75 関係: 反町茂雄、古義堂、吉田家、吉田神道、夏目漱石、大正、天理大学、天理大学附属天理参考館、天理市、天理駅、天理河内本源氏物語、天理教、奈良県、姉崎正治、宸翰、安堅、中山正善、三条西家、九条家、京都大学、井原西鶴、伊勢物語、伊藤仁斎、伊藤東涯、佐佐木信綱、俳諧、ミネソタ大学ツインシティー校、アブラハム・オルテリウス、インキュナブラ、キリシタン版、写本、図像資料、図書館、国宝、国冬本源氏物語、竹取物語、竹中工務店、真柱、芥川龍之介、類聚名義抄、西日本旅客鉄道、設計、麦生本源氏物語、近鉄天理線、阿里莫本源氏物語、藤原定家自筆本源氏物語、肖柏本源氏物語、野分 (源氏物語)、重要美術品、重要文化財、...、連歌、柿衞文庫、東寺、東京大学、松尾芭蕉、桜井線、森鴎外、樋口一葉、永井荷風、永楽大典、池田本源氏物語、源氏物語、源氏物語別本集成、濱田泰三、本城惣右衛門覚書、本能寺の変、戦後、明智光秀、日本書紀、曾良旅日記、1925年、1926年、1930年、1949年、1963年。 インデックスを展開 (25 もっと) »
反町茂雄
反町 茂雄(そりまち しげお、1901年(明治34年)8月28日 − 1991年(平成3年)9月4日)は、昭和期の日本の古書肆、古書鑑定家である。新潟県長岡町神田(現 新潟県長岡市神田二ノ町)に生まれる。.
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古義堂
古義堂(こぎどう)は、江戸時代、1662年(寛文2年)京都の堀川出水下る(現、上京区東堀川通出水下ル)に、伊藤仁斎がその生家で開いた儒学を教える家塾。長子の東涯以下、代々その子があとを引き継いで、別名堀川学校ともいわれた。 仁斎は終生いずれの藩にも仕官せず、町の学者としてその生涯を全うした。その塾生数、仁斎の教えただけでも3,000人を数えたともいう。当時、京都を代表する私塾としてその名も高く、1842年(天保13年)には松永家の講習堂と共に町奉行所から表彰を受けたこともある。古義堂の蔵書、書画など約5,500点、約1万冊は、1941年(昭和16年)に天理大学附属天理図書館に所蔵され、『古義堂文庫目録』(天理大学出版部、1956年)として整理され、特別文庫の中に所蔵、公開されている。跡地が「伊藤仁斎宅(古義堂)跡ならびに書庫」として国の史跡に指定されている。.
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吉田家
吉田家(よしだけ)は、卜部氏の流れを汲む公家。家格は半家。.
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吉田神道
吉田神社 斎場所大元宮(京都市左京区) 吉田神道(よしだしんどう)とは、室町時代京都吉田神社の神職吉田兼倶によって大成された神道の一流派。唯一神道、卜部神道、宗源神道とも。.
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夏目漱石
夏目 漱石(なつめ そうせき、1867年2月9日(慶応3年1月5日) - 1916年(大正5年)12月9日)は、日本の小説家、評論家、英文学者。本名、夏目 金之助(なつめ きんのすけ)。江戸の牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)出身。俳号は愚陀仏。 大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学ぶ。帝国大学(後の東京帝国大学、現在の東京大学)英文科卒業後、松山で愛媛県尋常中学校教師、熊本で第五高等学校教授などを務めた後、イギリスへ留学。帰国後、東京帝国大学講師として英文学を講じながら、「吾輩は猫である」を雑誌『ホトトギス』に発表。これが評判になり「坊っちゃん」「倫敦塔」などを書く。 その後朝日新聞社に入社し、「虞美人草」「三四郎」などを掲載。当初は余裕派と呼ばれた。「修善寺の大患」後は、『行人』『こゝろ』『硝子戸の中』などを執筆。「則天去私(そくてんきょし)」の境地に達したといわれる。晩年は胃潰瘍に悩まされ、「明暗」が絶筆となった。 夏目漱石誕生之地碑.
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大正
大正(たいしょう)は日本の元号の一つ。明治の後、昭和の前。大正天皇の在位期間である1912年(明治45年/大正元年)7月30日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの期間。.
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天理大学
記載なし。
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天理大学附属天理参考館
天理大学附属天理参考館(てんりだいがくふぞくてんりさんこうかん、Tenri University Sankokan Museum )は、奈良県天理市にある民俗学・考古学系の博物館。主に世界各地の生活文化資料・考古美術資料を収集・研究・展示するほか、所在地に広がる布留遺跡の発掘調査を行う博物館法における博物館相当施設である。.
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天理市
天理市(てんりし)は、奈良県北中部に位置する市。中心部に天理教関連の施設が集中していることなどから、宗教都市として知られている。.
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天理駅
天理駅(てんりえき)は、奈良県天理市川原城町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・近畿日本鉄道(近鉄)の駅である。駅番号は近鉄がH35。.
