ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

安藤東野

索引 安藤東野

安藤 東野(あんどう とうや、天和3年1月28日(1683年2月24日) - 享保4年4月13日(1719年5月31日))は江戸時代中期の儒学者。名は煥図、字は東壁、通称は仁右衛門。晩年は商丘丈人とも号した。 荻生徂徠初期の門人で、。.

80 関係: 古体詩古義堂古文辞学台東区大垣藩大田原市大阪天和 (日本)太宰春台孤児宝永宝永の大火山井崑崙山県周南岡島冠山中川中国語三河吉田藩三河国下総国下野国平宗盛平清盛平成享保京都伊藤東涯弘明寺徳川綱吉律詩儒学者元禄王世貞神田橋神戸藩管仲美濃国絶句甲府甲府藩甲斐国牧野成貞白山 (文京区)鎌倉荻生徂徠論語転封黒羽城黒羽町黒羽藩...黒田直邦茨城女子短期大学関宿藩藩医那須烏山市那須資隆那須郡金沢区柳沢吉保李氏朝鮮根本武夷栃木県楽府橋場江の島江戸江戸時代河内国湘南漢文訓読本多忠統本朝文粋昭和書道1683年1719年1月28日 (旧暦)2月24日4月13日 (旧暦)5月31日 インデックスを展開 (30 もっと) »

古体詩

古体詩(こたいし)とは、漢詩の詩体の一つ。近体詩に対立する。漢魏六朝の詩体の通称でもあり、唐以後、漢魏六朝の詩体に準拠して作られた詩体のことでもある。近体詩に対して形式的にも自由であり、韻律の制約も少ない。 古体詩には文人が作った詩とともに『詩経』、楽府なども含まれる。古詩(こし)は広義では古体詩と同義であるが、狭義では漢魏六朝の文人たちが作った詩のみを指す。.

新しい!!: 安藤東野と古体詩 · 続きを見る »

古義堂

古義堂(こぎどう)は、江戸時代、1662年(寛文2年)京都の堀川出水下る(現、上京区東堀川通出水下ル)に、伊藤仁斎がその生家で開いた儒学を教える家塾。長子の東涯以下、代々その子があとを引き継いで、別名堀川学校ともいわれた。 仁斎は終生いずれの藩にも仕官せず、町の学者としてその生涯を全うした。その塾生数、仁斎の教えただけでも3,000人を数えたともいう。当時、京都を代表する私塾としてその名も高く、1842年(天保13年)には松永家の講習堂と共に町奉行所から表彰を受けたこともある。古義堂の蔵書、書画など約5,500点、約1万冊は、1941年(昭和16年)に天理大学附属天理図書館に所蔵され、『古義堂文庫目録』(天理大学出版部、1956年)として整理され、特別文庫の中に所蔵、公開されている。跡地が「伊藤仁斎宅(古義堂)跡ならびに書庫」として国の史跡に指定されている。.

新しい!!: 安藤東野と古義堂 · 続きを見る »

古文辞学

古文辞学(こぶんじがく)とは、江戸時代に興った荻生徂徠に始まる儒教古学の一派。蘐園学派(けんえんがくは)または徂徠学とも。江戸時代中後期に盛んとなった。学問的には朱子学を批判し、伊藤仁斎の古義学に対抗した。 古文辞とは、明朝で提唱された復古的な文学運動。模範とする古典を文は秦漢期、詩は唐に求めた。.

新しい!!: 安藤東野と古文辞学 · 続きを見る »

台東区

台東区(たいとうく)は、東京都の特別区の一つ。23区東部に区分される。 面積は23区の中で最も狭い。.

新しい!!: 安藤東野と台東区 · 続きを見る »

大垣藩

大垣藩(おおがきはん)は、美濃国大垣周辺を支配した藩。藩庁は大垣城(現在の岐阜県大垣市郭町2丁目)に置かれた。 江戸時代初期には短期間で藩主として4家が交替したが、寛永12年(1635年)以降は戸田氏が10万石で入り、幕末・明治維新期まで存続した。.

