11 関係: 安住敦、俳句、俳人協会賞、北区 (東京都)、東京、東京市、木下夕爾、成瀬櫻桃子、春燈、1937年、1月1日。
安住敦
安住 敦(あずみ あつし、1907年7月1日 - 1988年7月8日)は、俳人、随筆家。前号・安住あつし。.
俳句
俳句(はいく)とは、五・七・五の十七音から成る日本語の定型詩である。世界最短の定型詩とされ、十七文字(じゅうしちもじ)、十七音(じゅうしちおん)、十七語(じゅうしちご)とも呼ばれる。俳句の有季定型性を捨象する形で派生した自由律俳句や無季俳句などもある。俳句を詠む(作る)人を俳人と呼ぶ。.
俳人協会賞
俳人協会賞(はいじんきょうかいしょう)は、俳人協会が主催する俳句の賞。1961年11月、協会設立と同時に開始された。過去1年間に刊行された協会会員の句集が選考対象だが、過去に同協会賞、現代俳句協会賞、蛇笏賞、芸術選奨などを受賞している者は原則として除外される。1977年からは、50歳以下の協会会員の第一句集を選考対象とした俳人協会新人賞が併設された。.
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北区 (東京都)
北区(きたく)は、東京都の特別区のひとつ。旧武蔵国豊嶋郡(北区、板橋区)。 郵便番号(上3桁)は、114・115。.
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東京
西新宿東京スカイツリー/レインボーブリッジ渋谷/国会議事堂 東京(とうきょう、)は、日本の関東平野中央部の東京湾に面する都市、あるいは都市圏であり、江戸幕府の所在地・江戸が慶応4年7月(1868年9月)に「東京」に名称変更されたものである。 明治2年3月28日に、日本の都(みやこ)が京都から「東京」に遷された。そして現在の日本の事実上の首都である。 現在の東京は世界都市であり、都市圏として世界最大の人口・経済力を擁している。.
東京市
東京市役所(東京府庁との合同庁舎) 東京市(とうきょうし)は、旧東京府(現東京都)東部に1889年(明治22年)から1943年(昭和18年)までの間に存在していた市である。東京府の府庁所在地。最終的な市域は現在の東京都区部(東京23区)に相当する。 東京市が存在していた時期以外の旧東京市地域の歴史については東京都の歴史を参照のこと。旧東京市地域の現状については東京都区部を参照のこと。.
木下夕爾
木下 夕爾(きのした ゆうじ、1914年10月27日 - 1965年8月4日)は、日本の詩人、俳人。本名・優二。広島県福山市御幸町に生まれる。広島県立府中中学(現・広島県立府中高等学校)を卒業後、1933年にいったんは第一早稲田高等学院文科(仏文科)に入学するが、家業を継ぐために転学。1938年に名古屋薬学専門学校(現・名古屋市立大学)を卒業し、広島で実家の薬局を営む。以後終生郷里を離れなかった。この間堀口大学に傾倒し影響を受けており、13歳のときには堀口の詩誌「若草」で特選を取っている。1940年、第一詩集『田舎の食卓』を刊行、第6回文芸汎論賞を受賞。1949年に詩誌「木靴」を創刊・主宰。以後の詩集に『生まれた家』(1940年)『笛を吹くひと』(1958年)など。日本詩人クラブ、日本現代詩人会に所属。 また1944年より安住敦の俳誌「多麻」に投句、1946年より久保田万太郎の俳誌「春燈」に参加。万太郎に激賞され「春燈」主要同人となる。1956年句集『南風妙』、1959年『遠雷』を刊行。1961年、広島春燈会を結成、また句誌「春雷」を創刊・主宰する。句風は『遠雷』までの、心象風景を強い叙情性をもって描いた時期と、『遠雷』以降の、情を適度に交えつつ写生の方法を生かした時期とに大きく分けることができる。総じて瀟洒で線の細い句であり、師である万太郎にならい、平易な言葉による柔らかな表現を目指した。代表句として「家々や菜の花いろの灯をともし」(『遠雷』所収)がよく知られている。 1965年横行結腸癌により福山市御幸町の自宅で死去、50歳。戒名は淳誠院釈夕爾法圓居士。没後に刊行された『定本木下夕爾詩集』は第18回読売文学賞を受賞した。.
成瀬櫻桃子
成瀬 櫻桃子(なるせ おうとうし、1925年(大正14年)11月25日 - 2004年(平成16年)12月14日)は、俳人。本名・冨造。岐阜県岩村町に生まれる。旧制横浜高等工業学校(現・横浜国立大学工学部)卒。1940年より句作、水原秋櫻子の「馬酔木」、加藤楸邨の「寒雷」に投句。1946年「春燈」創刊に参加、久保田万太郎に師事。1963年に万太郎が死亡、以後安住敦に師事する。1988年、安住敦の死により「春燈」主宰を継承。句集に『風色』『素心』など。1973年、句集『風色』により第13回俳人協会賞、1996年『久保田万太郎の俳句』で俳人協会評論賞を受賞。俳人協会理事、日本ペンクラブ評議員、国際俳句交流会評議員などを歴任。2004年12月14日死去、79歳。.
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春燈
春燈」(しゅんとう)は、俳誌。1946年1月、安住敦(編集)と大町糺(発行)が久保田万太郎を主宰として擁立するかたちで東京より創刊。戦後の混乱のなか、「いくら苦しくなつても、たとへば、夕霧の中にうかぶ春の灯は、われわれにしばしの安息をあたへてくれるだらう」という主宰の創刊の辞が載った大嶽青児 「春燈」 『現代俳句大事典』普及版、三省堂、2008年、283頁。。また安住敦は「花鳥とともに人生があり、風景のうしろに人生がなければつまらない」と創刊号に書き人生諷詠の傾向を示している。創刊より様々な流れを汲む多数の俳人が参加。1963年5月に万太郎が没し、安住敦が主宰を継承。個性尊重の方針で多数の俳人を育てた。以後成瀬櫻桃子、鈴木榮子の主宰を経て現在は安立公彦が主宰。歴代主宰の句を引き継ぐ叙情性の俳句を志すことを理念として掲げている。 創刊以来同人制をしかず、自選欄「燈下集」、主宰選「当月集」および「春燈の句」のかたちで作品を掲載。一貫して論よりも作品重視の姿勢をとっている。.
1937年
記載なし。
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1月1日
1月1日(いちがつついたち)はグレゴリオ暦で年始から1日目に当たり、年末まであと364日(閏年では365日)ある。誕生花は松(黒松)、または福寿草。 キリスト教においては生後8日目のイエス・キリストが割礼と命名を受けた日として伝えられる。.