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天理河内本源氏物語
天理河内本源氏物語(てんりかわちほんげんじものがたり)は、源氏物語の写本。全帖にわたって河内本系統の本文を持ち、現在は天理大学天理図書館の所蔵であることから「天理河内本」と呼ばれている。.
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天理教
天理教(てんりきょう)は、日本で江戸時代末に成立した新宗教の一つ。中山みきを教祖天理教では「教祖」と書いて「おやさま」と呼称している。とする宗教団体である。狭義には奈良県天理市に本拠地を置く包括宗教法人(宗教法人天理教)およびその傘下の被包括宗教法人(教会本部及び一般教会)を指すが、広義には中山みきが伝えた教義そのものを指す場合があり、信仰する単立の宗教法人もある。本稿では、狭義の天理教を中心に述べる。.
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奈良県
奈良県(ならけん)は、日本の都道府県の一つ。本州中西部、紀伊半島内陸部、近畿地方の中南部に位置する県である。 令制国の大和国の領域を占め、県庁所在地は奈良市。北西部の盆地部を除き、険しい山々がそびえている。都道府県面積は全国で8番目に狭く内陸8県では最も狭いが、最小の香川県の約2倍でもある。.
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姉崎正治
姉崎 正治(あねさき まさはる、1873年7月25日 - 1949年7月21日)は、日本の文筆家・評論家・宗教学者(インド宗教・神道・仏教・キリスト教・新宗教)。ペンネームは姉崎 嘲風(あねさき ちょうふう)。別名姉嵜正治。.
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宸翰
嵯峨天皇宸翰 光定戒牒(延暦寺) 後宇多天皇宸翰御手印遺告(大覚寺) 高倉天皇宸翰消息(仁和寺) 後嵯峨天皇宸翰消息(仁和寺) 宸翰(しんかん)は、天皇自筆の文書のこと。宸筆(しんぴつ)、親翰(しんかん)ともいう。鎌倉時代以降、室町時代までの宸翰を特に宸翰様と呼ぶ。中世以前の天皇の真跡で現存するものは数が少なく、国宝や重要文化財に指定されているものが多い。.
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安堅
安堅 は朝鮮王朝時代初期の山水画家。 忠清南道池谷の人。字は可度、得守。号は玄洞子、朱耕。生卒年不詳だが、およそ世宗年間に活躍し、15世紀の後半に没したと考えられている。 その山水は北宋の郭煕画風を継承したもの。安平大君(1418~53)が夢にみた桃源郷を美しい淡墨で描いた「夢遊桃源図」(1447年、天理大学附属天理図書館、重要文化財)がその代表作で、三日で完成したと言われる。安平大君など21人の跋がつく。 のち、梁ホウ孫など、16世紀中期頃まで、多くの安堅派の山水画家を生んだ。 夢遊桃源図 Category:朝鮮の画家 Category:15世紀の美術家.
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中山正善
中山 正善(なかやま しょうぜん、1905年4月23日 - 1967年11月14日)は、天理教の2代真柱、管長。稀代の蒐集家としても知られる。.
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三条西家
三条西家(さんじょうにし け)は、藤原北家 閑院流 嫡流・転法輪三条家の分家である正親町三条家のそのまた分家で、大臣家の家格を持つ公家。西三条家(にしさんじょう け)ともいう。正親町三条家の分家でありながら家格は本家のそれをしのぎ、三大臣家の中でも別格とみなされていたばかりか、室町時代から江戸時代初期にかけて右大臣をたびたび出したため、その家格は清華家とほぼ同格とみなされていた。閑院家嫡流の転法輪三条家にもたびたび養子を出したため、戦国時代以後の転法輪三条家の直接の血統は三条西家のものとなっている。江戸時代の家禄は502石。 維新までは三条西と西三条の双方を比較的自由に使っており、明治になって17代公允が伯爵に授爵されたのを機にこれを西三条に一本化したが、しばらくしてこれを三条西に替えている。通字は「公」「実」「季」。分家に押小路家・武者小路家・高松家がある。.
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九条家
九条家(くじょうけ)は、五摂家のひとつで公家である。.
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京都大学
記載なし。
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井原西鶴
井原 西鶴(いはら さいかく、寛永19年(1642年)? - 元禄6年8月10日(1693年9月9日))は、江戸時代の大坂の浮世草子・人形浄瑠璃作者、俳諧師。別号は鶴永、二万翁、西鵬。 『好色一代男』をはじめとする浮世草子の作者として知られる。談林派を代表する俳諧師でもあった。.
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伊勢物語
『伊勢物語』(いせものがたり)とは、平安初期に成立した歌物語。一巻。作者不詳。『在五が物語』、『在五中将物語』、『在五中将の日記』とも呼ばれる。.
