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女流文学者賞

索引 女流文学者賞

女流文学者賞(じょりゅうぶんがくしゃしょう)は、1946年から1960年まで、女流作家の優れた作品に贈られた文学賞。鎌倉文庫系の『婦人文庫』が主宰したが、その1949年の倒産後は、『女流文学者会』が運営した。1961年に中央公論社に引き継がれ、女流文学賞と改名した。.

20 関係: 原田康子おはん吉屋信子壺井栄大原富枝大田洋子大谷藤子女流文学賞宇野千代中央公論新社平林たい子パルタイ円地文子倉橋由美子網野菊芝木好子鎌倉文庫林芙美子挽歌 (小説)文学賞

原田康子

原田 康子(はらだ やすこ、1928年1月12日 - 2009年10月20日)は日本の小説家である。本名は佐々木康子(旧姓:原田)「原田康子さん死去:作家:『挽歌』ベストセラー81歳」 毎日新聞 2009年10月22日、14版、29面。。.

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おはん

『おはん』は、宇野千代による日本の長編小説。またこれを原作としたテレビドラマ、映画、舞台作品。宇野の代表作の一つでもある。.

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吉屋信子

吉屋 信子(よしや のぶこ、1896年(明治29年)1月12日 - 1973年(昭和48年)7月11日)は、1920年代から1970年代前半にかけて活躍した、日本の小説家である。.

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壺井栄

壺井 栄(つぼい さかえ、旧姓:岩井、女性、1899年(明治32年)8月5日 - 1967年(昭和42年)6月23日)は小説家・詩人。主に一般向小説および児童文学(童話)を主領域に活躍した作家で、戦後反戦文学の名作として後に映画化された『二十四の瞳』の作者として知られる。香川県小豆郡坂手村(現在の小豆島町)出身。夫は詩人の壺井繁治。.

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大原富枝

大原 富枝(おおはら とみえ、1912年9月28日 - 2000年1月27日)は日本の小説家。日本芸術院所属。勲三等瑞宝章叙勲者。.

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大田洋子

大田 洋子(おおた ようこ、1906年11月18日 - 1963年12月10日)は、日本の小説家。本名、大田初子。 広島県広島市出身。8歳のとき父母が離婚したので親戚の大田家の籍に入る。1923年、進徳実科高等女学校(現在の進徳女子高等学校)研究科卒業。小学校教師として江田島に赴任したが6ヶ月で退職。1926年に結婚したが一児を残して出奔。尾道や大阪などで女給として働きつつ小説を書く。のち上京し、『女人芸術』に作品を発表。1939年、『海女』で『中央公論』の懸賞小説に一等入選。1940年、『桜の国』で『朝日新聞』一万円懸賞小説に一等入選。 1945年、疎開で広島市に帰郷中、被爆する。占領軍による報道規制の中『屍の街』『人間襤褸』を書き、原爆作家としての評価を確立。 しかし原爆の後遺症により体調を崩し、創作に行き詰まり、昭和30年代から作風を転換して『八十歳』『八十四歳』など老母を主人公に私小説的な心境小説を発表。『新婦人しんぶん』に小説『なぜその女は流転するか』を連載中、福島県猪苗代町の中ノ沢温泉で入浴中に心臓麻痺を起こして急死。.

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大谷藤子

大谷 藤子(おおたに ふじこ、1903年11月3日 - 1977年11月1日)は、昭和初期の女流作家。埼玉県秩父郡両神村生まれ。 三田高等女学校を卒業したのち、東洋大学聴講生となるが、結婚のため一年でやめている。1927年海軍大尉・井上良雄と結婚、広島県呉市に住む。1932年に離婚。 1933年高見順、円地文子らと「日暦」を創刊。1934年「改造」の懸賞小説に「半生」が女性初の当選。翌35年発表の『須崎屋』とともに出世作となる。『山村の母達』(1939)、『谷間の店』(1946)など出身地秩父を題材にしたものが多い。短編を得意としたが、『青い果実』(1959)、『断崖』(1960)などの長編もある。 1952年「釣瓶(つるべ)の音」で女流文学者賞、1970年「再会」で女流文学賞。 1977年11月1日、誕生日を目前にしつつ没。享年75(満73歳)。.

