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宮川一夫

索引 宮川一夫

宮川 一夫(みやがわ かずお、1908年2月25日 - 1999年8月7日)は日本映画界を代表する映画カメラマンである。主に京都太秦、大映映画の時代劇における陰影ある斬新な撮影で稲垣浩、溝口健二や黒澤明らが監督する作品のカメラマンとして世界に知られる。本名は、宮川一雄。.

141 関係: 加戸敏おとうと (1960年の映画)ど根性物語 銭の踊りはなれ瞽女おりんぼんちある殺し屋千羽鶴 (小説)千葉泰樹台湾総督府吉村公三郎坂本九増村保造大正大河内傳次郎大映太秦夜の河女系家族女殺油地獄妖婆安田公義小国英雄小石栄一小池一夫小津安二郎山田隆之山椒大夫山本薩夫岡本喜八島耕二川口松太郎川喜多賞与話情浮名横櫛中島丈博市川崑三隅研次久見田喬二座頭市と用心棒座頭市千両首京マチ子京都大学医学部附属病院京都学園中学校・高等学校京都市京都府井上昭井手雅人今井正伊丹万作伊藤大輔 (映画監督)佐々木康...影武者 (映画)依田義賢マキノ雅弘トリスウイスキーパンドーラー刺青 (小説)和田夏十アスミック・エースキネマ旬報社シネプレックス (企業)ソビエト連邦サントリー八尋不二勝新太郎石松愛弘祇園囃子 (1953年の映画)禁忌稲垣浩篠田正浩羅生門 (1950年の映画)羅生門 (小説)炎上 (映画)用心棒田中徳三田中澄江田村孟無法松の一生瀧の白糸瀬戸内少年野球団白坂依志夫銀残し鍵 (1959年の映画)荒井良平菊島隆三青砥稿花紅彩画衣笠貞之助高岩肇谷川俊太郎鴛鴦歌合戦越前竹人形黒澤明齋藤武市近代映画協会近松物語舞姫赤線地帯藤本義一 (作家)野上龍雄長谷川一夫雨月物語PHP研究所東宝東京オリンピック (映画)東横映画松田定次森一生橋本忍毎日映画コンクール水木洋子池広一夫河原町御池渡辺実 (映画監督)渡辺浩清水邦夫溝口健二木村恵吾朱雀門成沢昌茂浪人街 (1990年の映画)浮草 (映画)新・平家物語 (映画)新藤兼人日活日本人日本映画日本放送協会撮影監督悪名悪霊島曽根崎心中時代劇1908年1935年1952年1960年1964年東京オリンピック1985年1992年1999年2月25日8月7日 インデックスを展開 (91 もっと) »

加戸敏

加戸 敏(かと びん、raizofan.net, 2009年10月15日閲覧。、明治40年(1907年)6月20日 - 昭和57年(1982年)7月27日)は、日本の映画監督、脚本家、競馬解説者である。本名は加藤 善太郎(かとう ぜんたろう)。.

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おとうと (1960年の映画)

『おとうと』は、1960年11月1日に公開された日本映画。 幸田文の同名小説(『おとうと』 中央公論社版)の映画化で、脚本は水木洋子、監督は市川崑。製作・配給は大映(東京撮影所)。宮川一夫により撮影された映像は、映画初の銀残しといわれる手法で現像され、独特の映像美が施されている。 キネマ旬報ベストワン、監督賞受賞作品。 1976年には、山根成之監督によりリメイクされている。その時はげんを浅茅陽子が、碧郎を郷ひろみが演じ話題になった。.

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ど根性物語 銭の踊り

『ど根性物語 銭の踊り』(どこんじょうものがたり ぜにのおどり)は、1964年5月2日に公開された日本映画。.

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はなれ瞽女おりん

『はなれ瞽女おりん』(はなれごぜおりん)は、水上勉が1975年に発表した小説(新潮社刊)。またそれを原作とした映画である。.

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ぼんち

ぼんちとは、.

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ある殺し屋

『ある殺し屋』(あるころしや)は、1967年に日本で製作されたカラー映画。.

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千羽鶴 (小説)

『千羽鶴』(せんばづる)は、川端康成の長編小説。川端の戦後の代表作の一つで、芸術院賞を受賞した作品である「あとがき」(『川端康成全集第15巻 千羽鶴・山の音』新潮社、1953年2月)。に所収「解題」()。亡き不倫相手の成長した息子と会い、愛した人の面影を宿すその青年に惹かれた夫人の愛と死を軸に、美しく妖艶な夫人を志野茶碗の精のように回想する青年が、夫人の娘とも契る物語山本健吉「解説」()。匂うような官能的な夫人の肉感に象徴される形見の志野茶碗の名器の感触と幻想から生まれる超現実な美的世界と、俗悪に堕した茶の湯の世界の生々しい人間関係が重なり合って描かれている「解説」(『日本の文学38 川端康成集』中央公論社、1964年3月)。、。 続編に未完の『波千鳥』(なみちどり)があり、近年はこれと合わせて一つの作品として扱われ、論じられることが多い。.

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千葉泰樹

千葉 泰樹(ちば やすき、1910年(明治43年)6月24日 - 1985年(昭和60年)9月18日)は、日本の映画監督。.

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台湾総督府

台湾総督府(たいわんそうとくふ、旧字体:臺灣總督府)は、日清戦争の結果清国から割譲された台湾を統治するために設置された日本の出先官庁。 台北市に設置された台湾総督府本庁舎は、今日でも中華民国の総統府として使用されている。.

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吉村公三郎

吉村 公三郎(よしむら こうざぶろう、1911年9月9日 - 2000年11月7日)は、昭和期の映画監督である。兄はフランス文学者の吉村正一郎。4人の子供を儲け、長男は元NHK解説委員の吉村秀實。映画監督の西村昭五郎は、いとこ。.

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坂本九

坂本 九(さかもと きゅう、本名:大島 九(おおしま ひさし)、1941年12月10日 - 1985年8月12日)は、日本の俳優・タレント・歌手・司会者。神奈川県川崎市川崎区出身。愛称は九ちゃん(きゅうちゃん)。 妻は女優の柏木由紀子。柏木との間に娘が2人おり、長女は大島花子、次女は舞坂ゆき子。実祖父は茨城県田伏村(現:かすみがうら市)出身の漁師坂本金吉金吉は秋田県山本郡芦崎(現三種町)に止宿したとき、霞ケ浦でワカサギ・シラウオ・エビ等が乱獲のため水揚げが減少しているのに八郎潟では豊富であることから打瀬船(うたせぶね)の漁法を地域に伝授し、また、家族を呼び寄せて佃煮原料に加工して東京に送って利益を得た。子供たちは芦崎の小学校を出たが、坂本家は大正年代に川崎に移り住んだ。1970年、父・寛の母校体育館で九は歌い、その後、豪華な舞台用の幕一式を寄贈している。『秋田県の不思議事典』(2002)pp.164-165。またサックス奏者の阿部薫は甥(姉の息子)。 『上を向いて歩こう』や『見上げてごらん夜の星を』、『明日があるさ』など数多くのヒット曲を出し、全世界におけるレコードの売上は1500万枚以上に達した。また、映画や舞台の俳優、テレビ番組の司会など活動は多岐に渡り活動していたが、1985年(昭和60年)8月12日に起きた日本航空123便墜落事故で帰らぬ人となった。.

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増村保造

増村 保造(ますむら やすぞう、1924年8月25日 - 1986年11月23日)は、日本の映画監督、脚本家である。.

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大正

大正(たいしょう)は日本の元号の一つ。明治の後、昭和の前。大正天皇の在位期間である1912年(明治45年/大正元年)7月30日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの期間。.

