263 関係: 加藤氏、城井氏、かばね、卜部氏、千坂氏、千家、千葉氏、南部氏、名字、吉川氏、吉良氏、坪内氏、坂上氏、坂梨氏、堀田氏、夏目氏、大友氏、大崎氏、大久保氏、大伴氏、大内氏、大田原氏、大舘氏、大村氏、大森氏、大江氏、大河内氏、奥州藤原氏、奥平氏、姓、姉小路氏、学者、家、宗像氏、宗氏、宇喜多氏、宇田川氏、宇都宮氏、安富氏、安島氏、安倍氏、安藤氏、安東氏、尚氏、小山氏、小笠原氏、小田氏、小西氏、小貫氏、小野崎氏、...、小野氏、小早川氏、尼子氏、少弐氏、山名氏、山吉氏、山代氏、山内氏、山県氏、山本氏、岩崎家、岩切氏、島津氏、川勝氏、工藤氏、上杉氏、中原氏、中臣氏、丹羽氏、世良田氏、三好氏、三宅氏、三井家、三善氏、三村氏、三木氏、三浦氏、一色氏、一条家、九条家、九戸氏、平野氏、平氏、久松氏、京極氏、二条家、井伊氏、今川氏、仁平氏、仁科氏、廿楽氏、伊奈氏、伊丹氏、伊地知氏、伊勢氏、伊王野氏、伊達氏、伊東氏、住友家、佐久間氏、佐々氏、佐々木氏、佐竹氏、佐藤氏、徳川氏、後北条氏、後藤氏、得川氏、信濃村上氏、忌部氏、志村氏、土岐氏、土佐一条氏、在原氏、北畠家、北条氏、和知氏、和珥氏、和田氏、和気氏、ウジ、出雲国造、六角氏、前田氏、石川氏、石田氏、石橋氏、神保氏、秦氏、秋元氏、秋田氏、秋月氏、稲沢氏、穂積氏、立花氏、筒井氏、箕作家、細川氏、紀氏、織田氏、真壁氏、真田氏、猪苗代氏、結城氏、甲斐庄氏、甲斐氏、畠山氏、留守氏、物部氏、片倉氏、益子氏、直江氏、相馬氏、相良氏、花房氏、鎌倉氏、荒尾氏、鍋島氏、菊池氏、菅原氏、蠣崎氏、飯富氏、馬場氏、香宗我部氏、設楽氏、諏訪氏、高階氏、高氏、豊臣氏、財閥、鳥居氏、賀茂氏、越智氏、足利氏、鷹司家、黒田氏、龍造寺氏、近衛家、蜂須賀氏、茅根氏、鈴木氏、阿南氏、阿倍氏、阿部氏、阿蘇氏、蘆名氏、蘇我氏、赤松氏、藤原氏、藤堂氏、葦間氏、葛城氏、葛山氏、蒲池氏、肝付氏、那須氏、里見氏、金光氏、金沢氏、長宗我部氏、長尾氏、長岡氏、長氏、酒井氏、進士氏、陶氏、折笠氏、柳生氏、柳沢氏、林氏、松平氏、松見氏、松浦氏、村上氏、桜井松平家、森氏、椎名氏、楠木氏、榊原氏、橘氏、櫛橋氏、正木氏、武田氏、毛利氏、氏族、水走氏、水野氏、江戸氏、池田氏、池氏、河内氏、河野氏、津守氏、津軽氏、津野氏、渡辺氏、清原氏、清水氏、源氏、朝倉氏、朝比奈氏、朝日氏、木下氏、木田氏、木村氏、木曾氏、末吉氏、本多氏、本間氏、有馬氏、最上氏、惟宗氏、戸川氏、星野氏、明智氏、浦上氏、浅井氏、浅利氏、浅野氏、斎藤氏、斯波氏、新宮氏、新田氏。 インデックスを展開 (213 もっと) »
加藤氏
加藤氏(かとうし)は、日本の氏族のひとつ。 加藤氏は藤原氏の一族。日本の戦国時代から江戸時代の大名である加藤光泰や嘉明らが出自とする藤原北家利仁流や加藤清正らが出自とする藤原北家道長流などがある。そして、加藤氏の「加」は加賀の藤原からきたものと一般にいわれる。.
城井氏
城井氏(きいし/きいうじ)は、日本の氏族の一つ。豊前宇都宮氏とも言い、中世には豊前国城井郷の大身領主であった。.
かばね
かば.
卜部氏
卜部氏(うらべうじ)は、「卜部」を氏の名とする氏族。 古代の祭祀貴族の一つで、卜占(ぼくせん)による吉凶判断を業としていた氏族である。占部・浦部・浦邊とも表記する。.
千坂氏
千坂氏(ちさかし、ちざかし)は、上杉氏の重臣で四家老家の一つ。江戸時代の家格は侍組分領家。.
千家
千家(せんけ)は、千利休を流祖とする茶道流派の家。.
千葉氏
千葉氏(ちばし、ちばうじ)は、坂東八平氏・関東八屋形の一つに数えられる下総の豪族で、守護大名・戦国大名となった一族である。桓武平氏良文流。通字は「胤」。.
南部氏
南部氏(なんぶし)は、陸奥の武家で本姓は源氏。本貫地は甲斐国南部郷で家祖は南部光行。南部氏初代の光行は、平安時代に活躍した清和源氏の一流である河内源氏 源義光や、その孫で平安時代末期に活躍した黒源太清光、その子である甲斐源氏・加賀美遠光の子孫である。.
名字
名字(みょうじ、苗字)は、家(家系、家族)の名のこと。法律上は氏と呼ばれ(民法750条、790条など)、一般には姓ともいう。.
吉川氏
吉川氏(きっかわし)は、藤原南家工藤流の流れを汲む日本の氏族。.
吉良氏
吉良氏(きらし)は、日本における武士の氏族の一つであり、代表的なものに下の三つの流れがある。.
坪内氏
坪内氏(壺内氏 つぼうちし、つぼうちうじ)は、日本の氏族の一つ。鎮守府将軍藤原利仁流加賀国国主富樫氏の一族の他、下記の系統がある。.
坂上氏
坂上氏(さかのうえうじ)は、「坂上」を氏の名とする氏族。坂上直姓、坂家とも。 代表的な人物に征夷大将軍の坂上田村麻呂がいる。田村麻呂の後には史書に見える中で陸奥守や陸奥介、鎮守府将軍や鎮守府副将軍など、陸奥国の高官が多く輩出されている。また清水寺別当、、右兵衛督、大和守、明法博士、左衛門大尉、検非違使大尉等を世襲した。.
坂梨氏
坂梨氏(さかなしし)は、日本の氏族のひとつ。日本の肥後国の武家。阿蘇氏の一族の名字(阿蘇大宮司族)。.
堀田氏
堀田氏(ほったし)は、日本の氏族。.
夏目氏
夏目氏(なつめし)は、日本の氏族の一つ。.
大友氏
大友氏(おおともし)は、鎌倉時代から戦国時代にかけて、九州の豊後国(現大分県)を本拠とした一族。豊後・筑後など北九州を支配した守護職・守護大名で、戦国時代には戦国大名に成長し、最盛期には豊後・筑後に加え豊前・肥前・肥後・筑前の6ヶ国と日向・伊予の各半国を領有したが、豊臣政権期に除封された。江戸時代には江戸幕府の旗本(高家)や大名家の家臣となって存続した。.
大崎氏
大崎氏(おおさきし)は、陸奥大崎5郡を支配した大名。本姓は源氏。家系は清和源氏のひとつ、河内源氏の流れを汲む足利一門で、南北朝時代に奥州管領として奥州に下向した斯波家兼を始祖とする斯波氏の一族。 斯波氏の一族であることから、斯波大崎氏ともいう。さらに、支流には最上氏、天童氏などがある。.
大久保氏
大久保氏(おおくぼし)は、日本の氏族。.
大伴氏
大伴氏(おおともうじ)は、日本の古代氏族。氏の呼称は平安時代初期に淳和天皇の諱を避けて伴氏(ともうじ)に改称。姓はもと連、のち八色の姓の制定により宿禰、平安時代中期以降は朝臣。 天孫降臨の時に先導を行った天忍日命の子孫とされる天神系氏族で、佐伯氏とは同族関係とされる(一般には佐伯氏を大伴氏の分家とするが、その逆とする説もある)。.
大内氏
大内氏(おおうちし、おおうちうじ)は、日本の氏族・名字の一つ。.
大田原氏
accessdate.
大舘氏
別紋:酢漿草 大舘氏館跡。 大舘氏(おおだちし)は、日本の姓氏のひとつ。大館氏とも表記する。”おおだて”と読む場合もある。.
大村氏
大村氏(おおむらし)は、日本の氏族のひとつ。戦国時代の戦国大名。江戸時代の肥前大村藩主。.
大森氏
大森氏(おおもりし)は、日本の氏族の一つ。.
大江氏
大江氏(おおえうじ)は、「大江」を氏の名とする氏族。姓(カバネ)は朝臣。 日本の古代から近世の貴族。源、平、藤原、橘と同じく姓(本姓)であり、苗字ではない。.
大河内氏
大河内氏(おおこうちし)は、摂津源氏源頼政の孫顕綱の後裔と称した一族である。室町時代には三河吉良氏に家老として仕え、江戸時代の正綱の代に徳川氏一族の長沢松平家の養子となって以後は大河内松平家という。大名・旗本として複数家あり、知恵伊豆と称された老中松平信綱などを輩出した。明治時代に入り、大河内姓に復した。.
