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大友親繁

索引 大友親繁

大友 親繁(おおとも ちかしげ)は、室町時代から戦国時代にかけての武将・守護大名。大友氏の15代当主。豊後・筑後守護。11代当主・大友親著の四男。初名は親重(ちかしげ)、のち親職(ちかもと)。その後に親繁に改名するがその時期などは不明。.

59 関係: いとこ古庄氏大友義右大友義鑑大友親綱大友親隆大友親頼大友親著大友親治大友氏大友持直大友政親大内教幸大神氏 (豊後国)室町幕府室町時代守護守護大名寛正寛政重修諸家譜九州千葉氏伊予国応仁応仁の乱応永問註所統景問註所氏犬塚鎮家筑後国田北紹鉄田北鎮周田北鑑生豊後国足利氏黒木親実蒲池繁久李氏朝鮮武将江藤新平河野通宣 (刑部大輔)河野教通清原氏本庄氏朽網親満戦国時代 (日本)明応斎藤鎮実文安文明 (日本)...11月14日 (旧暦)12月22日1411年1444年1460年1467年1476年1482年1493年 インデックスを展開 (9 もっと) »

いとこ

いとこは、自分からみて親の兄弟姉妹の子供である。4親等の傍系親族の一つ。.

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古庄氏

古庄氏(ふるしょうし)は、相模国愛甲郡古庄より起こった一族。古荘、古莊とも記載する。.

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大友義右

大友 義右(おおとも よしすけ)は、室町時代から戦国時代にかけての武将・守護大名。豊後国の大友氏の17代当主。.

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大友義鑑

大友 義鑑(おおとも よしあき、異体字:大友義鑒)は、戦国時代の武将・戦国大名。豊後国大友氏の20代当主。 初めは親安(ちかやす)、親敦(ちかあつ)を名乗っていたが、後に室町幕府将軍・足利義晴より偏諱を賜って義鑑に改めた。.

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大友親綱

大友 親綱(おおとも ちかつな)は、室町時代中期の武将・守護大名。豊後国大友氏の13代当主。.

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大友親隆

大友 親隆(おおとも ちかたか)は、室町時代中期の武将・守護大名。大友氏の14代当主。10代当主大友親世の三男。.

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大友親頼

大友 親頼(おおとも ちかより)は、室町時代から戦国時代にかけての武将。大友氏15代当主大友親繁の七男。号は神十郎。 親頼の三男親政は今川氏に仕え駿河国駿東郡長久保を領して長久保氏を称した。.

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大友親著

大友 親著(おおとも ちかあき/ちかつぐ)は、室町時代中期の武将・守護大名。豊後国大友氏の11代当主。.

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大友親治

大友 親治(おおとも ちかはる)は、戦国時代の武将・戦国大名。豊後国大友氏の18代当主。15代当主・大友親繁の五男。.

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大友氏

大友氏(おおともし)は、鎌倉時代から戦国時代にかけて、九州の豊後国(現大分県)を本拠とした一族。豊後・筑後など北九州を支配した守護職・守護大名で、戦国時代には戦国大名に成長し、最盛期には豊後・筑後に加え豊前・肥前・肥後・筑前の6ヶ国と日向・伊予の各半国を領有したが、豊臣政権期に除封された。江戸時代には江戸幕府の旗本(高家)や大名家の家臣となって存続した。.

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大友持直

大友 持直(おおとも もちなお)は、室町時代中期の武将・守護大名。豊後国大友氏の12代当主。.

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大友政親

大友 政親(おおとも まさちか)は、室町時代から戦国時代にかけての武将・守護大名。豊後国大友氏の16代当主。15代当主・大友親繁の長男。.

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大内教幸

大内 教幸(おおうち のりゆき、生没年不詳)は、室町時代の武将。弟・教弘と同じく6代将軍・足利義教の偏諱を受けて教幸と名乗る。法名は道頓(どうとん)。応仁の乱の最中に主君政弘に対して反乱を起こした。.

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大神氏 (豊後国)

大神氏(おおがし)は、平安時代に豊後国に土着した武士の有力な氏族。大和国の大神氏(おおみわし)の傍流で豊後大神氏とも呼ばれる。 大野川及び大分川の流域の大野郡や直入郡を本拠地とし、豊後国の南部へ勢力を伸ばしたが、鎌倉幕府から大友氏が入国してきたことから、次第に衰退した。.

