192 関係: 加津佐町、南蛮、南蛮寺、南蛮美術、南蛮貿易、古代、古典、多神教、大分市、大内義隆、大航海時代、天正、天正遣欧少年使節、天文 (元号)、天文学、外科学、奴隷、孤児院、宣教師、家永三郎、宗教、安土、安土城、安土桃山時代、屏風、山口市、岩波新書、岩波書店、中国、中国地方、中国語、世界の一体化、世界の歴史、世界観、一夫一婦制、一神教、平家物語、平仮名、交換、京都、人、地球儀、地理学、医学、ハンセン病、ポルトガル、ポルトガル人、ポルトガル語、メリヤス、ヨーロッパ、...、ラテン語、ラシャ、ルイス・デ・アルメイダ、ルイス・フロイス、ルイス・ソテロ、ローマ字、ロザリオ、ワイン、ヴィオラ、トラ、パン、フランシスコ会、フランシスコ・ザビエル、フロイス日本史、ドチリナ・キリシタン、喫煙、周防国、アメリカ大陸、アラブ種、アレッサンドロ・ヴァリニャーノ、インド、イヌ、イエズス会、イソップ寓話、オルガン、オルゴール、カルタ、カッパ、カトリック教会、カステラ、ガスパル・ヴィレラ、ガスパール・コエリョ、キリシタン大名、キリシタン版、キリスト教、キリスト教音楽、クリストファー・コロンブス、グネッキ・ソルディ・オルガンティノ、グレゴリオ聖歌、コレジオ、コロンブス交換、ジョアン・ロドリゲス、ジェロニモ・デ・ジェズス、スペイン人、セミナリヨ、ゾウ、タバコ、哲学、出版、商人、四都図世界図、倫理、石鹸、火縄銃、神学、祈祷師、福音伝道、科学、精神、編年体、織田信長、眼鏡、絵画、病原体、生物、版画、狩野内膳、狩野派、芳賀幸四郎、銃、音韻、音楽、鎖国、聖水、道具、風俗画、被服、食品、襦袢、西半球、西洋医学、語、豊後国、豊臣秀吉、貿易、鹿児島市、辞典、茶道、航海術、薩摩国、肥前国、金属、金平糖、鉄器、鉄砲、陰陽師、暦学、東半球、東南アジア、東アジア、桃山文化、欧米、永禄、江戸幕府、汎神論、河出書房新社、油彩、泰西王侯騎馬図、活字、活版印刷、洋楽器、渋川春海、漢字、情報、戦国大名、戦国時代 (日本)、新世界、文化、日葡辞書、日本、日本人、日本画、日本語、日本語学、日本文典 (コリャード)、数学、教会堂、教皇、教義、手術、思想、時計、1549年、1576年、1585年、1592年、1593年、1599年、15世紀、1603年、1604年、1608年。 インデックスを展開 (142 もっと) »
加津佐町
加津佐町(かづさまち)は、長崎県の島原半島にあった町。南高来郡に属した。主な産業は農林水産業で、特にジャガイモは町の特産品にもなっている。夏になると海水浴客で賑わう。 2006年3月31日、周辺7町と対等合併して市制施行し、南島原市となった。.
南蛮
四夷の名称 南蛮(なんばん)あるいは蛮(ばん)は、四夷のひとつであり、中国大陸を制した朝廷が南方の帰順しない異民族に対して用いた蔑称である。 日本でも当初は同様の意味で用いられていたが、15世紀にヨーロッパ人との南蛮貿易が始まって以降は、主にヨーロッパや東南アジア・スペインやポルトガルの文物や人物を指す語となった。.
南蛮寺
南蛮寺(なんばんじ、なんばんでら)は、戦国時代から江戸時代初期まで、すなわちキリスト教伝来(1549年)から徳川幕府によるキリスト教禁教までの期間、日本に建てられた南蛮風の教会堂の通称。 狭義には、1576年(天正4年)イエズス会によって京都に建てられた教会堂、いわゆる「都の南蛮寺」(後述)をさす。.
南蛮美術
南蛮美術(なんばんびじゅつ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて流行した西ヨーロッパ文化(南蛮文化)の影響を受けて成立した美術のこと。.
南蛮貿易
南蛮貿易(なんばんぼうえき)とは、日本の商人、南蛮人、明時代の中国人、およびヨーロッパとアジアの混血住民との間で行われていた貿易である。南蛮人とは、ポルトガル人とスペイン人を指す。時期は16世紀半ばから17世紀初期、場所は東南アジアから東アジアの海域にかけて行われた。.
古代
古代(こだい、)とは、世界の歴史の時代区分で、文明の成立から古代文明の崩壊までの時代を指す。「歴史の始まり」を意味する時代区分である。古典的な三時代区分の一つであり、元来は古代ギリシア・古代ローマを指した(古典古代)。歴史家にとっては語ることのできる歴史の始まり(書き出し)を意味した。考古学の発達が歴史記述の上限を大幅に拡大したと言える。.
古典
古典(こてん)は、古い書物、形式。また、長く時代を超えて規範とすべきもの。 英語のclassic/classical、またはそれに相当する西洋語の単語の訳に使われる。これらの語は、分野によっては、古典派と訳されたり、(classicかclassicalかを問わず)クラシックと音訳されたりすることもある。古典と訳されることのない用語については、#関連項目を参照。 古典の定義は、分野によって、厳密に決まっているものも、曖昧なものもある。曖昧な場合、その基準は衆知、あるいは(自称)識者の決するところによるため、価値観や世代の違いに影響されやすい。 自然科学ではしばしば、かつては正しいと思われたが、今は厳密には正しくないことがわかっていて近似としてのみ有用なもの、という意味合いを持つ。物理学や化学では、通常は量子(quantum)の対義語として用いられ、日常生活における古典という語とは意味合いがかなり異なる。.
多神教
多神教(たしんきょう、polytheism)は、神や超越者(信仰、儀礼、畏怖等の対象)が多数存在する宗教。対義語に一柱の神のみを信仰する一神教がある。.
大分市
大分市(おおいたし)は、九州東部にある大分県の中部に位置する市である。大分県の県庁所在地で、中核市に指定されている。県内で2番目に人口が多い別府市を大きく引き離し県下最大の人口を擁する。人口は、九州で福岡市、北九州市、熊本市、鹿児島市に次ぐ第5位で、東九州では鹿児島市に次ぐ第2位。.
大内義隆
大内 義隆(おおうち よしたか)は、戦国時代の武将、守護大名・戦国大名。 周防国の在庁官人・大内氏の第16代当主 。第15当主・大内義興の嫡男。母は正室の内藤弘矩の娘。周防・長門・石見・安芸・豊前・筑前の守護を務めた。官位は従二位兵部卿兼大宰大弐兼侍従。また義隆の時代には大内文化が爛熟し、西国の地方政権大内政権を築いて大内家は領土的に全盛期を迎えたが、文治政治に不満を抱いた一族でもある家臣の陶隆房に謀反を起こされ、義隆と一族は自害して、大内家は事実上滅亡した。.
大航海時代
大航海時代(だいこうかいじだい)は、15世紀半ばから17世紀半ばまで続いた、ヨーロッパ人によるアフリカ・アジア・アメリカ大陸への大規模な航海が行われた時代。主にポルトガルとスペインにより行われた。.
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天正
天正(てんしょう)は日本の元号の一つ。元亀の後、文禄の前。ユリウス暦1573年からグレゴリオ暦1593年(ユリウス暦1592年)。 この時代の天皇は正親町天皇、後陽成天皇。征夷大将軍は足利義昭。.
天正遣欧少年使節
天正遣欧少年使節(てんしょうけんおうしょうねんしせつ)は1582年(天正10年)に九州のキリシタン大名、大友宗麟・大村純忠・有馬晴信の名代としてローマへ派遣された4名の少年を中心とした使節団。イエズス会員アレッサンドロ・ヴァリニャーノが発案。1590年(天正18年)に帰国。使節団によってヨーロッパの人々に日本の存在が知られるようになり、彼らの持ち帰ったグーテンベルク印刷機によって日本語書物の活版印刷が初めて行われキリシタン版と呼ばれる。.
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天文 (元号)
天文(てんぶん、てんもん)は、日本の元号の一つ。享禄の後、弘治の前。1532年から1555年までの期間を指す。この時代の天皇は後奈良天皇。室町幕府将軍は足利義晴、足利義輝。.
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天文学
星空を観察する人々 天文学(てんもんがく、英:astronomy, 独:Astronomie, Sternkunde, 蘭:astronomie (astronomia)カッコ内は『ラランデ歴書』のオランダ語訳本の書名に見られる綴り。, sterrenkunde (sterrekunde), 仏:astronomie)は、天体や天文現象など、地球外で生起する自然現象の観測、法則の発見などを行う自然科学の一分野。主に位置天文学・天体力学・天体物理学などが知られている。宇宙を研究対象とする宇宙論(うちゅうろん、英:cosmology)とは深く関連するが、思想哲学を起源とする異なる学問である。 天文学は、自然科学として最も早く古代から発達した学問である。先史時代の文化は、古代エジプトの記念碑やヌビアのピラミッドなどの天文遺産を残した。発生間もない文明でも、バビロニアや古代ギリシア、古代中国や古代インドなど、そしてイランやマヤ文明などでも、夜空の入念な観測が行われた。 とはいえ、天文学が現代科学の仲間入りをするためには、望遠鏡の発明が欠かせなかった。歴史的には、天文学の学問領域は位置天文学や天測航法また観測天文学や暦法などと同じく多様なものだが、近年では天文学の専門家とはしばしば天体物理学者と同義と受け止められる。 天文学 (astronomy) を、天体の位置と人間界の出来事には関連があるという主張を基盤とする信念体系である占星術 (astrology) と混同しないよう注意が必要である。これらは同じ起源から発達したが、今や完全に異なるものである。.