新しい!!: 安藤東野と大垣藩 · 続きを見る »

大田原市

大田原市(おおたわらし)は、栃木県の北東部に位置する市。旧那須郡。松尾芭蕉「奥の細道」と縁の深い地として知られており、市の中央を流れる那珂川や八溝山系の里山など自然豊かな地域である。雲巌寺、栃木県なかがわ水遊園、日帰り温泉など観光資源も多い。.

新しい!!: 安藤東野と大田原市 · 続きを見る »

大阪

大阪(おおさか、Ōsaka)は、日本の近畿地方(関西地方)の地名である。日本第二の都市・西日本最大の都市である大阪市(狭義の大阪)と、大阪市を府庁所在地とする大阪府を指す地域名称であり、広い意味では大阪市を中心とする京阪神(近畿地方、大阪都市圏、近畿圏)を漠然と総称することにも使われる。近畿の経済・文化の中心地で、古くは大坂と表記し、古都・副都としての歴史を持つ。.

新しい!!: 安藤東野と大阪 · 続きを見る »

天和 (日本)

天和(てんな、てんわ)は日本の元号の一つ。延宝の後、貞享の前。1681年から1684年までの期間を指す。この時代の天皇は霊元天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉。.

新しい!!: 安藤東野と天和 (日本) · 続きを見る »

太宰春台

太宰 春台(だざい しゅんだい、延宝8年9月14日(1680年11月5日) - 延享4年5月30日(1747年7月7日))は、江戸時代中期の儒学者・経世家。「春台」は号で、名は純、字は徳夫、通称は弥右衛門。また、紫芝園とも号した。.

新しい!!: 安藤東野と太宰春台 · 続きを見る »

孤児

孤児(こじ、みなしご)とは、両親・親戚等の保護者のいない未成年者の事。狭義では生みの両親が死別、または行方不明となった未成年者を指す。 特に戦争においては戦闘や空襲によって多くの成人が死亡したため、両親を亡くし孤児となった未成年者が続出した。戦後、このような孤児は戦災孤児と呼ばれた。 また、「保護者がいない」というその様から、ある仲間や業界の内部において、師匠格や先輩格となる人物の廃業・死去、あるいは所属団体からの脱退などによって拠るべき上位の人間関係を失ってしまった若手・修行中の人物や一門弟子のことを「○○界の孤児」などと表現することがある。 権利の所在が不明な著作物の事を「孤児著作物(オーファンワークス)」と呼ぶ。.

新しい!!: 安藤東野と孤児 · 続きを見る »

宝永

宝永(ほうえい、旧字体: 寶永)は日本の元号の一つ。元禄の後、正徳の前。1704年から1711年までの期間を指す。この時代の天皇は東山天皇、中御門天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉、徳川家宣。.

新しい!!: 安藤東野と宝永 · 続きを見る »

宝永の大火

宝永の大火(ほうえいの たいか)とは、宝永5年3月8日(1708年4月28日)に、京都で発生した火災。.

新しい!!: 安藤東野と宝永の大火 · 続きを見る »

山井崑崙

山井 崑崙(やまのい こんろん、? - 享保13年1月28日(1728年3月8日))は、江戸時代の儒学者で考証学の第一人者。諱は重鼎(略して鼎とも表記した)、通称は善六、字は君彝、忠甫。崑崙は号。本姓は大神。.

新しい!!: 安藤東野と山井崑崙 · 続きを見る »

山県周南

山縣 周南(やまがた しゅうなん、貞享4年(1687年) - 宝暦2年8月12日(1752年9月19日))は江戸時代中期の儒学者。荻生徂徠の高弟であり、長州藩藩校・明倫館の二代目学頭。漢詩、国史に精通し、教育者としても名声を博した。 名は孝孺(こうじゅ)。周南と号する。字は次公、少介。徂徠学派は中国風に名乗る風習があり縣次公、縣孝孺などと称した。.