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伊藤仁斎
伊藤 仁斎(いとう じんさい、寛永4年7月20日(1627年8月30日) - 宝永2年3月12日(1705年4月5日))は、江戸時代の前期に活躍した儒学者・思想家。京都の生まれ。日常生活のなかからあるべき倫理と人間像を探求して提示した。 諱は、はじめ維貞、のち維禎。仮名 (通称)は、源吉、源佐、源七。屋号は、鶴屋七右衛門。仁斎は号であり、諡号は古学先生。.
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伊藤東涯
伊藤 東涯(いとう とうがい、寛文10年4月28日(1670年6月15日) - 元文元年7月17日(1736年8月23日))は、江戸時代中期の儒学者。儒学者伊藤仁斎の長男で、その私塾古義堂の2代目。異母弟に同じく儒学者の伊藤介亭がおり、母の嘉那は尾形光琳・乾山の従姉に当たる。名は長胤(ながつぐ)、字は原蔵・源蔵・元蔵、東涯と號し、又慥々齋と号す、諡は紹述先生。.
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佐佐木信綱
佐佐木 信綱(ささき のぶつな、1872年7月8日(明治5年6月3日) - 1963年(昭和38年)12月2日)は、日本の歌人・国文学者。正三位勲六等文学博士。.
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俳諧
俳諧(はいかい)とは、主に江戸時代に栄えた日本文学の形式、また、その作品のこと。誹諧とも表記する。正しくは俳諧の連歌あるいは俳諧連歌と呼び、正統の連歌から分岐して、遊戯性を高めた集団文芸であり、発句や連句といった形式の総称である。.
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ミネソタ大学ツインシティー校
ミネソタ大学ツインシティー校(The University of Minnesota, TwinCities)は、アメリカ合衆国ミネソタ州最大の都市ミネアポリスと同州の州都セントポールにまたがって本部を置く、同国最大の研究機関型州立総合大学の一つである。ミネアポリスとセントポールの二都市を中心とした大都市圏が「Twin Cities(=双子都市)」と呼称されるため、学校名も「ミネソタ大学ツインシティー校」という。1851年に設置された。大学の略称は「U of M」、「UMTC」。同州のミネソタ州立大学(w:Minnesota State University)とは別の大学組織である。 ツインシティー校はミネソタ大学(The University of Minnesota)の旗艦校(本校)であり、ツインシティー校、ダルース(Duluth)校、モーリス(Morris)校、クルークストン(Crookston)校、ロチェスター(Rochester)校の5校からなる、ミネソタ大学系列の中で最古かつ最大の大学である。州立大学の大学として「パブリック・アイビー」の一つに数えられることもある。医療、理工学の研究実績で名高い。1908年より、北米トップレベルの研究型大学で組織されるアメリカ大学協会(The Association of American Universities, AAU)に加盟している。これまでに9名の卒業生、15名の教授がノーベル賞を受賞、86名のグッゲンハイムフェローをはじめ、数多くの分野にわたり人材を輩出してきた。 総学生数は50,678人(2015年統計)で、その規模と同時に17対1の学生対教員の比率が保たれ充実した教育・研究機関としても知られる。143の学部の学位と150の大学院の学位を授与している。国際交流にも力を入れており、日本の一橋大学、名古屋大学、広島大学、上智大学をはじめ、海外250校以上の大学との交換留学プログラムを有する。.
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アブラハム・オルテリウス
ルテリウス(50歳ごろの肖像画) アブラハム・オルテリウス(Abraham Ortelius、1527年4月14日 - 1598年6月28日)は、フランドル人の地図製作者・地理学者。近代的地図製作の創始者として知られている。.
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インキュナブラ
インキュナブラ(incunabula、単数形はincunabulum)は、西欧で作られた最初期の活字印刷物のことであり、15世紀(グーテンベルク聖書以降、1500年まで)に活版印刷術を用いて印刷されたものを指す(本だけではなく、一枚物(ブロードサイド broadside)も含む)。揺籃印刷本、インクナブラともいう(incunabula はラテン語でゆりかごの意味)。 1455年にグーテンベルクによる「グーテンベルク聖書」が出版されてから、およそ半世紀の間に、ヨーロッパ各地の都市(ドイツ、フランス、イギリス、イタリア、ネーデルラントからスウェーデン、スペイン、ポルトガル、コンスタンティノープルなどまで)に活版印刷術が伝わり、約4万版が刊行されたという。キリスト教関係の本や人文主義者の著作などがある。中には装飾写本を模して手書きで彩色をほどこしたものもある。 なお、フィレンツェで最も数多く出版されたのは、15世紀末のサヴォナローラの説教であった。 インキュナブラとされる古書の3分の1は、印刷した事業者、著者、挿絵画家について名前すら書かれていないか、書かれていてもほとんど無名の者によるものであった。今日、印刷者についてはプロクター・ヘーブラー法で判定される。この方法では印刷活字の"M"をリスト化したヘーブラー表と比較することによって印刷者を判定する。また、ページ数、版画の規格などによって、その他の情報が得られることがある。 ヨーロッパの歴史ある図書館では、インキュナブラ(あるいはそれ以前の写本)の所蔵数で歴史的価値が判定され、また、古書蒐集家はインキュナブラを何冊持っているかを競うことがある。.
