34 関係: 助郷、労働、南北朝時代 (日本)、夫役、夫米、室町時代、守護、守護大名、小物成、一軒前、年貢、幕藩体制、庸、代銭納、伝馬、役屋、律令、地頭、内高、公事、公民、六尺給米、国人、知行、番役、荘園、貫高制、軍役、防人、雑徭、武士、江戸時代、戦国大名、日本の歴史。
助郷
助郷(すけごう)は、日本における労働課役の一形態。江戸時代に、徳川幕府が諸街道の宿場の保護、および、人足や馬の補充を目的として、宿場周辺の村落に課した夫役のことを言う。 また、夫役の対象となった村を指して言う「助郷村(すけごうむら、すけごうそん)」も、略されて「助郷」と呼ばれる場合がある。.
労働
ルイス・ハインの労働者の写真 労働(ろうどう、Labor)とは、.
南北朝時代 (日本)
南北朝時代(なんぼくちょう じだい)は、日本の歴史区分の一つ。建武の新政の崩壊を受けて足利尊氏が新たに光明天皇(北朝側)を擁立したのに対抗して京都を脱出した後醍醐天皇(南朝側)が吉野行宮に遷った1336年(延元元年/建武3年)から、南朝第4代の後亀山天皇が北朝第6代の後小松天皇に譲位するかたちで両朝が合一を見た1392年(元中9年/明徳3年)までの、56年間をいう。また両朝の並立はひとえに後醍醐天皇の皇位に対する執念が生み出したものであることから、彼を中心に歴史が動いた南北朝時代の序章とでもいうべき1331年(元弘元年)の元弘の乱から建武新政の終焉に至る5年間もまたこの時代に含めるのが一般的である。 鎌倉時代の後半から半世紀にわたって両統迭立という不自然なかたちの皇位継承を繰り返した皇統は、すでに持明院統と大覚寺統という二つの相容れない系統に割れた状態が恒常化するという実質的な分裂を招いていた。それが倒幕と新政の失敗を経て、この時代になると両統から二人の天皇が並立し、それに伴い京都の北朝と吉野の南朝の二つの朝廷が並存するという、王権の完全な分裂状態に陥った。両朝はそれぞれの正統性を主張して激突し、幾たびかの大規模な戦が起こった。また日本の各地でも守護や国人たちがそれぞれの利害関係から北朝あるいは南朝に与して戦乱に明け暮れた。 こうした当時の世相を、奈良興福寺大乗院の第20代門跡・尋尊は自らが編纂した『大乗院日記目録』の中で「一天両帝南北京也」と表現した。これを中国の魏晋南北朝の時代を模して南北朝時代と呼ぶようになったのはかなり後のことである。なお明治以後に南朝の天皇を正統とする史観が定着すると、この時代の名称が「北朝」の語を含むことが問題視されるようになったため、吉野朝時代(よしのちょう じだい)という新語が作られたが、第二次世界大戦後に皇国史観が影を潜めるとともに死語同然となった。.
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夫役
夫役(ぶやく)は、日本史上の各支配者が被支配者に賦課した労働課役のこと。.
夫米
夫米(ふまい)とは江戸時代大名・旗本等の領地・知行所において夫役の代りとして納める米のことである。金銭で収めるものを夫金という。.
室町時代
室町時代(むろまちじだい)は、日本の歴史において、室町幕府(足利将軍家)によって統治されていた時代である。「室町時代」の名称は、京都の室町に幕府が置かれていたことに由来する。.
守護
守護(しゅご)は、日本の鎌倉幕府・室町幕府が置いた武家の職制で、国単位で設置された軍事指揮官・行政官である。令外官である追捕使が守護の原型であって、後白河法皇が源頼朝に守護・地頭の設置と任免権を認めたことによって、幕府の職制に組み込まれていった。将軍により任命され、設立当時の主な任務は、在国の地頭の監督であった。鎌倉時代はといい、室町時代にはといった。 制度としては室町幕府滅亡後、織豊政権成立により守護が置かれなくなり守護制度が自然消滅するまで続いた。.
守護大名
守護大名(しゅごだいみょう)は、軍事・警察権能だけでなく、経済的権能をも獲得し、一国内に領域的・一円的な支配を強化していった室町時代の守護を表す日本史上の概念。守護大名による領国支配の体制を守護領国制という。15世紀後期 - 16世紀初頭ごろに一部は戦国大名となり、一部は没落していった。.
