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坂東彦三郎 (6代目)

索引 坂東彦三郎 (6代目)

六代目 坂東彦三郎(ろくだいめ ばんどう ひこさぶろう、1886年(明治19年)10月12日 - 1938年(昭和13年)12月28日)は、歌舞伎役者。屋号は音羽屋、定紋は鶴の丸、替紋は八重片喰。俳名には薪水・梅朝・楽善など。本名は坂東 英造(ばんどう えいぞう)。.

26 関係: 助六坂東彦三郎 (5代目)坂東薪水大正家紋尾上菊五郎 (5代目)尾上菊五郎 (6代目)尾上梅朝尾上榮三郎屋号市川團十郎 (9代目)市村座市村羽左衛門 (17代目)俳名音羽屋東京府歌舞伎歌舞伎座明治昭和日本橋区日本橋浜町10月12日12月28日1886年1938年

助六

『助六』(すけろく)は、歌舞伎の演目の一つの通称。本外題は主役の助六を務める役者によって変わる(詳細は下記を参照)。 江戸の古典歌舞伎を代表する演目のひとつ。「粋」を具現化した洗練された江戸文化の極致として後々まで日本文化に決定的な影響を与えた。歌舞伎宗家市川團十郎家のお家芸である歌舞伎十八番の一つで、その中でも特に上演回数が多く、また上演すれば必ず大入りになるという人気演目である。.

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坂東彦三郎 (5代目)

五代目 坂東 彦三郎(ごだいめ ばんどう ひこさぶろう、1832年(天保3年) - 1877年(明治10年)10月13日)は幕末から明治初期にかけて活躍した歌舞伎役者。俳名は薪水・鶴子・薪子、屋号は音羽屋。 浅草の大工為蔵の子(一説に歌舞伎作者・村冠二の子とも)。天保11年(1840年)、四代目坂東彦三郎の養子となり坂東鶴之助と名乗る。天保13年(1842年)11月、中村座で『金竜山誓礎』が初舞台。弘化3年(1846年)1月、河原崎座で坂東竹三郎と改名。子供芝居で修業して力を付け安政元年(1854年)3月、市村座で五代目坂東彦三郎を襲名。 その後は江戸上方の舞台で活躍。四代目中村芝翫と人気を競い合った。容姿口跡ともによく、時代物、世話物で驚異的に幅広い役柄を誇った。『源平布引滝』「実盛物語」の実盛、『近江源氏先陣館』「盛綱陣屋」の和田兵衛、『黒白論織分博多』(黒田騒動)の栗山大膳などが当たり役。『仮名手本忠臣蔵』では由良助・師直・勘平・戸無瀬・判官など主要な役をすべてこなし、『京鹿子娘道成寺』など所作ごとに秀でていた。明治10年(1877年)10月巡業先の大阪で客死。 「名人彦三郎」「彦旦那」と呼ばれた名優で、九代目市川團十郎も「忠臣蔵七段目の由良助だけは兄貴(彦三郎)にかなわねえ」と脱帽するくらいの芸力だった。彦三郎も自信家で、好敵手の芝翫と比べられると「客はあいつ(芝翫)に呼んでもらい、芝居は俺が見せるのさ」と豪語した。 Category:歌舞伎役者 Category:1832年生 Category:1877年没.

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坂東薪水

坂東 薪水(ばんどう しんすい)は、歌舞伎役者の名跡。屋号は音羽屋。定紋は鶴の丸、替紋は八重片喰。 「薪水」は初代坂東彦三郎の俳名に由来する。この初代と、続く二・三・四・五・六代目は、それぞれ「薪水」を俳名としては使ったが、実際にこれを名跡として襲名することはなかった。実際に「坂東薪水」を襲名したのは七代目が最初である。.

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大正

大正(たいしょう)は日本の元号の一つ。明治の後、昭和の前。大正天皇の在位期間である1912年(明治45年/大正元年)7月30日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの期間。.