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キリシタン版
リシタン版(キリシタンばん)とは、近世初期(16世紀末-17世紀初め)に日本を中心にイエズス会によって刊行されたローマ字、あるいは漢字・仮名による印刷物の通称である。 キリスト教の布教のため、日本へ来たイエズス会司祭のアレッサンドロ・ヴァリニャーノが、同会の教育事業の一環として計画した。その計画は、必ずしも成功したとはいえなかった。しかし、50点以上の出版物が刊行され、また東アジアではじめて西洋印刷術によって印行された、書物・印刷史上重要な刊行物であり、ローマ字表記された当時の日本語口語文など、言語史上にも貴重な資料になっている。 キリシタン版と呼ばれる書物群は、論者によって The Jesuit Mission Press in Japan や日本耶蘇会版、吉利支丹版などとも呼ばれ、細目は一致しないこともあるものの、日本においてイエズス会が刊行した書目を中心にすえる点では、大体一致している。.
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写本
13世紀ヨーロッパの彩色写本 写本(しゃほん、Manuscript)とは、手書きで複製された本や文書、またはその行為そのものを指して示す用語。時に、原本(オリジナル)である正本(しょうほん・せいほん)と対応させて、それを書き写した書写本であることを強調するために用いられることもある。.
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図像資料
図像資料(ずぞうしりょう)とは、歴史資料のうち、絵画やデザイン、絵はがき、ポスター、写真、漫画、地図・絵図などビジュアルなものの総称。文献資料を理解するときに大きな威力を発揮するだけではなく、文献資料だけでは得られない情報も非常に多いため、今日では歴史理解に必須の資料とされるようになった。.
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図書館
図書館(としょかん、library、Bibliothek、bibliothèque)とは、図書、雑誌、視聴覚資料、点字資料、録音資料等のメディアや情報資料を収集、保管し、利用者への提供等を行う施設もしくは機関である。 基礎的な蓄積型文化施設の一種であり、博物館が実物資料を中心に扱い、公文書館が非定型的文書資料を中心に扱うのに対して、図書館は 出版物を中心に 比較的定型性の高い資料を蓄積するものである。 「図書館」は、明治中期に英語のlibraryから訳された訳語(和製漢語)である。「図書館」は、地図(図版)の「図」、書籍の「書」を取って、図書とし、図書を保存する建物という意味であった。.
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国宝
建築:宇治上神社本殿覆屋(宇治市) 寺院建築:法隆寺金堂・五重塔(斑鳩町) 城郭建築:姫路城連立天守(姫路市) 絵画:源氏物語絵巻(徳川美術館) 彫刻:臼杵磨崖仏(阿弥陀三尊像) 工芸品:天寿国繍帳(中宮寺) 書跡・典籍:秋萩帖(東京国立博物館) 弘法大師筆尺牘「風信帖」(東寺) 考古資料:人物画像鏡(隅田八幡神社) 歴史資料:慶長遣欧使節関係資料のうちローマ市公民権証書(仙台市博物館) 国宝(こくほう)とは、日本の文化財保護法によって国が指定した有形文化財(重要文化財)のうち、世界文化の見地から価値の高いものでたぐいない国民の宝たるものであるとして国(文部科学大臣)が指定したものである(文化財保護法第27条第2項)。建造物、絵画、彫刻、工芸品、書跡・典籍、古文書、考古資料および歴史資料が指定されている。 法的には、国宝は重要文化財の一種である。国宝・重要文化財の指定手続、指定制度の沿革などについては、重要文化財の項を参照。 なお、いわゆる「人間国宝」とは重要無形文化財に指定された芸能、工芸技術などの保持者として各個認定された者の通称であり、本項で解説する国宝とは異なる。.
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国冬本源氏物語
国冬本源氏物語(くにふゆほんげんじものがたり)は、鎌倉時代末期の住吉大社の神主で歌人としても知られる津守国冬(1270年(文永7年)-1320年(元応2年))による書写とされる源氏物語の写本のことである。津守国冬による書写とされる源氏物語の写本は、断片的なものを含めるといくつか知られているが、通常「国冬本源氏物語」というときには、現在天理大学天理図書館に所蔵されている津守国冬の書写による巻を含む取り合わせ本をいう。.
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竹取物語
かぐや姫を籠に入れて育てる翁夫妻。17世紀末(江戸時代後期)メトロポリタン美術館蔵。 『竹取物語』(たけとりものがたり)は、平安時代初期に成立した日本の物語。成立年、作者ともに未詳。.
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竹中工務店
株式会社竹中工務店(たけなかこうむてん、Takenaka Corporation)は、大阪府大阪市中央区本町に本社を置く、大手総合建設会社である。.
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真柱
真柱(しんばしら)は、.
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芥川龍之介
芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、1892年(明治25年)3月1日 - 1927年(昭和2年)7月24日)は、日本の小説家。本名同じ、号は、俳号は我鬼。 その作品の多くは短編小説である。また、「芋粥」「藪の中」「地獄変」など、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』といった古典から題材をとったものが多い。「蜘蛛の糸」「杜子春」といった児童向けの作品も書いている。.
