ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

宝冠章

索引 宝冠章

宝冠章(ほうかんしょう、Order of the Precious Crown)は、日本に於ける勲章の一つ。1888年(明治21年)1月4日に勲一等から勲五等までを制定、後の1896年(明治29年)4月13日に勲六等から勲八等までが追加制定された。以後長らく八等級での運用が行われていたが、2003年(平成15年)11月3日の栄典制度改正により勲七等と勲八等が廃止、漢数字による勲等の表示がなくなり、現在では六つの級での運用である。 宝冠章は制定以来、その授与対象を女性に限定した唯一の勲章で、勲章制度の男女均等を図った栄典制度改訂後の現在でも女性のみに授与されるものとなっている。栄典制度改訂により旭日章、桐花章、菊花章が女性にも与えられるようになったため、一般の叙勲に於いては宝冠章は運用されておらず、現在では日本の女性皇族に対する叙勲と、国家元首や皇族・王族などの公式訪問の際に行われる、外国人に対する儀礼叙勲に限定して運用されている。.

220 関係: 博義王博恭王妃経子千家典子千容子多嘉王多嘉王妃静子大公大勲位菊花大綬章大勲位菊花章頸飾大統領大正天皇天皇外交奥むめお女帝女王女王 (皇族)威仁親王妃慰子宣仁親王妃喜久子宮中席次宮殿官報寛仁親王寛仁親王妃信子小松宮彰仁親王山階宮菊麿王山階宮武彦王島津貴子崩御崇仁親王妃百合子中山マサ中山慶子中根千枝常陸宮正仁親王七宝三笠宮崇仁親王平成久邇宮邦彦王久邇宮朝融王五芒星伏見宮博恭王伏見宮貞愛親王伏見宮邦家親王伏見朝子彰仁親王妃頼子佳子内親王依仁親王妃周子従一位北白川宮能久親王北白川宮永久王...北白川宮成久王北白川祥子マルグレーテ2世 (デンマーク女王)マーガレット・サッチャーリリウオカラニヴィクトリア (スウェーデン皇太子)ファーストレディめっきイギリスウィルヘルミナ (オランダ女王)エリザベス2世エリザベス・ヴァイニングエリザベス・ボーズ=ライアンコラソン・アキノジョージ6世 (イギリス王)内親王内海桂子元首勲章勲章 (日本)勲等国家国王国民皇后皇后美智子皇太后皇太子皇太子妃皇太子徳仁親王皇太子徳仁親王妃雅子皇帝皇族王女王妃王妃 (皇族)王室王公族王族秩父宮雍仁親王称号秋篠宮文仁親王竹田宮恒久王竹田恒徳純宗 (朝鮮王)純貞孝皇后真珠眞子内親王絢子女王瑞宝章熾仁親王妃董子盛厚王韓国併合菊花章菊麿王妃常子菊麿王妃範子華頂宮博経親王要人親王妃首相首長香淳皇后高円宮憲仁親王高松宮宣仁親王貞明皇后貞愛親王妃利子女王鳩彦王妃允子内親王鳳凰賀陽宮邦憲王賀陽宮恒憲王鷹司和子鷹司景子身位黒田清子載仁親王妃智恵子近衛やす子能久親王妃富子赤松良子関東大震災閑院宮載仁親王閑院宮春仁王邦彦王妃俔子臣籍降下金鵄勲章配偶者英照皇太后雍仁親王妃勢津子柳原愛子恒久王妃昌子内親王恒徳王妃光子恒憲王妃敏子李垠李グウ李コウ (義親王)李ジュン鎔李王家李載冕李方子東久邇宮稔彦王東久邇聡子東久邇成子東伏見宮依仁親王松平佳子栄典桐花章桃山虔一梨本宮守正王梨本伊都子正仁親王妃華子武彦王妃佐紀子女王池田厚子朝融王妃知子女王朝香宮鳩彦王有栖川宮威仁親王有栖川宮熾仁親王成久王妃房子内親王明仁明治明治天皇春仁王妃直子昭和天皇昭憲皇太后文仁親王妃紀子文化人類学日本の国会議員旭日章憲仁親王妃久子承子女王扇千景1888年1891年1892年1896年1898年1900年1901年1906年1908年1909年1910年1913年1915年1919年1922年1923年1924年1926年1928年1930年1931年1934年1935年1936年1940年1941年1943年1944年1945年1959年1961年1964年1971年1980年1984年1989年1990年1993年2003年 インデックスを展開 (170 もっと) »

博義王

博義王(ひろよしおう、1897年(明治30年)12月8日 - 1938年(昭和13年)10月19日)は、明治・大正期の伏見宮家の皇族、海軍軍人。 最終階級は海軍大佐昭和天皇実録七649-650頁「博義王略歴」「告示◎宮内告示第二十七號 海軍大佐大勲位博義王殿下本日午前二時東京府東京市麹町區紀尾井町四番地伏見宮邸ニ於テ薨去セラル 昭和十三年十月十九日 宮内大臣 松平恒雄|敍任◎昭和十三年十月十九日 海軍中佐大勲位博義王 任海軍大佐|◎宮廷録事(略)◎博義王殿下御容体 海軍大佐大勲位博義王殿下ニハ去ル八月二十八日以來軽微ナル御持病ノ氣管支喘息御發作アリシモ比較的輕易ニ拝セシカ本月十八日午前一時頃急劇ニ激烈ナル御發作アリ今十九日午前一時再ヒ強烈ナル御發作アリ種々御手當申上ケタルモ同二時心臓麻痺ニテ薨去遊ハサル」。 伏見宮第25代当主の伏見宮博恭王第1王子。伏見宮の継承はしていないが、伏見宮博義王と通称されることもある。.

新しい!!: 宝冠章と博義王 · 続きを見る »

博恭王妃経子

博恭王妃 経子(ひろやすおうひ つねこ、1882年(明治15年)9月23日 - 1939年(昭和14年)8月18日)は、明治から昭和にかけての皇族。伏見宮博恭王妃。徳川幕府15代将軍・徳川慶喜の九女。母は側室の新村信。高松宮妃喜久子の伯母。 王子女に伏見宮博義王、恭子女王、華頂宮博忠王、伏見宮博信王、敦子女王、知子女王(久邇宮朝融王妃)、伏見宮博英王。.

新しい!!: 宝冠章と博恭王妃経子 · 続きを見る »

千家典子

千家 典子(せんげ のりこ、1988年〈昭和63年〉7月22日 - )は、日本の元皇族で、出雲大社権宮司・千家国麿の妻。結婚前の名と身位は典子女王(のりこじょおう)で、皇室典範における敬称は殿下。高円宮憲仁親王と同妃久子の第二女子。姉に承子女王、妹に絢子女王がいる。お印は蘭(らん)。栄典は宝冠牡丹章(旧勲二等宝冠章に相当)。学位は学士(心理学)。.

新しい!!: 宝冠章と千家典子 · 続きを見る »

千容子

千 容子(せん まさこ、1951年(昭和26年)10月23日 - )は、日本の元皇族。三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第二女子。旧名は容子内親王。千宗室(茶道裏千家第16代家元)夫人。お印は楓(かえで)。勲等は勲一等。学位は法学士(学習院大学)。.

新しい!!: 宝冠章と千容子 · 続きを見る »

多嘉王

多嘉王(たかおう、1875年(明治8年)8月17日 - 1937年(昭和12年)10月1日)は、日本の皇族。久邇宮朝彦親王の第五王子。伊勢神宮祭主となる。.

新しい!!: 宝冠章と多嘉王 · 続きを見る »

多嘉王妃静子

多嘉王妃静子(たかおうひ しずこ、1884年(明治17年)9月25日 - 1959年(昭和34年)9月27日)は、日本の皇族。久邇宮朝彦親王の第五王子多嘉王の妃。子爵水無瀬忠輔の長女。母は東園基敬の娘・富子。久邇洋裁学校創設者。.

新しい!!: 宝冠章と多嘉王妃静子 · 続きを見る »

大公

大公(たいこう、、)は、称号の一つ。ヨーロッパの称号のうち公と訳されるものよりさらに上の称号を訳すのに使われる。大公と訳される称号には、grand duke などいくつかある(以下、原義を示すのに便宜上原則として英語を用いる)。.

新しい!!: 宝冠章と大公 · 続きを見る »

大勲位菊花大綬章

大勲位菊花大綬章(だいくんい きっか だいじゅしょう、英訳名: Grand Cordon of the Supreme Order of the Chrysanthemum)は、日本の勲章の一つ。1876年(明治9年)12月27日に制定され、最高位である大勲位菊花章頸飾に次ぐ勲章である。.

新しい!!: 宝冠章と大勲位菊花大綬章 · 続きを見る »

大勲位菊花章頸飾

大勲位菊花章頸飾(だいくんいきっかしょうけいしょく、Collar of the Supreme Order of the Chrysanthemum)は、日本の勲章の一つで、最高位に位置する。.

新しい!!: 宝冠章と大勲位菊花章頸飾 · 続きを見る »

大統領

大統領(だいとうりょう、President)は、共和国の元首の呼称の一つ。 国によって、正式には共和国大統領や連邦大統領と称することもある。また、例外的に、国家元首たる合議体の議長や政府の長の呼称として用いられることもある。.

新しい!!: 宝冠章と大統領 · 続きを見る »

大正天皇

大正天皇(たいしょうてんのう、1879年(明治12年)8月31日 - 1926年(大正15年)12月25日)は、日本の第123代天皇。諱は嘉仁(よしひと)。幼少時の御称号は明宮(はるのみや)。お印は壽(じゅ)。 明治以降で初の一夫一妻制を採った天皇。.

新しい!!: 宝冠章と大正天皇 · 続きを見る »

天皇

天皇(てんのう)は、日本国憲法に規定された日本国および日本国民統合の象徴たる地位、または当該地位にある個人「天皇」『日本大百科全書(ニッポニカ)』 小学館。。7世紀頃に大王が用いた称号に始まり、歴史的な権能の変遷を経て現在に至っている。 今上天皇(当代の天皇)は、昭和天皇第一皇子である明仁。.

新しい!!: 宝冠章と天皇 · 続きを見る »

外交

外交(がいこう、diplomacy)とは、国家間の国際関係における交渉のことで、関連するさまざまな政治活動を指す。一般に、外交官や首相などの国家の代表と、外国の代表とが国際社会における問題に対応している。 外交戦略に基づき立案される政策を外交政策、または実際に二国間ないし多国間で行われる具体的な国家間交渉を外交交渉という。.

新しい!!: 宝冠章と外交 · 続きを見る »

奥むめお

奥 むめお(おく むめお、本名:奥 梅尾(読み同じ)、1895年10月24日 - 1997年7月7日)は、日本の婦人運動家、政治家。参議院議員を計3期務め、1961年(昭和36年)に勲二等宝冠章を受章、没後に正四位を追賜された。1989年(平成元年)に福井市名誉市民の称号を贈られた。.

新しい!!: 宝冠章と奥むめお · 続きを見る »

女帝

アの女帝エカテリーナ2世。 女帝(じょてい、にょたい)は、女性の皇帝、あるいは天皇のこと。後者の現代的表現としては女性天皇がある。.

新しい!!: 宝冠章と女帝 · 続きを見る »

女王

女王(じょおう、ラテン語:regina、フランス語:reine、英語:queen、ドイツ語:Königin)は、一般に「王」のうち女性であるもの、または男性の「王」に相当する女性の地位。 「王」は、君主の一般的な称号として用いられるほか皇族や諸侯の称号として、あるいは転じて第一人者の意味で用いられるが、これは「女王」についても同様である。ここでは、君主としての女王の意味のほか、その派生的用法について記述する。.

新しい!!: 宝冠章と女王 · 続きを見る »

女王 (皇族)

女王(じょおう / にょおう)は、皇族女子の身位または称号の一つ。 現行の皇室典範では天皇からみて嫡男系嫡出で三親等以遠の者に与えられる。皇室典範で定められた敬称は殿下。 2015年現在、寬仁親王の娘である彬子女王・瑶子女王、高円宮憲仁親王の娘である承子女王・絢子女王の合計4人がその地位にある。これら4女王は直系尊属である大正天皇からみて三親等、即ち曾孫にあたる。.

新しい!!: 宝冠章と女王 (皇族) · 続きを見る »

威仁親王妃慰子

威仁親王妃慰子(たけひとしんのうひ やすこ、1864年3月15日(文久4年2月8日) - 1923年(大正12年)6月29日)は、日本の皇族。有栖川宮威仁親王の妃。有栖川宮家最後の皇族である。.

新しい!!: 宝冠章と威仁親王妃慰子 · 続きを見る »

宣仁親王妃喜久子

宣仁親王妃 喜久子(のぶひとしんのうひ きくこ、1911年(明治44年)12月26日 - 2004年(平成16年)12月18日)は、日本の皇族で、高松宮宣仁親王の妃。 旧名、徳川喜久子(とくがわ きくこ)。公爵・徳川慶久慶久も有栖川宮織仁親王の曾孫に当たる。の次女で、母は有栖川宮威仁親王の第二王女である實枝子女王。身位は親王妃。お印は初めが亀(かめ)、結婚後は撫子(なでしこ)。.

