165 関係: おうふう、ちくま文庫、ばさら、さいとう・たかを、南北朝時代 (日本)、南北朝時代 (日本)の人物一覧、古代、古活字本、吉川弘文館、吉川元春、吉川英治、吉野城、吉良義央、塩冶高貞、増鏡、大佛次郎、大義名分、大隅和雄、大東亜戦争、大河ドラマ、大日本史、太平記 (インテック)、太平記 (NHK大河ドラマ)、太平記評判秘伝理尽鈔、太政官、学生社、宝井其角、宣教師、室町幕府、室町時代、宋明理学、尊王攘夷、小学館、小説、将軍家、山岡荘八、山下宏明、岡見正雄、岩波文庫、岩波書店、川田甕江、中世、中世日本紀、中公新書、市沢哲、下克上、平家物語、平住専安、平和、平凡社、...、平凡社ライブラリー、平清盛、平成、久米邦武、今川貞世、今東光、仏教、建武の新政、佐藤和彦、徳川光圀、後醍醐天皇、往来物、忠臣蔵、応永、北畠親房、北方謙三、バンデット -偽伝太平記-、メガドライブ、ヘレン・クレイグ・マッカラ、テレビドラマ、インテック、イエズス会、キリスト教、ゲームジャーナル、シミュレーションゲーム、セガゲームス、儒教、円観、児島高徳、兵藤裕己、前々太平記、勉誠出版、国書刊行会、CD-ROM2、皇室、皇国史観、玄恵、火坂雅志、神皇正統記、私本太平記、竹田出雲、第二次世界大戦、管領、細川頼之、翔企画、百科事典、鎌倉幕府、観応の擾乱、角川学芸出版、角川ソフィア文庫、角川書店、高橋直樹 (作家)、講談、講談社学術文庫、講談社文庫、谷崎潤一郎、貞治、足利尊氏、足利義詮、足利義満、足利直義、足利氏、鷲尾雨工、軍記物語、近世、赤穂事件、赤穂事件の人物一覧、赤穂藩、重野安繹、若尾政希、難太平記、陰徳太平記、陳舜臣、NHKエンタープライズ、PCエンジン、東京大学、東洋文庫 (平凡社)、松尾剛次、杉本苑子、梅松論、森茂暁、森村誠一、楠木正成、歴史書一覧、水戸学、永井路子、永積安明、江戸時代、法勝寺、活版印刷、源威集、明治、映画、新田一郎 (法学者)、新田義貞、新田氏、新藤兼人、新葉和歌集、新潮社、新潮日本古典集成、文保、日記、日本の中世文学史、日本古典文学大系、日本古典文学全集、日本文学、日本放送協会、悪党 (映画)、怨霊、1318年、1368年、16世紀、1990年、1991年、1992年。 インデックスを展開 (115 もっと) »
おうふう
おうふうは、東京都千代田区にある出版社で、国語学や国文学などに関する著作を刊行している学術出版社。旧社名の桜楓社でも知られている。桜楓社という社名は、日本大学の国文学者・鈴木知太郎がつけた。.
ちくま文庫
ちくま文庫(ちくまぶんこ)は、株式会社筑摩書房が発行している文庫レーベル。1985年12月より刊行開始した。基本的な装幀(フォーマットならびに安野光雅がデザインした。 ちくま文庫を立ち上げた松田哲夫は安野の教え子である。それが縁で依頼したという。 なお、同音の「チクマ文庫」とは別。.
ばさら
ばさらとは、日本の中世、主に南北朝時代の社会風潮や文化的流行をあらわす言葉であり、実際に当時の流行語として用いられた。婆娑羅など幾つかの漢字表記がある。.
さいとう・たかを
さいとう・たかを(本名:斎藤 隆夫、1936年11月3日 - )は、日本の漫画家。和歌山県生まれ、大阪府堺市出身。東京都中野区、岩手県花巻市在住。 貸本漫画時代に劇画という分野を確立した人物の一人であり、一般漫画の世界に転向後も『ゴルゴ13』をはじめとする数々のヒット作品を生み出した、劇画界の代表的人物である。また「さいとう・プロダクション」を設立し、各スタッフの分業体制により作品を制作するという方式を確立した。.
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南北朝時代 (日本)
南北朝時代(なんぼくちょう じだい)は、日本の歴史区分の一つ。建武の新政の崩壊を受けて足利尊氏が新たに光明天皇(北朝側)を擁立したのに対抗して京都を脱出した後醍醐天皇(南朝側)が吉野行宮に遷った1336年(延元元年/建武3年)から、南朝第4代の後亀山天皇が北朝第6代の後小松天皇に譲位するかたちで両朝が合一を見た1392年(元中9年/明徳3年)までの、56年間をいう。また両朝の並立はひとえに後醍醐天皇の皇位に対する執念が生み出したものであることから、彼を中心に歴史が動いた南北朝時代の序章とでもいうべき1331年(元弘元年)の元弘の乱から建武新政の終焉に至る5年間もまたこの時代に含めるのが一般的である。 鎌倉時代の後半から半世紀にわたって両統迭立という不自然なかたちの皇位継承を繰り返した皇統は、すでに持明院統と大覚寺統という二つの相容れない系統に割れた状態が恒常化するという実質的な分裂を招いていた。それが倒幕と新政の失敗を経て、この時代になると両統から二人の天皇が並立し、それに伴い京都の北朝と吉野の南朝の二つの朝廷が並存するという、王権の完全な分裂状態に陥った。両朝はそれぞれの正統性を主張して激突し、幾たびかの大規模な戦が起こった。また日本の各地でも守護や国人たちがそれぞれの利害関係から北朝あるいは南朝に与して戦乱に明け暮れた。 こうした当時の世相を、奈良興福寺大乗院の第20代門跡・尋尊は自らが編纂した『大乗院日記目録』の中で「一天両帝南北京也」と表現した。これを中国の魏晋南北朝の時代を模して南北朝時代と呼ぶようになったのはかなり後のことである。なお明治以後に南朝の天皇を正統とする史観が定着すると、この時代の名称が「北朝」の語を含むことが問題視されるようになったため、吉野朝時代(よしのちょう じだい)という新語が作られたが、第二次世界大戦後に皇国史観が影を潜めるとともに死語同然となった。.
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南北朝時代 (日本)の人物一覧
南北朝時代の人物一覧は、日本の南北朝時代(1336年(延元元年/建武3年)に足利尊氏による光明天皇の践祚から1392年(元中9年/明徳3年)に両朝が合一するまで)を中心とした人物の一覧である。.
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古代
古代(こだい、)とは、世界の歴史の時代区分で、文明の成立から古代文明の崩壊までの時代を指す。「歴史の始まり」を意味する時代区分である。古典的な三時代区分の一つであり、元来は古代ギリシア・古代ローマを指した(古典古代)。歴史家にとっては語ることのできる歴史の始まり(書き出し)を意味した。考古学の発達が歴史記述の上限を大幅に拡大したと言える。.
古活字本
『吾妻鏡』古活字本寛永版・林羅山の跋文 古活字本(こかつじぼん)または古活字版(―はん)とは、文禄より慶安ごろ(16世紀末から17世紀初め)までの間に日本で刊行された活字印刷本の総称である。.
吉川弘文館
吉川弘文館(よしかわこうぶんかん)は日本史関連を主軸とした老舗の出版社。1857年(安政4年)に、吉川半七により設立。戦後1949年(昭和24年)に株式会社として現在に至る。.
吉川元春
吉川 元春(きっかわ もとはる) / 毛利 元春(もうり もとはる)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。毛利元就の次男。母は吉川国経の娘・妙玖。同母の兄弟に兄の毛利隆元、弟の小早川隆景、その他異母の兄弟が多くいる。 父・元就によって藤原南家の流れを汲む安芸国の名門・吉川氏に養子として送り込まれ、家督を乗っ取る形で相続した。以後、毛利両川の一人として、弟の隆景と共に毛利家発展の基礎を築き上げ、主に山陰地方の司令官として貢献した。.
吉川英治
吉川 英治(よしかわ えいじ、1892年(明治25年)8月11日 - 1962年(昭和37年)9月7日)は、日本の小説家。本名、英次(ひでつぐ)。神奈川県生まれ。 様々な職についたのち作家活動に入り、『鳴門秘帖』などで人気作家となる。1935年(昭和10年)より連載が始まった『宮本武蔵』は広範囲な読者を獲得し、大衆小説の代表的な作品となった。戦後は『新・平家物語』、『私本太平記』などの大作を執筆。幅広い読者層を獲得し、「国民文学作家」といわれる。.
吉野城
吉野山を北側から望む。金峯山寺蔵王堂を中心とした山々が吉野城の範囲にあたる。中央の谷に広がるのは丹治の町で、左手の山に丹治城が築かれた 吉野城(よしのじょう)は、吉野山一帯をさしていう中世山城(日本の城)のこと。鎌倉時代末期に大塔宮護良親王が、吉野山で挙兵し拠点とした。太平記では金峯山城とも。所在地は奈良県吉野郡吉野町吉野山。本項では太平記に登場する吉野城攻防戦および正平3年(1348年)の高師直による吉野行宮への襲撃も述べる。.
吉良義央
吉良 義央(きら よしひさ/よしなか(名前の読みについては後述を参照))は、江戸時代前期の高家旗本(高家肝煎)。赤穂事件の一方の当事者であり、同事件に題材をとった創作作品『忠臣蔵』では敵役として描かれる。幼名は三郎、通称は左近。従四位上・左近衛権少将、上野介(こうずけのすけ)。吉良上野介と呼ばれることが多い。本姓は源氏(清和源氏)。家紋は丸に二つ引・五三桐。.
塩冶高貞
花輪違(七宝に花角) 塩冶 高貞(えんや たかさだ、旧字体:鹽冶 髙貞、生年不詳 -1341年(興国2年/暦応4年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。出雲守護として、後醍醐天皇の挙兵に呼応し、鎌倉幕府との戦いに貢献する。建武の新政ののちは、足利尊氏に味方し、南朝方制圧に力を奮ったが、1341年3月に京都を出奔すると謀反として北朝に追討され、同年翌月出雲国で自害した。 江戸時代に『仮名手本忠臣蔵』に引用されたことで有名。通称が大夫判官だったことから、物語では塩谷「や」の漢字表記は冶ではなく谷となっている。判官(えんや はんがん)として広く知られた。家紋は「花輪違」。.