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類聚名義抄
類聚名義抄(るいじゅみょうぎしょう)は、11世紀末から12世紀頃に日本で成立した、漢字を引くための辞書(字書)。「仏」「法」「僧」の3部に分かれる。編者は明らかでないが、法相宗の学僧とみられる。略称、名義抄。「るいじゅうみょうぎしょう」の読みは誤り。.
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西日本旅客鉄道
西日本旅客鉄道株式会社ロゴの「鉄」の字は、金を失うという意味を避けるため「金偏に矢」という「鉃」の文字を使い、『西日本旅客鉃道株式会社』と表記している。ただし、登記上の正式社名は常用漢字の「鉄」の字を用いている。また、四国旅客鉄道以外の各社もロゴタイプで同様に表記している。 (インターネットアーカイブ)も参照。(にしにほんりょかくてつどう、)は、日本国有鉄道(国鉄)から鉄道事業および船舶事業を引き継ぎ発足した旅客鉄道会社の一つ。 北陸3県・近畿地方・中国地方を中心に鉄道路線網を持つ。本社は大阪府大阪市北区。通称はJR西日本(ジェイアールにしにほん)。英語略称はJR Westただし、500系の先頭部など、自社の特急用車両に書かれている英語略称は「WEST JAPAN」。。コーポレートカラーは青色。東証・名証第一部、福証の上場企業。災害対策基本法における指定公共機関。 なお本会社は、同じく「西日本」から始まる社名を持つ鉄道会社で、福岡県福岡市に本社がある西日本鉄道とは無関係である同社とは読みも異なり、本会社は「にしにほん」と読むのに対し同社は「にしにっぽん」と称すと言う相違点がある。。.
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設計
設計(せっけい、design)とは、建築物や工業製品等といったシステムの具現化のため、必要とする機能を検討するなどの準備であり、その成果物としては仕様書や設計図・設計書等、場合によっては模型などを作ることもある。.
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麦生本源氏物語
麦生本源氏物語(むにゅうぼんげんじものがたり)は、別本の本文を持ち、室町時代末期(1546年(天文15年))の成立と見られる源氏物語の写本である。現在44巻44冊が天理大学天理図書館に所蔵されている。.
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近鉄天理線
天理線(てんりせん)は、奈良県大和郡山市の平端駅から奈良県天理市の天理駅までを結ぶ近畿日本鉄道(近鉄)の鉄道路線。 スルッとKANSAI対応カードおよびJスルーカード(自動券売機での乗車券引き換えのみ)、ICカードPiTaPa・ICOCA・Suicaなど全国相互利用乗車カードが使用できる。.
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阿里莫本源氏物語
阿里莫本源氏物語(ありまほんげんじものがたり)は、源氏物語の写本である。現在は天理大学天理図書館の所蔵。54帖に雲隠六帖を含む60帖が現存する。別本の本文を持ち、江戸時代前期(1692年(元禄5年))の成立とみられる。.
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藤原定家自筆本源氏物語
藤原定家自筆本源氏物語(ふじわらていかじひつほんげんじものがたり)とは、藤原定家により書写された源氏物語の写本のこと。「定家自筆本」などとも呼ばれる。.
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肖柏本源氏物語
肖柏本源氏物語(しょうはくほんげんじものがたり)とは、室町時代後期の連歌師牡丹花肖柏(嘉吉3年(1443年) - 大永7年4月4日(1527年5月4日))の筆と伝えられる源氏物語の写本である。肖柏の筆と伝えられる源氏物語の写本は断片的なものや取り合わせ本の中に含まれるものも含めるといくつか存在するが、通常「肖柏本(源氏物語)」と呼ばれるのは校異源氏物語及び源氏物語大成校異編に採用された、現在天理大学天理図書館に所蔵されている54帖の揃い本をいう。.
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野分 (源氏物語)
野分」(のわき)は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。第28帖。玉鬘十帖の第7帖。.
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重要美術品
重要美術品(じゅうようびじゅつひん)は、文化財保護法施行以前、旧「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」に基づき日本政府(文部大臣)が、日本国外への古美術品の流出防止を主目的として認定した有形文化財のことである。.
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重要文化財
建造物の例(通潤橋) 歴史資料の例(123号機関車 京都・宮津海陸運輸所有) 彫刻の例(塑造金剛力士立像 法隆寺蔵) 考古資料の例(埴輪子持家 東京国立博物館蔵) 絵画の例(黒田清輝筆「湖畔」) 建造物(民家)の例:荒井家住宅(栃木県矢板市) 重要文化財(じゅうようぶんかざい)は、日本に所在する建造物、美術工芸品、考古資料、歴史資料等の有形文化財のうち、歴史上・芸術上の価値の高いもの、または学術的に価値の高いものとして文化財保護法に基づき日本国政府(文部科学大臣)が指定した文化財を指す。重文(じゅうぶん)と略称されることが多い。文化庁による英語表記はImportant Cultural Properties。 日本の地方公共団体(都道府県、市町村)がそれぞれの文化財保護条例に基いて指定する有形文化財についても「県指定重要文化財」「市指定重要文化財」等と呼称される場合があるが、文化財保護法に規定する「重要文化財」とは国(日本国文部大臣)が指定した有形文化財のことを指す。本項では特記なき限り、文化財保護法第27条の規定に基づき日本国(文部科学大臣)が指定した重要文化財(いわゆる「国の重要文化財」)について記述する。.