奥州藤原氏
毛越寺所蔵の三衡画像(江戸時代) 奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし)は、前九年の役・後三年の役の後の寛治元年(1087年)から源頼朝に滅ぼされる文治5年(1189年)までの間、陸奥(後の陸中国)平泉を中心に出羽を含む東北地方一帯に勢力を張った豪族。藤原北家秀郷流を称した。.
奥平氏
奥平氏(おくだいらし)は、戦国時代に三河北東部の作手地方(現・新城市)を中心に活動した日本の氏族の一つ。.
姓
姓(せい)とは、東アジアの漢字文化圏で用いられる血縁集団の名称。その範囲は地域や時代によって変動し、氏や名字といった他の血縁集団名と様々な階層関係にあった。近代以降、ヨーロッパなどの他の文化圏の血縁集団名、家系名の訳語としても用いられている。.
姉小路氏
姉小路氏(あねこうじし/あねがこうじし/あねのこうじし)は飛騨の戦国大名となった氏族。元は宇多源氏系の三木氏(みきし/みつきし)である。.
学者
学者(がくしゃ)とは、何らかの学問の研究や教授を専門職とする人、およびその職業人の総称である。研究者(けんきゅうしゃ)とも言う。学問の専門家。.
家
家(いえ).
宗像氏
宗像氏、宗形氏(むなかたし)は、筑前国の古族である。 また、上代より宗像の地を支配した海洋豪族、宗像大社を奉じる一族も「宗像氏」(胸形氏、宗形氏、胸肩氏とも)を冠する事があり、併せて記す。.
宗氏
宗氏(そうし、むねし)は、日本の氏族のひとつ。中世から近世にかけて対馬国を支配した守護・戦国大名・近世大名の氏族。秦氏の末裔惟宗氏の支族だが、室町時代中期頃より平知盛を祖とする桓武平氏を名乗るようになった。.
宇喜多氏
宇喜多氏(うきたうじ、うきたし)は、備前国の戦国大名。本来は、地形に由来する「浮田」姓と思われるが、嫡流は「宇喜多」(宇喜田)、庶流は「浮田」を称した。通字は代々「家」(いえ)、後に「秀」(ひで)を用いた。代々相伝の幼名は、宇喜多興家から宇喜多秀家の子・宇喜多秀規まで「八郎」が継承されている。家紋は剣片喰(剣酢漿草)、他に雨竜や亀など。近世では五七の桐や五三の桐を用いている。旗紋は兒文字と考えられているが、剣片喰や唐太鼓も散見され、兒文字は他の武将の旗紋の可能性もある。.
宇田川氏
宇田川氏(うだがわし)とは.
宇都宮氏
宇都宮(うつのみや)氏は、日本の氏族。摂関家藤原北家道兼流を称する大族。下毛野氏、中原氏の流れを汲むともいわれる。.
安富氏
安富氏(やすとみし)は、鎌倉時代から戦国時代に活動した武将・吏僚の一族。鎌倉時代中期から幕府奉行人として現れ、室町時代中期以降は細川京兆家の重臣として現れる。讃岐国東方守護代家。 肥前国南高来郡深江の土豪にも安富氏がおり、江戸時代まで鍋島藩家老として存続した。 周防国大内氏に仕えた一族や、石見国益田氏の一族である安富氏もいる。.
安島氏
安島氏(あじまし)は、姓氏のひとつ。安島、または安嶋とも記す。常陸国及び東北地方における武家のひとつ。また越前国や近江国にも見られる。.
安倍氏
安倍氏 (あべし).
安藤氏
安藤氏(あんどうし)は、日本の氏族の一つ。.
安東氏
安東氏(あんどううじ、あんどうし)は、日本の鎌倉時代から戦国時代の末まで、陸奥国・出羽国の北部に勢力を張った武士の一族である。本姓は安倍を称した。 なお諸史料に現れるアンドウの表記について、主として鎌倉時代から南北朝時代にかけての津軽時代には「安藤氏」、室町時代中期以降の秋田時代には「安東氏」とされている例が多いことから世界大百科事典第2版 1998、個人名表記は概ね15世紀半ばまでを「安藤」、以降を「安東」とするが、本稿では便宜上、他氏族との混同を避けるため、氏族名を「安東」で統一して叙述する。なお、安藤氏と表記する場合、他の家系と区別するため津軽安藤氏と呼ぶ例がある小口 1995,書名。.
尚氏
尚氏(しょうし)は、琉球国の王家およびその姓。佐敷按司巴志が挙兵して中山察度王統二代目武寧王を滅ぼして後、北山、南山を滅ぼして琉球を統一し尚巴志王として尚氏を名乗った。しかしその後、有力豪族や王族内部の王位継承問題での内乱や外征が続き、国民は疲弊し、群臣に推挙されて伊是名島出身の金丸(後の尚円王)が即位して王家が交替しており、第一尚氏・第二尚氏として区別している。.
小山氏
小山氏(おやまし)は、平安時代に武蔵国に本領を有し藤原秀郷の後裔と称した太田氏を出自とする地方豪族。1150年頃、政光がはじめて下野国小山に移住して小山氏を名乗った。政光は八田宗綱の娘(後に源頼朝の乳母である寒河尼)を妻とし、頼朝の信頼厚く鎌倉幕府において重用されることとなった。関東八屋形の一つ。.
小笠原氏
小笠原氏(おがさわらし、おがさわらうじ)は、日本の氏族。清和源氏の河内源氏の流れをくみ、武家の有職故実を伝える一族としても知られる。通字は、「長」・「貞」・「忠」などである。.
小田氏
小田氏(おだし).
小西氏
小西氏(こにしし)は、日本の氏族の一つ。二つの異なる家がある。.
小貫氏
小貫氏(おぬきし)は日本の氏族の一つ。 家系は藤原北家の藤原魚名の流れを汲み、平将門を征伐した鎮守府将軍藤原秀郷の末裔にあたる。秀郷より20代目にあたる小野崎氏第13代当主小野崎通春の次男・通伯が常陸国久慈郡小貫村にあって小貫通伯を名乗った。異説として、秀郷より4代藤原公通の三男通近を小貫氏の祖とするものもある。.
小野崎氏
小野崎氏(おのさきし)は常陸国久慈郡小野崎(現在の茨城県常陸太田市)に興った氏族。本姓は藤原氏。.
小野氏
小野氏(おのうじ)は、「小野」を氏の名とする氏族。 7世紀前半から平安時代中期にかけて活躍した氏族である。姓ははじめは臣であったが、八色の姓により朝臣に列せられた。孝昭天皇の皇子である天足彦国押人命(あめのおしたらしひこのみこと)を祖とする和珥氏の枝氏である。 源盛義を祖とし、美濃国小野に住んだことから小野を名乗った清和源氏義光流平賀氏系小野氏(武家)など、地名にちなむ小野氏もある。.
小早川氏
小早川氏(こばやかわうじ/こばやかわし)は、日本の氏族の一つ。著名な一族は中世から近世にかけての武家。.
尼子氏
尼子氏(あまごし)は、京極氏の一族で代々出雲守護代を務めた。京極氏から室町時代中期に分かれた家であり、京極尼子家とも呼ばれる。山陰地方で活動し、戦国大名となった一族である。こちらの一族は出雲尼子氏と呼ばれ最盛期には中国八カ国を領域に起き120万石の広大な領土を支配した。通字は「久」(ひさ)。.
少弐氏
少弐氏(しょうにし)は、日本の氏族の一つ。筑前、肥前など北九州地方の御家人・守護大名。藤原北家秀郷流と称した武藤氏の一族。.
山名氏
日本の氏族。幾つかの流れがある。.
山吉氏
山吉氏(やまよしし)は、日本の氏族。桓武平氏の平頼盛の末裔との伝承をもち、。 越後守護代長尾氏の配下として、三条城(島之城)によって勢力を築き、蒲原郡代として活躍した。.
山代氏
山代氏(やましろし)は、松浦党の氏族の一つで、肥前国松浦郡山代に起こった。 松浦久の子で嫡流の御厨庄を相続した従五位、兵衛尉松浦直の六男の山代囲(源六囲、山代源六囲)にはじまり、肥前国神埼を本拠地とする。同地の鳥羽院領神埼荘に荘官として下向した嵯峨源氏の源満末の武力的背景となる。 囲の子の源圓(源三圓、山代源三固)は、満末の孫の久直(蒲池久直)にはじまる筑後の蒲池氏の遺領を継ぎ(『筑後国史』)、山代氏は囲の子の廣(山代源三廣)が継ぐ。廣の子の山代階(弥三階)は、元寇の時に松浦党として惣領の佐志房と共に戦い討ち死にしている。 鎌倉幕府が滅び南北朝時代になると、山代弘は同族の松浦勝・志佐有・有田持・波多武などと共に北朝方に属し、1359年(延文4年)の筑後川の戦い(大保原の戦い)では北朝の少弐頼尚の下に戦った。 戦国時代においては、主君の少弐氏が中国地方の大内氏に圧迫され、大内氏の意を受けて謀反を起こした龍造寺氏に滅ぼされた。その後大内氏と対抗する豊後の大友義鎮が有馬氏と共に少弐氏の再興を図り、山代清は波多鎮、松浦親、伊万里直などとこれに加わり龍造寺氏に対抗したが、波多氏、鶴田氏などが龍造寺方に寝返ったことからこの企ては失敗し、また肥前は龍造寺氏の制圧下に入った。 豊臣秀吉の九州平定の時、山代貞(孫七貞)は、本領を安堵され、山代氏はその後、佐賀藩の鍋島氏に仕えた。 山代氏の史料としては、膨大な「山代文書」がある。 Category:日本の氏族 Category:九州地方の氏族 Category:肥前国の氏族 *.