新しい!!: 宝冠章と宣仁親王妃喜久子 · 続きを見る »

宮中席次

宮中席次(きゅうちゅうせきじ)とは、公的な宮中行事における席次のこと。.

新しい!!: 宝冠章と宮中席次 · 続きを見る »

宮殿

イタリア共和国カンパニア州 宮殿(きゅうでん)は、王族、皇族などの君主およびその一族が居住する、もしくは居住していた御殿。君主が政務や外国使節の謁見、国家的な儀式などを行う朝廷部分と、君主が私的な生活を行う宮廷(きゅうてい)部分に分かれる。中世ヨーロッパにおいては戦士階級と世俗君主階級が一体化していたため、城壁に囲まれた城砦の中に国王や領主が居住し、君主が住み政治的機能を有する城砦を宮殿と同時に呼ぶことが一般的であった。しかし、時代の変遷とともに城砦形式の有効性が低下したことなどから、防衛機能より見た目の豪華さ、壮大さや居住性を重視して、都市の中に建設されるようになった。ヨーロッパ大陸諸国では都市の中に建てられた貴族の壮麗な邸宅を指すことがある。ヨーロッパ諸語における「Palace(英)」、「Palast(独)」「 Palais(仏)」、「Palazzo(伊)」という表現は、古代ローマのローマの七丘の一つである「Palatinus Mons(パラティーノ)」に由来する。この丘にローマ貴族の多くが邸宅を建て、初代皇帝も居住したからである。 日本においては戦士階級(武士)に対して、天皇の形式上の地位が保たれていたことから、天皇の住居のみが宮殿と呼ばれ、武士の住居および軍事的基地である城砦とは明確に区別される。日本語の「御所」は「宮殿」と共に英語のPalaceに意味が近い。イタリア語のPalazzoは宮殿というより単に大邸宅を指す語となっている。.

新しい!!: 宝冠章と宮殿 · 続きを見る »

官報

官報を販売していた霞が関政府刊行物サービス・センター 『官報』(かんぽう)は、日本国の機関紙である。国としての作用に関わる事柄の広報および公告をその使命とする。.

新しい!!: 宝冠章と官報 · 続きを見る »

寛仁親王

寬仁親王(ともひとしんのう、1946年(昭和21年)1月5日 - 2012年(平成24年)6月6日)は、日本の皇族。三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第一男子。今上天皇の従弟、麻生太郎元内閣総理大臣の義弟にあたる。身位は親王。皇室典範における敬称は殿下。お印は柏(かしわ)。勲等は大勲位。称号 (現学位)は政治学士(学習院大学)、鈴鹿国際大学名誉客員教授。そのほか名誉学位として名誉博士(アンカラ大学)の称号を有する。 髭をたくわえた容貌から、「ヒゲの殿下」の愛称で知られていた。皇統譜上の記載は「寛」の旧字体である「寛に『、』が付く字」であるため、政府による公式表記及び本人の著述活動においては旧字体が使用されるが、報道等では新字体で表記されることも多い。生前の住居(寬仁親王邸)は、東京都港区元赤坂二丁目の赤坂御用地内。2013年7月31日より旧寬仁親王邸は三笠宮東邸と称されている。 姉に近衛甯子、弟に桂宮宜仁親王と高円宮憲仁親王、妹に千容子がいる。.

新しい!!: 宝冠章と寛仁親王 · 続きを見る »

寛仁親王妃信子

寬仁親王妃信子(ともひとしんのうひ のぶこ、1955年(昭和30年)4月9日 - )は、日本の皇族で、寬仁親王の妃。旧名、麻生信子(あそう のぶこ)。身位は親王妃。皇室典範における敬称は殿下。お印は花桃(はなもも)。勲等は勲一等。 麻生セメント会長の麻生太賀吉の娘。第45・48・49・50・51代内閣総理大臣・吉田茂の孫。第92代内閣総理大臣麻生太郎の妹。.

新しい!!: 宝冠章と寛仁親王妃信子 · 続きを見る »

小松宮彰仁親王

小松宮彰仁親王(こまつのみや あきひとしんのう、弘化3年1月16日(1846年2月11日) - 明治36年(1903年)2月18日)は、日本の皇族、陸軍軍人。官位は元帥陸軍大将大勲位功二級。仁和寺宮嘉彰親王と同一人物。 伏見宮邦家親王第8王子である。妃は、旧久留米藩主有馬頼咸の長女頼子。.

新しい!!: 宝冠章と小松宮彰仁親王 · 続きを見る »

山階宮菊麿王

山階宮菊麿王(やましなのみや きくまろおう、1873年(明治6年)7月3日 - 1908年(明治41年)5月2日)は、日本の皇族、海軍軍人。山階宮晃親王の第一王子。母は家女房中条千枝子。官位は海軍大佐大勲位功四級。.

新しい!!: 宝冠章と山階宮菊麿王 · 続きを見る »

山階宮武彦王

山階宮武彦王(やましなのみや たけひこおう、1898年(明治31年)2月13日 - 1987年(昭和62年)8月10日)は、日本の皇族。山階宮菊麿王と同妃範子(先妻)の第一王子。海軍少佐。海軍航空隊に所属し、空の宮様とも呼ばれた。.

新しい!!: 宝冠章と山階宮武彦王 · 続きを見る »

島津貴子

1950年(昭和25年)9月24日、兄姉の継宮明仁親王(現・今上天皇)・順宮 厚子内親王(現・池田厚子)とともに。左が清宮。 島津 貴子(しまづ たかこ、1939年(昭和14年)3月2日 - )は、日本の元皇族。昭和天皇と香淳皇后の第五皇女。旧名は、清宮 貴子内親王(すがのみや たかこないしんのう)。お印は橘。 東久邇成子と、久宮祐子内親王(夭折)、鷹司和子、池田厚子は姉、今上天皇と常陸宮正仁親王は兄にあたる。(7人きょうだいの末子)。勲等は勲一等。.

新しい!!: 宝冠章と島津貴子 · 続きを見る »

崩御

崩御(ほうぎょ)は、天皇、皇帝、国王、太皇太后、皇太后、皇后、君主等の死亡を表す敬語。.

新しい!!: 宝冠章と崩御 · 続きを見る »

崇仁親王妃百合子

崇仁親王妃百合子(たかひとしんのうひ ゆりこ、1923年(大正12年)6月4日 - )は、日本の皇族。三笠宮家当主。三笠宮崇仁親王の妃。旧名は高木百合子(たかぎ ゆりこ)。身位は親王妃。皇室典範における敬称は殿下。勲等は勲一等宝冠章。お印は桐(きり)。皇室会議予備議員。公益社団法人日本赤十字社名誉副総裁。華族・高木子爵家の出身。 2016年(平成28年)、夫である三笠宮崇仁親王の薨去に伴い、現在存命中の皇族の中では最年長者となった。また、大正生まれの皇族としては最後の存命者である。.

新しい!!: 宝冠章と崇仁親王妃百合子 · 続きを見る »

中山マサ

中山 マサ(なかやま まさ、1891年1月19日 - 1976年10月11日)は、日本の女性政治家。元自由民主党衆議院議員。日本初の女性閣僚(厚生大臣)。中山太郎(元衆議院議員)は長男、中山正暉(元衆議院議員)は四男。中山泰秀(衆議院議員)は孫。.

新しい!!: 宝冠章と中山マサ · 続きを見る »

中山慶子

中山 慶子(なかやま よしこ、天保6年11月28日〈1836年1月16日〉 - 明治40年(1907年)10月5日)は、明治天皇の生母。孝明天皇の典侍。号は中山一位局など。権大納言・中山忠能の次女で、母は平戸藩主・松浦清(靜山)の十一女・愛子。侯爵を授けられた中山忠愛は長兄。天誅組の主将・中山忠光は同母弟。従一位勲一等。.

新しい!!: 宝冠章と中山慶子 · 続きを見る »

中根千枝

中根 千枝(なかね ちえ、1926年(大正15年)11月30日 - )は、日本の社会人類学者。専門はインド・チベット・日本の社会組織。東京大学名誉教授。女性初の東大教授。女性初の日本学士院会員。また学術系としては女性初の文化勲章受章者となった女性の文化勲章受章者としては11人目だが、それまでの女性の文化勲章受章者はすべて芸術系での受章だった。。イギリス人類学民族学連合名誉会員、国際人類学民族学連合名誉会員など。.

新しい!!: 宝冠章と中根千枝 · 続きを見る »

常陸宮正仁親王

常陸宮 正仁親王(ひたちのみや まさひとしんのう、1935年(昭和10年)11月28日 - )は、日本の皇族。昭和天皇と香淳皇后の第二皇男子。第125代今上天皇の弟宮にあたる。御称号は義宮(よしのみや)。身位は親王。皇室典範における敬称は殿下。お印は黄心樹(おがたま)。勲等は大勲位。皇位継承順位第4位、最年長皇位継承資格者である。 名誉学位はジョージ・ワシントン大学名誉博士、ミネソタ大学名誉博士。その他、ドイツがん学会名誉会員。.

新しい!!: 宝冠章と常陸宮正仁親王 · 続きを見る »

七宝

七宝(しちほう、しっぽう、、칠보、、サプタラットナ、、サッタラタナ)は、仏教において、貴重とされる七種の宝のこと。の宝、七珍ともいう。七宝焼(七寶瑠璃)の語源になったという説もある。.

新しい!!: 宝冠章と七宝 · 続きを見る »

三笠宮崇仁親王

三笠宮崇仁親王(みかさのみや たかひとしんのう、1915年(大正4年)12月2日 - 2016年(平成28年)10月27日)は、日本の皇族、歴史学者(専攻は古代オリエント史)、陸軍軍人(最終階級は陸軍少佐)。大正天皇と貞明皇后の第四皇男子。昭和天皇の末弟、今上天皇の叔父にあたる。御称号は澄宮(すみのみや)。身位は親王。皇室典範における敬称は殿下。勲等は大勲位。称号は東京芸術大学名誉客員教授。お印は若杉(わかすぎ)。 「三笠宮」の宮号内閣告示や宮内庁告示等の表記では、皇族に宮号が冠されることはなく(「皇太子」を除く)、それらの告示が掲載される官報では、「崇仁親王」と表記される。一方、同じ政府による表記でも、国民一般向けのウェブページなどでは、宮号を用いて表記される。皇室典範に定める敬称は殿下。は、1935年(昭和10年)12月2日に崇仁親王が成年式を行った際に賜ったもので、奈良市の三笠山にちなんで命名された。日本軍に従軍経験のある最後の皇族であり、日本の皇室で残っている記録としては最長寿の皇族であった(臣籍降下をした元皇族は除く)。.

新しい!!: 宝冠章と三笠宮崇仁親王 · 続きを見る »

平成

平成(へいせい)は日本の元号の一つ。昭和の後。今上天皇在位中の1989年(平成元年)1月8日から現在に至る。2001年(平成13年)の始まりには西暦における20世紀から21世紀への世紀の転換もあった。2019年(平成31年)4月30日に今上天皇退位により終了する予定であり、予定通り終了した場合、30年113日間(=11,070日間)にわたることとなる。なお、日本の元号では昭和(64年)、明治(45年)、応永(35年)に次いで4番目の長さである(5番目は延暦の25年)。 西暦2018年(本年)は平成30年に当たる。本項では平成が使われた時代(平成時代)についても記述する。.

新しい!!: 宝冠章と平成 · 続きを見る »

久邇宮邦彦王

久邇宮邦彦王(くにのみや くによしおう、1873年(明治6年)7月23日 - 1929年(昭和4年)1月27日)は、日本の皇族、陸軍軍人。階級及び位階勲等は軍事参議官、陸軍大将、大勲位、功四級。贈元帥、贈大勲位菊花章頸飾。 久邇宮朝彦親王の第三王子。香淳皇后(昭和天皇の皇后)の父。第125代今上天皇の外祖父。.

新しい!!: 宝冠章と久邇宮邦彦王 · 続きを見る »

久邇宮朝融王

久邇宮朝融王(くにのみや あさあきらおう、1901年(明治34年)2月2日 - 1959年(昭和34年)12月7日)は、日本の皇族、官位は海軍中将大勲位功三級。 昭和天皇の義兄。第125代今上天皇の伯父にあたる。.

新しい!!: 宝冠章と久邇宮朝融王 · 続きを見る »

五芒星

五芒星 使用例: ラウンドトップの窓に五芒星がデザインされた北炭滝之上水力発電所 5つの角を持つ星マークを五光星、五稜星あるいは五角星(five-pointed star)というが、そのうち互いに交差する長さの等しい5本の線分で構成され、中心に五角形が現れる図形が五芒星(ごぼうせい)である。ペンタグラム(pentagram)、五線星、星型五角形(星型正五角形)ともいう。 5つの要素を並列的に図案化できる図形として、洋の東西を問わず使われてきた。世界中で魔術の記号とされ、守護に用いることもあれば、サタニズムに見られるように上下を逆向きにして悪魔の象徴とすることもある。悪魔の象徴としてとらえる際には、デビルスターと呼ばれることもある。.