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室町幕府

花の御所(室町殿) 室町幕府(むろまちばくふ)は、足利尊氏が京都において軍事貴族(武家貴族)として創始した武家政権。その称は3代将軍足利義満が京都北小路室町(現在の今出川通と室町通が交わる付近)に造営した花の御所(室町殿)に由来する。足利幕府ともいう。足利氏が15代にわたって将軍職を継承したが、織田信長によって事実上の滅亡に追い込まれた。.

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室町時代

室町時代(むろまちじだい)は、日本の歴史において、室町幕府(足利将軍家)によって統治されていた時代である。「室町時代」の名称は、京都の室町に幕府が置かれていたことに由来する。.

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守護

守護(しゅご)は、日本の鎌倉幕府・室町幕府が置いた武家の職制で、国単位で設置された軍事指揮官・行政官である。令外官である追捕使が守護の原型であって、後白河法皇が源頼朝に守護・地頭の設置と任免権を認めたことによって、幕府の職制に組み込まれていった。将軍により任命され、設立当時の主な任務は、在国の地頭の監督であった。鎌倉時代はといい、室町時代にはといった。 制度としては室町幕府滅亡後、織豊政権成立により守護が置かれなくなり守護制度が自然消滅するまで続いた。.

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守護大名

守護大名(しゅごだいみょう)は、軍事・警察権能だけでなく、経済的権能をも獲得し、一国内に領域的・一円的な支配を強化していった室町時代の守護を表す日本史上の概念。守護大名による領国支配の体制を守護領国制という。15世紀後期 - 16世紀初頭ごろに一部は戦国大名となり、一部は没落していった。.

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寛正

寛正(かんしょう)は、日本の元号の一つ。長禄の後、文正の前。1461年から1466年までの期間を指す。この時代の天皇は後花園天皇、後土御門天皇。室町幕府将軍は足利義政。.

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寛政重修諸家譜

『寛政重修諸家譜』(かんせいちょうしゅうしょかふ)は、寛政年間(1789年 - 1801年)に江戸幕府が編修した大名や旗本の家譜集である。1,530巻。文化9年(1812年)10月に完成した。『寛政譜』と略称される。.

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九州千葉氏

九州千葉氏(きゅうしゅうちばし)は、桓武平氏の末裔の一族である千葉氏の支族の一つ。.

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伊予国

伊予国(いよのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。.

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応仁

応仁(おうにん)は、日本の元号の一つ。文正の後、文明の前。1467年から1468年までの期間を指す。この時代の天皇は後土御門天皇。室町幕府将軍は足利義政。.

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応仁の乱

応仁の乱(おうにんのらん)は、室町時代の応仁元年(1467年)に発生し、文明9年(1477年)までの約11年間にわたって継続した内乱。室町幕府管領家の畠山氏、斯波氏の家督争いから、細川勝元と山名宗全の勢力争いに発展し、室町幕府8代将軍足利義政の継嗣争いも加わって、ほぼ全国に争いが拡大した。明応2年(1493年)の明応の政変と並んで戦国時代移行の原因とされる。十数年に亘る戦乱は和睦の結果、西軍が解体され収束したが、主要な戦場となった京都全域が壊滅的な被害を受けて荒廃した。 応仁元年(1467年)に起きたことから応仁の乱と呼ばれるが、戦乱期間の大半は文明年間であったため応仁・文明の乱(おうにん・ぶんめいのらん)とも呼ばれる。.

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応永

応永(おうえい、旧字体:應永)は、日本の元号の1つ。明徳の後、正長の前。1394年から1427年までの期間を指す。この時代の天皇は後小松天皇、称光天皇。室町幕府将軍は足利義満、足利義持、足利義量。日本の元号の中では、昭和、明治に次いで3番目の長さ(35年)であり、一世一元の制導入以前では最長である。また、応永10年から22年までの約10年間は戦乱などが途絶え「応永の平和」と言われる。.

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問註所統景

問註所 統景(もんぢゅうじょ むねかげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。筑後国長岩城城主。問註所氏は筑後十五城の一角。.