外科学
外科学(げかがく、英: surgery)は、手術によって創傷および疾患の治癒を目指す臨床医学の一分野である。外科学は外科的手法を用いる全ての分野を包括する基礎となる学問である。 対照的に内科学がある。.
奴隷
鞭打ちによる傷跡のある黒人奴隷(米国1863年) 奴隷(どれい)とは、人間でありながら所有の客体即ち所有物とされる者を言う。人間としての名誉、権利・自由を認められず、他人の所有物として取り扱われる人。所有者の全的支配に服し、労働を強制され、譲渡・売買の対象とされた。奴隷を許容する社会制度を特に奴隷制という。 1948年に国連で採択された世界人権宣言では、次のような宣言がある。.
孤児院
孤児院(こじいん)とは、親や世話してくれる近親者のない子供、孤児を収容し、養護するための施設。 日本においては、かつては1929年(昭和4年)4月2日公布、1932年(昭和7年)1月1日施行の救護法第6条に「本法ニ於テ救護施設ト称スルハ養老院、孤児院其ノ他ノ本法ニ依ル救護ヲ目的トスル施設ヲ言フ」と法令で定められた用語であったが、救護法は1946年(昭和21年)10月1日に失効し、同様の施設については1948年(昭和23年)1月1日施行の児童福祉法によって「養護施設」、1998年(平成10年)4月1日施行の同法改正によって「児童養護施設」と改称されている。 したがって、2016年現在においては、日本国内における孤児を保護する施設について表す場合には1947年(昭和22年)以前について表記する場合に用いるか、慣用的に用いられる用語である。諸外国における孤児を保護する施設については2016年現在においても、慣用的に訳語として用いられる。.
宣教師
宣教師(せんきょうし)は、ある特定の思想や宗教を伝えるために、自分の属する共同体を離れて活動する者のこと。もともとはキリスト教用語で、イエス・キリストの高弟たちのことを使徒と呼ぶが、そのギリシア語表現であるアポストロス(απόστολος)本来の意味は「遣わされた者」であり、これがラテン語に訳された際に、同じ意味を持つ"missio"の語が充てられた。宣教師を意味するヨーロッパの各言語における表記は、このラテン語表記に由来する。(missionary、Missionarなど。)現代では本来のキリスト教用語として意味だけでなく、広義で新思想の普及者を指してそう呼ぶことがある。.
家永三郎
家永 三郎(いえなが さぶろう、1913年9月3日 - 2002年11月29日)は、日本の歴史家(日本思想史)、東京教育大学名誉教授。文学博士(東京大学)。.
宗教
宗教(しゅうきょう、religion)とは、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり『世界大百科事典』 231頁。、また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。 。.
安土
安土(あづち、あんど).
安土城
安土城(あづちじょう)は、琵琶湖東岸の安土山(現在の滋賀県近江八幡市安土町下豊浦)にあった日本の城(山城)。城址は国の特別史跡で、琵琶湖国定公園第1種特別地域になっている。.
安土桃山時代
安土桃山時代(あづちももやまじだい)は、日本の歴史において、織田信長と豊臣秀吉が中央政権を握っていた時代である。2人の名前を取って、織豊時代(しょくほうじだい)ともいう。 なお、美術史では1615年(慶長20年)の豊臣氏滅亡までを「安土桃山時代」と称するのが一般的である。.
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屏風
屏風(びょうぶ)とは、部屋の仕切りや装飾に用いる家具のこと。木の枠に小さなふすまのようなものを数枚つなぎ合わせて、折りたためるようにしてある。「風を屏(ふせ)ぐ」という言葉に由来する。.
山口市
山口市(やまぐちし)は、中国地方西部(九州・山口地方北東部)の市。山口県の県庁所在地である。.
岩波新書
岩波新書(いわなみしんしょ)は、1938年(昭和13年)11月20日に岩波書店が創刊した新書赤版として。創刊の辞は、「岩波新書創刊50年、新版の発足に際して」(1998年1月)に「道義の精神に則らない日本の行動を深慮し、権勢に媚び偏狭に傾く風潮と他を排撃する驕慢な思想を戒め、批判的精神と良心的行動に拠る文化日本の躍進を求めての出発である」と引用されている。シリーズである。.
岩波書店
株式会社岩波書店(いわなみしょてん、Iwanami Shoten, Publishers. )は、日本の出版社。.
中国
中国(ちゅうごく)は、ユーラシア大陸の東部を占める地域、および、そこに成立した国家や社会。中華と同義。 、中国大陸を支配する中華人民共和国の略称として使用されている。ではその地域に成立した中華民国、中華人民共和国に対する略称としても用いられる。 本記事では、「中国」という用語の「意味」の変遷と「呼称」の変遷について記述する。中国に存在した歴史上の国家群については、当該記事および「中国の歴史」を参照。.
中国地方
中国地方(ちゅうごくちほう)は、本州の西部に位置する、日本の地域のひとつ。 鳥取県・島根県・岡山県・広島県・山口県の5県より構成される『日本地名大百科』、小学館、1996年、p.730 ISBN 4-09-523101-7。なお、行政上の管轄としては気象庁は山口県を除き、海上保安庁は山口県西北部、国土交通省海事事務所は下関市を除く。.
中国語
記載なし。
世界の一体化
世界の一体化(せかいのいったいか)では、世界の歴史において、交通や通信の発達などによって、諸地域間の分業システム(近代世界システム)が形成され、固定化され、また幾度か再編されたその全過程をあらわす。歴史事象としては、16世紀の大航海時代以降本格化し、現在もなお進行中である。 主として歴史学上および歴史教育における概念であり、とりわけ日本における世界史教育では平成11年以降学習指導要領のなかで基軸となる観点のひとつとして盛り込まれた。.
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世界の歴史
世界の歴史(せかいのれきし)では、太古、地球上に現れた人類が長い歴史を経て現代に至るまでを略述する。.
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世界観
世界観(せかいかん、)とは、世界を全体として意味づける見方広辞苑第六版【世界観】・考え方のことである。人生観より広い範囲を包含する。単なる知的な理解にとどまらず、より情意的な評価を含むものである。情意的な面、主体的な契機が重要視される平凡社『哲学事典』。.
一夫一婦制
一夫一婦制(いっぷいっぷせい)は、一生2個体の組合せのみを認める、社会、もしくは法律上の制度。単婚(たんこん)ともいう。.
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一神教
一神教(いっしんきょう、monotheism)とは、ただひとつの神的存在者のみを認めてこれを信仰する宗教。 通常、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つがその典型だとされるブリタニカ百科事典【一神教】。.
平家物語
『平家物語』(へいけものがたり)は、鎌倉時代に成立したと思われる、平家の栄華と没落を描いた軍記物語である。 保元の乱・平治の乱勝利後の平家と敗れた源家の対照、源平の戦いから平家の滅亡を追ううちに、没落しはじめた平安貴族たちと新たに台頭した武士たちの織りなす人間模様を見事に描き出している。平易で流麗な名文として知られ、「祇園精舎の鐘の声……」の有名な書き出しをはじめとして、広く知られている。.
平仮名
平仮名(ひらがな)とは、日本語の表記に用いられる音節文字のこと。仮名の一種で、借字(万葉仮名)を起源として成立した。借字として使われる漢字を、極度に草体化したものである。.
交換
交換(こうかん).
京都
京都(きょうと、みやこ、きょうのみやこ、Kyōto)は、日本の都市の1つである。 都、もしくは京ともいい、歴史的には794年に日本の首都に定められた都城・平安京で、当時は日本の政治・文化の中心地であった。.
人
人(ひと、にん、じん) 現代中国語では、rén と読む。.
地球儀
存する最古の地球儀。 地球儀(ちきゅうぎ)とは、地球を球体によって表現した模型である。平面に描かれた地図では方位・角度・距離・面積の全てを同時に正しく示すことはできないが、地球儀は地球と同じ球体であるため、その全てについて正確性を追求することが可能となる。地球儀の縮尺は様々であるが、縮尺と大きさを独立に決められる平面の地図とは異なり、地球儀は縮尺を決めると球体の大きさも決まる。 地球儀と同じような製法で天球儀・月球儀・火星儀なども作られている。これらを地球儀と組み合わせることによって、地球の表面(地表)のほか他の天体の表面についても理解できるようにしたものとして、地球儀と月球儀あるいは地球儀と天球儀を組み合わた「二球儀」や、地球儀と月球儀のほかに天球儀を組み合わせた「三球儀」と呼ばれるものもある。.
地理学
地理学(ちりがく、、、)は、空間ならびに自然と、経済・社会・文化等との関係を対象とする学問の分野。地域や空間、場所、自然環境という物理的存在を対象の中に含むことから、人文科学、社会科学、自然科学のいずれの性格も有する。自然地理学は地球科学の一分野でもある。広範な領域を網羅することから、「地理学と哲学は諸科学の母」と称される。 元来は農耕や戦争、統治のため、各地の情報を調査しまとめるための研究領域として成立した。しかし現在は、自然科学ないし人文科学、社会科学の一分野として、。.
医学
医学(いがく、英:Medicine, Medical science)とは、生体(人体)の構造や機能、疾病について研究し、疾病を診断・治療・予防する方法を開発する学問である広辞苑「医学」。 医学は、病気の予防および治療によって健康を維持、および回復するために発展した様々な医療を包含する。.