新しい!!: 宝冠章と五芒星 · 続きを見る »

伏見宮博恭王

伏見宮 博恭王(ふしみのみや ひろやすおう、1875年(明治8年)10月16日 - 1946年(昭和21年)8月16日)は、日本の皇族、海軍軍人。伏見宮貞愛親王王子。議定官、軍令部総長を務めた。栄典は元帥海軍大将大勲位功一級。初め名を愛賢王(なるかたおう)といい、華頂宮相続に当たり名を博恭と改めた。 日露戦争では連合艦隊旗艦「三笠」分隊長として黄海海戦に参加し戦傷を負う。また艦長や艦隊司令長官を務める等、皇族出身の軍人の中では実戦経験が豊富であった。.

新しい!!: 宝冠章と伏見宮博恭王 · 続きを見る »

伏見宮貞愛親王

伏見宮貞愛親王(ふしみのみや さだなるしんのう、1858年6月9日(安政5年4月28日) - 1923年(大正12年)2月4日)は、日本の皇族、陸軍軍人、帝国軍人後援会総裁(初代)。官位は元帥陸軍大将大勲位功二級内大臣。伏見宮邦家親王第14王子。母は鷹司政煕の女鷹司景子。伏見宮第22代および第24代。.

新しい!!: 宝冠章と伏見宮貞愛親王 · 続きを見る »

伏見宮邦家親王

伏見宮邦家親王(ふしみのみや くにいえしんのう、享和2年10月24日(1802年11月19日) - 明治5年8月5日(1872年9月7日))は、江戸時代から明治初期の日本の皇族。伏見宮第20代および第23代。伏見宮貞敬親王の第1王子。崇光天皇の男系14世子孫。幼称は睦宮(まさのみや)。父の貞敬親王は皇位継承候補として名が挙がったことがある。 1947年(昭和22年)に皇籍離脱した旧皇族11宮家全ての源流。第125代天皇・明仁の高祖父である。.

新しい!!: 宝冠章と伏見宮邦家親王 · 続きを見る »

伏見朝子

伏見 朝子(ふしみ ときこ、1902年(明治35年)6月20日 - 1971年(昭和46年)4月3日)は、公爵・一条実輝の三女で、伏見宮博恭王第一王子・博義王の妃。.

新しい!!: 宝冠章と伏見朝子 · 続きを見る »

彰仁親王妃頼子

彰仁親王妃頼子(あきひとしんのうひ よりこ、嘉永5年6月18日(1852年8月3日) - 大正3年(1914年)6月26日)は、日本の皇族。小松宮彰仁親王の妃。.

新しい!!: 宝冠章と彰仁親王妃頼子 · 続きを見る »

佳子内親王

佳子内親王(かこないしんのう、1994年(平成6年)12月29日 - )は、日本の皇族。秋篠宮文仁親王と同妃紀子の第二女子。第125代今上天皇の2番目の孫にあたる。身位は内親王。皇室典範における敬称は殿下。成年に伴い、宝冠大綬章受章(旧勲等では勲一等宝冠章に相当)。お印はゆうな。姉に眞子内親王、弟に悠仁親王がいる。.

新しい!!: 宝冠章と佳子内親王 · 続きを見る »

依仁親王妃周子

周子 依仁親王妃周子(よりひとしんのうひ かねこ、1876年(明治9年)8月29日 - 1955年(昭和30年)3月4日)は日本の皇族。東伏見宮依仁親王の妃。.

新しい!!: 宝冠章と依仁親王妃周子 · 続きを見る »

従一位

従一位(じゅいちい)は、日本の位階及び神階の位の一つ。正一位の下に位し、正二位の上位にあたる。.

新しい!!: 宝冠章と従一位 · 続きを見る »

北白川宮能久親王

北白川宮能久親王(きたしらかわのみや よしひさ しんのう、弘化4年2月16日(1847年4月1日) - 明治28年(1895年)10月28日)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代の日本の皇族、陸軍軍人。幼名は満宮(みつのみや)。最後の輪王寺宮(りんのうじのみや)として知られる。 伏見宮邦家親王の第9王子。生母は堀内信子。幕末に活躍した山階宮晃親王と久邇宮朝彦親王の弟で、仁孝天皇の猶子にもなっているため、孝明天皇の義弟、明治天皇の義理の叔父に当たる。.

新しい!!: 宝冠章と北白川宮能久親王 · 続きを見る »

北白川宮永久王

北白川宮永久王(きたしらかわのみや ながひさおう、1910年(明治43年)2月19日 - 1940年(昭和15年)9月4日)は、日本の皇族、陸軍軍人、貴族院議員。陸軍大将北白川宮能久親王の王子北白川宮成久王の第一王子。最終階級は陸軍砲兵少佐(薨後特進)、勲等は大勲位菊花大綬章。 母は明治天皇の第七皇女房子内親王。妃は男爵徳川義恕の次女祥子。参謀たる陸軍砲兵大尉としてモンゴルへ赴任していたが、演習中に航空事故に巻き込まれ事故死した。.

新しい!!: 宝冠章と北白川宮永久王 · 続きを見る »

北白川宮成久王

北白川宮成久王(きたしらかわのみや なるひさおう、1887年(明治20年)4月18日 - 1923年(大正12年)4月1日)は日本の皇族である。階級は陸軍大佐。 北白川宮能久親王の第3王子。.

新しい!!: 宝冠章と北白川宮成久王 · 続きを見る »

北白川祥子

北白川 祥子(きたしらかわ さちこ、1916年(大正5年)8月26日 - 2015年(平成27年)1月21日)は、北白川宮永久王の妃。男爵・徳川義恕の次女。母は津軽承昭の娘・寛子。 長兄の徳川義寛は侍従長。次兄の津軽義孝は常陸宮妃華子の父に当たる。.

新しい!!: 宝冠章と北白川祥子 · 続きを見る »

マルグレーテ2世 (デンマーク女王)

マルグレーテ2世(、1940年4月16日 - )は、デンマーク女王(在位:1972年1月14日 - )。 妹が2人おり、末妹のアンネ=マリーは元ギリシャ国王コンスタンティノス2世の王妃である。.

新しい!!: 宝冠章とマルグレーテ2世 (デンマーク女王) · 続きを見る »

マーガレット・サッチャー

ッチャー女男爵マーガレット・ヒルダ・サッチャー(Margaret Hilda Thatcher, Baroness Thatcher, LG, OM, PC, FRS、1925年10月13日 - 2013年4月8日)は、イギリスの政治家、一代貴族。旧姓はロバーツ(Roberts)。 イギリス保守党初の女性党首(在任: 1975年 - 1990年)、イギリス初の女性首相(在任: 1979年 - 1990年)。1992年からは貴族院議員。 保守的かつ強硬なその政治姿勢から「鉄の女(Iron Lady)」の異名を取ったことで知られる。.

新しい!!: 宝冠章とマーガレット・サッチャー · 続きを見る »

リリウオカラニ

リリウオカラニ(ハワイ語:Lili‘uokalani、1838年9月2日 - 1917年11月11日)は、ハワイ王国第8代の女王であり、最後のハワイ王。在位は1891年1月29日 - 1893年1月17日。1862年にアメリカ人のジョン・オーウェン・ドミニスと結婚した。1878年に作詞・作曲して今でも多くの人に親しまれている歌『アロハ・オエ』、 「女王の祈り」(The Queen's Prayer)、『クムリポ』(ハワイ王国の創世神話)の英訳などの著作を多く残している。.

新しい!!: 宝冠章とリリウオカラニ · 続きを見る »

ヴィクトリア (スウェーデン皇太子)

ヴィクトリア皇太子の紋章 ヴィクトリア(Victoria Ingrid Alice Désirée Bernadotte, 1977年7月14日 - )は、スウェーデン(ベルナドッテ王朝)現国王カール16世グスタフと王妃シルヴィアの第1子であり、スウェーデン王位の法定推定相続人(皇太子)である。弟にカール・フィリップ王子、妹にマデレーン王女がいる。公式の称号は Hennes Kungliga Höghet Victoria, Sveriges Kronprinsessa, Hertiginna av Västergötland(ヴェステルイェートランド公爵夫人ヴィクトリア皇太子殿下)。 世界の女性の法定推定相続人(皇太子・次期女王)の中では最年長である。.

新しい!!: 宝冠章とヴィクトリア (スウェーデン皇太子) · 続きを見る »

ファーストレディ

ファーストレディ、ファーストレディー とは、一般に大統領や首相の夫人を指す語または彼女らに対する非公式の敬称である。ファーストは「トップの」、レディは「高貴な夫人や女性」を意味する。国家首脳が女性で、その配偶者が男性である場合は、(First Gentleman) という。 元来、皇室や王室の無いアメリカ合衆国大統領の夫人を指す用語だったが、米国の影響力が強まった第一次世界大戦後ごろから世界中に広まり、今日では多くの国で大統領や首相の夫人を指す語として使われている。.

新しい!!: 宝冠章とファーストレディ · 続きを見る »

めっき

めっき(鍍、英語:Plating)は、表面処理の一種で、材料の表面に金属の薄膜を被覆すること、あるいはその方法を指す。狭義には液中でおこなう方法のみを言う。なお、各メディアや書籍において「メッキ」と片仮名で表記されることも少なくないため、外来語のように受け取られることもあるが、和製漢語とされる「滅金(めっきん)」に由来する語である。鍍金(ときん)ともいう。.

新しい!!: 宝冠章とめっき · 続きを見る »

イギリス

レートブリテン及び北アイルランド連合王国(グレートブリテンおよびきたアイルランドれんごうおうこく、United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)、通称の一例としてイギリス、あるいは英国(えいこく)は、ヨーロッパ大陸の北西岸に位置するグレートブリテン島・アイルランド島北東部・その他多くの島々から成る同君連合型の主権国家である。イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの4つの国で構成されている。 また、イギリスの擬人化にジョン・ブル、ブリタニアがある。.

新しい!!: 宝冠章とイギリス · 続きを見る »

ウィルヘルミナ (オランダ女王)

ウィルヘルミナ(Wilhelmina, 1880年8月31日 - 1962年11月28日、在位:1890年 - 1948年)は、オランダ女王。オランダ国王ウィレム3世と後妻である王妃エンマの長女で、1948年に娘のユリアナに譲位するまで58年にわたり在位した。ウィルヘルミナ以後、2013年までオランダは女王の在位が続くことになる。.

新しい!!: 宝冠章とウィルヘルミナ (オランダ女王) · 続きを見る »

エリザベス2世

リザベス2世(、1926年4月21日とされる5月末から6月初め頃と実際の女王誕生日が異なることについては、当該項目を参照。 - )は、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリス)を含む、16か国の主権国家(イギリス連邦王国)の君主であり、王室属領と海外領土の元首である。また、イングランド国教会の。イギリスの君主としてはウィンザー朝の第4代女王である。実名はエリザベス・アレクサンドラ・メアリー()。 1952年2月6日に即位してイギリス連邦に加盟する独立国家たる7か国、すなわち、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリス)、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ連邦、パキスタン、セイロンの女王になる。連合王国女王のレルムに属する国家および領土の数は1956年から1992年までに独立したり共和制に移行したりしたので少しずつ変わっていく。 2016年現在の今日においては、(現在まで存続している)前述の4か国(イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド)に加え、ジャマイカ、バルバドス、バハマ、グレナダ、パプアニューギニア、ソロモン諸島、ツバル、セントルシア、セントビンセント・グレナディーン、ベリーズ、アンティグア・バーブーダ、セントクリストファー・ネイビスが女王を君主としている。こうしてエリザベス2世は、合計16か国の君主を兼ねている。またクック諸島など、上記の国と自由連合制をとる国や、その一部となっている国・地域の中にも女王を元首としているところが存在する。 2015年、高祖母たるヴィクトリア女王を抜いて英国史上最高齢の君主になった。2015年1月23日にはサウジアラビア国王のアブドゥッラー・ビン・アブドゥルアズィーズが90歳で死去したことにより、88歳(当時)で存命する在位中の君主の中で世界最高齢になった。2015年9月9日には、在位期間が63年と216日となり、同じくヴィクトリア女王を抜いて英国史上最長在位の君主となった。さらに、2016年10月13日にはラーマ9世(タイ王国)の死去により、存命の君主では世界第1位の長期在位君主となった。.

新しい!!: 宝冠章とエリザベス2世 · 続きを見る »

エリザベス・ヴァイニング

皇太子明仁親王とエリザベス・ヴァイニング夫人(昭和24年) エリザベス・ジャネット・グレイ・ヴァイニング(Elizabeth Janet Gray Vining、1902年10月6日 - 1999年11月27日)は、アメリカ合衆国の司書・作家。日本ではヴァイニング夫人の名で知られている。戦後しばらくの時期、当時皇太子であった少年時代の明仁親王(今上天皇)の家庭教師をしたことで広く知られる。.

新しい!!: 宝冠章とエリザベス・ヴァイニング · 続きを見る »

エリザベス・ボーズ=ライアン

リザベス・アンジェラ・マーガレット・ボーズ=ライアン姓は「バウエス=ライオン」「バウズ=ライアン」と表記される例もある。ノート:エリザベス・ボーズ=ライアンを参照のこと。(Elizabeth Angela Marguerite Bowes-Lyon、1900年8月4日 - 2002年3月30日)は、連合王国(イギリス)の王妃(在位:1936年12月11日 - 1952年2月6日)、およびインド皇后(在位:1936年 - 1947年) 1923年にヨーク公アルバート(ジョージ6世)と結婚。1936年に夫が国王に即位したため王妃となった。1952年に夫が肺癌で崩御し、長女のエリザベス2世 (HM Queen Elizabeth II)が即位したため、両者が同名であることによる混乱を避けるために、エリザベス2世の即位以降はエリザベス皇太后 (HM Queen Elizabeth The Queen Mother) と呼ばれるようになった。エリザベスは、最後のアイルランド王妃、インド皇后となっている。.