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問註所氏

問註所氏(もんちゅうしょし/もんぢゅうじょし)は、筑後国生葉郡の国人領主で筑後十五城の一つ。大友氏被官で、その没落後は小早川氏、次いで柳河藩藩主立花氏に仕官。柳河藩士時代に成立した分家に町野氏がいる。.

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犬塚鎮家

塚 鎮家(いぬづか しげいえ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。少弐氏、龍造寺氏の家臣。肥前国神埼郡小松城主。「藤津両弾二島」の一人。 龍造寺氏配下の武勇優れた4人(大村弾正・犬塚弾正・百武志摩守・上瀧志摩守)を両弾二島と呼び賞賛した。.

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筑後国

筑後国(ちくごのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。7世紀末までに成立した。.

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田北紹鉄

北 紹鉄(たきた しょうてつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。大友氏の家臣。.

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田北鎮周

北 鎮周(たきた しげかね)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。大友氏の家臣。.

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田北鑑生

北 鑑生(たきた あきなり)は、戦国時代の武将。大友氏の家臣。田北親員の子。.

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諱(いみな)とは、人名の一要素に対する中国などの東アジアの漢字圏における呼称である。忌み名(いみな)とも。漢字圏以外でも同様の概念はあり、英語では (直訳すると「真の名」)がそれに当たる。.

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豊後国

豊後国(ぶんごのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.

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足利氏

足利氏(あしかがし)は、日本の武家のひとつの軍事貴族。本姓は源氏。家系は清和天皇清和源氏の一族の河内源氏の流れを汲み、鎌倉幕府においては御家人であると同時に将軍家一門たる御門葉の地位にあった。室町時代には嫡流が足利将軍家として天下人となった。藤原秀郷の子孫の藤原姓足利氏(藤姓足利氏)に対して源姓足利氏という場合がある。 通字は、「義」(よし、足利将軍家ほか)または「氏」(うじ、鎌倉時代の歴代当主および鎌倉公方・古河公方家など)。.

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黒木親実

黒木 親実(くろき ちかざね)は、室町時代から戦国時代にかけての武将。大友氏の家臣。 黒木氏は筑後国の大身で筑後十五城の一つ。 親実の代以前は肥後国の菊池氏に仕えていた。寛正6年(1465年)、父(一説には祖父)・黒木之実ら筑後や肥後の国人衆は筑後守護であった菊池氏に代わり、新たに筑後守護となった大友親繁に反発するも、大友方の来襲を受ける。菊池為邦は弟為安を救援に送るが菊池・筑後国人衆はあえなく敗北、之実も敗死した。祖父・為実は菊池能運の代まで存命で、 文亀元年(1501年)に能運の大叔父・宇土為光が反乱を起こした際に敗死したとされる(ただし、為実は応永14年(1407年)生誕なので、文亀元年(1501年)に死去したとすると当時にしても相当の長寿となってしまう。従って、続柄などについては疑問点も多い。)。 黒木氏の中では早くから大友氏の麾下に属し、当時の大友氏当主・親繁から偏諱を賜って繁実と名乗る。この間に起きた応仁の乱(1467年~)に際しても、大友氏に従って参戦している。次代政親にも仕え偏諱を受け親実に改名している(嫡男・康実も大友義右、義鑑から偏諱を賜っている。)。 祖父・為実が死去したとされる文亀元年(1501年)まで菊池氏の麾下であったことや、のちに曾孫黒木家永やその叔父・実連が大友義鎮(宗麟)に降伏したとする史実もあることから、一族全てが大友氏に属していたというわけではないようだが、家永らの降伏後は完全に大友氏に忠誠を誓うようになっている。以後のことは黒木家永の項を参照。 Category:戦国武将 Category:室町・安土桃山時代の武士 Category:筑後国の人物 Category:生没年不詳.

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蒲池繁久

蒲池 繁久(かまち しげひさ)は、室町時代の武将。蒲池氏12代・後蒲池3代当主。 蒲池氏は筑後国の大身。筑後の黒木氏や三池氏、肥後国の小代氏が連合して豊後国の大友氏に反旗を翻した時、繁久は五条氏、星野氏、草野氏、問註所氏と共に大友勢として出陣し、蒲池久憲以来の勲功を大友氏が評価するようになり、繁久は豊後・筑後守護の大友親繁から「繁」の字を、嫡男の親久は、親繁の子・政親から「親」の字をそれぞれ下賜された。 これ以降、大友氏歴代当主は蒲池氏の当主に対して偏諱を与えることを通例とするようになり、蒲池氏も大友氏幕下の筑後国領主として存続することになった。 しけひさ Category:室町時代の人物 Category:室町・安土桃山時代の武士 Category:筑後国の人物 Category:生没年不詳.