新しい!!: 安藤東野と山県周南 · 続きを見る »

岡島冠山

岡島 冠山(おかじま かんざん、延宝2年(1674年) - 享保13年1月2日(1728年2月11日))は、近世の儒学者。 長崎(肥前国)生まれ。初名は明敬、のち璞(はく)。字は援之、のち玉成。通称は弥太夫、長左衛門。始め萩藩の通訳。のち退いて林鳳岡に朱子学を学ぶ。江戸で下野足利藩主戸田忠囿に仕え、辞して大坂に行き、再び江戸に帰り、京に移り没した。唐話に通じ、杭州音の『唐話纂要』や南京音の「唐話便用』を著す。荻生徂徠と親交があり、『水滸伝』など白話小説の翻訳や唐話の研究を行った。.

新しい!!: 安藤東野と岡島冠山 · 続きを見る »

中川

中川起点の碑(羽生市東7丁目) 新中川(左手)との分流地点 綾瀬川(左手)との合流地点 江戸時代の中川口 中川(なかがわ)は、埼玉県および東京都を流れ東京湾に注ぐ一級河川。利根川水系の支流である。上流を天神堀や島川、中流を庄内古川と呼称する場合もある - 有限会社フカダソフト、2018年6月27日閲覧。。.

新しい!!: 安藤東野と中川 · 続きを見る »

中国語

記載なし。

新しい!!: 安藤東野と中国語 · 続きを見る »

三河吉田藩

三河吉田藩(みかわよしだはん)は、三河国吉田(現在の愛知県豊橋市今橋町)を領した藩。藩庁は吉田城。明治維新後に豊橋藩(とよはしはん)と改称された。譜代大名が歴代藩主を務め、吉田藩に入部することは、幕閣になるための登竜門のひとつであった。.

新しい!!: 安藤東野と三河吉田藩 · 続きを見る »

三河国

三河国(みかわのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。三の大字を用いて参河国(參河國)とも表記する。現在の愛知県東半部。.

新しい!!: 安藤東野と三河国 · 続きを見る »

下総国

下総国(しもうさのくに、しもふさのくに、しもつふさのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.

新しい!!: 安藤東野と下総国 · 続きを見る »

下野国

下野国(しもつけのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。.

新しい!!: 安藤東野と下野国 · 続きを見る »

平宗盛

平 宗盛(たいら の むねもり)は、平安時代末期の平家一門の武将・公卿。平清盛の三男。母は清盛の継室・平時子。時子の子としては長男であり、安徳天皇の母・建礼門院は同母妹である。官位は従一位行内大臣。通称は屋島大臣など。.

新しい!!: 安藤東野と平宗盛 · 続きを見る »

平清盛

平 清盛(たいら の きよもり)は、平安時代末期の武将・公卿。 伊勢平氏の棟梁・平忠盛の長男として生まれ、平氏棟梁となる。保元の乱で後白河天皇の信頼を得て、平治の乱で最終的な勝利者となり、武士としては初めて太政大臣に任じられる。日宋貿易によって財政基盤の開拓を行い、宋銭を日本国内で流通させ通貨経済の基礎を築き、日本初の武家政権を打ち立てた(平氏政権)。 平氏の権勢に反発した後白河法皇と対立し、治承三年の政変で法皇を幽閉して徳子の産んだ安徳天皇を擁し政治の実権を握るが、平氏の独裁は公家・寺社・武士などから大きな反発を受け、源氏による平氏打倒の兵が挙がる中、熱病で没した。.

新しい!!: 安藤東野と平清盛 · 続きを見る »

平成

平成(へいせい)は日本の元号の一つ。昭和の後。今上天皇在位中の1989年(平成元年)1月8日から現在に至る。2001年(平成13年)の始まりには西暦における20世紀から21世紀への世紀の転換もあった。2019年(平成31年)4月30日に今上天皇退位により終了する予定であり、予定通り終了した場合、30年113日間(=11,070日間)にわたることとなる。なお、日本の元号では昭和(64年)、明治(45年)、応永(35年)に次いで4番目の長さである(5番目は延暦の25年)。 西暦2018年(本年)は平成30年に当たる。本項では平成が使われた時代(平成時代)についても記述する。.