新しい!!: 宝冠章とエリザベス・ボーズ=ライアン · 続きを見る »

コラソン・アキノ

1986年2月25日。大統領就任宣誓式におけるコラソン・アキノ コラソン・アキノ(Corazón Aquino, 1933年1月25日 - 2009年8月1日)は、フィリピン共和国第11代大統領(在職1986年 - 1992年)。上院議長の夫ベニグノ・アキノ・ジュニア暗殺後、フェルディナンド・マルコス大統領に対抗した。通称はコリーだったため、コリー・アキノと呼ばれた。学歴はマウント・セント・ヴィンセント大学文学部卒業。学位は文学士(マウント・セント・ヴィンセント大学)。称号は名誉法学博士(早稲田大学)。.

新しい!!: 宝冠章とコラソン・アキノ · 続きを見る »

ジョージ6世 (イギリス王)

ョージ6世(、アルバート・フレデリック・アーサー・ジョージ、、1895年12月14日 - 1952年2月6日)は、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(イギリス)ならびに海外自治領(The British Dominions beyond the Sea)の国王(在位:1936年12月11日 - 1952年2月6日)。また、最後のインド皇帝(在位:1936年 - 1947年)にして、最初のイギリス連邦元首 (en:Head of the Commonwealth)(在位:1949年4月28日 - 1952年2月6日)でもあった。.

新しい!!: 宝冠章とジョージ6世 (イギリス王) · 続きを見る »

冠(かんむり)とは地位や階級などを示すために頭にかぶる装飾品。.

新しい!!: 宝冠章と冠 · 続きを見る »

内親王

内親王(ないしんのう、うちのみこ、ひめみこ、Princess)は、皇族女子の身位または称号の一つ。現行の皇室典範では天皇からみて直系で2親等以内の者に与えられる。かつては、親王宣下を受けた皇族女子に与えられた。.

新しい!!: 宝冠章と内親王 · 続きを見る »

内海桂子

内海 桂子(うつみ けいこ、本名:安藤 良子、1922年9月12日 - )は、日本の芸人、漫才師、女優。漫才協会名誉会長、マセキ芸能社所属。.

新しい!!: 宝冠章と内海桂子 · 続きを見る »

元首

元首(げんしゅ)または国家元首(こっかげんしゅ、dux civitatis、chef d’État、head of state)とは、.

新しい!!: 宝冠章と元首 · 続きを見る »

勲章

勲章(くんしょう)は、主に国家あるいはその元首などが個人に対し、その功績や業績を表彰するために与える栄典のうち、章飾の授与を伴うもの、あるいはその栄誉を示す章飾。.

新しい!!: 宝冠章と勲章 · 続きを見る »

勲章 (日本)

功一級金鵄勲章の副章。左肩から右脇にかけている大綬は功一級金鵄勲章の正章。 本項では、日本の勲章(にほんの くんしょう)について解説する。.

新しい!!: 宝冠章と勲章 (日本) · 続きを見る »

勲等

勲等(くんとう)とは勲功に対して授与されたものである。日本においては律令制度が出来た当時は勲位と称し、勲一等以下勲十二等までの12等級あった。また、位階勲等という様に叙勲は位階に応じて行われた。 以下、日本の勲等について詳述する。.

新しい!!: 宝冠章と勲等 · 続きを見る »

国家

国家(こっか)とは、国境線で区切られた国の領土に成立する政治組織で、その地域に居住する人々に対して統治機構を備えるものである。領域と人民に対して、排他的な統治権を有する(生殺与奪の権利を独占する)政治団体もしくは政治的共同体である。 政治機能により異なる利害を調整し、社会の秩序と安定を維持していくことを目的にし社会の組織化をする。またその地域の住民は国家組織から国民あるいは公民と定義される。.

新しい!!: 宝冠章と国家 · 続きを見る »

国王

国王(こくおう、英語:king, フランス語:roi, ドイツ語:König, ノルド語:kong, ラテン語:rex)は、国の君主(王)を指し、その称号(君主号)でもある。特に男性である場合(男王)を指す。.

新しい!!: 宝冠章と国王 · 続きを見る »

国民

国民(こくみん)とは、国に属する個々の人間を指す場合と、国に対応する人間集団をまとめて指す場合とがある。共産主義的なニュアンスを嫌うなどの理由で人民の言い換えとして用いられることも多いが、外国人を含むかどうかなど意味合いも変わるため、「国民」ではなく「人々」などと言い換える場合もある。.

新しい!!: 宝冠章と国民 · 続きを見る »

皇后

皇后(こうごう、Empress)は、天皇や皇帝の正妃(正妻)、およびその人物に与えられる称号。 一夫多妻制のもとでは、天皇や皇帝の複数の妻のうち最上位の者となる。.

新しい!!: 宝冠章と皇后 · 続きを見る »

皇后美智子

皇后美智子(こうごう みちこ、1934年〈昭和9年〉10月20日 - )は、第125代天皇・今上天皇の皇后。皇族。旧姓は正田(しょうだ)。皇室典範に定める敬称は陛下。日本赤十字社名誉総裁、国際児童図書評議会名誉総裁。.

新しい!!: 宝冠章と皇后美智子 · 続きを見る »

皇太后

皇太后(こうたいごう、Empress Dowager)は、先代の天皇・皇帝の皇后であった者、およびその称号。ただし必ずしもこの定義にあてはまらない事例もある。.

新しい!!: 宝冠章と皇太后 · 続きを見る »

皇太子

皇太子(こうたいし、Crown Prince)は、皇位継承(帝位継承)の第一順位にある皇子を指す称号。一般的には皇室ならびに海外の王室における君主位の法定推定相続人の敬称として使われる。.

新しい!!: 宝冠章と皇太子 · 続きを見る »

皇太子妃

皇太子妃(こうたいしひ、Crown Princess)とは、皇太子の妃の身位、またその身位にある人をいう。.

新しい!!: 宝冠章と皇太子妃 · 続きを見る »

皇太子徳仁親王

皇太子徳仁親王(こうたいし なるひとしんのう、1960年(昭和35年)2月23日 - )は、日本の皇族。今上天皇の第一皇男子。母は皇后美智子。御称号は浩宮(ひろのみや)。身位は皇太子(法定推定相続人)、親王。皇室典範に定める敬称は殿下。お印は梓(あずさ)。勲等は大勲位。学位は人文科学修士(学習院大学)1988年(昭和63年)。その他、名誉学位・称号として名誉法学博士(ケンブリッジ大学)などがある。皇位継承順位第1位。 住居は東京都港区元赤坂二丁目の赤坂御用地内にある東宮御所。.

新しい!!: 宝冠章と皇太子徳仁親王 · 続きを見る »

皇太子徳仁親王妃雅子

皇太子徳仁親王妃雅子(こうたいしなるひとしんのうひ まさこ、1963年(昭和38年)12月9日 - )は、日本の皇族。皇太子徳仁親王の妃。旧名・小和田 雅子(おわだ まさこ)。身位は皇太子妃。皇室典範に定める敬称は殿下。お印はハマナス。勲等(称号)は宝冠大綬章。学位は経済学士(ハーバード大学・1985年)。 御所は東京都港区元赤坂二丁目の赤坂御用地内にある東宮御所。.

新しい!!: 宝冠章と皇太子徳仁親王妃雅子 · 続きを見る »

皇帝

皇帝(こうてい、中国語: 皇帝、imperator、emperor; king of kings、Kaiser、Βασιλευς、император、İmparator)は、帝国の世襲の君主。諸王に超越する王(諸王の王)、君主国の君主の称号。皇帝という君主号には唯一神の意や、模倣・僭称も存在する。.

新しい!!: 宝冠章と皇帝 · 続きを見る »

皇族

女王旗)皇室儀制令19条では「親王旗親王妃旗内親王旗王旗王妃旗女王旗」。 皇族(こうぞく)は、天皇の親族のうち、男系の嫡出の血族(既婚の女子を除く)およびその配偶者の総称。すなわち、皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃および女王の総称であり、天皇は含まれない。天皇を含む場合は「皇室」という。.

新しい!!: 宝冠章と皇族 · 続きを見る »

王女

王女(おうじょ)は、国王あるいは国王と同様の君主の娘の呼称。英語のプリンセス(Princess)の訳語として、王族の女性一般に使用されることもある。例えばモナコ公国の君主(大公もしくは公)の娘は公女・姫と呼ばれるのが正確であるが、一般的に王女とも呼ばれる。.

新しい!!: 宝冠章と王女 · 続きを見る »

王妃

王妃(おうひ)は、王の正妃(第一夫人)のことである。君主としての王の妃の意味で用いられる場合と、諸侯または皇族としての王の妃の称号として用いられる場合がある。ヨーロッパの諸言語では前者の意味の王妃と、自身が君主である女王に同じ単語が用いられる。英語を例に挙げると、queen で両者を共に意味し、区別する場合には王妃を queen consort 、女王を queen regnant と呼び分ける。.

新しい!!: 宝冠章と王妃 · 続きを見る »

王妃 (皇族)

王妃(おうひ)は、日本の皇族に属する王の妃の身位、またはその身位にある人をいう。日本における王妃は皇室典範第5条により皇族と規定される。敬称は「殿下」である(同法第23条第2項)。 1947年(昭和22年)10月14日の旧11宮家皇籍離脱以降、王妃の身位に該当する皇族は存在しない。.

新しい!!: 宝冠章と王妃 (皇族) · 続きを見る »

王室

王室(おうしつ)とは、一国の国王及び王族の総称。以下、君主が国王以外の場合も当記事に含める。.

新しい!!: 宝冠章と王室 · 続きを見る »

王公族

王公族(おうこうぞく、왕공족)は、大日本帝国により併合された旧大韓帝国皇室である李王家とその一族の日本における身分。本記事では制度としての王族・公族について記述し、家系については李王家で記述する。.

新しい!!: 宝冠章と王公族 · 続きを見る »

王族

王族(おうぞく)は、国の君主の一族(家族・親族)のこと。狭義では王を親や先祖に持つ者とその配偶者の中で、現在の王や法律により王族と承認されている者である。広義では、一般的に王の親族関係にあると認識される者を全て含む。国王と合わせて総称した場合、王室(王家)という。.

新しい!!: 宝冠章と王族 · 続きを見る »

秩父宮雍仁親王

秩父宮雍仁親王(ちちぶのみや やすひとしんのう、1902年(明治35年)6月25日 - 1953年(昭和28年)1月4日)は、日本の皇族。大正天皇と貞明皇后(同日の誕生日であった)の第二皇男子。昭和天皇の弟宮、今上天皇の叔父にあたる。 妃は勢津子(旧会津藩主・松平容保の四男で外交官を務めた松平恆雄の長女)。御称号は淳宮(あつのみや)。身位は親王。お印は若松(わかまつ)。階級は陸軍少将。勲等功級は大勲位功三級。勢津子妃との間に子女はない。.

新しい!!: 宝冠章と秩父宮雍仁親王 · 続きを見る »

称号

号(しょうごう、英語:Title)とは、主に個人または団体の公的な身分や資格、地位などを表す呼び名。.

新しい!!: 宝冠章と称号 · 続きを見る »

秋篠宮文仁親王

秋篠宮文仁親王(あきしののみや ふみひとしんのう、1965年〈昭和40年〉11月30日 - )は、日本の皇族。今上天皇の第二皇男子。秋篠宮の家祖。母は皇后美智子。身位は親王、皇室典範における敬称は殿下。お印は栂。皇位継承順位は兄・皇太子徳仁親王に次ぐ第2位。 勲等は大勲位菊花大綬章。学位は博士(理学)(総合研究大学院大学・1996年)。そのほか、タイ王国複数の大学より、名誉博士の名誉学位・称号を授与されている。 住居(秋篠宮・宮邸)は東京都港区元赤坂二丁目の赤坂御用地内。1997年(平成9年)3月からは旧秩父宮・宮邸を使用している。 2007年9月5日から現在まで皇室会議の議員を務めている。.

新しい!!: 宝冠章と秋篠宮文仁親王 · 続きを見る »

竹田宮恒久王

竹田宮恒久王(たけだのみや つねひさおう、1882年(明治15年)9月22日 - 1919年(大正8年)4月23日)は日本の皇族・陸軍軍人。.

新しい!!: 宝冠章と竹田宮恒久王 · 続きを見る »

竹田恒徳

竹田 恒徳(たけだ つねよし、1909年(明治42年)3月4日 - 1992年(平成4年)5月11日)は、日本の旧皇族(竹田宮第2代)、陸軍軍人。1947年(昭和22年)10月に皇籍離脱し、竹田恒徳と名乗る。皇籍離脱前は竹田宮恒徳王(たけだのみや つねよしおう)。陸軍少将竹田宮恒久王の第1王子で、母は明治天皇の第6皇女常宮昌子内親王、昭和天皇の従弟にあたる。最終階級は陸軍中佐。勲等は大勲位。 妹の禮子女王は佐野常光に嫁す。.