ハンセン病
ハンセン病(ハンセンびょう、Hansen's disease, Leprosy)は、抗酸菌の一種であるらい菌 の皮膚のマクロファージ内寄生および末梢神経細胞内寄生によって引き起こされる感染症である。 病名は、1873年にらい菌を発見したノルウェーの医師、アルマウェル・ハンセンに由来する。かつての日本では「癩(らい)」、「癩病」、「らい病癩が常用漢字に含まれないため、平仮名で書かれることが多い。」とも呼ばれていたが、それらを差別的に感じる人も多く、歴史的な文脈以外での使用は避けられるのが一般的である。その理由は、「医療や病気への理解が乏しい時代に、その外見や感染への恐怖心などから、患者への過剰な差別が生じた時に使われた呼称である」ためで、それに関連する映画なども作成されている。 感染経路は、らい菌の経鼻・経気道よりのものが主であるが、他系統も存在する(感染経路の項にて後述)。感染力は非常に低く、治療法も確立した現状では、重篤な後遺症を残すことや感染源になることは稀であるものの、適切な治療を受けない・受けられない場合、皮膚に重度の病変が生じ、他者へ感染することもある。 2007年の統計では、世界におけるハンセン病の新規患者総数は年間約25万人である。一方、近年の日本国内の新規患者数は年間で0〜1人に抑制され、現在では稀な疾病となっている。ハンナ・リデルは日本のハンセン病史に名を刻んだ。.
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ポルトガル
ポルトガル共和国(ポルトガルきょうわこく、República Portuguesa、República Pertuesa)、通称ポルトガルは、南ヨーロッパのイベリア半島に位置する共和制国家である。北と東にスペインと国境を接し、国境線の総延長は1,214kmに及ぶ。西と南は大西洋に面している。ヨーロッパ大陸部以外にも、大西洋上にアソーレス諸島とマデイラ諸島を領有している。首都はリスボン。 ポルトガルはユーラシア大陸最西端の国家である。ヨーロッパで最初に海路で中国や日本など東アジアとの接触を持った。.
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ポルトガル人
ポルトガル人(ポルトガルじん、os portugueses)は、主にユーラシア大陸の西端、イベリア半島西部のポルトガルやその旧植民地に居住する民族。言語はポルトガル語を使用し、カトリック教徒が多い。.
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ポルトガル語
ポルトガル語(Português, língua portuguesa)は、主にポルトガルおよびブラジルで使われている言語である。俗ラテン語から発展して形成されたロマンス語の1つで、スペイン語などと共にインド・ヨーロッパ語族イタリック語派に属する。 スペインの作家セルバンテスはポルトガル語を「甘美な言語」と評し、ブラジルの詩人オラーヴォ・ビラックは「ラティウムの最後の、粗野で美しい花」と評している。 ポルトガル語は、大航海時代のポルトガル海上帝国の成長とともにアジア・アフリカ地域に広まった。日本では最初に伝播したヨーロッパの言語であり、古くからの外来語として定着しているいくつかの単語は、ポルトガル語由来である。代表的な例として「パン」があり、戦国時代にキリスト教と共に伝わった。.
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メリヤス
メリヤス(莫大小・目利安)とは、平編み(メリヤス編み・天竺編み)で編んだ編地(ニット)・布地、またはそれらの生地を使用した製品を指す。伸縮性に優れ、靴下類や下着類、手袋や帽子など日常衣類の多くに利用されている「メリヤス」『日本国語大辞典』大沼淳ほか監修「天竺編み」「メリヤス」「メリヤス編み」『ファッション辞典』文化出版局、1999年。並木覚「メリヤス」『日本大百科全書』小学館、1985年。。 1本または数本の糸を輪の形にした輪奈(わな、loop)の中に次の輪奈を入れることを順次繰り返し、布状に編む。編み目形状により表メリヤス編みと裏メリヤス編みの2種類があり、編み目を作る編み針の糸の供給方向により緯メリヤス(横メリヤス)と経メリヤス(縦メリヤス)の2種類がある。 日本では編み物の伝統が弱く、17世紀後半の延宝 - 元禄年間(1673年 - 1704年)に、スペインやポルトガルなどから靴下などの形で編地がもたらされた。そこで、ポルトガル語やスペイン語で「靴下」を意味するポルトガル語の「メイアシュ」(meias)やスペイン語の「メディアス」(medias)から転訛した「メリヤス」が、編み物全般を指すようになった。「莫大小」という漢字は、伸縮性があり「大小がない」こととする説がある。主に、武士が殿中に出仕する際の足袋を作る技法として一部武士から庶民にも広まった。 1950年代までは、機械編みによる薄地の編物全般、肌着・靴下などの伸縮性を求める衣類全般、または伸縮する生地を広く「メリヤス」と呼んだ。その後、編地の衣料が一般的になったうえ、英語などから借りた衣服関連の新たな外来語が多く使われるようになり、現代ではメリヤス(編み)という用語は主に肌着に用いられ、編地全般はニット、アウターのカジュアルウェアはジャージと言われる。そのうち、経編のニットについては「トリコット」とも称される。.
ヨーロッパ
ヨーロッパ日本語の「ヨーロッパ」の直接の原語は、『広辞苑』第5版「ヨーロッパ」によるとポルトガル語・オランダ語、『デジタル大辞泉』goo辞書版「」によるとポルトガル語。(、)又は欧州は、地球上の七つの大州の一つ。漢字表記は欧羅巴。 地理的には、ユーラシア大陸北西の半島部を包括し、ウラル山脈およびコーカサス山脈の分水嶺とウラル川・カスピ海・黒海、そして黒海とエーゲ海を繋ぐボスポラス海峡-マルマラ海-ダーダネルス海峡が、アジアと区分される東の境界となる増田 (1967)、pp.38–39、Ⅲ.地理的にみたヨーロッパの構造 ヨーロッパの地理的範囲 "Europe" (pp. 68-9); "Asia" (pp. 90-1): "A commonly accepted division between Asia and Europe...
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ラテン語
ラテン語(ラテンご、lingua latina リングア・ラティーナ)は、インド・ヨーロッパ語族のイタリック語派の言語の一つ。ラテン・ファリスク語群。漢字表記は拉丁語・羅甸語で、拉語・羅語と略される。.
ラシャ
ラシャ(ポルトガル語:raxa、「ラサ(産)の」の意。)とは、毛織物の一種。織物組織は平織、綾織、繻子織などで、密に織ったものを十分縮絨(しゅくじゅう)させたのち、毛羽(けば)の先端を剪毛して仕上げる。このため表地からは組織の織目は見えない。 12世紀ころセルビアの首都ラサで産したため、この名称で呼ばれ、南蛮貿易により日本へ渡来した。名称も当時のポルトガル語名称に由来する外来語であり、表記も音を漢字で表した「羅紗」を用いる場合もある。「羅」も「紗」も絹織物に関連する意味を持つ漢字だが、羅紗自体は絹製品ではなくウール製品である。.
ルイス・デ・アルメイダ
西洋医術発祥記念像(大分県大分市)。中央がルイス・デ・アルメイダ。 ルイス・デ・アルメイダ(Luís de Almeida 、1525年? - 1583年10月)は、戦国時代末期の日本を訪れたポルトガル人。商人であったが、医師の免許を持ち、西洋医学を日本に導入して日本初の病院を作ったことで知られる。後にイエズス会員となった。.
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ルイス・フロイス
ルイス・フロイス( 、1532年 - 1597年7月8日(慶長2年5月24日))は、ポルトガルのカトリック司祭、宣教師。イエズス会士として戦国時代の日本で宣教し、織田信長や豊臣秀吉らと会見。戦国時代研究の貴重な資料となる『日本史』を記したことで有名。.
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ルイス・ソテロ
ルイス・ソテロ(Luis Sotelo, 1574年9月6日 - 1624年8月25日)は、スペイン帝国セビリア生まれのフランシスコ会宣教師である。.
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ローマ字
ーマ字(ローマじ)は、仮名文字をラテン文字に転写する際の規則全般(ローマ字表記法)、またはラテン文字で表記された日本語(ローマ字つづりの日本語)を表す。.
ロザリオ
リオ ロザリオ ロザリオ(rosário、rosarium)は、カトリック教会において聖母マリアへの祈り(アヴェ・マリア)を繰り返し唱える際に用いる数珠状の祈りの用具、およびその祈りのことである。ロザリオの祈りは、カトリック教会における伝統的な祈りで、「アヴェ・マリア」を繰り返し唱えながら福音書に記されているイエス・キリストの主な出来事を黙想していく祈りである 女子パウロ会が、ミサなどの典礼行為ではなく、私的な信心業として伝わるものである。基本となる祈り方(数え方)が定められていて、珠の数・形状もそれに沿って作られている。.
ワイン
ワイン(vin、wine、vino、Wein)とは、主としてブドウの果汁を発酵させたアルコール飲料である。葡萄酒、ぶどう酒(ぶどうしゅ)とも。通常、単に「ワイン」と呼ばれる場合には他の果汁を主原料とするものは含まない。日本の酒税法では「果実酒」に分類されている。.
ヴィオラ
ヴィオラまたはビオラは、西洋音楽で使われるヴァイオリン属の弦楽器である。長い間独奏楽器としてはほとんど無視された存在であったが、近代以降では独奏曲も数多く作られるようになってきている。合奏や重奏の中では中音部を受け持つ。しばしば「Va」「Vla」と略記される。.
トラ
トラ(虎、Panthera tigris)は、食肉目ネコ科ヒョウ属に分類される食肉類。.
パン
ムギとエンバクのパン パン(pão パンウン)とは、小麦粉やライ麦粉などに水、酵母、塩などを加えて作った生地を発酵させた後に焼いた食品。日本語・朝鮮語・中国語での漢字表記は「麵麭」(、)など。 基本的に、小麦粉やライ麦粉などに水・酵母(イースト)を加えてパン生地にし、それを焼いた食品を指す。発酵のための酵母と糖類(砂糖など)をセットで加えることも一般的である。なお、出芽酵母を入れずに生地をつくるパンもあり、これを「無発酵パン」や「種なしパン」などと言う(その場合、出芽酵母で発酵させてから焼いたパンのほうは「発酵パン」と言う)。無発酵パンとしては、生地を薄くのばして焼くパンがあり、アフリカ・中東からインドまでの一帯でさかんに食べられている。なお、生地を発酵させるのは主として気泡を生じさせ膨張させるためであるが、出芽酵母で時間をかけて気泡を生じさせる代わりに、ベーキングパウダーや重曹を加えることで簡便に気泡を生じさせるものもある。また、生地にレーズン、ナッツなどを練り込んだり、別の食材を生地で包んだり、生地に乗せて焼くものもある(変種として、焼く代わりに、蒸したもの、揚げたものもある)。 パンは多くの国で主食となっている。アブラハムの宗教では儀式(ミサ)において用いられる。.
