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壬生浪士

索引 壬生浪士

壬生浪士(みぶろうし)あるいは精忠浪士(せいちゅうろうし)は、新選組の前身集団。 文久3年(1863年)清河八郎が京へ率いた浪士組を壬生にある、新徳寺に代表を集め、尊皇攘夷を目的とする反幕勢力に変化させようとの策略を演説した。 これに同意した者は新徴組として江戸へ帰る事となる。これに同意しなかった近藤勇や芹沢鴨らはその場に残り、新選組を結成するに至る。構成内容は以下参照。新選組となる以前の壬生浪士たちは身なりの貧しさから、「みぼろ」(壬生浪=みぶろ・みぶろう)と一部の京の人たちに揶揄されていた。また、女性隊士がいたという説もある。.

106 関係: 原田左之助大松系斎大正天狗党の乱奥沢栄助家里次郎家木将監宿院良蔵安藤早太郎尊王攘夷尾崎弥兵衛尾形俊太郎尾関雅次郎山南敬助山崎丞山田春隆山野八十八島田魁川島勝司 (新撰組)上野戦争中村金吾三浦堅太郎平山五郎平間重助井上源三郎亀井造酒之助伊勢神宮会津戦争佐伯又三郎佐々木蔵之助佐々木愛次郎御陵衛士土方対馬土方歳三八月十八日の政変元治四条大橋神代仁之助箱館戦争粕谷新五郎細川内匠田中伊織田所弘人芹沢鴨蟻通七五三之進蟻通勘吾遠藤丈庵荒木田左馬之助馬詰柳太郎馬越三郎...谷三十郎鳥羽・伏見の戦い近藤勇鈴木長蔵 (武士)阿部十郎阿比類鋭三郎藤堂平助野口健司長州藩酒井兵庫柳田三二郎林信太郎 (新選組)松原忠司松崎静馬杉山腰司根岸友山楠小十郎武田観柳斎殿内義雄永倉新八江戸池田屋事件河合耆三郎油小路通沖田総司消化性潰瘍清水吾一清河八郎濱口鬼一明治浪士組斎藤一新徳寺 (京都市)新徴組新選組新見錦文久慶応1863年1864年1865年1866年1867年1868年1869年1872年1890年1892年1900年1907年1910年1913年1915年2月28日3月20日9月28日 インデックスを展開 (56 もっと) »

原田左之助

原田 左之助(はらだ さのすけ)1840年(天保11年) - 1868年7月6日(慶応4年5月17日 (旧暦))は、新選組隊士(十番隊組長)。諱は忠一。.

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大松系斎

大松系斎(だいまつけいさい、生没年不詳)は新選組の前身、壬生浪士組の隊士である。 文久3年5月頃に入隊し、同月25日の「幕府提出上書署名者一覧」に名前があるが 同年7月の「在隊者リスト」には名前がないことからそれ以前の離隊したものと考えられる。 Category:新選組隊士.

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大正

大正(たいしょう)は日本の元号の一つ。明治の後、昭和の前。大正天皇の在位期間である1912年(明治45年/大正元年)7月30日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの期間。.

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天狗党の乱

天狗党の乱(てんぐとうのらん)は、元治元年(1864年)に筑波山で挙兵した水戸藩内外の尊王攘夷派(天狗党)によって起こされた一連の争乱。元治甲子の乱ともいう。.

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奥沢栄助

奥沢 栄助(おくざわ えいすけ、生年不詳 - 元治元年6月5日(1864年7月8日))は、新選組隊士。伍長。 文久3年9月13日、芹沢鴨ら15名と有栖川宮家に参上した際に同行している。 池田屋事件では近藤勇の隊に所属して池田屋に突入するが、重傷を負い、屯所にて死亡した。墓所は壬生寺にある。死後、会津藩は功労金20両を奥沢に与えている。 Category:新選組隊士 Category:1864年没.

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家里次郎

家里 次郎(いえさと つぐお、天保10年(1839年) - 文久3年4月24日(1863年6月10日))は、壬生浪士組隊士。 伊勢松坂小林清右衛門の次男として生まれる。 文久3年に浪士組に参加。京につくと近藤勇、芹沢鴨、殿内義雄らとともに京に残る。鵜殿鳩翁から、殿内と共に浪士組内の壬生村での残留者の取りまとめの責任者の役目を任される。その後主導権争いで殿内は暗殺、根岸友山も脱退し、孤立し出奔した家里は、大坂にいたところを芹沢に切腹させられた。 なお、家里の死からわずかひと月足らずの5月18日、兄である儒学者・家里松嶹も京都にて何者かによって暗殺されている。 Category:新選組隊士 Category:1840年生 Category:1863年没.

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家木将監

家木将監(いえきしょうげん、生没年不詳)は、壬生浪士組の隊士。 文久3年(1863年)5月頃に入隊し、同月25日の「幕府提出上書署名者一覧」に名前があるが、同年7月の「在隊者リスト」には名前がないことからそれ以前に離隊したものと考えられる。 Category:新選組隊士 Category:生没年不詳.

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宿院良蔵

宿院 良蔵(しゅくいん りょうぞう、文政4年(1821年)? - 慶応4年1月6日(1868年1月30日))は、新選組隊士。名を良三、良造とも。 出身は京都、もしくは丹波亀山藩ともいわれる。新選組の入隊時期は不明だが、文久3年(1863年)の八月十八日の政変には参加している。 元治元年(1864年)6月5日の池田屋事件では、土方歳三隊に属し屋外の守備を担当。褒賞金として金15両を得ている。 その頃、近藤勇の専横を憤った永倉新八は同志5人らと語らい、近藤批判の建白書を京都守護職に提出する。 同年9月、その責を負い、葛山武八郎の切腹に際しては、谷三十郎と共に、頼越人となって光縁寺を訪れている。 さらに同年12月の組織編成では、井上源三郎の三番組に属している。慶応3年(1867年)6月10日の幕府召抱えでは平同士として名を連ねている。 慶応4年(1868年)1月3日から始まった戊辰戦争第一の役鳥羽・伏見の戦いを経て、1月6日に橋本の戦いで戦死(1月3日に戦死という説もある)。死亡時の年齢は47~8歳だったされるが真偽は不明。 しゆくいんりようそう しゆくいんりようそう しゆくいんりようそう.