山内氏
山内氏(やまうちし、やまのうちし)は、日本の氏族の一つ。山内首藤氏(やまのうち すどう)や土佐藩藩主となった山内氏が知られる。.
山県氏
山県氏(やまがたし、やまがたうじ)は日本の氏族。正確な表記は「山縣」。主な系統は下記の流れである。.
山本氏
山本氏(やまもとし)は、日本の氏族。紀伊国の国人。.
岩崎家
旧岩崎邸 岩崎家(いわさきけ)は、三菱財閥の創業者一族。創始者・岩崎弥太郎とその弟で2代目当主の岩崎弥之助の2家系からなる。.
岩切氏
岩切氏(いわきりし)は、日本の氏族の一つ。.
島津氏
島津氏(しまづし)は、日本の氏族。鎌倉時代から江戸時代まで続いた、薩摩を根拠地とする大名家のほかに、多数の分家がある。通字に「忠」「久」(初名も含めると基本的な通字は全時代を通じて「忠」の字が多く、江戸時代初期までは執権や将軍の偏諱を受けた場合に『「偏諱」+「久」』が多い。明治以降現在は嫡男に「忠」、次男に「久」)を用いる。また、公式文章の面では「嶋津氏」の表記を用いられてきた。本項は主に、薩摩の島津氏を主軸とした記述である。その他の島津氏についてはそれぞれ越前島津氏、信濃島津氏、若狭島津氏、江州島津氏などの項目または島津氏族の段を参照の事。.
川勝氏
川勝氏(かわかつし)は、日本の氏族のひとつ。秦河勝の後裔と伝えられるが、その系譜は必ずしも明確ではない。分家も少なくないが、江戸幕府の幕臣川勝氏がよく知られている。家紋は、桐に鳳凰、釘抜、五七桐、五三桐など。通し字は、それぞれ「広」、「隆」、「氏」(家紋、通し字とも幕臣川勝氏)。.
工藤氏
工藤氏(くどうし)は、藤原南家の流れをくむ日本の氏族のひとつ。.
上杉氏
上杉氏(うえすぎし / うえすぎうじ)は、公家である藤原家の支族の一つ。1252年、公家である藤原重房が、宗尊親王の鎌倉幕府・将軍(皇族初の征夷大将軍)就任に従って京都から鎌倉へ下向して、武家化し「上杉」姓を賜われたのが上杉氏の祖。室町時代には関東管領を世襲し、越後・上野・武蔵・相模の守護を務める有力守護大名として栄えた。室町幕府の初代将軍・足利尊氏の生母は上杉家出身。鎌倉時代、室町時代から江戸時代にかけて栄えた武家の一族(山内上杉家)が著名。山内上杉家15代当主・上杉憲政は北条氏康に敗北し、長尾家出身の長尾景虎(のちの上杉謙信)に上杉家の家督を譲った。豊臣政権の五大老の一人であった山内上杉家17代当主・上杉景勝は、関ヶ原の戦いにて西軍に付いて敗北し出羽国米沢に移転・減封されたが、幕末まで大名としての地位を維持し、明治時代には華族に列して伯爵を授けられた。本貫地は丹波国何鹿郡上杉荘(現在の京都府綾部市上杉)。 江戸時代には、大名2家、旗本4家(うち高家1家)があり、子孫は現代まで続いている。.
中原氏
中原氏(なかはらうじ)は、「中原」を氏の名とする氏族。.
中臣氏
中臣氏(なかとみうじ)は、「中臣」を氏の名とする氏族。 古代の日本において、忌部氏とともに神事・祭祀をつかさどった中央豪族で、古くから現在の京都市山科区中臣町付近の山階を拠点としていた。天児屋命(アメノコヤネ)を祖とする。姓(かばね)は連(むらじ)、八色の姓制定後の姓(かばね)は朝臣(あそみ・あそん)。.
丹羽氏
丹羽氏(にわし)は、日本の氏族。.
世良田氏
世良田(せらた、せらだ)氏は、鎌倉時代に清和源氏の新田氏から分立した上野国新田郡(新田荘)世良田郷(現在の群馬県太田市世良田町)の豪族。.
三好氏
三好氏(みよしし)は、日本の氏族の一つ。信濃源氏の一族で鎌倉時代の阿波守護・小笠原氏の支流。室町時代には阿波守護細川氏の守護代を務め、戦国時代に細川氏に対して下剋上を起こし、阿波をはじめとする四国東部のみならず畿内一円に大勢力を有し、三好政権を築いた。.
三宅氏
三宅氏(みやけし)は、日本の氏族のひとつ。 三宅氏には多くの流派がある。.
三井家
三井家(みついけ)は、日本の氏族。江戸時代の豪商であり、三井財閥の当主の一族。.
三善氏
三善氏(みよしし)は、日本の姓氏の1つ。元は渡来人系の一族であるが、実際には百済系の一族と漢族系の一族の2系統が存在する。ただし、後世において2つの系統が結び付けられているものがある。.
三村氏
三村氏(みむらし)は日本の氏族。本姓は源氏。家系は清和源氏の一家系である河内源氏の傍流・甲斐源氏小笠原氏の庶流にあたる太田亮著、上田萬年、三上参次監修『姓氏家系大辞典 第3巻』(角川書店、1934年)3907頁、5908頁参照。。.
三木氏
三木氏(みきし、みつきし)は、日本の氏族。中世から近世まで栄えた豪族・大名の一族。.
三浦氏
三浦氏(みうらし)は、平安時代の相模国の武家。三浦党(みうらとう)とも呼ばれる。.
一色氏
一色氏(いっしきし)は、日本の氏族(武士)。清和源氏義国流で足利氏の一門。足利泰氏の子一色公深は、三河国吉良荘一色(愛知県西尾市一色町)を本貫とし、一色氏を名乗った。 室町幕府開府当初は九州探題として筑前国にあったが、後には侍所所司に任ぜられる四職の筆頭となり、また若狭国・三河国・丹後国などの守護職を世襲した。戦国時代にも丹後の大名として続いたが、安土桃山時代に至り細川藤孝・忠興らの侵攻によって滅亡した。 他に.
一条家
一条家(いちじょうけ)は、五摂家のひとつで公家である。桃華(とうか)家とも称される。.
九条家
九条家(くじょうけ)は、五摂家のひとつで公家である。.
九戸氏
九戸氏(くのへし)は、日本の氏族のひとつ。陸奥国を本拠とした武家。九戸党とも。「九戸政実の乱」を起こした、11代目(説により14代目)の九戸政実が有名。中野氏・高田氏・坂本氏・上野氏・小軽米氏・江刺氏・姉帯氏などがこの一族という。.
平野氏
平野氏(ひらのし)は、日本の氏族で、主なものには以下の各氏がある。.
平氏
平氏(へいし、たいらうじ)は、「平」を氏の名とする氏族。姓(カバネ)は朝臣。家紋は揚羽蝶、鱗など。 日本において皇族が臣下に下る(臣籍降下)際に名乗る氏の一つで、有名な桓武平氏を含め4つの流派がある。.
久松氏
久松氏(ひさまつし)は、知多半島阿古屋発祥の氏族。.
京極氏
京極氏(きょうごくし)は、日本の武家の一つ。本姓は源氏。宇多源氏の流れを汲む近江源氏、佐々木氏の別家である。.
二条家
二条家(にじょうけ)は、五摂家のひとつで公家である。.
井伊氏
井伊氏(いいし)は、日本の氏族。近江国彦根藩の主家である。.
今川氏
今川氏(いまがわうじ)は、日本の武家。本姓は源氏で、家系は清和源氏のひとつ河内源氏の流れを汲む足利氏御一家・吉良家の分家にあたる。吉良家は足利将軍家の親族であり足利宗家の継承権を有しており、斯波家や畠山家をはじめとする他の足利一門諸家とは別格の地位にあった。今川家はその分家として、駿河の守護に代々任命された。さらに遠江守護家も分流する。初期の分家である今川関口家は幕府の奉公衆であった。.
仁平氏
仁平氏(にだいらし)は日本の武家。 本姓は源氏。家系は清和源氏の一家系 河内源氏の棟梁 鎮守府将軍源頼義の三男 新羅三郎義光の流れを汲む常陸源氏 佐竹氏の庶流。常陸守護である佐竹氏の被官であり、佐竹氏の戦国大名化に伴い、家臣となった。関ヶ原の戦い後、佐竹義宣が、秋田転封となり、秋田藩士となった家系、常陸国内に留まり、水戸藩の郷士となった家系とがある。.
仁科氏
仁科氏(にしなうじ)は、日本の氏族。系統は仁品王系・皇極太子系・桓武平氏繁盛流(信濃平氏)・清和源氏・義光流・武田支流。また、清和源氏頼季流乙葉氏族の仁科氏もある。.
廿楽氏
廿楽氏(つづらし)は、日本の氏族のひとつ。埼玉県桶川市に多く、約80件にのぼる。もともと平安時代、京都鞍馬で朝廷に仕えていた雅楽の集団で、20人(廿人)で組織したのが由縁としている。鞍馬には同志社大学近くに廿楽マンエモン氏方が居住まい、その地より埼玉県桶川市さらに同上尾・同大宮に分家したようだ。埼玉県桶川市では、加納の廿楽鑑明、五丁台の廿楽吾郎が旧家として知られている。 桶川市には江戸時代にこの地域の有力農民だった廿楽氏の邸宅が残り、べに花ふるさと館となっている。 桶川市には「廿楽」の名が冠される企業も存在し、隣の自治体である上尾市にも存在する。.