フランシスコ会
フランシスコ会の会章 フランシスコ会(フランシスコかい、Ordo Fratrum Minorum、Order of Friars Minor)またはフランチェスコ会(フランチェスコかい)は、13世紀のイタリアで、アッシジのフランチェスコによってはじめられたカトリック教会の修道会の総称であり、広義には第一会(男子修道会)、第二会(女子修道会)、第三会(在俗会)を含む。現在、その活動は全世界にわたっている石井(2004)「フランシスコ会」。 狭義には男子修道会、すなわち男子修道士による托鉢修道会である第一会に相当する3つの会のことを指し、特にそのなかの主流派である改革派フランシスコ会のみを指すこともある。この3つの会はいずれも「小さき兄弟会」Ordo Fratrum Minorum (OFM) の名を冠している。また、イングランド国教会系の聖公会でもフランシスコ会が組織されている。 フランシスコ会は、無所有と清貧を主張したフランチェスコの精神にもとづき、染色を施さない修道服をまとって活動している。.
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フランシスコ・ザビエル
フランシスコ・デ・ザビエル( または, 1506年頃4月7日 - 1552年12月3日)は、スペインのナバラ王国生まれのカトリック教会の司祭、宣教師。イエズス会の創設メンバーの1人。バスク人。 ポルトガル王ジョアン3世の依頼でインドのゴアに派遣され、その後1549年(天文18年)に日本に初めてキリスト教を伝えたことで特に有名である。また、日本やインドなどで宣教を行い、聖パウロを超えるほど多くの人々をキリスト教信仰に導いたといわれている。カトリック教会の聖人で、記念日は12月3日。.
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フロイス日本史
『フロイス日本史』(フロイスにほんし)、正式には『日本史』(にほんし、)は、戦国時代末期の日本でキリスト教の布教活動を行ったイエズス会宣教師ルイス・フロイスによる編年体歴史書。.
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ドチリナ・キリシタン
ドチリナ・キリシタンは、近世初期にイエズス会によって作成されたカトリック教会の教理本である。当時のポルトガル語でDoctrina Christã『国史大辞典』10巻 吉川弘文館 (381 - 382頁)。(現在の表記ではDoutrina Cristã)、ラテン語でDoctrina Christianaと表記する。.
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喫煙
喫煙 喫煙(きつえん)は、タバコの葉を乾燥・発酵などの工程を経て加工した嗜好品に火をつけて、くすぶるように燃焼させ、その(不可視な)燃焼ガスと、煙を吸引する行為である。.
周防国
周防国(すおうのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陽道に属する。.
アメリカ大陸
アメリカ大陸(アメリカたいりく)とは、南アメリカ大陸と北アメリカ大陸をあわせた呼称。両アメリカや新大陸などとも言う。 南北に分かれた二大陸であるが、両者はパナマ地峡で接続しているため、まとめて超大陸と見なすこともできる。なお、広くアメリカ州(米州)というときは、カリブ海やカナダ北部の島々・海域をも含める場合が多い。 「アメリカ」と言う名称は、イタリアの探検家アメリゴ・ヴェスプッチの名から付けられた。詳細はアメリカ州を参照。.
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アラブ種
アラブ種の雌馬 アラブ種の骨格 アラブ(種) (Arab、Arabian) とは、ウマの品種の一つ。現存する馬の改良種の中で最初に確立した品種とされる。体高約150cm、体重約400kg。 サラブレッドよりは小柄で華奢な体躯で、速力もサラブレッドには劣るが、耐候性、耐久性に優れる。 その成立ははっきりしないが、アラビア半島の遊牧民、ベドウィンにより、厳格な血統管理の元に改良が進められ、品種として確立した。伝承によるとケヒレット・エル・アジュズ(「老婦人の牝馬」の意)という牝馬がアラブ種の根幹牝馬である。 サラブレッドはこのアラブを元にイギリスやその他の在来馬と掛け合わせて作られた品種であり、三大始祖は全てアラブ種かそれに類するターク、バルブ種である。特にダーレーアラビアンはジェネラルスタッドブックにおいて純粋なアラブとされている。また、サラブレッド成立後、主にフランスでこのアラブとサラブレッドを掛け合わせて作られたのがアングロアラブである。日本ではサラブレッドと共にこのアングロアラブも競走馬として多く用いられ、生産も盛んであった一方、アラブ自体はあまり普及しなかったため、日本でアラブといえば一般的にアングロアラブのことを指し、アラブは「純血」アラブと言わないと通じないことがある。.
アレッサンドロ・ヴァリニャーノ
アレッサンドロ・ヴァリニャーノ(ヴァリニャーニ、、1539年2月15日 - 1606年1月20日)は、安土桃山時代から江戸時代初期の日本を訪れたイエズス会員、カトリック教会の司祭。イエズス会東インド管区の巡察師として活躍し、天正遣欧少年使節派遣を計画・実施した。.
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インド
インドは、南アジアに位置し、インド洋の大半とインド亜大陸を領有する連邦共和制国家である。ヒンディー語の正式名称भारत गणराज्य(ラテン文字転写: Bhārat Gaṇarājya、バーラト・ガナラージヤ、Republic of India)を日本語訳したインド共和国とも呼ばれる。 西から時計回りにパキスタン、中華人民共和国、ネパール、ブータン、バングラデシュ、ミャンマー、スリランカ、モルディブ、インドネシアに接しており、アラビア海とベンガル湾の二つの海湾に挟まれて、国内にガンジス川が流れている。首都はニューデリー、最大都市はムンバイ。 1947年にイギリスから独立。インダス文明に遡る古い歴史、世界第二位の人口を持つ。国花は蓮、国樹は印度菩提樹、国獣はベンガルトラ、国鳥はインドクジャク、国の遺産動物はインドゾウである。.
イヌ
イヌ(犬、狗、学名:Canis lupus familiaris、ラテン語名:canis、英語名[国際通用名]:dog、domestic dog)は、ネコ目(食肉目)- イヌ科- イヌ属に分類される哺乳類の一種である。.
イエズス会
イエズス会(イエズスかい、)は、キリスト教、カトリック教会の男子修道会。1534年にイグナチオ・デ・ロヨラやフランシスコ・ザビエルらによって創設され、1540年にパウルス3世により承認された。世界各地への宣教に務め、日本に初めてカトリックをもたらした。なおイエズスは、中世ラテン語による (イエス・キリスト)の古くからのカトリックの日本語表記。.
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イソップ寓話
『イソップ寓話』(イソップぐうわ、)は、アイソーポス(イソップ)が作ったとされる寓話を集めたとされる寓話集。特に動物(下記を参照)、生活雑貨(例えば、瀬戸物と金物など)、自然現象(太陽と風)、様々な人々(旅人など)を主人公にしたものが有名で、イソップ物語・イソップ童話等と呼ばれることもある。.
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オルガン
ルガン (organ) は、加圧した空気を鍵盤で選択したパイプに送ることで発音する鍵盤楽器であり、パイプオルガンとも呼ばれる。パイプオルガンに準じた鍵盤楽器である、リードオルガンや電子オルガンもオルガンの名で呼ばれる。.
オルゴール
櫛の歯が18本のシリンダー・ムーブメント 写真提供:日本電産サンキョー商事株式会社 30本の櫛歯を持つシリンダー・ムーブメント オルゴールは、機械仕掛けにより自動的に楽曲を演奏する楽器の一つ。自鳴琴とも呼ばれた。.
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カルタ
ルタ(Carta).
カッパ
ッパ.
カトリック教会
トリック教会(カトリックきょうかい、)は、ローマ教皇を中心として全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。その中心をローマの司教座に置くことからローマ教会、ローマ・カトリック教会とも呼ばれる。.
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カステラ
テラ(かすていら・家主貞良・加須底羅)は、鶏卵を泡立てて小麦粉、砂糖(水飴)を混ぜ合わせた生地をオーブンで焼いた菓子の一つである。.
ガスパル・ヴィレラ
パル・ヴィレラ(、 大永5年(1525年)? - 元亀3年(1572年))は、ポルトガル人イエズス会員でカトリック教会の司祭。日本のキリスト教史上最初期の宣教師の一人で、京都での布教を開始した。.
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ガスパール・コエリョ
パール・コエリョ(、 1530年-1590年5月7日)はポルトガル出身で戦国時代の日本で活動したイエズス会司祭、宣教師。イエズス会日本支部の準管区長をつとめた。.
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キリシタン大名
リシタン大名(キリシタンだいみょう、吉利支丹大名)は、戦国時代から江戸時代初期にかけてキリスト教に入信、洗礼を受けた大名のことである。.
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キリシタン版
リシタン版(キリシタンばん)とは、近世初期(16世紀末-17世紀初め)に日本を中心にイエズス会によって刊行されたローマ字、あるいは漢字・仮名による印刷物の通称である。 キリスト教の布教のため、日本へ来たイエズス会司祭のアレッサンドロ・ヴァリニャーノが、同会の教育事業の一環として計画した。その計画は、必ずしも成功したとはいえなかった。しかし、50点以上の出版物が刊行され、また東アジアではじめて西洋印刷術によって印行された、書物・印刷史上重要な刊行物であり、ローマ字表記された当時の日本語口語文など、言語史上にも貴重な資料になっている。 キリシタン版と呼ばれる書物群は、論者によって The Jesuit Mission Press in Japan や日本耶蘇会版、吉利支丹版などとも呼ばれ、細目は一致しないこともあるものの、日本においてイエズス会が刊行した書目を中心にすえる点では、大体一致している。.
