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土浦亀城

索引 土浦亀城

土浦亀城 (つちうら かめき、明治30年(1897年)6月29日 - 平成8年(1996年)1月29日)は昭和期の建築家である。 茨城県水戸市で土浦市松と光枝の間に生まれた。横山大観は叔父にあたる。1918年東京帝国大学工学部建築学科に入学。1922年、寄宿先で知り合い懇意にしていた遠藤新(当時、帝国ホテル建設のために来日していたフランク・ロイド・ライトの手伝いをしていた)の紹介でドラフトマンとしてライトの設計を手伝った。 同年にライトが建設費の問題から帝国ホテルの設計の任を解かれアメリカに引き上げる際、土浦はライトからアメリカに来るように請われ、卒業後の1923年に信夫人(吉野作造の長女)と共に渡米。ライトの事務所タリアセンに入所した。土浦のタリアセン滞在時の主なメンバーに、リチャード・ノイトラ、ルドルフ・シンドラーがいる。 タリアセンで3年間を過ごした土浦は1926年に帰国し、大倉土木(現・大成建設)に勤めながら住宅の設計を開始した。初期の住宅作品である山懸邸や山本邸ではライトの影響が強く出ていたが、1930年後半に設計を行った谷井邸をきっかけに、ライトの作風とは異なるホワイトキューブに大きなガラス窓を穿った、いわゆるバウハウススタイルと呼ばれるモダニズム風の作風に移行した。(空間に段差を付けて入れこむという内部の空間構成においてはライトの影響が残っているとする考えもある。)その成果が最も強く出たのが、1935年に竣工した2件目の土浦亀城邸である。土浦邸は昭和初期のモダンデザイン及び都市住宅の先駆けとなった作品の1つである。.

34 関係: 千代田区台東区吉野作造帝国ホテル三原橋地下街平成建築家強羅ホテルバウハウスモダニズムリチャード・ノイトラルドルフ・シンドラーフランク・ロイド・ライト品川区箱根町遠藤新茨城県藤森照信東京大学東京都横山大観水戸市明治1897年1926年1927年1930年1932年1935年1936年1938年1952年1996年6月29日

千代田区

千代田区(ちよだく)は、東京都の特別区の一つ。1947年(昭和22年)3月15日に麹町区と神田区が合併して誕生した山口恵一郎 『日本地名辞典 市町村編』1980年10月。。.

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台東区

台東区(たいとうく)は、東京都の特別区の一つ。23区東部に区分される。 面積は23区の中で最も狭い。.

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吉野作造

吉野 作造(よしの さくぞう 1878年(明治11年)1月29日 - 1933年(昭和8年)3月18日)は、大正時代を中心に活躍した日本の政治学者、思想家である。東京帝国大学で教壇に立ち、大正デモクラシーの立役者となった。初名は「作蔵」、1917年5月「作造」に改名。号は「古川学人」。弟は商工官僚・政治家の吉野信次。.

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帝国ホテル

帝国ホテル(ていこくホテル、英称:Imperial Hotel)は、東京都千代田区内幸町にあるホテルである。運営者は、株式会社帝国ホテル。東京の他に大阪、上高地にある。 日本を代表する高級ホテルのひとつであり、ホテルオークラ、ニューオータニとともに「(ホテル)御三家」と呼ばれることもある。.

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三原橋地下街

三原橋地下街(みはらばしちかがい)は、かつて東京都中央区の東銀座駅と銀座駅間の晴海通りにあった地下街。延べ面積1,429m2。埋め立てられた三十間堀川の橋の下に形成された。.

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平成

平成(へいせい)は日本の元号の一つ。昭和の後。今上天皇在位中の1989年(平成元年)1月8日から現在に至る。2001年(平成13年)の始まりには西暦における20世紀から21世紀への世紀の転換もあった。2019年(平成31年)4月30日に今上天皇退位により終了する予定であり、予定通り終了した場合、30年113日間(=11,070日間)にわたることとなる。なお、日本の元号では昭和(64年)、明治(45年)、応永(35年)に次いで4番目の長さである(5番目は延暦の25年)。 西暦2018年(本年)は平成30年に当たる。本項では平成が使われた時代(平成時代)についても記述する。.

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建築家

建築家(けんちくか, )は、一般に建築における建物の設計や工事の監理などを職業とする専門家のことである。 建築を実践することは、建物の設計や建物を取り巻く敷地内の空間で、人間の占有や使用を主目的としたサービスを提供することを意味する。語源学的に、建築家はラテンのarchitectusから派生している。更にそれは、ギリシャ語のチーフ建設者(arkhi-、チーフ + tekton、建設者)から派生している。 専門的には、建築家の決定は公共の安全に影響するため、建築を業とするためのライセンスを得るためには実践的な経験が必要であるが、高度な教育と実務 (またはインターンシップ)すなわち建築家になるための実践的、技術的、学問的要件は、国地域によって異なる(下記参照)。 アーキテクトとアーキテクチャという用語は、造園、造船、情報技術(ネットワークアーキテクトやソフトウェアアーキテクトなど)の分野でも使用されている。ほとんどの国地域では、「建築家」 および「ランドスケープアーキテクト」という用語の専門的および商業的使用は法的に保護されている。.