増鏡
『増鏡』(ますかがみ)は、歴史物語。成立は南北朝時代と推定される。作者は未詳だが、二条良基説や洞院公賢説、四条家関係者説などがある。いわゆる「四鏡」の成立順では最後に位置する作品である。内容的には最も新しい時代を扱っている。.
大佛次郎
大佛 次郞(おさらぎ じろう、1897年(明治30年)10月9日 - 1973年(昭和48年)4月30日)は、日本の小説家・作家。神奈川県出身、本名は野尻 清彦(のじり きよひこ)。『鞍馬天狗』シリーズなど大衆文学の作者として有名な他、歴史小説、ノンフィクション、さらには新作歌舞伎や童話などまでを幅広く手がけた。作家の野尻抱影(正英)は兄。.
大義名分
大義名分(たいぎめいぶん)とは、儒教に由来する考え方で、本来は臣下として守るべき道義や節度、出処進退などのあり方を指した。今日では転じて、「行動を起こすにあたってその正当性を主張するための道理・根拠」を指す事が多い。 儒教文化圏では古くから、君臣・父子などの関係(名)には、相応の責任・役割(分)が付随し、それは正当なる人倫の分限に基づいた価値判断(大義)に基づいて正否が定まると考えられていた。このため、古来より現実及び過去の経験的実証的知識の蓄積である史実と「華夷内外」・「是非善悪」といった名分を組み合わせて大義名分の有り様についての議論が行われるとともに、これに基づいた倫理的価値判断をもって現実の事象を評価することが試みられた(ただし、それは時に抽象的にあるいは相対的で価値基準自体が不安定になりがちである)。その理念的源泉は孔子がまとめたとされる『春秋』であり、宋・司馬光の『資治通鑑』や朱熹の『資治通鑑綱目』はこれを継承しようとする試みであった。 日本では儒学者のみならず国学者の間でも様々な説が立てられた(大義名分論)。特にその延長上に位置づけられるのが、幕末の尊王攘夷論である。ただし、尊王論も攘夷論も本来は内に「君臣の義」、外に「華夷の弁」を強調するもので実際の政治体制(幕藩体制)と直ちに対立するものではなかった。しかし、その価値基準は個々の価値判断(大義)に基づくものであったから、社会の安定期には儒教と皇室の権威に基づいた保守的な現状維持論に過ぎなかった尊王攘夷論が、江戸時代後期の政治・社会の不安定期には一転して政治の革新を求める運動に転化することとなり、山縣大弐の『柳子新論』(1759年)や藤田東湖の『正名論』(1791年)のように体制変革に踏み出す主張も現れるようになったのである。更に幕末最末期すなわち尊王攘夷運動終盤には中岡慎太郎のように尊王攘夷論を外圧に対抗して国家の独立を維持するための理念と捉えて本来は排撃すべきである「夷狄」アメリカ合衆国の建国者たちの活躍をその模範とすべしと唱える者まで現れるようになり、現実的な内外認識に合わせて変革思想の合理的解釈と正当化のための理論武装として大義名分論が持ち出されるようになった。.
大隅和雄
大隅 和雄(おおすみ かずお、1932年10月10日 - )は日本の歴史学者、思想史家。専攻は中世思想史(仏教思想)。東京女子大学名誉教授。 福岡県生まれ。父は鉱山学者・大隅芳雄。外祖父は日本史学者・長沼賢海。 長男は大隅清陽(1962年-、山梨大学教育人間科学部教授、歴史学者、日本古代史専攻)。生物学者の大隅良典は弟。.
大東亜戦争
開戦翌年の1942年(昭和17年)に日本政府が発行した「大東亜戦争国庫債券」(戦争国債)。戦後のインフレーションによりほぼ無価値となった。 「大東亜戦争第一周年記念」として日本勧業銀行(現:みずほ銀行)が販売した「戦時報国債券」 大東亜戦争(だいとうあせんそう、、Greater East Asia War)は、大日本帝国と、イギリスやアメリカ合衆国、オランダ、中華民国、オーストラリアなどの連合国との間に発生した戦争に対する呼称。1941年(昭和16年)12月12日に東條内閣が、支那事変(日中戦争)も含めて「大東亜戦争」とすると閣議決定した。 「欧米諸国によるアジアの植民地を解放し、大東亜細亜共栄圏を設立してアジアの自立を目指す」、という理念と構想を元に始まった大東亜戦争が、アジアの植民地の宗主国を中心に構成された連合国側にとっては都合が悪かったため、終戦後にはGHQによって「戦時用語」として使用が禁止され、「太平洋戦争」などの語がかわって用いられた。GHQの指定は現在では失効しているが、1960年頃から一種のタブー扱いとされメディアでの使用は控えられている。一方で、「連合国軍の都合で一方的に使用が止められた『大東亜戦争』の用語を用いるべきである」とする主張も存在し、歴史認識問題などでこの戦争の呼称については議論が多数なされている。.
大河ドラマ
『大河ドラマ』(たいがドラマ)は、1963年(昭和38年)から放送されているNHKのテレビドラマシリーズ。略称は大河。 1984年から1986年にかけて放送されたNHK新大型時代劇と2009年から2011年にかけて放送されたスペシャルドラマ『坂の上の雲』についてもこの項で述べる。.
大日本史
『大日本史』(だいにほんし)は、日本の歴史書。江戸時代に御三家のひとつである水戸徳川家当主徳川光圀によって開始され、光圀死後も水戸藩の事業として二百数十年継続し、明治時代に完成した。神武天皇から後小松天皇まで(厳密には南北朝が統一された1392年(元中9年/明徳3年)までを区切りとする)の百代の帝王の治世を扱う。紀伝体の史書で、本紀(帝王)73巻、列伝(后妃・皇子・皇女を最初に置き、群臣はほぼ年代順に配列、時に逆臣伝・孝子伝といった分類も見られる)170巻、志・表154巻、全397巻226冊(目録5巻)。携わった学者たちは水戸学派と呼ばれた『大思想エンサイクロペヂア』28巻 (春秋社, 1930) p187。 『大日本史』は光圀死後の1715年(正徳5年)、藩主徳川綱條による命名で、同時代には『本朝史記』や『国史』『倭史』と呼ばれている。質の高い漢文体で書かれ、記事には出典を明らかにし、考証にも気を配っている。.
太平記 (インテック)
『太平記』(たいへいき)は、1991年12月13日にインテックからPCエンジンCD-ROM²用ソフトとして発売された、南北朝時代をテーマにした戦略シミュレーションゲームである。.
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太平記 (NHK大河ドラマ)
『太平記』(たいへいき)は、NHKで1991年に放送された第29作目の大河ドラマである。放送期間は1991年1月6日 - 12月8日で、全49回。.
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太平記評判秘伝理尽鈔
太平記評判秘伝理尽鈔(たいへいきひょうばんひでんりじんしょう)は、江戸時代に広まった『太平記』の注釈書である。40巻。.
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太政官
太政官.
学生社
学生社(がくせいしゃ)は、日本の出版社。主に神道を始めとした宗教学や、内外の考古学・古代史を中心に、様々な分野の人文系学術書を多数刊行。また哲学、思想、文学、各部門の大学教科書やビジネス書なども刊行している。.
宝井其角
宝井 其角(たからい きかく、寛文元年7月17日(1661年8月11日) - 宝永4年2月30日(1707年4月2日。一説には2月29日(4月1日))は、江戸時代前期の俳諧師。 本名は竹下侃憲(たけした ただのり)。別号は螺舎(らしゃ)、狂雷堂(きょうらいどう)、晋子(しんし)、宝普斎(ほうしんさい)など。.
宣教師
宣教師(せんきょうし)は、ある特定の思想や宗教を伝えるために、自分の属する共同体を離れて活動する者のこと。もともとはキリスト教用語で、イエス・キリストの高弟たちのことを使徒と呼ぶが、そのギリシア語表現であるアポストロス(απόστολος)本来の意味は「遣わされた者」であり、これがラテン語に訳された際に、同じ意味を持つ"missio"の語が充てられた。宣教師を意味するヨーロッパの各言語における表記は、このラテン語表記に由来する。(missionary、Missionarなど。)現代では本来のキリスト教用語として意味だけでなく、広義で新思想の普及者を指してそう呼ぶことがある。.
室町幕府
花の御所(室町殿) 室町幕府(むろまちばくふ)は、足利尊氏が京都において軍事貴族(武家貴族)として創始した武家政権。その称は3代将軍足利義満が京都北小路室町(現在の今出川通と室町通が交わる付近)に造営した花の御所(室町殿)に由来する。足利幕府ともいう。足利氏が15代にわたって将軍職を継承したが、織田信長によって事実上の滅亡に追い込まれた。.
室町時代
室町時代(むろまちじだい)は、日本の歴史において、室町幕府(足利将軍家)によって統治されていた時代である。「室町時代」の名称は、京都の室町に幕府が置かれていたことに由来する。.
宋明理学
宋明理学(そうみんりがく)は、またの名を道学という。中国の宋代・明代の儒学を代表するテーマが理であったことから、理学(りがく)と名付けられた。清代の儒学者たちからは宋学(そうがく)と呼ばれた。欧米からは、英語のに代表されるように、「新儒学」と呼ばれる(現代の新儒家(現代新儒学)とは区別される)。.
尊王攘夷
尊王攘夷(そんのうじょうい)、尊皇攘夷(そんのうじょうい)とは、君主を尊び、外敵を斥けようとする思想である。江戸時代末期(幕末)の水戸学や国学に影響を受け、維新期に昂揚した政治スローガンを指している。.
小学館
株式会社小学館(しょうがくかん)は、東京都千代田区にある日本の総合出版社。系列会社グループの通称「一ツ橋グループ」の中核的存在である。.
小説
小説(しょうせつ、fiction(総称)、novel(長編)、story(短編)、roman(長編)、nouvelle(中編)、conte(短編))とは、文学の形式の一つである。.