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大河内傳次郎

大河内 傳次郎(おおこうち でんじろう、新字体:伝次郎、1898年2月5日(戸籍上は3月5日)- 1962年7月18日)は、日本の映画俳優。本名は大邊 男(おおべ ますお)。 戦前を代表する時代劇スターの一人であり、阪東妻三郎、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門、長谷川一夫とともに「時代劇六大スタア」と呼ばれた。サイレント期は、伊藤大輔監督・唐沢弘光撮影のトリオで『忠次旅日記』『新版大岡政談』などの名作を生んだ。感ただよう演技とスピード感あふれる殺陣で、従来の時代劇スターの定型を破り、人気を不動のものとした。当たり役は丹下左膳で、トーキー時代の作品では地元の豊前なまりで「シェイハタンゲ、ナハシャゼン(姓は丹下、名は左膳)」と言う決めゼリフで人気を得た。戦後は大物の助演者として活躍した。京都に大河内山荘を造営したことでも知られる。.

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大映

大映株式会社(だいえい)は、.

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太秦

広隆寺と嵐電 木嶋坐天照御魂神社 太秦(うずまさ)は、京都市右京区の地名。.

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夜の河

『夜の河』(よるのかわ)は、1952年に発表された澤野久雄の小説。澤野の作品としては三度目の芥川賞候補となるが落選。しかし1956年に山本富士子主演で映画化され、代表作となった。また1961年と1963年にはテレビドラマ化もされた。.

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女系家族

『女系家族』(にょけいかぞく)は、山崎豊子の小説。『週刊文春』に連載され、1963年、単行本が文藝春秋新社から全2巻で刊行された。1966年に全1冊の新潮文庫版が刊行された(のち、2002年に上下2分冊で再刊された)。女系が続く老舗問屋の養子婿が死んだことで巻き起こる娘たちの遺産相続争いを描いた作品。 日本テレビ系列でテレビドラマ化された唯一の山崎豊子作品であり(詳細は後述を参照)、現在までに映画化および再三に亘るテレビドラマ化がなされている。.

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女殺油地獄

『女殺油地獄』(おんなころし あぶらのじごく)は、近松門左衛門作の人形浄瑠璃。世話物。三段。 享保6年(1721年)に人形浄瑠璃で初演。人気の近松作品と言うことで歌舞伎でも上演されたが、当時の評判は芳しくなく、上演が途絶えていた。ちなみに、実在の事件を翻案したというのが定説だが、その事件自体の全容は未詳である。 明治になってから坪内逍遙の「近松研究会」で取り上げられ、明治42年(1909年)に歌舞伎で再演され大絶賛された。文楽(人形浄瑠璃)での復活はそれから更に年月を経た昭和27年(1947年)であった。 近年では歌舞伎、文楽の他に、映画化やテレビドラマ化もされており、「おんなごろし あぶらのじごく」と発音されることが多い。.

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妖婆

『妖婆』(ようば)は1976年(昭和51年)10月16日公開の日本映画。大映製作・松竹配給。カラー97分。 芥川龍之介の短編をもとに今井正監督、水木洋子脚本、京マチ子主演で製作された和製オカルトホラー映画。.

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安田公義

安田 公義(やすだ きみよし、1911年2月15日 - 1983年7月26日)は、日本の映画監督である。日活京都撮影所に入社、日活が戦時統合で大映になってからも同撮影所が改称した大映京都撮影所で、一貫して時代劇を撮りつづけた。.

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小国英雄

小国 英雄(おぐに ひでお、1904年(明治37年)7月9日 - 1996年(平成8年)2月5日)は青森県八戸市出身の映画監督、脚本家。.

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小石栄一

小石 栄一(こいし えいいち、1904年9月7日 - 1982年10月21日『日本映画人名事典 監督篇』、キネマ旬報社、1997年 ISBN 4873762081, p.308-310.

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小池一夫

小池 一夫(こいけ かずお、本名及び僧号: 俵谷 星舟〈たわらや せいしゅう〉、旧名: 譲〈たわらや ゆずる〉、作詞家としての別名: 東 文彦〈あずま ふみひこ〉、1936年5月8日 - )は、日本の漫画原作者、小説家、脚本家、作詞家、作家。秋田県大仙市出身。男性、身長183cm、血液型はB型。1976年までは小池 一雄。 大阪芸術大学キャラクター造形学科教授(学科長)、神奈川工科大学情報学部情報メディア学科教授、大阪エンタテインメントデザイン専門学校教授を歴任した。出版社の小池書院元編集長。中央大学法学部卒。別筆名に小池一雄、緒塚敬吾、イゴル・キニスキー等がある。 漫画原作作品に『子連れ狼』(画: 小島剛夕)、『御用牙』(画: 神田たけ志)、『高校生無頼控』(画: 芳谷圭児)、『修羅雪姫』(画: 上村一夫)、『クライング フリーマン』(画: 池上遼一)、『オークション・ハウス』(画: 叶精作)、小説に『乾いて候』、『夢源氏剣祭文』がある。初期の『ゴルゴ13』(さいとう・たかを)にも関わっている。 「漫画はキャラ起てが大事だ」が信条。インパクトのあるキャラクターを動かし、世界的な謀略劇の中を鍛え上げた肉体を駆使して駆け抜けるというハッタリの効いた壮大な筋が身上。「キャラクター原論」の提唱者である。.

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小津安二郎

小津 安二郎(おづ やすじろう、1903年(明治36年)12月12日 - 1963年(昭和38年)12月12日)は、日本の映画監督・脚本家。「小津調」と称される独特の映像世界で優れた作品を次々に生み出し、世界的にも高い評価を得ている。「小津組」と呼ばれる固定されたスタッフやキャストで映画を作り続けたが、代表作にあげられる『東京物語』をはじめ、女優の原節子と組んだ作品群が特に高く評価されている。伊勢松阪の豪商・小津家の子孫にあたり、一族には国学者の本居宣長がいる。.

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山田隆之

山田 隆之(やまだ たかゆき、1923年5月14日 - 1994年5月16日)は、日本の脚本家。.

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山椒大夫

山椒大夫」(さんしょうだゆう)は、説話「さんせう太夫」をもとにした森鴎外による小説で、鴎外の代表作の一つである。.

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山本薩夫

山本 薩夫(やまもと さつお、1910年7月15日 - 1983年8月11日)は、日本の映画監督である。鹿児島県出身。早稲田大学文学部独文科中退。甥たち(兄山本勝巳の子)が、俳優の山本學、山本圭、山本亘で、自身の作品への配役も多い。息子の山本駿、山本洋も映画監督。.

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岡本喜八

岡本 喜八(おかもと きはち、1924年2月17日 - 2005年2月19日)は日本の映画監督。本名は岡本 喜八郎(おかもと きはちろう)。.

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島耕二

島 耕二(しま こうじ、本名・鹿児島武彦、1901年2月16日 - 1986年9月10日)は、日本の俳優、映画監督。女優の大谷良子、片山夏子、轟夕起子は元妻キネマ旬報社, p.149-150.

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川口松太郎

川口 松太郎(かわぐち まつたろう、1899年(明治32年)10月1日 - 1985年(昭和60年)6月9日)は日本の小説家、劇作家、日本芸術院会員、戦後の大映映画の専務。本名松田松一とする資料もある。松田昌一の名で映画脚本も手がける。 東京市浅草区浅草今戸町(現在の東京都台東区今戸)出身。学歴は石浜小学校卒業。後妻は女優の三益愛子。三益との子は俳優の川口浩(長男)、川口恒(次男)、川口厚(三男)。、元女優で陶芸家の川口晶(国重晶)(長女)。.

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川喜多賞

川喜多賞(かわきたしょう)とは、長年の努力により日本映画の芸術文化の発展に甚大なる功績を残した個人・団体に対して、今後の芸術文化への貢献を期待する意味も込めて公益財団法人川喜多記念映画文化財団から贈られる賞である。日本の映画関係者にとっては最も名誉ある賞の一つとして認知されている。授賞式は年1回、川喜多かしこの命日である7月27日に行われ、受賞者には宝塔・賞状のほか、副賞として金100万円が贈られる。.

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与話情浮名横櫛

『与話情浮名横櫛』(よわなさけうきなのよこぐし)とは、歌舞伎の演目のひとつ。嘉永6年(1853年)5月、江戸中村座にて初演。九幕十八場。三代目瀬川如皐作。通称『切られ与三』(きられよさ)、『お富与三郎』(おとみよさぶろう)、『源氏店』(げんやだな)など。世話物の名作のひとつに数えられる。.