新しい!!: 宝冠章と竹田恒徳 · 続きを見る »

純宗 (朝鮮王)

純宗(じゅんそう、、片仮名転写:スンジョン、1874年3月25日(旧暦2月8日) - 1926年4月24日)は、大韓帝国第2代皇帝(在位:1907年7月20日 - 1910年8月29日、李氏朝鮮から通算して第27代君主)。最後の大韓帝国皇帝。韓国併合後は大日本帝国の王公族として初代李王。姓は李(イ、)、名は(チョク、)、字は君邦(クンバン、)、号は正軒(チョンホン、)。諡号は文温武寧敦仁誠敬孝皇帝。在位時の年号をとって隆煕皇帝(りゅうきこうてい、ユンヒファンジェ、)と呼ぶこともある。.

新しい!!: 宝冠章と純宗 (朝鮮王) · 続きを見る »

純貞孝皇后

純貞孝皇后尹氏(じゅんていこうこうごう いんし、スンジョンヒョファンフ ユンシ)は、大韓帝国の第2代(最後の)皇帝・純宗の2番目の妃。本貫は海平尹氏。.

新しい!!: 宝冠章と純貞孝皇后 · 続きを見る »

真珠

真珠(しんじゅ)あるいはパール(Pearl)とは貝から採れる宝石の一種である。6月の誕生石である。石言葉は「健康・富・長寿・清潔・素直」など。 真珠は貝の体内で生成される宝石である。生体鉱物(バイオミネラル)と呼ばれる。貝殻成分を分泌する外套膜が、貝の体内に偶然に入りこむことで天然真珠が生成される。つまり成分は貝殻と等しい。貝殻を作る軟体動物であれば真珠を生成する可能性がある。 小石や寄生虫などの異物が貝の体内に侵入した時に外套膜が一緒に入り込む結果、真珠が生成される。そのため「異物の侵入が真珠の成因だ」とする説が一般的であったが、これは誤りである。 外套膜は細胞分裂して袋状になり、真珠を生成する真珠袋をつくる。その中でカルシウムの結晶(アラレ石)と有機質(主にタンパク質コンキオリン)が交互に積層した真珠層が形成されて、真珠ができる。この有機質とアラレ石の薄層構造が干渉色を生み出し、真珠特有の虹色(オリエント効果)が生じる。真珠層の構造や色素の含有量などによって真珠の色・照りが決まる。 日本の養殖真珠の発明とは「球体に削った核を、アコヤガイの体内に外套膜と一緒に挿入し、真珠層を形成させる」というものである。 巻き貝から生成されるコンク真珠やメロ真珠は真珠層を持っていない。従って、上記の真珠と区別されることがある。 真珠の重量の計量単位には、養殖真珠の産業化に成功したのが日本であったことから、日本の尺貫法の単位である匁(3.75グラム)や貫(3.75キログラム)が使われる一方で、グラム、カラット(200ミリグラム)やグレーン(通常は正確に64.798 91ミリグラムだが、真珠の計量については50ミリグラム)も用いられる。真珠の大きさの単位はミリメートルであるが、真珠のネックレスの長さについては業者間の取引では主にインチが使われている。 冠婚葬祭のいずれの場面でも使える便利な装飾品で、「日本人が最も多く持つジュエリー」との推測もある。炭酸カルシウムが成分であるため、汗が付いたまま放置すると真珠特有の光沢が失われる。このため、使用後に柔らかい布で拭くなどの手入れが大切である。.

新しい!!: 宝冠章と真珠 · 続きを見る »

眞子内親王

子内親王(まこないしんのう、1991年〈平成3年〉10月23日 - )は、日本の皇族。秋篠宮文仁親王と同妃紀子の第1女子。第125代今上天皇の初孫。身位は内親王。皇室典範における敬称は殿下。成年に伴い、宝冠大綬章受章(旧勲等では勲1等宝冠章に相当)。学位はレスター大学修士(学術)(博物館学)。お印は木香茨(もっこうばら)。妹に佳子内親王、弟に悠仁親王がいる。現在、内親王では最年長。.

新しい!!: 宝冠章と眞子内親王 · 続きを見る »

絢子女王

絢子女王(あやこじょおう、1990年〈平成2年〉9月15日 - )は、日本の皇族。高円宮憲仁親王と同妃久子の第3女子。第123代大正天皇の皇曾孫。第125代今上天皇の皇従姪。姉に承子女王、千家典子がいる。身位は女王。皇室典範における敬称は殿下。お印は葛(くず)。栄典は宝冠牡丹章(旧制度での勲二等宝冠章に相当)。学位は修士 (福祉社会・城西国際大学)。現在、女王では最年少。.

新しい!!: 宝冠章と絢子女王 · 続きを見る »

瑞宝章

勲一等瑞宝章の正章1895年(明治28年)、西園寺公望が授与された物。国立公文書館所蔵(請求番号:寄贈02112100)。。現行の瑞宝大綬章と本体部分の意匠は同じ。 勲一等瑞宝章の副章。現行の瑞宝大綬章と意匠は同じ。 瑞宝章(ずいほうしょう、Orders of the Sacred Treasure)は、日本の勲章の一つ。.

新しい!!: 宝冠章と瑞宝章 · 続きを見る »

熾仁親王妃董子

仁親王妃董子(たるひとしんのうひ ただこ、1855年6月25日(安政2年5月12日) - 1923年(大正12年)2月7日)は、明治時代から大正時代にかけての皇族。有栖川宮熾仁親王の2番目の親王妃である。.

新しい!!: 宝冠章と熾仁親王妃董子 · 続きを見る »

盛厚王

盛厚王(もりひろおう、1917年5月6日 - 1969年2月1日)は、日本の皇族、陸軍軍人。旧皇族。東久邇宮稔彦王第一王子で、母は明治天皇第九皇女聰子内親王。弟に師正王、粟田彰常侯爵、多羅間俊彦がいる。 陸軍での階級は陸軍少佐。勲等は勲一等。なお、盛厚王自身は「東久邇宮」を継承してはいないが、慣例に従い「東久邇若宮」と呼ばれることもあった。.

新しい!!: 宝冠章と盛厚王 · 続きを見る »

銀(ぎん、silver、argentum)は原子番号47の元素。元素記号は Ag。貴金属の一種。.

新しい!!: 宝冠章と銀 · 続きを見る »

韓国併合

韓国併合(かんこくへいごう、Japan's Annexation of Korea)とは、1910年(明治43年)8月29日、韓国併合ニ関スル条約に基づいて大日本帝国が大韓帝国を併合した事実を指す。日韓併合、朝鮮併合、日韓合邦とも表記される。この後、日本による統治は1945年(昭和20年)9月9日に朝鮮総督府が米国に降伏するまで、35年間続いた。.

新しい!!: 宝冠章と韓国併合 · 続きを見る »

菊花章

菊花章(きっかしょう)は、日本の明治時代以降の栄典制度における最高位の勲章。大勲位菊花章頸飾と大勲位菊花大綬章の2種類がある。 2003年11月3日の栄典制度改正以降は正章(頸飾と大綬章)と副章という形となっている。この副章は、旧制度では大勲位の範疇に独立して存在する勲章(大勲位菊花章)であったが、実際には頸飾・大綬章の副章として運用され単独で授与された例はなかった。 旧制度での授与時には、「大勲位」という勲等と、「菊花大綬章」又は「菊花章頸飾」という勲章に分けて叙授された(例「大勲位に叙し菊花大綬章を授ける」、「菊花章頸飾を授ける」)が、新制度では、他の勲章の授与方式に合わせて、「大勲位菊花大綬章」又は「大勲位菊花章頸飾」というように分けずに授与される形(例「大勲位菊花大綬章を授ける」)となった。.

新しい!!: 宝冠章と菊花章 · 続きを見る »

菊麿王妃常子

菊麿王妃常子(きくまろおうひ ひさこ、1874年(明治7年)2月7日 - 1938年(昭和13年)2月26日)は、日本の皇族。山階宮菊麿王の後妃。.

新しい!!: 宝冠章と菊麿王妃常子 · 続きを見る »

菊麿王妃範子

菊麿王妃範子(きくまろおうひのりこ、1878年(明治11年)12月4日 - 1901年(明治34年)11月11日)は、日本の皇族。山階宮菊麿王の先妃。旧摂家、公爵・九条道孝の二女。貞明皇后は同腹の妹である。.

新しい!!: 宝冠章と菊麿王妃範子 · 続きを見る »

華頂宮博経親王

華頂宮博経親王(かちょうのみや ひろつねしんのう、嘉永4年3月18日(1851年4月19日) - 明治9年(1876年)5月24日)は、日本の皇族、海軍軍人。官位は議定会計事務総督海軍少将。徳川家茂の猶子。 伏見宮邦家親王第十二王子、母は家女房堀内信子。華頂宮を創設した。 幼少時の称号を隆宮といい嘉永5年(1852年)に出家し知恩院門跡となり尊秀と号す。万延元年(1860年)8月に孝明天皇の猶子となり、同年11月、親王宣下を受ける。慶応4年(1868年)勅命により復飾し一家を創設、宮号を華頂宮とし博経に名を戻す。宮号は知恩院に因む。 和学校御用掛・弾正尹・議定・会計事務総督を歴任した他、アメリカに留学し海軍について学び、1876年(明治9年)海軍少将となるも同年5月24日薨去する。.

新しい!!: 宝冠章と華頂宮博経親王 · 続きを見る »

要人

赤坂) 要人(ようじん)とは、社会に重大な影響が及ぶ立場や要職に就いている人物のことである。(ブイ・アイ・ピー(「ヴィップ」「ビップ」)と発音すると軽蔑的な響きがするため、「ヴィップ」「ビップ」とは読まない。 - プラクティカル ジーニアス英和辞典 ISBN 9784469041682(大修館書店) 1695ページ/当該項目より発音はであり、とは発音しない。 - プログレッシブ英和中辞典 第4版(小学館)、.

新しい!!: 宝冠章と要人 · 続きを見る »

親王妃

親王妃(しんのうひ/みこのみめ、Princess)は、親王の妃、またはその身位にある人をいう。日本における親王妃は皇室典範第5条により皇族(女性皇族)と規定される。なお、皇太子妃も、親王妃に含まれる。敬称は「殿下」である(同法第23条第2項)。江戸時代までは御息所ともいわれた。 現在、親王妃は皇太子妃を含めて、皇太子徳仁親王妃雅子(皇太子妃)、文仁親王妃紀子(秋篠宮妃)、正仁親王妃華子(常陸宮妃)、崇仁親王妃百合子(三笠宮妃)、寛仁親王妃信子、憲仁親王妃久子(高円宮妃)の6名である。.

新しい!!: 宝冠章と親王妃 · 続きを見る »

首相

首相(しゅしょう、英語:prime minister)は、首席の宰相ないし大臣を意味し、特に、議院内閣制において行政府たる内閣において首席の大臣を指す。行政府の長。国家元首やその代理人としての総督よりも儀礼上は下位に位置する。.

新しい!!: 宝冠章と首相 · 続きを見る »

首長

首長(しゅちょう)は、行政機関(日本の場合は特に地方公共団体)の長を意味する用語で、広い意味では集団・組織を統率する長を意味する言葉である。.

新しい!!: 宝冠章と首長 · 続きを見る »

香淳皇后

香淳皇后(こうじゅんこうごう、1903年(明治36年)3月6日 - 2000年(平成12年)6月16日)は、昭和天皇の皇后。今上天皇の実母。名は良子(ながこ)、久邇宮家出身で、皇后となる以前の身位は女王。 歴代皇后の中で最長寿である(満97歳没)。.

新しい!!: 宝冠章と香淳皇后 · 続きを見る »

高円宮憲仁親王

円宮 憲仁親王(たかまどのみや のりひとしんのう、1954年(昭和29年)12月29日 - 2002年(平成14年)11月21日)は、日本の皇族。三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第三男子で、兄に三笠宮寛仁親王、桂宮宜仁親王がいる。昭和天皇の甥・今上天皇の従弟にあたる。身位は親王。お印は柊(ひいらぎ)。勲等は大勲位。学位は法学士(学習院大学)。 高円宮の宮号は昭和天皇から賜ったものである。父宮の三笠宮の宮号の由来となった奈良県奈良市の三笠山付近にある高円山から採られた。諱である憲仁は高倉天皇と字面・読みともに同じである。.

新しい!!: 宝冠章と高円宮憲仁親王 · 続きを見る »

高松宮宣仁親王

松宮宣仁親王(たかまつのみや のぶひとしんのう、1905年(明治38年)1月3日 - 1987年(昭和62年)2月3日)は、日本の皇族。大正天皇と貞明皇后の第三皇子。今上天皇の叔父にあたる。有栖川宮の祭祀を継承。妃は公爵・徳川慶久の次女・喜久子。御称号は光宮(てるのみや)。身位は親王。お印は若梅(わかうめ)。栄典は大勲位功四級。.

