富澤 赤黄男(とみざわ かきお、1902年7月14日 - 1962年3月7日)は愛媛県出身の俳人。本名富澤正三(とみざわ しょうぞう)。新興俳句の担い手として、現代詩の一分野としてのモダニズム俳句を追求した。代表句に「蝶墜ちて大音響の結氷期」がある。.

59 関係: 千島列島坪内稔典夏石番矢大阪市川之石町三橋敏雄伊予銀行復本一郎保内町俳句マラリアホトトギス八幡浜市石橋辰之助現代俳句協会秋元不死男生野区西宇和郡高屋窓秋高柳重信齋藤愼爾東成区松根東洋城栗林一石路湊楊一郎新俳句人連盟新興俳句新興俳句弾圧事件日野草城日本通運早稲田大学愛媛県愛媛県立宇和島東高等学校1902年1920年1926年1928年1930年1932年1933年1934年1935年1936年1937年1939年1940年1941年1942年1944年1945年...1946年1948年1951年1952年1958年1961年1962年3月7日7月14日 インデックスを展開 (9 もっと) »

千島列島

千島列島(ちしまれっとう)は、北海道本島の東、根室海峡からカムチャツカ半島の南、千島海峡までの間に連なる列島。クリル列島( Kuril Islands)ともいう。国後島、択捉島、得撫島、幌筵島、占守島などの島々からなる。総面積10355.61km2。 主に得撫島以北を北千島、択捉島以南を南千島と呼ぶ。また、南千島に対する日本の領有権を主張する立場から、これらの島々を北方四島(北方領土)と呼ぶことがある。日本政府は択捉島、国後島、色丹島および歯舞群島を北海道の属島とし、千島列島に属さないとしている。 なお、得撫島から磨勘留島までを中部千島と呼ぶことがあり、本項でも便宜上.

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坪内稔典

坪内 稔典(つぼうち としのり、俳号ではねんてん、1944年4月22日 - )は、日本の俳人。京都教育大学名誉教授。「船団の会」代表。研究者としての専門は日本近代文学で、特に正岡子規に関する著作・論考が多い。.

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夏石番矢

夏石 番矢(なついし ばんや、1955年7月3日 - )は、兵庫県相生市生まれの俳人。明治大学法学部教授(専攻は比較文学)。本名:乾 昌幸。 妻は俳人の鎌倉佐弓。埼玉県富士見市在住。 20代より「俳句研究」「俳句評論」「未定」などで俳句・俳論を発表。代表句として「未来より滝を吹き割る風来たる」田中亜美 「夏石番矢」 『現代の俳人101』 pp.216-217「神々のあくびが桜を枯らすのか」など。多数の著書があり、句集では1冊ごとに新しいスタイルを試みる前衛俳人である須藤徹 「夏石番矢」 『現代俳句ハンドブック』 p.69.

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大阪市

大阪市(おおさかし)は、日本の近畿地方、大阪府のほぼ中央に位置する市で、同府の府庁所在地である。政令指定都市に指定されている。.

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川之石町

川之石町(かわのいしちょう)は、1955年(昭和30年)まで愛媛県西宇和郡にあった町であり、現在の八幡浜市の北西部、佐田岬半島基部の町であった。海運、鉱山で栄え、郡内で2番目に町になるなど発展した。.

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三橋敏雄

三橋 敏雄(みつはし としお、1920年11月8日 - 2001年12月1日)は、俳人。東京都八王子市出身。実家は絹織物業であったが、家業が傾き進学を諦め、書籍取次の東京堂(後に取次部門は日本出版配給に吸収)で働きながら実践商業学校(現実践学園中学・高等学校)夜間部を卒業。1943年召集を受け横須賀海兵団に入団。戦後は1972年まで運輸省所属の練習船事務長として日本丸、海王丸などに勤務した。 俳句は1935年、東京堂の先輩に勧められ社内句会に参加。1936年に「句と評論」「馬酔木」などに投句。1937年渡辺白泉の「風」に参加、白泉に師事し、新興俳句無季派の俳人となる。1938年「広場」同人となり、西東三鬼にも師事。1939年「京大俳句」にも参加するが、新興俳句弾圧事件により終刊に追い込まれた。戦後は西東三鬼主宰の「断崖」、山口誓子主宰の「天狼」同人。同人誌「面」・「俳句評論」同人。1967年、第14回現代俳句協会賞受賞。1986年「壚坶(ローム)」監修。1989年「畳の上」で第23回蛇笏賞受賞。三橋敏雄に強い影響を受け私淑のち師事した俳人に池田澄子、沼尻玲子などがいる。 戦後も無季俳句の好題である戦争にこだわり続けた。代表的な句に「かもめ来よ天金の書をひらくたび」「いつせいに柱の燃ゆる都かな」(以上『まぼろしの鱶』所収)「戦争と畳の上の団扇かな」(『畳の上』所収)などがある。.