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中島丈博

中島 丈博(なかじま たけひろ、1935年11月12日 - )は、日本の脚本家、小説家、映画監督。京都府生まれ、高知県中村市(現・四万十市)育ち。.

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市川崑

市川 崑(いちかわ こん、幼名:市川 儀一、1915年(大正4年)11月20日 - 2008年(平成20年)2月13日)は、日本の映画監督、アニメーター。 娯楽映画から実験的映画、更にはテレビ時代劇ドラマまでを幅広く手がけ、昭和の日本映画黄金期から21世紀初頭まで、第一線で映画制作に取り組んだ。代表作に『ビルマの竪琴』『炎上』『おとうと』『野火』『東京オリンピック』『犬神家の一族』『細雪』など。.

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三隅研次

三隅 研次(みすみ けんじ、1921年3月2日 - 1975年9月24日)は、映画監督。代表作は、勝新太郎を主演に起用した「座頭市」シリーズや、市川雷蔵主演の「剣」三部作、「眠狂四郎」シリーズ、若山富三郎を主役に据えた映画版『子連れ狼』シリーズなど。.

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久見田喬二

久見田 喬二(くみた きょうじ、1903年 - 没年不明)は、日本の映画監督、脚本家である。名は-喬司あるいは-喬次とも書き、組田 彰造(-しょうぞう)とも名乗った。「影造」は誤り。.

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座頭市と用心棒

『座頭市と用心棒』(ざとういちとようじんぼう)は、1970年1月15日に公開された日本映画。.

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座頭市千両首

『座頭市千両首』(ざとういちせんりょうくび)は、1964年の日本映画。勝新太郎の代表作、座頭市シリーズの第六作。 第二作『続・座頭市物語』から2年・4作ぶりに、勝と、その兄である城健三朗.

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京マチ子

京 マチ子(きょう マチこ、1924年(大正13年)3月25日 別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.34.

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京都大学医学部附属病院

国立大学病院 特定技能病院 京都大学医学部附属病院(こくりつだいがくびょういん とくていぎのうびょういん きょうとだいがくいがくぶふぞくびょういん)は、京都市左京区聖護院川原町54にある京都大学医学部の附属病院である。.

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京都学園中学校・高等学校

京都学園中学校・高等学校(きょうとがくえんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、京都府京都市右京区花園寺ノ中町にある共学の私立中学校・高等学校。.

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京都市

京都タワーと京都中心部 京都市中心部四条河原町 京都市(きょうとし )は、京都府南部に位置し、同府最大の市で、府庁所在地である。政令指定都市に指定されており、11区を置く。日本の市で8番目の人口を有する。延暦十三年(794年)から明治二年(1869年)までの1,000年以上にわたって日本の都が置かれていたため、古都として認識されている。.

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京都府

京都府(きょうとふ)は、日本の近畿地方の都道府県の一つ。延暦13年(794年)の平安京遷都以来、天皇の御所がある。令制国でいう山城国の全域、丹波国の東部および丹後国の全域を府域とする。府庁所在地は京都市。.

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井上昭

井上 昭(いのうえ あきら、1928年12月10日 - )は、日本の映画監督。京都府出身。京都商業学校を経て、同志社大学文学部英文科卒業。.

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井手雅人

井手 雅人(いで まさと、1920年1月1日 - 1989年7月17日)は、日本の脚本家、小説家。.

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今井正

今井 正(いまい ただし、1912年1月8日 - 1991年11月22日)は、日本の映画監督。 戦後日本映画の左翼ヒューマニズムを代表する名匠である。東京帝国大学中退後、東宝の前身J.O.スタヂオに入り、入社2年で監督に昇進。戦後は独立プロ運動の中心人物として数多くの社会派映画を手がけた。『純愛物語』でベルリン国際映画祭銀熊賞 (監督賞)、『武士道残酷物語』で同映画祭グランプリを受賞、キネマ旬報ベスト・テンでは5本の監督作がベスト・ワンに選出されるなど、賞歴も多く作品の評価は高い。日本映画復興会議初代議長でもある。主な監督作に『青い山脈』『また逢う日まで』『真昼の暗黒』『キクとイサム』など。.

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伊丹万作

伊丹 万作(いたみ まんさく、1900年1月2日 - 1946年9月21日)は、日本の映画監督、脚本家、俳優、エッセイスト、挿絵画家。本名は池内 義豊(いけうち よしとよ)。 「日本のルネ・クレール、KINENOTE、2015年2月3日閲覧」と呼ばれた知性派の監督で、挿絵画家として活躍後、同窓の伊藤大輔の勧めで映画界に入り、日本大百科全書、コトバンク、2015年2月3日閲覧、片岡千恵蔵プロダクションへ入社。作風は風刺と諧謔、人間味に富み、これまでの立ち回り主体の時代劇とは一線を画す現代的な時代劇佐藤2007、p.49で稲垣浩とともに新生面を開いたこれらの時代劇は「髷をつけた現代劇」と呼ばれた。その後は闘病生活を余儀なくされるが、シナリオ執筆や映画論、社会批評など著述に専心した。主な監督作に『國士無双』『赤西蠣太』、シナリオに『無法松の一生』『手をつなぐ子等』など。長男は映画監督・俳優の伊丹十三、長女は大江健三郎夫人の大江ゆかり、孫は俳優の池内万作、池内万平。.

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伊藤大輔 (映画監督)

伊藤 大輔(いとう だいすけ、1898年10月12日 - 1981年7月19日)は、日本の映画監督、脚本家である。時代劇映画の基礎を作った名監督の一人であり、「時代劇の父」とも呼ばれる。.

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佐々木康

佐々木 康(ささき やすし、1908年1月25日 - 1993年9月13日)は、昭和期の映画監督。法政大学本科国文科中退。松竹、東映、東映テレビプロダクションに属した。早撮りの名人として知られ、松竹時代は歌謡映画、東映時代は時代劇映画、東映テレビ時代はテレビ時代劇のヒット作を連発する。映画作品168本、テレビ作品500本弱を撮った、典型的なプログラムピクチャーの監督である。.

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影武者 (映画)

『影武者』(かげむしゃ)は、1980年(昭和55年)に公開された日本映画。東宝配給。監督は黒澤明、主演は仲代達矢。カラー、ビスタ、179分。第33回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した『昭和55年 写真生活』p10-11(2017年、ダイアプレス)。 黒澤が『デルス・ウザーラ』以来5年ぶりに撮った映画で、久しぶりの時代劇となった。彼の作品では唯一、実在の戦国武将にまつわるエピソードを取り上げたスペクタクル巨編で、戦国時代に小泥棒が武田信玄の影武者として生きる運命を背負わされた悲喜劇を描く。外国版プロデューサーとして、黒澤を敬愛するフランシス・フォード・コッポラ、ジョージ・ルーカスが名を連ねた。勝新太郎の降板劇など公開前から話題を呼び、当時の日本映画の歴代映画興行成績(配給収入)1位を記録し、1983年に蔵原惟繕監督の『南極物語』に抜かれるまで破られなかった。.

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依田義賢

依田 義賢(よだ よしかた、1909年4月14日 - 1991年11月14日)は、日本の脚本家である。溝口健二監督の最盛期の作品で知られ、後年は大阪芸術大学映像学科教授を務めた。.

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マキノ雅弘

マキノ 雅弘(マキノ まさひろ、1908年2月29日 - 1993年10月29日)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、録音技師、俳優、実業家である。本名は牧野 正唯(まきの まさちか)である。 父は「日本映画の父」と呼ばれた牧野省三。父の死後マキノ・プロダクション撮影部長、松竹太秦撮影所長などを歴任、生涯に261本もの劇場映画を監督・製作し、日本映画の黄金時代を築いた。沖縄アクターズスクール開設者のマキノ正幸は実子。 甥の津川雅彦が映画監督を務めた際、マキノ雅彦の名義を用いた。.