新しい!!: 安藤東野と平成 · 続きを見る »

享保

享保(きょうほう、きょうほ)は日本の元号の一つ。正徳の後、元文の前。1716年から1736年までの期間を指す。この時代の天皇は中御門天皇、桜町天皇。江戸幕府将軍は徳川吉宗。.

新しい!!: 安藤東野と享保 · 続きを見る »

京都

京都(きょうと、みやこ、きょうのみやこ、Kyōto)は、日本の都市の1つである。 都、もしくは京ともいい、歴史的には794年に日本の首都に定められた都城・平安京で、当時は日本の政治・文化の中心地であった。.

新しい!!: 安藤東野と京都 · 続きを見る »

伊藤東涯

伊藤 東涯(いとう とうがい、寛文10年4月28日(1670年6月15日) - 元文元年7月17日(1736年8月23日))は、江戸時代中期の儒学者。儒学者伊藤仁斎の長男で、その私塾古義堂の2代目。異母弟に同じく儒学者の伊藤介亭がおり、母の嘉那は尾形光琳・乾山の従姉に当たる。名は長胤(ながつぐ)、字は原蔵・源蔵・元蔵、東涯と號し、又慥々齋と号す、諡は紹述先生。.

新しい!!: 安藤東野と伊藤東涯 · 続きを見る »

弘明寺

弘明寺(ぐみょうじ)は、横浜市南区にある高野山真言宗の寺院。瑞應山蓮華院と号し、横浜市内最古の寺院である。 本尊の木造十一面観音立像(通称「弘明寺観音」)は、国の重要文化財。 寺名は駅名、町名などにも広く使われ、江戸期から明治22年までは一帯を弘明寺村(のちに弘明寺町)と呼んでいた。.

新しい!!: 安藤東野と弘明寺 · 続きを見る »

徳川綱吉

徳川 綱吉(とくがわ つなよし)は、江戸幕府の第5代将軍である。.

新しい!!: 安藤東野と徳川綱吉 · 続きを見る »

律詩

律詩(りっし)は、漢詩における近体詩の代表的な詩型の一つ。8句から成る。.

新しい!!: 安藤東野と律詩 · 続きを見る »

儒学者

儒学者(じゅがくしゃ)とは、儒教を自らの行為規範にしようと儒教を学んだり、研究・教授する人のことである。一般的には儒者(じゅしゃ、ずさ)と称され、特に儒学を学ぶものは儒生(じゅせい)と呼ばれる。.

新しい!!: 安藤東野と儒学者 · 続きを見る »

元禄

元禄(げんろく、旧字体: 元祿)は日本の元号の一つ。貞享の後、宝永の前。1688年から1704年までの期間を指す。この時代の天皇は東山天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉。.

新しい!!: 安藤東野と元禄 · 続きを見る »

王世貞

王世貞 王 世貞(おう せいてい、1526年 - 1590年)は、中国・明の学者、政治家。字は元美、号は弇州山人(えんしゅうさんじん)。南直隷太倉(江蘇省)出身。官は刑部尚書に至った。.

新しい!!: 安藤東野と王世貞 · 続きを見る »

神田橋

橋(かんだばし、じんでんばし).

新しい!!: 安藤東野と神田橋 · 続きを見る »

神戸藩

戸藩(かんべはん)は伊勢国河曲郡周辺を領有した藩。藩庁は神戸城(三重県鈴鹿市神戸)。.

新しい!!: 安藤東野と神戸藩 · 続きを見る »

管仲

管 夷吾(かん いご)は、中国の春秋時代における斉の政治家である。桓公に仕え、覇者に押し上げた。一般には字の仲がよく知られており、以下本稿でも管 仲(かん ちゅう)として記す。三国時代の管寧はその後裔という。.

新しい!!: 安藤東野と管仲 · 続きを見る »

美濃国

美濃国(みののくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。.