伊奈氏
伊奈氏(いなし)は、日本の氏族。伊那氏、井奈氏とも呼ばれる。.
伊丹氏
伊丹氏(いたみし)は日本の氏族(武家)。.
伊地知氏
伊地知氏(いぢちし)は、日本の氏族。平姓秩父氏を祖とする大隅国の国人で、後に薩摩島津氏の家臣となり薩摩藩士として明治へと至る。.
伊勢氏
伊勢氏(いせし)は、日本の氏族で桓武平氏維衡流の氏族。室町時代には室町幕府の政所執事を世襲、江戸時代には旗本として仕え、武家の礼法である『伊勢礼法』を創始し、有職故実の家として知られた。.
伊王野氏
伊王野氏(いおのし、いおうのし)は藤原氏長家流那須氏の一族で下野国那須郡伊王野発祥の氏族。.
伊達氏
伊達氏(だてし/いだてし)は、鎌倉時代から江戸時代まで東北地方南部を本拠とした一族で、桓武平氏繁盛流常陸大掾と称する。伊予国・但馬国・駿河国などに庶流家がある。.
伊東氏
伊東氏(いとうし、いとううじ)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて伊豆国田方郡伊東荘(現静岡県伊東市)を本貫地としていた豪族。藤原南家・藤原為憲の流れを汲む工藤氏の一支族。通字は「祐」(すけ)。 一族である工藤祐経の子孫が日向国へ下向して戦国大名の日向伊東氏・日向国飫肥藩藩主となり、伊東祐親の子孫が尾張国岩倉に移り住んで、後に備中伊東氏・備中国岡田藩藩主となる。.
住友家
住友家(すみともけ)は住友財閥の創業者一族。.
佐久間氏
佐久間氏(さくまし)は、桓武平氏、三浦氏の流れをくむ日本の氏族。家紋は丸の内に三引両。三浦義明の孫・佐久間家村を祖とする。.
佐々氏
佐々氏(さっさし)は日本の氏族のひとつ。.
佐々木氏
佐々木氏(ささきし)は、日本の氏族のひとつ。家系は宇多天皇の第8皇子・敦実親王の流れをくむ宇多源氏、源成頼の孫・佐々木経方を祖とする一族。近江国蒲生郡佐々木荘を発祥に、軍事貴族として繁栄した。後に源平合戦(治承・寿永の乱)で活躍し全国に勢力を広げた。.
佐竹氏
佐竹氏(さたけし)は、日本の氏族のひとつ。日本の武家。本姓は源氏。家系は清和源氏の一家系 河内源氏の流れをくみ、新羅三郎義光を祖とする常陸源氏の嫡流。武田氏に代表される甲斐源氏と同族である。通字は「義」。佐竹氏は家紋として定紋の「扇に月」(一般的には日の丸扇と呼ばれている)の他に、源氏香(花散里)・笹竜胆・佐竹桐・丸に釘貫・丁子巴・鉄線を加えた七つの家紋を「御当家七ッ御紋」としている。源氏から中近世大名、華族として明確な系譜として現代まで残った中ではもっとも大きな流れの一つである。.
佐藤氏
佐藤氏(さとうし)は、日本の氏族のひとつ。藤原秀郷をその源流とする。その由来は、左衛門尉の藤原氏の略とされる他、佐野の藤原氏、佐渡の藤原氏などの諸説がある。 130px 130px.
徳川氏
徳川氏(とくがわし/とくがわうじ、)は、徳川家康が創始した日本の氏族。新田氏系得河氏・得川氏の末裔を称した際に嘉字を用いて徳川と称したことが始まりとなり、江戸幕府将軍家と親族の家名とした。しかし『徳川家譜』に記される家系に関しては『尊卑分脈』の該当記録に似通った流れはあるものの、当代史料による検証がならず、得川氏と家康の家系との同一性は実証できていない。.
後北条氏
後北条氏(ごほうじょうし/ごほうじょううじ、旧字体表記:後北條氏)は、関東の戦国大名の氏族。本姓は平氏。家系は武家の桓武平氏伊勢氏流。室町幕府の御家人・伊勢氏の一族にあたる「北条早雲」こと伊勢盛時(1432年/1456年 - 1519年)をその祖とする。正式な名字は「北条(北條)」だが、代々鎌倉幕府の執権をつとめた北条氏とは傍系の遠い血縁関係にあるとされるものの直接の後裔ではないことから、後代の史家が両者を区別するため伊勢氏流北条家には「後」を付して「後北条」と呼ぶようになった。また居城のあった相模国小田原の地名から小田原北条氏(おだわら ほうじょうし/おだわら ほうじょううじ)あるいは相模北条氏とも呼ばれる。最大時(氏政)には関八州で240万石の一大版図を支配していた。 通字は「氏(うじ)」。代々の家督は御本城様(ごほんじょうさま)と呼ばれ、「祿壽應穏(禄寿応穏)」と刻銘された「虎の印章」を使用した。これは「禄(財産)と寿(生命)は応(まさ)に穏やかなるべし、領民全ての禄を寿を北条氏が守っていく」という政治宣言であった。 近代には、初代・早雲(盛時)の素性が伊勢の素浪人と誤認され、下克上を初めて現実のものとして伊豆一国の主となり、そこから戦国大名にまでのし上がったとされていたが、後述のように近年の研究で否定されている。.
後藤氏
後藤氏(ごとうし、ごとううじ)は、日本の氏族の一つ。.
得川氏
得川氏(えがわし、とくがわし)は、平安時代末から鎌倉時代初め頃の上野国の豪族。清和源氏新田氏の一族。新田義重の四男・義季とその子である得川頼有(下野守、下野四郎太郎)を祖とする。新田郡(新田荘)得川郷(現在の群馬県太田市徳川町)を本貫とした。書によっては得河・徳河・徳川とも表記される。 「得川」は本来は「えがわ」と読んでいたが、後に「とくがわ」と読むようになる。同族の世良田氏とは、始祖の義季の名乗りの関係から系譜上の位置づけに諸説ある。.
信濃村上氏
信濃村上氏(しなのむらかみし)は、戦国時代の村上義清に代表される河内源氏の庶流村上氏の嫡流を指す。.
忌部氏
忌部氏(いんべうじ)、のち斎部氏(いんべうじ)は、「忌部」または「斎部」を氏の名とする氏族。 天太玉命を祖とする神別(天神)の古代氏族で、「忌部首(いんべのおびと)」、「忌部連(いんべのむらじ)」、「忌部宿禰(いんべのすくね)」のち「斎部宿禰」姓を称した。古代朝廷における祭祀を担った氏族である。 本項では、部民としての忌部(いんべ)についても解説する。.
志村氏
志村氏(しむらし)は、日本の姓。 古くは、「吾妻鏡」や「承久物語」などに志村平三・信乃三郎光行・志村三郎・志のむら弥三郎・志村又太郎が登場している。 志村姓は、山梨県に多く見受けられ、他にも、長野県、宮城県、東京都にも見受けられる。 東京をルーツとする志村氏は、武蔵の名族豊嶋氏の一族で、武蔵国豊島郡志村郷(東京都板橋区)を本拠とする鎌倉武士の出身。戦国時代には早くから後北条氏の家臣となっていた。 天文 (元号)10年(1541年)11月2日、北条氏康から武蔵川越城(埼玉県川越市)での戦功によって志村弥四郎に感状が与えられた。 また、宮城をルーツとする志村氏は、肥後国の菊池氏の末裔である。.
土岐氏
土岐氏(ときし)は、鎌倉時代から江戸時代にかけて栄えた武家。清和源氏流摂津源氏系美濃源氏の嫡流として美濃国を中心に栄えた軍事貴族の系統。 南北朝時代から戦国時代にかけて美濃国守護を務めるとともに室町幕府の侍所頭人として五職家の一角を占め、最盛期には美濃、尾張、伊勢の3か国の守護大名となった。戦国時代には近江の六角氏、京極氏、越前の朝倉氏・尾張の織田氏・伊勢の北畠氏など周辺大名と争うも、斎藤道三の下克上により没落した。庶流にあたる明智光秀・浅野長政・土岐定政(菅沼藤蔵)らは戦国武将として各地の大名に仕え頭角を現し、江戸時代には浅野家、土岐定政家が大名として存続した。.
土佐一条氏
土佐一条氏(とさ いちじょうし)は、日本の武家の一つ。本姓は藤原氏で、五摂家の一条家の分家。家紋は「一条藤」。 戦国時代に土佐国に土着し、武家化した戦国大名。姉小路氏・北畠氏と共に戦国三国司の一つに数えられる。.
在原氏
在原氏(ありはらうじ/ありわらうじ)は、「在原」を氏の名とする氏族。 平城天皇皇子の阿保親王・高岳親王が臣籍降下したことに興る皇別氏族(賜姓皇族参照)。「在原」とは、『詩経』小雅「常棣」の中にある“脊令在原 兄弟急難(脊令(セキレイ)、原にありて、兄弟(けいてい)難を急にす)”の句から取ったと言われている(仁平道明説)。 一般に知られるのは阿保親王流で、賜姓に与った行平・業平兄弟の子孫が栄えた。.
