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四斤山砲

索引 四斤山砲

四斤山砲(よんきんさんぽう, 仏語:Canon de montagne de 4 rayé modèle 1859, Canon de montagne de 4 La Hitte )とは、1859年にフランスで開発された前装ライフル式の青銅製山砲である。「四斤」とは、砲弾重量が4キログラムであることを意味する幕末軍事史研究会(2008年)、90頁。。日本でも幕末から明治初期にかけて主力野戦砲として使用された。.

80 関係: 午砲台湾出兵司馬遼太郎大山巌大阪砲兵工廠大日本帝国陸軍大日本帝国陸軍兵器一覧外務省 (フランス)尚古集成館山砲工作機械幕府陸軍幕末亜鉛彰義隊後装式信管ナポレオン3世ポンド (質量)メートル法ライット・システムライフリングライフル砲リーブルプロイセン王国フランスフランス第二帝政フランス語フランス軍事顧問団 (1867-1868)フランス陸軍和製大砲アームストロング砲アジア歴史資料センターイタリア統一運動オーストリア帝国クリミア戦争クルップタイムスクープハンター元治削り出し前装式砲弾砲兵炸薬熊本市立熊本博物館白虎隊靖国神社青銅青銅砲西南戦争...駐退機駄獣講談社防衛研究所関口製造所薩摩藩野戦砲長州征討鋳鋼集成館事業陸軍省東郷隆村田経芳榴散弾武田斐三郎滑腔砲有効射程戊辰戦争明治新島八重新選組血風録日清戦争慶応普仏戦争12ポンドナポレオン砲12ドイム臼砲1859年1864年1866年1885年 インデックスを展開 (30 もっと) »

午砲

午砲(ごほう、Time Gun、Noon-day Gun)とは時間を知らしめる(時報)ため撃つ大砲(空砲)のことである。日本では正午に撃つことが多かったため、正午の砲として午砲と称された。初めて午砲を制度化したイギリスでは1日の間に数回撃つ例もあり、特に報時の回数、時間に決めは無い。午砲を撃った場所は午砲台もしくは午砲所と呼ばれた。.

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台湾出兵

台湾出兵(たいわんしゅっぺい)は、1874年(明治7年)に明治政府が行った台湾への出兵である。.

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司馬遼太郎

司馬 太郎(しば りょうたろう、1923年(大正12年)8月7日 - 1996年(平成8年)2月12日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家。本名、福田 定一(ふくだ ていいち)。大阪府大阪市生まれ。筆名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。 産経新聞社記者として在職中に、『梟の城』で直木賞を受賞。歴史小説に新風を送る。代表作に『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』『坂の上の雲』など多くがあり、戦国・幕末・明治を扱った作品が多い。『街道をゆく』をはじめとする多数のエッセイなどでも活発な文明批評を行った。.

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大山巌

大山 巌(おおやま いわお、、天保13年10月10日(1842年11月12日) - 大正5年(1916年)12月10日)は、日本の武士(薩摩藩士)、陸軍軍人、政治家。幼名は岩次郎。通称は弥助。雅号は赫山、瑞岩。字は清海。称号・階級は元帥陸軍大将。栄典(位階勲等および爵位)は従一位大勲位功一級公爵。 大警視(第2代)、陸軍大臣(初・2・3・4・6・7代)、陸軍参謀総長(第4・6代)、文部大臣(臨時兼任)、内大臣(第5代)、元老、貴族院議員を歴任した。西郷隆盛・従道兄弟は従兄弟にあたる。.

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大阪砲兵工廠

1945年頃の大阪陸軍造兵廠の敷地図(赤色の部分。道路・鉄道は現在のもの) 大阪砲兵工廠(おおさかほうへいこうしょう)は、大阪府大阪市にあった大日本帝国陸軍の兵器工廠(造兵廠)。太平洋戦争(大東亜戦争)の敗戦まで、大口径の火砲を主体とする兵器の製造を担ったアジア最大規模の軍事工場であった。また、戦前中の日本では重工業分野においてトップクラスの技術や設備を持っていたため、官公庁や民間の要望に応えて兵器以外のさまざまな金属製品も製造していた。最終時の名称は大阪陸軍造兵廠(おおさかりくぐんぞうへいしょう)。.

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大日本帝国陸軍

大日本帝国陸軍(だいにっぽんていこくりくぐん、だいにほんていこくりくぐん、旧字体:大日本帝國陸軍)は、1871年(明治4年) - 1945年(昭和20年)まで日本 (大日本帝国) に存在していた軍隊組織である。通常は、単に日本陸軍や帝国陸軍と呼ばれた。解体後は、陸上自衛隊との区別などのため旧日本陸軍もしくは旧帝国陸軍という名称も使用される。.

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大日本帝国陸軍兵器一覧

大日本帝国陸軍兵器一覧(だいにほんていこくりくぐんへいきいちらん、英:List of Imperial Japanese Army Equipment)は、第二次世界大戦終結にかけ大日本帝国陸軍が保持していた兵器・武器の一覧。.

