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大典顕常

索引 大典顕常

大典顕常筆 大典顕常(だいてん けんじょう、享保4年(1719年) - 享和元年2月8日(1801年3月22日))は江戸時代中期の禅僧、漢詩人である。近江国の生まれで相国寺に住し、日本初の茶経への注釈書である茶経詳説を相国寺のもとで著す。 大典と売茶翁との交遊は有名。宝暦13年(1763年)に刊行された売茶翁の詩偈集である売茶翁偈語(ばいさおうげご)の巻頭に『売茶翁伝』を著している。また伊藤若冲の支援者としても知られる。書で漢詩をよくし京都禅林中最高の詩僧と称され生涯に70冊以上の書を著した。禅の高僧でもあり相国寺第113世となっている。 顯常は諱である。大典は号で大典禅師と呼ばれる。宗派内は梅荘と号し、世間面では蕉中と号した。その他に近江出身であることから淡海、居処の名に因んで小雲棲、北禅書院、ほかに、東湖山人、不生主人、太真などの時代風情に富んだ号の書も残っている。竺常(じくじょう)と名乗るがこれは「釈(顕)常」のことであり、諱が二つあるわけではない。俗姓は今堀、通称 太一郎。.

63 関係: 南禅寺古文辞学号 (称号)売茶翁大潮元皓天明の大火嫡出宝暦宇野明霞対馬享年享保享和五山碩学仏教以酊庵伊藤若冲和歌儒教神崎郡 (滋賀県)経典煎茶道片山北海相国寺華蔵院菅茶山萬福寺高芙蓉黄檗宗近江国葛子琴臨済宗里親通称東近江市松平定信江戸江戸幕府江戸時代池大雅混沌詩社滋賀県漢詩朝鮮朝鮮修文職朝鮮通信使...木村蒹葭堂本姓文人日本慈周1719年1763年1785年1788年1801年2月8日 (旧暦)3月22日 インデックスを展開 (13 もっと) »

南禅寺

南禅寺 (なんぜんじ)は、京都市左京区南禅寺福地町にある、臨済宗南禅寺派大本山の寺院である。山号は瑞龍山、寺号は詳しくは太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)である。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は亀山法皇、開山(初代住職)は無関普門(大明国師)。日本最初の勅願禅寺であり、京都五山および鎌倉五山の上におかれる別格扱いの寺院で、日本の全ての禅寺のなかで最も高い格式をもつ。.

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古文辞学

古文辞学(こぶんじがく)とは、江戸時代に興った荻生徂徠に始まる儒教古学の一派。蘐園学派(けんえんがくは)または徂徠学とも。江戸時代中後期に盛んとなった。学問的には朱子学を批判し、伊藤仁斎の古義学に対抗した。 古文辞とは、明朝で提唱された復古的な文学運動。模範とする古典を文は秦漢期、詩は唐に求めた。.

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号 (称号)

号(ごう)とは、称号の略。本名とは別に使用する名称。.

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売茶翁

売茶翁(ばいさおう、まいさおう、延宝3年5月16日(1675年7月8日) - 宝暦13年7月16日(1763年8月24日))は、江戸時代の黄檗宗の僧。煎茶の中興の祖。本名は柴山元昭、幼名は菊泉。法名は月海で、還俗後は高遊外(こうゆうがい)とも称した。.

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大潮元皓

大潮元皓(だいちょう げんこう、延宝4年1月6日(1676年2月19日) - 明和5年8月22日(1768年10月2日))は江戸時代中期の禅僧、漢詩人。字は月枝、大潮または魯寮と号す。俗姓は諫早氏。.