小物成
小物成(こものなり)とは、江戸時代の日本で高外地に賦課された租税の総称である。いわゆる雑税であり、地域により多様な内容を持つ。また、「年貢諸役」の諸役に該当する。一方、検地を受けて検地帳に登録された高請地に賦課された租税を本途物成(ほんとものなり、本年貢・年貢ともいう)という。 小物成の種類は多種多様であり、『地方要集録』には307種が取り上げられ、明治維新後の1875年(明治8年)に小物成系統の諸税が全廃された際、日本全国で1554種の税が対象になったという。.
一軒前
一軒前(いっけんまえ)とは、中世後期から近世にかけて日本の村落を構成する基本単位として存在した概念。一戸前・役屋(役家)・本役・役前とも呼ばれた。.
年貢
年貢(ねんぐ)は、日本史上の租税の一形態。律令制における田租が、平安時代初期-中期に律令制が崩壊・形骸化したことにともなって、年貢へと変質したが、貢租(こうそ)という別称に名残が見られる。その後、中世・近世を通じて、領主が百姓(農民でなく普通の民をいう。)を始めとする民衆に課する租税として存続した。主に、米で納めるため、その米を年貢米(ねんぐまい)と呼ばれた。.
幕藩体制
幕藩体制(ばくはんたいせい)とは、近世日本の社会体制のあり方を、幕府(将軍)と藩(大名)という封建的主従関係を基点にとらえた歴史学上の概念である。戦前段階には狭義に政治体制自体を指していたが、戦後の歴史学の進展に伴い、近世日本の社会体制全体の特色を示す概念として使われるようになった。幕藩制(ばくはんせい)ともいう。.
庸
庸(よう).
代銭納
代銭納(だいせんのう)とは、中世日本の荘園・国衙領・武家領などにおいて、公事や年貢、地子などの納入を現物に代わって貨幣で納入する制度。 農業生産の高まりと宋銭の流入によって商工業が全国的に発展した鎌倉時代中期以後から見られるようになり、南北朝時代には全国的に普及した。.
伝馬
伝馬(てんま/でんば)は、古代から近世までの日本に見られた使者や物資を馬で運ぶ交通制度、またはそれに使われる馬である。伝馬制(てんませい)、駅伝制(えきでんせい)とも呼ばれる。.
役屋
役屋(やくや・役家)とは、領主が徴発する夫役の負担を行う家のこと。.
律令
律令(りつりょう)とは、東アジアでみられる法体系である。律は刑法、令はそれ以外(主に行政法。その他訴訟法や民事法も。)に相当する。律令国家の基本となる法典。成文法。日本統治下の台湾において台湾総督が法律に代わるものとして制定した律令については律令(日本統治下の台湾法制)を参照。.
地頭
地頭(じとう)は、鎌倉幕府・室町幕府が荘園・国衙領(公領)を管理支配するために設置した職。地頭職という。守護とともに設置された。 平氏政権期以前から存在したが、源頼朝が朝廷から認められ正式に全国に設置した。在地御家人の中から選ばれ、荘園・公領の軍事・警察・徴税・行政をみて、直接、土地や百姓などを管理した。また、江戸時代にも領主のことを地頭と呼んだ。.
内高
内高(うちだか)は、江戸時代の大名や旗本の所領内において、領民に年貢を課す際の算定基準として用いられた石高のことである。将軍に認められた額面上の石高である表高に対する語で、実高(じつだか)ともいう。.
公事
公事(くじ、くうじ、おほやけごと)とは日本史における用語の1つで、下記の意味で用いられている。.
公民
公民(こうみん、citizen)は、政治に参加することができる人々のことである。市民、国民、住民、人民などの単語と似たような意味を持つが、それぞれの区別に注意を要する。 政治への参加の意味合いから「市民」と言い換えられることも多いが、厳密には参政権、特に選挙権や被選挙権があることをもって公民と呼ぶことが多い。このため、ほとんどの公民という言葉は、市民におきかえることが可能であるが,市民は多義的であるため,特に上記意味を強調したい場合には公民と呼ぶことがある。 なお、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国、中華民国では国民、国籍者の意味で憲法上公民という語が使われている。.
六尺給米
六尺給米(ろくしゃくきゅうまい)とは、江戸幕府が直轄領(天領)及び御三卿領に対して賦課した付加税で高掛三役の1つ。.
国人
国人(こくじん、くにびと、くにゅうど)とは、広くその国の国民、住民のこと大辞泉(小学館)。 六国史(日本後紀および三代実録)において国衙領の国民または住民を指す言葉として用いられ、越前国人、大和国人、河内国人などが見える日本後紀三代実録。 また、国人領主(こくじんりょうしゅ)は中世の史料において、在京の名目上の領主である中央官吏に対して在地の実質上の領主を指す言葉として用いられ(国人領主制)、国衆(くにしゅう)や在国衆(ざいこくしゅう)とほぼ同義ないし明確な違いは無い。.