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外務省 (フランス)

外務・国際開発省(がいむ・こくさいかいはつしょう、)は、フランスの省の一つ。フランスの外交政策の実施および欧州連合内における関係の維持を担当する。.

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尚古集成館

尚古集成館(しょうこしゅうせいかん)は、鹿児島県鹿児島市吉野町にある博物館である。薩摩藩第28代当主島津斉彬によって始められた集成館事業の一環として、1923年5月22日に開館した。現在は島津興業によって運営され、島津家に関する史料や薩摩切子、薩摩焼などを展示する。本館は1865年に建てられたもので、国の重要文化財である。仙巌園に隣接する。日本で初めてアーチを採用した石造洋風建築物。 2015年、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」を構成する「旧集成館」の機械工場として世界遺産に登録されている。.

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山砲

山砲(さんぽう、Mountain Gun、Pack gun、Pack howitzer、Gebirgsgeschütz)は、火砲の一種。定義は同口径の野砲ないし軽榴弾砲と比べて軽量・小型かつ分解が可能で、砲口直径(口径)に対する砲身長(口径長)が短く、低初速・短射程。.

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工作機械

工作機械(こうさくきかい、)は、金属、木材、石材、樹脂等に切断、穿孔、研削、研磨、圧延、鍛造、折り曲げ等の加工を施すための機械である 特許庁。一般に加工対象物または工具の運動(回転または直線移動)によって、加工対象物を削り取り目的の形状に加工する。工作機械を構成する要素は3つあり、加工対象物または工具に運動を与える動力、動力を特定の運動に変える案内機構、加工対象物を削り取る加工工具からなる。 おもな工作機械として、旋盤、ボール盤、中ぐり盤、フライス盤、歯切り盤、研削盤などがある。 近年では、数値制御を行うNC加工で、機械加工を自動化した工作機械が主流である。これらの機能を搭載した工作機械は「マシニングセンタ」「ターニングセンタ」などと呼ばれている。.

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幕府陸軍

幕府陸軍(ばくふりくぐん)は、幕末に江戸幕府が整備した陸上戦闘を任務とした西洋式軍備の陸軍である。文久2年(1862年)、幕府の軍制改革で対外防衛と国内体制維持を目的として創設された。長州征討や天狗党の乱などで実戦を経験し、大政奉還により幕府が消滅した後も所属部隊の多くが戊辰戦争で戦闘を続けた。簡略化して単に幕府軍と呼称される場合もある。.

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幕末

幕末(ばくまつ)は、日本の歴史のうち、江戸幕府が政権を握っていた時代(江戸時代)の末期を指す。本記事においては、黒船来航(1853年)から戊辰戦争(1869年)までの時代を主に扱う。.

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亜鉛

亜鉛(あえん、zinc、zincum)は原子番号30の金属元素。元素記号は Zn。亜鉛族元素の一つ。安定な結晶構造は、六方最密充填構造 (HCP) の金属。必須ミネラル(無機質)16種の一つ。.

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彰義隊

彰義隊(しょうぎたい)は、1868年(慶応4年)に江戸幕府の征夷大将軍であった徳川慶喜の警護などを目的として渋沢成一郎や天野八郎らによって結成された部隊。幕府より江戸市中取締の任を受け江戸の治安維持を行ったが、上野戦争で明治新政府軍に敗れ解散した。.

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後装式

後装式(こうそうしき)は、銃砲の装填方式を2つに大別した1つで、銃砲身の尾部から砲弾と装薬を装填する方式を言う。銃砲口から装填する前装式の対義語。 後込め(あとごめ)、元込め(もとごめ)、砲尾装填式とも呼ばれる。後装式の銃砲を後装銃、後装砲、ブリーチローダー(breech loader)と言う。後装式では銃砲の尾栓(閉鎖機)に工夫が必要となる。.

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信管

時限式弾頭信管、イギリスで開発された2.95インチ山砲用にアメリカで設計されたもの 信管(しんかん) とは弾薬を構成する部品の一つであり、弾薬の種類と用途に応じて所望の時期と場所で弾薬を作動させるための装置である。 現在、以下の4つの機能を持っていて、以下の機能が一つに結合された装置を信管と呼んでいる。.

