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奥南落穂集

索引 奥南落穂集

奥南落穂集(おうなんおちぼしゅう)は、南部領の中世から近世の文書および記録類が散逸しているため使用される中世以来の伝承資料。江戸時代中葉元禄15年(1702年)頃の成立という。.

5 関係: 参考諸家系図奥南旧指録元禄盛岡藩1702年

参考諸家系図

『参考諸家系図』(さんこうしょけけいず)は、南部藩(盛岡、八戸藩)南部氏一門をはじめ、藩士2,700余名にも及ぶ所伝の家系図集である。.

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奥南旧指録

奥南旧指録(おうなんきゅうしろく)は、南部家始祖光行の文治5年(1189年)糠部五郡拝領から、南部藩5代藩主信恩死去の宝永4年(1707年)までの歴代の事蹟を記している資料。.

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元禄

元禄(げんろく、旧字体: 元祿)は日本の元号の一つ。貞享の後、宝永の前。1688年から1704年までの期間を指す。この時代の天皇は東山天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉。.

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盛岡藩

盛岡藩(もりおかはん)は、陸奥国北部(明治以降の陸中国および陸奥国東部)、すなわち現在の岩手県中部から青森県東部にかけての地域を治めた藩。一般に南部藩とも呼ばれるが、後に八戸藩と七戸藩が分かれるなどの変遷を経る。藩主は南部氏で、居城は盛岡城(陸中国岩手郡、現在の岩手県盛岡市)である。家格は外様大名で、石高は長らく表高10万石であったが、内高はこれより大きく、幕末に表高20万石に高直しされた。 同じ南部氏領の八戸藩、支藩の七戸藩(盛岡新田藩)があるが、八戸藩の詳細を除き、ここにまとめて記述する。.

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1702年

記載なし。

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