17 関係: 台北州、台北市、台湾、大屯山、七星郡、国定公園、国立公園、陽明山、淡水郡、新北市、新荘郡、日本、日本統治時代の台湾、1937年、1945年、1985年、2002年。
台北州
旧台北州庁舍、森山松之助設計 台北州(臺北州、たいほくしゅう)は、かつて台湾の地方行政区分だった5州3庁の1つで、現在の台北市、基隆市、新北市、宜蘭県を合わせた地域にあたる。 台北州庁所在地は台北市であり、庁舎は監察院になった。.
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台北市
台北市(たいほくし/タイペイし、、、)は、中華民国の首都である。 2,695,652人(2016年11月)が居住しており、市域の人口では衛星都市の新北市に抜かれたものの、台湾(中華民国)の首都である。台湾最大の都市圏である台北都市圏の中枢都市であり、アジア屈指の世界都市でもある。面積は約272平方キロメートルで四方を新北市に囲まれている。 日本統治時代は「たいほく」と日本語読みしていた。現在でもNHKの放送では「たいほく」の呼称を採用している。北京語発音では「タイペイ」 (Táiběi) 、台湾語発音ではタイパック (tâi-pak) である。.
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台湾
台湾(タイワン、臺灣 / 台灣、台: Tâi-oân)は、東アジアの国である。 1945年に当時中国大陸を本拠地とした中華民国の統治下に入り、1949年に中華民国政府が台湾に移転した。1955年以降、中華民国は台湾本島以外にも澎湖諸島、金門島、馬祖島、東沙諸島、南沙諸島の太平島を実効支配しているが、全体の面積に占める台湾(本島)の割合は99%以上になる。そのため、中華民国の通称として「台湾」と表記される(詳細は定義参照)。近隣諸国としては、東及び北東に日本、南にフィリピンがある。事実上の首都は台北市である。台北県が直轄市となったことにより成立した新北市は、台北市及びその外港である基隆市を囲む大都市圏を包含し、2018年時点では同島で人口最多の都市である。.
大屯山
大屯山(だいとんざん)は台湾台北市西北端に位置する標高1,093mの火山である。山域は陽明山国家公園に指定されている。日本統治時代に大屯山、観音山一帯を大屯国立公園に指定されている。.
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七星郡
七星郡(しちせいぐん)は日本統治時代の台湾に存在した行政区画の一つであり、台北州に属した。七星郡の名称は七星山が区域内に位置したことによる。 消滅時に下部に汐止街、士林街、北投街、内湖庄を管轄していた。ほかに、平渓庄は1932年に基隆郡に、松山庄は1938年に台北市に編入されている。 1945年、中華民国に台湾の統治権が移管されると、七星郡は台北県七星区と改称された。1947年には七星区は廃止、汐止、士林、北投、内湖は台北県淡水区に編入された。1950年に士林、北投は陽明山管理局に移管された。1967年に陽明山管理局、内湖、南港(1946年に内湖より分割)は台北市に編入され、1999年に汐止は台北県の県轄市に昇格した。 Category:日本統治時代の台湾の行政区分 Category:台北市の歴史 Category:新北市の歴史.
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国定公園
国定公園(こくていこうえん)とは、日本において国立公園に準じる景勝地として自然公園法に基づいて環境大臣が指定した公園。国立公園が国の直接管理なのに対し、国定公園は都道府県が管理する。英語表記はQuasi-National Park。 また、アメリカ合衆国ナショナル・モニュメントのことを国定公園と訳すことがある。 本稿では、日本の国定公園について述べる。.
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国立公園
国立公園(こくりつこうえん、)とは、国が指定し、その保護・管理を行う自然公園である。.
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陽明山
陽明山(ようめいさん)は中華民国(台湾)台北市郊外に位置する山。陽明山国家公園に含まれ現在は風景区・温泉として観光開発が進められている。旧称は草山と称されたが、1950年に当時の中華民国総統、蒋介石により現在の名称に改名された。なお「陽明」という名は明代の学者、王陽明にちなんでいる。 陽明山は大屯山や七星山など複数の火山から形成される地域で、噴火口やカルデラなどの奇観を目にする事ができる。北投から金山にかけてのラインには断層が走り、そこから数多くの温泉が沸いている。標高の高い箇所では、亜熱帯に属しながらも冬季になるとごくまれに積雪が観測される事もある。陽明山が雪化粧した姿を「屯山積雪」と称し淡北八景の一つとされている。 陽明山中腹は台湾別荘地として開発され、また週末には夜景を楽しむ観光客でにぎわっている。.
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淡水郡
淡水郡(たんすいぐん)は日本統治時代の台湾に存在した行政区画の一つであり、台北州に属した。名はこの地の中心地である淡水街に由来する。 淡水郡は郡役所が設置された淡水街以外に八里庄、三芝庄、石門庄、現在の新北市淡水区、八里区、三芝区、石門区等の地域を管轄していた。 Category:日本統治時代の台湾の行政区分 Category:新北市の歴史.
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新北市
新北市(しんほくし/シンペイし、英語:New Taipei City、台湾語:シンパッチー)は、中華民国北部に位置する台湾最大の行政区。中華民国の首都である台北市の衛星都市である。元々は台湾省の県である台北県だったため、市域は台北市と台北市の外港である基隆市の近郊を取り囲む形となっている。2007年10月以降、財政上「準直轄市」扱いされていたが、2010年12月25日付けで直轄市に昇格し、新北市(新しい台北市の略)と改称された。.
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新荘郡
thumb 新荘郡(しんしょうぐん)は日本統治時代の台湾に存在した行政区画の一つであり、台北州に属した。名はこの地の中心地である新荘街に由来する。 新荘郡は郡役所が設置された新荘街以外に鷺洲庄、五股庄、林口庄、現在の三重市、蘆洲市、新荘市、泰山郷、五股郷、林口郷等の地域を管轄していた。 新荘郡と埕を結ぶ台北大橋は、当時から現在にかけてまで重要な交通路となっている。 1945年、終戦に伴い新荘郡は新荘区と改称され、新荘郡の街は鎮に、庄は郷に改編された。1950年、新荘区が廃止されると、この地域は台北県の管轄となった。その後は人口増加などの要因により泰山、蘆洲、三重などの地域が県轄市に昇格しているが、日本統治時代と比較してほぼ同一の行政区域となっている。 Category:日本統治時代の台湾の行政区分 Category:新北市の歴史.
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日本
日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.
日本統治時代の台湾
日本統治時代の台湾(にほんとうちじだいのたいわん)は、日清戦争の結果下関条約によって台湾が清朝(当時の中国)から日本に割譲された1895年(明治28年、光緒21年)4月17日から、第二次世界大戦の結果ポツダム宣言によって台湾が日本から中華民国に編入された1945年(昭和20年、民国34年)10月25日までの時代である。 台湾では、この時期を「日據」か「日治」と呼ばれるが、日本に占領されたか統治されたかと意味が少し違う。ただ、この「日據」「日治」表記は、違いがあまり意識されない場合もあり、民間の新聞記事などでは、1つの記事中で2つの単語が混在している時もある。.
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1937年
記載なし。
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1945年
この年に第二次世界大戦が終結したため、世界史の大きな転換点となった年である。.
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1985年
この項目では、国際的な視点に基づいた1985年について記載する。.
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2002年
この項目では、国際的な視点に基づいた2002年について記載する。.
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