北畠家
北畠家(きたばたけけ、または北畠氏(きたばたけし))は、公家の一つ。村上源氏中院家庶流。武家としての通字は「具(とも)」。 南北朝時代に南朝の忠臣として重きをなし、伊勢国に進出して南北朝合一後も国司として勢力を保ち、公家大名、戦国大名として戦国時代まで命脈を保った「三国司家」『世界大百科事典』。また、大名化しても公家としての意識は持ち続け、伊勢国司家の歴代当主の花押は武家ではなく公家のものであった (三重県HP)。 なお、明治維新後、北畠家の家名は中院流久我家の分家として再興され、男爵に叙されている。.
北条氏
北条氏(ほうじょうし、)は、伊豆国出身の豪族で、鎌倉幕府の執権職を世襲した一族である。戦国大名後北条氏との混同を避けるため、代々鎌倉幕府執権職を継承したことから執権北条氏もしくは鎌倉北条氏と呼ばれることもある。通字は時(とき)。.
和知氏
和知氏(わちし)は、日本の氏族。.
和珥氏
和珥氏(わにうじ)は、「和珥」を氏の名とする氏族。5世紀から6世紀にかけて奈良盆地北部に勢力を持った古代日本の中央豪族である。和珥は和邇・丸邇・丸とも。一説には海人族でもあったという。.
和田氏
和田氏(わだし)は、日本の氏族。桓武平氏の流れを汲む三浦氏の庶流。.
和気氏
和気氏(わけうじ)は、「和気」を氏の名とする氏族。 備前国和気郡(古くは藤野郡と称した)を本拠とした豪族である。垂仁天皇の皇子・鐸石別命(ぬてしわけのみこと)を祖とすると伝えられる。「別氏」とも書く。姓(かばね)は公(きみ)から真人(まひと)、宿禰などを経て774年(宝亀5年)に朝臣の姓が与えられた。.
ウジ
ウ.
出雲国造
出雲国造(いずものくにのみやつこ、いずもこくそう)は、出雲国(現在の島根県東部地方)を上古に支配した国造。その氏族の長が代々出雲大社の祭祀と出雲国造の称号を受け継いだ。 『先代旧事本紀』の巻10『国造本紀』によれば、第10代崇神天皇のとき、天穂日命(あめのほひのみこと)の11世の孫である宇賀都久怒(うかつくぬ)を国造に定めたとある。『古事記』によれば、无邪志国造・上菟上国造・下菟上国造・伊自牟国造・遠江国造も天穂日命の子神・建比良鳥命(たけひらとりのみこと)を同祖とする。 祭祀継承は、『古事記』・『日本書紀』と『出雲国風土記』、千家家が伝える系譜書『出雲国造伝統略』に記されている。.
六角氏
六角氏(ろっかくし)は、日本の氏族。宇多源氏佐々木氏の流れで、鎌倉時代から戦国時代にかけて近江国南部を中心に勢力を持った武家(守護大名)。藤原北家流の公家・六角家とは血の繋がりは無い。佐々木六角氏とも言う。.
前田氏
前田氏(まえだし)は、日本の氏族の一つ。戦国時代に尾張の前田家が台頭し、江戸時代には大名家となった。通字は「利」(とし)。.
石川氏
石川氏(いしかわし)とは、石川を苗字とする一族のことである。 主に、次の5系統の石川氏が存在する。.
石田氏
石田氏(いしだし)は、日本の氏族。安土桃山時代に、近江国の土豪から出て豊臣政権下の五奉行の一人となった石田三成の一族が知られる。.
石橋氏
石橋氏(いしばしし)は日本の武家の姓のひとつ。.
神保氏
保氏(じんぼうし)は、本姓惟宗氏で、上野国多胡郡辛科郷神保邑が名字発祥の地という。家紋は「竪二引両」。越中国の越中神保氏が有名。.
秦氏
氏(はたうじ)は、「秦」を氏の名とする氏族。東漢氏などと並び有力な渡来系氏族である。.
秋元氏
秋元氏(あきもとし)は、日本の氏族。本姓は藤原氏で宇都宮氏の一族と伝える。 江戸時代に譜代大名となった。.
秋田氏
秋田氏(あきたし)は、陸奥国(磐城国)三春藩主家。安倍貞任の後裔を称し平安時代後期から室町時代にかけて出羽北部から津軽地方にかけてを領した安東氏の後身である。通し字は「季」。.
秋月氏
秋月氏、龝月氏, 穐月氏(あきづきし)は、日本の氏族の1つ。.
稲沢氏
沢氏(いなさわし)は日本の氏族のひとつ。稲澤氏とも表記する。.
穂積氏
積氏(ほづみうじ/ほつみうじ)は、「穂積」を氏(ウジ)の名とする氏族。姓(かばね)は始め穂積臣、後に穂積朝臣。 大和国山辺郡穂積邑および十市郡保津邑を本拠地とした有力な豪族で、神武天皇よりも前に大和入りをした饒速日命(ニギハヤヒ)が祖先と伝わる神別氏族。物部氏族の正統とされ、熊野国造家や末羅国造家とは同祖とされる。子孫の一部は「鈴木」を称し、藤白鈴木氏として続いた。.
立花氏
立花氏(たちばなし)は、大友氏の流れをくむ武家。同訓の橘氏とは系統上の関係はない。大友立花氏とも称す。.
筒井氏
井氏(つついし)は、大和の戦国大名。大和国添下郡(明治30年以降は生駒郡)筒井から起こったと伝える。.
箕作家
箕作家(みつくりけ)は、親族に学者が多いことで知られる日本の家系のひとつ。 学者一族としての箕作家は近世の蘭学者箕作阮甫から始まる。阮甫の子孫や婿の系列にも著名な学者も多い。 なお、現在の箕作家当主は学者ではなく、箕作本家の学者一家の伝統は途切れている。.
細川氏
細川氏(ほそかわし)は、本姓は源氏、鎌倉時代から江戸時代にかけて栄えた武家。清和源氏の名門足利氏の支流。名字は鎌倉時代に三河国額田郡細川郷(現在の愛知県岡崎市細川町周辺)に土着したことに由来する。 南北朝時代に足利尊氏に従って発展し、嫡流は室町幕府の管領家に列する有力守護大名となる。また江戸時代には、傍流から肥後熊本藩54万石の藩主家を出した。.
紀氏
紀氏(きうじ)は、「紀」を氏の名とする氏族。 大和国平群県紀里(現在の奈良県生駒郡平群町上庄付近)を本拠とした古代豪族である。姓は初め臣(おみ)であり、天武天皇13年(684年)八色の姓制定に伴い朝臣へ改姓した。.
織田氏
家紋あげはちょう'''揚羽蝶''' 織田氏(おだし)は、日本の氏族・武家。斯波氏の家臣の家柄。家紋は揚羽蝶、織田木瓜など。通し字は嫡流・伊勢守家の「広」、大和守家の「定」、後に近世大名となる弾正忠家の「信」など。.
真壁氏
真壁氏(まかべし)は、常陸国真壁郡に栄えた武家。本姓・家系は桓武平氏の一門平繁盛の流れを汲む大掾氏(多気氏)の流れを汲み、多気直幹の四男・長幹を祖とする。通字は「幹」(もと)。.
真田氏
真田氏(さなだし)は、信濃国の豪族として興った氏族である。.
猪苗代氏
苗代氏(いなわしろし)は、桓武平氏、三浦氏の流れを汲む日本の氏族。蘆名氏の支流。.
結城氏
結城氏(ゆうきし)は、日本の氏族。平安時代末期から戦国時代にかけて、主に下総で活動した大身。通字として「朝」(とも)や「広」(ひろ)が名前に用いられている。.
甲斐庄氏
斐庄(甲斐荘)氏(かいのしょうし/かいしょうし)は、日本の氏族の一つ。.
甲斐氏
斐氏(かいし)は、日本の氏族の一つ。肥後の藤原北家菊池氏流と、越前の守護代甲斐氏の二流ほかが確認される。.
畠山氏
山氏(はたけやまし/はたけやまうじ)は、武蔵国を本貫地とする武家の一族。主に桓武平氏系と清和源氏系の2家系があるが、両者は間接的な血縁関係である(後述)。読みには他に「はたやま」もある。 室町時代には畠山金吾家が大和宇智郡・河内・紀伊(管領就任時には山城も)などの畿内およびその周辺国に該当する重要な地域を守護として治め、また幕府の管領として国の政務を執った。しかし、家督争いにより、総州家と尾州家に分かれて、応仁の乱勃発の一因となり、その後も激しく争い続けた。 また、北陸の越中の守護も兼ね、分家は能登の守護を代々世襲する。著名な末裔として実業家の畠山一清がいる。.
留守氏
留守氏(るすし)は、日本の氏族。藤原北家道兼流を称した。後に伊達氏より養子を迎え、江戸時代には水沢伊達氏と呼ばれる。仙台藩一門第三席。.
物部氏
物部氏(もののべうじ)は、「物部」を氏の名とする氏族。姓(かばね)は、始め物部連、後に物部朝臣。 大和国山辺郡・河内国渋川郡あたりを本拠地とした有力な豪族で、神武天皇よりも前に大和入りをした饒速日命が祖先と伝わる神別氏族。穂積氏や采女氏とは同族の関係にある。饒速日命は登美夜須毘売を妻とし物部氏の初代の宇摩志麻遅命(可美真手命)をもうけた。.
