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安東舜季

索引 安東舜季

安東 舜季(あんどう きよすえ、1514年(永正11年) - 1553年9月18日(天文22年8月11日))は、出羽の戦国大名。檜山系安東氏の第七代当主。安東尋季の子で安東愛季の父。正室は湊安東堯季の女。居城は檜山城。 湊家との間に起こったと推測されている第一次の湊騒動の当事者とする見解が一部より出されている。また、安東氏の服属下にある蝦夷地の蠣崎氏の支配を強化するため、自ら蝦夷地を巡察した。このときに、それまで100年間続いていた蠣崎氏とアイヌの紛争を調停し、交易の協定を締結させている。松前藩の記録(『新羅之記録』)によると、1550年(天文19年)に蝦夷入りした(「東公の島渡」と呼ぶ)舜季の立ち会いの下、松前大館の蠣崎季広、日の本蝦夷酋長の知内のチコモタイン及び唐子蝦夷酋長のセタナイのハシタインが講和し、両酋長はそれぞれ東夷尹、西夷尹とされ(「尹」とは裁判権を持つ統率者の意)蝦夷から松前への渡航を統制すること、ハシタインは上ノ国に居住すること、季広は和人との交易税(原文:『自商賈役』)の一部を「夷役」として両尹に献上することが定められたという。また、同時期にアイヌ民族の商船が松前へ往来する手順も決められた。 一般には戦国時代の蝦夷地は安東氏の統制を離れ、蠣崎氏が自立したと認識されているが、この経緯は、未だ安東氏の蝦夷地に対する権威が生きていたことを示すものとして注目されている。.

32 関係: せたな町天文 (元号)夷狄の商舶往還の法度安東堯季安東尋季安東氏安東愛季上ノ国町アイヌ唐子出羽国知内町無明舎出版蝦夷蝦夷地蠣崎季広蠣崎舜広蠣崎氏講談社松前城松前町 (北海道)松前藩檜山安東氏城館跡永正湊騒動戦国大名戦国時代 (日本)1514年1550年1553年8月11日 (旧暦)9月18日

せたな町

せたな町(せたなちょう)は、北海道檜山振興局の久遠郡にある町。.

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天文 (元号)

天文(てんぶん、てんもん)は、日本の元号の一つ。享禄の後、弘治の前。1532年から1555年までの期間を指す。この時代の天皇は後奈良天皇。室町幕府将軍は足利義晴、足利義輝。.

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夷狄の商舶往還の法度

夷狄の商舶往還の法度(いてきの しょうはくおうかんのはっと)は、16世紀の渡島半島において取り決められた講和。夷狄の商舶往来の法度とも呼ばれる。 「日の本蝦夷」と呼ばれた半島東部シリウチ(現上磯郡知内町)一帯に居住するアイヌの首長チコモタイン(チコモタイヌとも)と、「唐子蝦夷」と呼ばれた半島西部セタナイ(現久遠郡せたな町)一帯に居住するアイヌの首長ハシタイン(ハシタイヌとも)が、安東舜季立ち会いの下で松前大館の城主蠣崎季広と結んだ講和である。当時の季広は、アイヌの首長に対して財宝を分け与えたことからカムイトクイ(アイヌ語:kamuy-tokuy、「神のように素晴らしい友」の意)と称されたという。この講和の際、チコモタインは「東夷尹」(とういのおさ)、ハシタインは「西夷尹」(せいいのおさ)をそれぞれ称する。またハシタインは蠣崎氏の拠点の一つである上ノ国(天河)へと移住している。 この講和によって、他国の商人との交易において蠣崎季広が徴収した関銭の一部をチコモタインとハシタインに支払うこと、シリウチから天河までの地域より北東を蝦夷地とし和人の出入りを制限すること、渡島半島南西部の松前と天河は和人地としアイヌの出入りを自由とすること、シリウチの沖または天河の沖を船が通過する際は帆を下げて一礼することが定められた。この内容については、中世の瀬戸内海における海賊の「海関」との類似性から、アイヌによる「海関」の設置を蠣崎季広が認める代わりに交易の安全性をアイヌ側が保障するという取り引きであったとする大石直正の説がある。.

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安東堯季

安東 堯季(あんどう たかすえ)は、戦国時代の武将。出羽国の戦国大名。湊安東氏7代・9代当主。安東愛季の外祖父。.