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ナポレオン3世

ナポレオン3世(Napoléon III, 1808年4月20日 - 1873年1月9日)は、フランス第二共和政の大統領(在任:1848年 - 1852年)、のちフランス第二帝政の皇帝(在位:1852年 - 1870年)。本名はシャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルト(Charles Louis-Napoléon Bonaparte)であり、皇帝に即位して「ナポレオン3世」を名乗る以前については一般にルイ・ナポレオンと呼ばれている。本項でもそのように記述するものとする。 ナポレオン・ボナパルトの甥にあたり、1815年のナポレオン失脚後、国外亡命生活と武装蜂起失敗による獄中生活を送ったが、1848年革命で王政が消えるとフランスへの帰国が叶い、同年の大統領選挙でフランス第二共和政の大統領に当選した。第二共和政の大統領の権力は弱く、はじめ共和派、のち王党派が牛耳るようになった国民議会から様々な掣肘を受けたが、1851年に国民議会に対するクーデタを起こし、独裁権力を掌握。1852年に皇帝に即位して「ナポレオン3世」となり、第二帝政を開始した。1850年代は「権威帝政」と呼ばれる強圧支配を敷いたが、1860年代頃から「自由帝政」と呼ばれる議会を尊重した統治へと徐々に移行した。内政面ではパリ改造計画、近代金融の確立、鉄道網敷設などに尽くした。外交ではクリミア戦争によってウィーン体制を終焉させ、ヨーロッパ各地の自由主義ナショナリズム運動を支援することでフランスの影響力を拡大を図った。またアフリカ・アジアにフランス植民地を拡大させた。しかしメキシコ出兵の失敗で体制は動揺。1870年に勃発した普仏戦争でプロイセン軍の捕虜となり、それがきっかけで第二帝政は崩壊し、フランスは第三共和政へ移行した。 以降2018年現在までフランスは共和政であるため、彼がフランスにおける最後の君主にあたる。.

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ポンド (質量)

ポンド()またはパウンド()は、ヤード・ポンド法などにおける質量の単位である。1959年以降(ただし日本では1993年以降)は、1 ポンド.

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メートル法

メートル法を公式採用している国 メートル法(メートルほう、metric system)とは、長さの単位であるメートル(mètre)と質量の単位であるキログラム(kilogramme)を基準とする、十進法による単位系のことである。.

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ライット・システム

ライット・システム(仏語:"Système La Hitte")は、1855年3月に採用されたフランス陸軍の施条前装砲で、ジャン=アーネスト・デュコ・ド・ライット(Jean-Ernest Ducos de La Hitte)将軍の名前に基づくものである。.

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ライフリング

ライフリング(rifling)は、銃砲の銃砲身内に施された螺旋状の溝を意味し、日本語では施条(しじょう)、あるいは腔綫(腔線)(こうせん、綫は線の別体。常用漢字でないため「線」と書くこともある)、もしくは腔施と呼ぶ『銃の科学』(かのよしのり著 サイエンス・アイ新書 2012年)18頁「1-05 ライフルとはなにか」。この螺旋状の浅い溝で銃身内で加速される弾丸に旋回運動を与え、ジャイロ効果により弾軸の安定を図り直進性を高める目的で用いられる。 ちなみにライフリングのない滑腔銃砲身から椎の実弾を発射すると、旋転されない弾丸は空気抵抗を受けて横弾となったり、でんぐり返りながら飛ぶので命中精度は全く期待出来ない(こうしたタイプの銃に、FP-45リベレーターなどの超至近距離用の簡易拳銃が存在する)。なお、同じく滑腔銃身の散弾銃用スラッグ弾は、様々な方法(設けた翼により空気抵抗を受けて回転するなど)でジャイロ効果を発揮させている。.

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ライフル砲

ライフル砲(ライフルほう)は、砲身内に施条(ライフリング)を持つ大砲である。.

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リーブル

リーブル、リーヴル(仏:livre)は、フランスで1795年まで使われていた通貨およびコイン。また、質量の単位。 古代ローマの通貨・コインのリブラ (libra) に由来する。リブラはイタリアではリラ (lira) になった。イングランドではポンドと呼ばれるようになったが、記号£に libra の頭文字が残っている。それゆえリーブルは「フランスポンド」または「フレンチポンド」 (French pound) と呼ばれることがある。 他の補助単位との換算は、1リーブル.

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プロイセン王国

プロイセン王国(プロイセンおうこく、Königreich Preußen)は、ホーエンツォレルン家の君主が統治したヨーロッパの王国。現在のドイツ北部からポーランド西部にかけてを領土とし、首都はベルリンにあった。 プロイセンの語源となったプルーセンはドイツ騎士団に征服され、1224年にドイツ騎士団国が作られた。ドイツ騎士団国は1525年にプロシア公領ないしプロイセン公国となる。1618年、公国はブランデンブルク選帝侯領とともに、同君連合であるブランデンブルク=プロイセンを構成した。君主フリードリヒ・ヴィルヘルムは、オランダ総督との姻戚関係によって威勢を増した。1701年にプロイセン王国となった。王国は北ドイツ連邦の盟主となるまで軍事国家として成長し続け、普仏戦争に勝利した。そのときプロイセンを盟主とするドイツ帝国ができた。1918年からドイツ革命によりヴァイマル共和政のプロイセン州となった。(#歴史).

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フランス

フランス共和国(フランスきょうわこく、République française)、通称フランス(France)は、西ヨーロッパの領土並びに複数の海外地域および領土から成る単一主権国家である。フランス・メトロポリテーヌ(本土)は地中海からイギリス海峡および北海へ、ライン川から大西洋へと広がる。 2、人口は6,6600000人である。-->.