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安藤早太郎

安藤 早太郎(あんどう はやたろう、文政4年(1821年)- 元治元年7月22日(1864年8月23日))は、新選組隊士。副長助勤。.

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尊王攘夷

尊王攘夷(そんのうじょうい)、尊皇攘夷(そんのうじょうい)とは、君主を尊び、外敵を斥けようとする思想である。江戸時代末期(幕末)の水戸学や国学に影響を受け、維新期に昂揚した政治スローガンを指している。.

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尾崎弥兵衛

尾崎弥兵衛(おざきやへえ、生没年不詳)は、壬生浪士組隊士。 文久3年(1863年)5月頃に入隊し、同月25日の「幕府提出上書署名者一覧」に名前がある。しかし同年7月の「在隊者リスト」には名前がないことから、それ以前に離隊したと考えられる。なお、永倉新八の『同士連名記』では尾関弥兵衛と記されている。 Category:新選組隊士 Category:生年不明 Category:没年不明.

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尾形俊太郎

尾形 俊太郎(おがたしゅんたろう、天保10年(1839年) - 大正2年(1913年))は、新選組隊士。諸士取調兼監察及び文学師範。姓は緒方、小形とも。本姓は三嶋であり、尾形姓は新撰組入隊に際して先祖に当たる武将の姓から名乗ったとされる。、霊山歴史館ニュース2013年6月30日更新(2013年10月22日閲覧).

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尾関雅次郎

尾関 雅次郎(おぜき まさじろう、天保15年(1844年)? - 明治25年(1892年)2月28日)は、新選組隊士。調役兼監察。後に泉と改名する。 大和国高取に高取藩士尾関文左衛門(雅幸)の2男として生まれる。兄に尾関弥四郎がいる。 文久3年(1863年)頃に新選組の前身である壬生浪士組に入隊。旗役として行軍の先頭に任された。八月十八日の政変に参加。池田屋事件には参加しなかった。近藤勇に反発した永倉新八、原田左之助、斎藤一、島田魁、葛山武八郎とともに建白書を提出している。鳥羽・伏見の戦いで敗れ、江戸へ帰還し、土方歳三、島田魁、相馬主計らと箱館まで戦い降伏。その後薬王院に収容された。 明治25年(1892年)2月28日に故郷の奈良県高取町で死去。享年49。墓は光雲寺にある。 Category:新選組隊士 Category:戊辰戦争の人物 Category:箱館戦争の人物 Category:大和国の人物 Category:奈良県出身の人物 Category:1844年生 Category:1892年没.

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山南敬助

山南 敬助(やまなみ/さんなん けいすけ、天保4年(1833年)- 元治2年2月23日(1865年3月20日))は、江戸時代末期(幕末)の武士・新選組隊士(副長、総長)。陸奥国仙台藩出身。諱は知信(とものぶ)。晩年は三南三郎を名乗っていた。 名字の「山南」読みについては「やまなみ」「さんなん」が考えられている。一般には「やまなみ」が広く知られているが、本人の署名に「三南」「三男」としたものがあるため、「さんなん」の可能性も高いと考えられている。ただし、幕末には自称他称に有職読みを用いることが流行していた背景もあるため、確かなことは不明である。.

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山崎丞

山﨑 丞(やまざき すすむ、天保4年(1833年)? - 慶応4年1月13日(1868年2月6日)? )は、新選組隊士(諸士調役兼監察)。.

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山田春隆

山田 春隆(やまだ はるたか、生没年不詳)は新選組の前身、壬生浪士組の隊士である。 文久三年五月頃に入隊。同月二十五日の「幕府提出上書署名者一覧」には名前があるものの、同年七月の「在隊者リスト」には名前がない。 やまた はるたか.

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山野八十八

山野 八十八(やまの やそはち、1841年(天保12年) - 1910年(明治43年))は、新選組隊士。美男五人衆の一人。 加賀で生まれる。文久3年(1863年)に島田魁、尾形俊太郎とともに入隊。池田屋事件には屯所を守っていたため不参加。沖田総司率いる一番隊に所属していたという記述が残っている。新選組が鳥羽・伏見の戦いに敗れる江戸へ退き箱館へ行き着くまで在隊したが、新選組が箱館で降伏する前に離隊した。 維新後は京都の菊浜小学校の用務員を勤め、明治29年(1896年)に退職。明治41年(1908年)、戊辰戦争前に別れた恋人と娘に再会し、共に暮らして生涯を送った。 Category:新選組隊士 Category:戊辰戦争の人物 Category:箱館戦争の人物 Category:1841年生 Category:1910年没.

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島田魁

島田 魁(しまだ かい、文政11年1月15日(1828年2月29日) - 明治33年(1900年)3月20日)は、新選組隊士(二番組伍長)、守衛新選組隊長。嶋田ともいう。後に魁の訓を「さきがけ」と改めた。諱は義明。家紋は丸に三つ鱗。.

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川島勝司 (新撰組)

川島 勝司(かわしま かつじ、生年不詳 - 慶応2年〈1866年〉)は、新選組隊士。諸士取調役兼監察方、伍長。 京都の川島村出身。新選組結成直後に副長助勤として入隊。棒術の達人で、池田屋事件で土方歳三の隊に加わり17両をもらっている。 禁門の変の際には探索に出かけ、報告書を作成している。 その後、伍長に就任したが、人間が怯懦という理由で役職を外され、除隊された。生活に困った川島は、大坂で新選組の名を偽り金策し、それがもとで富山弥兵衛らに丸坊主にされた後、斬殺されたと伝わる。死体は二条河原に晒されたという。 Category:新選組隊士 Category:1866年没.

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上野戦争

上野戦争(うえのせんそう、慶応4年5月15日(1868年7月4日))は、戊辰戦争の戦闘の1つ。江戸上野(東京都台東区)において彰義隊ら旧幕府軍と薩摩藩、長州藩を中心とする新政府軍の間で行われた戦いである。.

