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大友親時

索引 大友親時

大友 親時(おおとも ちかとき)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武将・御家人。大友氏の4代当主。 元寇の際は一族と共に出陣し、活躍したと思われる。隠居した父から家督を譲られたが、父に先立って永仁3年(1295年)に死去し、後を弟(または子)の貞親が継いだ。 他の子、秀直や師親はそれぞれ入田氏や野津氏を興し、娘は島津貞久に嫁ぎ、師久、氏久を生んでいる。 Category:鎌倉幕府御家人 ちかとき Category:1236年生 Category:1295年没.

21 関係: 大友頼泰大友貞宗大友貞親大友氏島津師久島津貞久島津氏久御家人北条宗頼嘉禎元寇因幡国鎌倉幕府鎌倉時代武将永仁1236年1295年5月22日 (旧暦)7月5日

大友頼泰

大友 頼泰(おおとも よりやす安田、1990年、P.104 「大友頼泰」の項(執筆:外山幹夫)より。)は鎌倉時代中期の武将・御家人。大友氏3代当主。.

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大友貞宗

大友 貞宗(おおとも さだむね)は、鎌倉時代末期の武将。大友氏の6代当主。「貞」の字は鎌倉幕府の執権・北条貞時から賜ったものと思われる。.

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大友貞親

大友 貞親(おおとも さだちか)は、鎌倉時代中期から後期にかけての武士・御家人。大友氏の5代当主。「貞」の字は幕府の執権・北条貞時から賜ったものと思われる。 永仁3年(1295年)、兄(または父)である親時が死去したため、父(または祖父)の命を受けて後を継いだ。嘉元3年(1305年)、得宗の北条貞時の命を受けて翌4年(1306年)、豊後国に万寿寺を建立している。 応長元年(1311年)に66歳で死去し、家督は弟の貞宗が継いだ。法号は正温。 Category:鎌倉幕府御家人 さたちか Category:1246年生 Category:1311年没.

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大友氏

大友氏(おおともし)は、鎌倉時代から戦国時代にかけて、九州の豊後国(現大分県)を本拠とした一族。豊後・筑後など北九州を支配した守護職・守護大名で、戦国時代には戦国大名に成長し、最盛期には豊後・筑後に加え豊前・肥前・肥後・筑前の6ヶ国と日向・伊予の各半国を領有したが、豊臣政権期に除封された。江戸時代には江戸幕府の旗本(高家)や大名家の家臣となって存続した。.

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守(守り).

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島津師久

島津 師久(しまづ もろひさ)は、南北朝時代の武将。島津氏6代当主(総州家初代当主)。.

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島津貞久

島津 貞久(しまづ さだひさ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。島津氏第5代当主。薩摩・大隅・日向の守護大名。島津忠宗の嫡男。領国の在地化を進め、島津氏の守護大名としての基礎を作った。.

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島津氏久

島津 氏久(しまづ うじひさ)は、南北朝時代の武将、守護大名である。島津氏6代当主(奥州家初代当主)、大隅・日向・筑後守護。5代当主島津貞久の4男。母は大友親時の娘。川上頼久、宗久、師久の弟。元久、久豊の父。.

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御家人

御家人(ごけにん)は、武家の棟梁(将軍)の家人の身分を指す語であるが、中世と近世では意味合いが異なる。.

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北条宗頼

北条 宗頼(ほうじょう むねより)は、鎌倉時代中期の武将。北条氏得宗家の一門。父は鎌倉幕府5代執権北条時頼。8代執権北条時宗の異母弟にあたる。.

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嘉禎

嘉禎(かてい)は、日本の元号の一つ。文暦の後、暦仁の前。1235年から1237年までの期間を指す。この時代の天皇は四条天皇。鎌倉幕府将軍は藤原頼経、執権は北条泰時。.

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元寇

元寇(げんこう)とは、日本の鎌倉時代中期に、当時中国大陸を支配していたモンゴル帝国(大元ウルス)およびその属国である高麗王国によって2度にわたり行われた対日本侵攻の呼称である。1度目を文永の役(ぶんえいのえき・1274年)、2度目を弘安の役(こうあんのえき・1281年)という。蒙古襲来とも。 特に2度目の弘安の役において日本へ派遣された艦隊は、元寇以前では世界史上最大規模の艦隊であった村井章介『北条時宗と蒙古襲来-時代・世界・個人を読む』日本放送出版協会 2001年 126頁。 主に九州北部が戦場となった。.

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因幡国

因幡国(いなばのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陰道に属する。.

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鎌倉幕府

鎌倉幕府(かまくらばくふ)は、日本の武家政権。同幕府の約150年間を鎌倉時代と呼び、源頼朝を創設者とし、北条時政・北条義時らを中心とした坂東武士が鎌倉に設立した幕府である。頼朝の死後、御家人の権力闘争によって頼朝の嫡流は断絶し、その後は義時の嫡流である得宗家が同幕府の支配者となった。武家政権は室町幕府・江戸幕府へと継承された。.

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鎌倉時代

伝・源頼朝肖像 鎌倉・高徳院の大仏 鎌倉時代(かまくらじだい、1185年頃 - 1333年)は、日本史で幕府が鎌倉に置かれていた時代を指す日本の歴史の時代区分の一つである。朝廷と並んで全国統治の中心となった鎌倉幕府が相模国鎌倉に所在したのでこう言う。本格的な武家政権による統治が開始した時代である。 始期については従来の1192年の征夷大将軍就任説をはじめ諸説あるが、東国支配権の承認を得た1183年説と守護・地頭設置権を認められた1185年説が有力になっている。(詳細は鎌倉幕府#概要を参照).

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武将

武将(ぶしょう)とは、軍勢を統率する将軍、特に武道に秀でた将のこと。 日本の戦国時代においては、武士や農民・町人から徴用された足軽たちを統率する戦国大名やその家臣を指すことがある(戦国武将)。なお、部隊を率いる将を部将と呼ぶ。 明治政府が当時の事象や日本の歴史について文献に基づきまとめた古事類苑に「武将」の文言は見られない。.

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永仁

永仁(えいにん)は、日本の元号の一つ。正応の後、正安の前。1293年から1298年までの期間を指す。この時代の天皇は伏見天皇、後伏見天皇。鎌倉幕府将軍は久明親王、執権は北条貞時。.

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1236年

記載なし。

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1295年

記載なし。

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5月22日 (旧暦)

旧暦5月22日は旧暦5月の22日目である。六曜は友引である。.

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7月5日

7月5日(しちがついつか)は、グレゴリオ暦で年始から186日目(閏年では187日目)にあたり、年末まであと179日ある。誕生花はアンスリウム、ロベリア。.

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