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大山事件

索引 大山事件

大山事件は、1937年8月9日夕刻に起こった、上海海軍特別陸戦隊中隊長の大山勇夫海軍中尉(海軍兵学校第60期卒業、死後海軍大尉に特進)と斎藤與蔵一等水兵(死後三等兵曹に特進)が殺害された事件である。中国側からは「虹橋機場事件」と呼ばれる。日本側は、これを中国軍のしわざだと考え、この事件が第二次上海事変のきっかけの一つになった。.

25 関係: 大尉上海停戦協定上海共同租界上海虹橋国際空港上海海軍特別陸戦隊中尉中隊中華民国張治中マオ 誰も知らなかった毛沢東ユン・チアンジョン・ハリディ第二次上海事変盧溝橋事件領事駐在武官講談社雲南陸軍講武堂海軍兵学校 (日本)支那事変1937年7月7日8月10日8月11日8月9日

大尉

大尉(たいじょう)は、古代日本の律令制の職名の一。左右衛門府および左右兵衛府に置かれた。長官・次官・判官・主典の四等官中の判官に相当する。 ---- 大尉(たいい、だいい)は軍隊の階級の一。 尉官の最上級であり、中尉の上、少佐の下に位置する。.

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上海停戦協定

上海停戦協定(シャンハイていせんきょうてい)とは、1932年1月28日より開始した第1次上海事変における日本と中華民国との間で締結された停戦協定文である。 本協定文には本来標題は無いが、当時、外務省において便宜上、同標題が付けられた。 英米総領事のあっせんによって1月29日午後8時から停戦することになっていたが、30日朝からふたたび双方から砲撃があった。 31日上海列国海軍先任指揮官イギリス海軍少将フレミングはまず中立地帯設定案を提議し、撤回し、日本軍備区域を第三国軍隊で警備する案を提出したが、村井倉松総領事および塩沢幸一司令官はこれを拒絶した。 東京で29日英米大使は、日本陸戦隊が共同租界を作戦根拠地となし、日本軍が共同防備の趣旨に反して単独行動をとったことについて警告し、2月1日英米仏3国大使はこの警告とあわせて各自国民の生命財産の保護と軍の行動が自衛行動の範囲外に出ることのないように警告したが、芳沢謙吉外相の説明は反駁的であった。 翌日3国大使は居中調停のために正式に共同提議を行なったが、日本側からの回答に接して断念した。 ジュネーブでは理事会は3月3日の臨時総会の招集を決議し、事前に局面を打開しようと芳沢外相は2月26日理事会に上海円卓会議を提唱し、上海では日中両国間で停戦の協議が英米仏伊4国の代表を加えて3月4日から数回にわたって開かれた。 しかるに中国側は、停戦と同時に撤兵の期日を明示せよ、満州問題を解決しよう、などと難題を持出し、4月11日突然、会議の延期を申し出、ジュネーブの十九箇国委員会の開会を要求した。 連盟は16日十九箇国委員会を開き、日本の撤兵の時期を混合委員会の決定に委ねるという案を作った。 日本はこれに反対し、しかしイギリス公使ラムソンの調停あっせんによって妥協案が成立し、4月下旬停戦協定に調印するのみとなった。 しかし29日上海天長節爆弾事件が起こり、しかし5月5日調印が成立した。 日本政府は上海からの撤兵を決し、5月中旬陸兵のすべてを撤退することに閣議決定した。.

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上海共同租界

仏の旗になっている。表記されているラテン語は「全て(の国)が一つの仲間に」の意 上海共同租界の位置。赤色の部分が共同租界。肌色の部分はフランス租界。 上海の地図 上海共同租界(シャンハイきょうどうそかい、、)は、中華民国上海市に置かれていた上海租界のうち、フランス租界を除いた数カ国が管理していた共同租界。1842年の南京条約にもとづき同11月から12月にかけて設定され1943年まで続いた。.

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上海虹橋国際空港

上海虹橋国際空港(シャンハイホンチャオこくさいくうこう、上海虹桥国际机场、Shanghai Hongqiao International Airport)は、は中華人民共和国上海市長寧区虹橋路に位置する空港。日本語での漢字の読みに従い「虹橋」をこうきょう、あるいはにじばしと読むこともある。.

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上海海軍特別陸戦隊

ヴィッカース・クロスレイ装甲車や三年式機関銃を中心に上海で交戦中の海軍陸戦隊。 上海海軍特別陸戦隊(シャンハイかいぐんとくべつりくせんたい、旧字体:上海特別陸戰隊)とは、大日本帝国海軍が上海に権益保護のために駐留させていた陸戦隊のことである。第一次上海事変、第二次上海事変で激しい市街戦を行った。1932年(昭和7年)以降、日本海軍唯一の常設の陸上戦闘部隊となった。略称は上陸(シャンりく)。.