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強羅ホテル

強羅ホテル(ごうらホテル)とは、かつて神奈川県足柄下郡箱根町の強羅温泉にあったホテルである。箱根登山鉄道強羅駅前にあり、交通至便な立地であった。.

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バウハウス

バウハウス(Bauhaus, バオハオスとも)は、1919年、ドイツ国・ヴァイマルに設立された、工芸・写真・デザインなどを含む美術と建築に関する総合的な教育を行った学校。また、その流れを汲む合理主義的・機能主義的な芸術を指すこともある。学校として存在し得たのは、ナチスにより1933年に閉校されるまでのわずか14年間であるが、その活動は現代美術に大きな影響を与えた(モダニズム建築、20世紀美術の項を参照)。 バウハウスはドイツ語で「建築の家」を意味する。中世の建築職人組合であるバウヒュッテ (Bauhütte, 建築の小屋) という語をヴァルター・グロピウスが現代風に表現したものである。.

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モダニズム

モダニズム(modernism)とは、.

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リチャード・ノイトラ

ウフマン邸 1946年リチャード・ジョセフ・ノイトラ(Richard Joseph Neutra、1892年4月8日ウィーン - 1970年4月16日)は20世紀中頃に活躍したオーストリアのユダヤ系ドイツ人のアメリカの建築家。ドイツ語読みではリヒャルト・ヨーゼフ・ノイトラ。 リチャード・ノイトラは、1892年、オーストリア、ウィーンに生まれる。ユダヤ人の家系で、生家はフロイト家とも交流があったという。 父は不可知論者、兄は精神科医、弟はバイオリニストであり、家族から受けた影響は小さくない。ウィーン産業技術大学ワーグナー校に入学。アドルフ・ロース、オットー・ワーグナーの元で建築を学び、一時はドイツのエーリッヒ・メンデルゾーンのスタジオに在籍した。その後スイスに渡り、当地でグスタフ・アマンに造園を師事し、このためしばしば邸宅設計に加え、みずから庭園のデザインも行っていた。1921年にはドイツ・ルッケンヴァルトで緑地計画を含んだ都市計画にも取り組んでいる。 1923年、アメリカに移住し、1929年帰化。ノイトラは、タリアセンのフランク・ロイド・ライトの元で働いた後、大学時代からの親しい友人であるルドルフ・シンドラーの誘いを受け、カリフォルニア州のシンドラー邸で生活、仕事を共にする。その後、ロサンゼルスにて、妻、ディオーネと共同で事務所を開く。 ノイトラは、ライトの影響から脱却し、白い無装飾な直角の箱とでも表現すべき、ヨーロッパのモダニズムを受け継いだ作風へと向かう。1932年のニューヨーク近代美術館における「国際現代建築展」にも選ばれ、参加している。また、A&A(Arts & Architecture)誌の企画によるケース・スタディ・ハウスにも参加し、No.6(施工されず)、No.20を手掛けている。 詳細なアンケートを作成するなど、施主の生活に本当に必要なものを見極め、それを尊重するノイトラの姿勢は、しばしば自身の芸術観を施主に押しつけがちな他の建築家と対照的である。ノイトラの住宅建築は、芸術と景観、そして実用的な快適性を見事に融合させている。ノイトラは、自然とも対立するのではなく、薄い皮膜で包むという姿勢を取り、「バイオ・リアリズム」と名付け提唱した。「建築家は人間を自然との調和の中に戻す治療者」という考え方は、健康住宅と呼ばれるロヴェル邸をはじめとする作品の中に実現されている。 また、彼は、独特の冗談のセンスの持ち主であり、自伝「生活と形(Life and Shape)」の中で、とある映画監督の逸話を紹介している。その映画監督は、ノイトラが設計した自邸の周りに電気を流した堀を巡らせ、ペルシャ人の執事が浮いてくる魚の死体を、これもまたノイトラがデザインした専用の焼却炉に放り込んでいた、というのである。たしかに、ハリウッドの映画監督、ジョセフ・フォン・スタンバーグの依頼した住宅は、堀を巡らせたものであったのだが、もちろん電気を流したりはしていなかった。 1990年代に起った、20世紀半ばの近代建築に対する再評価の動きは、ジョン・ロートナーやシンドラーと並んで、ノイトラの作品に新たな価値を見出すものとなった。トム・フォードや、ケリー・リンチとともに、ポップカルチャーの一角を占めるものとして、その評価は暴騰し、ケース・スタディ・ハウスNo.20は400万ドル、シングルトン邸は600万ドルもの値を付けた。 ノイトラは、1970年旅行中、ドイツのヴッパータルにて息を引き取る。晩年は息子のディオンとの共作という形を取り、リチャードの死後も、「リチャード・アンド・ディオン・ノイトラ建築設計事務所(Richard and Dion Neutra Architecture)」をロサンゼルスにて継続させている。 1930年頃に来日しており、石本喜久治、土浦亀城、山田守らと撮影した写真が現存する。来日の目的は不明であるが、帝国ホテルの設計を行ったライトを接点とする交流であったと推測される。.