将軍家
将軍家(しょうぐんけ)は、日本の中世において、征夷大将軍または近衛府大将に叙任された武家の棟梁が、政権を樹立する際に公家の家政制度に倣って創始したものである。自身及び、世襲を確立した際には嫡子を始めとする家族と、家政機関である政所を含んだ。 最初にこの概念が導入されたのは、源頼朝が右近衛大将に叙任されたことにより、従来自身の主従関係をこれに当てはめたものである。彼とその家臣団である御家人が朝廷からの自治の確立のために称された。後に、頼朝自身が征夷大将軍に就任し、彼の子である源頼家および実朝へと征夷大将軍の世襲がおこなわれるようになった。そして、頼朝の職名である「征夷大将軍家」・「前右大将家」の略である「将軍家」の称が確立される。 また、源実朝が征夷大将軍兼帯で右大臣に就任したことにより、征夷大将軍が大臣に就任することが可能となった。鎌倉時代においては、摂家将軍・皇族将軍らは将軍職を辞した後も大臣には就任しなかった。再び将軍が大臣に就任したのは、室町時代に入り右近衛大将を任じられた足利義満の、内大臣就任からである。 室町時代には、征夷大将軍に対しては将軍家という言い方より公方(くぼう)と言う言い方が用いられる。江戸時代には御三家・御三卿や将軍庶子に対する将軍の嫡子に対して用いられた。 将軍家は武家政権の時代を通じて日本の統治者の一族としての役割を担った。勅令により任命されたが、武家政権の確立期には天皇家を凌ぐ威勢を誇った。形式上は朝廷の臣下であったが、実際には諸外国からも王家としての待遇を受けるのが通例であった。.
山岡荘八
山岡 荘八(やまおか そうはち、1907年1月11日 - 1978年9月30日)は、日本の小説家・作家。歴史小説を中心に活躍。本名は藤野 庄蔵(ふじの しょうぞう)。従四位勲二等瑞宝章叙勲。 自由党元衆議院議員の山岡賢次は養子。国民民主党衆議院議員の山岡達丸は孫。.
山下宏明
山下 宏明(やました ひろあき、1974年12月19日 - )は、日本の作曲家。神奈川県出身。.
岡見正雄
岡見 正雄(おかみ まさお、1913年7月30日 - 1990年2月6日)は、国文学者。.
岩波文庫
岩波文庫(いわなみぶんこ)は、株式会社岩波書店が発行する文庫本レーベル。1927年(昭和2年)7月10日に、ドイツのレクラム文庫を模範とし、書物を安価に流通させ、より多くの人々が手軽に学術的な著作を読めるようになることを目的として創刊された日本初の文庫本のシリーズ。最初の刊行作品は『新訓万葉集』などであった。.
岩波書店
株式会社岩波書店(いわなみしょてん、Iwanami Shoten, Publishers. )は、日本の出版社。.
川田甕江
川田 甕江(かわた/かわだ おうこう、文政13年6月13日(1830年8月1日) - 明治29年(1896年)2月2日)は、幕末・明治期の漢学者。本名は剛(たけし)であるが、これは師である山田方谷の命名であり、それ以前は竹次郎と名乗っていた。号は毅卿(きけい)。.
中世
中世(ちゅうせい、英語:middle ages)は、狭義には西洋史の時代区分の一つで、古代よりも後、近代または近世よりも前の時代を指す。17世紀初頭の西洋では中世の観念が早くも定着していたと見られ、文献上の初見は1610年代にまでさかのぼる。 また、広義には、西洋史における中世の類推から、他地域のある時代を「中世」と呼ぶ。 ただし、あくまでも類推であって、西洋史における中世と同じ年代を指すとは限らないし、「中世」という時代区分を用いない分野のことも多い。 また、西洋では「中世」という用語を専ら西洋史における時代区分として使用する。 例えば英語では日本史における「中世」を通常は「feudal Japan」(封建日本)や「medieval Japan」(中世日本)とする。.
中世日本紀
中世日本紀(ちゅうせいにほんぎ)は、日本中世において、『日本書紀』等に基づきながらも主に本地垂迹説などに則り多様に解釈・再編成された神話群の総称、あるいはそのような解釈・再編成の動きを指す学術用語である。前者については、中世神話とも呼ばれる。 中世日本紀では、記紀の神々が仏教の諸天諸仏と同一視されることが多く、神仏が同じ舞台で対等に渡り合ったりと中世における両部神道や山王神道などによる神仏習合思想を下敷きにした神話が語られている。また、そうでないものにあっても仏教の影響を受けた神話の解釈が見られる。主に歌学書、軍記物、寺社縁起などにおいて記述されているため、統一的・体系的な文献は存在せず、豊富なバリエーションが残されている。.
中公新書
中公新書(ちゅうこうしんしょ)は、中央公論新社(読売新聞グループ)が発行している新書レーベルの1つ。現行の新書レーベルでは岩波新書に次ぐ歴史がある。サブレーベルとして中公PC新書、中公新書ラクレがある。.
市沢哲
市澤 哲(いちざわ てつ、1960年-)は、日本の歴史学者。神戸大学教授。専攻は日本中世史。.
下克上
下剋上 / 下克上 (げこくじょう)とは、日本史において下位の者が上位の者を政治的・軍事的に打倒して身分秩序(上下関係)を侵す行為をさす。.
平家物語
『平家物語』(へいけものがたり)は、鎌倉時代に成立したと思われる、平家の栄華と没落を描いた軍記物語である。 保元の乱・平治の乱勝利後の平家と敗れた源家の対照、源平の戦いから平家の滅亡を追ううちに、没落しはじめた平安貴族たちと新たに台頭した武士たちの織りなす人間模様を見事に描き出している。平易で流麗な名文として知られ、「祇園精舎の鐘の声……」の有名な書き出しをはじめとして、広く知られている。.
平住専安
平住 専安(ひらずみ せんあん、生年不詳 - 享保19年8月7日(1734年9月4日))は、元禄年間から宝永年間にかけて伊予吉田藩(伊達氏、現・愛媛県宇和島市吉田町)にて御殿医を勤めた儒医で、儒学者、朱子学者(崎門学脈(山崎闇斎)、浅見絅齋-山本復斎門下)、本草学者でもあった。名は「周道」。字は「専安」。号は「専庵」、「専菴」、「建春山人」、「橘墩」、「橘館」、「静斎」、「季直」と称した。.
平和
平和(へいわ)は、戦争や内戦で社会が乱れていない状態。.
平凡社
株式会社平凡社(へいぼんしゃ)は、日本の出版社。百科事典の出版社として有名で、多様な一般書のほか岩波書店、筑摩書房と並んで学術・教養性の強い出版物を多く刊行する。現在も継続刊行中の東洋文庫(1963年創刊)、『別冊 太陽』(1972年創刊)などは歴史が古い。社名の「平」の字は、厳密には二つの点が末広がりになった旧字体「」を用いる(大正末期創業のため)。.
平凡社ライブラリー
平凡社ライブラリー(へいぼんしゃライブラリー)は、平凡社が刊行する叢書レーベルである。.
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平清盛
平 清盛(たいら の きよもり)は、平安時代末期の武将・公卿。 伊勢平氏の棟梁・平忠盛の長男として生まれ、平氏棟梁となる。保元の乱で後白河天皇の信頼を得て、平治の乱で最終的な勝利者となり、武士としては初めて太政大臣に任じられる。日宋貿易によって財政基盤の開拓を行い、宋銭を日本国内で流通させ通貨経済の基礎を築き、日本初の武家政権を打ち立てた(平氏政権)。 平氏の権勢に反発した後白河法皇と対立し、治承三年の政変で法皇を幽閉して徳子の産んだ安徳天皇を擁し政治の実権を握るが、平氏の独裁は公家・寺社・武士などから大きな反発を受け、源氏による平氏打倒の兵が挙がる中、熱病で没した。.
平成
平成(へいせい)は日本の元号の一つ。昭和の後。今上天皇在位中の1989年(平成元年)1月8日から現在に至る。2001年(平成13年)の始まりには西暦における20世紀から21世紀への世紀の転換もあった。2019年(平成31年)4月30日に今上天皇退位により終了する予定であり、予定通り終了した場合、30年113日間(=11,070日間)にわたることとなる。なお、日本の元号では昭和(64年)、明治(45年)、応永(35年)に次いで4番目の長さである(5番目は延暦の25年)。 西暦2018年(本年)は平成30年に当たる。本項では平成が使われた時代(平成時代)についても記述する。.
久米邦武
久米 邦武(くめ くにたけ、1839年8月19日(天保10年7月11日) - 1931年(昭和6年)2月24日)は、幕末の佐賀藩士で、近代日本の歴史学における先駆者。幼名を泰次郎、のち丈一郎。易堂と号す。洋画家の久米桂一郎は子、外交官の久米邦貞は曾孫に当たる。.
今川貞世
今川 貞世(いまがわ さだよ)は、鎌倉時代後期から南北朝・室町時代の武将、守護大名。室町幕府の九州探題、遠江、駿河半国守護。九州探題赴任中は備後、安芸、筑前、筑後、豊前、肥前、肥後、日向、大隅、薩摩の守護も兼ねた。歌人としても名高い。法名は了俊(りょうしゅん)で、今川了俊と呼ばれる事も多い。没年は異説あり。.
今東光
今 東光(こん とうこう、1898年(明治31年)3月26日 - 1977年(昭和52年)9月19日)は、横浜生まれの天台宗僧侶(法名 春聽仏門に入った後は今春聽が戸籍名、今東光が筆名となった。自筆年譜には「午前5時、日輪と共に生る。依て父母之に命名して東光」とある。)、小説家、参議院議員。大正時代後期、新感覚派作家として出発し、出家後、長く文壇を離れるが、作家として復帰後は、住職として住んだ河内や平泉、父祖の地、津軽など 奥州を題材にした作品で知られる。 作家・評論家で、初代文化庁長官を務めた今日出海(ひでみ)は三弟。儒学者の伊東梅軒は母方の祖父。医師で第8代弘前市長や衆議院議員を務めた伊東重は母方の伯父。国家主義者の伊東六十次郎は従弟。外交官の珍田捨巳は父方の遠縁にあたる。.