片倉氏
片倉氏(かたくらうじ、かたくらし)は、戦国時代から江戸時代まで伊達氏に仕えた武士の一族である。仙台藩にあって白石城を預けられ刈田郡の大部分、1万8000石を領した。江戸時代の代々の当主は初代片倉景綱にならって片倉小十郎を名乗り、藩の内外の人々は通常この名で呼んだ。.
益子氏
子氏(ましこし)は、鎌倉時代から戦国時代にかけて活躍した武家。.
直江氏
江氏関連系図 直江氏(なおえし)は、日本国の氏姓。ここでは藤原姓直江氏について記述する。.
相馬氏
氏(そうまうじ、そうまし)は、日本の氏族のひとつ。中世から近世にかけて下総国北西部(現在の千葉県北西部)や陸奥国南東部(現在の浜通り夜ノ森以北)を領した大名の氏族である。桓武平氏良文流千葉氏の庶流。通字は「胤」(たね)。.
相良氏
良氏(さがらうじ / さがらし)は、肥後南部を支配した戦国大名の氏族である。江戸時代は肥後人吉藩主家として明治維新まで存続した。.
花房氏
花房氏(はなぶさうじ/し)は、日本の氏族(武家)。.
鎌倉氏
鎌倉氏(かまくらし)は、武家のひとつ。本姓は桓武平氏。家系は良文流の系統で、相模国鎌倉郡を中心に勢力を伸ばした武士団である。平氏ではなく、相模の豪族の末裔だった可能性も高い。近年では、相武国造の子孫であったという説や、鎌倉別の子孫説もあるが、その説においても確証は曖昧である。秩父平氏が、良質の銅と馬の生産を背景に発展したのと同様に、鎌倉党は製鉄技術により発展した武士団といわれる。.
荒尾氏
荒尾氏(あらおし)は、日本の氏族の一つ。尾張国知多郡(現在の愛知県東海市)より起こり、江戸時代には米子城城代職を務めた氏族が著名。.
鍋島氏
鍋島氏(なべしまし)は、近世の佐賀藩藩主の氏族。血縁的には武藤氏の一族・少弐氏の男系である(系譜を参照)。.
菊池氏
菊池氏(きくち し)は、日本の氏族の一つ。本姓を藤原氏とし、九州の肥後国菊池郡(熊本県菊池市)を本拠としていた一族である。明治維新の立役者(維新の十傑の一人)西郷隆盛も菊池一族の末裔と伝わる。.
菅原氏
菅原氏(すがわらうじ)は、「菅原」を氏の名とする氏族。.
蠣崎氏
蠣崎氏(かきざきし)/松前氏(まつまえし)は、戦国時代から蝦夷地を本拠とした大名の氏族。糠部郡蠣崎(青森県むつ市川内町)を領して蠣崎氏を称する家系があり、その子孫との説がある。江戸時代に松前と改姓したが、庶流の中には引き続き蠣崎と名乗る者もいた。本姓は源氏で、清和源氏(河内源氏)義光流で甲斐源氏の庶流と称した。実際には陸奥の土豪が蝦夷へ移住して甲斐源氏武田氏を仮冒したとする説もある。.
飯富氏
飯富氏(おぶし)は、氏族の一つ。上総国望陀郡飯富庄(現在の千葉県袖ケ浦市飯富)を本官の地とする。初代は源義家の孫にあたる飯富源太忠宗(源忠宗)とも、その忠宗の孫、源大夫判官季貞(源季貞)、その子の源宗季であったともいう。『尊卑分脈』は源忠宗を初代とする。子孫は、甲斐国、安芸国、若狭国に繁茂した。.
馬場氏
場氏.
香宗我部氏
香宗我部氏(こうそかべし)は、日本の氏族。土佐国の豪族であり土佐七雄の一つ。甲斐源氏の子孫と伝えられ、室町時代初期から勢力を伸ばすが、戦国時代末期に長宗我部元親の弟親泰を養子として迎え、以降は長宗我部氏の一族となった。.
設楽氏
設楽氏(したらし/しだらし、旧字体表記:設樂氏)は、日本の氏族のひとつ。.
諏訪氏
諏訪氏(すわし)は、日本の氏族の一つ。信濃国諏訪地方の領主。諏訪神社上社大祝(おおほうり)を司った家柄でもある。中世以降の通字は「頼」(より)。ただし、江戸時代以降の諏訪藩主家は「忠」(ただ)を通字としている。.
高階氏
階氏(たかしなうじ)は、「高階」を氏の名とする氏族。天武天皇と尼子娘の長子、高市皇子を祖とする。.
高氏
氏(こうし)は、日本の氏族。 古代から平安時代頃までは、高麗(高句麗)系渡来人が出身国の一字をとって高氏を名乗ったといわれる。その後高階氏が氏名の一字をとって高氏と称するようになる。.
豊臣氏
豊臣氏(とよとみし/とよとみうじ)は、日本の氏(ウジ)のひとつ。姓(カバネ)は朝臣。豊臣政権下での官位叙任では優先的にこの豊臣姓が使用され、源平藤橘など既存の他姓に優越して扱われた。.
財閥
財閥(ざいばつ)とは、一族の独占的出資による資本を中心に結合した経営形態。.
鳥居氏
鳥居氏(とりいし)は、日本の氏族の一つである。.
賀茂氏
賀茂氏(かもうじ、加茂氏/鴨氏/加毛氏)は、賀茂(加茂・鴨・加毛)を氏の名とする氏族。以下の3系がある。.
越智氏
越智氏(おちうじ)は、「越智」を氏の名とする氏族。 古代日本の伊予国(愛媛県)の豪族の一つ。その由来は伊予守輩出や、南海道の発展から伊予越智氏と関係があったとする説もあるが、立証はなく関係性があったかは不明である。.
足利氏
足利氏(あしかがし)は、日本の武家のひとつの軍事貴族。本姓は源氏。家系は清和天皇清和源氏の一族の河内源氏の流れを汲み、鎌倉幕府においては御家人であると同時に将軍家一門たる御門葉の地位にあった。室町時代には嫡流が足利将軍家として天下人となった。藤原秀郷の子孫の藤原姓足利氏(藤姓足利氏)に対して源姓足利氏という場合がある。 通字は、「義」(よし、足利将軍家ほか)または「氏」(うじ、鎌倉時代の歴代当主および鎌倉公方・古河公方家など)。.
鷹司家
鷹司家(たかつかさけ)は、五摂家のひとつで公家である。.
黒田氏
黒田氏(くろだし)は、日本の氏族のひとつ。 江戸時代の大名家となった黒田氏には次の2氏がある。.
龍造寺氏
龍造寺氏(りゅうぞうじし)は、日本の氏族。戦国時代に肥前国の東部の国人から、九州の北西部を支配する戦国大名に成長した一族である。.
近衛家
近衛家(このえけ、近衞家)は、公家の五摂家のひとつ。家名は平安京の近衛大路に由来する。通称にがある。本姓は藤原氏で藤原北家近衛流の嫡流にあたる。摂関家には近衛流と九条流があるが、藤原氏の分家で初めて藤氏長者をつとめたのが近衛流である。.
蜂須賀氏
蜂須賀氏(はちすかし)は、日本の氏族の一つ。羽柴秀吉に仕えた蜂須賀正勝(小六・小六郎)の一族が著名。.
茅根氏
茅根氏(ちのねし)は、日本の氏族。.
鈴木氏
鈴木氏(すずきし)は、日本の代表的姓氏のひとつ。祭礼の際に祭られる稲穂や神社の本坪鈴に由来した神官の姓氏とされる。.
阿南氏
阿南氏(あなみし、あなんし)は、豊後国の氏族。 出雲族の大三輪氏から起こるとされる大神氏の流れを汲む大神惟基の次男惟季が豊後国大分郡阿南郷に住して、阿南氏を名乗ったことに始まる。 大神惟基を始まりとする大神姓37氏のうち阿南氏、大野氏、三田井氏の3氏は誕生して900年以上の歴史をもつと見られ、豊後国でも最も由緒のある姓氏の1つであり、豊後の名家として近代に至っても陸軍大臣や中国大使などを輩出した。.
阿倍氏
阿倍氏(あべうじ、のち安倍氏)は、「阿倍(安倍)」を氏の名とする氏族。 孝元天皇の皇子大彦命を祖先とする皇別氏族である。飛鳥時代から奈良時代に大臣級の高官を輩出する。平安時代以後は「安倍」と称して、安倍晴明以後は陰陽師の家系として知られるようになった。.
阿部氏
阿部氏.
阿蘇氏
阿蘇氏(あそうじ/あそし)は、「阿蘇」を氏の名とする氏族。 肥後国の氏族で、阿蘇神社大宮司家(だいぐうじけ)である。名の通り熊本の阿蘇を出自とするが、最盛期は阿蘇の南、矢部郷(やべごう、熊本県上益城郡山都町の一部)に南阿蘇から拠点を移転した後の「浜の館」時代であり、菊池氏や相良氏と並び熊本を代表する一大豪族であった。朝廷から度々高位の職階を叙し、内紛を繰り返しながらも長らく系譜が受け継がれてきた。 大和朝廷の支配が及ぶ前からの地域の首長家で、皇室や出雲大社の千家家、北島家などと同様、神(火山神である健磐龍命)の子孫として神代の時代から現代に続く系譜を持つと自ら誇る家系である。.
蘆名氏
蘆名氏(あしなし)は、桓武平氏系統の三浦氏から興った氏族。相模国蘆名(現在横須賀市芦名、芦名城)の地名に由来する。「芦名氏」「葦名氏」「三浦芦名家」と表記される事もある。 相模蘆名氏と会津蘆名氏の二つの系統が存在する。通し字は前者は「為」、後者は「盛」。.