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キリスト教
リスト教で最も頻繁に用いられるラテン十字 アギア・ソフィア大聖堂にある『全能者ハリストス』と呼ばれるタイプのモザイクイコン。 キリスト教(キリストきょう、基督教、Χριστιανισμός、Religio Christiana、Christianity)は、ナザレのイエスをキリスト(救い主)として信じる宗教「キリスト教」『宗教学辞典』東京大学出版会、1973年、146頁。「キリスト教」『大辞泉』増補・新装版、小学館、1998年11月20日、第一版、714頁。 小学館、コトバンク。。イエス・キリストが、神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じる。その多く(正教会正教会からの出典:・東方諸教会東方諸教会からの出典:・カトリック教会カトリック教会からの出典:・聖公会聖公会からの出典:・プロテスタントルーテル教会からの出典:改革派教会からの出典:バプテストからの出典:メソジストからの参照:フスト・ゴンサレス 著、鈴木浩 訳『キリスト教神学基本用語集』p103 - p105, 教文館 (2010/11)、ISBN 9784764240353など)は「父なる神」「御父」(おんちち、『ヨハネによる福音書』3:35〈『新共同訳聖書』〉)。と「その子キリスト」「御子」(みこ、『ヨハネによる福音書』3:35〈『新共同訳聖書』〉)・「子なる神」。と「聖霊」を唯一の神(三位一体・至聖三者)として信仰する。 世界における信者数は20億人を超えており、すべての宗教の中で最も多い。.
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キリスト教音楽
本項はキリスト教の祈祷(公祈祷・礼拝)で用いられる聖歌・音楽を中心に扱うとともに、礼拝ではほとんど用いられないが演奏会などでは用いられるキリスト教音楽についても扱う。教会音楽(きょうかいおんがく)という語もあるが、こちらは教会で用いられる音楽にほぼ限定して指すことがほとんどであり、演奏会向けのキリスト教音楽のことはあまり含まれない。キリスト教における礼拝音楽(れいはいおんがく)、典礼音楽(てんれいおんがく)はさらに狭義となり、公祈祷・礼拝で用いられる音楽のみを指す(ただし、礼拝音楽、典礼音楽は他宗教の音楽にも使われる用語である)。.
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クリストファー・コロンブス
リストファー・コロンブス(Cristoforo Colomboクリストーフォロ・コロンボ、クリストポルス・コルンブス、クリストバル・コロン、クリストヴァン・コロンボ、クリスタファ・カランバス、1451年頃 - 1506年5月20日)は探検家・航海者・コンキスタドール、奴隷商人。定説ではイタリアのジェノヴァ出身。大航海時代においてキリスト教世界の白人としては最初にアメリカ海域へ到達した。.
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グネッキ・ソルディ・オルガンティノ
ニェッキ・ソルディ・オルガンティノ(オルガンティーノ・ニェッキ・ソルド/ニェッキ・ソルディ、Organtino Gnecchi‐Soldo/ Gnecchi‐Soldi, 1533年 - 1609年4月22日)は、戦国時代末期の日本で宣教活動を行ったイタリア人宣教師。カトリック司祭。イエズス会員。人柄が良く、日本人が好きだった彼は「宇留岸伴天連(うるがんばてれん)」と多くの日本人から慕われ、30年を京都で過ごす中で織田信長や豊臣秀吉などの時の権力者とも知己となり、激動の戦国時代の目撃者となった。.
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グレゴリオ聖歌
レゴリオ聖歌(グレゴリオせいか、グレゴリアン・チャント)は、西方教会の単旋律聖歌(プレインチャント)の基軸をなす聖歌で、ローマ・カトリック教会で用いられる、単旋律、無伴奏の宗教音楽。.
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コレジオ
レジオ(、学林)は、聖職者育成及び一般教養のための高等教育機関(大神学校)である。コレジヨともいう。狭義では、イエズス会によって1581年(天正9年)に豊後国府内(現大分県大分市)に設置されたものを指す。その施設は島原の加津佐(現長崎県南島原市)を経て、熊本の天草(現熊本県天草市)に移転した。 現在は、旧長崎大司教館に設けられたカトリック長崎大司教区が運営する司祭を目指す神学生の寄宿学習施設「長崎コレジオ」として名を残している。.
コロンブス交換
ンブス交換 (Columbian Exchange) は、1492年から続いた東半球と西半球の間の植物、動物、食物、人口(奴隷を含む)、病原体、鉄器、銃、思考の甚大で広範囲にわたる交換を表現する時に用いられる言葉。1492年のクリストファー・コロンブスの「新世界」への到達にちなみ、この名称が用いられる。 コロンブス交換の概念はアメリカの歴史学者アルフレッド・クロスビーによって提唱されたルース・ドフリース『食糧と人類:飢餓を克服した大増産の文明史』小川敏子訳 日本経済新聞出版社 2016年、ISBN 9784532169817 pp.122-130.
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ジョアン・ロドリゲス
ョアン・ツズ・ロドリゲス (またはロドリーゲス、、、1561年(1562年)? – 1633年8月1日)は、ポルトガル人のイエズス会士でカトリック教会司祭。同名の司祭(ジョアン・ジラン・ロドリゲス João “Girão” Rodrigues, 1559年-1629年)と区別してツズ(通事の意)と呼ばれた。 ポルトガル北部のセルナンセーリェ (Sernancelhe) に生まれ、少年のうちに日本に来て1580年イエズス会に入会、長じて日本語に長け、通訳にとどまらず会の会計責任者(プロクラドール)として生糸貿易に大きく関与し、権力者との折衝にもあたるほどの地位に上り詰めたが、後に陰謀に遭って1610年、マカオに追放された。マカオではおなじく追放されてきた日本人信者の司牧にあたったほか、マカオ市政にも携わり、明の朝廷にも派遣された。日本帰還を絶えず願うも叶わず、マカオに歿した。日本語や日本文化への才覚を以て文法教科書『日本語文典』、『日本語小文典』を著したほか、『日本教会史』の著者としても知られる。.
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ジェロニモ・デ・ジェズス
ェロニモ・デ・ジェズス・デ・カストロ(Jerónimo de Jesús de Castro、生年不詳 - 1601年10月6日)は、江戸時代初期の日本で宣教活動を行ったフランシスコ会の宣教師、神父。ポルトガル出身であるがスペイン人として活動したため、スペイン語読みでヘロニモ・デ・ヘススとも呼ばれる。.
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スペイン人
ペイン人(スペインじん、el pueblo español)は、ヨーロッパ南西部のイベリア半島の国家スペインの国籍保持者もしくはその住民。 スペイン国家の住民を表す用語として、los pueblos de España(スペイン国家の諸民族)なる表現もしばしば用いられる。.
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セミナリヨ
ミナリヨ()は、歴史用語で、イエズス会によって日本に設置され、1580年から1614年の間に存在したイエズス会司祭・修道士育成のための初等教育機関(小神学校)のこと。.
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ゾウ
ゾウ(象)は、哺乳綱ゾウ目(長鼻目)ゾウ科の総称である。 アジアゾウとアフリカゾウ、それとおそらくはマルミミゾウの、2属3種が現生し、これらは現生最大の陸生哺乳類である。他に絶滅したマンモスやナウマンゾウなどを含む。.
タバコ
タバコ(たばこ、煙草、)は、ナス科タバコ属の熱帯地方原産の植物佐竹元吉 監修『日本の有毒植物』 学研教育出版 2012年、ISBN 9784054052697 p.192.
哲学
哲学(てつがく、Φιλοσοφία、philosophia、philosophy、philosophie、Philosophie)は、語義的には「愛智」を意味する学問的活動である。日本語辞典の広辞苑では、次のように説明している。 観念論的な形而上学に対して、唯物論的な形而上学もある。諸科学が分化独立した現在では、哲学は学問とされることが多いが、科学とされる場合哲学は「自然および社会,人間の思考,その知識獲得の過程にかんする一般的法則を研究する科学」である。出典は、青木書店『哲学事典』。もある。.
出版
出版(しゅっぱん、英語:publishing)とは、販売・頒布する目的で文書や図画を複製し、これを書籍や雑誌の形態で発行することで、上梓(じょうし)、板行(はんこう)とも呼ばれる。上梓の「梓(し)」とは、カバノキ科のミズメのことではなくノウゼンカズラ科のキササゲのことで、古く中国で木版印刷の版材にキササゲが用いられたことに基づく。書籍や雑誌など出版されたものを出版物(しゅっぱんぶつ)と呼び、出版を事業とする企業を出版社と呼ぶ。 出版(複製)は一般に印刷によって行われる。新聞も同様の方法で発行されるが、流通経路が異なり、普通は出版とは呼ばない。ただし、現在ほとんどの新聞社(またはそのグループ会社)では雑誌、書籍の出版も手がけている。 出版(書籍、雑誌)は新聞やラジオ、テレビに比べて情報伝達の速報性などの点で劣っているが、一方で正確性、蓄積性などに優れたメディアである。.
商人
商人(しょうにん、しょうひと、あきびと、あきんど、あきゅうど).
四都図世界図
四都図世界図(よんとずせかいず)は、神戸市立博物館に所蔵される二組の初期洋風画。当時の海外志向を反映して、上部に上流階級の男女、王侯騎馬図を配する四都図と、世界図が一対で描かれる。いずれも重要文化財。.
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倫理
倫理(りんり).