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安東尋季

安東 尋季(あんどう ひろすえ)は、戦国時代の武将。下国(檜山)安東氏6代当主。居城は出羽国檜山城。.

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安東氏

安東氏(あんどううじ、あんどうし)は、日本の鎌倉時代から戦国時代の末まで、陸奥国・出羽国の北部に勢力を張った武士の一族である。本姓は安倍を称した。 なお諸史料に現れるアンドウの表記について、主として鎌倉時代から南北朝時代にかけての津軽時代には「安藤氏」、室町時代中期以降の秋田時代には「安東氏」とされている例が多いことから世界大百科事典第2版 1998、個人名表記は概ね15世紀半ばまでを「安藤」、以降を「安東」とするが、本稿では便宜上、他氏族との混同を避けるため、氏族名を「安東」で統一して叙述する。なお、安藤氏と表記する場合、他の家系と区別するため津軽安藤氏と呼ぶ例がある小口 1995,書名。.

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安東愛季

安東 愛季(あんどう ちかすえ/よしすえ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。出羽国の戦国大名。下国(檜山)安東氏8代当主。居城は檜山城。.

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上ノ国町

上ノ国町(かみのくにちょう)は、北海道南西部、檜山振興局管内最南端にある町。檜山郡に属する。日本海に臨む農漁業のまちである。.

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アイヌ

アイヌは、北海道・樺太・千島列島およびカムチャツカ半島南部にまたがる地域に居住していた民族。母語はアイヌ語。 1878年(明治11年)、イギリス人旅行家・イザベラ・バードが北海道の日高地方でスケッチしたアイヌ民族の男性。 アイヌは、元来は物々交換による交易を行う狩猟採集民族である。文字を持たない民族であったが1923年(大正12年)に出版された知里幸恵のアイヌ神謡集では、その発音を、ローマ字で表記するなどの工夫がされている。、生業の毛皮や海産物などをもって、アムール川下流域や沿海州そしてカムチャツカ半島、これらの地域と交易を行い、永く、このオホーツク海地域一帯に経済圏を有していた。 1855年2月7日(安政元年12月21日)の当時のロシア帝国との日露和親条約での国境線決定により、当時の国際法の下、各々の領土が確定した以降は、大半が日本国民、一部がロシア国民となった。21世紀初頭の現在、日本国内では、北海道地方の他に首都圏等にも広く居住している。.

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唐子

唐子(からこ)とは、中国風の髪形や服装をした子供の事である。頭の左右にわずかに髪を残し他を剃る江戸時代の幼児の髪形を表す場合もある。また東海地方などで多く見られる山車からくりの「唐子人形」を略して使われる事も多い。.

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出羽国

出羽国(でわのくに)は、かつて存在した令制国の一つ。東山道に属する。.

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知内町

知内町(しりうちちょう)は、北海道渡島総合振興局管内南部にある町。.

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無明舎出版

有限会社無明舎出版(むみょうしゃしゅっぱん)は、秋田県を中心に東北地方関連の書籍の発行元として知られる出版社。.

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蝦夷

蝦夷(えみし、えびす、えぞ)は、大和朝廷から続く歴代の中央政権から見て、日本列島の東方(現在の関東地方と東北地方)や、北方(現在の北海道地方)などに住む人々の呼称である。 中央政権の地域が広がるにつれ、この言葉が指し示す人々および地理的範囲は変化した。近世以降は、北海道・樺太・千島列島・カムチャツカ半島南部にまたがる地域の先住民族で、アイヌ語を母語とするアイヌを指す。 大きく、「エミシ、エビス(愛瀰詩、毛人、蝦夷)」と「エゾ(蝦夷)」という2つの呼称に大別される。.

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蝦夷地

蝦夷地(えぞち)は、日本人がアイヌの居住地を指して用いた言葉で、江戸時代に使われた。和人地の対語である。渡島半島周辺を除く現在の北海道を中心に、樺太と千島列島を含む。なお、アイヌ人はそれらの島々をアイヌモシリと呼んだ。.

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蠣崎季広

蠣崎 季広(かきざき すえひろ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。蝦夷(現在の北海道)を支配した蠣崎氏の第5代当主。旧字体では季廣。.

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蠣崎舜広

蠣崎 舜広(かきざき としひろ)は、戦国時代の武将。蝦夷地の蠣崎季広の長男(嫡男扱い)。.