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トリスウイスキー

トリスウイスキー(Torys Whisky)は、サントリースピリッツが製造し、サントリー酒類(二代目)が販売するブレンデッド・ウイスキーのブランド一つである。サントリーホールディングスの登録商標(第667200号他)。 発売以来中身は改良を重ねており、1989年3月以前の酒税法改正(ウイスキーの等級廃止)前まではモルト・ウイスキーとグレーン・ウイスキー、スピリッツ(ブレンド用アルコール)のブレンドであり、モルト使用率も極めて低かったが、1989年4月以降の酒税法改正後の製品よりモルト・ウイスキーとグレーン・ウイスキーをブレンドしたブレンデッド・ウイスキーに変更された。戦後の洋酒ブームの火付け役となった廉価系ジャパニーズ・ウイスキーの代表的存在としてその名を知られている。なお、2017年(平成29年)現在は『トリス〈クラシック〉』と『トリスハイボール缶』を主軸にラインアップを展開している。.

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パンドーラー

パンドーラー」 ジュール・ジョゼフ・ルフェーブル (1882) パンドーラー(Πανδώρα, Pandōrā)は、ギリシア神話に登場する女性で高津春繁 『ギリシア・ローマ神話辞典』 岩波書店 1960年、200頁。、神々によって作られ人類の災いとして地上に送り込まれた。人類最初の女性とされる。パン(Παν)は「全てのもの」であり、パンドーラーは「全ての贈り物」を意味する。 また日本では長音符を付けずにパンドラとも表記されている。 現在伝わっている神話では人間とされているが、かつては地母神であり芝崎みゆき『古代ギリシアがんちく図鑑』バジリコ、2006年、36,38,44頁。、陶器に描かれた絵に神々に作られたパンドーラーが大地から出現する表現が見られることから、地下から恵みをもたらす豊穣神だったと考えられている。 彼女が開けたパンドーラーの箱(甕)(パンドーラーのはこ)についても、本項で併せて詳述する。 また、人類最初の女性であるパンドーラーとは別に、アッティカ王エレクテウスの娘にも同名の人物がいる。.

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刺青 (小説)

『刺青』(しせい)は、谷崎潤一郎の短編小説。谷崎本人が処女作だとしている短編で河盛好蔵「解説」()、皮膚や足に対するフェティシズムと、それに溺れる男の性的倒錯など、その後の谷崎作品に共通するモチーフが見られる初期の作品である「谷崎潤一郎作品案内」()。1910年(明治43年)11月、同人誌の第二次『新思潮』第3号に掲載された。単行本は、翌1911年(明治44年)12月に籾山書店より刊行された「主要著作目録」()。.

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和田夏十

和田 夏十(わだ なっと、1920年(大正9年)9月13日 - 1983年(昭和58年)2月18日)は、兵庫県姫路市出身の脚本家。映画監督・市川崑の妻。本名は市川 由美子(いちかわ ゆみこ)、旧姓は茂木(もぎ)。.

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アスミック・エース

アスミック・エース株式会社(Asmik Ace, Inc.)は、日本の映画製作・配給会社。海外映画の買い付けや版権の管理、ビデオ(DVD)ソフトの販売などを行っている。かつてはゲームソフト開発・販売も行っていた。 株主は、ジュピターテレコム(J:COM)100%。.

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キネマ旬報社

株式会社キネマ旬報社(キネマじゅんぽうしゃ)は、日本の出版社。『キネマ旬報』をはじめとして、数々の映画業界関連、映像エンタテインメント関連の雑誌・ムック・書籍を発行している。 2008年1月、親会社で業界誌『ビデオ・インサイダー・ジャパン』、『DVDナビゲーター』を発行するフットノート(映画配給会社ギャガ・コミュニケーションズの出版事業部が前身/沿革を参照)と合併した。.

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シネプレックス (企業)

ネプレックス株式会社(シネプレックス、Cineplex inc.)とは、シネマコンプレックスの「シネプレックス」や単館系映画を上映するミニシアター「ガーデンシネマ」を運営していた会社である。角川書店の子会社であったが、2013年3月29日、ユナイテッド・シネマの親会社であるユナイテッド・エンターテインメント・ホールディングスに譲渡され、同年6月1日にユナイテッド・シネマ株式会社に合併し消滅した。.

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ソビエト連邦

ビエト社会主義共和国連邦(ソビエトしゃかいしゅぎきょうわこくれんぽう、Союз Советских Социалистических Республик)は、1922年から1991年までの間に存在したユーラシア大陸における共和制国家である。複数のソビエト共和国により構成された連邦国家であり、マルクス・レーニン主義を掲げたソビエト連邦共産党による一党制の社会主義国家でもある。首都はモスクワ。 多数ある地方のソビエト共和国の政治および経済の統合は、高度に中央集権化されていた。.

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サントリー

ントリー は、大阪市北区に本社を置く、日本の洋酒、ビール、清涼飲料水の製造・販売等を行う企業グループの総称およびブランド。事業の主要な部分はアルコール飲料だが、1980年代以降清涼飲料においても一定の地位を築いた。 かつてはサントリー株式会社を中心とするグループであったが、2009年(平成21年)4月1日よりサントリーホールディングス株式会社(Suntory Holdings Limited)を中心とした持株会社制に移行。本項ではこれについても記述する。.

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八尋不二

八尋 不二(やひろ ふじ、1904年7月18日 - 1986年11月9日)は、日本の脚本家である。本名-實(-みのる)。昭和初年のサイレント映画時代末期から500本のシナリオを執筆、トーキー黎明期の京都にかつて存在した脚本家集団「鳴滝組」に参加、映画史に名を残す。勲四等旭日小綬章受章者。.

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勝新太郎

勝 新太郎(かつ しんたろう、1931年11月29日 - 1997年6月21日)は、日本の俳優・歌手・脚本家・映画監督・映画プロデューサー・三味線師範。本名・奥村 利夫(おくむら としお)。身長170cm。市川雷蔵とともに大映(現・角川映画)の「二枚看板」として活躍。その後は「勝プロダクション」を設立し、劇場用映画やテレビ作品などの製作にも携わった。勝新(かつしん)と愛称で呼ばれ、豪放磊落なイメージと愛嬌のある人柄で、不祥事を起こしながらも多くのファンから愛された「私の好きな日本映画男優 アンケート結果ランキング」()「私の好きな日本映画男優プロフィール――勝新太郎」()。2014年に映画関係者や文化人を対象にしたキネマ旬報のアンケートでは、好きな日本映画男優の第4位に選ばれている。.

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石松愛弘

石松 愛弘(いしまつ よしひろ、1932年6月1日 - )は、日本の脚本家、小説家。.

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祇園囃子 (1953年の映画)

『祇園囃子』(ぎおんばやし)は、1953年に公開された溝口健二監督の日本映画作品。川口松太郎の小説が原作である。.

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禁忌

禁忌(きんき)とは、「してはいけないこと」の意。タブーとしての禁忌には道徳的な含みがあるのに対して、他の用例では、技術的、科学的な根拠によって禁じられている。.

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稲垣浩

垣 浩(いながき ひろし、1905年12月30日 - 1980年5月21日)は、日本の映画監督、脚本家、俳優。本名は稲垣 浩二郎。戦前期に伊丹万作、山中貞雄らと時代劇の傑作を生み出し、日本映画の基礎を作った名監督の一人である。チャンバラに頼らない時代劇を作り「髷をつけた現代劇」と呼ばれた。生涯で100本の映画を撮り、海外での評価も極めて高い。.

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篠田正浩

正浩 (しのだ まさひろ、1931年3月9日 - ) は、日本の映画監督。株式会社表現社代表取締役、早稲田大学特命教授、日本中国文化交流協会代表理事、城西国際大学メディア学部客員教授。.