仏教
仏教寺院 仏教(ぶっきょう、旧字体:佛敎、サンスクリット:बौद्धधर्मः 、Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、もしくはガウタマ・シッダールタ、ゴータマ・シッダールタ)を開祖とする宗教である。キリスト教・イスラム教と並んで、日本では出版点数の多い宗教の一つに数えられる。仏陀(仏、目覚めた人)の説いた教えである。 その教義は、苦しみの輪廻から解脱することを目指している。原因と結果の理解に基づいており、諸々の現象が縁起するとされる。 仏教は仏、その教えである法、その実践者である僧からなる三宝を中心に組織されている。実践における戒定慧の三学は、戒律、心を集中する禅定、ものごとの縁起を観察する智慧であり、後ろ二つは併せて止観とも呼ばれる仏教の瞑想法である。実践にて重要となる能力は六波羅蜜や八正道のように、いくつかの方法でまとめらている。 紀元前450年ごろに、インドで開始された仏教は、今では初期仏教として研究されている。釈迦は、他の苦行などの実践者の主張であるアートマン(真我)の存在を否定して無我とした。釈迦の死後数百年で部派仏教が生まれ、大きく大衆部と上座部とに、さらに細かく分かれたが、今なお大きな勢力として続いているのは南伝した上座部仏教であり、初期の教えを模範としている。紀元前の終わりごろには北伝し日本にも伝わることになる大乗仏教が開始され、教義や団体は多彩に発展しており、禅の瞑想法の様々、チベットや日本の真言宗に残る密教、一方で浄土信仰のような信仰形態の変化など多様である。『日本書紀』によれば仏教が伝来したのは飛鳥時代552年(欽明天皇13年)である(日本の仏教)。.
建武の新政
建武の新政(けんむのしんせい)は、鎌倉幕府滅亡後の元弘3年/正慶2年(1333年)6月に後醍醐天皇が「親政」(天皇が自ら行う政治)を開始したことにより成立した政権及びその新政策(「新政」)である。建武の中興(けんむのちゅうこう)とも表現される。 名は、翌年の元弘4年/建武元年(1334年)に定められた「建武」の元号に由来する。近年の歴史学では「建武政権」という表現もある。後醍醐天皇は天皇親政によって朝廷の政治を復権しようとしたが、武士層を中心とする不満を招き、建武3年(1336年)に河内源氏の有力者であった足利尊氏が離反したことにより、政権は崩壊した。.
佐藤和彦
佐藤 和彦(さとう かずひこ、1937年3月17日 - 2006年5月13日)は、日本史学者。.
徳川光圀
徳川 光圀(とくがわ みつくに)は、常陸水戸藩の第2代藩主。「水戸黄門」としても知られる。 諡号は「義公」、字は「子龍」、号は「梅里」。また神号は「高譲味道根之命」(たかゆずるうましみちねのみこと)。水戸藩初代藩主・徳川頼房の三男。徳川家康の孫に当たる。儒学を奨励し、彰考館を設けて『大日本史』を編纂し、水戸学の基礎をつくった。.
後醍醐天皇
後醍醐天皇(ごだいごてんのう)は、鎌倉時代後期から南北朝時代初期にかけての第96代天皇にして、南朝の初代天皇(在位:文保2年2月26日(1318年3月29日) - 延元4年/暦応2年8月15日(1339年9月18日))。ただし、以下で記述するとおり、歴史的事実としては在位途中に2度の廃位と譲位を経ている。諱は尊治(たかはる)。鎌倉幕府を倒して建武新政を実施したものの、間もなく足利尊氏の離反に遭ったために大和吉野へ入り、南朝政権(吉野朝廷)を樹立した。.
往来物
往来物(おうらいもの)は、平安時代後期から明治時代初頭にかけて、主に往復書簡などの手紙類の形式をとって作成された初等教育用の教科書の総称である。.
忠臣蔵
仮名手本忠臣蔵 夜討人数ノ内 堀辺弥津兵衛 堀辺弥次兵衛肖像」 歌川国貞画。 忠臣蔵(ちゅうしんぐら)は、 人形浄瑠璃(文楽)および歌舞伎の演目のひとつで、1748年に大阪で初演された『仮名手本忠臣蔵』の通称。また歌舞伎や演劇・映画の分野で、江戸時代元禄期に起きた赤穂事件を基にした創作作品。 なお、脚色された創作であるため、史実としての赤穂事件とは異なる部分もある(赤穂事件参照)。.
応永
応永(おうえい、旧字体:應永)は、日本の元号の1つ。明徳の後、正長の前。1394年から1427年までの期間を指す。この時代の天皇は後小松天皇、称光天皇。室町幕府将軍は足利義満、足利義持、足利義量。日本の元号の中では、昭和、明治に次いで3番目の長さ(35年)であり、一世一元の制導入以前では最長である。また、応永10年から22年までの約10年間は戦乱などが途絶え「応永の平和」と言われる。.
北畠親房
北畠 親房(きたばたけ ちかふさ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の公卿。著書の『神皇正統記』で名高い。.
北方謙三
北方 謙三(きたかた けんぞう、1947年10月26日 - )は、日本の小説家。.
バンデット -偽伝太平記-
『バンデット -偽伝太平記-』(バンデット ぎでんたいへいき)は、河部真道による日本の漫画作品。南北朝時代(鎌倉時代後期から室町時代初期)の騒乱を記した『太平記』を題材にした漫画で、講談社の『モーニング』にて2016年45号(2016年10月6日発売)から2017年48号(2017年10月26日発売)まで連載していた(全52話)。題字は平田弘史による。なお、バンデット (bandit) は山賊の意味だが、本作では『太平記』の時代に見られる悪党を指している。.
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メガドライブ
メガドライブ (MEGA DRIVE) は、セガ・エンタープライゼス(後のセガゲームス)が1988年10月29日に日本で発売した16ビットの家庭用ゲーム機である。メーカー希望小売価格は21,000円。 米国・カナダではGENESIS(ジェネシス)という名称で1989年に、ヨーロッパ・フランス・スペイン等の欧州地域やブラジルなどの南米地域では日本と同じ名称で1990年に発売された。.
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ヘレン・クレイグ・マッカラ
ヘレン・クレイグ・マッカラ(Helen Craig McCullough, 1918年 - 1998年)は、米国の日本古典学者。多くの日本古典を英訳したが、ドナルド・キーンやエドワード・G・サイデンステッカーのように日本での知名度は低い。 カリフォルニア州生まれ。1939年、カリフォルニア大学バークレー校(政治学専攻)を卒業。太平洋戦争の勃発に伴い、コロラド州ボウルダーの海軍日本語学校に入る。終戦後来日し、通訳を務め、1950年、バークレーに戻り、修士号、博士号を取得。スタンフォード大学で講師を務めたのち、1969年、バークレーに戻り、1975年、教授。何度か来日し日本政府から褒章を受け、1988年、引退。夫も日本文学研究者のウィリアム・マッカラ。.
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テレビドラマ
テレビドラマとは、テレビ番組の一種で、ドラマ形式のもののこと。.
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インテック
株式会社インテック (INTEC INC.) は、TISインテックグループの大手システムインテグレーター(独立系)。.
イエズス会
イエズス会(イエズスかい、)は、キリスト教、カトリック教会の男子修道会。1534年にイグナチオ・デ・ロヨラやフランシスコ・ザビエルらによって創設され、1540年にパウルス3世により承認された。世界各地への宣教に務め、日本に初めてカトリックをもたらした。なおイエズスは、中世ラテン語による (イエス・キリスト)の古くからのカトリックの日本語表記。.
キリスト教
リスト教で最も頻繁に用いられるラテン十字 アギア・ソフィア大聖堂にある『全能者ハリストス』と呼ばれるタイプのモザイクイコン。 キリスト教(キリストきょう、基督教、Χριστιανισμός、Religio Christiana、Christianity)は、ナザレのイエスをキリスト(救い主)として信じる宗教「キリスト教」『宗教学辞典』東京大学出版会、1973年、146頁。「キリスト教」『大辞泉』増補・新装版、小学館、1998年11月20日、第一版、714頁。 小学館、コトバンク。。イエス・キリストが、神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じる。その多く(正教会正教会からの出典:・東方諸教会東方諸教会からの出典:・カトリック教会カトリック教会からの出典:・聖公会聖公会からの出典:・プロテスタントルーテル教会からの出典:改革派教会からの出典:バプテストからの出典:メソジストからの参照:フスト・ゴンサレス 著、鈴木浩 訳『キリスト教神学基本用語集』p103 - p105, 教文館 (2010/11)、ISBN 9784764240353など)は「父なる神」「御父」(おんちち、『ヨハネによる福音書』3:35〈『新共同訳聖書』〉)。と「その子キリスト」「御子」(みこ、『ヨハネによる福音書』3:35〈『新共同訳聖書』〉)・「子なる神」。と「聖霊」を唯一の神(三位一体・至聖三者)として信仰する。 世界における信者数は20億人を超えており、すべての宗教の中で最も多い。.
ゲームジャーナル
ームジャーナルは、シミュレーションジャーナルが発行するゲーム雑誌。3月、6月、9月、12月の1日前後に発売され、主にアナログゲームとしてのウォーゲームを扱う。 当初同人雑誌であったが、2001年10月に商業誌と称しリニューアルした。だが入手するには主に通信販売に頼るしかなく、同人誌時代と変化がなく、どこが商業化したか購読者にはわかりにくい(同業誌の『コマンドマガジン日本版』も入手法はほぼ同じ)。なお商業化にあたって、かつて『タクテクス』誌に執筆していたライターが多い『歴史群像』に広告を打った。毎号付録としてウォーゲームが付属する(打ち抜きカウンターシートと紙製マップの挟み込み)。価格は付録のゲームを含めて本体3,600円(税込3,880円)である。 シミュレーションジャーナル代表兼編集長の中村徹也(ふゅ~ら~中村「Fu:hrer」)が、2007年度ウォーゲーム界にもっとも貢献した人物・作品に贈られる「ジェームズ・F・ダニガン賞」を受賞した。「ジェームズ・F・ダニガン賞」の受賞者として日本人デザイナーの名前が表彰されるのはチャールズロバーツ賞創設以来、史上初。また同賞での「三冠」達成は過去10年間では2001年度の「Wilderness War」、2004年度の「Downtown 」(GMT)の2回のみ。勿論日本人がデザインした作品での三冠達成は史上初であり、近年海外への進出著しい国産ウォーゲーム界の動向にとって画期的な出来事といえる。さらに国際ゲーマーズ賞(The International Gamers Awards)の「歴史シミュレーションゲーム部門」も受賞した。.
