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安東尋季

索引 安東尋季

安東 尋季(あんどう ひろすえ)は、戦国時代の武将。下国(檜山)安東氏6代当主。居城は出羽国檜山城。.

42 関係: 天文 (元号)安東堯季安東忠季安東舜季安東氏アイヌショヤコウジ兄弟の戦い出羽国田端宏無明舎出版運上蝦夷地蠣崎季広蠣崎光広蠣崎義広蠣崎氏講談社船津功関口明松前村井章介桑原真人森山季定檜山安東氏城館跡武将永正津軽地方深浦戦国時代 (日本)斉藤利男1511年1512年1513年1514年1533年1534年1546年1547年2月27日2月8日 (旧暦)7月26日 (旧暦)8月19日

天文 (元号)

天文(てんぶん、てんもん)は、日本の元号の一つ。享禄の後、弘治の前。1532年から1555年までの期間を指す。この時代の天皇は後奈良天皇。室町幕府将軍は足利義晴、足利義輝。.

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安東堯季

安東 堯季(あんどう たかすえ)は、戦国時代の武将。出羽国の戦国大名。湊安東氏7代・9代当主。安東愛季の外祖父。.

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安東忠季

安東 忠季(あんどう ただすえ、生年不詳 - 1511年8月19日(永正8年7月26日))は、日本の戦国時代の武将で出羽の戦国大名。檜山系安東氏の第5代当主。安東政季の子で安東尋季の父。通称を安東太郎。檜山屋形と称した。 安東氏は元々陸奥津軽十三湊付近を根拠とし、蝦夷地との交易を中心とした海上交通に従事する海の豪族であったが、南部氏との戦いに敗れ勢力範囲であった蝦夷地に渡った。忠季は1456年(康正2年)、父政季とともに分家で秋田郡の領主であった秋田城介安東尭季(惟季)の招きに応じ、秋田小鹿島(現秋田県男鹿市)に移り、間もなく秋田河北地方(後の檜山郡、現秋田県能代市)の葛西秀清を滅ぼし、政季が1488年(長享2年)河北糠野城で家臣の長木大和の謀反にあい自死すると家督を継いだ。 1496年(明応5年)には、粗暴等行状の悪さを理由に蝦夷島松前守護職であった一族の下国恒季が、蠣崎光広ら配下の蝦夷島館主らにより訴えられた。忠季はこれら館主たちの意向を受けて姉の子である光広に処置を沙汰し、恒季は同年11月、忠季の手勢(実際には光広の軍勢かと思われる)により攻められ自害した。 蝦夷沙汰の一方で、1494年(明応3年)から1495年(明応4年)頃には檜山霧山の檜山城の修築を完成させ、1504年(永正元年)頃には日照山国清寺を創建するなど領国経営にも努めた。 1511年8月19日(永正8年7月26日)死亡し、尋季が家督を継いだ。忠季の治世には、父政季の数度に及ぶ津軽出兵の軍役負担や男鹿半島の所領争いなどから湊安東家と不和であったとも言われている。.

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安東舜季

安東 舜季(あんどう きよすえ、1514年(永正11年) - 1553年9月18日(天文22年8月11日))は、出羽の戦国大名。檜山系安東氏の第七代当主。安東尋季の子で安東愛季の父。正室は湊安東堯季の女。居城は檜山城。 湊家との間に起こったと推測されている第一次の湊騒動の当事者とする見解が一部より出されている。また、安東氏の服属下にある蝦夷地の蠣崎氏の支配を強化するため、自ら蝦夷地を巡察した。このときに、それまで100年間続いていた蠣崎氏とアイヌの紛争を調停し、交易の協定を締結させている。松前藩の記録(『新羅之記録』)によると、1550年(天文19年)に蝦夷入りした(「東公の島渡」と呼ぶ)舜季の立ち会いの下、松前大館の蠣崎季広、日の本蝦夷酋長の知内のチコモタイン及び唐子蝦夷酋長のセタナイのハシタインが講和し、両酋長はそれぞれ東夷尹、西夷尹とされ(「尹」とは裁判権を持つ統率者の意)蝦夷から松前への渡航を統制すること、ハシタインは上ノ国に居住すること、季広は和人との交易税(原文:『自商賈役』)の一部を「夷役」として両尹に献上することが定められたという。また、同時期にアイヌ民族の商船が松前へ往来する手順も決められた。 一般には戦国時代の蝦夷地は安東氏の統制を離れ、蠣崎氏が自立したと認識されているが、この経緯は、未だ安東氏の蝦夷地に対する権威が生きていたことを示すものとして注目されている。.

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安東氏

安東氏(あんどううじ、あんどうし)は、日本の鎌倉時代から戦国時代の末まで、陸奥国・出羽国の北部に勢力を張った武士の一族である。本姓は安倍を称した。 なお諸史料に現れるアンドウの表記について、主として鎌倉時代から南北朝時代にかけての津軽時代には「安藤氏」、室町時代中期以降の秋田時代には「安東氏」とされている例が多いことから世界大百科事典第2版 1998、個人名表記は概ね15世紀半ばまでを「安藤」、以降を「安東」とするが、本稿では便宜上、他氏族との混同を避けるため、氏族名を「安東」で統一して叙述する。なお、安藤氏と表記する場合、他の家系と区別するため津軽安藤氏と呼ぶ例がある小口 1995,書名。.

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アイヌ

アイヌは、北海道・樺太・千島列島およびカムチャツカ半島南部にまたがる地域に居住していた民族。母語はアイヌ語。 1878年(明治11年)、イギリス人旅行家・イザベラ・バードが北海道の日高地方でスケッチしたアイヌ民族の男性。 アイヌは、元来は物々交換による交易を行う狩猟採集民族である。文字を持たない民族であったが1923年(大正12年)に出版された知里幸恵のアイヌ神謡集では、その発音を、ローマ字で表記するなどの工夫がされている。、生業の毛皮や海産物などをもって、アムール川下流域や沿海州そしてカムチャツカ半島、これらの地域と交易を行い、永く、このオホーツク海地域一帯に経済圏を有していた。 1855年2月7日(安政元年12月21日)の当時のロシア帝国との日露和親条約での国境線決定により、当時の国際法の下、各々の領土が確定した以降は、大半が日本国民、一部がロシア国民となった。21世紀初頭の現在、日本国内では、北海道地方の他に首都圏等にも広く居住している。.

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ショヤコウジ兄弟の戦い

ョヤコウジ兄弟の戦い(-きょうだいのたたかい)は、1515年または1519年に北海道南部で発生した、アイヌ首長・ショヤコウジ(庶野訇峙)兄弟と蠣崎光広との戦いである。.

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出羽国

出羽国(でわのくに)は、かつて存在した令制国の一つ。東山道に属する。.

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田端宏

端 宏(たばた ひろし、1933年 - )は、日本の歴史学者。北海道教育大学・道都大学名誉教授。 主に北海道史の中でも、松前藩史や場所請負制を.

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無明舎出版

有限会社無明舎出版(むみょうしゃしゅっぱん)は、秋田県を中心に東北地方関連の書籍の発行元として知られる出版社。.

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運上

運上(うんじょう)とは、近代の日本における租税の一種。金銭で納付が行われる場合には運上金(うんじょうきん)と呼ばれる。.

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蝦夷地

蝦夷地(えぞち)は、日本人がアイヌの居住地を指して用いた言葉で、江戸時代に使われた。和人地の対語である。渡島半島周辺を除く現在の北海道を中心に、樺太と千島列島を含む。なお、アイヌ人はそれらの島々をアイヌモシリと呼んだ。.

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蠣崎季広

蠣崎 季広(かきざき すえひろ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。蝦夷(現在の北海道)を支配した蠣崎氏の第5代当主。旧字体では季廣。.

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蠣崎光広

蠣崎 光広(かきざき みつひろ)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将。 父・信広の後を継いで本拠をそれまでの上国から松前の大館に移し、蝦夷の経営に力を注いだ。永正12年(1515年)または同16年(1519年)のショヤコウジ兄弟の戦い等にも関与している。 みつひろ Category:北海道史の人物 Category:1456年生 Category:1518年没.

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蠣崎義広

蠣崎 義広(かきざき よしひろ)は、戦国時代の武将、大名。徳山館主。.

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蠣崎氏

蠣崎氏(かきざきし)/松前氏(まつまえし)は、戦国時代から蝦夷地を本拠とした大名の氏族。糠部郡蠣崎(青森県むつ市川内町)を領して蠣崎氏を称する家系があり、その子孫との説がある。江戸時代に松前と改姓したが、庶流の中には引き続き蠣崎と名乗る者もいた。本姓は源氏で、清和源氏(河内源氏)義光流で甲斐源氏の庶流と称した。実際には陸奥の土豪が蝦夷へ移住して甲斐源氏武田氏を仮冒したとする説もある。.

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講談社

株式会社講談社(こうだんしゃ、英称:Kodansha Ltd.)は、日本の総合出版社。創業者の野間清治の一族が経営する同族企業。.

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船津功

船津 功(ふなつ いさお、1944年7月27日 - )は、日本の歴史学者。札幌学院大学名誉教授。.

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関口明

関口 明(せきぐち あきら、1947年 - )は、日本史学者、前札幌国際大学教授。 北海道出身。1976年北海道教育大学札幌校卒。1980年北海道大学大学院文学研究科。静修短期大学講師、同助教授、同教授、札幌国際大学現代社会学部教授。2003年「古代東北の蝦夷と北海道」で北大文学博士。2015年退任。.

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松前

松前(まつまえ).

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村井章介

村井 章介(むらい しょうすけ、1949年3月12日 - )は、日本の歴史学者。専門は日本中世史・対外関係史。立正大学文学部史学科教授、東京大学名誉教授、大阪市出身。.

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桑原真人

桑原 真人(くわばら まさと、1943年7月5日 - )は、日本の歴史学者。経済学博士。専門は近代北海道史。元札幌大学学長・札幌大学女子短期大学部学長。愛媛県西条市出身。.

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森山季定

森山 季定(もりやま すえさだ)は、戦国時代の武将。下国(檜山)安東氏の家臣。陸奥国森山館主.

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檜山安東氏城館跡

檜山安東氏城館跡(ひやまあんどうしじょうかんあと)は、秋田県能代市の檜山集落の東側丘陵にあった山城である。檜山城跡と、その近くにある大館跡、茶臼館跡、国清寺跡とあわせて、国の史跡に指定されている。.

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武将

武将(ぶしょう)とは、軍勢を統率する将軍、特に武道に秀でた将のこと。 日本の戦国時代においては、武士や農民・町人から徴用された足軽たちを統率する戦国大名やその家臣を指すことがある(戦国武将)。なお、部隊を率いる将を部将と呼ぶ。 明治政府が当時の事象や日本の歴史について文献に基づきまとめた古事類苑に「武将」の文言は見られない。.

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永正

永正(えいしょう)は、日本の元号の一つ。文亀の後、大永の前。1504年から1521年までの期間を指す。この時代の天皇は後柏原天皇。室町幕府将軍は足利義澄、足利義稙。.

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津軽地方

南部地方 津軽地方(つがるちほう)とは、現在の青森県西部を指して言う地域呼称。江戸時代に津軽氏が支配した領域(弘前藩・黒石藩の領域)および津軽郡の領域にほぼ相当する。 明治維新で陸奥国(むつのくに)が分割されて設置された陸奥国(りくおうのくに。青森県全域と岩手県西北部)の異称「津軽国」とは異なる。.

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深浦

深浦(ふかうら).

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戦国時代 (日本)

日本の戦国時代(せんごくじだい)は、日本の歴史(にほんのれきし)において、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下したことに伴って守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭した。領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めるとともに、領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった。こうした戦国大名による強固な領国支配体制を大名領国制という。.

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斉藤利男

斉藤 利男(さいとう としお、1950年3月27日 - )は、日本史学者、弘前大学名誉教授。 茨城県生まれ。1973年東北大学文学部国史学科卒業。1982年同大学院文学研究科博士課程後期単位取得退学。1983年弘前大学教育学部講師、1986年助教授、1997年教授、2015年3月退官。専攻は日本中世史。.

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1511年

記載なし。

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1512年

記載なし。

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1513年

記載なし。

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1514年

記載なし。

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1533年

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1534年

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1546年

記載なし。

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1547年

記載なし。

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2月27日

2月27日(にがつにじゅうななにち、にがつにじゅうしちにち)はグレゴリオ暦で年始から58日目にあたり、年末まであと307日(閏年では308日)ある。.

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2月8日 (旧暦)

旧暦2月8日(きゅうれきにがつようか)は、旧暦2月の8日目である。六曜は先負である。.

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7月26日 (旧暦)

旧暦7月26日は旧暦7月の26日目である。六曜は友引である。.

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8月19日

8月19日(はちがつじゅうくにち)はグレゴリオ暦で年始から231日目(閏年では232日目)にあたり、年末まであと134日ある。.

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