新しい!!: 安藤東野と美濃国 · 続きを見る »

絶句

絶句(ぜっく)は、漢詩における近体詩の代表的な詩型の一つ。4句から成る。.

新しい!!: 安藤東野と絶句 · 続きを見る »

甲府

* 甲府盆地 - 甲府を含む盆地。.

新しい!!: 安藤東野と甲府 · 続きを見る »

甲府藩

府藩(こうふはん)は、甲斐国に存在した藩の一つ。.

新しい!!: 安藤東野と甲府藩 · 続きを見る »

甲斐国

斐国(かいのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.

新しい!!: 安藤東野と甲斐国 · 続きを見る »

牧野成貞

牧野 成貞(まきの なりさだ、寛永11年11月29日(1635年1月17日) - 正徳2年6月5日(1712年7月8日))は、上野館林藩家老、のち第5代将軍・徳川綱吉の側用人、下総関宿藩主。名は成恒とも。通称は蔵人、兵部、大夢。越後長岡藩主、三河牧野氏の支族。成貞系牧野家初代。.

新しい!!: 安藤東野と牧野成貞 · 続きを見る »

白山 (文京区)

白山(はくさん)は、東京都文京区の町名。現行行政地名は白山1丁目から白山5丁目。西片、向丘、本駒込、千石、小石川と接する文教・住宅地区。学校・寺院が多い。 主要な商業地は、都営地下鉄三田線白山駅の周辺に集中しており、駅周辺をほぼ南北に貫く坂(薬師坂)の頂上の地域を白山上、坂の入口の地域を白山下、白山下から白山上と逆方向に上っていったところを白山御殿町と呼ぶ。.

新しい!!: 安藤東野と白山 (文京区) · 続きを見る »

鎌倉

鎌倉(かまくら)は、現在の神奈川県鎌倉市の中心部に当たる地域。源頼朝を旗頭として、北条時政、北条義時らによって鎌倉幕府が置かれた都市であり、三浦半島の付け根に位置し、相模湾に面している。古くは鎌府(れんぷ)とも呼ばれた。三方を山に、一方を海に囲まれている。 鎌倉大仏.

新しい!!: 安藤東野と鎌倉 · 続きを見る »

荻生徂徠

荻生 徂徠(おぎゅう そらい、正仮名遣:をぎふそらい、寛文6年2月16日(1666年3月21日) - 享保13年1月19日(1728年2月28日)は、江戸時代中期の儒学者・思想家・文献学者である。名は双松(なべまつ)、字・実名は「茂卿」で、実名としては「しげのり」、字としては「もけい」と読む。通称は総右衛門。徂徠と号し(一説では「徂來」が正しいとする)、又蘐園と号した。「徂徠」の号は『詩経』「徂徠之松」に由来し、「松が茂る」の意味である「茂卿」ともに松に関する名であることが指摘される。本姓は物部氏で、「物茂卿」とも号した。父は5代将軍・徳川綱吉の侍医・荻生景明。弟は徳川吉宗の侍医で明律研究で知られた荻生北渓。その弟の影響を受けて、『明律国字解』を著している。.

新しい!!: 安藤東野と荻生徂徠 · 続きを見る »

論語

『論語』(ろんご、)とは、孔子と彼の高弟の言行を孔子の死後、弟子達が記録した書物である。『孟子』『大学』『中庸』と併せて儒教における「四書」の1つに数えられる。 四書のひとつである『孟子』はその言行の主の名が書名であるが、『論語』の書名が(たとえば「孔子」でなく)『論語』であるその由来は明らかでない。(『漢書』巻30芸文志に「」と門人たちが書き付けていた孔子の言葉や問答を、孔子死後に取り集めて論纂し、そこで『論語』と題したとある。) 別名、「倫語(りんご)」、「輪語」、「円珠経」とも言う。これは、六朝時代の学者、皇侃(おうがん)の著作『論語義疏』によると、漢代の鄭玄(じょうげん)という学者が論語を以て世務を経綸することが出来る書物だと言った所から、「倫語」という語が出現し、又その説く所は円転極まりないこと車輪の如しというので、「輪語」というと注釈し、「円珠経」については鏡を引用して、鏡はいくら大きくても一面しか照らし出さないが、珠(玉)は一寸四方の小さいものでも上下四方を照らすものであり、諸家の学説は鏡の如きもので一面しか照らさないが、論語は正に円通極まりないものである、という所から「円珠経」と言うと説かれている。.