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女流文学賞

女流文学賞(じょりゅうぶんがくしょう)は、中央公論社が、女流文学者会主催の女流文学者賞を引継いで創設した文学賞。中央公論社の経営不振により2000年をもって終了し、2001年より婦人公論文芸賞となった。毎年6月に発表。.

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宇野千代

宇野 千代(うの ちよ、1897年(明治30年)11月28日 - 1996年(平成8年)6月10日)は、大正・昭和・平成にかけて活躍した日本の小説家、随筆家。多才で知られ、編集者、着物デザイナー、実業家の顔も持った。作家の尾崎士郎、梶井基次郎、画家の東郷青児、北原武夫など、多くの著名人との恋愛・結婚遍歴を持ち、その波乱に富んだ生涯はさまざまな作品の中で描かれている。.

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中央公論新社

株式会社中央公論新社(ちゅうおうこうろんしんしゃ)は、日本の出版社である。読売新聞グループ本社の傘下。略称は中公(ちゅうこう)。 本項では、旧法人の株式会社中央公論社(ちゅうおうこうろんしゃ)についても述べる。.

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平林たい子

平林 たい子(ひらばやし たいこ、1905年(明治38年)10月3日 - 1972年(昭和47年)2月17日)は、日本の小説家。本名、平林タイ。.

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パルタイ

『パルタイ』は、倉橋由美子の短編小説。 1960年、明治大学学長賞に応募し、入選。平野謙がこれを評価し、『文學界』に転載された。この作品は芥川賞候補になり女流文学賞を受賞、作者は文壇デビューを果たした。.

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円地文子

円地 文子(えんち ふみこ、1905年(明治38年)10月2日 - 1986年(昭和61年)11月14日)は、日本の小説家。本名は圓地 富美(えんち ふみ)。.

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倉橋由美子

倉橋 由美子(くらはし ゆみこ、1935年(昭和10年)10月10日 - 2005年(平成17年)6月10日)は、日本の小説家。本名・熊谷(くまがい)由美子、旧姓・倉橋。『パルタイ』、『スミヤキストQの冒険』など初期の作品では戯画・風刺的な傾向が見られる一方、後期では『よもつひらさか往還』など幻想的、作品によってはSF的な要素が多い。.

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網野菊

網野 菊(あみの きく、1900年1月16日 - 1978年5月15日)は明治から昭和にかけて活躍した女流作家。志賀直哉に見いだされ、芸術選奨文部大臣賞、女流文学賞、読売文学賞、芸術院賞を受賞した。日本芸術院会員。別名・相原菊子。 墓.

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芝木好子

芝木 好子(しばき よしこ、1914年5月7日 - 1991年8月25日)は、小説家。.

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鎌倉文庫

鎌倉文庫(かまくらぶんこ)は、鎌倉文士達による第二次世界大戦末期の日本の貸本屋、及び戦後に設立した文芸出版社。文芸雑誌『人間』や女性雑誌『婦人文庫』、一般社会人向け雑誌『社会』、ヨーロッパ文学紹介誌『ヨーロッパ』、大衆文藝誌『文藝往来』などを発行した。.

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林芙美子

林 芙美子(はやし ふみこ、1903年〈明治36年〉12月31日 - 1951年〈昭和26年〉6月28日)は、日本の小説家。物心ついた小学生時代に貧しかった生い立ちからか、底辺の庶民を慈しむように描いた作品に、ことに名作がある。「文壇に登場したころは『貧乏を売り物にする素人小説家』、その次は『たった半年間のパリ滞在を売り物にする成り上がり小説家』、そして、日中戦争から太平洋戦争にかけては『軍国主義を太鼓と笛で囃し立てた政府お抱え小説家』など、いつも批判の的になってきました。しかし、戦後の六年間はちがいました。それは、戦さに打ちのめされた、わたしたち普通の日本人の悲しみを、ただひたすらに書きつづけた六年間でした」と言われるように波瀾万丈だった。.

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挽歌 (小説)

『挽歌』(ばんか)は、原田康子の小説作品、及びそれを原作とした映画・ドラマ化作品である。.

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文学賞

文学賞(ぶんがくしょう)とは、優れた文学作品やそれを執筆した作家に対して授与される賞の総称である。.

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