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フランス第二帝政

フランス第二帝政(フランスだいにていせい、Second Empire Français)は、1852年から1870年まで存在した君主政体。ナポレオン・ボナパルトの甥であるルイ=ナポレオン(ナポレオン3世)が1851年12月2日にによって議会を解散し、新たな憲法を制定した上で国民投票によってフランス皇帝に即位した。 第二共和政期において、とりわけ六月蜂起後に保守・反動化した議会は、幅広い民衆の支持を得ることに失敗していた。こうして反議会に傾いた民衆をルイ=ナポレオン大統領は取り込むことに成功した。クーデターによる議会打倒を経て成立した第二帝政(第二帝国)は、権威主義的・反議会主義的な統治体制である一方、国民投票によって指導者を選出し、幅広い民衆に支持基盤をおいた点で、人民主権的、民主主義的な性格も有していた。.

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フランス語

フランス語(フランスご)は、インド・ヨーロッパ語族のイタリック語派に属する言語。ロマンス諸語のひとつで、ラテン語の口語(俗ラテン語)から変化したフランス北部のオイル語(またはウィ語、langue d'oïl)が母体と言われている。日本語では、仏蘭西語、略して仏語とも書く。 世界で英語(約80の国・地域)に次ぐ2番目に多くの国・地域で使用されている言語で、フランス、スイス、ベルギー、カナダの他、かつてフランスやベルギーの領域だった諸国を中心に29カ国で公用語になっている(フランス語圏を参照)。全世界で1億2,300万人が主要言語として使用し、総話者数は2億人以上である。国際連合、欧州連合等の公用語の一つにも選ばれている。このフランス語の話者を、'''フランコフォン''' (francophone) と言う。.

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フランス軍事顧問団 (1867-1868)

一次フランス軍事顧問団(1867-1868年)は、西洋式陸軍の訓練のために日本に派遣された、最初の顧問団である。顧問団の一部は、明治政府成立後も幕府側に加担し、戊辰戦争に参加した。.

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フランス陸軍

フランス陸軍(フランス語:Armée de Terre française)はフランスの陸軍である。.

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和製大砲

和製大砲(わせいたいほう)は、江戸時代初期より日本で製造された青銅製前装式の大砲の、後世においての呼称である。.

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アームストロング砲

アームストロング砲(アームストロングほう)とは、イギリスのウィリアム・アームストロングが1855年に開発した大砲の一種。が発明した後装式ライフル砲を改良したもので、装填時間は従来の数分の一から、大型砲では10分の1にまで短縮された。 砲身は錬鉄製で、複数の筒を重ね合わせる層成砲身で鋳造砲に比べて軽量であった。このような特徴から、同時代の火砲の中では優れた性能を持っていた。.

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アジア歴史資料センター

アジア歴史資料センター(アジアれきししりょうセンター、)は、日本の国の機関が保管するアジア近隣諸国との関係に関わる歴史資料を提供する電子資料センター。インターネットを通じ明治期から第二次世界大戦終結までの期間に関する情報提供を行っており、日本の国立公文書館によって運営されている。略称は「アジ歴」。アジア諸国との相互理解と相互信頼の構築、および他国と比べて遅れている歴史記録保存・公開を進める、といった目的を有している。これらの歴史記録は、例えば日本の近現代史に関する研究資料、近隣諸国との対話材料などに利用することが可能である。 2006年10月時点の公開画像は約1,270万画像であり、目録として85万3,000件のデータベースが公開されていた。アジア歴史資料センターによれば、毎年約15万件から20万件、画像数にして200万~300万画像ほどの資料が毎年追加公開されており、2011年4月の時点では、約2,246万画像、162万件の目録データを提供している。2016年3月末時点では、2,985万画像、206万件のデータを公開している。またデータ更新は四半期ごとを目処としている。 収録対象となっているのは、それぞれ日本の国立公文書館、外務省外交史料館、防衛省防衛研究所戦史研究センターが保管するアジア歴史資料であり、デジタル化に応じて順次公開されている。センターでは、これらの公的機関が所蔵する資料は2,800万画像を越えると予測している。 アジア歴史資料センターの公開資料へのアクセスは、インターネットを利用して誰でも可能である。旧センター内では閲覧室で端末を用いた閲覧も可能だったが、事務所移転にともない、インターネット公開という特殊性から閲覧室は廃止された。画像はDjVu、JPEG 2000の2形式により保存・公開されていたが、PDF・JPEG方式へと移行した。.

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イタリア統一運動

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オーストリア帝国

ーストリア帝国(オーストリアていこく、Kaisertum Österreich)は、1804年の成立から1867年のオーストリア=ハンガリー帝国への改組まで、オーストリアのハプスブルク=ロートリンゲン家(以下、単に「ハプスブルク家」と呼ぶ)がオーストリア皇帝として支配した多民族国家。 前身の、オーストリア大公国やボヘミア王国・ハンガリー王国などの同君連合国家群だった時代と、オーストリア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国の時代とをあわせて、ハプスブルク帝国と総称される。 厳密には第一次世界大戦敗戦までオーストリア帝国は存続しているが、本記事ではアウスグライヒまでを扱う。.