新しい!!: 安藤東野と論語 · 続きを見る »

転封

転封(てんぽう)は、知行地、所領を別の場所に移すことである。国替(くにがえ)、移封(いほう)とほぼ同義である。 史料上は「国替」、「所替」(ところがえ)、「得替」(とくたい)等が使用された。.

新しい!!: 安藤東野と転封 · 続きを見る »

黒羽城

黒羽城(くろばねじょう)は、現在の栃木県大田原市にあった日本の城である。別名は九鶴城。.

新しい!!: 安藤東野と黒羽城 · 続きを見る »

黒羽町

黒羽町(くろばねまち)は、栃木県北東部にあった町である。大田原市への通勤率は15.9%(平成12年国勢調査)。2005年10月1日、隣接する湯津上村とともに大田原市へ編入され廃止した。 江戸時代、松尾芭蕉が奥の細道の旅中14日もの間滞在し数々の句を残したことから「芭蕉の里」として有名である。.

新しい!!: 安藤東野と黒羽町 · 続きを見る »

黒羽藩

黒羽藩(くろばねはん)は、下野国那須郡に存在した藩の一つ。藩庁は黒羽陣屋(現在の栃木県大田原市前田)に置かれた。.

新しい!!: 安藤東野と黒羽藩 · 続きを見る »

黒田直邦

黒田 直邦(くろだ なおくに)は、常陸下館藩主、上野沼田藩の初代藩主。久留里藩黒田家初代。.

新しい!!: 安藤東野と黒田直邦 · 続きを見る »

茨城女子短期大学

記載なし。

新しい!!: 安藤東野と茨城女子短期大学 · 続きを見る »

関宿藩

関宿藩(せきやどはん)は、下総国(現在の千葉県野田市関宿三軒家)に存在した藩。藩庁は関宿城にあったが、現在の茨城県猿島郡境町にあたる地域をも城下町とした。 利根川と江戸川の分岐点にあたり、利根川水運の要衝であることから、江戸幕府にとっては重要拠点だった。そのため信頼の厚い譜代大名がその藩主に任じられた。.

新しい!!: 安藤東野と関宿藩 · 続きを見る »

藩医

藩医(はんい)とは、江戸時代に藩に仕えた医師のこと。.

新しい!!: 安藤東野と藩医 · 続きを見る »

那須烏山市

那須烏山市(なすからすやまし)は、日本の市の一つ。栃木県の東部にある。宇都宮市への通勤率は13.7%(平成22年国勢調査)。.

新しい!!: 安藤東野と那須烏山市 · 続きを見る »

那須資隆

那須 資隆(なす すけたか)は、平安時代後期の武士。那須氏初代当主。那須与一の父。.

新しい!!: 安藤東野と那須資隆 · 続きを見る »

那須郡

*.

新しい!!: 安藤東野と那須郡 · 続きを見る »

金沢区

金沢区(かなざわく)は、日本の神奈川県横浜市を構成する18の行政区のうちの一つであり、横浜市18行政区の最南端に位置する。「金沢」はかつては「かねさわ」と読まれていたが、近世以降加賀藩の「かなざわ」が著名になったことから、読みが移り変わったとされている(はまれぽ.com 2014年11月13日).

新しい!!: 安藤東野と金沢区 · 続きを見る »

柳沢吉保

柳沢 吉保(やなぎさわ よしやす、正字体:柳澤吉保、正仮名遣:やなぎさはよしやす)は、江戸時代前期の幕府側用人・譜代大名。第5代将軍徳川綱吉の寵愛を受けて、元禄時代には大老格として幕政を主導した。.