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中村金吾

中村 金吾(なかむら きんご、生没年不詳)は、壬生浪士組、新選組隊士。 備中国出身。文久3年(1863年)4月頃に壬生浪士組に加入し、同月25日の「幕府提出上書署名者一覧」に名前を連ねる。同年の八月十八日の政変に参加。 『浪士文久報国記事』によれば、8月下旬、四条堀川の米屋に、3人組の押し入り強盗が入ったとの通報があり、壬生浪士が駆けつける。 永倉新八、斎藤一、平山五郎、中村金吾、山野八十八の5名であった。強盗が鉄砲を所持しているとは知らずに中に入ると発砲されるが残らず強盗を討ち取る。この際、平山五郎と中村が負傷したという。 同年の八月十八日の政変に参加。元治元年(1864年)6月5日に起きた池田屋事件では土方歳三隊に所属、参戦し褒賞金15両を得ている。同年7月19日の禁門の変に参戦。12月の行軍録にも旗役として名を連ねるが、慶応3年(1867年)6月以前に離隊している。以後の消息は不明。 Category:新選組隊士 Category:備中国の人物.

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三浦堅太郎

三浦 堅太郎(みうら けんたろう、生没年不詳)は、日本の新選組の前身、壬生浪士組の隊士である。 文久3年5月頃に入隊し、同月25日の「幕府提出上書署名者一覧」に名前があるが同年7月の「在隊者リスト」には名前がないことからそれ以前に離隊したものと考えられる。 Category:新選組隊士.

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平山五郎

平山 五郎(ひらやま ごろう、文政12年(1829年) - 文久3年9月18日(1863年10月30日))は、幕末の武士。新選組隊士(副長助勤)。.

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平間重助

平間 重助(ひらま じゅうすけ、文政7年(1824年) - 没年不詳)は、江戸時代後期の浪士。新選組隊士で壬生浪士組の副長助勤および勘定役を務めていた。.

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井上源三郎

宝泉寺 井上源三郎碑井上 源三郎(いのうえ げんざぶろう、文政12年3月1日(1829年4月4日) - 慶応4年1月5日(1868年1月29日))は、新選組の六番隊組長。諱は一重、後に一武(かずたけ)。.

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亀井造酒之助

亀井 造酒之助(かめい みきのすけ、生没年不詳)は、壬生浪士組隊士。 文久3年5月頃に入隊し、同月25日の「幕府提出上書署名者一覧」に名前があるが、同年7月の「在隊者リスト」には名前がないことからそれ以前の離隊したものと考えられる。 Category:新選組隊士 Category:生年不明 Category:没年不明.

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伊勢神宮

伊勢神宮(いせじんぐう)は、三重県伊勢市にある神社。なお「伊勢神宮」とは通称であり、正式名称は地名の付かない「神宫(じんぐう)」法人としての名称も「神宮」であり、事務をつかさどる機関として「神宮司庁」がある。主たる事務所の所在地は伊勢市宇治館町1番地(神宮司庁の所在地)。。他の神宮と区別するため「伊勢の神宮」と呼ぶこともあり、親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」とも称される。神社本庁の本宗(ほんそう)である。 二十二社(上七社)の一社。また、神階が授与されたことのない神社のひとつ神宮で神階が無いのは、伊勢神宮と日前神宮、國懸神宮の3宮だけである。。古代においては宇佐神宮、中世においては石清水八幡宮と共に二所宗廟のひとつとされた。明治時代から太平洋戦争前までの近代社格制度においては、すべての神社の上に位置する神社として社格の対象外とされた。.

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会津戦争

戊辰戦争の白河口の戦いで焼失した白河小峰城 会津戦争(あいづせんそう、慶応4年/明治元年(1868年))は、戊辰戦争の局面の一つであり、会津藩の処遇をめぐって、薩摩藩・土佐藩を中心とする明治新政府軍と、会津藩およびこれを支援する奥羽越列藩同盟などの徳川旧幕府軍との間で行われた戦いである。現在の福島県会津地方が主戦場となった。 なお、同時期に進行していた長岡藩をめぐる戦いは北越戦争として別記する。.

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佐伯又三郎

佐伯 又三郎(さえき またさぶろう、生年不詳 - 文久3年8月10日(1863年9月22日))は、新選組の副長助勤。 壬生浪士に斎藤一と参加したとされている。京都守護職・松平容保の前で、平山五郎と剣術の試合を披露している。芹沢鴨の一派と行動をともにしていたが、京都嶋原で何者かの手で殺害された。.

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佐々木蔵之助

佐々木 蔵之助(ささき くらのすけ、生没年不詳)は、壬生浪士組隊士、新選組隊士。佐々木蔵之丞とも。 文久3年5月頃に入隊し、同月25日の「幕府提出上書署名者一覧」に名前が見られる。同年の八月十八日の政変に参加。元治元年6月5日の池田屋事件にも参戦。褒賞金として15両得ている。しかし、慶応元年7月までに離隊している。以後の消息は不明。 Category:新選組隊士.

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佐々木愛次郎

佐々木 愛次郎(ささき あいじろう、弘化2年(1845年) - 文久3年8月2日(1863年9月14日))は、新撰組隊士。美男五人衆の一人.

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御陵衛士

京都 御陵衛士屯所跡 御陵衛士(ごりょうえじ)は、孝明天皇の陵(後月輪東山陵)を守るための組織。高台寺党とも(高台寺塔頭の月真院を屯所としたため)。.

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土方対馬

土方 対馬(ひじかた つしま、生没年不詳)とは、幕末の武士。新撰組平士。 文久3年(1863年)6月に京都で壬生浪士組に加入する。翌年の池田屋事件までに離隊した。出身地、生没年、実名など不詳な点が非常に多く、対馬は名前ではなく通称である相川、2011年、p.165。.