石鹸
石鹸(石鹼、せっけん、せきけん)とは一般に汚れ落としの洗浄剤を指し、より化学的には高級脂肪酸の塩の総称である。 工業的に動植物の油脂から製造され、特に純石鹸(じゅんせっけん)と呼ぶ場合は、脂肪酸ナトリウムや脂肪酸カリウムだけで、添加物を含まない石鹸を指すが、多くは炭酸塩や香料などの添加物を含む。 界面活性剤であり、油や油を含む汚れを水に分散させる作用により洗浄能力を持つ。また、細菌の細胞膜やウイルスのエンベロープを破壊するため、一部の病原体に対して消毒効果を発揮する。 水を溶媒として溶かして使用するが、水なしで使えるよう工夫されたドライシャンプーが介護や災害時に使われているほか、宇宙ステーションでも使用されている。 マルセイユ石鹸(サヴォン・ド・マルセイユ).
火縄銃
火縄銃(江戸時代) 愛知万博のポルトガル館展示物) 火縄銃(姫路城天守閣蔵) 火縄銃(ひなわじゅう、Matchlock gun / Arquebus)は、初期の火器(火砲)の形態のひとつで、黒色火薬を使用し、前装式で滑腔銃身のマスケット銃の内で、マッチロック式(火縄式)と分類される点火方式のものをさす。通常、日本では小型のものを鉄砲、大型のものは大筒と称する。 マッチロック式は、板バネ仕掛けに火の付いた火縄を挟んでおき、発射時に引き金を引くと仕掛けが作動して、火縄が発射薬に接して点火する構造である。(詳細は#射法参照) 火縄銃は、15世紀前半にヨーロッパで発明され、特にドイツにおいて発展した 。最古の記録は1411年のオーストリア写本「Codex Vindobona 3069」にZ字型のサーペンタインロック式が見られる 。また1430年代に描かれたサーペンタインの金具の図が残っている。 現代の日本では銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)の規制対象となっており、骨董品として所有するにしても登録が必要である。.
神学
学(しんがく、英語:theology、ドイツ語:Theologie、ラテン語:theologia)は、信仰を前提とした上で、神をはじめとする宗教概念についての理論的考察を行う学問である。神道や仏教では、教学(きょうがく)や宗学(しゅうがく)と呼称することが多い。護教学(ごきょうがく)と呼ばれることもある文脈によっては、護教学という言葉は神学の立場を批判する意味を込めて用いられる。。各宗教ごとに存在するものではなく、自身の信仰について考察する学問として、一般的な神学が存在しうるとの理解も可能である一部のキリスト教大学の神学部では、信者以外の入学も認めており、神学部を卒業した仏教僧侶もいる。。Theologyの語源はギリシア語のθεολογια。θεος (神)および λογος(言葉)の合成語。「神についての議論(学問)」という意味。.
祈祷師
祷師(きとうし)とは、原始宗教やシャーマニズム・アニミズムといわれるものに基づき、人類が基本的な社会構造である集団を持ったときから発生したといわれ、その祈祷を行う集団の長や主要な人物をさし、シャーマンとも呼ばれる。.
福音伝道
福音伝道(ふくいんでんどう、)は伝道活動を意味し、本来ギリシア語であるが、今日ではキリスト教の用語を指す場合が多く、本項目ではこれについて述べる。.
科学
科学(かがく、scientia、 仏:英:science、Wissenschaft)という語は文脈に応じて多様な意味をもつが、おおむね以下のような意味で用いられている。.
精神
精神(せいしん)は、心、意識、気構え、気力、理念といった意味を持つ言葉。.
編年体
編年体(へんねんたい)とは歴史の記述法の一つで、起こった出来事を年代順に記してゆく方法を指す。対して、個人や一つの国に関しての情報をまとめて記述するのを紀伝体という。 日本の六国史のうち『日本書紀』を除くものは国史体とよばれる独特の記述法になっている。これは編年体を基本としつつ、重要人物の死亡記事があるごとに簡単な列伝(薨伝と呼ばれる)を挿入するものであるが、編年体の一種とされる。.
織田信長
織田 信長(おだ のぶなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。三英傑の一人。 尾張国(現在の愛知県)の古渡城主・織田信秀の嫡男。 尾張守護代の織田氏の中でも庶流・弾正忠家の生まれであったが、父の代から主家の清洲織田氏(織田大和守家)や尾張守護の斯波氏(斯波武衛家)をも凌ぐ力をつけて、家督争いの混乱を収めて尾張を統一し、桶狭間の戦いで今川義元を討ち取ると、婚姻による同盟策などを駆使しながら領土を拡大した。足利義昭を奉じて上洛すると、将軍、次いでは天皇の権威を利用して天下に号令した。後には義昭を追放して室町幕府を事実上滅ぼして、畿内を中心に強力な中央集権的政権(織田政権)を確立して天下人となった。これによって他の有力な大名を抑え、戦国乱世の終焉に道筋をつけた。 しかし天正10年6月2日(1582年6月21日)、重臣・明智光秀に謀反を起こされ、本能寺で自害した。すでに家督を譲っていた嫡男・織田信忠も同日に二条城で自刃し、信長の政権は、豊臣秀吉による豊臣政権、徳川家康が開いた江戸幕府へと引き継がれていくことになる。.
眼鏡
鏡(めがね、メガネ)とは、目の屈折異常を補正したり、目を保護したり、あるいは着飾ったりするために、目の周辺に装着する器具。.
絵画
絵画(かいが)は、物体の形象を平面に描き出したもの広辞苑。 日本語では類語の絵が幅広く用いられ、絵画という語は、特に芸術作品としての絵を指す場合がある。ただし、絵と絵画を区別して用いるとは限らない。また画を後ろにつけて描写の技法や対象を示す用語もある(水墨画、静物画など)。 フランス語の peinture(パンチュール)、英語の painting(ペインティング)、日本語の雅言的表現で絵と呼ぶこともある。 文字などを「書く」ことより早く、絵画を「描く」行動は幼少期から見られる行動である。発達心理学などの分野では、14歳から18歳程度で完成期と呼ばれる時期を迎え、多くの人はその頃から、ほとんど描かなくなる。子どもの絵に関する社会科学的研究は豊富だが、大人の絵に関する同様の研究は少ない。その一方で、多くの人が描かなくなる年齢を過ぎても活動的に絵を描く人々が居る。歴史的に代表的なのは画家であると言えるが、現代ではより多くの業種に見出される傾向である。なお、人間の発達には個人差があり、柔軟な姿勢が必要である。.
病原体
病原体(びょうげんたい)とは、病気を引き起こす微生物などを指す。ウイルスのようなものも含む。病原体によって起こされる病気のことを感染症という。.
生物
生物(せいぶつ)または生き物(いきもの)とは、動物・菌類・植物・古細菌・真正細菌などを総称した呼び方である。 地球上の全ての生物の共通の祖先があり(原始生命体・共通祖先)、その子孫達が増殖し複製するにつれ遺伝子に様々な変異が生じることで進化がおきたとされている。結果、バクテリアからヒトにいたる生物多様性が生まれ、お互いの存在(他者)や地球環境に依存しながら、相互に複雑な関係で結ばれる生物圏を形成するにいたっている。そのことをガイアとも呼ぶものもある。 これまで記録された数だけでも百数十万種に上ると言われており、そのうち動物は100万種以上、植物(菌類や藻類も含む)は50万種ほどである。 生物(なまもの)と読むと、加熱調理などをしていない食品のことを指す。具体的な例を挙げれば“刺身”などが代表的な例としてよく用いられる。.
版画
画(はんが)とは、印刷を行う紙以外に、彫刻や細工を施した版を作り、インクの転写・透写等によって複数枚の絵画を製作する技法、またはそれにより製作された絵画のこと。版画はその版の仕組みから大きく4つに分類される。凸版画、凹版画、平版画、孔版画である。また、印刷する版面の種類によって木版画、銅版画、石版画に分類される。.
狩野内膳
狩野 内膳(かのう ないぜん、元亀元年(1570年) - 元和2年4月3日(1616年5月18日))は、安土桃山時代・江戸時代初期の狩野派の絵師。内膳は号、名は重郷(しげさと)。通称は久蔵、幼名は九蔵。法名は一翁、或いは一翁斎。息子は日本初の画伝『丹青若木集』を著した狩野一渓。風俗画に優れ、「豊国祭礼図」「南蛮屏風」の作者として知られる。.
狩野派
狩野永徳筆 唐獅子図 宮内庁三の丸尚蔵館 狩野派(かのうは)は、日本絵画史上最大の画派であり、室町時代中期(15世紀)から江戸時代末期(19世紀)まで、約400年にわたって活動し、常に画壇の中心にあった専門画家集団である。室町幕府の御用絵師となった狩野正信を始祖とし、その子孫は、室町幕府崩壊後は織田信長、豊臣秀吉、徳川将軍などに絵師として仕え、その時々の権力者と結び付いて常に画壇の中心を占め、内裏、城郭、大寺院などの障壁画から扇面などの小画面に至るまで、あらゆるジャンルの絵画を手掛ける職業画家集団として、日本美術界に多大な影響を及ぼした。.
芳賀幸四郎
芳賀 幸四郎(はが こうしろう、1908年1月25日 - 1996年8月6日)は、日本史学者小谷野敦 著 『日本の有名一族 近代エスタブリッシュメントの系図集』 幻冬舎(幻冬舎新書)、2007年9月30日第1刷発行、ISBN 978-4-344-98055-6、182頁。。東京教育大学名誉教授。 東山文化研究の第一人者。 禅を極め、臨済宗妙心寺派系の法を嗣ぐ老師。如々庵(にょにょあん)洞然(とうねん)。自ら一行物の墨蹟を数多く残すとともに、老師として禅語の解説書も著わす。.
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銃
ミス&ウェッソン ミリタリー&ポリス 銃(じゅう)とは筒状の銃身から弾を発射する道具であり、砲より小型の物を指す。 一般に火薬の燃焼ガスの圧力で、金属弾(主に鉛製)を発射する。銃から高速で発射される金属弾は強い殺傷力を持つため、狩猟や戦闘に広く使われている。.