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中尉

中尉(ちゅうい)は、軍隊の階級の一。将校(士官)に相当。尉官に区分され、大尉の下、少尉の上に位置する。.

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中隊

中隊(ちゅうたい)は、軍隊の部隊編成の単位で、小隊の上、大隊の下に位置する。一般的には歩兵なら約200人(4個小隊相当)、砲兵では4門か6門だが、兵科、装備、時代によって規模はさまざまである。 西洋語では兵科によって異なる語を当てる。英語にすると、歩兵と工兵の中隊はCompany、砲兵はBattery、騎兵や戦車、装甲車はtroop、ヘリコプターなどの部隊はsquadronである(squadronは、空軍や海軍航空隊の飛行隊の意味もある)また、警察(機動隊など)や消防などにも中隊単位の編成がされる場合もある。.

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中華民国

中華民国(ちゅうかみんこく)は、東アジアに位置する民主共和制国家。 アジアで2番目の共和国として1912年に中国大陸で成立し、国共内戦により中国大陸で中華人民共和国が建国された1949年以降は台湾島と周辺の島嶼群など(自由地区)のみを実効支配する海洋国家となった。自由地区は、日本やフィリピン、中華人民共和国などと領海を接する。 議会制民主主義・資本主義体制国であり、1971年までは国際連合安全保障理事会常任理事国として国際社会に大きな影響を与えていた。しかし国連の代表権問題や一つの中国政策により、中華人民共和国が中華民国を国家承認しないように要求しているため、2018年5月24日現在では中華民国を正式に国家として承認している国は18か国に留まる。上記の経緯があるため以前の国交を結んでいた国々を中心に、日本を含めて多くの国々と活発な経済的文化的な交流が行われている。台湾島及びその周辺島嶼群を含む地域名である台湾(たいわん)と表記されるのが一般的である。.

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張治中

張 治中(ちょう じちゅう)は中華民国の軍人。国民政府(国民革命軍)の将軍である。最終階級は二級上将。旧名は本尭。字は文白。.

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マオ 誰も知らなかった毛沢東

『マオ 誰も知らなかった毛沢東』(原題:Mao: The Unknown Story)は、ユン・チアン、ジョン・ハリデイ夫妻が2005-2006年に、世界各国でほぼ同時に刊行した毛沢東の伝記。日本語版(土屋京子訳)は、講談社で刊行。.

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ユン・チアン

ユン・チアン(張戎、1952年ー)は、中華人民共和国出身の著作家。現在イギリスに在住し、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院 (SOAS) で教鞭を執るなどした後、文筆活動に専念するため退職した。.

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ジョン・ハリディ

ョン・ハリディ(Jon Halliday 生年非公開)はロシア史研究家、ロンドン大学キングス・カレッジ・ロンドンの元上級客員研究員。.

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第二次上海事変

二次上海事変(だいにじシャンハイじへん)は、1937年(昭和12年)宮崎水兵事件、大山事件に端を発する、8月13日からの中華民国軍の「日本租界」上海共同租界と隣接地区のうち閘北、虹口、楊浦などの俗称。当時の上海はフランス租界、日英米の共同租界、上海特別市の三行政区域に分かれていた。自国民を守るため、米軍2800人、英国軍2600人、日本海軍陸戦隊2500人、仏軍2050人、伊軍770人がいた。進駐とそれに続く日本軍との軍事衝突である同事変の間、両国は互いに宣戦布告を行わなかった。。中華民国が日本に宣戦布告したのは、日本が米国および英国に宣戦布告した翌日の1941年12月9日であった。。中国側の呼称は淞滬會戰(淞沪会战)。 盧溝橋事件(7月7日)により始まった華北(北支)での戦闘は、4日後の松井-秦徳純協定により収拾した。いったんは停戦協定が結ばれたものの、7月25日の廊坊事件で停戦が破られると、26日の広安門事件で日本人に犠牲者が発生し、29日の通州事件では民間人を含む230名が虐殺されたことにより、武藤章や田中新一ら拡大派が、石原莞爾や河辺虎四郎ら不拡大派を押し切った。この事件以後華中(中支)において交戦が拡大することになった。.

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盧溝橋事件

盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)は、1937年(昭和12年)7月7日に北京(北平)西南方向の盧溝橋で起きた日本軍と中国国民革命軍第二十九軍との衝突事件である7月7日に日中両軍が衝突した事実は全くない。衝突は7月8日午前5時30分からのことである(坂本夏男「盧溝橋事件勃発についての一検証」『芸林』40(1), p2-26, 1991-02)。。中国では一般的に七七事変と呼ばれる。英語ではMarco Polo Bridge Incident、Battle of Marco Polo Bridgeと呼ばれる。.