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クリミア戦争

リミア戦争(クリミアせんそう、Crimean War、Guerre de Crimée、Крымская война、Kırım Savaşı)は、1853年から1856年の間、クリミア半島などを舞台として行われた戦争である。.

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クルップ

ルップ(Krupp)は、ドイツのエッセンにある長い歴史を持つ重工業企業である。1999年にティッセン社と合併し、ティッセンクルップが誕生。巨大な工業コングロマリットとなっている。.

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タイムスクープハンター

『タイムスクープハンター』は、NHK総合テレビのドキュメンタリー・ドラマ風歴史教養番組。.

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元治

元治(げんじ)は日本の元号の一つ。文久の後、慶応の前。1864年から1865年までの期間。この時代の天皇は孝明天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂。.

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削り出し

削り出し(けずりだし)は、機械加工において、機械の部品などをインゴット(素材のかたまり)から旋盤やフライス盤などを用いて形成する事。加工の形態としては、切断と合わせて切削加工と呼ばれる。.

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前装式

前装式のL16 81mm 迫撃砲を使用する陸上自衛隊 前装式の艦砲 前装式の銃に、弾を込める人々 前装式(ぜんそうしき)は、火器での装填方式の1つであり、砲身や銃身の先端側ガンバレルから砲弾や銃弾、装薬を装填する方式である。先込め(さきごめ)、砲口装填式、マズルローディング(muzzle loading)とも呼ばれる。そのため前装式の銃砲は「前装銃」や「前装砲」「マズルローダー」(muzzle loader)とも呼ばれる。 対義語はガンバレル後端側の薬室から装填する「後装式」、「元込式」「ブリーチローダー」(breech loader)である。.

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砲弾

台北国軍歷史文物館に展示されている銃砲弾 砲弾(ほうだん、shell,cannonball)は、大砲に使用される弾丸のこと。複数の種類が存在し、目標・目的によって使い分けられる。陸上自衛隊の定義では「口径20mm以上の弾丸」のことで、それ未満のものを小火器弾薬とする。 日本語の「砲弾」の場合は、大砲用の弾丸を広く含めるが、英語の"shell"は、本来は炸薬が詰まった種類のもののみを指し、炸薬が詰まっていない弾丸については"shot"と呼び分けていた。現在では炸薬の入っていない徹甲弾のようなものも、"shell"と呼んでいる。なお、1868年のサンクトペテルブルク宣言は、小口径の弾丸には炸薬を詰めることを制限しており、「量目400g以下」かつ「爆発性または燃焼性の物質を充てたる発射物」の使用を締約国間のみの戦争では禁止している。 海上自衛隊の76ミリ砲弾と薬莢.

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砲兵

兵(ほうへい、artillery)は、陸上戦闘を行う兵科の1つであり、火砲(大砲)・ロケット・ミサイルによる支援攻撃を担っている。日本の陸上自衛隊では特科(とっか)と称される(自衛隊用語)。.

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炸薬

炸薬(さくやく)は、爆弾などにつめて、爆発(炸裂)させるのに用いるもの。火薬の一種。日本海軍で用いられた用語。 地雷や砲弾、魚雷などに用いられる。これらの爆発の威力は炸薬がいかに速く燃焼するかに係っており、性能を維持・向上させるために不可欠な要素となる反面、火薬の中でも信管以外によるいかなる衝撃や加熱によっても爆発しない鈍感な性質のものが理想とされる。 Category:火薬 bg:Взривни_вещества sl:Eksplozivi.

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熊本市立熊本博物館

本市立熊本博物館(くまもとしりつくまもとはくぶつかん)は、熊本市中央区にある博物館である。 分館として熊本城天守閣内部の展示室があり、公式には熊本城の再建天守閣は「熊本市立熊本博物館分館」となっている。.

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白虎隊

白虎隊(びゃっこたい)は、会津戦争に際して会津藩が組織した、16歳から17歳の武家の男子によって構成された部隊である。中には志願して生年月日を改め15歳で出陣した者もいたほか、幼少組として13歳の少年も加わっていた。 幕末の会津藩が組織した部隊には他に玄武隊、朱雀隊、青龍隊などがある。名前の由来は、中国の伝説の神獣である「白虎」からである。.

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靖国神社

(靖國神社、やすくにじんじゃ)は、東京都千代田区九段北にある神社である。.

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青銅

十円硬貨。銅95%、スズ1-2%、亜鉛4-3%の青銅製at%。 青銅(せいどう、英、仏、独、葡: bronze ブロンズ)とは、銅Cu を主成分としてスズSn を含む合金である。「砲金」ともいう。.

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青銅砲

青銅砲(せいどうほう)は、青銅製の鋳造砲のこと。.

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西南戦争

西南戦争(せいなんせんそう)、または西南の役(せいなんのえき)は、1877年(明治10年)に現在の熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県において西郷隆盛を盟主にして起こった士族による武力反乱である。明治初期に起こった一連の士族反乱の中でも最大規模のもので、2018年現在日本国内で最後の内戦である。鹿児島では丁丑戦として語られている。.