新しい!!: 宝冠章と高松宮宣仁親王 · 続きを見る »

貞明皇后

貞明皇后(ていめいこうごう、1884年(明治17年)6月25日 - 1951年(昭和26年)5月17日)は、大正天皇の皇后。九条道孝(華族・公爵)の四女。ハンセン病の予防など救らい事業や福祉事業、蚕糸業(絹糸)奨励などに尽力した。旧名は、九条 節子(くじょう さだこ)。.

新しい!!: 宝冠章と貞明皇后 · 続きを見る »

貞愛親王妃利子女王

貞愛親王妃利子女王(さだなるしんのうひ としこじょおう、安政5年5月21日(1858年7月1日) - 昭和2年(1927年)10月24日)は、江戸時代幕末から昭和にかけての皇族。父は有栖川宮幟仁親王。.

新しい!!: 宝冠章と貞愛親王妃利子女王 · 続きを見る »

鳩彦王妃允子内親王

鳩彦王妃允子内親王(やすひこおうひ のぶこないしんのう、1891年(明治24年)8月7日 - 1933年(昭和8年)11月3日)は、日本の皇族で、朝香宮鳩彦王の妃。明治天皇の第八皇女。母は権典侍・園祥子。旧名、富美宮允子内親王(ふみのみや のぶこないしんのう)。.

新しい!!: 宝冠章と鳩彦王妃允子内親王 · 続きを見る »

鳳凰

鹿苑寺金閣屋上の鳳凰像。 紫禁城の鳳凰像。 中国 広西チワン族自治区の都市 南寧にある鳳凰の像。 鳳凰(ほうおう)は、中国神話の伝説の鳥、霊鳥である。鳳皇とも。日本や朝鮮など東アジア全域にわたって、装飾やシンボル、物語・説話・説教などで登場する。.

新しい!!: 宝冠章と鳳凰 · 続きを見る »

賀陽宮邦憲王

賀陽宮邦憲王(かやのみや くにのりおう、1867年7月2日(慶応3年6月1日) - 1909年(明治42年)12月8日)は、日本の皇族、伊勢神宮祭主。第125代今上天皇の大伯父にあたる。.

新しい!!: 宝冠章と賀陽宮邦憲王 · 続きを見る »

賀陽宮恒憲王

賀陽宮恒憲王(かやのみや つねのりおう、1900年(明治33年)1月27日 - 1978年(昭和53年)1月3日)は日本の元皇族、陸軍軍人である。神宮祭主賀陽宮邦憲王第1王子。官位は陸軍大学校長陸軍中将大勲位功三級に昇る。妃は九条道実公爵の五女敏子。.

新しい!!: 宝冠章と賀陽宮恒憲王 · 続きを見る »

鷹司和子

鷹司 和子(たかつかさ かずこ、1929年(昭和4年)9月30日 - 1989年(平成元年)5月26日)は、日本の元皇族。昭和天皇と香淳皇后の第三皇女。旧名、孝宮和子内親王(たかのみや かずこないしんのう)。鷹司平通夫人。東久邇成子と久宮祐子内親王は姉、池田厚子と島津貴子は妹、今上天皇と常陸宮正仁親王は弟にあたる。元神宮祭主。勲等は勲一等。.

新しい!!: 宝冠章と鷹司和子 · 続きを見る »

鷹司景子

鷹司 景子(たかつかさ ひろこ、文化10年11月24日(1814年1月15日) - 1892年(明治25年)9月28日)は、江戸時代末期から明治時代の皇族。伏見宮邦家親王の御息所。邦家親王妃景子(くにいえしんのうひ ひろこ)。.

新しい!!: 宝冠章と鷹司景子 · 続きを見る »

身位

身位(しんい)とは、日本の皇族の皇室内部での身分及び地位の差異を表現するためのことば。 日本の皇室において、皇族の身位とは、皇后、太皇太后、皇太后、皇太子、皇太子妃、皇太孫、皇太孫妃、親王、親王妃、内親王、王、王妃、女王をいう。 「皇族身位令」(明治43年皇室令第2号)では、皇族はそれぞれの身位に応じ、下記のとおり叙勲されることとされていた。.

新しい!!: 宝冠章と身位 · 続きを見る »

黒田清子

黒田 清子(くろだ さやこ、1969年(昭和44年)4月18日 - )は、日本の元皇族。今上天皇の第1皇女。母は皇后美智子。勲等は勲一等。学位は学士(国文学)(学習院大学・1992年)。伊勢神宮神宮祭主、玉川大学教育博物館外来研究員、公益財団法人山階鳥類研究所客員研究員。皇族時代の身位は内親王で敬称は殿下という。旧名は紀宮清子内親王(のりのみやさやこないしんのう)。 眞子内親王と佳子内親王と愛子内親王は、姪、悠仁親王は、甥にあたる。.

新しい!!: 宝冠章と黒田清子 · 続きを見る »

載仁親王妃智恵子

載仁親王妃智恵子(ことひとしんのうひ ちえこ、明治5年5月25日(1872年6月30日) - 昭和22年(1947年)3月19日)は、日本の皇族。閑院宮載仁親王の妃。公爵・三条実美の次女。母は鷹司輔煕の九女・治子。.

新しい!!: 宝冠章と載仁親王妃智恵子 · 続きを見る »

近衛やす子

近衞 甯子(このえ やすこ、1944年(昭和19年)4月26日 - )は、日本の元皇族。三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第一女子。旧名、甯子内親王。近衛忠煇(日本赤十字社社長)夫人。お印は楠。勲等は勲一等。学位は文学士(学習院大学)。.

新しい!!: 宝冠章と近衛やす子 · 続きを見る »

能久親王妃富子

能久親王妃富子(よしひさしんのうひ とみこ、文久2年閏旧暦8月8日(1862年10月1日) - 1936年(昭和11年)3月20日)は、日本の皇族。北白川宮能久親王妃。.

新しい!!: 宝冠章と能久親王妃富子 · 続きを見る »

赤松良子

赤松 良子(あかまつ りょうこ、1929年(昭和4年)8月24日 - )は、日本の労働官僚、外交官、政治家。勲等は旭日大綬章。財団法人日本ユニセフ協会会長。筆名は青杉 優子。在ウルグアイ大使、文部大臣を歴任。女性の政治参画拡大を目指す市民団体「Qの会」代表。.

新しい!!: 宝冠章と赤松良子 · 続きを見る »

関東大震災

関東大震災(かんとうだいしんさい)は、1923年(大正12年)9月1日11時58分32秒頃(日本時間、以下同様)に発生した関東大地震によって、南関東および隣接地で大きな被害をもたらした地震災害である。.

新しい!!: 宝冠章と関東大震災 · 続きを見る »

閑院宮載仁親王

閑院宮載仁親王(かんいんのみや ことひとしんのう、1865年11月10日(慶応元年9月22日) - 1945年(昭和20年)5月20日)は日本の皇族、陸軍軍人、日本赤十字社総裁。伏見宮邦家親王第16王子。称号・階級並びに勲等功級は元帥陸軍大将大勲位功一級。 後継のいなくなった閑院宮を継ぎ第6代当主となる。1900年以後から第二次世界大戦終了直前まで皇族軍人として活躍。親王宣下による親王では最後の生存者であり、また大日本帝国憲法下最後の国葬を行った人物である。 また、貴族院創設と同時に皇族議員となり薨去まで54年6ヶ月間務めたが、これは貴族院のみならず参議院まで含めても最長在任記録である。.

新しい!!: 宝冠章と閑院宮載仁親王 · 続きを見る »

閑院宮春仁王

閑院宮春仁王(かんいんのみや はるひとおう、1902年(明治35年)8月3日 - 1988年(昭和63年)6月18日)は、日本の皇族、陸軍軍人で、階級は陸軍少将に昇る。栄典は大勲位・功四級。閑院宮載仁親王の第2王子。兄宮の篤仁王が生後すぐに薨去したため、実質長男として育ち、父載仁親王薨去にともない閑院宮を継承した。なお、父の代まで親王であったため、誤って「閑院宮春仁親王」として言及されることがしばしばある 誤って「春仁親王」とした言及の例:::。 戦後は皇籍を離脱し、姓を閑院とし閑院春仁と名乗った。のちに純仁(すみひと)と改名した。.

新しい!!: 宝冠章と閑院宮春仁王 · 続きを見る »

邦彦王妃俔子

邦彦王妃俔子(くによしおうひ ちかこ、1879年(明治12年)10月19日 - 1956年(昭和31年)9月9日)は、久邇宮邦彦王の妃。香淳皇后の母。今上天皇の外祖母。 姉は黒田長成夫人・清子、松平直亮夫人・充子、山階宮菊麿王妃常子、徳川達孝夫人・知子、久松定謨夫人・貞子。妹は徳川家正夫人・正子、徳川頼貞夫人・為子。弟は第30代島津家当主島津忠重、旧佐土原藩主で孫である島津貴子の夫の島津久永の父に当たる島津久範ら。.

新しい!!: 宝冠章と邦彦王妃俔子 · 続きを見る »

臣籍降下

臣籍降下(しんせきこうか)は、皇族がその身分を離れ、姓を与えられ臣下の籍に降りることをいう。賜姓降下(しせいこうか)とも言い、そのような皇族を俗に賜姓皇族という。皇族女子が臣下に嫁すことで皇族でなくなる場合は臣籍降嫁(しんせきこうか)とも言った。また日本国憲法施行後は皇籍離脱(こうせきりだつ)の語が用いられる。.

新しい!!: 宝冠章と臣籍降下 · 続きを見る »

金鵄勲章

金鵄勲章(きんしくんしょう)は、かつて制定されていた日本の勲章の一つ。日本唯一の武人勲章とされ、武功のあった陸海軍(陸軍・海軍)の軍人および軍属に与えられた。金鵄章ともいう。 「金鵄」という名前の由来は、神武天皇の東征の際に、神武の弓の弭にとまった黄金色のトビ(鵄)が光り輝き、長髄彦の軍を眩ませたという日本神話の伝説に基づく。.

新しい!!: 宝冠章と金鵄勲章 · 続きを見る »

配偶者

配偶者(はいぐうしゃ)は、婚姻関係にある相手方。居住を共にし、場合によっては間に子供を持ち、それを養育しながら家庭生活を営む。男性配偶者を夫(おっと)、女性配偶者を妻(つま)という。.

新しい!!: 宝冠章と配偶者 · 続きを見る »

英照皇太后

英照皇太后(えいしょうこうたいごう、天保5年12月13日(1835年1月11日)天保4年11月13日(1833年12月23日)誕生とする資料もあるが、これは誤り。皇太子統仁親王との婚姻時、親王との年齢差「中四つ」(3歳違い)を忌み嫌う風習があったので、一年早い天保4年を公式の生年としたのが真相である(小学館『日本大百科全書:ニッポニカ』「英照皇太后」の項目、河内八郎執筆)。 - 明治30年(1897年)1月11日)は、孝明天皇の女御にして明治天皇の嫡母(実母ではない)。旧名、九条 夙子(くじょう あさこ)。.

新しい!!: 宝冠章と英照皇太后 · 続きを見る »

雍仁親王妃勢津子

雍仁親王妃勢津子(やすひとしんのうひ せつこ、1909年(明治42年)9月9日 - 1995年(平成7年)8月25日)は、日本の皇族で、秩父宮雍仁親王の妃。旧名は松平節子(まつだいら せつこ)。身位は親王妃。お印は菊(きく)。 成婚に際し、雍仁親王の実母である貞明皇后の名「節子(さだこ)」の同字を避け(避諱)、皇室ゆかりの伊勢と会津松平家ゆかりの会津から一字ずつ取り、同音異字の勢津子に改めた。 旧会津藩主・松平容保の六男で外交官の松平恆雄の長女。母は鍋島直大(侯爵、佐賀藩11代藩主)の娘・信子。.

新しい!!: 宝冠章と雍仁親王妃勢津子 · 続きを見る »

柳原愛子

柳原 愛子(やなぎわら なるこ、1859年6月26日(安政6年5月26日) - 1943年(昭和18年)10月16日)は、明治天皇の典侍。大正天皇の生母。 位階の正二位をもって二位の局(にいのつぼね)と呼ばれた。死後従一位を追叙されたことから一位の局(いちいのつぼね)と呼ばれることもある。女房名は梅ノ井(うめのい)、早蕨典侍(さわらび てんじ)など。 幕末の議奏・柳原光愛の次女で、伯爵柳原前光の妹。「筑紫の女王」と呼ばれた柳原白蓮は姪にあたる。.

新しい!!: 宝冠章と柳原愛子 · 続きを見る »

恒久王妃昌子内親王

恒久王妃昌子内親王(つねひさおうひ まさこないしんのう、1888年(明治21年)9月30日 - 1940年(昭和15年)3月8日)は、日本の皇族で、竹田宮恒久王の妃。明治天皇の第六皇女(母は園基祥の娘・園祥子)。.

新しい!!: 宝冠章と恒久王妃昌子内親王 · 続きを見る »

恒徳王妃光子

恒徳王妃光子(つねよしおうひ みつこ、1915年(大正4年)11月6日 - 2013年(平成25年)8月11日は、日本の元皇族で、竹田宮恒徳王の妃。公爵三条公輝の次女。母は伯爵正親町実正の長女・静子。.