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連歌
連歌(れんが)は、鎌倉時代ごろから興り、南北朝時代から室町時代にかけて大成された、日本の伝統的な詩形の一種。多人数による連作形式を取りつつも、厳密なルール(式目)を基にして全体的な構造を持つ。和歌のつよい影響のもとに成立し、後に俳諧の連歌や発句(俳句)がここから派生している。.
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柿衞文庫
柿衞文庫館(奥)、伊丹市立美術館(右) 柿衞文庫(かきもりぶんこ)は、兵庫県伊丹市にある俳諧コレクションを所蔵・展示する兵庫県の登録博物館で1984年開館した。運営は、公益財団法人柿衞文庫。.
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東寺
東寺(とうじ)は、京都市南区九条町にある東寺真言宗の仏教寺院。東寺は真言宗の根本道場であり、東寺真言宗の見解では、真言宗全体の総本山としている。「教王護国寺」(きょうおうごこくじ)とも呼ばれる(名称については「寺号」の節を参照)。山号は八幡山。本尊は薬師如来。寺紋は雲形紋(東寺雲)。 東寺は平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。中世以降の東寺は弘法大師に対する信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めるようになり、21世紀の今日も京都の代表的な名所として存続している。昭和9年(1934年)に国の史跡に指定、平成6年(1994年)12月には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録された。.
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東京大学
記載なし。
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松尾芭蕉
松尾 芭蕉(まつお ばしょう、寛永21年(1644年) - 元禄7年10月12日(1694年11月28日)佐藤編(2011)、p.248-249、松尾芭蕉関係年表)は、江戸時代前期の俳諧師。現在の三重県伊賀市出身。幼名は金作佐藤編(2011)、p.30-34、芭蕉の生涯 伊賀上野時代(寛永~寛文期)。通称は甚七郎、甚四郎。名は忠右衛門宗房。俳号としては初め実名宗房を、次いで桃青、芭蕉(はせを)と改めた。北村季吟門下。 俳諧(連句)の芸術的完成者であり東明雅『芭蕉の連句』(岩波新書)蕉風と呼ばれる芸術性の極めて高い句風を確立し、後世では俳聖佐藤編(2011)、p.247、あとがきとして世界的にも知られる、日本史上最高の俳諧師の一人である。芭蕉自身は発句(俳句)より俳諧(連句)を好んだ。 芭蕉が弟子の河合曾良を伴い、元禄2年3月27日(1689年5月16日)に江戸を立ち東北、北陸を巡り岐阜の大垣まで旅した紀行文『おくのほそ道』が特に有名。.
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桜井線
桜井線(さくらいせん)は、奈良県奈良市の奈良駅から奈良県大和高田市の高田駅までを結ぶ西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)である。 2010年3月13日から「万葉まほろば線」(まんようまほろばせん)の愛称が使用されている(インターネットアーカイブ)- 西日本旅客鉄道プレスリリース 2009年12月24日。.
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森鴎外
森 外(もり おうがい、1862年2月17日(文久2年1月19日) - 1922年(大正11年)7月9日)は、日本の明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医(軍医総監=中将相当)、官僚(高等官一等)。位階勲等は従二位・勲一等・功三級・医学博士・文学博士。本名は森 林太郎(もり りんたろう)。 石見国津和野(現・島根県津和野町)出身。東京大学医学部入学時は第一大学区医学校予科卒業。 大学卒業後、陸軍軍医になり、陸軍省派遣留学生としてドイツでも軍医として4年過ごした。帰国後、訳詩編「於母影」、小説「舞姫」、翻訳「即興詩人」を発表する一方、同人たちと文芸雑誌『しがらみ草紙』を創刊して文筆活動に入った。その後、日清戦争出征や小倉転勤などにより、一時期創作活動から遠ざかったものの、『スバル』創刊後に「ヰタ・セクスアリス」「雁」などを発表。乃木希典の殉死に影響されて「興津弥五右衛門の遺書」を発表後、「阿部一族」「高瀬舟」など歴史小説や史伝「澁江抽斎」等も執筆した。 晩年、帝室博物館(現在の東京国立博物館・奈良国立博物館・京都国立博物館等)総長や帝国美術院(現日本芸術院)初代院長なども歴任した。.