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蠣崎氏

蠣崎氏(かきざきし)/松前氏(まつまえし)は、戦国時代から蝦夷地を本拠とした大名の氏族。糠部郡蠣崎(青森県むつ市川内町)を領して蠣崎氏を称する家系があり、その子孫との説がある。江戸時代に松前と改姓したが、庶流の中には引き続き蠣崎と名乗る者もいた。本姓は源氏で、清和源氏(河内源氏)義光流で甲斐源氏の庶流と称した。実際には陸奥の土豪が蝦夷へ移住して甲斐源氏武田氏を仮冒したとする説もある。.

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講談社

株式会社講談社(こうだんしゃ、英称:Kodansha Ltd.)は、日本の総合出版社。創業者の野間清治の一族が経営する同族企業。.

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松前城

松前城(まつまえじょう)は、北海道渡島総合振興局管内松前町にあった日本の城(平山城)。福山城(ふくやまじょう)とも呼ばれる。.

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松前町 (北海道)

松前町(まつまえちょう)は、北海道南部の渡島半島南西部に位置する渡島総合振興局管内にある町。かつては松前藩の松前城城下町であり、藩の政治・経済・文化の中心地として栄えた。現在は全国屈指の桜の名所として有名であり、城周辺の松前公園では2か月に渡り松前町発祥の貴重な松前系品種を含む250種1万本の桜が咲き誇る。.

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松前藩

松前藩(まつまえはん)は、渡島国津軽郡(現在の北海道松前郡松前町)に居所を置いた藩である。藩主は江戸時代を通じて松前氏であった。後に城主となり同所に松前福山城を築く。居城の名から福山藩とも呼ばれる。慶応4年、居城を領内の檜山郡厚沢部町の館城に移し、明治期には館藩と称した。家格は外様大名の1万石格、幕末に3万石格となった。 江戸時代初期の領地は、現在の北海道南西部。渡島半島の和人地に限られた。残る北海道にあたる蝦夷地は、しだいに松前藩が支配を強めて藩領化した。藩と藩士の財政基盤は蝦夷地のアイヌとの交易独占にあり、農業を基盤にした幕藩体制の統治原則にあてはまらない例外的な存在であった。江戸時代後期からはしばしば幕府に蝦夷地支配をとりあげられた。.

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檜山安東氏城館跡

檜山安東氏城館跡(ひやまあんどうしじょうかんあと)は、秋田県能代市の檜山集落の東側丘陵にあった山城である。檜山城跡と、その近くにある大館跡、茶臼館跡、国清寺跡とあわせて、国の史跡に指定されている。.

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永正

永正(えいしょう)は、日本の元号の一つ。文亀の後、大永の前。1504年から1521年までの期間を指す。この時代の天皇は後柏原天皇。室町幕府将軍は足利義澄、足利義稙。.

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湊騒動

湊騒動(みなとそうどう)とは、出羽国湊城(秋田県秋田市土崎)などを主な戦場として日本の戦国時代に起こった一連の抗争である。ともに安東氏(近世秋田氏の祖)一族の檜山安東氏と湊安藤氏との間で繰り広げられた。一次史料に乏しく軍記物など後世編纂された諸史料に頼る部分が大きいため詳細は不明な部分が多い。従来は元亀元年(1570年)、天正17年(1589年)の2度起こったとされてきたが、郷土史家等による近年の説では湊騒動は3度起こり、前2回が混同され記録された形跡が見られるという。特に3度目(従来説では2度目)の天正17年(1589年)天正16年(1588年)と記す史料もある。の湊騒動を「湊合戦」とも呼ぶ。.

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戦国大名

戦国大名(せんごくだいみょう)は、日本の戦国時代に数郡から数カ国規模の領域を一元的に支配した大名を指す。.

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戦国時代 (日本)

日本の戦国時代(せんごくじだい)は、日本の歴史(にほんのれきし)において、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下したことに伴って守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭した。領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めるとともに、領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった。こうした戦国大名による強固な領国支配体制を大名領国制という。.

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1514年

記載なし。

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1550年

記載なし。

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1553年

記載なし。

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8月11日 (旧暦)

旧暦8月11日は、旧暦8月の11日目である。六曜は赤口である。.

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9月18日

9月18日(くがつじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から261日目(閏年では262日目)にあたり、年末まであと104日ある。.

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