新しい!!: 宝冠章と恒徳王妃光子 · 続きを見る »

恒憲王妃敏子

恒憲王妃敏子(つねのりおうひ としこ、1903年(明治36年)5月16日 - 1995年(平成7年)3月23日)は日本の元皇族。賀陽宮恒憲王の妃。公爵・九条道実の五女。貞明皇后は叔母、昭和天皇は従兄にあたる。.

新しい!!: 宝冠章と恒憲王妃敏子 · 続きを見る »

李垠

李 垠(り ぎん、イ・ウン、、光武元年(1897年)10月20日 - 1970年5月1日)は、大韓帝国最後の皇太子で、日本の王族、李王(李家当主)。大韓帝国時代の称号は英親王。.

新しい!!: 宝冠章と李垠 · 続きを見る »

李グウ

李鍝(り ぐう、イ・ウ、1912年11月15日 - 1945年8月7日)は、李王家の一族で、日本の公族。 父は大韓帝国皇帝高宗の五男李堈。母は側妾の金興仁。純宗、李王垠の甥に当たり、李鍵(桃山虔一)は異母兄、李海瑗は異母妹、李源は甥。初名は成吉、雅号は念石・尚雲。.

新しい!!: 宝冠章と李グウ · 続きを見る »

李コウ (義親王)

李 堈(り こう(日本語読み)、イ・ガン(朝鮮語読み)、1877年3月30日 - 1955年8月17日)は、大韓帝国の皇族(親王)、のち大日本帝国の公族。朝鮮第26代国王・大韓帝国初代皇帝高宗の五男。.

新しい!!: 宝冠章と李コウ (義親王) · 続きを見る »

李ジュン鎔

李埈鎔(イ・ジュンヨン(朝鮮語読み)、り しゅんよう(日本語読み)、1870年6月25日 - 1917年3月22日)は、李氏朝鮮末期の王族、大韓帝国の皇族。李王家の一族で、日本の公族。 父は大韓帝国皇帝高宗の兄・李載冕(完興君・李熹公)。母は洪氏。興宣大院君の嫡長孫。純宗、李王垠、李堈公の従兄弟。養子に鍝(李堈の次男)。字は景極、号は石庭、松亭。日本での名は埈。李埈公。.

新しい!!: 宝冠章と李ジュン鎔 · 続きを見る »

李王家

王家の紋章「李花紋」 李王家(りおうけ、이왕가、イワンガ)は李氏朝鮮の歴代国王を出した家系で、韓国併合後は日本の王公族となり、皇族に準じる待遇を受けたが、第二次世界大戦後の日本国憲法施行に伴いその身分を失った(身位喪失)。.

新しい!!: 宝冠章と李王家 · 続きを見る »

李載冕

李 載冕(イ・チェミョン、1845年8月22日(道光25年7月20日) - 1912年9月9日)は、李氏朝鮮の王族。高宗の兄。興宣大院君の長男。.

新しい!!: 宝冠章と李載冕 · 続きを見る »

李方子

李 方子(り まさこ、이방자〈イ・バンジャ、り ほうし〉、1901年〈明治34年〉11月4日 - 1989年4月30日)は、日本の元皇族。梨本宮家に生まれ、旧大韓帝国の元皇太子で日本の王公族となった李垠の妃。.

新しい!!: 宝冠章と李方子 · 続きを見る »

東久邇宮稔彦王

東久邇宮 稔彦王(ひがしくにのみや なるひこおう、1887年(明治20年)12月3日 - 1990年(平成2年)1月20日)は、日本の皇族(旧皇族)、陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は大勲位。功級は功一級。皇籍離脱後は東久邇 稔彦(ひがしくに なるひこ)を名乗った。世界連邦建設同盟(現世界連邦運動協会)名誉会長、第2代会長。千葉工業大学の創設発案者。 貴族院議員、陸軍航空本部長(第10代)、防衛総司令官(第2代)、内閣総理大臣(第43代)、陸軍大臣(第34代)などを歴任した。 父は久邇宮朝彦親王。香淳皇后(昭和天皇后)は姪、今上天皇は大甥に当たる。 日本の降伏、第二次世界大戦終結後の1945年(昭和20年)8月17日、敗戦の責任を取り辞職した鈴木貫太郎の後を継いで内閣総理大臣に就任、憲政史上最初で最後の皇族内閣を組閣した。 東久邇宮は内閣総理大臣として、連合国に対する降伏文書の調印、陸海軍の解体、復員の処理を実施した。また、「新日本建設に向けて活発な言論と公正な世論に期待する」とし、政治犯の釈放や言論・集会・結社の自由容認の方針を組閣直後に明らかにし、選挙法の改正と総選挙の実施の展望を示した。 その一方、昭和天皇への問責を阻止するため“一億総懺悔”を唱え、国内の混乱を収めようとするも自由化政策内相及び内務警察官僚4000名の罷免と治安維持法の撤廃、特別高等警察の廃止を巡るGHQと内務省による対立とGHQによる内政干渉に抵抗の意志を示すため、歴代内閣在任最短期間の54日で総辞職した東久邇宮首相は、副総理格の緒方竹虎の意見を求めると「占領されている以上拒否はできないが、承服したのでは政府の威信がなくなる。承服できないという消極的な意思表示の意味で内閣総辞職しよう」と述べ、これに首相が同意し、内閣は総辞職した(産経新聞 2002年6月10日掲載)。歴代総理大臣では最高齢(死去時102歳48日)の首相経験者である。.

新しい!!: 宝冠章と東久邇宮稔彦王 · 続きを見る »

東久邇聡子

東久邇 聡子(ひがしくに としこ、1896年(明治29年)5月11日 - 1978年(昭和53年)3月5日)は、日本の元皇族で、東久邇宮稔彦王の妃。明治天皇の第九皇女。母は園祥子。旧名、泰宮聡子内親王(やすのみや としこないしんのう)。皇籍離脱前の名は、稔彦王妃聡子内親王(なるひこおうひ としこないしんのう)。.

新しい!!: 宝冠章と東久邇聡子 · 続きを見る »

東久邇成子

東久邇 成子(ひがしくに しげこ、1925年(大正14年)12月6日 - 1961年(昭和36年)7月23日)は、日本の元皇族。昭和天皇と香淳皇后の第一皇女。今上天皇と常陸宮正仁親王の長姉。お印は紅梅。勲等は勲一等。 旧名は、照宮 成子内親王(てるのみや しげこないしんのう)。皇籍離脱前の名は、盛厚王妃 成子内親王(もりひろおうひ しげこないしんのう)。.

新しい!!: 宝冠章と東久邇成子 · 続きを見る »

東伏見宮依仁親王

東伏見宮 依仁親王(ひがしふしみのみや よりひとしんのう、1867年10月16日(慶応3年9月19日) - 1922年(大正11年)6月27日)は、日本の皇族、海軍軍人。 伏見宮邦家親王第17王子。官位は元帥海軍大将・大勲位・功三級。妃は岩倉具定公爵長女周子(かねこ)。.

新しい!!: 宝冠章と東伏見宮依仁親王 · 続きを見る »

松平佳子

李鍵公と誠子妃(1931年の婚礼時) 松平 佳子(まつだいら よしこ、1911年(明治44年)10月6日 - 2006年(平成18年)6月28日)は、日本の元王公族。高松松平伯爵家の分家、海軍大佐松平胖と妻俊子の長女。伯爵廣橋眞光の養妹廣橋誠子となり、李鍵公(桃山虔一)の妃李誠子となる。戦後に名を佳子に戻し桃山佳子を名乗り、1951年(昭和26年)に離婚して生家の姓に戻した。 李鍵の叔父にあたる李王垠の妃の方子女王(李方子)とは、共に鍋島直大の娘を母とする従姉妹である。.

新しい!!: 宝冠章と松平佳子 · 続きを見る »

栄典

栄典(えいてん)とは、.

新しい!!: 宝冠章と栄典 · 続きを見る »

桐花章

桐花大綬章(とうかだいじゅしょう)は、日本の勲章の一つ。1888年(明治21年)1月4日に旭日章の最上位として追加制定された。日本に於ける高位勲章の一つ。 2003年(平成15年)11月3日から勲一等旭日桐花大綬章は、旭日大綬章及び瑞宝大綬章を授与されるべき者のうち功績又は長年にわたる功労が特に優れているものに授与される勲章とし、名称を桐花大綬章(漢数字による勲等表示は廃止)に改めた。勲章の形容は変わらないが「旭日桐花大綬章」ではなくなり、旭日章とは別個の「桐花章」という勲章に分類が成された。 ここでは新制度に於ける「桐花大綬章」について解説する。旧制度の勲章については旭日章及び勲一等旭日桐花大綬章を参照。.

新しい!!: 宝冠章と桐花章 · 続きを見る »

桃山虔一

桃山 虔一(ももやま けんいち、1909年(隆熙3年)10月28日 - 1990年(平成2年)12月21日)は、日本の元公族。大韓帝国の李王家の出身で、元の名は李鍵(り けん、이 건、イ・コン)。李氏朝鮮第26代国王・大韓帝国初代皇帝高宗の孫。異母弟に広島の原爆で被爆死した鍝、異母妹に李海瑗がいる。.

新しい!!: 宝冠章と桃山虔一 · 続きを見る »

梨本宮守正王

梨本宮守正王(なしもとのみや もりまさおう、1874年(明治7年)3月9日 - 1951年(昭和26年)1月1日)は、日本の皇族、陸軍軍人。官位は元帥陸軍大将。栄典は大勲位功四級。大韓帝国最後の皇太子である李王垠の岳父。第125代今上天皇の大叔父にあたる。.

新しい!!: 宝冠章と梨本宮守正王 · 続きを見る »

梨本伊都子

梨本 伊都子(なしもと いつこ、1882年(明治15年)2月2日 - 1976年(昭和51年)8月19日)は、日本の元皇族。旧名は鍋島伊都子。梨本宮守正王の妃。皇族女性随一の美人と謳われた。妹に松平信子。お印は桂小田部雄次 『天皇と宮家―消えた十一宮家と孤立する天皇家』 新人物往来社、2010年。。.

新しい!!: 宝冠章と梨本伊都子 · 続きを見る »

正仁親王妃華子

石南花 正仁親王妃華子(まさひとしんのうひ はなこ、1940年〈昭和15年〉7月19日 - )は、日本の皇族。常陸宮正仁親王の妃。旧名は津軽華子(つがる はなこ)。身位は親王妃(常陸宮妃)。皇室典範における敬称は殿下。お印は石南花(しゃくなげ)。勲等は勲一等。戦後皇室に嫁いだ妃の中で、唯一の旧華族家出身者である。 2007年9月5日から現在まで皇室会議の議員を務めている。.

新しい!!: 宝冠章と正仁親王妃華子 · 続きを見る »

武彦王妃佐紀子女王

武彦王妃佐紀子女王(たけひこおうひ さきこじょおう、(1903年〈明治36年〉3月30日 - 1923年〈大正12年〉9月1日)は、日本の皇族。賀陽宮邦憲王と同妃好子の第二王女。山階宮武彦王の妃。.

新しい!!: 宝冠章と武彦王妃佐紀子女王 · 続きを見る »

池田厚子

池田 厚子(いけだ あつこ、1931年(昭和6年)3月7日 - )は、日本の元皇族。昭和天皇と香淳皇后の第四皇女。旧名、順宮 厚子内親王(よりのみや あつこないしんのう)。旧岡山藩藩主・池田氏、第16代当主池田隆政夫人。今上天皇と常陸宮正仁親王は弟にあたる。1988年から2017年まで、伊勢神宮神職である神宮祭主を務めた。勲等は勲一等。.

新しい!!: 宝冠章と池田厚子 · 続きを見る »

朝融王妃知子女王

朝融王妃 知子女王(あさあきらおうひ ともこじょおう、1907年(明治40年)5月18日 - 1947年(昭和22年)6月28日)は、日本の皇族。伏見宮博恭王の第3女子、久邇宮朝融王の妃。香淳皇后の義姉。.

新しい!!: 宝冠章と朝融王妃知子女王 · 続きを見る »

朝香宮鳩彦王

朝香宮鳩彦王(あさかのみや やすひこおう、1887年(明治20年)10月20日 - 1981年(昭和56年)4月12日)は日本の皇族、陸軍軍人。久邇宮朝彦親王の第8王子で、朝香宮初代当主。1947年(昭和22年)10月14日に皇族の身分を離れ、朝香鳩彦と名乗る。 最終階級は陸軍大将。勲等は大勲位功一級。また、「ゴルフの宮様」として知られる。 第125代今上天皇の大叔父にあたる。 陸軍大将であったため、朝香大将宮殿下(あさかたいしょうのみやでんか)とも呼ばれた。.

新しい!!: 宝冠章と朝香宮鳩彦王 · 続きを見る »

有栖川宮威仁親王

有栖川宮 威仁親王(ありすがわのみや たけひとしんのう、1862年2月11日(文久2年1月13日)- 1913年 7月5日(大正2年)は、日本の皇族、軍人。官職は軍事参議官。称号・階級は元帥海軍大将。勲等は大勲位。功級は功三級。 有栖川宮幟仁親王の第四王子(男女合わせた王子女の中では八人目、但し成人した男子は熾仁親王と威仁親王だけ)で、生母は家女房の森則子。熾仁親王は異母兄。 幼称は稠宮(さわのみや)。 妃は加賀金沢藩主前田慶寧の娘・慰子(やすこ)。.