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駐退機

退機(ちゅうたいき)は、大砲を発射した際に生じる反動(recoil)を砲身のみを後座させることによって軽減するための装置である。通常、後座した砲身を元の位置に戻す復座機と一体化して駐退復座機として用いられる。.

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駄獣

獣として利用されるウマ 駄獣(だじゅう)または駄載獣(ださいじゅう)は、貨物を背中に載せて運搬するために利用される使役動物である。 車両やソリを牽引するために用いられる使役動物は輓獣と呼んで区別するが、同じ動物が時と場合により駄獣としても輓獣としても利用されることがある。 自動車の普及以降は需要が減少したが、自動車で利用できる道路のない山岳地域や森林などでは、現代でも最も効率の良い運搬手段となることもある。.

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講談社

株式会社講談社(こうだんしゃ、英称:Kodansha Ltd.)は、日本の総合出版社。創業者の野間清治の一族が経営する同族企業。.

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防衛研究所

防衛研究所(ぼうえいけんきゅうしょ、National Institute for Defense Studies: NIDS)は、東京都新宿区の防衛省市ヶ谷地区にある防衛省施設等機関の一つ。.

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関口製造所

関口製造所(せきぐちせいぞうしょ)は、江戸幕府が幕末に設置した兵器製造工場である。「関口大砲製造所」とも呼称された。明治政府に官収され、その設備は東京砲兵工廠へ引き継がれた。本項では、「湯島大小砲鋳立場」に始まる江戸幕府の洋式兵器製造の歴史を含めて記述する。.

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薩摩藩

薩摩藩庁が置かれた鹿児島城 薩摩藩(さつまはん)は、江戸時代に薩摩・大隅の2か国及び日向国諸県郡の大部分を領有し、琉球王国を支配下に置いた藩。現在の鹿児島県全域と宮崎県の南西部を領有したほか、間接的に沖縄県の大部分を服属させた。.

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野戦砲

野戦砲(やせんほう)は大砲の種別の一つで、野戦で用いられる野砲やカノン砲、榴弾砲、歩兵砲、山砲を指す。本来の意味の野砲が先進国砲兵に存在しない現在では野砲(やほう)とも呼ばれる。ただし、対戦車砲や対空砲などは含まない。 初期の大砲は基本的に攻城砲であり、攻城戦が始まってから戦場で大砲を鋳造して、動かない目標を破壊すればよかったので、移動の必要がなかった。しかし、野戦は戦場が不特定の場所である場合が多く、かつ目標が動くため移動する能力が必要である。そのため砲車に載せて牛馬に引かせて移動した。 野戦砲は15世紀に大々的に用いられるようになるが、20世紀に入るまで基本的な部分は変わらず、2つ大型車輪の砲車に載せられ、を持ち反動を抑えられるようになっていた。それまでに滑腔砲が施条砲となり、前装方式から後装方式となり、木製砲車から鉄製砲車となったがこれらの歴史は野戦砲に限らず砲全般に言えることである。 20世紀に入ると駐退機が採用され、反動を大きく抑えられるようになった。これにより反動で後ろに下がった砲を元に戻して照準を合わせる必要がなくなったので速射性が向上した。 第二次世界大戦を境に牽引方法も牛馬から自動車へ変わり車輪も空気式のタイヤに変わっていく。さらには車両と一体化した自走砲が登場し一分野を築いた。.

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長州征討

長州征討(ちょうしゅうせいとう)は、元治元年(1864年)と慶応2年(1866年)の2回にわたり、江戸幕府が長州藩の処分をするために長州藩領のある周防国、長門国(以下、防長二州と記す)へ向け征討の兵を出した事件を指す。長州征伐、長州出兵、幕長戦争、長州戦争などとも呼ばれる。 特に慶応元年(1865年)5月の江戸幕府14代将軍徳川家茂の進発(出陣)に始まり、慶応3年(1867年)1月23日の解兵令に至る第二次長州征討は「長州再征」とも呼ばれ幕末政治史上の一大事件となったが、長州側の立場から当該事件を歴史的に捉えた場合は四境戦争と呼ぶ向きもある。.

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鋳鋼

鋳鋼(ちゅうこう)は鋼の一種で、鋳造によって製品を製造するのだが、鋳造において一般的な「鉄」(鋳鉄)ではなく、「鋼」にあたる鉄系材料を用い、鋳鉄と比較して鋼としての特長を持つ。 鋳造の為、はじめから製品の部品としての形が出来上がっているものが多く、溶鋼を直接製品化できる。一方で、成分的には溶接性をあまり考慮されていないという側面があったが、最近ではそれを改良したものもでている。 鋳鉄より伸び(展延性)と引張強さ(強度)が大きいが、鍛造鋼よりはもろい。.

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集成館事業

1872年頃の磯地区。集成館事業に関連する建物が多く見える 集成館事業(しゅうせいかんじぎょう)は、薩摩藩第28代当主島津斉彬によって起こされた日本最初の洋式産業群の総称をさす。.