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家紋

家紋(かもん)とは、日本固有の紋章である。.

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尾上菊五郎 (5代目)

五代目 尾上菊五郎(ごだいめ おのえ きくごろう、1844年7月18日(天保15年6月4日)- 1903年(明治36年)2月18日)は、明治時代に活躍した歌舞伎役者。本名は寺島 清(てらしま きよし)。 尾上菊五郎としての屋号は音羽屋。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四つ輪。俳名に梅幸。 市村羽左衛門としての屋号は菊屋。定紋は根上り橘、替紋は渦巻。俳名に家橘。 九代目市川團十郎、初代市川左團次とともに、いわゆる「團菊左時代」の黄金時代を築いた。.

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尾上菊五郎 (6代目)

六代目 尾上 菊五郎(ろくだいめ おのえ きくごろう、1885年(明治18年)8月26日 - 1949年(昭和24年)7月10日)は大正・昭和時代に活躍した歌舞伎役者。屋号は音羽屋。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四つ輪。俳名に三朝がある。本名は寺島 幸三(てらしま こうぞう)。 初代中村吉右衛門とともに、いわゆる「菊吉時代」の全盛期を築いた。歌舞伎界で単に「六代目」と言うと、通常はこの六代目尾上菊五郎のことを指す。.

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尾上梅朝

尾上 梅朝(おのえ ばいちょう)は歌舞伎名跡の一。屋号は音羽屋。.

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尾上榮三郎

尾上 榮三郞(おのえ えいざぶろう、新字体:栄三郎)は歌舞伎役者の名跡。屋号は音羽屋。定紋は重ね扇に抱き柏、替紋は四ツ輪。.

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屋号

屋号、家号(やごう)とは、一門・一家の特徴を基に家に付けられる称号のことである。日本、ヨーロッパにおいて使用されている例がある。日本の場合、家紋のように屋号を記号化・紋章化した屋号紋を指すこともある。また、前述の本来の屋号から派生して企業や店の名称などを屋号と呼ぶ場合もある。.

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市川團十郎 (9代目)

九代目 市川 團十郞(くだいめ いちかわ だんじゅうろう、新字体:団十郎 1838年11月29日(天保9年10月13日) - 1903年(明治36年)9月13日)は明治時代に活躍した歌舞伎役者。屋号は成田屋。定紋は三升(みます)、替紋は杏葉牡丹(ぎょよう ぼたん)。俳号に紫扇(しせん)・團州(だんしゅう)・壽海(じゅかい)・三升(さんしょう)、雅号には夜雨庵(ようあん)。本名は堀越 秀(ほりこし ひでし)。 五代目 尾上菊五郎、初代 市川左團次とともに、いわゆる「團菊左時代」を築いた。写実的な演出や史実に則した時代考証などで歌舞伎の近代化を図る一方、伝統的な江戸歌舞伎の荒事を整理して今日にまで伝わる多くの形を決定、歌舞伎を下世話な町人の娯楽から日本文化を代表する高尚な芸術の域にまで高めることに尽力した。 その数多い功績から「劇聖」(げきせい)と謳われた。また歌舞伎の世界で単に「九代目」(くだいめ)というと、通常はこの九代目 市川團十郎のことをさす。.

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市村座

市村座(いちむらざ)は、江戸にあった歌舞伎劇場で、江戸三座のひとつ。座元は市村羽左衛門代々。控櫓は主に桐座だったが、都座と玉川座が代興行したこともある。明治時代以降も経営者が変わりながら運営されていたが、1932年(昭和7年)の焼失により廃座となった。.