音韻
音韻(おんいん)とは、もともと日本語・中国語などで漢字の音を構成する声、音などの総称。漢語の音声を研究する学問を音韻学という。また近代の言語学では、意味の弁別をなす最小の音声単位であるphonemeの訳語として当てられ、phonemeを研究する学問を音韻論と呼んでいる。この場合の音韻は音素(おんそ)と同義であるが、各言語の歴史的な変化や体系性といった文脈で語られることが多い。中国音韻学と音韻論とはまったく別の学問である。.
音楽
音楽(おんがく、music)の定義には、「音による芸術」といったものから「音による時間の表現」といったものまで、様々なものがある。 音楽は、ある音を選好し、ある音を選好しない、という人間の性質に依存する。 音楽には以下の3つの要件がある。.
鎖国
鎖国(さこく)とは、江戸幕府が、キリスト教国(スペインとポルトガル)の人の来航、及び日本人の東南アジア方面への出入国を禁止し、貿易を管理・統制・制限した対外政策であり、ならびに、そこから生まれた日本の孤立状態及び、日本を中心とした経済圏を指す。幕末に「開国」を主導した井伊直弼は、「鎖国」のことを閉洋之御法とも呼んでおり、籠城と同じようなものだと見做していた『』 P.183 小林庄次郎 1915年。 対外関係は朝鮮王朝(朝鮮国)及び琉球王国との「通信」(正規の外交)、中国(明朝と清朝)当初は倭寇対策として「海禁」政策を採る明・清政府の正式な交流許可はなく、福建省をはじめとする南方中国の商人の私貿易であった。1684年に康煕帝により海禁が解除された後は寧波商人の貿易船が日本との交易を行うようになる。及びオランダネーデルラント連邦共和国、但し国際法上その独立をヨーロッパ諸国に承認されたのは、1648年のヴェストファーレン条約においてであった。さらにフランス革命戦争で本国がフランスに占拠され、1795年その衛星国バタヴィア共和国となり、併合を経て再独立したのは1815年であった。(オランダ東インド会社本国がバタヴィア共和国となっても、アメリカ合衆国の商船を雇用し、オランダの国旗を掲げて通商を行なっていた。なお、東インド会社自体は1799年に解散させられている)との間の通商関係に限定されていた。鎖国というとオランダとの貿易が取り上げられるが、実際には幕府が認めていたオランダとの貿易額は中国の半分であった。 一般的には1639年(寛永16年)の南蛮(ポルトガル)船入港禁止から、1854年(嘉永7年)の日米和親条約締結までの期間を「鎖国」と呼ぶ。しかし、「鎖国」という用語が広く使われるようになったのは明治以降で、近年では制度としての「鎖国」はなかったとする見方が主流である。 なお海外との交流・貿易を制限する政策は江戸時代の日本だけにみられた政策ではなく、同時代の東北アジア諸国でも「海禁政策」が採られていた清は1684年に海禁を解いているが、その後も長崎貿易に類似した管理貿易制度を維持した(広東システム)。。.
聖水
ダブリンの聖テレサ教会の入り口近くに設けられている聖水口 聖水(せいすい)とは、宗教的に普通の水とは異なり聖なるものとされ、儀式に用いられる水のこと。水は多くの宗教で「穢れを祓う」などの意味で用いられるが、これに普通の水ではなく聖水に相当する特別な水を使わなければならない宗教が多い。 特に、キリスト教の正教会、カトリック教会、聖公会(英国国教会)、一部のプロテスタントなどの教派で、聖職者により聖別(聖化)され洗礼等の儀式や祝福に用いられるものを殊に指して聖水と呼ぶことが多い。本項ではキリスト教における聖水について詳述する。 この他に例えば正教会における至聖三者聖セルギイ大修道院(ロシア)における聖なる泉や、カトリック教会における「ルルドの泉」のように、神に祝福され聖なる力を持つと信じられている水も聖水と呼ぶことがある。.
道具
道具(どうぐ)とは、.
風俗画
俗画(ふうぞくが、Genre painting, petit genre)は、庶民の普段の生活を描写し日常生活のさまざまな面を描いた作品のことである。表現は写実的なものから理想化あるいは想像されたものまで様々である。親しみ易く、感傷的な主題が多いこともありブルジョワ階級や中産階級に昔から人気のあるジャンルだった。風俗画を表すプティ・ジャンル(petit genre)の "petit" (小さな)は 歴史画などの偉大なジャンル(grand genre)の "grand"(大きな)に対して付けられたものである。 風俗の主題はほぼすべての美術の伝統に見られる。古代エジプトの王墓の装飾には、宴、レクリエーションや農作業の様子が描かれている。中世の時祷書(『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』)のような祈祷書にも農民の日常生活が描かれている。フランドルのルネサンスの画家ピーテル・ブリューゲル(父)は農民やその生活を主題とした多くの絵を描いた。彼の影響で北ヨーロッパでは風俗画が流行するようになる。17世紀にネーデルラントで風俗画を専門とした多くの画家の中にはアドリアーン・ファン・オスターデ、イサーク・ファン・オスターデ、ダヴィッド・テニエルス、アルバート・カイプ、ヨハネス・フェルメール、ピーテル・デ・ホーホがいる。彼らの一般的に小さめの絵は、購入者層の中産階級の人々の家に飾るのに相応しいものであった。 イタリアでは、オランダの画家ピーテル・ファン・ラールが1625年にローマに来たことにより風俗画 "派" と呼ぶべきものが隆盛をみる。ラールがイル・バンボッチオというあだ名で呼ばれたため、彼の追随者はバンボッチャンティと呼ばれた。彼の影響を受けた多くの画家の中にはギアコモ・セルチ、アントニオ・シフロンディ、ジュゼッペ・クレスピがいた。 ルイ・ル・ナンは17世紀フランスで風俗画を手がけた代表的作家である。フランスでは18世紀、日常生活を描くことへの興味が更に高まる事となる。もっともその描写にはヴァトーやジャン・オノレ・フラゴナールの感傷的なものからジャン・シメオン・シャルダンの入念な写実主義まで幅があった。 イギリスではウィリアム・ホガースが庶民についての話を連作で描いた作品に、社会風刺や教訓を盛り込んだ。ウィリアム・フリスはイギリスの最も有名な風俗画で、同時代の人々からも尊敬を集めていた。イギリスの風俗画家には他にオーガスタス・エッグ、ジョージ・ヒックス、ウィリアム・ハント、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、デイヴィッド・ウィルキーがいる。 スペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤは風俗画を人間の条件(人間として生きていくこと)の暗い記録手段として利用した。 中国では漢代の画像石などに原初的な図像が認められる。唐代以降、士女図が描かれ、北宋末期には張択端が首都汴京の市街風物を《清明上河図》として描き、以後中国の風俗画の画題として受け継がれた。日本では平安、鎌倉時代に絵卷物などの一部に風俗的な表現が見られるが、中世以降独立した画題として成立する。洛中洛外図、 遊楽図などが描かれ、近世初期風俗画として隆盛する。遊里に取材する美人風俗画は江戸時代には浮世絵として発展した。日本の浮世絵には、余暇を楽しむ人や働く人の姿が多く描かれている。特にこれらの作品は18世紀に描かれた。 アメリカの本当の意味での最初の風俗画家は、ドイツ移民のジョン・ルイス・クリメルである。ウィルキーやホガースから学んだ彼は1812年から1821年のフィラデルフィアの生活のちょっとユーモラスな情景を描いた。 19世紀に歴史画、宗教画が衰退するにつれ、画家は自分の身の回りの生活に画題を求めるようになった。ギュスターヴ・クールベのような写実主義の画家は、それまでは "重要な" 主題にしか使われなかったような巨大なカンバスに日常生活を描き常識を覆した。歴史画自体も社会の重大な出来事ばかりでなく、歴史時代を舞台として大人物のプライベートな姿や、普通の人の日々の生活を描いたりと変化して来ていた。続いて印象派やピエール・ボナール、エドワード・ホッパー、デイビッド・パークといった20世紀美術の芸術家が日常生活を描くようになると、「風俗画」という言葉は現代美術の中では、伝統的な写実的なテクニックで描かれた逸話的またはセンチメンタルな作品のことを指すようになった。アメリカの画家アーニー・バーンズやノーマン・ロックウェルのようなイラストレーターはより新しいタイプの風俗画の代表といえるかもしれない。 風俗画には、庶民の日々の生活が映し出されているので、過去の時代を知る貴重な資料となっている。.
被服
Tシャツ(ウィキペディアのロゴのプリント柄) 被服(ひふく)とは、身体に着用するものである。人体の保護や装飾、社会的地位の表象等のために発展してきたもので、人間の文化の主要構成要素の一つである。もっとも典型的には、布(布帛)を縫合して着用に適した形状に仕立てた繊維製品である。また物品の元の目的が着用にない場合でも、これを身につけることで被服と捉えられる場合がある。 被服と類似の用語として、衣服(いふく)、衣(ころも・きぬ)、服(ふく)、衣類(いるい)、衣料・衣料品(いりょうひん)、着物(きもの)等がある。また、服飾、服装、衣装(衣裳)などの語も存在する。これらの用語は意味範囲が重複するものであるが、繊維等製品の製造や機能面に関する学術研究や教育・行政分野等では「被服」の語が用いられ(陸軍被服本廠・被服学等)、衣服文化を取り扱う分野においては服飾の用語が用いられる傾向がある(服飾史等)。本項では便宜上、製品としての被服について扱う。複数の製品を組み合わせた特定の装いについては服飾を参照。.
食品
食品(しょくひん、食べ物、、)は、人間が食事で摂取する物。広辞苑第5版最初の食品は母乳。広辞苑第5版地域や時代において広く用いられる食品として、ペミカンや缶詰が挙げられる。 食品と同義であり明確な線引はないが、肉類や野菜類、果実類など主食品以外の食べ物品目、または調理前の食品を食料品(しょくりょうひん)とすることもある。 人間は生きるために、食品を食べて栄養素の摂取している。医療を目的としたものは薬とよび、食品と区別される事が多いが、薬とは定義されない健康食品と呼ばれるものもある。 生物は食品を味わうことは快楽になるので、嗜好品としての要素もある。.