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シミュレーションゲーム
ミュレーションゲーム (simulation game) とはその名の通り現実の事象・体験を仮想的に行うコンピュータゲームのジャンルの一つ。日本では(特にコンピュータゲーム関連で)SLGと略されるのが一般的。英語圏では、昔はSIM(シム)というもう1つの略称の方が良く使わる傾向にあった。日本でSIMというと、主に携帯電話に使われるSIMカードを指す事が多く、紛らわしい為、基本的には使われない。.
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セガゲームス
株式会社セガゲームス は、コンシューマーゲーム並びにソーシャルゲームの開発、製造、販売を行うセガサミーグループの企業で、株式会社セガホールディングスの100%子会社。 本稿では株式会社セガ時代の家庭用ゲーム機やコンシューマーゲーム、経営、(旧)株式会社セガネットワークスについても述べる。.
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儒教
儒教の始祖、孔子 董仲舒 儒教(じゅきょう)は、孔子を始祖とする思考・信仰の体系である。紀元前の中国に興り、東アジア各国で2000年以上にわたって強い影響力を持つ。その学問的側面から儒学、思想的側面からは名教・礼教ともいう。大成者の孔子から、孔教・孔子教とも呼ぶ。中国では、哲学・思想としては儒家思想という。.
円観
円観(えんかん、1281年9月1日(弘安4年閏7月17日) - 1356年4月2日(正平11年/延文元年3月1日))は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての天台宗の僧。字は慧鎮(えちん)。常用漢字を使って恵鎮と書かれることも多い。後伏見・花園・後醍醐・光厳・光明天皇の5帝に戒を授けたために「五国大師」の異名を得た。.
児島高徳
児島 高徳(兒嶋 髙德、こじま たかのり)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍したとされる武将。備前国児島郡林村出身。従五位下・備後守を賜る。『太平記』中では和田、今木といった苗字で表記される場合もあり、「児島」を「小島」と書き換える表記も散見される。 元弘元年(1331年)の元弘の乱以降、後醍醐天皇に対して忠勤を励み、南北朝分裂後も一貫して南朝側に仕えた。晩年は出家し、志純義晴と号したという。正式な法名は志純義晴大徳位。 江戸時代以降、南朝の忠臣として讃えられ、国民的英雄のひとりとなった。その一方で具体的な活動を示す文献が軍記物語の『太平記』以外にはないために、近代的考証史学の観点から実在性を否定している学説も根強い。また、同書の編者である小島法師(1374年没)と同一人物とする説や、地元の勢力がある山伏出身、あるいは悪党出身と見る説もある。.
兵藤裕己
兵藤 裕己(ひょうどう ひろみ、1950年10月3日 - )は、日本中世文学、芸能研究者、学習院大学教授。.
前々太平記
『前々太平記』(ぜんぜんたいへいき)は、奈良時代から平安時代前期までの歴史をあつかった軍記物語。 本書は、伊予吉田藩にて御殿医を勤めた平住専安(生年不詳 - 享保19年8月7日(1734年9月4日))が、正徳年間に著した。平安時代中、後期に起きた合戦、内紛を描いた、『前太平記』(天和元年(1681年))の前史で、聖武天皇(神亀元年(724年)~)の即位から、醍醐天皇(寛平9年(897年)~)の治世までを一事件ごとの物語を一条とし、その集大成として146条にて成り立っている。本書の特徴として、『伊勢物語』や『源氏物語』の記述に熱心である事、仏教の記述が多い事、仏教、神教、儒教の三教いずれにも偏らない啓蒙書としての立場をとっている事があげられる。のちに本書を典拠として、建部綾足が『本朝水滸伝』を著すなど江戸時代中、後期の著述家に大きな影響を与えた。また本書は、『太平記』の流行にあやかった通俗史書ではあるが、そこに描かれる世界は、講釈、浄瑠璃、歌舞伎、小説などに多くの題材を提供し、歌舞伎鑑賞や読本を行う上での下地となる歴史教養を、当時の江戸の人々にもたらしたものである。 正徳5年(1715年)刊、146条全二十一巻。「建春山人、橘墩」名義。 Category:軍記物 Category:江戸時代の歴史書 Category:1710年代の書籍.
勉誠出版
勉誠出版(べんせいしゅっぱん)は日本の出版社。1967年(昭和42年)設立。主に文学、時事・社会問題の分野の出版を手掛けている。当初は勉誠社と呼称していた。 文学の分野では、事・辞典や研究書その他の一般書を出版している。代表的な出版物は世界児童・青少年文学情報大事典、宮沢賢治事典、太宰治事典、菅原道真事典、太平記、チェスター・ビーティー・ライブラリーなど。 また、時事、社会問題の分野では、通説的な視点とは別の視点で問題を取り扱う出版物が多い。代表的な出版物は、精神医療の静かな革命-向精神薬の光と影、図書館経営論、グローバル化時代の日本人など。 2004年(平成16年)4月10日には、季刊誌「GYROS(ジャイロス)」が創刊され、「一神教の功罪」(第1号)、「子どもの反乱」(第2号)、「国文学の死と再生」(第3号)、「沖縄の苦悩」(第5号)、「今に続く明治の光と影」(第11号)、「治安崩壊」(第12号)といった問題が取り上げられている。 1999年2月新免康編「越境する新疆・ウイグル」より刊行が始まった『アジア遊学』は、2015年現在180号以上まで続き、アジアの文化・歴史・社会その他に関するユニークな論文集のシリーズとなっている。.
国書刊行会
株式会社国書刊行会(こくしょかんこうかい、Kokushokankokai Inc.)は、東京都板橋区に本社を置く日本の出版社。1971年設立。.
CD-ROM2
CD-ROM2(シーディーロムロム)とは、1988年12月4日に日本電気ホームエレクトロニクス(NECホームエレクトロニクス)より発売されたPCエンジン用の周辺機器及びシステム、それを用いたゲームソフトのプラットフォームの呼称。 欧米市場ではTurboGrafx-CD(ターボグラフィックスシーディー)の商品名で発売された。 なお CD-ROMROMと書くのは間違いで、CD-ROMに2乗した形で書く。.
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皇室
皇室(こうしつ)は、天皇および皇族の総称。 狭義には内廷皇族、広義には天皇とその近親である皇族を意味するが、皇族の範囲は時期によって異なる。 近代(明治維新)以降は、天皇と内廷皇族を家族とする内廷と皇太子以外の皇族男子及びその家族で構成される宮家を意味する。 皇室典範第五条に定める、天皇の配偶者である皇后、先代の天皇の未亡人である皇太后、先々代の天皇の未亡人である太皇太后、また、皇太子(皇太孫)、皇太子妃(皇太孫妃)、皇族男子たる親王、王、さらには生まれながらの皇族女子である内親王、女王がある。親王妃、王妃は親王、王の配偶者となることをもって、皇族とされる。戦前(大日本帝国憲法下、日本国憲法施行まで)においては、帝室(ていしつ)とも呼ばれていた。 一般国民の女性は、皇族男子との婚姻により皇族になることができる。また、15歳以上の内親王、王、女王はその意思により、皇太子、皇太孫を除く親王、内親王、王、女王は、その意思によるほかにやむをえない特別の事由があるとき、皇室会議の議決を経て皇族の身分を離脱できる。なお、皇族女子は天皇、皇族以外の者と婚姻したとき皇族の身分を離れる(臣籍降下・臣籍降嫁)。.
皇国史観
皇国史観(こうこくしかん)とは、日本の歴史が天皇を中心に形成されてきたことに着目し、「日本民族」の統合の中心を「万世一系の皇室」に求める思想である。.
玄恵
恵(げんえ・げんね、1269ー1350 文永6年- 正平5年/観応元年3月2日(1350年4月9日))は、南北朝時代の天台宗の僧・儒学者。号は独清軒・健叟。玄慧とも。虎関師錬の弟とも言われる。玄恵法印。 天台教学を学び法印大僧都に就任したが、一方で儒学や漢詩文にも通じていた。「太平記」によれば倒幕の密議の場で書を講じ、後醍醐天皇や公卿に宋学や古典を講じたとある。また、建武の新政が崩壊した後には、足利氏に用いられ「建武式目」の起草に関与したともされるが、いずれも不明である。 また、寺子屋で習字や読本として使用された『庭訓往来』の作者という説が有力である。また、『源平盛衰記』の編者の一人とも言われている。玄慧は等持院で足利直義の前で、『太平記』を朗読したといわれる。『太平記』27巻には玄慧の死である「玄慧法師末期事」が記されているが、『太平記』40巻本のうち巻初の1巻から10巻までは玄慧の作であり、11巻から12巻も玄慧が拘わりをもった作ではないかと言われている。(『太平記と仏教』古田紹欽) 男鹿半島の先端の漁港である男鹿市北浦入道崎(畠崎)には、この地が玄慧法師の出身地であるとする伝承が残されていたことが菅江真澄によって記録されている。.
火坂雅志
火坂 雅志(ひさか まさし、1956年5月4日 - 2015年2月26日)は、日本の小説家。本名は中川 雅志(なかがわ まさし)。.
神皇正統記
『神皇正統記』(じんのうしょうとうき)は、南北朝時代に公卿の北畠親房が、幼帝後村上天皇のために、吉野朝廷(いわゆる南朝)の正統性を述べた歴史書である。.
私本太平記
『私本太平記』(しほんたいへいき)は、吉川英治晩年の歴史小説。1958年(昭和33年)1月から『毎日新聞』に連載された。『新・平家物語』に続く大作の長編小説である。初版単行本は毎日新聞社から刊行された。現行は吉川英治歴史時代文庫(全8巻の講談社文庫版)の他、インターネットサイト青空文庫では無料で読める(外部リンクを参照)。.