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李氏朝鮮

李氏朝鮮(りしちょうせん、朝鮮語ハングル表記:이씨조선)は、1392年から1910年にかけて朝鮮半島に存在した国家。朝鮮王朝、朝鮮封建王朝とも呼ばれる。朝鮮民族国家の最後の王朝で、現在までのところ朝鮮半島における最後の統一国家でもある。李朝(りちょう)ともいう(「李王朝」の意)。高麗の次の王朝にあたる。 1392年に高麗の武将李成桂太祖(女真族ともいわれる)が恭譲王を廃して、自ら高麗王に即位したことで成立した。李成桂は翌1393年に中国の明から権知朝鮮国事(朝鮮王代理、実質的な朝鮮王の意味)に封ぜられた。朝鮮という国号は李成桂が明の皇帝朱元璋から下賜されたものであり、明から正式に朝鮮国王として冊封を受けたのは太宗の治世の1401年であった。中国の王朝が明から清に変わった17世紀以降も、引き続き李氏朝鮮は中国王朝の冊封体制下にあった。東人派や西人派、老論派、南人派など党派対立が激しく、政権交代は対立する派閥の虚偽の謀反を王に通報で粛清という形が多く、多くの獄事が起こった。1894年の日清戦争後に日本と清国との間で結ばれた下関条約は李氏朝鮮に清王朝を中心とした冊封体制からの離脱と近代国家としての独立を形式的かつ実質的にもたらした。これにより李氏朝鮮は1897年に国号を大韓帝国(だいかんていこく)、君主の号を皇帝と改め、以後日本の影響下に置かれた。大韓帝国の国家主権は事実上、冊封体制下における清朝から日本へと影響を受ける主体が変化するものであった。1904年の第一次日韓協約で日本人顧問が政府に置かれ、翌1905年第二次日韓協約によって日本の保護国となり、1907年の第三次日韓協約によって内政権を移管した。こうした過程を経て1910年8月の「韓国併合ニ関スル条約」調印によって大韓帝国は日本に併合され、朝鮮民族の国家は消滅した。.

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武将

武将(ぶしょう)とは、軍勢を統率する将軍、特に武道に秀でた将のこと。 日本の戦国時代においては、武士や農民・町人から徴用された足軽たちを統率する戦国大名やその家臣を指すことがある(戦国武将)。なお、部隊を率いる将を部将と呼ぶ。 明治政府が当時の事象や日本の歴史について文献に基づきまとめた古事類苑に「武将」の文言は見られない。.

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江藤新平

江藤 新平(えとう しんぺい、天保5年2月9日(1834年3月18日) - 明治7年(1874年)4月13日)は、幕末の佐賀藩士、明治時代の政治家。幼名は恒太郎・又蔵。諱は胤雄、胤風とも、号は南白。朝臣としての正式な名のりは平胤雄(たいら の たねお)。「維新の十傑」「佐賀の七賢人」の一人に挙げられる。.

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河野通宣 (刑部大輔)

河野 通宣(こうの みちのぶ、生年不詳 - 永正16年(1519年))は、戦国時代の伊予国の戦国大名。伊予河野氏の当主。湯築城主。 分家である予州家との対立は継続しており、一時河野通篤(通春の子。左京大夫通宣の祖父、但し異説あり)に居城を追われたが、間もなく奪回している。 みちのふ Category:戦国大名 Category:伊予国の人物 Category:1519年没.