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伊予銀行

株式会社伊予銀行(いよぎんこう、英:The Iyo Bank, Ltd.)は、愛媛県松山市に本店を置く大手地方銀行。愛称は「いよぎん」。.

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復本一郎

復本 一郎(ふくもと いちろう、1943年9月5日 - )は、日本の国文学者、俳人。神奈川大学名誉教授。専門は近世・近代の俳文学。俳号は復本鬼ヶ城(おにがじょう)。 愛媛県宇和島市生まれ。神奈川県横浜市で育ち、横浜市立青木小学校、横浜市立栗田谷中学校、神奈川県立横浜翠嵐高等学校を卒業。1966年、早稲田大学第一文学部文学科国文学専修卒業。1972年、同大学院博士課程単位取得満期退学、福岡教育大学助手。1973年、講師、1974年、助教授。同年、『芭蕉における「さび」の構造』で窪田空穂賞(早稲田大学国文学会)受賞。1977年、静岡女子大学文学部助教授。1979年10月、静岡大学人文学部助教授、1988年、教授。同年「本質論としての近世俳論の研究」で早稲田大学文学博士。1989年、神奈川大学経営学部教授。1998年、実験的俳句集団「鬼の会」の機関誌「鬼」(年2回刊)を創刊。2003年、俳句分野の功績に対して第9回横浜文学賞を受賞。2009年、神奈川大学を早期定年退職、名誉教授。.

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保内町

保内町(ほないちょう)は愛媛県の南予地方にあった町である。2005年3月、八幡浜市との一市一町の合併により新しい八幡浜市の一部になった。佐田岬半島の付け根に位置し、柑橘類の生産が盛んであるほか、食料品製造業などの工業も盛んである。明治期に愛媛県内で一番早く電気がともったり、金融機関(今日の銀行)が一番早くできるなど、隣の八幡浜市と共に、文明開化期をリードした。.

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俳句

俳句(はいく)とは、五・七・五の十七音から成る日本語の定型詩である。世界最短の定型詩とされ、十七文字(じゅうしちもじ)、十七音(じゅうしちおん)、十七語(じゅうしちご)とも呼ばれる。俳句の有季定型性を捨象する形で派生した自由律俳句や無季俳句などもある。俳句を詠む(作る)人を俳人と呼ぶ。.

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マラリア

マラリア(麻剌利亜、「悪い空気」という意味の古いイタリア語: mal aria 、Malaria、malaria)は、熱帯から亜熱帯に広く分布する原虫感染症。高熱や頭痛、吐き気などの症状を呈する。悪性の場合は脳マラリアによる意識障害や腎不全などを起こし死亡する。古典などで出てくる瘧(おこり)とは、大抵このマラリアを指していた。 マラリアは予防可能、治療可能な病気である。全世界ではマラリアに年間2.16億人が感染し、うち44.5万人が死亡している(2016年)。.

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ホトトギス

ホトトギス(杜鵑、学名:)は、カッコウ目・カッコウ科に分類される鳥類の一種。特徴的な鳴き声とウグイスなどに托卵する習性で知られている(「ホトトギス目ホトトギス科」と書かれることもあるが、カッコウ目カッコウ科と同じものである)。日本では古来から様々な文書に登場し、杜鵑、杜宇、蜀魂、不如帰「杜鵑」「杜宇」「蜀魂」「不如帰」などは、中国の故事「杜鵑の啼血」にちなむ。故事の節で説明。、時鳥、子規、田鵑など、漢字表記や異名が多い。.