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天明の大火

天明の大火(てんめいの たいか)とは、天明8年1月30日(1788年3月7日)に京都で発生した火災。出火場所の名をとって団栗焼け(どんぐりやけ)、また干支から申年の大火(さるどしの たいか)とも呼ばれた。単に京都大火(きょうとたいか)あるいは都焼け(みやこやけ)というと、通常はこの天明の大火のことを指す。 京都で発生した史上最大規模の火災で、御所・二条城・京都所司代などの要所を軒並み焼失したほか、当時の京都市街の8割以上が灰燼に帰した。被害は京都を焼け野原にした応仁の乱の戦火による焼亡をさらに上回るものとなり、その後の京都の経済にも深刻な打撃を与えた。江戸時代の京都はこの前後にも宝永の大火と元治のどんどん焼けで市街の多くを焼失しており、これらを「京都の三大大火」と呼ぶこともある。.

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嫡出

嫡出(ちゃくしゅつ)とは、婚姻関係にある男女(夫婦)から生まれること。対義語は「庶出」である。 実子の嫡出子には、出生と同時に嫡出の身分を取得する「生来嫡出子」のほか、準正によって嫡出子となる「準正嫡出子」がある(準正嫡出子を参照)。なお、法定親子関係である養子は法律上の血縁関係が擬制され縁組の日から嫡出子の身分を取得する(民法第809条。養親子関係については養子を参照)。 「嫡出」という語は「正統」という意味を持ち、「庶出」という語は「異端」という意味を持っている。子は生まれの正統や異端を選べないのに、子を「庶出」「異端」呼ばわりして蔑むのは誤った行為だという批判もあり、近年では「嫡出子」を「婚内子」、「非嫡出子」を「婚外子」と称する場合もある。 日本の法制においては婚姻の有無とは関係なく血族関係は発生するが、ただし、後に述べられるように非嫡出子において父子関係が発生するためには認知を要する(779条、784条)。.

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宝暦

宝暦(ほうれき、ほうりゃく、旧字体: 寶曆)は日本の元号の一つ。寛延の後、明和の前。1751年から1764年までの期間を指す。この時代の天皇は桃園天皇、後桜町天皇。江戸幕府将軍は徳川家重、徳川家治。.

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宇野明霞

宇野 明霞(うの めいか、元禄11年5月20日(1698年6月27日) - 延享2年 4月14日(1745年5月15日))は江戸時代中期の日本の儒学者(折衷学派)である。名を鼎、字を士新、通称 三平。宇士新と中国風に名乗った。弟の士朗とともに平安二宇先生と称された。.

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対馬

対馬(つしま)は、日本の九州の北方の玄界灘にある、長崎県に属する島である。面積は日本第10位である国立天文台編『平成19年 理科年表』p.565 ISBN 4621077635。島内人口は3万1105人である(2018年4月現在)。.

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享年

享年(きょうねん)とは人が「天から享(う)けた年数」という意味であり、この世に存在した年数である。「行年(ぎょうねん)」ともいい「娑婆で修行した年数」、「行(時が進むの意味)『漢字源』学研、「行」の項を参照。の年数」の意味。「享年70(満68歳)」(数え年の場合)のように用いる。享年を数え年ではなく満年齢で表し「享年68(歳)」と表すこともある。.

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享保

享保(きょうほう、きょうほ)は日本の元号の一つ。正徳の後、元文の前。1716年から1736年までの期間を指す。この時代の天皇は中御門天皇、桜町天皇。江戸幕府将軍は徳川吉宗。.

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享和

享和(きょうわ)は日本の元号の一つ。寛政の後、文化の前。1801年から1804年までの期間を指す。この時代の天皇は光格天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉。.

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五山碩学

五山碩学(ござんせきがく)は、江戸時代に京都五山のうち、天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺の学問に優れた僧の中から選ばれて手当を受けた者。 五山碩学に与えられた手当を碩学料または学禄と呼び、その財源として一般の所領と区別された寺領を碩学領と呼ぶ。.