蘇我氏
蘇我氏(そがうじ/そがし)は、「蘇我」を氏の名とする氏族。姓は臣(おみ)。 古墳時代から飛鳥時代(6世紀 - 7世紀前半)に勢力を持ち、代々大臣(おおおみ)を出していた有力豪族である。.
赤松氏
赤松氏(あかまつし)は、日本の氏族の1つ。鎌倉時代末期から安土桃山時代にかけて播磨を支配した武家である。.
藤原氏
藤原氏(ふじわらうじ)は、「藤原」を氏の名とする氏族。略称は「藤氏(とうし)」。 藤原鎌足を祖とする神別氏族で、飛鳥時代から藤原朝臣姓を称した。近世に至るまで多くの公家を輩出したほか、日本各地に支流がある。1200年以上もの間、廷臣の一大勢力であった。.
藤堂氏
藤堂氏(とうどうし、とうだうし)は、日本の氏族。近江国犬上郡藤堂村(現在の滋賀県犬上郡甲良町在士)が発祥。戦国時代に藤堂高虎が出て発展し、江戸時代は津藩を領する外様大名となった。.
葦間氏
葦間氏(あしまし)は、日本の氏族である。.
葛城氏
葛城氏(かつらぎうじ/かずらきうじ)は、「葛城」を氏の名とする氏族。 古墳時代、大和葛城地方(現在の奈良県御所市・葛城市)に本拠を置いていた有力な古代在地豪族。武内宿禰(たけうちのすくね)の後裔とされる。6世紀の氏姓制度成立以前において、「葛城」が本来的なウヂ名として存在したかについては疑問があり、ここでは従来の「葛城氏」の呼称を用いて便宜を図ることとする。葛城地方については古代より有力な豪族の支配地域であり、。天皇家との婚姻も多い事から。.
葛山氏
葛山氏(かつらやまし)は、駿河国駿東郡葛山(現在の静岡県裾野市)を本拠とした武士である。桂山とも表記されることがある。.
蒲池氏
蒲池氏(かまちし)は、鎌倉時代以来の筑後国の一族。鎌倉時代は地頭職、室町時代は大身の国人領主、戦国時代は筑後十五城の旗頭の大名分で柳川城主であった。 蒲池氏は歴史的に見ると、嵯峨源氏そして嵯峨源氏渡辺党松浦氏族の「前蒲池」時代(鎌倉時代~南北朝時代)と、藤原氏系宇都宮氏族の「後蒲池」時代(室町時代~戦国時代)がある。.
肝付氏
肝付氏(きもつきし、)は、日本の氏族の一つであり、大隅の戦国大名でもあった。隣接する島津氏と熾烈な勢力争いを繰り広げた。.
那須氏
那須氏(なすし)は、日本の氏族のひとつ。下野国那須郡を発祥とする。.
里見氏
里見氏(さとみし)は、日本の氏族のひとつ。中世に日本の武家としてはじまった。本姓は源氏(河内源氏)。源(新田)義重の子・義俊を祖とする氏族で、新田氏の庶宗家である。戦国時代、一族からは房総地方を領する戦国大名・安房里見氏が出た。.
金光氏
金光氏(かなみつし)は、備前国でかつての旭川河口に近い東岸の御野・上道付近を本拠地としたと思われる土着の国人領主である(岡山市史より)。家紋は「丸に二つ引」紋及び「丸に九枚笹」紋が知られているが、他に「丸に梅鉢」「丸に五三桐」「丸に右三つ巴」紋などもある。.
金沢氏
金沢氏(かなざわし、かねざわし)は日本の氏族。金澤とも書く。.
長宗我部氏
長宗我部氏(ちょうそかべし)は、日本の武家の一つ。平安時代末から戦国時代の武家。戦国時代に土佐を統一し四国に進出した戦国大名、長宗我部元親で有名。長曽我部・長曾我部とも記される。 本姓は秦氏を称した。家紋は「七つ酢漿草かたばみ」。室町時代以降、通字に「親」を用いた。 現・当主は長宗我部(ちょうそ'''が'''べ)友親。.
長尾氏
長尾氏(ながおし)は、日本の氏族のひとつ。東漢氏の後裔。また関東地方に興った武家長尾氏は本姓を平氏(坂東八平氏)とし、鎌倉時代、室町時代から江戸時代にかけ、関東へ入部した上杉氏に仕えた。.
長岡氏
長岡氏(ながおかし)は、武家のひとつ。.
長氏
長氏(ちょうし)は、日本の氏族のひとつ。能登の国人領主。畠山七人衆であるとともに加賀八家の一つ。.
酒井氏
酒井氏(さかいし)は、日本の氏族のひとつ。三河国の在地領主から、徳川政権下で譜代大名となった氏族である。.
進士氏
進士氏(しんじし、しんしし、にいがたし)は、日本の氏族のひとつ。.
陶氏
陶氏(すえし、すえうじ)は、日本の氏族の一つである。本姓は多々良氏。 主な系統としては周防国・長門国を中心に活動した守護大名大内氏傍流右田氏の一族が挙げられ、同時に譜代重臣でもある。.
折笠氏
折笠氏(おりかさし)は、日本の氏族のひとつ。岩代国田村郡にこの地名があった。.
柳生氏
柳生氏(やぎゅうし)は、日本の氏族。.
柳沢氏
柳沢氏(やなぎさわし)は、日本の氏族。武士の家系。甲斐武田氏の遺臣で、近世には柳沢吉保(房安、保明)が将軍徳川綱吉に仕え、甲府城主15万1200石となる。.
林氏
記載なし。
松平氏
松平氏(まつだいらし)は、室町時代に興った三河国加茂郡松平郷(愛知県豊田市松平町)の在地の小豪族であり、後に江戸幕府の征夷大将軍家となった徳川氏の母体である。室町時代は伊勢氏の被官として活躍した。江戸時代は徳川将軍家の一門、あるいは将軍家と祖先を同じくする譜代の家臣の姓となり、あるいは将軍家が勢力・格式ある外様大名に授けた称号としての役割をも果たした姓である。.
松見氏
松見氏(まつみし)は日本の氏族。筑波国造を祖とする三枝部氏の末裔という。.
松浦氏
松浦氏(まつらし)は、日本の氏族の一つ。.
村上氏
村上氏(むらかみし)は、日本の氏族。複数の系統があり、血縁関係にある氏族もあれば、無関係な氏族もある。.
桜井松平家
桜井松平家(さくらいまつだいらけ)は、松平宗家5代・松平長親の次男(三男とも)信定を祖とする松平氏の庶流。三河国碧海郡桜井(現在の愛知県安城市)を領したことから桜井松平家と称する。十八松平の一つ。.
森氏
森氏(もりし)は清和源氏の一流、河内源氏の流れを汲む武家である。八幡太郎源義家の七男源義隆が相模国愛甲郡毛利庄の領主となって、森冠者と名乗った。その三男、源頼隆は後に若槻を号するが、出家の後は森蔵人入道西阿と称した。本格的に森を名字としたのは、宝治合戦後に頼隆の次男であるとされる森頼定が森姓を称したことによるとされる。遠祖陸奥七郎義隆の長男・義広(頼定の伯父)にはじまる源姓毛利氏とは、名字に多少の差異はあるものの、「名字の地」即ち名字発祥の地を同じくするされる。森忠政を祖とする近世大名の家系はこの子孫である(ただし、仮冒という説もある)。.
椎名氏
椎名氏(しいなし)は、日本の氏族のひとつ。.
楠木氏
楠木氏(くすのきし)は、河内国の豪族で、南北朝時代に活躍した南朝方の武家。「楠氏」と表記される事もある。.
榊原氏
榊原氏(さかきばらし)は、日本の氏族のひとつ。.
橘氏
橘氏(たちばなうじ)は、「橘」を氏の名とする氏族。 県犬養三千代(橘三千代)・葛城王(橘諸兄)を祖とする皇別氏族で、飛鳥時代末から橘宿禰(のち朝臣)姓を称した。.
櫛橋氏
櫛橋氏(くしはしし)は、日本の氏族の一つ。 室町時代に播磨国守護を務めた赤松氏に古くから重臣として仕え、往時は東播磨の目代として活動した。戦国時代には志方城に割拠する豪族の一つだったが、織田信長の勢力伸長によって滅ぼされた。子孫は福岡藩士となった。歴代当主は「豊後守」「左京亮」の名を多く用い、「伊」の字を通字とした。.
正木氏
正木氏(まさきし)は日本の氏族の一つ。日本史上有名な一族は以下の通りである。.
武田氏
武田氏(たけだし)は、平安時代末から戦国時代の武家。本姓は源氏。家系は清和源氏の一流・河内源氏の一門、源義光を始祖とする甲斐源氏の宗家である。安芸国・若狭国に分派が存在し、上総国などにも庶流があったが、いずれも通字として「信」(のぶ)が使用されている。古代の国造である武田臣(皇別)の後裔が河内源氏義光流の棟梁と婚姻したという説も伝わっている。 河内源氏の名族の一つとして戦国時代には戦国大名化し、武田晴信(信玄)の頃には領国拡大し中央の織田・徳川勢力に対抗するが勝頼期には領国の動揺を招いて宗家は滅亡し、江戸時代には庶家だけがわずかに残った。 家宝は御旗(後冷泉天皇から下賜された日章旗)・楯無(楯無の鎧、源頼義が御旗とともに授けられたという)。.