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土方歳三

土方 歳三(ひじかた としぞう)は、幕末期の幕臣、新選組副長。諱は義豊、雅号は豊玉、家紋は左三つ巴。 新選組時代には、局長・近藤勇の右腕として数々の事件で武名を顕し、また隊内に峻厳な規律を実施して鬼の副長と称され、剣豪揃いの隊士たちに恐れられた。戊辰戦争では旧幕軍側指揮官の一人として各地を転戦し、またいわゆる「蝦夷共和国」では軍事治安部門の責任者に任ぜられて軍才を揮った。明治2年5月11日、戊辰戦争の最後の戦場になった箱館五稜郭防衛戦で、狙撃を受け戦死。享年34歳。.

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八月十八日の政変

八月十八日の政変(はちがつじゅうはちにちのせいへん)とは、江戸時代末期(幕末)の文久3年8月18日(1863年9月30日)、会津藩・薩摩藩を中心とした公武合体派が、長州藩を主とする過激な尊皇攘夷派と三条実美ら急進派公卿を京都から追放した事件である。文久の政変、堺町門の変とも呼ばれる。 その背景には、文久期政局の主導権をめぐる薩摩藩と長州藩の激しい確執があった。.

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元治

元治(げんじ)は日本の元号の一つ。文久の後、慶応の前。1864年から1865年までの期間。この時代の天皇は孝明天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂。.

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四条大橋

四条大橋、奥は南座 四条大橋(しじょうおおはし)は、京都市を流れる鴨川に架かる四条通の橋である。鋼製の連続桁橋で川の中に2つの橋脚を持つ。東行きは右折レーンを含む3車線、西行きは2車線の車道、歩道は周囲の道路に比べ幅が広い。四条通の東の先は祇園、八坂神社、鴨川西岸には四条河原町がある。京都を代表する繁華街を結ぶ橋であることから、人通りが多い。.

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神代仁之助

神代 仁之助(かみしろ じんのすけ、天保9年(1838年) - 没年不詳)は、壬生浪士組結成時メンバー24名の一人。水戸藩浪人。名前は上城順之助、上城仁之助とも。 文久3年2月、清河八郎らに同調し上洛。上洛後は、須永宗司が組長を勤める七番組に所属。清河らの帰東の際は、京都に残留。しかし、殿内義雄の暗殺や、家里次郎の切腹などで、隊内に居づらくなり、脱走し帰東。 帰東後は、新徴組に入隊するが、元治元年6月16日、病身につき、相勤め難く、脱退。 以後の消息は不明。 Category:幕末水戸藩の人物 Category:新徴組隊士 Category:1838年生 Category:没年不明.

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箱館戦争

永嶌孟斎画 箱館戦争(はこだてせんそう、慶応4年/明治元年 - 明治2年(1868年 - 1869年))は、戊辰戦争の局面のひとつで、新政府軍と旧幕府軍との最後の戦闘である。旧幕府軍の蝦夷地での根拠地から五稜郭の戦いとも呼ばれる。この戦いの最中に干支が戊辰から己巳に替わったことから、己巳の役(きしのえき)と呼ばれることもある。.

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粕谷新五郎

粕谷 新五郎(かすや しんごろう、文政3年8月16日(1820年9月22日) - 元治元年6月6日(1864年7月9日))は、壬生浪士組同士。 水戸藩卒。現在の常陸大宮市野口平、粕谷忠兵衛の子として生まれる。安政5年(1858年)、孝明天皇から密かに下賜された戊午の密勅の返還に反対し、家督を長男の親之助に譲り、脱藩した。 万延元年(1860年)、粕谷を含む37名(このとき一緒にいた人物に香川敬三が含まれる)は、薩摩藩に尊王攘夷の実行を訴えたことを問われ、水戸藩江戸屋敷に幽閉処分に処された。 文久2年(1862年)に放免され、翌文久3年(1863年)、浪士組に参加する。同年3月、浪士組の江戸東帰が決まると、近藤勇、芹沢鴨らとともに京に残留したが、その後脱退し、郷里に戻った。 元治元年(1864年)、天狗党の乱に参加。上州での献金活動に奔走するが、栃木宿で幕府軍の追討を受け、下野国持宝寺で自害した。享年44。墓碑は生家に建てられている。 Category:幕末水戸藩の人物 Category:1820年生 Category:1864年没.

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細川内匠

細川内匠(ほそかわたくみ、生没年不詳)は新選組の前身、壬生浪士組の隊士である。 文久3年5月頃に入隊し、同月25日の「幕府提出上書署名者一覧」に名前があるが 同年7月の「在隊者リスト」には名前がないことからそれ以前の離隊したものと考えられる。 Category:新選組隊士.

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田中伊織

田中 伊織(たなか いおり、? - 文久3年9月13日(1863年10月25日))は、幕末の壬生浪士、後の新選組隊士。 文久3年(1863年)5月25日以降に入隊。西村兼文は田中が近藤勇の手によって暗殺されたと書き残している(『新撰組始末記』)が、それ以外の史料は乏しく、出自も不明である。『新撰組始末記』では没日は9月23日とされているが、壬生寺の墓碑では9月13日と記されている。 Category:新選組隊士 Category:暗殺された人物 Category:生年不明 Category:1863年没.

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田所弘人

田所弘人(たどころひろと、生没年不詳)は壬生浪士組、新選組の隊士である。 文久三年五月頃に入隊し、同月二十五日の「幕府提出上書署名者一覧」に名前を連ねる。同年の八月十八日の政変に参加。以後、池田屋事件までに脱走したものと見られている。 Category:新選組隊士.

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芹沢鴨

芹沢 鴨(せりざわ かも、芹澤 鴨、天保3年(1832年)?- 文久3年9月16日(1863年10月28日)もしくは9月18日(10月30日))は、幕末の水戸藩浪士、新選組(壬生浪士)の初代筆頭局長(頭取)。前名は下村嗣次(継次、嗣司、嗣治とも)と推定されている。諱は光幹で、本姓は桓武平氏繁盛流大掾氏とするが、出自、出生年には諸説あり、確定されていない(後述)。.

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蟻通七五三之進

蟻通 七五三之進(ありどおし しめのしん、生没年不詳)は、新選組隊士。蟻通勘吾と間違えられるが別人である。 文久3年(1863年)5月頃に入隊し、同月25日の「幕府提出上書署名者一覧」に名前を連ねている。同年の八月十八日の政変に参加。しかし、元治元年(1864年)6月の池田屋事件の際に名がないことからそれ以前に脱走したと思われる。 ありとおししめのしん.

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蟻通勘吾

蟻通 勘吾(ありどおし かんご、天保10年(1839年)- 明治2年5月11日(1869年6月20日))は、新選組隊士。.

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遠藤丈庵

遠藤 丈庵(えんどう じょうあん、天保7年(1836年) - 没年不詳)は壬生浪士組の同士。生年は、天保5年(1834年)、天保10年(1839年)とも。 武蔵国忍藩出身の浪人。文久3年(1863年)に浪士組に参加。根岸の一番隊に配属される。 根岸友山らと京(現在の京都府京都市)に残留。 残留後は、芹沢一派(新見錦、平山五郎など)や試衛館一派(近藤勇中心。土方歳三・沖田総司など)には属さず、殿内・家里一派(根岸、清水吾一など)に属した。 同月下旬に根岸、清水、鈴木長蔵らと共に江戸に戻る。 江戸に戻った後、新徴組に入隊したが、同年9月12日に総員小普請方伊賀者次席に召抱えられたため脱退。その後の消息は不明。 Category:新徴組隊士 Category:忍藩の人物 Category:1836年生.

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荒木田左馬之助

荒木田 左馬之助(あらきだ さまのすけ、天保9年(1838年)頃 - 文久3年9月26日(1863年11月7日))は、新選組隊士(国事探偵方)。左馬之允、左馬之亮とも。 御倉伊勢武などと共に、長州藩の桂小五郎の命を受けて、スパイのため新選組へ入隊したといわれているが、真偽は不明。 文久3年(1863年)9月25日に永倉新八・中村金吾らを襲撃したが失敗し、翌26日屯所内で結髪中、林信太郎らによってスパイ容疑で斬殺された。芹沢鴨暗殺の日が近かった事もあって、局長暗殺の罪も被せられたと見られている。 生前はいわゆる洒落者であったとされる。 Category:新選組隊士 Category:1838年生 Category:1863年没.

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馬詰柳太郎

馬詰 柳太郎(まづめ りゅうたろう、弘化元年(1844年) - ?)は、新選組隊士。美男五人衆の一人。 中国地方出身といわれ、文久3年(1863年)9月以前に、父・馬詰新太郎と共に新選組に入隊。芹沢鴨暗殺の日でもある同年9月18日(16日とも)、新選組隊士達が島原へ遊興しに行った際には、屯所で留守番をしていた。 美男で女好きだったが気が弱く、仲間の隊士達と飲みに行くこともできず、壬生村郷士南部亀二郎の子守女(色黒・短身・ちぢれ毛の醜女)と仲が良かった。その後、女の腹がふくれはじめたため、他の隊士達が「南部の子守のお腹がふくれた 胤(たね)は誰だろ 馬詰のせがれに 聞いてみろ 聞いてみろ」歌を作ってからかったという。そのため馬詰親子は居辛くなって、ある夜(池田屋事件の当日とも)に新選組を脱走した。 なお、父・新太郎は45,6歳で、号を柳元斎と称して書が上手い一方、刀の差し方などまるで知らず、隊士達によく使い走りをさせられていたといわれる。 まつめりゆうたろう まつめりゆうたろう.

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馬越三郎

越 三郎(まごし さぶろう、嘉永元年(1848年)頃? - 明治20年(1887年)頃?)は、新選組隊士。「隊中美男五人衆」の一人で五人衆中最年少。.

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谷三十郎

谷 三十郎(たに さんじゅうろう、天保3年(1832年)? - 慶応2年4月1日(1866年5月15日))は、江戸時代の武士。新選組七番組組長。諱は供国。谷万太郎と谷周平は弟。.

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鳥羽・伏見の戦い

鳥羽・伏見の戦い(とば・ふしみのたたかい、明治元年/慶応4年1月3日 - 6日(1868年1月27日 - 30日))は、戊辰戦争の初戦となった戦いである。 戦いは京都南郊の上鳥羽(京都市南区)、下鳥羽、竹田、伏見(京都市伏見区)、橋本(京都府八幡市)で行われた。.

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近藤勇

近藤 勇(こんどう いさみ)は、江戸時代末期の武士。新選組局長。後に幕臣に取り立てられ、甲陽鎮撫隊隊長。勇は通称で、諱は昌宜(まさよし)という。慶応4年(1868年)からは大久保剛を名乗り、後にさらに大久保大和と改めた。家紋は丸の内に三つ引。天然理心流、豪傑の剣の使い手。.

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鈴木長蔵 (武士)

鈴木 長蔵(すずき ちょうぞう、天保5年(1834年) - 没年不詳)は壬生浪士組の同士。仙台藩浪人。生年は天保15年(1844年)とも。 文久3年(1863年)2月、清河八郎らに同調し上洛。上洛後は、須永宗司が組長を勤める七番組に所属。清河らの帰東の際は、京都に残留。壬生浪士組結成後は、殿内義雄、家里次郎らの勢力と共に行動。しかし、殿内の暗殺や、家里の切腹などで、隊内に居づらくなり、根岸友山、清水吾一、遠藤丈庵と帰東。 帰東後は、新徴組に入隊するが、清河の死後(明治5年(1872年))、脱退。 以後の詳しい消息は不明だが、後年、秋田の市会議員になったという。 Category:幕末仙台藩の人物 Category:新徴組隊士 Category:1844年生 Category:没年不明.

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阿部十郎

阿部 十郎(あべ じゅうろう、天保8年8月22日(1837年9月21日) - 明治40年(1907年)1月6日)は、新選組隊士、御陵衛士、赤報隊隊士。諱は隆明。別姓高野。維新後は諱をとって阿部 隆明と称した。また名簿類に見える阿部慎蔵、阿部信次郎も同一人物とされる。.

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阿比類鋭三郎

阿比類 鋭三郎(あびる えいさぶろう、天保13年(1842年) - 文久3年4月6日(1863年5月23日))は、壬生浪士組隊士。名前は阿比留鋭三郎、阿比留栄之介、阿比原栄三良、阿比留栄三郎とも。 対馬藩出身。千葉栄次郎(千葉周作の次男)に弟子入りし、北辰一刀流を修めた。 文久3年(1863年)2月、江戸で浪士隊に加わり上京。殿内義雄・家里次郎の一派となる。浪士隊江戸帰還決定後、近藤勇や芹沢鴨らと共に京都に残留。壬生浪士組、結成時24名の一人となる。隊に在籍中は近藤らと共に行動した。 同年4月6日に死去。殺害、病死とも。死亡日は3月25日説もある。壬生浪士組隊士として最初に死去した人物としても知られる。 Category:新選組隊士 Category:幕末対馬府中藩の人物 Category:1842年生 Category:1863年没.

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藤堂平助

藤堂 平助(とうどう へいすけ)は、日本の幕末の武士、剣客、砲術家で、新選組八番隊組長、のち御陵衛士(高台寺党)。 平助は通称で、諱は宜虎「宜寅」「良全」の表記もある(よしとら、のぶとら)。正式な姓名は藤堂平助藤原宜虎となる。.

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野口健司

野口 健司(のぐち けんじ、天保14年(1843年) - 文久3年12月27日(1864年2月4日))は、新選組隊士(副長助勤)。諱は政詰。 水戸藩出身。江戸の百合元昇三道場で神道無念流を学び目録を得る(免許皆伝とも)。同門には新選組幹部となる永倉新八がいた。 文久3年(1863年)2月、浪士組に参加して上洛。江戸帰還に反対して京都に残留して、同年3月の壬生浪士組結成に参画する。水戸藩出身であったために芹沢鴨、新見錦、平間重助、平山五郎ら水戸派(芹沢派)の一人とされている。壬生浪士組では副長助勤となり、結成初期の幹部となった。野口は芹沢と行動を共にして、芹沢が引き起こした乱行である大坂力士の乱闘に関与したと見なされている。八月十八日の政変の際にも出動している。 同年9月、芹沢と平山は試衛館派(近藤派)によって暗殺され、平間は逃亡した。暗殺事件の夜、野口は角屋に残って難を逃れている。これ以前に新見も切腹させられており、事実上水戸派は壊滅した。(子母澤寛は、「鴨川物語」で、野口が芹沢暗殺メンバーに選ばれ、平間を逃がした説を伝えている。)野口だけは粛清されず、その後も幹部の一人として隊に残留したが、同年12月27日に突然切腹を命じられ、安藤早太郎の介錯で切腹した。切腹の原因については明らかではないが、八木源之丞の後年の証言では「ささいなことで詰め腹を切らされたのではないか」とされている。享年21。 一説には、隊士を騙った水戸浪士の訴訟トラブルに巻き込まれたともいわれる。.

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長州藩

長州藩邸跡、碑文は屋敷址、京都河原町御池東入ル 長州藩(ちょうしゅうはん)は、江戸時代に周防国と長門国を領国とした外様大名・毛利氏を藩主とする藩。家格は国主・大広間詰。 藩庁は長く萩城(萩市)に置かれていたため、萩藩(はぎはん)とも呼ばれた。幕末には周防山口の山口城(山口政事堂)に移ったために、周防山口藩(すおうやまぐちはん)と呼ばれる事例もでてきた。一般には、萩藩・(周防)山口藩時代を総称して「長州藩」と呼ばれている。 幕末には討幕運動・明治維新の中心となり、明治時代には明治新政府に政治家を多数輩出した(2014年8月5日時点のアーカイブ)。.

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酒井兵庫

酒井 兵庫(さかい ひょうご、生年不詳 - 慶応元年(1865年)7月頃)は、新選組隊士。会計方。 摂津国住吉の出身。新選組に入隊後は会計方を務め、池田屋事件に参加し15両の褒賞金を受けた。「新選組行軍録」では、原田左之助と山崎烝の間に名を連ねている。 しかし、慶応元年(1865年)7月頃に脱走。脱走の理由の諸説あり、酒井は会計方の仕事にある死体埋葬をしているうちに、恐ろしくなり脱走した説が有力とされている。のちに沖田総司らの手で斬殺されたともいわれる。板橋の墓碑に名が刻まれている。 Category:新選組隊士 Category:摂津国の人物 Category:1865年没.

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柳田三二郎

柳田 三二郎(やなぎだ さんじろう、生没年不詳)は壬生浪士組及び新選組隊士。全盛期には柔術師範を務めた。名は三次郎と書かれた文献もある。本名は稲田とも。 阿波の出身(大阪とも)。文久3年(1863年)六月以降に壬生浪士組に入隊。八月十八日の政変に参加したが池田屋事件には不参加。慶応元年(1865年)七月までの在籍が確認されている。このときに松原忠司とともに柔術師範となる。 慶応3年(1867年)頃に知友の村田左衛門に隊内の機密情報を漏洩。これと関係したのか、同年6月以前に脱走した。以降の消息は不明だが、一説には脱走後長島喜太郎と名乗ったという。真道弥生流、北辰心要流の達人だったという説も存在する。また、梁田佐太郎と同一人物とも考えられている。 脱走当時の柳田は50歳前後とされ、隊の最高齢であったという。また、碁打ちを好んだという。 Category:新選組隊士 Category:阿波国の人物.

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林信太郎 (新選組)

林 信太郎(はやし しんたろう、? - 明治元年10月27日(1868年12月10日))は、新選組隊士(伍長)。 武蔵国出身。文久3年(1863年)5月頃までに新選組の前身である壬生浪士組に入隊。長州の間者の荒木田左馬之助を粛清している。池田屋事件では土方歳三の隊に配属され四国屋方面の探索をし、池田屋へ向かい近藤勇を援護した。その功により褒賞金17両を賜っている。 鳥羽・伏見の戦い、甲州勝沼の戦いの後に永倉新八、原田左之助の靖兵隊に加わり北関東、会津などで転戦するが、水戸街道で久留米藩兵との戦いで討死した。 Category:新選組隊士 Category:戊辰戦争で戦死した人物 Category:武蔵国の人物 Category:1868年没.

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松原忠司

松原 忠司(まつばら ちゅうじ、生年不詳 - 慶応元年9月1日(1865年10月20日))は、新選組隊士(四番隊組長、柔術師範)。号は柳趙斎と思われる。.

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松崎静馬

松崎 静馬(まつざき しずま、生没年不詳)は壬生浪士組、及び新選組の隊士である。松崎野馬と記された文献もある。 文久三年6月以降の入隊で、同年の八月十八日の政変に参加。以後、文献には現れず、池田屋事件の時点では確実に在隊していない。.

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杉山腰司

杉山腰司(すぎやまようじ、生没年不詳)は新選組の前身、壬生浪士組の隊士である。 文久3年五月頃に入隊し、同月25日の「幕府提出上書署名者一覧」に名前があるが 同年7月の「在隊者リスト」には名前がないことからそれ以前の離隊したものと考えられる。 Category:新選組隊士.

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根岸友山

根岸 友山(ねぎし ゆうざん、文化6年11月27日(1810年1月2日) - 明治23年(1890年)12月3日)は、壬生浪士組隊士、庄内藩新徴組取締役。本名、伴七。号は友山。諱は信輔。北辰一刀流振武所。.

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楠小十郎

楠 小十郎(くすのき こじゅうろう、弘化4年(1847年)頃? - 文久3年9月26日(1863年11月7日))は、新選組隊士。美男五人衆の1人。 京都出身。久留米藩・真木保臣の命で間者(スパイ)として入隊したとされる。若々しく目がぱっちりした色白下ぶくれの顔で、女のように優しい声をしていたといわれる。 文久3年(1863年)、濃霧の朝4つ時(10時頃)、新選組屯所の1つとして使われていた前川邸の門前でぼんやりしていたところを近藤勇より命を受けた原田左之助に背後から斬りつけられ、水菜畑まで逃れるが倒れて死亡した。なお、その光景を八木家次男・為三郎が目撃していたという。 Category:新選組隊士 Category:1863年没.

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武田観柳斎

武田 観柳斎(たけだ かんりゅうさい、生年不詳 - 慶応3年6月22日(1867年7月23日))は、新選組隊士・五番隊組長(文学師範)。本名は福田廣(ふくだ ひろし)、諱は徳裕(のりひろ)。.

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殿内義雄

殿内 義雄(とのうち よしお、天保元年(1830年) - 文久3年3月25日(1863年5月12日)は、江戸時代(幕末)の人物。浪士組の一人。.

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永倉新八

永倉 新八(ながくら しんぱち、天保10年4月11日(1839年5月23日) - 大正4年(1915年)1月5日)は、幕末の武士(松前藩士、新選組隊士)。本姓は長倉、諱は載之(のりゆき)。幼名は栄吉、栄治。 松前藩を脱藩後、新選組に入隊し、二番隊組長及び撃剣師範を務めた。明治期に杉村義衛と改名し、樺戸集治監の撃剣師範を務めた。.

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江戸

江戸図屏風に見る、初期の江戸 弘化年間(1844年-1848年)改訂江戸図 江戸(えど) は、東京の旧称であり、1603年から1867年まで江戸幕府が置かれていた都市である。 現在の東京都区部に位置し、その前身及び原型に当たる。.

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池田屋事件

池田屋事件(いけだやじけん)は、幕末の1864年7月8日(元治元年6月5日)に、京都三条木屋町(三条小橋)の旅館・池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を、京都守護職配下の治安維持組織である新選組が襲撃した事件。 池田屋事変、池田屋騒動ともいわれている。近藤勇は書面で洛陽動乱と名づけている。.

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河合耆三郎

河合 耆三郎(かわい きさぶろう、天保9年(1838年) - 慶応2年2月12日(1866年3月28日))は、新選組隊士。勘定方。.

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油小路通

四条通より北を見る 城南宮南出入口付近より南を望む 油小路通(あぶらのこうじどおり)は京都市の主要な南北の通りの一つ。平安京の油小路にあたる。北は武殿南通から南にのびる。途中紫明通から上立売通まで中断する。.

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沖田総司

沖田 総司(おきた そうじ、天保13年(1842年)? - 慶応4年5月30日(1868年7月19日)は、幕末の武士、新選組一番隊組長及び撃剣師範。本姓は藤原を称した。諱は春政、後に房良(かねよし)。幼名は宗次郎。.

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消化性潰瘍

消化性潰瘍(しょうかせいかいよう、英: peptic ulcer)は、主に胃酸が要因となって生じる潰瘍のことである。 胃癌等の悪性腫瘍も潰瘍病変を呈するが本稿では良性の潰瘍について記述する。.

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清水吾一

清水 吾一(しみず ごいち、天保8年(1837年) - 明治5年5月27日(1872年7月2日))は、壬生浪士組の同士。 五一とも書く。根岸友山は母方の伯父に当たる。 武蔵国埼玉郡羽生村(現在の埼玉県羽生市)の酒造業・清水弥右衛門の五男として生まれる。 文久3年(1863年)2月、浪士組に入隊。3月、根岸らと京都に残留。 同月下旬に根岸、遠藤丈庵らと共に江戸に戻り、新徴組に参加。 新徴組預りの庄内藩の帰国に妻子と共に随行し、戊辰戦争に参戦。 明治5年(1872年)、36歳で病死。 Category:戊辰戦争の人物 Category:新徴組隊士 category:武蔵国の人物 Category:1837年生 Category:1872年没.

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清河八郎

清河 八郎(きよかわ はちろう、文政13年10月10日(1830年11月24日) - 文久3年4月13日(1863年5月30日))は、江戸時代末期(幕末)の庄内藩出身の志士。田中河内介とともに九州遊説をして尊王攘夷派の志士を京都に呼び寄せ、一方で浪士組を結成し新選組・新徴組への流れを作り、虎尾の会を率いて明治維新の火付け役となった。 幼名は元司、諱は正明、号は旦起、木鶏。本名は齋藤正明で、清川八郎と改名したのち、清河八郎を名乗った。山形県庄内町の清河神社に祭神として祀られている。位階は贈正四位。.

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濱口鬼一

濱口 鬼一(はまぐち きいち、生没年不詳)は壬生浪士組、新選組の隊士である。名は浜口飛一とも。 文久三年五月頃に入隊し、同月二十五日の「幕府提出上書署名者一覧」に名前を連ねる。同年の八月十八日の政変に参加。以後、池田屋事件までに脱走したものと見られている。 Category:新選組隊士.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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浪士組

浪士組(ろうしぐみ)は、文久3年(1863年)2月の江戸幕府将軍・徳川家茂上洛にあわせて、将軍警護のために作られた組織。実は幕府が江戸にいる過激な尊皇攘夷浪士達を体よく追い出すための策だったとする説もある。新選組・新徴組の前身。.

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斎藤一

斎藤 一(さいとう はじめ、天保15年1月1日(1844年2月18日) - 大正4年(1915年)9月28日)は、日本の武士(新撰組隊士)、警察官。階級は警部。勲等は勲七等青色桐葉章。 幕末期に新撰組で副長助勤、三番隊組長、撃剣師範を務める。一時期御陵衛士に入隊。戊辰戦争では旧幕府軍に従い新政府軍と戦う。明治維新後警視庁の警察官となり、西南戦争では警視隊に所属して西郷隆盛軍と戦う。 退職後、東京高等師範学校(東京教育大学を経た、現在の筑波大学)の守衛、東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)の庶務掛兼会計掛を務める。出自、経歴は不明な点も多い。.

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新徳寺 (京都市)

新徳寺(しんとくじ)は、京都市中京区壬生賀陽御所町にある臨済宗永源寺派の寺院。山号は鳳翔山。.

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新徴組

新徴組(しんちょうぐみ)は、江戸時代後期の文久3年(1863年)1月に結成された、江戸幕府による警備組織である。 江戸で将軍上洛の警護を目的とした浪士組結成募集が行われ、京都へ上洛した際に、清河八郎より将軍上洛の警護でなく尊王攘夷の先鋒を唱える。同意した者は清河八郎に率いられて江戸に戻るが、同意できなかった近藤勇や芹沢鴨など24名は袂を分かち壬生浪士組を経て新選組を旗揚げすることになる。 4月に清河が暗殺されると清河の同志達も次々と捕縛されたため、浪士組は組織目的を失う。幕府は浪士組を新徴組として再組織した。屯所は江戸の本所(東京都墨田区)に設置し取締責任者は高橋泥舟と山岡鉄太郎が就いた。 結成以来、 10月に幕府より江戸市中警護、海防警備の命令を受け規律を取り戻すと、元治元年(1864年)には庄内藩酒井家の御預かりとなる。 慶応4年(1868年)、放火・掠奪・暴行などを繰り返して旧幕府側を挑発する薩摩藩に対し江戸薩摩藩邸の焼討事件を引き起こし戊辰戦争の発端になる。この焼き討ちで品川などで火災が一日中続く。後の赤報隊隊長相楽総三(小島四郎)などは焼き討ちを逃げ、沖合にいた鳳翔丸へ逃げ込んだ。 戊辰戦争後は数少ない生き残りが庄内地方にて開墾作業に従事した。 新選組幹部の沖田総司の義兄、沖田林太郎が組頭を務めているなど、新選組との交流もあった。.

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新選組

新選組(しんせんぐみ)は、江戸時代末期(幕末)に、京都において反幕府勢力を取り締まる警察活動に従事したのち、旧幕府軍の一員として戊辰戦争を戦った武装組織である。 なお、「選」の字は「撰」とも表記されることが有り、「新撰組」と表記された史料もある。新選組の局長の近藤勇を始め、隊士たちが残した手紙でも両方の字が表記に用いられている。隊の公印が押された文献は「選」の文字が使用されているため、2004年頃から高校日本史教科書では「新選組」の表記が増えてきている。.

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新見錦

新見 錦(にいみ にしき、天保7年(1836年) - 文久3年9月15日(1863年10月27日)?)は、幕末の水戸藩浪士、壬生浪士(後の新選組)幹部(副長という説もある)。号は錦山(きんざん)とされるが、子母澤寛が記すのみであり、確証はない。姓の読みは「にいのみ」、「しんみ」など諸説ある。.

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文久

文久(ぶんきゅう)は日本の元号の一つ。万延の後、元治の前。1861年から1864年までの期間を指す。この時代の天皇は孝明天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂。.

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慶応

慶応(けいおう、旧字体: 慶應)は日本の元号の一つ。元治の後、明治の前。1865年から1868年までの期間。この時代の天皇は孝明天皇、明治天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂、徳川慶喜。日本での「一世一元の詔」発布以前では最後の元号。.

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1863年

記載なし。

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1864年

記載なし。

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1865年

記載なし。

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1866年

記載なし。

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1867年

記載なし。

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1868年

記載なし。

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1869年

記載なし。

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1872年

記載なし。

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1890年

記載なし。

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1892年

記載なし。

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1900年

19世紀最後の年である。100で割り切れるが400では割り切れない年であるため、閏年ではなく、4で割り切れる平年となる。.

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1907年

記載なし。

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1910年

記載なし。

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1913年

記載なし。

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1915年

記載なし。

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2月28日

2月28日(にがつにじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦においては年始から59日目にあたり、年末まであと306日(閏年では307日)ある。平年では、この日が2月の末日になる。 日本においては冬であり、本朝七十二候においては多く「霞始めてたなびく」(「かすみが たなびき始める」)に当たる。誕生花はフリージア(アヤメ水仙)とされる。.

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3月20日

3月20日(さんがつはつか、さんがつにじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から79日目 (閏年では80日目)にあたり、年末まであと286日ある。.

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9月28日

9月28日(くがつにじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から271日目(閏年では272日目)にあたり、年末まであと94日ある。.

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