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八幡浜市

八幡浜市街 八幡浜市(やわたはまし)は、愛媛県西端にある佐田岬半島の付け根に位置する市である。北に伊予灘、西に宇和海を望み、丘陵地が多く、海はリアス式海岸が続き、温暖で風光明媚なところである。古くは、九州や関西地方との海上交易が盛んで「伊予の大阪」と謳われ、現在は、年間40万人近くが行き来する西日本有数の八幡浜港を抱え、四国の西の玄関口、西四国の交流・交易活動の拠点として発展してきた。 温暖な気候と地形を生かした柑橘栽培が盛んで、温州みかんは質・量ともに全国有数の産地であり、「日の丸」「真穴」「川上」「蜜る」など全国に知られたブランドみかんを生産している。太陽の直射光、海からの反射光、段々畑の石段の輻射熱の「三つの太陽」を浴びて育ったみかんの美味しさはひとしおである。また、漁業も盛んで、とりわけ有名なのは、四国一の規模を誇る魚市場である。八幡浜港は天然の良港として栄え、中型トロール船団の基地となっており、四季折々のたくさんの種類の魚が水揚げされ、早朝の活気にあふれた市場風景と産直市場である「どーや市場」は、市の名物となっている。.

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石橋辰之助

石橋 辰之助(いしばし たつのすけ、1909年(明治42年)5月2日 - 1948年(昭和23年)8月21日)は、俳人。栗林一石路や橋本夢道とともにプロレタリア俳句運動に尽力した。別号に竹桜子。.

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現代俳句協会

代俳句協会(げんだいはいくきょうかい)は、全国規模の俳句団体。.

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秋元不死男

秋元 不死男(あきもと ふじお、1901年11月3日 - 1977年7月25日)は、神奈川県横浜市出身の俳人。本名は不二雄。前号は東京三(ひがし きょうぞう)。別号に秋元地平線。島田青峰に師事し「土上」「天香」に参加。新興俳句運動に加わり、京大俳句事件に連座して投獄される。戦後は「天狼」参加を経て「氷海」を創刊・主宰。劇作家の秋元松代は妹。息子の秋元近史は『しゃぼん玉ホリデー』を手がけたテレビディレクター・プロデューサー。.

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生野区

生野区(いくのく)は、大阪市を構成する24行政区のうちのひとつ。同市の東南部に位置する。.

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西宇和郡

愛媛県西宇和郡の範囲(緑:伊方町 薄黄:後に他郡に編入された区域) 拡大表示(SVGファイル対応ブラウザのみ) 西宇和郡(にしうわぐん)は、愛媛県の郡。 以下の1町を含む。.

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高屋窓秋

屋 窓秋(たかや そうしゅう、1910年2月14日 - 1999年1月1日)は、俳人。本名正国(まさくに)。従来の写生主義、花鳥諷詠の俳句から離れた句作を行い、昭和初期の新興俳句運動に大きな影響を与えた。代表句に「頭の中で白い夏野となつている」「ちるさくら海あをければ海へちる」「山鳩よみればまはりに雪がふる」など。.

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高柳重信

柳 重信(たかやなぎ しげのぶ、1923年1月9日 - 1983年7月8日)は俳人。本名は高柳重信(しげのぶ)、俳人としては「じゅうしん」を自称した。3行ないし4行書きの多行書きの俳句を提唱・実践し、金子兜太らと共に「前衛俳句」の旗手となった。歌人の高柳蕗子は実子。俳人の中村苑子と事実婚(内縁関係)にあった。.

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齋藤愼爾

齋藤 愼爾(さいとう しんじ、1939年8月25日 - )は日本の俳人、編集者、文芸評論家。朝鮮京城府(現・韓国ソウル市)生まれ。1946年、山形県の飛島に移住。高校時代より句作を開始。1955年、秋沢猛、秋元不死男に師事し、秋本主宰の「氷海」に投句。1959年氷海賞受賞。「孤島の寺山修司」と称されたが、翌年より20年以上の間句作を中断した。 山形大学文理学部国文科を中退後、1963年に深夜叢書社を設立。1973年、堀井春一郎らと『季刊俳句』創刊。1983年、寺山修司らと「雷帝」創刊のために句作を再開。さらに50歳の頃から文筆活動に入る。2010年、『ひばり伝 蒼穹流謫』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2013年、『周五郎伝 虚空巡礼』でやまなし文学賞受賞。法政大学文学部講師。芝不器男俳句新人賞選考委員。 2004年に車谷長吉の私小説「刑務所の裏」で描かれたことで名誉を傷つけられたとして提訴したが、その後和解している。.