竹田出雲
竹田 出雲(たけだ いずも)とは、江戸時代の浄瑠璃作者。また三代に亘って竹本座の座本(興行責任者)にもなった。.
第二次世界大戦
二次世界大戦(だいにじせかいたいせん、Zweiter Weltkrieg、World War II)は、1939年から1945年までの6年間、ドイツ、日本、イタリアの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス、ソビエト連邦、アメリカ 、などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の巨大戦争。1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻と続くソ連軍による侵攻、そして英仏からドイツへの宣戦布告はいずれもヨーロッパを戦場とした。その後1941年12月の日本とイギリス、アメリカ、オランダとの開戦によって、戦火は文字通り全世界に拡大し、人類史上最大の大戦争となった。.
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管領
管領(かんれい)は、以下の役職・地位およびその座にあった者を指す名称。.
細川頼之
細川 頼之(ほそかわ よりゆき)は、南北朝時代から室町時代初期にかけての武将、政治家。第2代室町幕府管領、中国管領、四国管領。阿波・伊予・備後・讃岐・土佐守護。第6代細川京兆家当主。幼名は弥九郎。はじめ武蔵守、後に相模守時野谷(1979)p.555。 足利氏の一門である細川氏の武将として、阿波、讃岐、伊予など四国地方における南朝方と戦い、観応の擾乱では幕府方に属す。管領への就任で幕政を指導し、幼少の足利義満を補佐して半済令の施行や南朝との和睦などを行う。天授5年/康暦元年(1379年)の康暦の政変で失脚するが、その後は赦免されて幕政に復帰する。.
翔企画
有限会社翔企画(しょうきかく)は、鈴木銀一郎による日本(所在地、東京都)の企業。書籍や雑誌の編集業務などを行なっていたが、アナログゲームやその関連物も多数自社出版している。1984年5月設立。.
百科事典
科事典(ひゃっかじてん、encyclopaedia)とは、あらゆる科目にわたる知識を集め、これを部門別やアルファベット順・五十音順などに配列し、解説を記した書物のこと広辞苑 第五版 p.2272 百科辞典・百科事典。「百科」と略記されることもある。 thumb.
鎌倉幕府
鎌倉幕府(かまくらばくふ)は、日本の武家政権。同幕府の約150年間を鎌倉時代と呼び、源頼朝を創設者とし、北条時政・北条義時らを中心とした坂東武士が鎌倉に設立した幕府である。頼朝の死後、御家人の権力闘争によって頼朝の嫡流は断絶し、その後は義時の嫡流である得宗家が同幕府の支配者となった。武家政権は室町幕府・江戸幕府へと継承された。.
観応の擾乱
観応の擾乱(かんのうのじょうらん)は、南北朝時代の1349年から1352年にかけて続いた抗争で、観応年間に頂点に達した足利政権(室町幕府)の内紛。実態は足利政権だけにとどまらず、対立する南朝と北朝、それを支持する武家や、公家と武家どうしの確執なども背景とする。 この擾乱の中で一時的に生じた南北朝の統一である正平一統についても併せて解説する。.
角川学芸出版
角川学芸出版(かどかわがくげいしゅっぱん)は、日本の出版社・KADOKAWAと角川文化振興財団の共通ブランド。 本項では、ブランドカンパニー化以前の株式会社角川学芸出版についても解説する。.
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角川ソフィア文庫
角川ソフィア文庫(かどかわソフィアぶんこ、Kadokawa Sophia Bunko)は、株式会社KADOKAWAが、角川学芸出版ブランドで発刊している学術書を軸とした文庫レーベル。.
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角川書店
角川書店(かどかわしょてん)は、日本の出版社・KADOKAWAのブランドの一つ。東京都千代田区に事業所を置く。 本項では、ブランドカンパニー化以前の株式会社角川書店についても解説する。.
高橋直樹 (作家)
橋 直樹(たかはし なおき、1960年3月22日 - )は日本の歴史作家。東京都出身。國學院大學文学部卒業。髙橋 直樹名義もある。鎌倉ものでは源頼朝が北条以下の老臣を一瞥で震え上がらせるような果断な指導者像として描かれるなど、従来のイメージから一歩踏み込んだ解釈や造詣が多く採用されている。.
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講談
講談(こうだん)とは、日本の伝統芸能のひとつ。 演者は高座におかれた釈台(しゃくだい)と呼ばれる小さな机の前に座り、張り扇(はりおうぎ)でそれを叩いて調子を取りつつ、軍記物や政談など主に歴史にちなんだ読み物を、観衆に対して読み上げる。上方講談においては、張り扇と拍子木を併用する。.
講談社学術文庫
講談社学術文庫(こうだんしゃがくじゅつぶんこ)は、講談社刊の文庫判・学術書レーベル、1976年(昭和51年)に発足。シンボルマークは、古代エジプトで知識や学問の象徴とされていた「トキ」(アフリカクロトキ)の姿をした神トートである。 単行判・選書新書の(改訂・改題も含む)再刊、古典新訳のみならず、文庫書き下ろしでの出版も多い。約40年間で2000冊代を刊行、重版多数の書目がある一方で、初版のみで品切絶版となった書目も多い。 2011年(平成23年)より、電子書籍版を購入できるiOS用のアプリケーション「選書メチエ&学術文庫」をApp Storeを配信している。.
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講談社文庫
講談社文庫(こうだんしゃぶんこ)は、株式会社講談社が発行している文庫レーベル。1971年に創刊された。広義では講談社学術文庫や講談社文芸文庫などを含む講談社から出されている文庫全体を指し、狭義では講談社文庫のみを指す。.
谷崎潤一郎
谷崎 潤一郎(たにざき じゅんいちろう、1886年(明治19年)7月24日 - 1965年(昭和40年)7月30日)は、日本の小説家。明治末期から第二次世界大戦後の昭和中期まで、戦中・戦後の一時期を除き終生旺盛な執筆活動を続け、国内外でその作品の芸術性が高い評価を得た。現在においても近代日本文学を代表する小説家の一人として、評価は非常に高い。 初期は耽美主義の一派とされ、過剰なほどの女性愛やマゾヒズムなどのスキャンダラスな文脈で語られることが少なくないが、その作風や題材、文体・表現は生涯にわたって様々に変遷した。漢語や雅語から俗語や方言までを使いこなす端麗な文章と、作品ごとにがらりと変わる巧みな語り口が特徴。『痴人の愛』『春琴抄』『細雪』など、情痴や時代風俗などのテーマを扱う通俗性と、文体や形式における芸術性を高いレベルで融和させた純文学の秀作によって世評高く、「文豪」「大谷崎(おおたにざき)」と称された。その一方、今日のミステリー・サスペンスの先駆的作品、活劇的な歴史小説、口伝・説話調の幻想譚、果てはグロテスクなブラックユーモアなど、娯楽的なジャンルにおいても多く佳作を残している。.
貞治
貞治(じょうじ)は、日本の南北朝時代の元号の一つ。北朝方にて使用された。康安の後、応安の前。1362年から1367年までの期間を指す。この時代の天皇は、北朝方が後光厳天皇。南朝方が後村上天皇。室町幕府将軍は足利義詮、足利義満。.
足利尊氏
足利 尊氏(あしかが たかうじ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の武将。室町幕府の初代征夷大将軍(在職:1338年 - 1358年)。足利将軍家の祖。.
足利義詮
足利 義詮(あしかが よしあきら)は、南北朝時代の室町幕府第2代将軍。初代将軍足利尊氏の嫡男足利竹若丸、足利直冬という二人の庶兄に次いで三男とされる。。母は鎌倉幕府最後の執権・北条守時の妹で正室の赤橋登子。.
足利義満
足利 義満(あしかが よしみつ)とは、室町時代前期の室町幕府第3代将軍(在職1368年 - 1394年)である。父は第2代将軍足利義詮、母は側室の紀良子。 南北朝の合一を果たし、有力守護大名の勢力を押さえて幕府権力を確立させ、鹿苑寺(金閣)を建立して北山文化を開花させるなど、室町時代の政治、経済、文化の最盛期を築いた。義満が邸宅を北小路室町へ移したことにより、義満は「室町殿」とも呼ばれた。のちに足利将軍を指す呼称となり、政庁を兼ねた将軍邸は後に歴史用語として「室町幕府」と呼ばれることになった。.
足利直義
足利 直義(あしかが ただよし)は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけての武将。鎌倉幕府の有力御家人足利貞氏の三男。室町幕府初代将軍足利尊氏の同母弟。 将軍尊氏を補佐して政務面を統括し、草創期室町幕府の体制は尊氏・直義兄弟による「二頭政治」だったと言われるが、実際は将軍就任当初から尊氏はすでに隠居状態にあり、幕政の運営は直義の下で行われていた。それでも、清和源氏の嫡流であり武将としての器量にも優れる尊氏は全国の武士を統合する機能を果たしており、直義が取って代わることはできなかった。 尊氏の執事高師直との間に派閥対立を生じ、師直の追い落としを図り却って失脚したものの、やがて南朝と結んで師直一族を討ち幕政を掌握した。しかし対立は尊氏・直義両者による全国を巻き込む戦乱に発展し、直義は東国に逃れたが最後は鎌倉に幽閉され急死を遂げた(観応の擾乱)。.
足利氏
足利氏(あしかがし)は、日本の武家のひとつの軍事貴族。本姓は源氏。家系は清和天皇清和源氏の一族の河内源氏の流れを汲み、鎌倉幕府においては御家人であると同時に将軍家一門たる御門葉の地位にあった。室町時代には嫡流が足利将軍家として天下人となった。藤原秀郷の子孫の藤原姓足利氏(藤姓足利氏)に対して源姓足利氏という場合がある。 通字は、「義」(よし、足利将軍家ほか)または「氏」(うじ、鎌倉時代の歴代当主および鎌倉公方・古河公方家など)。.