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市村羽左衛門 (17代目)

十七代目 市村 羽左衛門(じゅうしちだいめ いちむら うざえもん、1916年(大正5年)7月11日 - 2001年(平成13年)7月8日)は、昭和から平成にかけての歌舞伎役者。屋号は橘屋。定紋は根上り橘、替紋は渦巻。日本芸術院会員、重要無形文化財保持者(人間国宝)。 本名は坂東 衛(ばんどう まもる)。俳名に可江。舞踊の名取は藤間 善蔵(ふじま ぜんぞう)。 派手さはないが堅実な芸風をもった立役として時代物・世話物で模範的演技を見せ、晩年は「歌舞伎の生き字引」とまで呼ばれた。また大名跡「市村羽左衛門」を襲名した後も、自身は五代目菊五郎の孫であり、六代目菊五郎の甥である立場から、尾上菊五郎家のお家芸を守る一人として菊五郎劇団で重きをなし、二代目尾上松緑や七代目尾上菊五郎を長く支えた。.

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俳名

俳名(はい-みょう)は、本来俳号と同義であるが、江戸時代中期以降の芸能分野においては、.

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音羽屋

音羽屋(おとわや)は、歌舞伎役者の屋号。 初代尾上菊五郎の父・半平は、京の都萬太夫座(みやこ まんだゆう ざ)付き芝居茶屋の出方を営んでいたが、生まれたのが東山の清水寺にほど近い地だったことから、その境内の「音羽の滝」にちなんで、自らを音羽屋半平(おとわや はんぺい)と名乗っていたことがその名の由来。 音羽屋の代表的な名跡には以下のものがある。なお参考までに定紋も併せて記した。.

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東京府

東京府庁(東京市役所との合同庁舎) 東京府(とうきょうふ)は、1868年から1943年までの間に存在していた日本の府県の一つである。現在の東京都の前身に当たる。府庁所在地は東京市。.

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歌舞伎

歌舞伎(かぶき)は、日本固有の演劇で、伝統芸能の一つ。重要無形文化財(1965年4月20日指定同日文化財保護委員会告示第18号「無形文化財を重要無形文化財に指定する等の件」)。歌舞伎(伝統的な演技演出様式によって上演される歌舞伎)は2005年にユネスコにおいて傑作宣言され、2009年9月に無形文化遺産の代表一覧表に記載された。.

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歌舞伎座

歌舞伎座(かぶきざ)は、東京都中央区銀座四丁目にある歌舞伎専用の劇場である。火災や戦災に遭うなど様々な変遷はあったが、今日に至るまで名実ともに代表的な歌舞伎劇場として知られる。 歌舞伎座は1889年(明治22年)に開場した。従来の劇場は地名や座元の名を冠するのが例であり(新富座、中村座など)、「歌舞伎座」という名称は異例であった。「歌舞伎座」とはもともと普通名詞として用いられた言葉で、「卑賤視されていた小芝居の対極にある権威ある大芝居の劇場を意味していた」岩波新書661『歌舞伎の歴史』、今尾哲也著、p173。現在の歌舞伎座設立にあたり「その普通名詞を、福地桜痴は固有名詞として天下に示したのである」。しかしこれは間違いで普通名詞としての用法はなかったという説もある。 歌舞伎座は大正時代から松竹の直営で経営を行ってきた。4度建て直されており、2014年現在のものは5代目のものである。「株式会社歌舞伎座」が劇場を所有している。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

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日本橋区

日本橋区(にほんばしく)とは、東京府東京市、東京都にかつて存在した区である。現在の中央区の北部に位置していた。.

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日本橋浜町

日本橋浜町(にほんばしはまちょう)は、東京都中央区の町名で、旧日本橋区にあたる日本橋地域内である。現行行政地名は日本橋浜町一丁目から三丁目。郵便番号103-0007。.

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10月12日

10月12日(じゅうがつじゅうににち)はグレゴリオ暦で年始から285日目(閏年では286日目)にあたり、年末まであと80日ある。.

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12月28日

12月28日(じゅうにがつにじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から362日目(閏年では363日目)にあたり、年末まであと3日ある。.

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1886年

記載なし。

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1938年

記載なし。

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