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羅生門 (1950年の映画)

『羅生門』(らしょうもん)は、1950年(昭和25年)8月26日に公開された日本映画である。大映製作・配給。監督は黒澤明、出演は三船敏郎、京マチ子、森雅之、志村喬。モノクロ、スタンダード、88分。 芥川龍之介の短編小説 『藪の中』と『羅生門』を原作に、橋本忍と黒澤が脚色し、黒澤がメガホンを取った。舞台は平安時代の乱世で、ある殺人事件の目撃者や関係者がそれぞれ食い違った証言をする姿をそれぞれの視点から描き、人間のエゴイズムを鋭く追及した。 自然光を生かすためにレフ板を使わず鏡を使ったり、当時はタブーとされてきた太陽に直接カメラを向けるという撮影フィルムが焼けてしまうため、タブーとされていたを行ったり、その画期的な撮影手法でモノクロ映像の美しさを極限に映し出している。撮影は宮川一夫が担当し、黒澤は宮川の撮影を「百点以上」と評価した。音楽は早坂文雄が手がけ、全体的にボレロ調の音楽となっている。 日本映画として初めてヴェネツィア国際映画祭金獅子賞とアカデミー賞名誉賞外部リンクに映像を受賞し、黒澤明や日本映画が世界で認知・評価されるきっかけとなった。本作の影響を受けた作品にアラン・レネ監督の『去年マリエンバートで』などがある。 2008年(平成20年)から角川映画、映画芸術科学アカデミー、東京国立近代美術館フィルムセンターの3社によってデジタル復元が行われ、2010年(平成22年)に3社に対して全米映画批評家協会賞の映画遺産賞が贈られた。.

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羅生門 (小説)

羅城門復元模型(京都文化博物館) 『羅生門』(らしょうもん)は、芥川龍之介の小説。『今昔物語集』の本朝世俗部巻二十九「羅城門登上層見死人盗人語第十八」を基に、巻三十一「太刀帯陣売魚姫語第三十一」の内容を一部に交える形で書かれたものである。生きるための悪という人間のエゴイズムを克明に描き出した。.

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炎上 (映画)

『炎上』(えんじょう)は、1958年(昭和33年)8月19日公開の日本映画。製作は大映。三島由紀夫の長編小説『金閣寺』をもとに市川崑監督が映画化したモノクロ作品である藤井浩明「三島文学の映画化」()。市川崑にとり日活から大映に移籍してから5本目の大映作品で、主演は大映の時代劇俳優・市川雷蔵市川崑「『炎上』と雷ちゃん」()。デビューから4年目、48本目の映画となる雷蔵の初の現代劇主演作で、吃音症の青年を好演したことで数々の主演男優賞を受賞するなど俳優として高い評価を受けた背面解説藤井浩明「永遠なれ 市川雷蔵」()大西望「市川雷蔵の『微笑』――三島原作映画の市川雷蔵」()「第七章 黄金時代の一九五〇年代――7 大映」()。 『炎上』は三島文学の映画化作の中でも特に評価が高いというだけでなく、白黒とシネスコで表現された見事な映像美などで映画史に残る傑作の一つとして位置づけられており「第六章 原作映画の世界 『炎上』――藤井浩明と三島文学の映画化」()、市川崑が第一級の監督として広く認められるきっかけとなった作品でもある。なお、映画では「金閣寺」が「驟閣寺」(しゅうかくじ)という名称になっている他、登場人物の名やあらすじの一部が原作と異なるものとなっている。 公開時の惹句は、「汚れた母、信頼を裏切った師、何が彼に放火させたのか、信じるものを失った青年の怒りと反抗!」、「三島、崑、雷蔵この異色トリオが放つ、本年度ベストワンを約束された文芸巨篇」、「金色の国宝に放火してまで、若い魂が反逆し続けたものは…」、「誰も知らない! 誰も解ってくれない! 何故おれが国宝に火をつけたかを…」である「」(1958年8月)。内。併映は、天野信監督の『消えた小判屋敷』(出演:梅若正二、美川純子)。.

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用心棒

『用心棒』(ようじんぼう)は、1961年(昭和36年)に公開された日本のアクション時代劇映画である。監督は黒澤明。続編といわれる作品として『椿三十郎』(1962年公開)がある。同時上映は森繁久彌の『社長道中記』。.

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田中徳三

中 徳三(たなか とくぞう、1920年9月15日 - 2007年12月20日)は、日本の映画監督である。関西学院大学文学部卒業。大阪市東区(現・中央区)船場出身。.

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田中澄江

中 澄江(たなか すみえ、旧姓:辻村、1908年4月11日 - 2000年3月1日)は、日本の脚本家、著作家。中野区教育委員も務めた。また、山を愛していて「花の百名山」を選んだことでも知られる。東京都名誉都民。夫は劇作家の田中千禾夫。小学校時代の同級生に川島芳子がいる。日本ペンクラブ、日本演劇協会、日本文芸家協会、日本放送作家協会、各会員日外アソシエーツ現代人物情報。 長男・聖夫(たかお)の妻は画家の三田恭子(日本初の女性刑務所長・三田庸子の娘)。.

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田村孟

村 孟(たむら つとむ、1933年1月5日 - 1997年3月28日)は日本の脚本家、映画監督。青木 八束(あおき やつか)名義で小説家としても活動した。.

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無法松の一生

『無法松の一生』(むほうまつのいっしょう)は、岩下俊作の小説。福岡県小倉(現在の北九州市)を舞台に、荒くれ者の人力車夫・富島松五郎(通称無法松)と、よき友人となった矢先に急病死した陸軍大尉・吉岡の遺族(未亡人・良子と幼い息子・敏雄)との交流を描く。 1938年(昭和13年)に『富島松五郎伝』の題名で脱稿し、『改造』の懸賞小説に応募して佳作入選した。翌1939年(昭和14年)に『九州文学』10月号に掲載、中央文壇の目にとまり、1940年(昭和15年)に『オール讀物』6月号に掲載され、第10、11回直木賞候補作となった(本賞受賞できず)。 1943年(昭和18年)に大映が『無法松の一生』の題名で映画化して以降、映画・テレビ・舞台で度々取り上げられ、後に作者本人が『無法松の一生』と改題した。 1959年(昭和34年)、北九州市小倉区古船場町に「無法松の碑」が建てられた。.

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瀧の白糸

『瀧の白糸』(たきのしらいと)は、泉鏡花の小説「義血侠血」を原作とする新派劇および映画、テレビドラマ、オペラである。1956年までに映画では6作品が製作された。.

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瀬戸内少年野球団

洲本市のウェルネスパーク五色・高田屋嘉兵衛公園に設けられた文学碑 『あのとき空は青かった』 『瀬戸内少年野球団』(せとうちしょうねんやきゅうだん)は、淡路島出身である阿久悠の自伝的長編小説。阿久悠の個人誌『月刊you』に1978年2月から1979年10月まで連載、文藝春秋より1979年11月5日に刊行された。終戦後の淡路島を舞台に、野球を通じた女教師と子供たちとのふれあいと絆を描く。第82回(1979年度下半期)直木賞候補作。 続編となる『紅顔期』(こうがんき)が『別册文藝春秋』の151号から154号に連載、文藝春秋より1981年6月1日に刊行。また『最後の楽園』(さいごのらくえん)が『週刊宝石』にて1984年4月から11月まで連載、光文社より1984年12月20日に刊行されている。 および、それらを原作とした映画、テレビドラマ。.

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白坂依志夫

白坂 依志夫(しらさか よしお、1932年9月1日 - 2015年1月2日)は、日本の脚本家である、毎日新聞、2015年1月6日付、2015年8月19日閲覧。。本名は八住 利義(やすみ としよし)。市川市が特別協力する水木洋子の名を冠した「市川市水木洋子シナリオ賞」選考委員長。日本シナリオ作家協会全部委託承継会員。.

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銀残し

銀残し(ぎんのこし)とは、フィルムや印画紙での現像手法の1つ。本来の銀を取り除く処理をあえて省くことによって、フィルムや印画紙に銀を残すものである。一般的に映画の現像で行われるもののことをいうが、写真のカラープリントでも同様の作業が可能であるほか、デジカメの画像処理でも可能である。英語ではブリーチバイパス (bleach bypass) という。.

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鍵 (1959年の映画)

『鍵』(かぎ)は、谷崎潤一郎の同名の小説(1956年発表)を原作として、1959年(昭和34年)に市川崑が監督し、大映東京撮影所が製作、大映が配給して公開した日本の長篇劇映画である''鍵''、日本映画情報システム、文化庁、2012年6月21日閲覧。''鍵''、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年6月21日閲覧。''鍵''、日本映画データベース、2012年6月21日閲覧。''Odd Obsession ''、インターネット・ムービー・データベース, 2012年6月21日閲覧。。当時の「映画倫理管理委員会」(新映倫、現在の映画倫理委員会)は同作を成人映画に指定し、18歳未満の鑑賞を制限した。公開時の惹句は、「愛欲描写の凄まじさに、映画化不可能を叫ばしめた谷崎文学の完全映画化!」である。.