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陸軍省

軍省(りくぐんしょう)は、日本の第二次世界大戦前の行政官庁各省の中の一つである。大日本帝国陸軍の軍政機関。主任の大臣は陸軍大臣。 陸軍大臣は国務大臣として親任官であり、現役の陸軍中将・陸軍大将が補された。 予備役の陸軍中将・陸軍大将が陸軍大臣に補されることが可能な時期があった。 1903年(明治36年)以降、1945年(昭和20年) に至るまでの主な附属官庁に航空本部・技術本部・兵器廠・造兵廠・科学研究所・被服廠・糧秣廠などがあり、内局に、大臣官房・人事局・軍務局・整備局・兵器局・経理局・医務局・法務局があった。.

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東郷隆

東郷 隆(とうごう りゅう、1951年12月16日 - )は、 日本の小説家。.

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村田経芳

村田 経芳(むらた つねよし、天保9年6月10日(1838年7月30日) - 大正10年(1921年)2月9日)は、薩摩藩藩士、日本陸軍軍人。階級は陸軍少将。栄典は従二位勲一等男爵。通称は勇右衛門。村田銃の開発者として知られる。.

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榴散弾

榴散弾1:少量の炸薬、シェルケースから前方に弾丸を発射する。2:破片弾(ボール)3:時限信管4:信管から炸薬を起爆するための導爆管5:破片弾を保持するための樹脂、砲弾が爆発するときに煙を出して燃える。6:薄い鋼で出来た砲弾の外殻7:薬莢8:推進薬、コルダイトやニトロセルロースなど 初期の榴散弾 フランス・ヴェルダンの戦場跡にて発掘された榴散弾の散弾 榴散弾(りゅうさんだん、Shrapnel Shell)は、19世紀初頭から20世紀半ばごろまで使われた対人・対非装甲目標用の砲弾で、野砲や榴弾砲から発射する。砲弾内部には球体の散弾(弾子)が多数詰まっており、目標のやや手前上空で弾丸底部の炸薬を炸裂させ(曳火)、散弾を前下方に投射して人や馬を殺傷し軟目標を破壊する。旧軍では榴霰弾と表記した。.

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武田斐三郎

武田 斐三郎(たけだ あやさぶろう、文政10年9月15日(1827年11月4日) - 明治13年(1880年)1月28日)は、日本の武士(伊予大洲藩士)、科学者、教育者、陸軍軍人。函館時代までは斐三郎、明治政府時代からは成章(しげあきら)の名を使った。竹塘(ちくとう)と号す。 緒方洪庵や佐久間象山らから洋学などを学び、箱館戦争の舞台として知られる洋式城郭「五稜郭」を設計・建設した。明治7年(1874年)3月、陸軍大佐。 陸軍大学校教授、陸軍士官学校教授、陸軍幼年学校長(初代)。.

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滑腔砲

滑腔砲(かっこうほう、英:smoothbore、スムーズボア)は、砲身内にライフリング(旋条)が無い砲のこと。.

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有効射程

有効射程(ゆうこうしゃてい)とは、敵に直撃を与える効力射 の最大距離を意味する。銃砲類、ロケット弾・弾道ミサイル・魚雷などの兵器ごとの性能を表す指標の1つであり、実用上その威力が有効となる目安の距離である。有効射距離、有効射程、決戦射撃距離と表記する場合もある。有効射程圏外では、初弾発射の試射後、修正のための較正射を繰り返しても、目標に直接危害を及ぼす効力射を得ることがほぼできない状態となる。砲撃においては土煙または水柱が目標の手前と遠方を均等に捉える挟叉が効力射とされる。 発射前や飛翔や航走の途中で、方向や速度を変化させる要素は多く、また運用環境や測定条件によっても変化することもあり、国や運用形態によってどこまでを有効とするか、定義はあまり定まっていない。.

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戊辰戦争

戊辰戦争(ぼしんせんそう、慶応4年/明治元年 - 明治2年(1868年 - 1869年))は、王政復古を経て明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩・土佐藩らを中核とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った日本の内戦。名称は慶応4年/明治元年の干支が戊辰であることに由来する。 明治新政府が同戦争に勝利し、国内に他の交戦団体が消滅したことにより、これ以降、同政府が日本を統治する政府として国際的に認められることとなった。 以下の日付は、断りのない限り旧暦でしるす。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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新島八重

新島 八重(にいじま やえ〈やゑ〉、弘化2年11月3日(1845年12月1日) - 昭和7年(1932年)6月14日)は、江戸時代末期(幕末)から昭和初期の日本の女性。同志社創立者の新島襄の妻として知られる。旧姓は山本。一部の手紙などでは「八重子」と署名してあることから、史料によっては新島八重子と書かれる場合もある。勲等は勲六等宝冠章。皇族以外の女性としてはじめて政府より受勲した人物。.