鷲尾雨工
鷲尾 雨工(わしお うこう、本名:鷲尾 浩、1892年4月27日 - 1951年2月9日)は日本の小説家。 新潟県西蒲原郡黒鳥村(現・新潟市西区黒鳥)生まれ。新潟県立小千谷中学校、早稲田大学英文科卒業。 作家を志し、学生時代にはダヌンツィオの『フランチェスカ・ダ・リミエ』を翻訳出版。卒業後、直木三十五とともに冬夏社を経営するも関東大震災により半年で倒産。 『吉野朝太平記』で第二回直木賞受賞。代表作に『明智光秀』『甲越軍記』などの歴史小説がある。 ペンネームは夫人が『南総里見八犬伝』から得たもの。 .
軍記物語
軍記物語(ぐんきものがたり)とは、鎌倉時代から室町時代にかけて書かれた歴史上の合戦を題材とした文芸のこと。実際の史実を元にしているが、説話的な題材や虚構も交えられていることもある。語り物の題材にもされ、『平家物語』は琵琶法師によって広く伝えられた。軍記物、戦記物語ともいう。合戦などの歴史上の背景を探る史料ともなる。.
近世
近世(きんせい、英語:early modern period)とは、歴史学における時代区分のひとつ。中世よりも後で、近代よりも前の時期を指す。.
赤穂事件
赤穂事件(あこうじけん)は、18世紀初頭(江戸時代)の元禄年間に、江戸城松之大廊下で高家の吉良上野介(きらこうずけのすけ)義央に斬りつけたとして、播磨赤穂藩藩主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)長矩が切腹に処せられた事件。さらにその後、亡き主君の浅野長矩に代わり、家臣の大石内蔵助良雄以下47人が本所の吉良邸に討ち入り、吉良義央、 小林央通、 鳥居正次、 清水義久らを討った事件を指すものである。 この事件は、一般に「忠臣蔵」と呼ばれるが、「忠臣蔵」という名称は、この事件を基にした人形浄瑠璃・歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』の通称、および、この事件を基にした様々な作品群の総称である。これら脚色された創作作品と区別するため、史実として事件を述べる場合は「赤穂事件」と呼ぶ。 なお、浅野が吉良に斬りかかった理由は、史実としては不明である。赤穂事件を扱ったドラマ・映画等では、浅野が、吉良から要求された賄賂を拒否した事で起きた吉良による嫌がらせを原因として描かれ、また主君の浅野に代わり、家臣が、吉良を討った「仇討ち」事件として描かれることが多い。しかし、事件当時、「仇討ち」は、子が親の仇を討つなど、目上の親族のための復讐を指した。本事件を、「仇討ち」とみなすか「復讐」とみなすか、その意義については論争がある。.
赤穂事件の人物一覧
赤穂事件の人物一覧(あこうじけんのじんぶついちらん)では、赤穂浪士(あこうろうし)をはじめとした、赤穂事件に関連する人物に関して記載する。.
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赤穂藩
赤穂城 赤穂藩(あこうはん)は、播磨国赤穂郡(兵庫県赤穂市、相生市、上郡町)周辺を領有した藩。藩庁は同郡加里屋の赤穂城。 浅野氏の『元禄赤穂事件』で有名だが、池田氏でも輝興が狂乱し正室などを殺す『正保赤穂事件』、森氏でも攘夷派が敵対する家老の森主税を暗殺するという『文久赤穂事件』が起きている。 なお、武鑑では元禄以前は藩主居城を「播州加里屋」「播州かりや」「播州之内苅屋」と表記するものもあった。.
重野安繹
重野 安繹(しげの やすつぐ、1827年11月24日(文政10年10月6日) - 1910年(明治43年)12月6日)は江戸時代末期から明治初期に活躍した漢学者、歴史家。日本で最初に実証主義を提唱した日本歴史学研究の泰斗、また日本最初の文学博士の一人。通称は厚之丞。字は子徳、号は成斎、曙戒軒鞭。安繹は「あんえき」とも。.
若尾政希
若尾政希(わかお まさき、1961年 - )は、日本史学者・思想史家。専門は日本近世史・思想史。一橋大学大学院社会学研究科教授。日本学術会議会員。.
難太平記
『難太平記』(なんたいへいき)は、今川貞世(出家後は了俊)が応永9年(1402年)に完成させた書物。.
陰徳太平記
『陰徳太平記』(いんとくたいへいき)は享保2年(1717年)に出版された日本の古典文学書の1つである。.
陳舜臣
陳 舜臣(ちん しゅんしん、1924年(大正13年)2月18日 - 2015年(平成27年)1月21日)は、推理小説、歴史小説作家、歴史著述家。代表作に『阿片戦争』『太平天国』『秘本三国志』『小説十八史略』など。『ルバイヤート』の翻訳でも知られる。神戸市出身。本籍は台湾台北だったが、1973年に中華人民共和国の国籍を取得し、その後、1989年の天安門事件への批判を機に、1990年に日本国籍を取得している。中国籍同時保有。日本芸術院会員。長男は写真家の陳立人(1952年 - )。.
NHKエンタープライズ
株式会社NHKエンタープライズ(エヌエイチケイエンタープライズ、)は、日本放送協会の放送番組制作会社。NEP(ネップ)と略されることがある。現在の社長は元NHK専務理事の板野裕爾。 日本放送協会の番組制作の元請けや、番組の版権管理・映画製作・テレビアニメ制作・インターネットコンテンツの制作を行っている。「冬のソナタ」「宮廷女官チャングムの誓い」「北京バイオリン」「イ・サン」「春のワルツ」など海外輸入ドラマに強みを持ち、映像ソフト販売も行っている。.
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PCエンジン
PCエンジン(PC Engine)とは、1987年10月30日に日本電気ホームエレクトロニクス(NECホームエレクトロニクス)から発売されたHE-SYSTEM規格に基づく家庭用ゲーム機。当時のメーカー希望小売価格は24,800円。.
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東京大学
記載なし。
東洋文庫 (平凡社)
東洋文庫(とうようぶんこ; The Eastern Library)、別称で平凡社東洋文庫(へいぼんしゃとうようぶんこ)は、平凡社が刊行する叢書シリーズ。1963年に創刊。2013年秋の創刊50周年を機にファンクラブ「東洋文庫読者倶楽部」を発足している。.
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松尾剛次
松尾 剛次(まつお けんじ、1954年2月14日『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.343 - )は、日本中世史学者、仏教史学者、山形大学教授。官僧・遁世僧研究を基点に、中世日本宗教史の見直しを行なっている。.
杉本苑子
杉本 苑子(すぎもと そのこ、1925年6月26日 - 2017年5月31日)は、日本の女性小説家、歴史小説家、文化勲章受章者。.
梅松論
『梅松論』(ばいしょうろん)は、南北朝時代の軍記物語・歴史書、全2巻。『太平記』と双璧をなす軍記物語である。.
森茂暁
森 茂暁(もり しげあき、1949年9月9日 - )は、日本の歴史学者。福岡大学教授 。専門は中世日本の政治と文化。文学博士(1985年、九州大学にて取得)。.
森村誠一
森村 誠一(もりむら せいいち、1933年1月2日 - )は、日本の小説家・作家。推理小説、時代小説、ノンフィクションなどを手がける。ホテルを舞台にしたミステリを多く発表している。.
楠木正成
楠木 正成(くすのき まさしげ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。父は楠木正遠とされる。息子に正行、正時、正儀がいる。 後醍醐天皇を奉じて鎌倉幕府打倒に貢献し、建武の新政の立役者として足利尊氏らとともに天皇を助けた。尊氏の反抗後は新田義貞、北畠顕家とともに南朝側の軍の一翼を担ったが、湊川の戦いで尊氏の軍に敗れて自害した。 明治以降は「大楠公(だいなんこう)」と称され、明治13年(1880年)には正一位を追贈された。.
歴史書一覧
歴史書一覧(れきししょいちらん)は歴史書の一覧。地域・年代順。一部厳密に分類すると「歴史物語」に属し、史料としては価値が劣るものも含むので取扱いについては注意する。なお、用語としての「歴史書」については歴史書の項目を参照。.
水戸学
水戸学(みとがく)は、江戸時代に日本の常陸国水戸藩(現在の茨城県北部)で形成された政治思想の学問である。儒学思想を中心に、国学・史学・神道を結合させたもの。全国の藩校でも水戸学(水戸史学、水府学、天保学、正学、天朝正学ともいわれる)は教えられた。その「愛民」「敬天愛人」といった思想は吉田松陰や西郷隆盛をはじめとした多くの幕末の志士等に多大な感化をもたらし、明治維新の原動力となった。 戦後は水戸学に基づく尊皇攘夷思想等が一定の批判を受けることがあるが、本来水戸学は非常に幅の広い学問体系を持っている。徳川光圀の『大日本史』編纂のために集まった学者を中心としており、朱子学者が多かったが、あらゆる学派を網羅していた『大思想エンサイクロペヂア』28巻 (春秋社, 1930) p187。.
永井路子
古河文学館の別館として利用されている永井路子旧宅(茨城県古河市) 永井 路子(ながい みちこ、1925年3月31日 - )は、日本の歴史小説家。本名は、黒板擴子 (くろいた ひろこ)読売人物データベース。.
永積安明
永積 安明(ながづみ やすあき、1908年2月6日 - 1995年1月1日)は、国文学者。神戸大学名誉教授。.
江戸時代
江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.
法勝寺
京都市勧業館にあった法勝寺の模型(現在は京都市平安京創生館に移設) 法勝寺(ほっしょうじ)は、平安時代から室町時代まで平安京の東郊、白河(現在の岡崎公園、京都市動物園周辺)にあった、六勝寺のひとつである。 白河天皇が1076年(承保3年)に建立した。皇室から厚く保護されたが、応仁の乱以後は衰微廃絶した。.
活版印刷
活版印刷(かっぱんいんさつ)は、凸版印刷の一種で、金属や木に文字を彫り込み判子状にしたもの(活字)を並べて文章にした板(活版、組版)を作り、それに塗料を塗って印刷すること。また、その印刷物。鉛版・線画凸版・樹脂版などの印刷も含めていう。活版刷りともいう。.
源威集
源威集(げんいしゅう)は、南北朝時代後期(14世紀後半)に書かれた軍記物。「源氏の威」すなわち河内源氏の武家政権(鎌倉時代及び室町幕府)の正当性とこれを支えた東国武士の活動を中心に描く。著者については結城直光説と佐竹師義説がある。全2巻。.