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荒井良平

荒井 良平(あらい りょうへい、1901年10月22日 - 1980年10月22日)は、日本の映画監督、脚本家、俳優であるキネマ旬報社, p.16.

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菊島隆三

菊島 隆三(きくしま りゅうぞう、本名:菊島 隆蔵、1914年1月28日 - 1989年3月18日)は、日本の脚本家。山梨県甲府市出身。日本ペンクラブ、日本シナリオ作家協会、日本演劇協会、日本文芸家協会所属。.

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青砥稿花紅彩画

『青砥稿花紅彩画』(あおとぞうし はなの にしきえ)は、文久2年3月(1862年3月)に江戸市村座で初演された歌舞伎の演目。通称は「白浪五人男」(しらなみ ごにんおとこ)。世話物(白浪物)、二代目河竹新七(黙阿弥)作、全三幕九場。 弁天小僧の出がある場のみを上演する際には『弁天娘女男白浪』(べんてんむすめ めおの しらなみ)と外題が替わり、さらにそれを尾上菊五郎がつとめる舞台に限っては特に『音菊弁天小僧』(おとにきく べんてんこぞう)と外題が替わることもある。 何度も映画になり、名科白「知らざあ言って聞かせやしょう」があることから大衆演劇、素人芝居でよく演じられた。.

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衣笠貞之助

衣笠 貞之助(きぬがさ ていのすけ、1896年1月1日 - 1982年2月26日)は、日本の俳優、映画監督、脚本家。本名は小亀 貞之助(こかめ ていのすけ)。 女形俳優から転身した映画監督で、新派劇団を経て日活向島撮影所で女形スターとして活躍後、牧野省三の下で映画監督となった。新感覚派の作家と組んで前衛映画『狂つた一頁』を製作後、松竹・東宝・大映で長谷川一夫とコンビを組んで多くの時代劇映画を製作した。江戸や明治の情緒を新派劇の素養であでやかに描き出すことにかけては第一人者だった佐藤2007、p.202。1953年(昭和28年)公開の『地獄門』は、第7回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞。上記以外の主な作品に『十字路』『雪之丞変化』など。妻は女優の千早晶子、弟は映画監督の衣笠十四三。.

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高岩肇

岩 肇(たかいわ はじめ、1910年11月9日 - 2000年1月28日)は、日本の脚本家。 東京生まれ。慶應義塾大学卒。在学中から小説『季節の展望』『素質』『新三田派』を発表した。1939年の映画『若き日の感激』で脚本を担当。以後シナリオ作家として活動し、1951年から東映や大映を中心に映画脚本を執筆した。 2000年1月28日、腎不全のため死去。.

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谷川俊太郎

谷川 俊太郎(たにかわ しゅんたろう、1931年12月15日 - )は、日本の詩人、翻訳家、絵本作家、脚本家。東京府出身。現在の東京都立豊多摩高等学校を卒業、法政大学文学部卒業。.

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鴛鴦歌合戦

『鴛鴦歌合戦』(おしどりうたがっせん)は、日本のオペレッタ時代劇映画である。1939年(昭和14年)の日活京都撮影所製作、日活配給作品、日活とテイチクの一連の提携作品のうちの一作である。監督は当時31歳のマキノ正博、のちの巨匠・マキノ雅弘の戦前のトーキー作品である。.

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越前竹人形

『越前竹人形』(えちぜんたけにんぎょう)は、水上勉の小説。1963年発表。のちに映画化、ドラマ化されている。.

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黒澤明

黒澤 明(くろさわ あきら、新字体:黒沢、1910年(明治43年)3月23日 - 1998年(平成10年)9月6日)は、日本の映画監督、脚本家である。妻は女優の矢口陽子。 ダイナミックな映像表現とヒューマニズムに徹した作風で、『羅生門』『生きる』『七人の侍』など30本の監督作品を生み出し、アカデミー賞と世界三大映画祭(ヴェネツィア、カンヌ、ベルリン)で賞を得た。 小津安二郎、溝口健二、成瀬巳喜男らと共に世界的にその名が知られ、映画史においてはスティーヴン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、フランシス・フォード・コッポラ、北野武などの映画人に大きな影響を与えており、日本では「世界のクロサワ」と呼ばれた。 映画監督として初めて文化勲章受章、文化功労者顕彰、東京都名誉都民選出、贈従三位(没時叙位)、贈国民栄誉賞(没後追贈)。1990年に日本人初のアカデミー名誉賞を受賞。1999年には米週刊誌『タイム』アジア版の「今世紀最も影響力のあったアジアの20人」に選出されている。米国映画芸術科学アカデミー会員。.

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齋藤武市

齋藤 武市(さいとう ぶいち、1925年1月27日 - 2011年1月)は日本の映画監督。埼玉県秩父市出身。.

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近代映画協会

株式会社近代映画協会(-きんだいえいがきょうかい)は、日本の映画会社である。1950年(昭和25年)、新藤兼人、吉村公三郎、殿山泰司らが設立した。.

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近松物語

『近松物語』(ちかまつものがたり)は、1954年(昭和29年)の日本映画。溝口健二監督作品。.

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舞姫

『舞姫』(まいひめ)は、森鴎外の短編小説。1890年(明治23年)、民友社社長の徳富蘇峰の依頼を受け執筆し『国民之友』に発表。 森鴎外が1884年から4年間ドイツへ医学を学ぶために留学した時に執筆された。主人公の手記の形をとり、その体験を綴る。高雅な文体と浪漫的な内容で、初期の代表作。本作、『うたかたの記』、『文づかひ』の三作品を独逸三部作あるいは浪漫三部作と呼ぶことがある。この作品を巡り石橋忍月との間で論争(舞姫論争)が起こった。なお、主人公には作者森鴎外といくつかの類似点がある。「#太田豊太郎のモデル」も参照.

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赤線地帯

『赤線地帯』(あかせんちたい)は1956年公開の溝口健二監督作品。溝口作品としては1954年『噂の女』以来の現代劇で、公開後に溝口が死去したため遺作となった。.

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藤本義一 (作家)

藤本 義一(ふじもと ぎいち、1933年(昭和8年)1月26日 - 2012年(平成24年)10月30日)は、日本の小説家、放送作家。本名の読みは「ふじもと よしかず」(ただし、出生届けの読み仮名は「ふじもと よしかす」で出されたという。)大阪を舞台にした作品を書き、エッセイも数多い。 日本放送作家協会関西支部長とプロ作家を育成する心斎橋大学総長も務めた。夫人はタレントの藤本統紀子、次女はアーティストのフジモト芽子。.

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野上龍雄

野上 龍雄(のがみ たつお、1928年3月28日 - 2013年7月20日 )は脚本家。東京都出身。.

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長谷川一夫

長谷川 一夫(はせがわ かずお、1908年2月27日 - 1984年4月6日)は、日本の俳優。旧芸名に林 長丸(はやし ちょうまる)、林 長二郎(はやし ちょうじろう)。愛称は長さん。身長162cm。 戦前から戦後にかけて、二枚目の時代劇スターとして活躍し、同時代の剣戟俳優である阪東妻三郎、大河内傳次郎、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門とともに「時代劇六大スタア」と呼ばれた『週刊サンケイ臨時増刊 大殺陣 チャンバラ映画特集』(サンケイ出版)。歌舞伎界から松竹に入り、松竹時代劇の看板俳優となった。その後東宝、大映と移り、300本以上の作品に出演。舞台やテレビドラマでも大きな活躍を見せており、晩年には宝塚歌劇『ベルサイユのばら』の初演で演出を行った。没後、俳優では初の国民栄誉賞を受賞。 最初の妻は初代中村鴈治郎の次女・林たみ。のちに離婚し、新橋の名妓・飯島繁と再婚。俳優の林成年は長男、女優の長谷川季子と長谷川稀世は長女・次女、また稀世の娘に女優の長谷川かずきがいる。.