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仏教

仏教寺院 仏教(ぶっきょう、旧字体:佛敎、サンスクリット:बौद्धधर्मः 、Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、もしくはガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)を開祖とする宗教である。キリスト教・イスラム教と並んで、日本では出版点数の多い宗教の一つに数えられる。仏陀(仏、目覚めた人)の説いた教えである。 その教義は、苦しみの輪廻から解脱することを目指している。原因と結果の理解に基づいており、諸々の現象が縁起するとされる。 仏教は仏、その教えである法、その実践者である僧からなる三宝を中心に組織されている。実践における戒定慧の三学は、戒律、心を集中する禅定、ものごとの縁起を観察する智慧であり、後ろ二つは併せて止観とも呼ばれる仏教の瞑想法である。実践にて重要となる能力は六波羅蜜や八正道のように、いくつかの方法でまとめらている。 紀元前450年ごろに、インドで開始された仏教は、今では初期仏教として研究されている。釈迦は、他の苦行などの実践者の主張であるアートマン(真我)の存在を否定して無我とした。釈迦の死後数百年で部派仏教が生まれ、大きく大衆部と上座部とに、さらに細かく分かれたが、今なお大きな勢力として続いているのは南伝した上座部仏教であり、初期の教えを模範としている。紀元前の終わりごろには北伝し日本にも伝わることになる大乗仏教が開始され、教義や団体は多彩に発展しており、禅の瞑想法の様々、チベットや日本の真言宗に残る密教、一方で浄土信仰のような信仰形態の変化など多様である。『日本書紀』によれば仏教が伝来したのは飛鳥時代552年(欽明天皇13年)である(日本の仏教)。.

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以酊庵

以酊庵(いていあん)は、かつて長崎県対馬市に存在した日本の寺院である。山号は瞎驢山(かつろざん)。.

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伊藤若冲

プライス・コレクションの「紫陽花双鶏図」英語表題:"Rooster and Hen with Hydrangeas". 伊藤 若冲(いとう じゃくちゅう、正徳6年2月8日(1716年3月1日) - 寛政12年9月10日(1800年10月27日))は、近世日本の画家の一人。江戸時代中期の京にて活躍した絵師。名は汝鈞(じょきん)、字は景和(けいわ)。初めは春教(しゅんきょう)と号したという記事があるが、その使用例は見出されていない。斗米庵(とべいあん)、米斗翁(べいとおう)、心遠館(しんえんかん)、錦街居士とも号す。 写実と想像を巧みに融合させた「奇想の画家」として曾我蕭白、長沢芦雪と並び称せられる。.

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僧(そう、संघ Saṃgha)はサンガを音写した「僧伽」の略で仏教の戒律を守る、男性の出家修行者である「比丘(びく)」と女性の出家修行者である「比丘尼(びくに)」の集団のこと。仏教の三宝の一つ。在家信者を含めた教団を僧(サンガ)とは呼ばず、出家者が四人以上集まったとき僧となる。男性の出家修行者の集団を比丘僧といい、女性の場合は比丘尼僧という。衆あるいは和合衆と訳される。.

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和歌

和歌(わか)とは、短歌型式の古典詩。古典短歌。広義には『万葉集』に所収される歌体の総称。 「和歌」の訓は「やまとうた」である。「和」の代わりに「倭」の字が、「歌」の代わりに「謌」、「哥」の字が宛てられたこともある。なお、歌謡と混同されるおそれがない文脈においては「歌」「うた」と表記され、呼ばれることもある。 長連歌、俳諧、狂歌、川柳風狂句は定型の古典詩であるが、和歌には含まれない。また、明治の和歌革新家とその後継者の短歌作品、すなわち近現代短歌は「短歌」と称され、「和歌」とは称されない。近現代短歌はこの項では取り上げない。.

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儒教

儒教の始祖、孔子 董仲舒 儒教(じゅきょう)は、孔子を始祖とする思考・信仰の体系である。紀元前の中国に興り、東アジア各国で2000年以上にわたって強い影響力を持つ。その学問的側面から儒学、思想的側面からは名教・礼教ともいう。大成者の孔子から、孔教・孔子教とも呼ぶ。中国では、哲学・思想としては儒家思想という。.