新しい!!: 安藤東野と柳沢吉保 · 続きを見る »

李氏朝鮮

李氏朝鮮(りしちょうせん、朝鮮語ハングル表記:이씨조선)は、1392年から1910年にかけて朝鮮半島に存在した国家。朝鮮王朝、朝鮮封建王朝とも呼ばれる。朝鮮民族国家の最後の王朝で、現在までのところ朝鮮半島における最後の統一国家でもある。李朝(りちょう)ともいう(「李王朝」の意)。高麗の次の王朝にあたる。 1392年に高麗の武将李成桂太祖(女真族ともいわれる)が恭譲王を廃して、自ら高麗王に即位したことで成立した。李成桂は翌1393年に中国の明から権知朝鮮国事(朝鮮王代理、実質的な朝鮮王の意味)に封ぜられた。朝鮮という国号は李成桂が明の皇帝朱元璋から下賜されたものであり、明から正式に朝鮮国王として冊封を受けたのは太宗の治世の1401年であった。中国の王朝が明から清に変わった17世紀以降も、引き続き李氏朝鮮は中国王朝の冊封体制下にあった。東人派や西人派、老論派、南人派など党派対立が激しく、政権交代は対立する派閥の虚偽の謀反を王に通報で粛清という形が多く、多くの獄事が起こった。1894年の日清戦争後に日本と清国との間で結ばれた下関条約は李氏朝鮮に清王朝を中心とした冊封体制からの離脱と近代国家としての独立を形式的かつ実質的にもたらした。これにより李氏朝鮮は1897年に国号を大韓帝国(だいかんていこく)、君主の号を皇帝と改め、以後日本の影響下に置かれた。大韓帝国の国家主権は事実上、冊封体制下における清朝から日本へと影響を受ける主体が変化するものであった。1904年の第一次日韓協約で日本人顧問が政府に置かれ、翌1905年第二次日韓協約によって日本の保護国となり、1907年の第三次日韓協約によって内政権を移管した。こうした過程を経て1910年8月の「韓国併合ニ関スル条約」調印によって大韓帝国は日本に併合され、朝鮮民族の国家は消滅した。.

新しい!!: 安藤東野と李氏朝鮮 · 続きを見る »

根本武夷

根本 武夷(ねもと ぶい、元禄12年(1699年) - 明和元年11月2日(1764年11月24日))は江戸時代中期の儒学者。名は遜志、字は伯修(脩)、通称は右衛門八、八右衛門。 荻生徂徠門下にあり、山井崑崙と共に『七経孟子攷文』を手がけ、また『論語集解義疏』を校刊、これらは清で高い評価を得た。.

新しい!!: 安藤東野と根本武夷 · 続きを見る »

栃木県

栃木県(とちぎけん)は、日本の都道府県の一つ。関東地方北部に位置する。県庁所在地は宇都宮市。県内には日光国立公園が立地し、日光・那須などの観光地・リゾート地を有する。.

新しい!!: 安藤東野と栃木県 · 続きを見る »

楽府

楽府(がふ)とは、漢詩の一形式で、古体詩の一種。その文体を楽府体(がふたい)ともいう。.

新しい!!: 安藤東野と楽府 · 続きを見る »

橋場

橋場(はしば)は、東京都台東区の町名。現行行政地名は橋場一丁目及び橋場二丁目。郵便番号は111-0023。.

新しい!!: 安藤東野と橋場 · 続きを見る »

江の島

江の島(えのしま)は、神奈川県藤沢市にある湘南海岸から相模湾へと突き出た陸繋島。また、同島全体を指した地名。片瀬地区(旧片瀬町地域)に属する。現行行政町名は江の島一丁目及び江の島二丁目で、全域が住居表示実施地域。郵便番号は251-0036(藤沢郵便局管区)。.

新しい!!: 安藤東野と江の島 · 続きを見る »

江戸

江戸図屏風に見る、初期の江戸 弘化年間(1844年-1848年)改訂江戸図 江戸(えど) は、東京の旧称であり、1603年から1867年まで江戸幕府が置かれていた都市である。 現在の東京都区部に位置し、その前身及び原型に当たる。.