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雨月物語

『雨月物語』(うげつものがたり)は、上田秋成によって江戸時代後期に著わされた読本(よみほん)作品。 5巻5冊。明和5年(1768年)序、安永5年(1776年)刊。日本・中国の古典から脱化した怪異小説9篇から成る。近世日本文学の代表作で、現代でも引用されることが多い(→#派生作品)。.

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PHP研究所

株式会社PHP研究所(ピーエイチピーけんきゅうしょ、PHP Institute)は、パナソニック株式会社の創業者である松下幸之助によって創設され、出版事業を主体に行っている出版社。2010年10月1日、政策シンクタンクを標榜する株式会社PHP総合研究所を吸収合併した。 東京本部は江東区豊洲5丁目6番地の52()、京都本部の住所は京都市南区西九条北ノ内町11()。.

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東宝

東宝株式会社(とうほう)は、映画・演劇の製作配給・興行や不動産賃貸を行う日本の企業。一般には映画会社として知られる。 阪急阪神ホールディングスの持分法適用会社で、2015年現在、2つの直営演劇劇場(帝国劇場、新館シアタークリエ)を保有する。阪急阪神ホールディングス(阪急電鉄、阪神電気鉄道)、エイチ・ツー・オー リテイリング(阪急百貨店、阪神百貨店)とともに、阪急阪神東宝グループの中核企業となっている。本社は東京都千代田区有楽町一丁目2番2号。 他の阪急阪神東宝グループ同様三和グループのメンバーであるが、阪急電鉄と異なり三水会には参加せず、みどり会のみに参加している。.

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東京オリンピック (映画)

『東京オリンピック』(とうきょうオリンピック、Tokyo Olympiad)は、1964年の東京オリンピックの公式記録映画。市川崑が総監督を務めた。.

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東横映画

東横映畫株式會社(とうよこえいが、1938年6月8日 設立 - 1951年3月31日 合併)は、のかつて存在した日本の映画会社である。東急資本のもとに映画館経営から出発し、第二次世界大戦後に旧満洲映画協会(満映)のメンバーを中心にして、京都・太秦の「大映第二撮影所」で劇映画を製作した。東映の前身の1社である。.

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松田定次

松田 定次(まつだ さだつぐ、1906年11月2日 - 2003年1月20日)は、昭和期の映画監督。戦前はマキノ・プロダクション→新興キネマ→日活→大日本映画、戦後は異母弟のマキノ光雄が製作責任者だった東横映画・東映に属して時代劇映画を量産しヒットシリーズ作を多く手がける。特に、東映時代は東映京都のトップ監督として君臨し、東映オールスターの忠臣蔵映画を3本も演出するなど、プログラムピクチャー大作を多く手掛けた。 父親は「日本映画の父」と称された、マキノ・プロダクションの創設者・牧野省三。映画監督のマキノ雅弘の異母兄。妻は女優の松浦築枝、脚本家の松田寛夫は長男(養子)。.

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森一生

森 一生(もり かずお、1911年1月15日 - 1989年6月29日)は、日本の映画監督、演出家である。通り名で「もり いっせい」とも呼ばれる。.

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橋本忍

橋本 忍(はしもと しのぶ、1918年4月18日 - )は、日本の脚本家、映画監督。男性。兵庫県神崎郡鶴居村(現・神崎郡市川町鶴居)に生まれる。 脚本家の橋本信吾、橋本綾は実子。.

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毎日映画コンクール

毎日映画コンクール(まいにちえいがコンクール)は、1946年に創設された、毎日新聞社やスポーツニッポン新聞社などが主催する映画の賞である。.

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水木洋子

水木 洋子(みずき ようこ、本名:高木富子、1910年(明治43年)8月25日 - 2003年(平成15年)4月8日)は脚本家。映画監督の谷口千吉は元夫。1913年(大正2年)生まれを自称していた。.

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池広一夫

池広 一夫(いけひろ かずお、1929年10月25日 - )は、日本の映画監督。.

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河原町御池

河原町御池交差点と京都市役所 河原町御池(かわらまちおいけ)は、京都市中京区にある交差点、およびその周辺の地域の名称である。.

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渡辺実 (映画監督)

渡辺 実(渡邊 實、わたなべ みのる、1919年10月5日 - )は、日本の映画監督である。.

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渡辺浩

渡辺 浩(わたなべ ひろし).

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清水邦夫

清水 邦夫(しみず くにお、1936年11月17日 - )は、日本の劇作家、演出家。新潟県出身。新潟県立高田高等学校を経て早稲田大学第一文学部演劇科卒業。演劇企画グループ「木冬社」代表。妻は女優の松本典子。.

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溝口健二

溝口 健二(みぞぐち けんじ、1898年5月16日 - 1956年8月24日)は、日本の映画監督。 女性映画の巨匠と呼ばれ、一貫して虐げられた女性の姿を冷徹なリアリズムで描いている。サイレント期は下町情緒を下敷きとした作品で声価を高め、戦中・戦後は芸道ものや文芸映画でも独自の境地を作り出した。完璧主義ゆえの妥協を許さない演出と、長回しの手法を用いた撮影が特徴的である。黒澤明、小津安二郎、成瀬巳喜男らと共に国際的に高い評価を受けた監督であり、ヴェネツィア国際映画祭では作品が3年連続で受賞している。また、ジャン.

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木村恵吾

木村 恵吾(きむら けいご、1903年6月19日 - 1986年1月20日)は、日本の映画監督、脚本家である。サイレント映画の時代に脚本家、ついで監督としてデビューした。1940年(昭和15年)にオペレッタ映画『狸御殿』を創出、『オペレッタ狸御殿』(2005年)につながる源流をつくった。.

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朱雀門

朱雀門(すざくもん)は、古代、平城京や平安京といった条坊都市の宮城(大内裏)において南面する正門。大内裏の外郭十二門のうち最も重要な門であった。「しゅじゃくもん」ともいう。.

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成沢昌茂

成沢 昌茂(なるさわ まさしげ、1925年1月29日 - )は、日本の脚本家、映画監督。.

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浪人街 (1990年の映画)

『浪人街』(ろうにんがい)は、1990年(平成2年)8月18日に公開された黒木和雄監督の日本の剣戟映画である。また、マキノ正博監督により1928年(昭和3年)制作・公開された『浪人街 第一話 美しき獲物』の四度目のリメイク作品になる。「日本映画の父 牧野省三 追悼六十周年記念作品」としてマキノ正博(マキノ雅広名義)総監修の元で制作された。勝新太郎の遺作となった。.

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浮草 (映画)

『浮草』(うきくさ)は、1959年の大映製作の日本映画。.

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新・平家物語 (映画)

『新・平家物語』(しんへいけものがたり)は、1955年(昭和30年)9月21日公開の日本映画である。大映製作・配給。監督は溝口健二、主演は市川雷蔵。カラー、スタンダード、108分。昭和30年度芸術祭参加作品。 吉川英治の同名歴史小説を、3部作で映画化した大河シリーズの第1作で、平安時代末期に貴族との激しい抗争の中で台頭してきた武士階級の御曹司・平清盛が、自らの出生の秘密に悩みながら成長していく姿を描く。スタッフには撮影の宮川一夫、美術の水谷浩、色彩監修の和田三造など、数々の映画賞に輝いたベテランが顔を揃えた。本作は溝口監督の初カラー作品であり、長回しのカメラワークはヌーヴェルヴァーグの映画人に高く評価された。配収は1億7303万円で、この年の邦画配収ランキング第4位となった。翌1956年(昭和31年)1月に続編の『新・平家物語 義仲をめぐる三人の女』(監督:衣笠貞之助)、同年11月には3作目の『新・平家物語 静と義経』(監督:島耕二)が公開された。 2006年(平成18年)12月22日に溝口健二監督没後50年を記念して、角川エンタテインメントから発売されたDVD-BOXに収録された。2009年(平成21年)11月27日には市川雷蔵没後40年を記念して角川エンタテインメントからデジタル修復版のDVDが発売された。.