明治
明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.
映画
映画(えいが)とは、長いフィルムに高速度で連続撮影した静止画像(写真)を映写機で映写幕(スクリーン)に連続投影することで、形や動きを再現するもの。活動写真、キネマ、シネマとも。 なお、本来の語義からははずれるものの、フィルムではなくビデオテープなどに磁気記録撮影されたものや映画館で上映される動画作品全般についても、慣例的に映画と呼ばれている。.
新田一郎 (法学者)
新田 一郎(にった いちろう、1960年 - )は日本の法学者、歴史学者。東京大学大学院法学政治学研究科教授。.
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新田義貞
新田 義貞(にった よしさだ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての御家人・武将。正式な名は源 義貞(みなもと の よしさだ)。 河内源氏義国流新田氏本宗家の8代目棟梁。父は新田朝氏、母は不詳(諸説あり、朝氏の項を参照)。官位は正四位下、左近衛中将。明治15年(1882年)8月7日贈正一位。 鎌倉末期から南北朝の混乱の時代にあって、足利氏と並び武家を統率する力のある家系であった新田家の当主で、足利尊氏の対抗馬であり、好敵手でもあった。ただし、鎌倉時代後期の新田家は足利家に対して従属関係にあり、延元の乱以前の義貞は尊氏の指揮下の一部将であったとする研究もある。また、軍記物語『太平記』においては、前半の主人公の一人とも言える存在である。 鎌倉幕府を攻撃して事実上滅亡に追い込み、後醍醐天皇による建武新政樹立の立役者の一人となった。しかし、建武新政樹立後、同じく倒幕の貢献者の一人である足利尊氏と対立し、尊氏が建武政権に反旗を翻すと、後醍醐天皇により事実上の官軍総大将に任命されてこれに対抗した。これにより各地で転戦したものの、箱根や湊川での合戦で敗北し、のちに後醍醐天皇の息子の恒良親王、尊良親王を奉じて北陸に赴き、越前国を拠点として活動するが、最期は越前藤島で戦死した。東国の一御家人から始まり、鎌倉幕府を滅ぼして中央へと進出し、その功績から来る重圧に耐えながらも南朝の総大将として忠節を尽くし続けた生涯だった。 死後、江戸時代に義貞が着用していた兜が偶然見つかり、福井藩主松平光通は兜が発見された場所に新田塚を建てた。明治時代、福井知藩事・松平茂昭は新田義貞のために新田塚に祠を建て、のち義貞を主祭神する藤島神社となり、建武中興十五社の一つに列せられた。.
新田氏
新田氏(にったし)は、上野国発祥の豪族(軍事貴族)。本姓は源氏。家系は清和源氏の一流河内源氏の棟梁 鎮守府将軍源義家の三男義国の長男新田義重を祖とする上野源氏の総称。義国流足利氏と同族である。上野国(群馬県)を本貫とした。家紋は「大中黒・新田一つ引(おおなかぐろ・にったひとつびき)」。.
新藤兼人
新藤 兼人(しんどう かねと、1912年(明治45年)4月22日 - 2012年(平成24年)5月29日)は、日本の映画監督、脚本家。本名は新藤 兼登(読み方同じ)。日本のインディペンデント映画の先駆者であった。近代映画協会会長。従三位、広島県名誉県民、広島市名誉市民、広島県三原市名誉市民。.
新葉和歌集
『新葉和歌集』(しんようわかしゅう)は、南北朝時代に成立した准勅撰和歌集。撰者は宗良親王。弘和元年/永徳元年(1381年)12月3日奏覧。新葉集とも。.
新潮社
株式会社新潮社(しんちょうしゃ)は、日本の出版社。.
新潮日本古典集成
新潮日本古典集成(しんちょうにほんこてんしゅうせい)は、新潮社出版の日本の古典文学を対象とした全集である。新潮社創立80年を記念し、1976年に出版開始、1989年までに、82冊が刊行。別巻で『南総里見八犬伝』全12冊が、2003年から2004年にかけ刊行された。 サイズは四六判と、持ち運びに便利な大きさであり、また、現代語訳を、部分的に傍注の形でセピア色のインクで印刷したところに特色がある。.
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文保
文保(ぶんぽう)は、日本の元号の一つ。正和の後、元応の前。1317年から1318年までの期間を指す。この時代の天皇は花園天皇、後醍醐天皇。鎌倉幕府将軍は守邦親王、執権は北条高時。.
日記
日記(にっき)とは、日々の出来事を紙などに記録したものである。単なる記録として扱われるものから、文学として扱われるものまで、その内容は様々である。ある人物の生涯にわたって記されるような長期にわたるものから、ある旅、ある職務、ある事件などの間だけ記された短期のものまで、期間・分量も様々であり、西洋・東洋を問わず、世界的に存在する。.
日本の中世文学史
日本の中世文学史(にほんのちゅうせいぶんがくし)は、中世(およそ鎌倉時代から安土桃山時代まで)の日本文学の歴史である。.
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日本古典文学大系
日本古典文学大系(にほんこてんぶんがくたいけい)は1967年までに、また新日本古典文学大系は2005年までに岩波書店が出版した日本の古典文学を対象とした全集である。.
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日本古典文学全集
日本古典文学全集(にほんこてんぶんがくぜんしゅう)は、小学館が出版した日本の古典文学を対象とした全集である。1970年から1976年にかけて出版され、全51巻からなる。書目は概ね古い時期のものから並んでいる。本文、注釈及び現代語訳から構成される。 その後1983年から1988年にかけて軽装版に位置づけられる『完訳・日本の古典』が刊行された。そして、1994年から2002年にかけて、最新の研究成果に基づいた注釈と、現代語訳の併載という方針を踏襲した 『新編日本古典文学全集』が刊行された。この新版の構成も、引き続き、上段に注釈、下段に現代語訳を記載し、中央に本文ならびに、存在すれば挿絵を挿入するというものであった。 その後、装いを新たにし、かつ、有名な書物類に的を絞った軽装版『日本の古典をよむ』が2007年から2008年に出版された。 岩波書店の『日本古典文学大系』と並びよく利用される。.
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日本文学
紫式部 日本文学(にほんぶんがく)とは、日本人が書いた文学、日本で発表された文学、ないしは日本語で書かれた文学作品、もしくはそれらの作品や作家を研究する学問のこと。 夏目漱石 日本文学の歴史は極めて永く、古くは7世紀までさかのぼる。同一言語・同一国家の文学が1400年近くにわたって書き続けられ読み続けられることは世界的に類例が少ない。1000年頃に紫式部によって書かれた『源氏物語』は世界的に知られ、近世の松尾芭蕉も現在の俳句ブームにより広く知られている。近代以降の日本文学においても、夏目漱石・谷崎潤一郎などが世界的に高い評価を受けており、これまで2名のノーベル文学賞受賞者(川端康成・大江健三郎)を出している。 古代・中世の日本文学は中国の文化的影響が著しく、日本が仏教を受け容れたことからインド文学の間接的影響もみられる。中国文学の影響は江戸時代にもみられるが、いずれの時代においても日本人作家の独創が顕著にみられる。明治維新以降は欧米の文化的影響を強く受けたが、英米文学・フランス文学・ドイツ文学・ロシア文学などを短期間のうちに摂取・模倣し、日本独自の高度な近代文学を創造していった。近代日本文学は中国・朝鮮の近代文学の形成に大きな影響を与えた。第2次世界大戦後の日本文学も、三島由紀夫・安部公房・村上春樹などの作品が世界的に広く読まれており、現代の世界文学に多大な影響を与えている。.
日本放送協会
日本放送協会(にっぽんほうそうきょうかい、英称:Japan Broadcasting Corporation)は、日本の公共放送を担う事業者。よく誤解されるが国営放送ではない。日本の放送法(昭和25年法律第132号)に基づいて設立された放送事業を行う特殊法人。総務省(旧・郵政省)が所管する外郭団体である。 公式略称は、「NIPPON HOSO KYOKAI」の頭文字を取り「」と呼称・記される。 公共放送としての事業規模は、英国放送協会 (BBC) などと並び、国内にNHKエンタープライズ、NHKグローバルメディアサービス、NHK出版など13の連結子会社を持つ。また、関連会社として日本国外にNHKコスモメディアアメリカ、NHKコスモメディアヨーロッパが設立されている。1986年には子会社である株式会社NHKエンタープライズを出資母体として、NHKエンタープライズ25%、株式会社電通25%の共同出資による株式会社総合ビジョンを設立した。しかし、これは事業の縮小を経て2013年7月1日付けでNHKエンタープライズに吸収合併した。 愛宕山。 中継車(いすゞ・フォワード).
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悪党 (映画)
『悪党』(あくとう)は、1965年11月21日に日本で公開された映画。.
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怨霊
葛飾北斎画『近世怪談霜夜星』に登場する怨霊(左) 怨霊(おんりょう)とは、自分が受けた仕打ちに恨みを持ち、たたりをしたりする、死霊または生霊のことである。 悪霊に分類される。.
1318年
記載なし。
1368年
記載なし。
16世紀
16世紀(じゅうろくせいき)は、西暦1501年から西暦1600年までの100年間を指す世紀。 盛期ルネサンス。歴代ローマ教皇の庇護によりイタリア・ルネサンスの中心はローマに移動した。画像はこの時代に再建がなされたローマのサン・ピエトロ大聖堂の内部。 カール5世。スペイン王を兼ねイタリア各地やネーデルラントも支配したが周辺諸国との戦いにも明け暮れた。画像はティツィアーノによる騎馬像(プラド美術館蔵)。 「太陽の沈まない帝国」。カール5世の息子フェリペ2世の時代にスペインは目覚ましい発展を遂げ貿易網は地球全体に及んだ。画像はフェリペ2世によって建てられたエル・エスコリアル修道院。ここには王宮も併設されておりフェリペ2世はここで執務を行った。.
1990年
この項目では、国際的な視点に基づいた1990年について記載する。.
1991年
この項目では、国際的な視点に基づいた1991年について記載する。.
1992年
この項目では、国際的な視点に基づいた1992年について記載する。.