知行
知行(ちぎょう)とは、日本の中世・近世において、領主が行使した所領支配権を意味する歴史概念。平安時代から「知行」の語が使用され始め、以降、各時代ごとに「知行」の意味する範囲は微妙に変化していった。日本の歴史上の領主はヨーロッパの農奴制における領主のように無制限に所領の土地と人民を私有財産として所有したのではなく、徴税権・支配権にかかわる一定の権利義務の体系を所持した存在であった。この体系が知行であり、日本史における領主階層のあり方を理解する上で、知行の概念の理解は欠かせない。.
番役
役(ばんやく)とは、日本史上において順番に交替勤務にあたること。 律令制における衛士上番や平安時代中期以後における大番(天皇・上皇の御所や摂関家の邸宅警備)などの朝廷関係機関を警備する番役が古くから存在していた。鎌倉幕府は全国の御家人に御家人役と呼ばれる軍役の一環として各種の番役をかけるとともに、朝廷に対する番役負担の一部を継承した。最大のものは大番役と呼ばれるもので、京都の大番を継承した「京都大番役」と同様に鎌倉にあった将軍御所や幕府機関を警備する「鎌倉大番役」が存在した。諸国の守護は国内の御家人を大番役に従事させるために必要な権限が与えられており(「大番催促」)、大犯三箇条のうちの1つに数えられている。元寇を機に異国警固番役が追加された。.
荘園
荘園(しょうえん)は、公的支配を受けない(あるいは公的支配を極力制限した)一定規模以上の私的所有・経営の土地である。なお、中世の西ヨーロッパ・中央ヨーロッパに見られたmanor(英語)、Grundherrschaft(ドイツ語)の訳語としても用いられている。.
貫高制
貫高制(かんだかせい)とは、土地の収穫高を通貨単位である貫を用いて表した統一的な土地制度・税制・軍制のこと。主に戦国時代・織豊期の戦国大名の領国において普及し、統一的な賦課基準として知行役や軍役、諸役賦課体制の基礎となった。.
軍役
軍役(ぐんやく、ぐんえき)は、戦時、武士が主君に拠出すべく課せられる軍事力や兵糧その他である。.
防人
防人(さきもり / ぼうじん)は古代中国や、日本の飛鳥時代から平安時代、律令制度下で行われた軍事制度である。.
雑徭
雑徭(ぞうよう、ざつよう)は、中国及び日本の律令制下での労役の形態を取る租税制度である。.
武士
武士(ぶし)は、10世紀から19世紀にかけての日本に存在した、宗家の主人を頂点とした家族共同体の成員である。「もののふ」(cf. wikt) とも読み倣わすが、その起源については大伴氏や物部氏の名に求めるなど諸説がある。 同義語として武者(むしゃ、むさ)があるが、「武士」に比べて戦闘員的もしくは修飾的ニュアンスが強い(用例:武者絵、武者修業、武者震い、鎧武者、女武者、若武者、落武者などさらには、「影武者」のように、本義のほかに一般用語としても使われるようになった語もある。)。すなわち、戦闘とは無縁も同然で「武者」と呼びがたい武士とは言え、呼ぶことが間違いというわけではない。はいるが、全ての武者は「武士」である。他に類義語として、侍、兵/兵者(つわもの)、武人(ぶじん)などもあるが、これらは同義ではない(「侍」は該当項目を参照。兵/兵者や武人は、武士に限らず、日本に限らず用いられる)。「武士」は性別を問う語ではなく性別表現に乏しいものの、女性の武士が戦闘員的特徴を強く具える場合に限って女武者(おんなむしゃ)という呼び方をする「女武士」や「姫武士」などという呼称は見られない。。 武士は平安時代に発生し、その軍事力をもって貴族支配の社会を転覆せしめ、古代を終焉させたとする理解が通常されている。旧来の政権を傀儡として維持したまま自らが実質的に主導する中世社会を構築した後は、近世の終わり(幕末)まで日本の歴史を牽引する中心的存在であり続けた。近代に入って武士という存在そのものを廃したのも、多くの武士が参画する近代政府(明治政府)であった。.
江戸時代
江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.
戦国大名
戦国大名(せんごくだいみょう)は、日本の戦国時代に数郡から数カ国規模の領域を一元的に支配した大名を指す。.
日本の歴史
日本の歴史(にほんのれきし)、日本史(にほんし)とは、日本または日本列島における歴史のこと。本項では世界的観点を交え日本の歴史を概観する。 各時代の詳細は、各時代区分項目(各節の冒頭のリンク先)を参照。.