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新藤兼人

新藤 兼人(しんどう かねと、1912年(明治45年)4月22日 - 2012年(平成24年)5月29日)は、日本の映画監督、脚本家。本名は新藤 兼登(読み方同じ)。日本のインディペンデント映画の先駆者であった。近代映画協会会長。従三位、広島県名誉県民、広島市名誉市民、広島県三原市名誉市民。.

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日活

日活株式会社(にっかつ)は、日本の映画製作、配給会社である。 社名は創立時の名称である「日本活動冩眞株式會社」の略称に由来する。.

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日本人

日本人(にほんじん、にっぽんじん、Japanese)は、日本の国籍(日本国籍)を持つ日本国民。または祖先が日本列島に居住していた民族集団を指す。.

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日本映画

日本映画(にほんえいが)は、一般的に日本国内の映画館などで公開されることを前提として、日本国籍を持つ者、あるいは日本の国内法に基づく法人が出資(製作)している映画を指すが、詳細な定義は識者によって異なる。邦画(ほうが)とも呼称される。また、時代によって活動写真、キネマ、シネマ等とも呼ばれる。 トーマス・エジソンによって1891年に発明されたキネトスコープが世界的な映画の起源となるが、それを用いて日本で最初に上映がなされたのは1896年11月で、当時の西洋技術の最先端である映画が到来した年にあたる。日本人による映画撮影としては1898年の浅野四郎による短編映画『化け地蔵』『死人の蘇生』に始まる。ここから現代に至るまで日本映画は日本文化の影響を強く受けつつ、独自の発展を遂げ、日本を代表する大衆娯楽のひとつとして位置付けられていった。 日本映画をジャンルとして明確に定義することは困難であり、「日本人監督によって、日本人の俳優を用いて、日本で撮影し、日本で上映する日本語の映画」という条件のもと、そのいくつかが当てはまるものを一般に日本映画と呼称している。このため、『ホノカアボーイ』などの総海外ロケの映画や、フランスの資本を基に黒澤明や大島渚が撮影した映画、崔洋一、李相日などの在日韓国・朝鮮人監督による映画など、全ての条件を満たしていなくても日本映画と認知されるものもある。 外国映画(洋画)に対する日本の映画という意味での呼称は存在するが、市場のボーダレス化等、製作、配給の両面において多国籍化が一般化している今日において、ジャンルとしての厳密な定義はほぼ無意味なものとなりつつある。.

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日本放送協会

日本放送協会(にっぽんほうそうきょうかい、英称:Japan Broadcasting Corporation)は、日本の公共放送を担う事業者。よく誤解されるが国営放送ではない。日本の放送法(昭和25年法律第132号)に基づいて設立された放送事業を行う特殊法人。総務省(旧・郵政省)が所管する外郭団体である。 公式略称は、「NIPPON HOSO KYOKAI」の頭文字を取り「」と呼称・記される。 公共放送としての事業規模は、英国放送協会 (BBC) などと並び、国内にNHKエンタープライズ、NHKグローバルメディアサービス、NHK出版など13の連結子会社を持つ。また、関連会社として日本国外にNHKコスモメディアアメリカ、NHKコスモメディアヨーロッパが設立されている。1986年には子会社である株式会社NHKエンタープライズを出資母体として、NHKエンタープライズ25%、株式会社電通25%の共同出資による株式会社総合ビジョンを設立した。しかし、これは事業の縮小を経て2013年7月1日付けでNHKエンタープライズに吸収合併した。 愛宕山。 中継車(いすゞ・フォワード).

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撮影監督

テディカムを利用した撮影。右が監督、背中を向けている緑のジャケットの男が撮影監督 撮影監督(米国: Director of photography(DP)またはCinematographer。英国: Lighting Cameramanなど)とは、映画やテレビの照明と撮影、つまり画面に映る映像全てに於いて責任を負う人物を指す。 米国と英国では制度や仕事内容、下につく技師名などが若干異なる。また、日本では歴史的に撮影監督と照明監督(照明技師)は別にクレジットされる場合が多い。この項目では、米・英国での撮影監督の一般的な説明をする。 撮影監督とは、呼び名は様々でも要は撮影者であり、フィルムに定着させる画像の芸術的な分野を含めた技術的総責任者である。各国、各スタジオ、各現場でそれぞれのシステムが機能して良い結果・良い作品を追求しているが、確立されたシステムが必ずしも良質な作品を保証するものではない。逆に効率を求めすぎるあまり、システムやスタイルが邪魔をすることもある。あくまでも得られた条件の中で作品のスタイルやシステムを設定するのが本筋であろう。 いずれにしても映画作りはチームワークの産物で、1つのパートが独立して機能することはありえず、必ずお互いに関連し合い影響しあっているものである。.

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悪名

『悪名』(あくみょう)は、今東光の小説、およびそれを原作とした勝新太郎主演の映画(大映製作)。 河内の暴れ者・八尾の朝吉(姓は村上)を主人公とする今東光の小説『悪名』は、1960年に『週刊朝日』にて連載された。同誌の編集長が大映の監督・田中徳三の実兄だったことから、大映で1961年に映画化され、朝吉を勝新太郎、弟分のモートルの貞を田宮二郎が演じた。同作のヒットを受け、以降は脚本家依田義賢のオリジナルでシリーズ化され、全16作が製作された。 また、2001年に再び映画化され、朝吉役を的場浩司、貞役を東幹久が演じた。 2002年には舞台版が制作され、勝の息子の鴈龍太郎が朝吉役、貞役を堤大二郎が演じた。また2014年にはマキノノゾミ演出で音楽劇となり(原作は『新悪名』)、沢田研二が朝吉役、野田晋市が清次役、いしのようこが朝吉の妻お絹役を演じている。.

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悪霊島

『悪霊島』(あくりょうとう)は、横溝正史の長編推理小説。「金田一耕助シリーズ」の一つ。『野性時代』に1979年から1980年まで連載された。 本作を原作として、2014年3月までに映画1本、テレビドラマ2作品が制作されている。.

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曽根崎心中

露天神の境内にあるブロンズ像 『曽根崎心中』(そねざきしんじゅう/旧字曾根崎心中、そねざきしんぢゅう)は世話物浄瑠璃(江戸時代における現代劇浄瑠璃)。一段。近松門左衛門作。1703年(元禄16年)竹本座初演の人形浄瑠璃・文楽。のちに歌舞伎の演目にもなる。相愛の若い男女の心中の物語である。 「此の世のなごり。夜もなごり。死に行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜」で始まる有名な道行の最後の段は「未来成仏うたがひなき恋の手本となりにけり」と結ばれ、お初と徳兵衛が命がけで恋を全うした美しい人間として描かれている。.

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時代劇

時代劇(じだいげき)は、日本の演劇や映画、テレビドラマなどで現代劇と大別されるジャンルとして、主に明治維新以前の時代の日本を舞台とした作品の総称である、コトバンク、2009年10月24日閲覧。、コトバンク、2009年10月24日閲覧。。.

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1908年

記載なし。

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1935年

記載なし。

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1952年

この項目では、国際的な視点に基づいた1952年について記載する。.

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1960年

アフリカにおいて当時西欧諸国の植民地であった地域の多数が独立を達成した年であることに因み、アフリカの年と呼ばれる。.

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1964年東京オリンピック

18回オリンピック競技大会(だい18かいオリンピックきょうぎたいかい、Jeux de la XVIIIe olympiade、Games of the XVIII Olympiad)は、1964年(昭和39年)10月10日(後の体育の日)から10月24日までの15日間、日本の東京で開かれたオリンピック競技大会。一般的に東京オリンピック(とうきょうオリンピック)と呼称され、東京五輪と略称される。公用文では第十八回オリンピック競技大会の表記もみられる。.

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1985年

この項目では、国際的な視点に基づいた1985年について記載する。.

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1992年

この項目では、国際的な視点に基づいた1992年について記載する。.

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1999年

1990年代最後の年であり、1000の位が1になる最後の年でもある。 この項目では、国際的な視点に基づいた1999年について記載する。.

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2月25日

2月25日(にがつにじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から56日目にあたり、年末まであと309日(閏年では310日)ある。.

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8月7日

8月7日(はちがつなのか)はグレゴリオ暦で年始から219日目(閏年では220日目)にあたり、年末まであと146日ある。.

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