新しい!!: 安藤東野と江戸 · 続きを見る »

江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

新しい!!: 安藤東野と江戸時代 · 続きを見る »

河内国

河内国(かわちのくに/かはちのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。畿内に属する。.

新しい!!: 安藤東野と河内国 · 続きを見る »

湘南

湘南海岸と江の島 「ここは湘南」の碑(藤沢市片瀬海岸) 湘南(しょうなん)は、神奈川県の相模湾沿岸地方を指す名称である。語源は、かつて中国に存在した長沙国にあった洞庭湖とそこに流入する瀟水と湘江の合流するあたりを瀟湘と呼びその南部に似ていたことから瀟湘と(洞庭)湖南より一字ずつを取り湘南としたとされている。なお、瀟湘は、現在の湖南省南部地域の地名である倭名類聚抄。.

新しい!!: 安藤東野と湘南 · 続きを見る »

漢文訓読

漢文訓読(かんぶんくんどく)とは、文語体中国語の文章である漢文を文体をそのままとして、符号(返り点)・送り仮名などを付けることによって日本語の語順で読解できるようにすること。.

新しい!!: 安藤東野と漢文訓読 · 続きを見る »

本多忠統

五言絶句 本多猗蘭筆 本多 忠統(ほんだ ただむね)は、河内西代藩主。のち伊勢神戸藩初代藩主となる。江戸幕府の若年寄として、享保の改革期における幕政に参与した。神戸藩本多家2代。「猗蘭侯」と称し、書画や儒学に通じた文人大名としても知られた。.

新しい!!: 安藤東野と本多忠統 · 続きを見る »

本朝文粋

『本朝文粋』(ほんちょうもんずい)は平安時代中期の漢詩文集。14巻。藤原明衡撰。平安時代初期から中期の漢詩文427編を分類し収める。.

新しい!!: 安藤東野と本朝文粋 · 続きを見る »

昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

新しい!!: 安藤東野と昭和 · 続きを見る »

書道

京都・東寺蔵 『蘭亭序』(部分)王羲之 書道(しょどう)または書(しょ)とは、書くことで文字の美しさを表そうとする東洋の造形芸術である。カリグラフィーの一種。中国が起源であるが、日本語圏においては漢字から派生した仮名、ベトナム語圏では同じく漢字から派生したチュノムやローマンアルファベットを使用するクォック・グーなどでも創作活動が行われている。2009年に中国の書道が、ユネスコの無形文化遺産に登録された。 本項では主に中国語圏及び日本語圏の書道について述べる。その他の文字・地域における書道は他の文字による書道を参照。.

新しい!!: 安藤東野と書道 · 続きを見る »

1683年

記載なし。

新しい!!: 安藤東野と1683年 · 続きを見る »

1719年

記載なし。

新しい!!: 安藤東野と1719年 · 続きを見る »

1月28日 (旧暦)

旧暦1月28日は旧暦1月の28日目である。六曜は仏滅である。.

新しい!!: 安藤東野と1月28日 (旧暦) · 続きを見る »

2月24日

2月24日(にがつにじゅうよっか、にがつにじゅうよんにち)は、グレゴリオ暦で年始から55日目にあたり、年末まであと310日(閏年では311日)ある。グレゴリオ暦では、閏年の場合に限り、閏日とも呼ばれる。詳細は閏日の項を参照。.

新しい!!: 安藤東野と2月24日 · 続きを見る »

4月13日 (旧暦)

旧暦4月13日は旧暦4月の13日目である。六曜は仏滅である。.

新しい!!: 安藤東野と4月13日 (旧暦) · 続きを見る »

5月31日

5月31日(ごがつさんじゅういちにち)は、グレゴリオ暦で年始から151日目(閏年では152日目)にあたり、年末まであと214日ある。5月の最終日である。誕生花はルピナス。.

新しい!!: 安藤東野と5月31日 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »