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宇都宮興綱

索引 宇都宮興綱

宇都宮 興綱(うつのみや おきつな)は日本の戦国時代の武将で、下野の宇都宮氏第19代当主。.

43 関係: 古河公方吉川弘文館塩谷孝綱壬生綱房大永の内訌 (下野宇都宮氏)天文 (元号)宇都宮城宇都宮尚綱宇都宮忠綱宇都宮正綱宇都宮氏宇都宮成綱左衛門尉上杉顕実下野宇都宮氏下野国下野新聞従四位地蔵院 (栃木県益子町)猿山合戦結城政朝瑞雲院 (曖昧さ回避)芳賀高経芳賀氏落合業親衛門府足利高基武田氏武茂兼綱永正戦国遺文戦国時代 (日本)文明 (日本)1476年1514年1523年1524年1536年1995年2006年2012年8月16日 (旧暦)9月1日

古河公方

古河公方(こがくぼう)は、室町時代後期から戦国時代にかけて、下総国古河(茨城県古河市)を本拠とした関東足利氏。享徳4年(1455年)、第5代鎌倉公方・足利成氏が鎌倉から古河に本拠を移し、初代古河公方となった。(享徳の乱) その後も政氏・高基・晴氏・義氏へと約130年間引き継がれる。御所は主に古河城。古河公方を鎌倉公方の嫡流とみなし、両方をあわせて関東公方と呼ぶこともある。.

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吉川弘文館

吉川弘文館(よしかわこうぶんかん)は日本史関連を主軸とした老舗の出版社。1857年(安政4年)に、吉川半七により設立。戦後1949年(昭和24年)に株式会社として現在に至る。.

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塩谷孝綱

塩谷 孝綱(しおのや たかつな)は、下野国塩谷郡の戦国武将。.

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壬生綱房

壬生 綱房(みぶ つなふさ)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将・戦国大名。下野宇都宮氏の家臣。壬生氏3代当主。権謀術数を駆使して芳賀高経等の重臣を失脚させ、宇都宮家中で絶大な権力を有した。晩年には下克上を果たし宇都宮氏から独立する。.

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大永の内訌 (下野宇都宮氏)

大永の内訌(だいえいのないこう)は、戦国時代初期の大永年間に起こった下野宇都宮氏18代当主の宇都宮忠綱と芳賀高経ら芳賀氏を中心とした家臣団との対立で起こった下野宇都宮氏の内訌である。.

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天文 (元号)

天文(てんぶん、てんもん)は、日本の元号の一つ。享禄の後、弘治の前。1532年から1555年までの期間を指す。この時代の天皇は後奈良天皇。室町幕府将軍は足利義晴、足利義輝。.

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宇都宮城

宇都宮城(うつのみやじょう)は栃木県宇都宮市本丸町にあった日本の城。関東七名城の一つ。江戸時代は宇都宮藩の藩庁となった。.

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宇都宮尚綱

宇都宮 尚綱(うつのみや ひさつな、永正10年(1513年) - 天文18年9月17日(1549年10月7日))は、戦国時代の下野国の大名。宇都宮氏20代当主。結城政朝の娘を妻とした。初名は俊綱。.

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宇都宮忠綱

宇都宮 忠綱(うつのみや ただつな、明応6年(1497年) - 大永7年7月16日(1527年8月12日))は戦国時代の武将で、下野の宇都宮氏第18代当主。宇都宮氏の中興の祖で知られる宇都宮成綱の嫡男。母は那須資親の娘。瑞雲院(足利高基妻)は姉妹である。近年の研究では、尚綱・興綱は忠綱の弟という説江田郁夫 編著『シリーズ・中世関東武士の研究 第四巻 下野宇都宮氏』(戒光祥出版、2012年)P17-19もある。岡本元綱という実子もいたといわれるが不詳。弥三郎。.

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宇都宮正綱

宇都宮 正綱(うつのみや まさつな)は室町時代後期から戦国時代初期の武将・守護大名で、下野の宇都宮氏16代当主、宇都宮氏庶流の武茂氏の当主も兼ねていた。.

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宇都宮氏

宇都宮(うつのみや)氏は、日本の氏族。摂関家藤原北家道兼流を称する大族。下毛野氏、中原氏の流れを汲むともいわれる。.

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宇都宮成綱

宇都宮 成綱(うつのみや しげつな)は戦国時代の武将・戦国大名で、下野の宇都宮氏17代当主。 戦国時代初期に、室町時代から続く度重なる内乱、戦乱で没落した下野宇都宮氏を立て直し、支配体制、家臣団を再編する。佐竹氏の中興の祖と呼ばれている佐竹義舜や蘆名氏の中興の祖蘆名盛高、那須氏や長沼氏、岩城氏など近隣の大名と争い大きく勢力を伸ばし、北関東最大の勢力にまで成長させ、下野宇都宮氏の最盛期を築き上げた。 また、下野宇都宮氏の戦国大名化に努めたため、宇都宮氏の中興の祖と呼ばれる。成綱は実質的に北関東の覇権を制した。.

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左衛門尉

左衛門尉(さえもんのじょう)とは、日本の律令制下の官職のひとつ。左衛門府の判官であり、六位相当の官職であった。五位の者が任ぜられた場合、左衛門大夫または大夫尉という他、検非違使と兼ねた場合には廷尉と俗称された。平家追討において活躍した源義経も任ぜられている。鎌倉時代以降、官職としては有名無実化したが、武士の任官が広くなされるようになるにつれ、左衛門尉などの武官の職は武士から広く好まれるようになり、鎌倉~江戸期を通じて多くの武将たちが任ぜられるか、受領名として使用されるようになっていった。.

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上杉顕実

上杉 顕実(うえすぎ あきざね)は、戦国時代の武将。関東管領。山内上杉家12代当主。.

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下野宇都宮氏

下野宇都宮氏(しもつけうつのみやし)は藤原北家道兼流の名族・宇都宮氏の嫡流である。代々下野国司を務め、鬼怒川(当時は毛野川)流域一帯を治めた大身。奥州を見据える要衝の地・宇都宮及び日光の地を治める社務職(宇都宮検校等)を務め、京都との繋がりが強かった。 下野国は宇都宮氏の発祥地であり、当地の宇都宮氏が嫡流。庶流として豊前宇都宮氏(城井氏)があり、さらに伊予宇都宮氏、筑後宇都宮氏(蒲池氏)などがある。それらと区別するため本貫の下野の地名を付けて下野宇都宮氏と呼ばれる。.

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下野国

下野国(しもつけのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。.

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下野新聞

下野新聞(しもつけしんぶん)は栃木県の地方新聞で、下野新聞社が発行している。1878年(明治11年)創刊。毎日新聞社と資本・協力関係にある。.

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従四位

従四位(じゅしい)とは、日本の位階及び神階における位のひとつ。正四位の下、正五位の上に位する。贈位の場合、贈従四位という。.

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地蔵院 (栃木県益子町)

地蔵院(じぞういん)は、栃木県芳賀郡益子町にある真言宗智山派の寺院である。山号は大羽山。本尊は延命地蔵菩薩。.

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猿山合戦

猿山合戦(さるやまかっせん)とは大永3年(1523年)8月に下野国で行われた合戦。.

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結城政朝

結城 政朝(ゆうき まさとも)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将・戦国大名。下総結城氏15代当主。.

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瑞雲院 (曖昧さ回避)

雲院(ずいうんいん).

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芳賀高経

芳賀 高経(はが たかつね)は、戦国時代の武将。下野宇都宮氏の家臣。下野国真岡城主。.

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芳賀氏

芳賀氏(はがし)は、鎌倉時代から戦国時代の武家。下野国芳賀郡より起こる。本姓は清原氏。ただし紀氏説もある。下野宇都宮氏の重臣。養子・姻戚関係のため宇都宮氏一族でもあり、下野国の有力武士団・清党の棟梁。真岡城主。家紋は左三つ巴。.

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落合業親

落合 業親(おちあい なりちか、生没年不詳)は戦国時代の武将。横田氏庶流落合氏当主。子に政親。.

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衛門府

衛門府(えもんふ)とは、律令制における官司。当初は1つであったが、大同3年(808年)に(左右)衛士府と統合されて一旦廃止され、弘仁3年(811年)に左右衛士府の改称に伴って復置された際、左衛門府と右衛門府の2つが置かれた。和訓にて「ゆげひのつかさ」と呼び、「靫負」という漢字をあてる場合がある。「ゆげひ」とは「ゆぎおひ(靫負ひ)」の転訛で「靫」とは弓を入れる容器のこと。「ゆげひ」がさらに訛って「ゆぎえ」とも称される。唐名は金吾。監門。監府。長は衛門督 (後に左衛門督・右衛門督)である。「柏木」は王朝和歌における衛門府、衛門督の雅称である。 ※当初、(左右)衛士府、(左右)兵衛府とあわせて「五衛府」と呼ばれ、復置後は(左右)近衛府、(左右)兵衛府とあわせて「六衛府」と呼ばれる。ここでは便宜上、衛士府統合以前を「前期」、衛士府の改称による復置以後を「後期」と表記する。.

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足利高基

足利 高基(あしかが たかもと)は、戦国時代の武将。3代目古河公方(在職:永正9年(1512年) - 天文4年(1535年))。足利政氏の長男。母は不詳。妻は宇都宮成綱の娘・瑞雲院。.

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武田氏

武田氏(たけだし)は、平安時代末から戦国時代の武家。本姓は源氏。家系は清和源氏の一流・河内源氏の一門、源義光を始祖とする甲斐源氏の宗家である。安芸国・若狭国に分派が存在し、上総国などにも庶流があったが、いずれも通字として「信」(のぶ)が使用されている。古代の国造である武田臣(皇別)の後裔が河内源氏義光流の棟梁と婚姻したという説も伝わっている。 河内源氏の名族の一つとして戦国時代には戦国大名化し、武田晴信(信玄)の頃には領国拡大し中央の織田・徳川勢力に対抗するが勝頼期には領国の動揺を招いて宗家は滅亡し、江戸時代には庶家だけがわずかに残った。 家宝は御旗(後冷泉天皇から下賜された日章旗)・楯無(楯無の鎧、源頼義が御旗とともに授けられたという)。.

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武茂兼綱

武茂 兼綱(むも かねつな)は、室町時代後期から安土桃山時代にかけての武将。武茂氏6代当主。.

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永正

永正(えいしょう)は、日本の元号の一つ。文亀の後、大永の前。1504年から1521年までの期間を指す。この時代の天皇は後柏原天皇。室町幕府将軍は足利義澄、足利義稙。.

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戦国遺文

戦国遺文(せんごくいぶん)は、東京堂出版から発行されている戦国時代の古文書を集めた史料集。.

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戦国時代 (日本)

日本の戦国時代(せんごくじだい)は、日本の歴史(にほんのれきし)において、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下したことに伴って守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭した。領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めるとともに、領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった。こうした戦国大名による強固な領国支配体制を大名領国制という。.

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文明 (日本)

文明(ぶんめい)は、日本の元号の一つ。応仁の後、長享の前。1469年から1486年までの期間を指す。この時代の天皇は後土御門天皇。室町幕府将軍は足利義政、足利義尚。.

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1476年

記載なし。

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1514年

記載なし。

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1523年

記載なし。

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1524年

記載なし。

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1536年

ユリウス暦の.

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1995年

この項目では、国際的な視点に基づいた1995年について記載する。.

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2006年

この項目では、国際的な視点に基づいた2006年について記載する。.

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2012年

この項目では、国際的な視点に基づいた2012年について記載する。.

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8月16日 (旧暦)

旧暦8月16日は旧暦8月の16日目である。六曜は大安である。.

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9月1日

9月1日(くがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から244日目(閏年では245日目)にあたり、年末まではあと121日ある。.

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