新しい!!: 宝冠章と有栖川宮威仁親王 · 続きを見る »

有栖川宮熾仁親王

有栖川宮 熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう、天保6年2月19日(1835年3月17日) - 明治28年(1895年)1月15日)は、江戸時代後期~明治時代の日本の皇族、政治家、軍人。号は初め「泰山」、後に「霞堂」。階級・勲等・功級は陸軍大将大勲位功二級。 有栖川宮幟仁親王の第1王子で、幼名は歓宮(よしのみや)。生母は家女房の佐伯祐子。官職は任命順に、大宰帥、国事御用掛、政府総裁、東征大総督、兵部卿、福岡藩知事(のちに県知事、県令)、元老院議官(後に議長)、鹿児島県逆徒征討総督、左大臣、陸軍参謀本部長、参謀総長、神宮祭主。 和宮親子内親王と婚約していたことで知られる#三島由紀夫のニ・ニ六事件76-77頁。だが和宮との婚約は徳川幕府の権力失墜に伴い公武合体を余儀なくされた幕府が公武合体を国内外に誇示するための実績として和宮は降嫁し、徳川将軍第14代徳川家茂と結婚した。主旧水戸藩主・徳川斉昭の娘で徳川慶喜の妹の徳川貞子を、明治維新後に最初の妃として迎える。貞子は婚儀の2年後、熾仁親王の福岡赴任中に23歳で病没。明治6年(1873年)7月に旧越後新発田藩主・溝口直溥の七女・董子と再婚した。 明治維新後は陸軍軍人として明治天皇を支え、王政復古による天皇中心の明治政府樹立において、政務を統括する最高官職である三職の総裁を務めた。明治28年(1895年)に61歳で薨去。有栖川宮は跡を継いだ異母弟の有栖川宮威仁親王の代で断絶した。.

新しい!!: 宝冠章と有栖川宮熾仁親王 · 続きを見る »

成久王妃房子内親王

成久王妃 房子内親王(なるひさおうひ ふさこないしんのう、1890年(明治23年)1月28日 - 1974年(昭和49年)8月11日)は日本の皇族で、北白川宮成久王の妃である。明治天皇の第七皇女(母は権典侍・園祥子)。.

新しい!!: 宝冠章と成久王妃房子内親王 · 続きを見る »

明仁

明仁(あきひと、1933年(昭和8年)12月23日 - )は日本の第125代天皇(在位: 1989年(昭和64年)1月7日 - )である代数は皇統譜による。。現時代においては「在位中の天皇」を意味する今上天皇(きんじょうてんのう)、または敬称をつけて天皇陛下(てんのうへいか)と呼ばれることが多い。 昭和天皇(第124代天皇)の第一皇子。母は香淳皇后。大正天皇の皇孫かつ明治天皇の皇曾孫。 御称号は継宮(つぐのみや)。皇室典範に定める敬称は陛下。お印は榮(えい、文字がお印)。 日本国憲法施行後初めて即位した天皇であり、また京都ではなく東京で即位の礼を執り行った初めての天皇である。.

新しい!!: 宝冠章と明仁 · 続きを見る »

明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

新しい!!: 宝冠章と明治 · 続きを見る »

明治天皇

明治天皇(めいじてんのう、嘉永5年9月22日(1852年11月3日)- 1912年(明治45年)7月30日)は日本の第122代天皇。諱は睦仁(むつひと)。御称号は祐宮(さちのみや)。お印は永(えい)。倒幕・攘夷派の象徴として近代日本の指導者と仰がれる。功績・人物像から明治大帝(Meiji the Great)・明治聖帝・睦仁大帝(Mutsuhito the Great) とも呼ばれる。.

新しい!!: 宝冠章と明治天皇 · 続きを見る »

春仁王妃直子

春仁王妃直子(はるひとおうひ なおこ、1908年(明治41年)11月7日 - 1991年(平成3年)6月17日)は、日本の元皇族。旧姓一条。公爵・一条実輝の第四女子。母は侯爵・細川護久の娘・細川悦子。閑院宮春仁王の妃,誤って「春仁親王妃直子」として言及されることがしばしばある。.

新しい!!: 宝冠章と春仁王妃直子 · 続きを見る »

昭和天皇

昭和天皇(しょうわてんのう、1901年〈明治34年〉4月29日 - 1989年〈昭和64年〉1月7日)は、日本の第124代天皇(在位: 1926年〈昭和元年〉12月25日 - 1989年〈昭和64年〉1月7日)。 幼少時の称号は迪宮(みちのみや)・諱は裕仁(ひろひと)。お印は若竹(わかたけ)。.

新しい!!: 宝冠章と昭和天皇 · 続きを見る »

昭憲皇太后

昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう、嘉永2年4月17日(1849年5月9日) - 1914年(大正3年)4月9日)は、明治天皇の皇后。旧名・一条美子(いちじょう はるこ)。病弱で実子はなかったが、嫡妻として、明治天皇の側室(柳原愛子)が生んだ嘉仁親王(大正天皇)を養子とした。 欧州の王侯貴族・貴婦人と対峙できるよう近代女子教育を振興し、社会事業の発展、国産の奨励等に尽力した。史上初めて洋装をした皇后。1914年(大正3年)で崩御(64歳)。.

新しい!!: 宝冠章と昭憲皇太后 · 続きを見る »

文仁親王妃紀子

文仁親王妃紀子(ふみひとしんのうひ きこ、1966年(昭和41年)9月11日 - )は、日本の皇族。秋篠宮文仁親王の妃。旧名は川嶋 紀子(かわしま きこ)。身位は親王妃。皇室典範における敬称は殿下。お印は檜扇菖蒲(ひおうぎあやめ)。勲等は勲一等宝冠章。学位は博士(人文科学)(お茶の水女子大学・2013年)。現在、親王妃では最年少。.

新しい!!: 宝冠章と文仁親王妃紀子 · 続きを見る »

文化人類学

文化人類学(ぶんかじんるいがく)は、人間の生活様式全体(生活や活動)の具体的なありかたを研究する人類学の一分野である。.

新しい!!: 宝冠章と文化人類学 · 続きを見る »

日本の国会議員

衆議院会派別勢力図 (2017年(平成29年)10月23日現在 参議院会派別勢力図(2016年(平成28年)7月14日現在) 日本の国会議員(にほんのこっかいぎいん)では、日本国憲法下の日本の国会(衆議院・参議院)の議員について解説する。.

新しい!!: 宝冠章と日本の国会議員 · 続きを見る »

旭日章

旭日章(きょくじつしょう、Order of the Rising Sun)は、日本の勲章の一つ。.

新しい!!: 宝冠章と旭日章 · 続きを見る »

憲仁親王妃久子

憲仁親王妃久子(のりひとしんのうひ ひさこ、1953年(昭和28年)7月10日 - )は、日本の皇族で、高円宮憲仁親王の妃。旧名は、鳥取 久子(とっとり ひさこ)。身位は親王妃。皇室典範における敬称は殿下。お印は扇(おうぎ)。勲等は勲一等。学位は博士(芸術文化学)。称号(名誉学位)として名誉法学博士(アルバータ大学、プリンスエドワードアイランド大学)。憲仁親王薨去後は、高円宮家の当主を務めている。.

新しい!!: 宝冠章と憲仁親王妃久子 · 続きを見る »

承子女王

承子女王(つぐこじょおう、1986年(昭和61年)3月8日 - )は、日本の皇族。高円宮憲仁親王と同妃久子の第一女子。妹に千家典子、絢子女王がいる。身位は女王。皇室典範における敬称は殿下。お印は萩(はぎ)。栄典は宝冠牡丹章(旧制度での勲二等宝冠章に相当)。学位は学士 (国際教養学)。.

新しい!!: 宝冠章と承子女王 · 続きを見る »

扇千景

扇 千景(おおぎ ちかげ、1933年〈昭和8年〉5月10日 - )は、日本の女優(元宝塚歌劇団娘役)、政治家。靖国神社崇敬奉賛会会長(第3代)。本名、林 寛子(はやし ひろこ)。旧姓、木村(きむら)。兵庫県神戸市出身。 位階・称号は旭日大綬章、桐花大綬章(女性初)、大韓民国修交勲章光化章、台湾一等景星勲章、フランス共和国ボージョレーワイン委員会・フランス食品振興会認定コンパニヨン・デュ・ボージョレー騎士。 参議院議員(5期)、科学技術政務次官(鈴木善幸改造内閣)、保守党党首(初代)、運輸大臣(第78代)、建設大臣(第69代)、北海道開発庁長官(第72代)、国土庁長官(第36代)、国土交通大臣(初代・第2代)、参議院議長(第26代・女性として初)などを歴任した。 夫である4代目坂田藤十郎(本名:林宏太郎)との間に、歌舞伎役者の長男・4代目中村鴈治郎(本名:林智太郎)、次男・3代目中村扇雀(本名:林浩太郎)がいる。夫の妹は女優の中村玉緒である。.

新しい!!: 宝冠章と扇千景 · 続きを見る »

1888年

記載なし。

新しい!!: 宝冠章と1888年 · 続きを見る »

1891年

記載なし。

新しい!!: 宝冠章と1891年 · 続きを見る »

1892年

記載なし。

新しい!!: 宝冠章と1892年 · 続きを見る »

1896年

記載なし。

新しい!!: 宝冠章と1896年 · 続きを見る »

1898年

記載なし。

新しい!!: 宝冠章と1898年 · 続きを見る »

1900年

19世紀最後の年である。100で割り切れるが400では割り切れない年であるため、閏年ではなく、4で割り切れる平年となる。.

新しい!!: 宝冠章と1900年 · 続きを見る »

1901年

20世紀最初の年である。.

新しい!!: 宝冠章と1901年 · 続きを見る »

1906年

記載なし。

新しい!!: 宝冠章と1906年 · 続きを見る »

1908年

記載なし。

新しい!!: 宝冠章と1908年 · 続きを見る »

1909年

記載なし。

新しい!!: 宝冠章と1909年 · 続きを見る »

1910年

記載なし。

新しい!!: 宝冠章と1910年 · 続きを見る »

1913年

記載なし。

新しい!!: 宝冠章と1913年 · 続きを見る »

1915年

記載なし。

新しい!!: 宝冠章と1915年 · 続きを見る »

1919年

記載なし。

新しい!!: 宝冠章と1919年 · 続きを見る »

1922年

記載なし。

新しい!!: 宝冠章と1922年 · 続きを見る »

1923年

記載なし。

新しい!!: 宝冠章と1923年 · 続きを見る »

1924年

記載なし。

新しい!!: 宝冠章と1924年 · 続きを見る »

1926年

記載なし。

新しい!!: 宝冠章と1926年 · 続きを見る »

1928年

記載なし。

新しい!!: 宝冠章と1928年 · 続きを見る »

1930年

記載なし。

新しい!!: 宝冠章と1930年 · 続きを見る »

1931年

記載なし。

新しい!!: 宝冠章と1931年 · 続きを見る »

1934年

記載なし。

新しい!!: 宝冠章と1934年 · 続きを見る »

1935年

記載なし。

新しい!!: 宝冠章と1935年 · 続きを見る »

1936年

記載なし。

新しい!!: 宝冠章と1936年 · 続きを見る »

1940年

記載なし。

新しい!!: 宝冠章と1940年 · 続きを見る »

1941年

記載なし。

新しい!!: 宝冠章と1941年 · 続きを見る »

1943年

記載なし。

新しい!!: 宝冠章と1943年 · 続きを見る »

1944年

記載なし。

新しい!!: 宝冠章と1944年 · 続きを見る »

1945年

この年に第二次世界大戦が終結したため、世界史の大きな転換点となった年である。.

新しい!!: 宝冠章と1945年 · 続きを見る »

1959年

記載なし。

新しい!!: 宝冠章と1959年 · 続きを見る »

1961年

記載なし。

新しい!!: 宝冠章と1961年 · 続きを見る »

1964年

記載なし。

新しい!!: 宝冠章と1964年 · 続きを見る »

1971年

記載なし。

新しい!!: 宝冠章と1971年 · 続きを見る »

1980年

この項目では、国際的な視点に基づいた1980年について記載する。.

新しい!!: 宝冠章と1980年 · 続きを見る »

1984年

この項目では、国際的な視点に基づいた1984年について記載する。.

新しい!!: 宝冠章と1984年 · 続きを見る »

1989年

この項目では、国際的な視点に基づいた1989年について記載する。.

新しい!!: 宝冠章と1989年 · 続きを見る »

1990年

この項目では、国際的な視点に基づいた1990年について記載する。.

新しい!!: 宝冠章と1990年 · 続きを見る »

1993年

この項目では、国際的な視点に基づいた1993年について記載する。.

新しい!!: 宝冠章と1993年 · 続きを見る »

2003年

この項目では、国際的な視点に基づいた2003年について記載する。.

新しい!!: 宝冠章と2003年 · 続きを見る »

ここにリダイレクトされます:

宝冠大綬章宝冠杏葉章宝冠波光章宝冠牡丹章宝冠白蝶章宝冠藤花章勲一等宝冠章勲二等宝冠章勲四等宝冠章

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »