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塩尻宿

索引 塩尻宿

塩尻宿(しおじりしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて三十番目にあたる宿場。.

33 関係: みどり湖駅千国街道塩の道 (日本)塩尻市塩尻駅大久保長安天保天領宿場小野宿中山道中山道六十九次三河国下諏訪宿一里塚平出遺跡享保伊那県児玉幸多糸魚川市贄川宿脇本陣重要文化財長野県松本藩江戸江戸時代洗馬宿本陣旅籠慶長1843年1883年

みどり湖駅

下りホーム出入口(2005年12月) 構内 塩尻側から岡谷方面を望む。向かって左側が上り本線、右側が下り本線(2005年12月) みどり湖駅(みどりこえき)は、長野県塩尻市大字西条道畑にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)中央本線の駅である 。.

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千国街道

千国街道(ちくにかいどう)は、長野県松本市から新潟県糸魚川市に至る日本の街道。街道名は、街道の宿場の一つである千国(現小谷村)から採られたもの。街道の両端の地名を冠した糸魚川街道(いといがわかいどう)、松本街道(まつもとかいどう)の別名を持つ。現代の国道147号(松本市 - 大町市)及び接続する国道148号(大町市-糸魚川市)、大糸線(松本駅 - 糸魚川駅)と概ね並行するが、姫川の急峻な渓谷を回避するために、長野 - 新潟県境付近などでは谷沿いから離れ山岳に移行する区間も存在する。.

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塩の道 (日本)

塩の道(しおのみち)は、塩や海産物を内陸に運ぶのに使われた道のことをいう。また反対に内陸からは、山の幸(食料に限らず、木材や鉱物も含む)が運ばれた道でもある。製塩が化学製法に代わり、専売法に依る規制がかけられる以前は海辺の塩田に頼っていたことから、日本の各地で、海と山を結ぶかたちで数多くあった。日本各地にあった塩の道は、現在も整備された形で物流の主要なルートとして残っている。 また海外においても、ネパール西北部のカリガンダキ渓谷地域やマレーシア(ボルネオ島)サバ州の世界最大の花ラフレシアが咲くクロッカー山脈公園を横切る塩の道をはじめ、各地に存在している。.

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塩尻市

塩尻市(しおじりし)は、長野県中部(中信地方)の市である。県央部における交通の要衝となっている。.

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塩尻駅

1975年当時の駅舎の俯瞰画像。上は篠ノ井線、左は中央西線、右下は中央東線本線(現支線)。中央西線と篠ノ井線の直通列車はスイッチバックする必要があった 塩尻駅(しおじりえき)は、長野県塩尻市大門八番町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅である。.

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大久保長安

大久保 長安(おおくぼ ながやす/ちょうあん)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。甲斐武田氏、次いで徳川氏の家臣。後に江戸幕府勘定奉行、老中となった。.

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天保

天保(てんぽう)は日本の元号の一つ。文政の後、弘化の前。1831年から1845年までの期間を指す。この時代の天皇は仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉、徳川家慶。.

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天領

天領(てんりょう)は、江戸時代における江戸幕府の直轄地の俗称で、このほか幕府直轄領、徳川幕府領、徳川支配地、幕府領、幕領など様々な呼称があり、必ずしも絶対的な単一の歴史用語ではない村上直, 「天領の成立と代官の位置について」, 法政史学48号, 1996年。幕府直轄領は元禄以降、全国で約400万石あった。その領地は日本全国に散らばっており、江戸時代を通じて何らかの形で幕府直轄地が存在した国は51ヶ国と1地域(蝦夷地)に及び、年貢収取の対象となる田畑以外に交通・商業の要衝と港湾、主要な鉱山、城郭や御殿の建築用材の産出地としての山林地帯が編入され江戸幕府の主要な財源であった村上直, 「天領の成立と代官の位置について」, 法政史学48号, 1996年。 幕府直轄地が「天領」と呼ばれるようになったのは明治時代である。大政奉還後に幕府直轄地が明治政府に返還された際に、「天朝の御料(御領)」などの略語として「天領」と呼ばれたのがはじまり。その後、この呼称が江戸時代にもさかのぼって使われるようになった。よって、江戸時代に使われていた呼称ではない。江戸幕府での正式名は御料・御領(ごりょう)であり、その他、江戸時代の幕府法令には御料所(ごりょうしょ、ごりょうじょ)、代官所、支配所(しはいしょ、しはいじょ)とある。江戸時代の地方書では大名領や旗本領を私領としたのに対して公領・公料、また公儀御料所(こうぎごりょうしょ)とある。 大政奉還後の慶応4年(1868年、同年明治元年)には徳川支配地を天領と呼んだ布告があるが、同時期の別の布告では「これまで徳川支配地を天領と称し居候は言語道断の儀に候、総て天朝の御料に復し、真の天領に相成候間」とある。 幕府の直轄地についての呼称については、従来は「天領」と表記していたが、この「天領」という呼称が明治以降の俗称であるという点から、近年では「幕領」と呼ぶ傾向になっており、全国の歴史教科書なども「幕領」への表記の変更が進められている。.

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宿場

中山道妻籠宿 宿場(しゅくば)とは、主に江戸時代、五街道や脇往還において駅逓事務を取り扱うため設定された町場をいう。宿駅ともいい、古代、奈良時代・平安時代から駅馬・伝馬の制度によって整備されていった。 また、宿場を中心に形成された町を宿場町(しゅくばまち)と呼ぶ。.

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小野宿

小野神社・矢彦神社大鳥居 小野宿(おのじゅく)は、長野県上伊那郡辰野町と塩尻市にまたがる初期中山道、三州街道の宿場町。.

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中山道

五十五里塚跡、下諏訪宿 福島宿) 一里塚(岐阜県垂井町) 中山道(なかせんどう)は、江戸時代の五街道の一つで、江戸の日本橋と京都の三条大橋を内陸経由で結ぶ街道である。「中仙道板橋駅の北側にある踏切が「中仙道踏切」という名称である。」、「仲仙道」とも表記するほか、「木曾街道」や「木曽路」の異称も有した。.

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中山道六十九次

塩尻嶺 諏訪ノ湖水眺望』渓斎英泉筆。峠から氷結した諏訪湖を臨む。左手に見えるのは八ヶ岳連峰。 加納』歌川広重筆 中山道六十九次(なかせんどう-ろくじゅうきゅうつぎ)は、日本の近世にあたる江戸時代に栄えた五街道の一つ中山道に設けられた、69を数える宿場の総称。 中山道は、江戸・日本橋と京・三条大橋の間を結ぶ主要街道2路のうちの、山地側の1路である。 もう1路である東海道とは、江戸側は同じ日本橋から発するが、山手と海沿いに分かれて西進し、近江国に入って草津宿で合流。そこからは京までの区間を共有する。 また、江戸・日本橋から発する甲州街道とは、その終点である信濃国の下諏訪宿で合流する。 中山道六十九次は天保6- 8年(1835-1837年)頃、浮世絵師・渓斎英泉および歌川広重により、名所絵(浮世絵風景画)『木曽海道六十九次』として描かれている 。.

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三河国

三河国(みかわのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。三の大字を用いて参河国(參河國)とも表記する。現在の愛知県東半部。.

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下諏訪宿

下諏訪宿(しもすわしゅく)とは、甲州街道の江戸から数えて三十九番目で終点、中山道六十九次のうち二十九番目にあたる宿場。.

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一里塚

一里塚(いちりづか)は、旅行者の目印として大きな道路(街道)の側に1里(約3.927キロメートル)毎に設置した塚(土盛り)である。 塚の側に榎などの木を植えたり標識を立てたりしていた。いわゆる街道のマイルストーン・キロポストと同様であり、一里塚は中国にも存在する。 日本では、平安時代末期に、奥州藤原氏が白河の関から陸奥湾までの道に里程標を立てたのが最初と言われている。室町時代の一休(または一休に近しい遊女・地獄太夫)が「門松は冥土の旅の一里塚 目出度くもあり目出度くもなし」との歌を詠んでいる。 一里塚が全国的に整備されるようになったのは江戸時代である。慶長9年2月4日(グレゴリオ暦1604年3月4日)、徳川家康が子の徳川秀忠に命じ、金山奉行の大久保長安が総監督となって設置したのが始まりである。江戸幕府は江戸の日本橋を起点として全国の各街道の1里(約4 km)ごとに一里塚を設置するよう指令を出し、長安の指揮の元に一里塚の設置が行われ、10年ほどで完了した。一里塚の大きさは5間(約9 m)四方、高さ1丈(約1.7 m)に土を盛り上げてつくられ、一里塚の上には榎などの木が植えられ、木陰で旅人が休息を取れるように配慮されていた。また、植えられた樹木は築いた塚の崩壊を根で防ぐ役割も持つ。 一里塚の本来の姿は街道の両側に対で設置されるものである。ただし現存する一里塚の多くは道の片側にのみ存在している事が多い。街道を挟んで一対で現存する一里塚には国の史跡に指定されているものもある。また、都道府県や市町村の史跡に指定されている一里塚や、未指定であっても地域住民の崇敬の対象として守られている塚やその跡地も多い。.

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平出遺跡

平出遺跡(ひらいでいせき)は、長野県塩尻市宗賀平出にある縄文時代から平安時代にかけて集落があった遺跡で、国指定の史跡である。古代住居が復元され、塩尻市立平出博物館・平出遺跡公園ガイダンス棟が整備されている。.

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享保

享保(きょうほう、きょうほ)は日本の元号の一つ。正徳の後、元文の前。1716年から1736年までの期間を指す。この時代の天皇は中御門天皇、桜町天皇。江戸幕府将軍は徳川吉宗。.

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伊那県

伊那県(いなけん)は、慶応4年(1868年)に信濃国内の幕府領・旗本領を管轄するために明治政府によって設置された府藩県三治制の県。管轄地域は現在の長野県全域に広く分布している。のちに管轄区域を変更し、現在の長野県南部、愛知県東部を管轄した。.

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児玉幸多

児玉 幸多(こだま こうた、1909年〈明治42年〉12月8日 - 2007年〈平成19年〉7月4日)は、「日本近世農村・交通史の泰斗」と呼ばれた文学博士。学習院大学名誉教授、学習院大学元学長、学習院女子短期大学元学長、品川区立品川歴史館名誉館長、千曲市名誉市民。.

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糸魚川市

糸魚川市(いといがわし)は、新潟県の最西端に位置し日本海に面した市である。 糸魚川静岡構造線(フォッサマグナの西端)が通り、日本の東西の境界線上に位置する。世界的にも珍しいヒスイの産地であり、景勝地親不知でも知られる。全域が糸魚川ユネスコ世界ジオパークである。.

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贄川宿

贄川宿(にえかわじゅく)は中山道33番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は長野県塩尻市。 古くは温泉があって「熱川」と書かれた。温泉が枯れてからは現在の漢字を当てるようになった。宿の創設は天文年間。木曽路最初の宿場で、北の入口に関所があり、福島関所の補助的役割をはたした。.

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脇本陣

因幡街道 大原宿 脇本陣 脇本陣(わきほんじん)は、江戸時代の宿場に設置された本陣の予備的施設。大きな藩で本陣だけでは泊まりきれない場合や、藩同士が鉢合わせになった場合に格式が低い藩の宿として利用されるなど、本陣に差し支えが生じた場合に利用された。本陣は原則として一般客の宿泊は認められなかったが、脇本陣は大名・勅使などの利用が無い時には一般客の宿泊にも供した。 規模は本陣よりも小さいが、諸式はすべて本陣に準じ、上段の間などもあり、本陣と同じく宿場の有力者が勤めた。.

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重要文化財

建造物の例(通潤橋) 歴史資料の例(123号機関車 京都・宮津海陸運輸所有) 彫刻の例(塑造金剛力士立像 法隆寺蔵) 考古資料の例(埴輪子持家 東京国立博物館蔵) 絵画の例(黒田清輝筆「湖畔」) 建造物(民家)の例:荒井家住宅(栃木県矢板市) 重要文化財(じゅうようぶんかざい)は、日本に所在する建造物、美術工芸品、考古資料、歴史資料等の有形文化財のうち、歴史上・芸術上の価値の高いもの、または学術的に価値の高いものとして文化財保護法に基づき日本国政府(文部科学大臣)が指定した文化財を指す。重文(じゅうぶん)と略称されることが多い。文化庁による英語表記はImportant Cultural Properties。 日本の地方公共団体(都道府県、市町村)がそれぞれの文化財保護条例に基いて指定する有形文化財についても「県指定重要文化財」「市指定重要文化財」等と呼称される場合があるが、文化財保護法に規定する「重要文化財」とは国(日本国文部大臣)が指定した有形文化財のことを指す。本項では特記なき限り、文化財保護法第27条の規定に基づき日本国(文部科学大臣)が指定した重要文化財(いわゆる「国の重要文化財」)について記述する。.

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長野県

長野県空撮画像。長野盆地、富士山、浅間山、日本アルプスなどを望む。 長野県の地形図 長野県(ながのけん)は、本州内陸部に位置する日本の県の一つ。令制国名の信濃国に因み「信州」とも呼ばれている。海に面していないいわゆる内陸県であり、大規模な山岳地があるため可住地面積率は小さい。県庁所在地は長野市。善光寺の門前町として発展し第18回冬季オリンピックの開催地となった自治体でもある。.

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松本藩

松本城(現存天守) 松本藩(まつもとはん)は、江戸時代に信濃国に存在した藩。藩庁は松本城。延宝年間の人口は90,000人。.

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江戸

江戸図屏風に見る、初期の江戸 弘化年間(1844年-1848年)改訂江戸図 江戸(えど) は、東京の旧称であり、1603年から1867年まで江戸幕府が置かれていた都市である。 現在の東京都区部に位置し、その前身及び原型に当たる。.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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洗馬宿

洗馬宿(せばじゅく)は中山道(中山道六十九次)にある宿場町。日本橋から31番目の宿場町である。また、北国西街道(別称:善光寺道)の起点である。.

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本陣

本陣は、 江戸時代以降の宿場で、大名や旗本、幕府役人、勅使、宮、門跡などの宿泊所として指定された家。原則として一般の者を泊めることは許されておらず、営業的な意味での「宿屋の一種」とはいえない。宿役人の問屋や村役人の名主などの居宅が指定されることが多かった。また、本陣に次ぐ格式の宿としては脇本陣があった。.

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旅籠

赤坂宿 大橋屋(2007年) 旅籠(はたご)とは、旅人を宿泊させ、食事を提供することを業とする家のことである。旅籠屋(はたごや)の略。江戸時代以降も旅籠または旅籠屋の名称を宿やホテル一般的な名称として使う場合がある。本稿では主に江戸時代の日本の旅籠屋について詳述する。.

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慶長

慶長(けいちょう)は日本の元号の一つ。文禄の後、元和の前。1596年から1615年までの期間を指す。この時代の天皇は後陽成天皇、後水尾天皇。江戸幕府将軍は徳川家康、徳川秀忠。.

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1843年

記載なし。

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1883年

記載なし。

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