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樋口一葉
樋口 一葉(ひぐち いちよう、1872年5月2日(明治5年3月25日)- 1896年(明治29年)11月23日)は、日本の小説家。東京生まれ。。 中島歌子に歌、古典を学び、半井桃水に小説を学ぶ。生活に苦しみながら、「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」といった秀作を発表、文壇から絶賛される。わずか1年半でこれらの作品を送ったが、24歳6ヶ月で肺結核により死去。没後に発表された『一葉日記』も高い評価を受けている。.
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永井荷風
永井 荷風(ながい かふう、1879年(明治12年)12月3日 - 1959年(昭和34年)4月30日)は、日本の小説家。本名は永井 壮吉(ながい そうきち、旧字体:壯吉)。号に金阜山人(きんぷさんじん)、断腸亭主人(だんちょうていしゅじん)ほか。.
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永楽大典
永楽大典(えいらくたいてん)とは、中国明代に編纂された中国最大級の類書のことである。22,877巻・目録60巻・11,095冊からなる。1408年(永楽6年)に成立した。.
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池田本源氏物語
池田本源氏物語(いけだほんげんじものがたり)は、源氏物語の写本である。「桃園文庫蔵源氏物語」、「伝二条為明筆源氏物語」などとも呼ばれる。.
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源氏物語
土佐光起筆『源氏物語画帖』より「若紫」。飼っていた雀の子を逃がしてしまった幼い紫の上と、柴垣から隙見する源氏。 朝顔」。雪まろばしの状景。邸内にいるのは源氏と紫の上。 『源氏物語』(げんじものがたり)は、平安時代中期に成立した日本の長編物語、小説。文献初出は1008年(寛弘五年)。作者の紫式部にとって生涯で唯一の物語作品である物語の他には「紫式部日記」や和歌集の「紫式部集」があり「小倉百人一首」にも和歌が収められている(*)。後に、紫式部の「源氏物語」と「紫式部日記」の2作品は絵画化された。約150年後の平安時代末期に「源氏物語絵巻」、約200年後の鎌倉時代初期に「紫式部日記絵巻」が制作された。(*)「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」。主人公の光源氏を通して、恋愛、栄光と没落、政治的欲望と権力闘争など、平安時代の貴族社会を描いた上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。NHK出版100分de名著『源氏物語』 (2012/3/24)。紫式部日記。。 下級貴族出身の紫式部は、20代後半で藤原宣孝と結婚し一女をもうけたが、結婚後3年ほどで夫と死別し、その現実を忘れるために物語を書き始めた。これが『源氏物語』の始まりである。最初は、当時紙が貴重で紙の提供者がいれば、その都度書き江戸時代の松永貞徳の源氏物語の写本全54冊(54帖)の1冊1冊の厚みが示すように、紫式部は当初多くの分量は書けず1冊(1帖)の厚みは薄いが、支援者の藤原道長により安定した紙の供給が行なわれて以降は34帖「若菜」のように1冊(1帖)の厚みが急激に増した。上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。(参考)『源氏物語』与謝野晶子訳、各帖の総ページ数より、1帖「桐壷」26、2帖「帚木」44、3帖「空蝉」12、そして、34帖「若菜」上192、下190。(角川文庫 1999年(平成11年)5月10日)所収、仲間内で批評し合うなどして楽しんでいたが紫式部日記より、当初、紫式部は仲間内で意見を言い合ったり手紙のやり取りで批評し合って楽しんでいたことから「最初は現代の同人誌のような楽しみ方だった」。上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。NHK出版100分de名著『源氏物語』 (2012/3/24)。、その物語の評判から藤原道長が娘の中宮彰子の家庭教師として紫式部を呼んだ。それを機に宮中に上がった紫式部は宮仕えをしながら藤原道長の支援の下で物語を書き続け、54帖からなる『源氏物語』を完成させた中宮彰子は一条天皇の妻であったが、一条天皇のもう一人の妻であり後に亡くなった藤原定子の家庭教師は清少納言だった。なお、藤原道長の要請で宮中に上がった紫式部は、宮中の様子を中心に書いた「紫式部日記」を残している。。 なお、源氏物語は文献初出から150年ほど後の平安時代末期に「源氏物語絵巻」として絵画化された 五島美術館。現存する絵巻物の内、徳川美術館と五島美術館所蔵のものは国宝となっている。また現在、『源氏物語』は日本のみならず20ヶ国語を超える翻訳を通じ世界各国で読まれている 総合研究大学院大学教授 伊藤鉃也 日本文学研究専攻。2009年3月時点、刊行されたもの24種類、現在進行中のもの4種類、未確認(あるらしい、というもの)6種類。。.
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源氏物語別本集成
『源氏物語別本集成』(げんじものがたりべっぽんしゅうせい)は、『源氏物語』の別本を中心とした校本である。.
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濱田泰三
濱田 泰三(はまだ たいぞう、1928年 - )は、日本の文学者(フランス文学)、文芸評論家。早稲田大学名誉教授、公益財団法人パブリックヘルスリサーチセンター顧問。「濱田」の「濱」が旧字体のため、新字体で浜田 泰三(はまだ たいぞう)と表記されることもある。 日本放送協会での勤務を経て、早稲田大学法学部教授、早稲田大学図書館館長(第12代)、学校法人早稲田大学常任理事、財団法人パブリックヘルスリサーチセンター理事長などを歴任した。.