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神崎郡 (滋賀県)

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禅(ぜん)は、大乗仏教の一派である禅宗(ぜんしゅう)の略、もしくは、サンスクリット語の dhyāna (ディヤーナ)の音写、禅那(ぜんな)の略である『広辞苑』「禅」。また坐禅(座禅)の略としての意もある。本項では宗派についての禅宗について述べる。.

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経典

経典(きょうてん、きょうでん、sūtra, スートラ、sutta, スッタ、経)とは、仏教において釈迦が説いた教えを記録した聖典のこと。.

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煎茶道

茶道(せんちゃどう)は、広義には茶道の一種。ただし、一般的には茶道は抹茶を用いる抹茶道を指すことから、急須等を用いて煎茶や玉露などの茶葉に湯を注いで飲む形式を採る煎茶道は、茶道とは別のものとして捉えられている。.

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片山北海

片山 北海(かたやま ほっかい、享保8年1月10日(1723年2月14日) - 寛政2年9月12日(1790年10月19日))は、江戸時代中期の日本の儒者、漢詩人である。京都の江村北海、江戸の入江北海とともに三都の三北海と称された。 名を猷、字は孝秩、通称を忠蔵、号は北海の他に堂号でもある孤松館がある。大坂で混沌詩社などを興して、頼春水、尾藤二洲、古賀精里、木村蒹葭堂など多くの優れた門弟を輩出した。.

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相国寺

法堂(側面) 相国寺(しょうこくじ)は、日本の禅寺。京都市上京区にある臨済宗相国寺派大本山の寺である。山号を萬年山(万年山)と称し、正式名称を萬年山相國承天禅寺(万年山相国承天禅寺、まんねんざん しょうこくじょうてんぜんじ)という。 本尊は釈迦如来、開基(創立者)は足利義満、開山(初代住職)は夢窓疎石である。 足利将軍家や伏見宮家および桂宮家ゆかりの禅寺であり、京都五山の第2位に列せられている。相国寺は五山文学の中心地であり、画僧の周文や雪舟は相国寺の出身である。また、京都の観光名所として著名な鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)は、相国寺の山外塔頭(さんがいたっちゅう)である。.

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華蔵院

華蔵院、正字: 華藏院, 蕐藏院(けそういん).

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菅茶山

菅 茶山(かん ちゃざん(さざん)、延享5年2月2日(1748年2月29日)- 文政10年8月13日(1827年10月3日))は、江戸時代後期の儒学者・漢詩人。諱は晋帥(ときのり)。字は礼卿。通称は太仲・太中。幼名は喜太郎、百助。備後国安那郡川北村(現広島県福山市神辺町)の出身。.

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萬福寺

萬福寺(まんぷくじ)は、京都府宇治市にある黄檗宗大本山の寺院。山号は黄檗山、開山は隠元隆琦、本尊は釈迦如来である。日本の近世以前の仏教各派の中では最も遅れて開宗した、黄檗宗の中心寺院で、中国・明出身の僧隠元を開山に請じて建てられた。建物や仏像の様式、儀式作法から精進料理に至るまで中国風で、日本の一般的な仏教寺院とは異なった景観を有する。 「万福寺」と表記されることもあるが、宗教法人としての名称は「萬福寺」であるため、本項でも「萬福寺」と表記する。.

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諱(いみな)とは、人名の一要素に対する中国などの東アジアの漢字圏における呼称である。忌み名(いみな)とも。漢字圏以外でも同様の概念はあり、英語では (直訳すると「真の名」)がそれに当たる。.