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東成区

東成区(ひがしなりく)は、大阪市を構成する24行政区のうちのひとつ。.

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松根東洋城

金剛山大隆寺) 松根 東洋城(まつね とうようじょう、1878年2月25日 - 1964年10月28日)は俳人。本名は豊次郎で俳号はこれをもじったもの。夏目漱石の門下生。.

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栗林一石路

栗林 一石路(くりばやし いっせきろ、1894年(明治27年)10月14日 - 1961年(昭和36年)5月25日)は、日本の俳人である。プロレタリア俳句運動の中心的存在としてだけでなく、小林一茶の評論研究家としても知られる。本名は栗林農夫(くりばやしたみお)。.

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湊楊一郎

湊 楊一郎(みなと よういちろう、1900年(明治33年)1月1日 - 2002年(平成14年)1月2日)は、俳人。新興俳句運動の理論的支柱として知られる。本名は久々湊与一郎(くくみなとよいちろう)。.

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新俳句人連盟

新俳句人連盟(しんはいくじんれんめい)は、日本の俳句団体。戦時下に弾圧を受けた新興俳句運動、プロレタリア俳句運動に関わった俳人が中心となり、1946年5月に設立。設立時の幹事長は栗林一石路、のち委員長制となり石橋辰之助が就任。戦時中の翼賛組織日本文学報国会俳句部会の俳壇支配に対し、民主的俳句運動を推進することを意図して組織された。活動目的として、俳句本質の究明、現代俳句の確立、封建的結社制度と意識の排除などを掲げた。同年11月より機関誌『俳句人』創刊。しかし翌年、政治と文学の問題をめぐり連盟内で対立が起こり、秋元不死男、西東三鬼、富澤赤黄男、平畑静塔などの有力俳人が脱退し、後に現代俳句協会を設立。以後は一石路、赤城さかえ、橋本夢道、古沢太穂、横山林二、見學玄、佐藤雀仙人らが政治性・社会性を鮮明にした活動を展開し、一石路の死後は古沢太穂が長きに渡り牽引した。会員は2008年に1000人に到達。地方支部は35を数える。また1972年より新俳句人連盟賞、評論賞(会員、非会員問わず応募可能)を公募、主催している。.

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新興俳句

新興俳句(しんこうはいく)とは昭和初期に始まった新俳句運動である。 1931年(昭和6年)、水原秋桜子は主宰誌「馬酔木」に「自然の真と文芸上の真」を発表し、高浜虚子の主張する花鳥諷詠俳句が些末な草の芽俳句を生み出しているとして、自然の真という素材を己のうちに溶かし込み、鍛錬加工した文芸上の真を求めようとした。 「馬酔木」独立の挙であったが、これがいわゆる伝統俳句からの脱却の端緒となった。秋桜子の主張は若い俳人の共感を得て「天の川」「土上」「句と評論」などの俳誌も活発に俳句の近代化を進めはじめた。近代的、都会的抒情の確立の運動でもあった。 「馬酔木」には、新素材の拡充と構成的手法によって注目されていた山口誓子が加入、叙情性豊かな作句をする秋桜子とともに新風の先頭にたった。 この新運動は連作俳句に積極的に取り組み、金児杜鵑花(「俳句月刊」主幹)によって、「新興俳句」の名称を与えられた。しかし連作俳句中の個と全、季語の有無が問題となり、無季や超季の容認まで行われるに及んで、秋桜子、誓子は無季俳句批判を行い1936年ごろよりこの運動から離れた。これ以降を後期と呼ぶ。 新興俳句は、秋桜子、誓子の離脱にも拘らず、反ホトトギス、反伝統の大きな潮流となった。モダニズム、ダダイスム、反戦的ニヒリズムなど様々な潮流もこれに合流した。 1935年、日野草城の「旗艦」が創刊され、俊秀を集め、「京大俳句」「土上」「句と評論」、新誌「傘火」(かさび)、「自鳴鐘(とけい)」などとともに、さまざまの芸術派的、社会派的試みを重ねた。 最初の総合俳誌である「俳句研究」(改造社)もこの運動に共感を示した。 日中戦争の始まった時期で、想像力による戦火想望俳句も試みられ、さらに厭戦句もつくられた。ついに1940年から1941年にかけて、「京大俳句」「土上」などの主要メンバーが治安維持法違反として検挙され、この運動は壊滅に至った。新興俳句運動は、現代俳句の母胎となる画期的な俳句革新運動であり、多くの秀作を残した。 代表的な俳人には、先述の水原秋桜子、山口誓子の他に、前期では高屋窓秋、石橋辰之助、横山白虹、篠原鳳作など。 後期では、平畑静塔、日野草城、西東三鬼、 富沢赤黄男、渡辺白泉、東京三(秋元不死男)などがいる。 新興俳句にかかわった俳人の多くは、戦後、日野草城の「太陽系」のちの「青玄」、山口誓子の「天狼」などに結集したが、新興俳句運動の名は消滅した。.