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本城惣右衛門覚書
本城惣右衛門覚書(ほんじよそうえもんおぼえがき)は、本能寺の変に明智光秀の配下で従軍したという武士本城惣右衛門が、本人の晩年である江戸時代の寛永17年(1640年)に、親族と思われる三人の人物に宛てた五千字ほどの文書記録である。現在、奈良県の天理大学附属天理図書館所蔵。.
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本能寺の変
本能寺の変(ほんのうじのへん)とは、天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝、京都本能寺に宿泊していた織田信長が、家臣明智光秀の謀反によって襲撃された事件である。。。。。 信長は寝込みを襲われ、包囲されたのを悟ると、寺に火を放ち自害して果てた。信長の嫡男で織田家当主信忠は、宿泊していた妙覚寺から二条御新造に退いて戦ったが、やはり館に火を放って自刃した。。。。2人の非業の死によって織田政権は崩壊し、天下人となった光秀であったが、中国大返しで畿内に戻った羽柴秀吉に山崎の戦いで敗れて、僅か13日後に光秀もまた同様の運命を辿った。この事件は戦国乱世が終息に向う契機となったので、戦国時代における最後の下剋上とも言われる。 光秀が謀反を起こした理由については、定説が存在せず、「日本史の謎」「永遠のミステリー」などと呼ばれ、様々な人々が多種多様な説を発表している。(各説については変の要因を参照).
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戦後
戦後(せんご)は、戦争の終結後の短期または長期的な期間を指す言葉・概念。戦争では多くの破壊や社会システムの大変革が行われるため、戦争が終結した後は社会体制などが新しく作り直され、価値観まで変化する。このため、大きな戦争を一つの時代の区切りとして、戦前・戦中・戦後という区分をする。「戦後」はしばしば、戦争による混乱を抜けきっていない時代という意味合いをもつ。しかし終わりを設けず現在までを含めることもある韓国人慰安婦問題や沖縄の米軍基地問題など、第二次世界大戦によって生じた問題が解決を見ていないため、右翼、左翼問わず現在を戦後に含めることがある。。一時は流行語となった。.
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明智光秀
明智 光秀(あけち みつひで)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。 戦国大名・織田信長に見出されて重臣に取り立てられるが、本能寺の変を起こして主君を自害させた。直後に中国大返しにより戻った羽柴秀吉に山崎の戦いで敗れる。一説では、落ちていく途中、小栗栖において落ち武者狩りで殺害されたとも致命傷を受けて自害したともされる。これは光秀が信長を討って天下人になってからわずか13日後のことであり、その短い治世は「三日天下」ともいう。 光秀の本姓は源氏、清和源氏(摂津源氏)の家系で、美濃源氏土岐氏支流である明智氏の出身。通称は十兵衛。雅号は咲庵(しょうあん)。官途は日向守。朝廷より惟任(これとう)の姓を賜ったので惟任光秀ともいう。妻は妻木煕子。その間には、細川忠興室・珠(洗礼名:ガラシャ)、嫡男・光慶(十五郎)、津田信澄室がいる。 領地で善政を行ったとされ、光秀を祭神として忌日に祭事を伝える地域(光秀公正辰祭・御霊神社)もある。江戸時代の文楽「絵本太功記」や歌舞伎「時桔梗出世請状」をはじめ、後世、小説・映画・テレビドラマなど様々な作品でとりあげられている。.
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日本書紀
日本書紀(平安時代の写本) 『日本書紀』(にほんしょき)は、奈良時代に成立した日本の歴史書。日本に伝存する最古の正史で、六国史の第一にあたる。舎人親王らの撰で、養老4年(720年)に完成した。神代から持統天皇の時代までを扱う。漢文・編年体にて記述されている。全30巻。系図1巻が付属したが失われた。.
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曾良旅日記
『曾良旅日記』(そらたびにっき)は、河合曾良による1689年(元禄2年)及び1691年(元禄4年)の日記を中心とする自筆の覚書。 その存在は古くから一部には知られていたが、芭蕉研究においては、山本安三郎山本安三郎(-1947):俳号は六丁子、俳句団体「笹鳴会」を主宰する俳人であり、在野の芭蕉研究家・蒐集家として知られた医師。能村登四郎の伯父が再発見して1943年(昭和18年)に出版し全貌が明らかになるまで、疑いの目で見られていた。 出版以来『おくのほそ道』研究に一時期を画し、『おくのほそ道』本文における虚構、発句の初案、推敲の過程など、芭蕉の制作意識を考察する上で不可欠な資料となった。奥州行脚の史実を正確に伝え、芭蕉の俳文を解明する根本資料として重要であるとして、1978年6月15日に重要文化財に指定された。.
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1925年
記載なし。
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1926年
記載なし。
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1930年
記載なし。
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1949年
記載なし。
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1963年
記載なし。
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