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高芙蓉

芙蓉(こう ふよう、享保7年3月15日(1722年4月30日) - 天明4年4月26日(1784年6月13日))は、江戸時代中期の儒学者、篆刻家、画家である。日本における印章制度を確立して印聖と讚えられる。 苗字の高は出身地の甲斐国「高梨郡」(後述)に因んで自ら名乗ったもので、本来は大嶋である。名は孟彪(もうひゅう)、字を孺皮(じゅひ)、号は芙蓉、その他に三嶽道者、中嶽画史、氷壑山人、富岻山房など。室名は菡萏居(かんたんきょ)。本姓が源であることから、源孟彪と称することもあった。通称を大嶋逸記(いつき)、近藤斎宮(いつき)と称した。.

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黄檗宗

檗宗(おうばくしゅう)は、日本の三禅宗のうち、江戸時代に始まった一宗派。江戸時代初期に来日した隠元隆琦(1592 - 1673年)を開祖とする。本山は、隠元の開いた京都府宇治市の黄檗山(おうばくさん)萬福寺。.

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近江国

近江国(おうみのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。.

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葛子琴

葛 子琴(かつ しきん、男性、元文4年(1739年) – 天明4年5月7日(1784年6月24日))は、江戸時代中期の日本の漢詩人・篆刻家である。天賦の才を持った詩人と評され、一方篆刻では高芙蓉の高弟として活躍。 苗字は橋本氏、通称が貞元だったので橋本貞元と称された。名ははじめ湛また耽と称しのちに張、子琴は字、号は螙庵(とあん)、室号を御風楼・小園叟とした。本姓が葛城氏であったので中国風に修して葛子琴と名乗った。浪華の人。.

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臨済宗

臨済宗(臨濟宗、りんざいしゅう)は、中国の禅宗五家(臨済、潙仰、曹洞、雲門、法眼)の1つで、日本仏教においては禅宗(臨済宗・曹洞宗・日本達磨宗・黄檗宗・普化宗)の1つ。鎌倉仏教のひとつである。 中国禅宗の祖とされる達磨(5C後半 - 6C前半)から数えて6代目(六祖と呼ばれる)の南宗禅の祖・曹渓宝林寺の慧能(638年 - 713年)の弟子の1人である南嶽懐譲(677年 - 744年)から、馬祖道一(709 - 788年、洪州宗)、百丈懐海(749 - 814年)、黄檗希運(? - 850年)と続く法系を嗣いだ唐の臨済義玄(? - 867年)によって創宗された。彼は『喝の臨済』『臨済将軍』の異名で知られ、豪放な家風を特徴として中国禅興隆の頂点を極めた。 宋代の大慧宗杲(1089 - 1163年)と曹洞宗の宏智正覚(1091 - 1157年)の論争以来、曹洞宗の「黙照禅」に対して、公案に参究することにより見性しようとする「看話禅」(かんなぜん)がその特徴として認識されるようになる。 日本には栄西(1141 - 1215年)以降、中国から各時代に何人もの僧によって持ち込まれ、様々な流派が成立した。黄檗宗も元来、中国臨済宗の一派である。歴史的に鎌倉幕府・室町幕府と結び付きが強かったのも特徴の1つで、京都五山・鎌倉五山のどちらも全て臨済宗の寺院で占められている他、室町文化の形成にも多大な影響を与えた。江戸時代の白隠慧鶴(1686 - 1769年)が中興の祖として知られる。.

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里親

里親(さとおや)とは、児童福祉法に基づき通常の親権を有さずに児童を養育する者のこと。 厚生労働省「新しい社会的養育ビジョン」において、今後「里親」の名称を変更することとなっている。 通俗的な用法としては、飼い主のいないペットを引き取る者、環境保護目的で森林を買い取る者、ぬいぐるみ等の物品を買い取る者も「里親」と呼ばれることがある。(詳細は各個別のページを参照).

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通称

通称(つうしょう)は、正式な名称ではないが、特定の人や物、事象に対する呼び名として世間一般において通用している語のことである。俗称(ぞくしょう)ともいう。.

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東近江市

延命公園から望む東近江市街 東近江市(ひがしおうみし)は、滋賀県の東部にある市である。愛知川に沿って鈴鹿山脈から琵琶湖岸まで東西に長い市域を持つ。市名は旧国名に由来。.