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ルドルフ・シンドラー

ルドルフ・ミヒャエル・シンドラー(Rudolf Michael Schindler、1887年9月10日ウィーン - 1953年8月22日ロサンゼルス)は、オーストリア出身のアメリカの建築家である。 フランク・ロイド・ライトの設計事務所を経て、1920年代から40年代のロサンゼルスで100件以上の住宅の設計を手がけ、1950年代に起こったモダンデザインブームに先駆けて当地に近代建築を根付かせた。.

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フランク・ロイド・ライト

プレイリースタイルの代表作ロビー邸 フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright、1867年6月8日 - 1959年4月9日)は、アメリカの建築家。 アメリカ大陸で多くの建築作品があり、日本にもいくつか作品を残している。ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエと共に「近代建築の三大巨匠」と呼ばれる(ヴァルター・グロピウスを加え四大巨匠とみなす事もある)。.

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品川区

品川区(しながわく)は、東京都の特別区のひとつで、23区南部に区分される。1947年(昭和22年)に誕生した区の中で唯一、旧区名がそのまま新区名に採用された。 郵便番号(上3桁)は140・141・142・135。.

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箱根町

箱根町全域のCG画像 箱根町(はこねまち)は、神奈川県西部、箱根峠の東側に位置する町である。足柄下郡に属する。.

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遠藤新

遠藤 新(えんどう あらた、1889年6月1日 - 1951年6月29日)は、日本の建築家。フランク・ロイド・ライトに学び、そのデザイン・空間を自己のものとして設計活動を行った。.

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茨城県

茨城県(いばらきけん)は、日本の県の一つ。関東地方の北東に位置し、東は太平洋に面する。県庁所在地は水戸市。都道府県人口は全国11位、面積は全国24位である。.

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藤森照信

藤森 照信(ふじもり てるのぶ、1946年11月21日 - )は、日本の建築史家、建築家(工学博士)。東京大学名誉教授、東北芸術工科大学客員教授。東京都江戸東京博物館館長。専門は、日本近現代建築史、自然建築デザイン。日本建築学会の建築歴史・意匠委員会委員を歴任。.

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東京大学

記載なし。

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東京都

東京都シンボルマーク。1989年(平成元年)に旧東京市の成立100周年を記念して同年6月1日に制定。「東京都の頭文字の「T」を中央に秘めている『都政 2012』東京都生活文化局広報広聴部広報課 編集・発行、2012年3月発行。東京都が作成した、240ページほどの冊子。」と解説されている。(都の木はイチョウではあるが)イチョウの葉の形を象ったわけではない、という。 東京都(とうきょうと)は、日本の首都事実上の首都。詳細後述であり、関東地方に位置する東京都区部(東京23区)、多摩地域(市部、西多摩郡)、島嶼部(大島支庁・三宅支庁・八丈支庁・小笠原支庁)を管轄する広域地方公共団体(都道府県)の一つである。都庁所在地は新宿区(東京と表記する場合もある)。 都公認の英語の表記はTokyo Metropolis (Tokyo Met.) 。他にはTokyo PrefectureとTokyo Metropolitan Prefectureがある。.

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横山大観

横山 大観(よこやま たいかん、正字体:大觀、1868年11月2日(明治元年9月18日) - 1958年(昭和33年)2月26日)は、日本の美術家、日本画家。常陸国水戸(現在の茨城県水戸市下市)出身。近代日本画壇の巨匠であり、今日「朦朧体(もうろうたい)」と呼ばれる、線描を抑えた独特の没線描法を確立した。帝国美術院会員。第1回文化勲章受章。死後、正三位勲一等旭日大綬章を追贈された。茨城県名誉県民。東京都台東区名誉区民。本名、横山 秀麿(よこやま ひでまろ)。.

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水戸市

水戸市(みとし)は、茨城県の中部に位置する県庁所在地で、施行時特例市である。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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1897年

記載なし。

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1926年

記載なし。

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1927年

記載なし。

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1930年

記載なし。

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1932年

記載なし。

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1935年

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1936年

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1938年

記載なし。

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1952年

この項目では、国際的な視点に基づいた1952年について記載する。.

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1996年

この項目では、国際的な視点に基づいた1996年について記載する。.

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6月29日

6月29日(ろくがつにじゅうくにち)はグレゴリオ暦で年始から180日目(閏年では181日目)にあたり、年末まであと185日ある。誕生花はアガパンサス、ペラルゴニウム。.

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