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新選組血風録

『新選組血風録』(しんせんぐみけっぷうろく)は、司馬遼太郎の小説。幕末の新選組を題材とした連作短編集である。これを原作とした映画、テレビドラマがたびたび製作されている。.

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日清戦争

日清戦争(にっしんせんそう)は、1894年(明治27年)7月25日(光緒20年6月)から1895年(明治28年)3月(光緒21年2月)にかけて行われた主に朝鮮半島(李氏朝鮮)をめぐる日本と大清国の戦争である。前者がイギリス帝国に接近し、治外法権を撤廃させる実質的な外交材料となった。日清講和条約を結ばせた日本は戦勝国であったが、多くの兵を病死させている。また、利率の高い国内軍事公債も戦後に借り替えた。条約により台湾を譲り受けた日本は、台湾総督府や台湾製糖を設置し、民間からは大日本製糖などの製糖会社が台湾に進出した。また日清汽船(大阪商船)などの水運会社が上海に進出した。.

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慶応

慶応(けいおう、旧字体: 慶應)は日本の元号の一つ。元治の後、明治の前。1865年から1868年までの期間。この時代の天皇は孝明天皇、明治天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂、徳川慶喜。日本での「一世一元の詔」発布以前では最後の元号。.

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普仏戦争

普仏戦争(ふふつせんそう、Guerre franco-allemande de 1870、Deutsch-Französischer Krieg)は、フランス第二帝政期の1870年7月19日に起こり、1871年5月10日まで続いたフランスとプロイセン王国の間で行われた戦争である。ドイツ諸邦もプロイセン側に立って参戦したため独仏戦争とも呼ぶ他、フランス側では1870年戦争と呼称する。なお、日本の世界史の教科書ではプロイセン=フランス戦争と呼称する場合もある。プロイセンは北ドイツ連邦と南ドイツのバーデン大公国・ヴュルテンベルク王国・バイエルン王国と同盟を結び圧勝した。 もともとスペイン王位継承問題でプロイセンとフランスの対立が最高潮に達していたが、ドイツ首相ビスマルクはエムス電報事件でフランスとの対立を煽り開戦させた。フランスは7月19日にプロイセンのみに宣戦したが、ドイツ諸邦はプロイセン側に立って参戦した。野戦砲と鉄道輸送を巧みに活用したプロイセン軍の精強さは、ドイツ国境に侵攻したフランス軍を叩きのめした。防戦一方となったフランス軍は9月2日にセダンの戦いで包囲に置かれ、10万人のフランス兵と皇帝ナポレオン3世が降伏した。 第二帝政は終焉を迎えて第三共和政に移行した。新たに編成されたフランス軍も帝政時代と同じくプロイセン軍に一蹴され、5ヶ月間の北フランス攻撃を経て、1871年1月28日に首都パリを占領された。1871年5月10日、フランクフルト講和条約が締結され、正式にフランスはプロイセンに降伏した。 ジャコブ・マイエール・ド・ロチルドが1817年に設立したロチルド・フレール(de Rothschild Frères ロスチャイルド兄弟とも)は、50億フランにのぼる賠償金を支払うためのシンジケートを組成した。フランスはオスマン帝国に対する膨大な債権を回収してロチルドらに返済するつもりであったが、オスマン債務管理局の利権にドイツ帝国が割りこみ東方問題に佳境をもたらした。そして新たにカリブ海問題も生まれた。.

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12ポンドナポレオン砲

12ポンドナポレオン砲(仏:Canon obusier de campagne de 12 cm, modèle 1853、米:12-pounder Napoleon)は、1853年にフランスで開発された野砲。フランス語を直訳すると、1853年型12cm榴弾野砲であるが、南北戦争で広く使用され、12ポンドナポレオン砲と呼ばれるようになった。「ナポレオン」は「ナポレオン3世」を意味する。なお、幕末の日本では、この砲ではなく、四斤山砲をナポレオン砲と呼んでいた。.

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12ドイム臼砲

12ドイム臼砲とはオランダの臼砲である。 数人で運搬可能な軽臼砲で青銅の鋳物でできた砲口装填式の滑腔砲である。仰角は固定で射程距離の調節は火薬の量で調節していた。 ドイムとはオランダ独自の単位で実質的にはメートル法の1センチと同じである。 幕末の日本に多数が輸入され十二栂臼砲(じゅうにぼきゅうほう)と呼ばれていた。 戊辰戦争で活躍した後、明治になると陸軍の装備となり各鎮台に4門ずつ配備された。 明治23年に正式装備から外され退役して倉庫で眠っていたが日露戦争では再び持ち出され大量に保管されていた砲弾が12センチ迫撃砲の砲弾として再利用されている。 大山巌がこの砲を元に日本初の国産火砲である弥助砲(十二斤綫臼砲)を作った。なお、大山が設計したために弥助砲と呼ばれる砲はもう一種あり、四斤山砲の改良型である長四斤山砲がそれである。.

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1859年

記載なし。

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1864年

記載なし。

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1866年

記載なし。

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1885年

記載なし。

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