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松平定信

松平 定信(まつだいら さだのぶ)は、江戸時代中期の大名、老中。陸奥白河藩第3代藩主。定綱系久松松平家第9代当主。江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗の孫に当たる。1787年から1793年まで寛政の改革を行った。.

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江戸

江戸図屏風に見る、初期の江戸 弘化年間(1844年-1848年)改訂江戸図 江戸(えど) は、東京の旧称であり、1603年から1867年まで江戸幕府が置かれていた都市である。 現在の東京都区部に位置し、その前身及び原型に当たる。.

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江戸幕府

江戸城天守 江戸幕府(えどばくふ)は、1603年に征夷大将軍に任官した徳川家康が創設した武家政権である。終末期は、一般的には大政奉還が行われた1867年までとされる(他に諸説あり、後述)。江戸(現・東京都)に本拠を置いたのでこう呼ばれる。徳川幕府(とくがわばくふ)ともいう。安土桃山時代とともに後期封建社会にあたる。.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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池大雅

福原五岳筆 池大雅像 楼閣山水図 左隻 十便十宜図のうち、釣便図 Fishing in Springtime クリーブランド美術館 池 大雅(いけの たいが、 享保8年5月4日(1723年6月6日) - 安永5年4月13日(1776年5月30日))は、日本の江戸時代の文人画家、書家。幼名は又次郎(またじろう)など。諱は勤(きん)、無名(ありな)、字は公敏(こうびん)、貨成(かせい)。日常生活には池野 秋平(いけの しゅうへい)の通称を名乗った。雅号は数多く名乗り、大雅堂(たいがどう)、待賈堂(たいかどう)、三岳道者(さんがくどうしゃ)、霞樵(かしょう)などが知られている。 妻の玉瀾(ぎょくらん)も画家として知られる。弟子に木村兼葭堂などがいる。与謝蕪村とともに、日本の文人画(南画)の大成者とされる。.

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混沌詩社

混沌詩社(こんとんししゃ)は江戸時代中期、片山北海を盟主に大坂にて結成された漢詩サロン。.

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清(しん)は、清朝、大清、清国、大清帝国、清王朝ともいい、1616年に満洲において建国され、1644年から1912年まで中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝である。首都は盛京(瀋陽)、後に北京に置かれた。満洲族の愛新覚羅氏(アイシンギョロ氏)が建てた征服王朝で、満洲語で(ラテン文字転写:daicing gurun、カタカナ転写:ダイチン・グルン、漢語訳:大清国)といい、中国語では大清(、カタカナ転写:ダァチン)と号した。.

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滋賀県

こちら) 滋賀県(しがけん)は、琵琶湖を擁する日本国・近畿地方北東部の内陸県である。県庁所在地は大津市。.

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漢詩

漢詩(かんし)とは、中国の伝統的な詩。韻文における文体の一つ。狭義には後漢時代に確立した中国の国家芸術としての詩のこと。中華文明の伝来に伴い、8世紀から日本でも詠まれた。.

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朝鮮

統一旗 朝鮮(ちょうせん、チョソン、조선)は、朝鮮半島および済州島、巨文島、鬱陵島など周囲の島嶼・海域を併せた地域を表す呼称。ユーラシア大陸の東端に位置し、北西に中華人民共和国、北東にロシア、南東に対馬海峡西水道(朝鮮海峡)を隔てて日本と隣接する。 この地の全域を、大韓民国(韓国)も朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)も共に自国の領土に定めており、両国の領土は完全に一致重複している。しかし現実は朝鮮戦争以降、軍事境界線(38度線)を境に北半部は北朝鮮が、南半部は韓国が実効支配している。.

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朝鮮修文職

朝鮮修文職(ちょうせんしゅうぶんしょく)とは、江戸幕府の命によって対馬国(対馬藩)の以酊庵に派遣された禅僧の事で、李氏朝鮮との間でやりとりされる外交文書の解読・作成や使節への応対、貿易の監視などを行った。対州書役・朝鮮書契御用とも呼ばれ、対馬では書簡役・書役之僧とも呼ばれていた。.

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朝鮮通信使

孝宗6年 朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)とは、室町時代から江戸時代にかけて李氏朝鮮から日本へ派遣された外交使節団である。正式名称を朝鮮聘礼使と言う。 2017年10月、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)が主催する事業「世界の記憶」(せかいのきおく、英: Memory of the World: MOW)遺産に登録された。.

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木村蒹葭堂

『山水図』 紙本淡彩 木村 蒹葭堂(きむら けんかどう、元文元年11月28日(1736年12月29日) - 享和2年1月25日(1802年2月27日))は、江戸時代中期の日本の文人、文人画家、本草学者、蔵書家、コレクター。大坂北堀江瓶橋北詰の造り酒屋と仕舞多屋(しもたや、家賃と酒株の貸付)を兼ねる商家の長子として生まれる。名は孔恭(孔龔)、幼名は太吉郎(多吉郎)、字を世肅、号は蒹葭堂の他に、巽斎(遜斎)、通称 坪井屋(壺井屋)吉右衛門。 蒹葭とは葦のことであり、「蒹葭堂」とはもともとは彼の書斎のことである。庭に井戸を掘ったときに葦が出て来たことを愛でてそのように名付けたもので、後にこの書斎の名をもって彼を呼ぶようになった。.

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代的な本 本(部分) 本(ほん)は、書籍(しょせき)または書物(しょもつ)とも呼ばれ、木、竹、絹布、紙等の軟質な素材に、文字、記号、図画等を筆写、印刷し、糸、糊等で装丁・製本したもの(銭存訓(1990)p.208)。狭義では、複数枚の紙が一方の端を綴じられた状態になっているもの。この状態で紙の片面をページという。本を読む場合はページをめくる事によって次々と情報を得る事が出来る。つまり、狭義の本には巻物は含まれない。端から順を追ってしかみられない巻物を伸ばして蛇腹に折り、任意のページを開ける体裁としたものを折り本といい、折本の背面(文字の書かれていない側)で綴じたものが狭義の「本」といえる。本文が縦書きなら右綴じ、本文が横書きなら左綴じにする。また、1964年のユネスコ総会で採択された国際的基準は、「本とは、表紙はページ数に入れず、本文が少なくとも49ページ以上から成る、印刷された非定期刊行物」と、定義している。5ページ以上49ページ未満は小冊子として分類している。 内容(コンテンツ)的にはほぼ従来の書籍のようなものでも、紙などに文字を書いたり印刷するのではなく、電磁的または光学的に記録・再生されるものやネットワークで流通させるものは、電子書籍という。.

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本姓

本姓(ほんせい)は、日本において、古代以来の氏族名。氏を参照。名字(苗字)や家名とは異なる「本来の姓」という意味である。単純に姓(せい)とも言うが、「姓(かばね)」のことではない。.

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文人

文人(ぶんじん)とは、中国の伝統社会に生じたひとつの人間類型であり、「学問を修め文章をよくする人」の意である。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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慈周

慈周(じしゅう、享保19年(1734年)- 享和元年3月16日(1801年4月28日))は、江戸時代中期の天台宗の僧侶、多くの漢詩を残している。父は医者・苗村介洞。字は六如。号は白楼・無着庵。近江国の出身。.

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1719年

記載なし。

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1763年

記載なし。

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1785年

記載なし。

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1788年

記載なし。

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1801年

19世紀最初の年である。.

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2月8日 (旧暦)

旧暦2月8日(きゅうれきにがつようか)は、旧暦2月の8日目である。六曜は先負である。.

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3月22日

3月22日(さんがつにじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から81日目(閏年では82日目)にあたり、年末まであと284日ある。.

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