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新興俳句弾圧事件

俳句弾圧不忘の碑」(長野県上田市「無言館」近辺「槐多庵」前庭)http://showahaiku.exblog.jp/ 新興俳句弾圧事件(しんこうはいくだんあつじけん)あるいは昭和俳句弾圧事件とは1940年から1943年の間に行なわれた、治安維持法に基づく、新興俳句の俳句誌・俳人に対する一連の言論弾圧事件の総称である。対象となった俳人が逮捕され、俳句紙の多くは廃刊に追い込まれた。契機となった「京大俳句」への弾圧事件を「京大俳句事件」とも言う。.

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日野草城

日野 草城(ひの そうじょう、1901年(明治34年)7月18日 - 1956年(昭和31年)1月29日)は東京都出身の俳人。本名は克修(よしのぶ)。「ホトトギス」で学んだ後、「旗艦」を創刊、女性のエロスを主題とした句や無季俳句を作り、昭和初期の新興俳句運動を主導。戦後は「青玄」を創刊・主宰し一転して静謐な句を作った。.

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日本通運

日本通運株式会社(にっぽんつううん、Nippon Express Co., Ltd.)は、大手物流業者である。総合物流国内最大手で、災害対策基本法における指定公共機関。通称は「日通」「NIPPON EXPRESS」など。.

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早稲田大学

大隈重信立像(朝倉文夫作) 登台した学生は退学の内規あり 東京専門学校 大正時代の早稲田大学の正.

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愛媛県

愛媛県(えひめけん)は、日本の都道府県の一つで四国地方の北西部から北中部に位置する県。県庁所在地は松山市。令制国の伊予国に当たる。.

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愛媛県立宇和島東高等学校

愛媛県立宇和島東高等学校(えひめけんりつうわじまひがしこうとうがっこう)は、愛媛県宇和島市にある公立の高等学校である。体育祭「思へば過ぎし」の男子は上半身裸の体操として有名。野球部は1988年(昭和63年)の第60回選抜高等学校野球大会に初出場で初優勝し、その後は数多くのプロ野球選手、大リーグ選手も輩出している。.

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1902年

記載なし。

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1920年

記載なし。

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1926年

記載なし。

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1928年

記載なし。

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1930年

記載なし。

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1932年

記載なし。

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1933年

記載なし。

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1934年

記載なし。

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1935年

記載なし。

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1936年

記載なし。

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1937年

記載なし。

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1939年

記載なし。

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1940年

記載なし。

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1941年

記載なし。

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1942年

記載なし。

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1944年

記載なし。

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1945年

この年に第二次世界大戦が終結したため、世界史の大きな転換点となった年である。.

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1946年

記載なし。

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1948年

記載なし。

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1951年

記載なし。

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1952年

この項目では、国際的な視点に基づいた1952年について記載する。.

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1958年

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1961年

記載なし。

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1962年

記載なし。

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3月7日

3月7日(さんがつなのか)は、グレゴリオ暦で年始から66日目(閏年では67日目)にあたり、年末まであと299日ある。.

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7月14日

7月14日(しちがつじゅうよっか、しちがつじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から195日目(閏年では196日目)にあたり、年末まであと170日ある。誕生花はノウゼンカズラ、ハナトラノオ。.

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