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領事

事(りょうじ)は、外国に駐在して自国民の保護及び自国の通商の促進にあたる外交官の一種。またその業務内容。領事が職務を行う機関として領事館がある。また、領事には大使その他の外交官に準じた特権・免除(領事特権)が認められているが、その範囲は外交特権よりも狭い。.

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駐在武官

在武官(ちゅうざいぶかん)とは、在外公館に駐在して軍事に関する情報交換や情報収集を担当する武官のことである。通常は軍人としての身分(軍服を着用して帯剣し階級を呼称する)と外交官としての身分(外交官として外交特権を有する)を併有する,立川京一,防衛研究所紀要 第17巻第1号,P123-159,2014年10月。軍事アタッシェやミリタリーアタッシェ(Military attache / Military attaché / Defense Attaché)あるいは軍人外交官ともいわれる。 日本では、第二次世界大戦以前は帝国陸軍・海軍から派遣され、「○○国在勤帝国大使館附陸軍武官」及び「○○国在勤帝国大使館附海軍武官」等と呼称した。 1954年(昭和29年)以降現在の日本では、防衛省(旧:防衛庁)からの自衛官の派遣となり、現在は「防衛駐在官」と呼称する。.

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講談社

株式会社講談社(こうだんしゃ、英称:Kodansha Ltd.)は、日本の総合出版社。創業者の野間清治の一族が経営する同族企業。.

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雲南陸軍講武堂

雲南陸軍講武堂(うんなんりくぐんこうぶどう)は、清末の雲南省に創設された軍事学校。中華民国の時代になると、雲南陸軍講武学校と改称された。雲南講武堂と略称されることもある。.

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海軍兵学校 (日本)

海軍兵学校(かいぐんへいがっこう)は、1876年(明治9年)から1945年(昭和20年)の第二次世界大戦終戦まで存続した、大日本帝国海軍の将校たる士官の養成を目的とした教育機関である。.

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支那事変

国債には「支那事変」によるものと明記されている 陸軍省発行の絵葉書(福田豊四郎作「銃後の田園」)に東京の郵便局で『支那事変二周年記念』の記念印(1939年(昭和14年)7月7日付)を押印した郵趣品。記念印には「東亜新秩序」の標語が入っている 支那事変(しなじへん)とは、1937年(昭和12年)に日本と中華民国(支那)の間で始まった、長期間かつ大規模な戦闘である。なお、盧溝橋事件(1937年7月7日)は、4日後の松井-秦徳純協定により収拾している。その後の中国共産党の国共合作による徹底抗戦の呼びかけ(7月15日)、及び蒋介石の「最後の関頭」談話における徹底抗戦の決意の表明(7月17日)により、中国軍の日本軍及び日本人居留民に対する攻撃、第二次上海事変が連続し、戦闘が本格化した。したがって、日中戦争(支那事変)の端緒を、盧溝橋事件と考えるか、国共合作による抗戦の呼びかけ・最後の関頭談話と考えるかにより、同戦争の歴史的な評価は大きく変わることになる ただし、両国ともに宣戦布告がないまま戦闘状態に突入したので、戦争ではなく事変と称する。 「支那事変」という呼称は、当時の日本政府が定めた公称であるが昭和12年9月2日閣議決定、「今回ノ事変ハ之ヲ支那事変ト称ス」、初めは北支事変(ほくしじへん)と呼ばれ、その後、支那事変となった。 新聞等マスメディアでは日華事変(にっかじへん)などの表現が使われるほか、日支事変(にっしじへん)とも呼ばれるなど、呼称の揺らぎがある。 一般的には、1937年の支那事変から1945年(昭和20年)までの戦争を日中戦争と呼ぶが、 「支那事変」は1941年(昭和16年)12月8日の太平洋戦争(大東亜戦争)勃発までとするのが代表的見解とされていて、期間が異なる。 当項目では「支那事変」という「呼称」について解説する。.

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1937年

記載なし。

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7月7日

7月7日(しちがつなのか)はグレゴリオ暦で年始から188日目(閏年では189日目)にあたり、年末まであと177日ある。誕生花はスイレン、ヒオウギ。.

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8月10日

8月10日(はちがつとおか)はグレゴリオ暦で年始から222日目(閏年では223日目)にあたり、年末まであと143日ある。.

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8月11日

8月11日(はちがつじゅういちにち)はグレゴリオ暦で年始から223日目(閏年では224日目)にあたり、年末まであと142日ある。.

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8月9日

8月9日(はちがつここのか)は、グレゴリオ暦で年始から221日目(閏年では222日目)にあたり、年末まであと144日ある。.

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大山中尉惨殺事件虹橋機場事件

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