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河野教通

河野 教通(こうの のりみち/かわの のりみち)は、室町時代から戦国時代の武将、守護大名。伊予守護。河野通久の嫡男。 父・通久(初め持通)が足利将軍家(足利義持)から偏諱の授与を受けたのに倣い、室町幕府第6代将軍・足利義教(義持の弟)から「教」の1を受けて教通と名乗るが、嘉吉元年(1441年)の義教の死後は通直(みちなお)に改名した。 永享7年(1435年)、大友持直征伐のさなかに父通久が戦死したため、家督を継ぐ。永享11年(1439年)、将軍義教の命を受け永享の乱・大和永享の乱に出陣、嘉吉元年(1441年)に義教が赤松満祐に暗殺されると(嘉吉の乱)、満祐討伐のため播磨に遠征した。前述の通り、同年中には「通直」に改名している。しかし、文安3年(1449年)に守護職を又従兄弟で予州家の河野通春に交替させられ、幕府の命令を受けた小早川盛景・吉川経信らの援軍で盛り返した。教通を守護から解任した幕府が教通を再起を助けると言う矛盾した方針は、教通を支持する足利義政・畠山徳本と通春を支持する細川勝元の間で河野氏家督に対する意見対立があったとみられている。 勝元が管領に在任中の享徳2年(1453年)に守護職を再度通春に替えられるが、実は勝元が管領の職権を利用して御教書・奉書が偽造した上での任命であり、義政に叱責された勝元が辞意を表明するものの、最終的に慰留されて守護の交替が認められた。その後、享徳4年(1455年)には勝元に、長禄3年(1459年)に通春に戻され、教通は守護職奪還のため通春と争った。ところが、勝元と通春が対立して勝元が一族の細川賢氏(土佐守護代家庶流上野家出身)を伊予守護に任命すると、大内教弘・政弘父子が通春を支持して、細川・大内両軍が伊予に侵攻したため、どちらにも与し得ない教通は蚊帳の外に置かれる形になった。 応仁元年(1467年)の応仁の乱が発生すると、大内政弘と盟友であった通春は西軍の一員として上洛した。教通は当初は静観していたものの、西軍が通春を伊予守護に任じると、細川勝元の誘いに応じて東軍について通春に対抗している。文明5年(1473年)に勝元が亡くなった後の伊予守護に任命され、文明11年(1479年)には阿波守護・細川成之の次男・義春が伊予に攻め寄せてきたが、通春と和睦し国内の諸豪族と連携して撃退した。文明14年(1482年)に通春が没して子の通篤と争ったが、伊予の主導権を掌握して予州家を圧倒した。後に出家し道治、道基と改名した。 明応9年(1500年)に湯築城で没し、子の通宣が跡を継いだ。.

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清原氏

清原氏(きよはらうじ)は、「清原」を氏の名とする氏族。 舎人親王にはじまる皇別氏族であり、平安時代は中級貴族(地下家)であった。特に清原深養父、清少納言などが有名。中原氏・菅原氏(土師姓)などと同様、平安時代急速に台頭した氏である。.

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本庄氏

本庄氏(ほんじょうし)は、日本の氏族の一つ。.

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朽網親満

朽網 親満(くたみ ちかみつ)は、戦国時代の武将。大友氏の家臣。.

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戦国時代 (日本)

日本の戦国時代(せんごくじだい)は、日本の歴史(にほんのれきし)において、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下したことに伴って守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭した。領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めるとともに、領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった。こうした戦国大名による強固な領国支配体制を大名領国制という。.

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明応

明応(めいおう)は、日本の元号の一つ。延徳の後、文亀の前。1492年から1501年までの期間を指す。この時代の天皇は後土御門天皇、後柏原天皇。室町幕府将軍は足利義材、足利義澄。.

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斎藤鎮実

斎藤 鎮実(さいとう しげざね)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。大友氏の家臣。.

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文安

文安(ぶんあん、ぶんなん)は、日本の元号の一つ。嘉吉の後、宝徳の前。1444年から1449年までの期間を指す。この時代の天皇は後花園天皇。室町幕府将軍は空位。.

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文明 (日本)

文明(ぶんめい)は、日本の元号の一つ。応仁の後、長享の前。1469年から1486年までの期間を指す。この時代の天皇は後土御門天皇。室町幕府将軍は足利義政、足利義尚。.

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11月14日 (旧暦)

旧暦11月14日は旧暦11月の14日目である。六曜は赤口である。.

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12月22日

12月22日(じゅうにがつにじゅうににち)はグレゴリオ暦で年始から356日目(閏年では357日目)にあたり、年末まであと9日ある.

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1411年

記載なし。

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1444年

記載なし。

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1460年

記載なし。

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1467年

記載なし。

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1476年

記載なし。

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1482年

記載なし。

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1493年

記載なし。

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