毛利氏
毛利氏(もうりし)は、日本の武家の氏族で、本姓は大江氏。家紋は一文字三星。.
氏族
氏族(しぞく、うじぞく、clan)とは、共通の祖先を持つ血縁集団、または、共通の祖先を持つという意識・信仰による連帯感の下に結束した血縁集団のこと。 単系出自集団(unilineal descent group。特定の祖先から男性または女性のみを通じて親子関係がたどれる子孫の作る集団)の一つ。特定の男性祖先から男性のみを通じて出自がたどれる子孫から成る集団を父系出自集団といい、特定の女性祖先から女性のみを通じて出自がたどれる子孫から成る集団を女系出自集団という。 これらの集団のうち、成員が互いの系譜関係、あるいは共通祖先との系譜関係を把握している集団はリニエッジ(lineage)といい、伝説上・神話上の共通祖先を持っているという意識・信仰があるのみで、系譜関係がはっきりしない集団をクラン(clan)と呼んで、両者を区別する。 同じ氏族の男女の結婚を禁じる結婚規制が広く見られる(氏族外婚)。これは、互いの系譜関係がたどれぬ場合であっても同じ氏族であれば血縁関係を擬制して規制することから、必ずしも近親婚の禁止とは重ならない。.
水走氏
水走氏(みずはいし、みずはやし)は日本の氏。古代から中世にかけて河内国で活躍した一族。.
水野氏
水野氏(みずのし)は、清和源氏を称する日本の氏族。戦国時代には緒川城、刈谷城を中心に尾張国南部の知多半島と三河国西部に領地を広げ、織田氏や徳川氏と同盟を結び最盛期には24万石と称される勢力となった。 宗家のほか、大高水野氏、常滑水野氏などの諸氏があった。宗家は徳川家康の母・伝通院の実家にあたり、江戸時代には徳川氏の外戚家として遇された。『柳営秘鑑』では、岡崎譜代とされる。近世大名家を輩出した一族の一つであり、また江戸時代中期から後期には幕府の老中に人物を輩出し続け、享保の改革や天保の改革に関与するなど、国政を握った。 幕末期においては、下総結城藩、駿河沼津藩、上総鶴牧藩、出羽山形藩の各藩の藩主が水野氏であった。その他、寛文7年(1667年)に改易となった上野安中藩の藩主や紀州藩の附家老であった紀伊新宮城主もこの一族であった。.
江戸氏
江戸氏(えどし)は、日本の氏族。武蔵国の国人領主であった武蔵江戸氏と、後に戦国大名に成長した常陸江戸氏が知られる。.
池田氏
池田氏(いけだし)は、日本の氏族の一つ。諸国の「池田」の地名(池田荘・池田郷など)を発祥とする氏族。.
池氏
池(いけ)氏は、日本の姓氏のひとつ。.
河内氏
河内氏(かわち/かわうち/こうち し)は日本の氏族の一つ。 河内氏には以下のものがある。記述は時代順に並べてある。.
河野氏
河野氏(こうのし/かわのし)は、日本の氏族。.
津守氏
津守氏(つもりうじ)は、「津守」を氏の名とする氏族。 住吉大社(大阪府大阪市住吉区)の歴代宮司の一族で、古代以来の系譜を持つ氏族である。.
津軽氏
津軽氏(つがるし、)は、16世紀末から廃藩置県まで、現在の青森県のうち津軽地方を支配した大名の氏族。通字は「信(のぶ)」。.
津野氏
津野氏(つのし)は土佐国高岡郡の豪族。土佐七雄の一つ。高岡郡のうち中西部の津野荘・山間部の津野新荘・檮原荘を拠点とした。.
渡辺氏
渡辺氏(わたなべし/わたべし).
清原氏
清原氏(きよはらうじ)は、「清原」を氏の名とする氏族。 舎人親王にはじまる皇別氏族であり、平安時代は中級貴族(地下家)であった。特に清原深養父、清少納言などが有名。中原氏・菅原氏(土師姓)などと同様、平安時代急速に台頭した氏である。.
清水氏
清水氏(しみずし、しみずうじ)は日本の氏族のひとつ。主なものとして次の流れがある。.
源氏
源氏(げんじ、みなもとうじ)は、「源」を氏の名とする氏族。姓(カバネ)は朝臣。 日本において皇族が臣下の籍に降りる(臣籍降下)際に名乗る氏の1つで、多数の流派がある。清和天皇の子孫である清和源氏が有名である。.
朝倉氏
朝倉氏(あさくらし)は、但馬国を拠点とした豪族。越前国を拠点とし、後に発展して戦国大名となった越前朝倉氏が有名。 藤原氏流等の朝倉氏もあるとされるが、別項にて扱う。.
朝比奈氏
朝比奈氏(あさひなうじ)は、日本の氏族。藤原氏または平氏を名乗る。.
朝日氏
朝日氏(あさひし)は、日本の氏族の一つ。.
木下氏
木下氏(きのしたし)は、日本の氏族の一つ。.
木田氏
木田氏(きだし)は、日本の氏族の一つ。主なものに2つの流れがある。.
木村氏
木村氏(きむらし)は、日本の氏族である。.
木曾氏
木曾氏(きそし)は、日本の氏族の一つ。.
末吉氏
末吉(すえよし)氏は、坂上氏の流れをくむ平野氏の一族で、摂津国住吉郡平野郷(現:大阪府大阪市平野区)を本拠とする一族。.
本多氏
本多氏(ほんだし・ほんだうじ)は、日本の氏族の一つ。本田氏と同じ氏族であり「本多氏」と「本田氏」は同じ氏族の別表記に過ぎなかったが、いつの間にか分別されたという。 江戸時代の譜代大名・旗本家となった三河の本多氏が著名である。他に、織田伊勢守家の家臣から外様大名となった本多利久・本多利朝の一族(大和高取藩家)も存在する。.
本間氏
本間氏(ほんまし)は氏族の一つ。.
有馬氏
有馬氏(ありまし).
最上氏
最上氏(もがみし)は、清和源氏の足利氏の支流である。三管領の一つ斯波氏の分家にあたる。室町幕府の羽州探題を世襲できる家柄で、のち出羽国の戦国大名として成長した。斯波最上氏とも斯波出羽家とも呼ばれることがある。.
惟宗氏
惟宗氏(これむねうじ)は、日本の氏族のひとつ。平安時代に始まる氏族で、秦氏の子孫とされる。.
戸川氏
戸川氏(とがわし)は、戦国時代から江戸時代にかけての武家。家紋は「三本杉」「梅鉢」紋など。.
星野氏
星野氏(ほしのし)は、筑後国生葉郡星野邑より起こった国人領主。筑後十五城の一つ。.
明智氏
明智氏(あけちし)は、清和源氏土岐氏の支流氏族。発祥地は現在の恵那市明智町であったが、土岐宗家 5代頼遠の岐阜長森移転に伴い、明智宗家は明智庄(可児市)へ移転した。.
浦上氏
浦上氏(うらがみし、うらかみし)は、日本の氏族。武内宿禰系紀氏の流れを汲むとされる。また、他流として有道氏の後裔である浦上氏もある。.
浅井氏
浅井氏(あざいし、あざいうじ、)は、日本の氏族。京極家の家臣。近江国の国人、戦国時代の近江北部で勢力を持った戦国大名である。.
浅利氏
浅利氏(あさりし)は、日本の氏族である。本姓は清和源氏義光流を称し、甲斐国八代郡浅利郷(現・山梨県)を本拠とした甲斐浅利氏と、それから分かれ、出羽国比内郡(現・秋田県)を本拠とした出羽浅利氏の2流がある。.
浅野氏
浅野氏(あさのし、)は、日本の氏族。関白豊臣秀吉の正室・北政所の養家。宗家は安芸広島藩主、分家は播磨赤穂藩主。通字は「長」。.
斎藤氏
斉(セイ)」は「ととのえる」の意味で別の漢字であるが、江戸時代に「斎」の略字として「斉」が使用された(なお、簡体字ではそれぞれ「斋」と「斉」となり、共通性がさらに失われている)。 斎藤氏(さいとうし、)は、日本の姓氏のひとつ。。。 平安時代中頃の鎮守府将軍藤原利仁の子・叙用が齋宮頭であったことに由来する苗字とされる。藤原利仁の後裔は越前・加賀をはじめ、北陸各地に武家として発展した。斎藤氏は平安時代末から武蔵など各地に移住して繁栄した。。。 斎藤氏から出た苗字は大変多いが、有力なものとして、加藤氏、富樫氏、林氏等が挙げられる。.
斯波氏
斯波氏(しばし)は、日本の武家のひとつ。室町幕府将軍足利氏の有力一門であり、かつ細川氏・畠山氏と交替で管領に任ぜられる有力守護大名であった。越前・尾張・遠江などの守護を世襲し、また分家の大崎氏は奥州探題、最上氏は羽州探題を世襲した。明治維新後に男爵家となった源姓津田氏も、その末裔の一つである。.
新宮氏
新宮氏(しんぐう)は、日本の氏族の一つ。.
新田氏
新田氏(にったし)は、上野国発祥の豪族(軍事貴族)。本姓は源氏。家系は清和源氏の一流河内源氏の棟梁 鎮守府将軍源義家の三男義国の長男新田義重を祖とする上野源氏の総称。義国流足利氏と同族である。上野国(群馬県)を本貫とした。家紋は「大中黒・新田一つ引(おおなかぐろ・にったひとつびき)」。.