襦袢
襦袢(じゅばん、じゅはん、ジバン)は、和服用の下着の一つ。.
西半球
西半球 西半球(にしはんきゅう)とは、地球の内、本初子午線から西回りに西経180度(180度経線)までの半分のことである。残余の部分を東半球という。西半球で経度を示すには、西経を用いる。 西半球には、.
西洋医学
西洋医学(せいよういがく)は、欧米において発展した医学を指す用語である。明治初期から、欧米医学を指す言葉として用いられた 『しにか』8巻11号。正式な医学用語ではなく、俗語であり、文脈によって意味が異なる。 ヨーロッパ、アラビア(西洋)には、中国医学(東洋医学)とは異なる概念・理論・治療体系をもつ伝統医学(ギリシャ・アラビア医学、ユナニ医学)がある。これは古代ギリシャに始まり、四体液説・プネウマ論など基礎とするもので、アーユルヴェーダ(インド伝統医学)・中国医学と同じように全体観(ホーリズム)の医学である。各地の伝統医学は交流しながら発展した。西洋医学は、古代から現代までの西洋の医学を指す場合もあるが、ルネサンスに端を発し、その後自然科学と結合し19世紀後半に発展した近代医学または現代医学(正式名称は医学)を指すことが多い。 欧米では、医学を応用科学に含めるのが一般的である。.
語
語(ご、word)とは、言語の構成単位の一つであり、一つ以上の形態素からなる。語が集まることで句、節、文が作られる。 言語学では語は独立して発声できる最小の単位である。文法的な役割を持つ語を機能語、一般的な意味を持つ語を内容語という。一つの形態素からなる語を単純語、複数の形態素からなる語を合成語という。 語の厳密な定義は各言語によるが、一般に以下の性質がある。.
豊後国
豊後国(ぶんごのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.
豊臣秀吉
豊臣 秀吉(とよとみ ひでよし / とよとみ の ひでよし、)、または羽柴 秀吉(はしば ひでよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。天下人、(初代)武家関白、太閤。三英傑の一人。 初め木下氏を名字とし、羽柴氏に改める。本姓としては、初め平氏を自称するが、近衛家の猶子となり藤原氏に改姓した後、正親町天皇から豊臣氏を賜姓された。 尾張国愛知郡中村郷の下層民の家に生まれたとされる(出自参照)。当初、今川家に仕えるも出奔した後に織田信長に仕官し、次第に頭角を現した。信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると「中国大返し」により京へと戻り山崎の戦いで光秀を破った後、信長の孫・三法師を擁して織田家内部の勢力争いに勝ち、信長の後継の地位を得た。大坂城を築き、関白・太政大臣に就任し、朝廷から豊臣の姓を賜り、日本全国の大名を臣従させて天下統一を果たした。天下統一後は太閤検地や刀狩令、惣無事令、石高制などの全国に及ぶ多くの政策で国内の統合を進めた。理由は諸説あるが明の征服を決意して朝鮮に出兵した文禄・慶長の役の最中に、嗣子の秀頼を徳川家康ら五大老に託して病没した。秀吉の死後に台頭した徳川家康が関ヶ原の戦いで勝利して天下を掌握し、豊臣家は凋落。慶長19年(1614年)から同20年(1615年)の大坂の陣で豊臣家は江戸幕府に滅ぼされた。 墨俣の一夜城、金ヶ崎の退き口、高松城の水攻め、中国大返し、石垣山一夜城などが機知に富んだ功名立志伝として広く親しまれ、農民から天下人へと至った生涯は「戦国一の出世頭」と評される。.
貿易
貿易(ぼうえき、international trade、trade)とは、ある国(またはそれに準ずる地域)と別の国(同)との間で行なわれる商品の売買のことをいう。商品を外国に対して送り出す取引を輸出、外国から導入する取引を輸入という。通常は、形のある商品(財貨)の取引を指すが、サービス貿易や技術貿易のように無形物の取引を含める場合もある。 多くの国で貿易額は国内総生産のかなりの比率を占める。貿易は有史以来長い間存在するものの(シルクロードやアンバーロードを参照)、経済・社会・政治の各局面で貿易の重要性が高まったのはここ数世紀のことである。工業化、交通機関の発達、グローバル化、多国籍企業、アウトソーシングはみな貿易に大きな衝撃を与える。貿易の拡大はグローバル化の基礎である。貿易は経済学の一分野として扱われ、国際金融とともに国際経済の一部門を形成する。.
鹿児島市
かごしま県民交流センター 鹿児島市(かごしまし)は、九州の南部に位置する市であり、鹿児島県の県庁所在地でもある。 鹿児島湾西岸の市街地から桜島を望む景観がイタリアのナポリからヴェズーヴィオ火山を望む風景に似ていることから、『東洋のナポリ』と称される。.
辞典
ラーツ大学図書館のラテン語辞書 辞典(じてん)とは、言葉や物事、漢字などを集め、その品詞・意味・背景(語源等)・使用法(用例)・派生語・等を解説した書籍。辞書(じしょ)・字引(じびき)とも言う。 なお、「辞典」「辞書」という単語は、主に言葉について書かれたもの(国語辞典、英和辞典、漢和辞典など)について用いるもので、文字について書かれた辞典は「字典」、事物に就いて詳細に書かれた辞典(百科事典など)については「事典」という表記を用いて区別される。「辞典」「字典」「事典」はいずれも「じてん」で発話においては区別できないため、それぞれ「ことばてん」(言葉典)、「もじてん」(文字典)、「ことてん」(事典)と言い換えられることもある。 辞書に関する学問分野として辞書学がある。.
茶道
茶を点てる様子。写真は、盆と鉄瓶を使った簡略的な点茶の例。 茶道(さどう、ちゃどう)は、日本伝統の湯を沸かし、茶を点(た)て、茶を振る舞う行為(茶の儀式)。また、それを基本とした様式と芸道。 元来「茶湯」(ちゃとう)、「茶の湯」といった。千利休は「数寄道」、小堀政一(遠州)は「茶の道」という語も使っていたが、江戸時代初期には茶道と呼ばれた(『茶話指月集』『南方録』など)。「茶道」の英語訳としては tea ceremony のほか、茶道の裏千家と表千家ではそれぞれ the way of tea、chanoyu を用いている。岡倉覚三(天心)は英文の著書 The Book of Tea(『茶の本』)において、Teaism と tea ceremony という用語を使い分けている。 主客の一体感を旨とし、茶碗に始まる茶道具や茶室の床の間にかける禅語などの掛け物は個々の美術品である以上に全体を構成する要素として一体となり、茶事として進行するその時間自体が総合芸術とされる。 現在一般に、茶道といえば抹茶を用いる茶道のことだが、江戸期に成立した煎茶を用いる煎茶道も含む。 広間の茶室の例 道具は左から風炉と釜、建水、柄杓立と柄杓、水指、煙草盆と火入・灰吹。床の間には掛物(一行書「明月和水流」)と花入、香合を飾る。 草庵風茶室の例(高台寺遺芳庵) 草庵風茶室の例(如庵).
航海術
航海術(こうかいじゅつ)とは、船舶の自位置および方角を算出あるいは推定し、目的地に到達するための最も合理的な進行方向・速度を決定する為の技術の総称である。 方位磁針や六分儀、クロノメーター、海図などを用いる方法(天測航法)、陸地の特徴的な地形を目印にする(地文航法、山アテ)方法、天体の位置や動き、風向、海流や波浪、生物相などから総合的に判断する方法(スター・ナヴィゲーション)などがある。 近年ではGPS(グローバル・ポジショニング・システム)や衛星通信を利用する電波航法が主流である。かつては漁場のピンポイントに船をつけるには、民生用のGPSでは精度が不足していたため、山アテを併用する漁師も多い。また、ポリネシアやミクロネシアでは、民族のアイデンティティのよりどころの一つとして、伝統的な推測航法術を再評価する気運が高まっている。.
薩摩国
薩摩国(さつまのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.
肥前国
肥前国(ひぜんのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。.
金属
リウム の結晶。 リチウム。原子番号が一番小さな金属 金属(きんぞく、metal)とは、展性、塑性(延性)に富み機械工作が可能な、電気および熱の良導体であり、金属光沢という特有の光沢を持つ物質の総称である。水銀を例外として常温・常圧状態では透明ではない固体となり、液化状態でも良導体性と光沢性は維持される。 単体で金属の性質を持つ元素を「金属元素」と呼び、金属内部の原子同士は金属結合という陽イオンが自由電子を媒介とする金属結晶状態にある。周期表において、ホウ素、ケイ素、ヒ素、テルル、アスタチン(これらは半金属と呼ばれる)を結ぶ斜めの線より左に位置する元素が金属元素に当たる。異なる金属同士の混合物である合金、ある種の非金属を含む相でも金属様性質を示すものは金属に含まれる。.
金平糖
金平糖 金平糖(こんぺいとう、コンペイトー)とは、砂糖と下味のついた水分を原料に、表面に凹凸状の突起(角状)をもつ小球形の菓子。 金米糖、金餅糖、糖花とも表記される。語源はポルトガル語のコンフェイト( 、球状の菓子の意)。金平糖はカステラ・有平糖などとともに南蛮菓子としてポルトガルから西日本へ伝えられたとされる。初めて日本に金平糖が伝わった時期については諸説あるが、戦国時代の1546年(天文15年)とも言われる。.
鉄器
鉄器(てっき)とは、鋳鉄や鋼鉄を素材として鋳造・鍛造された鉄製の器具・道具である。 鍋、釜、鉄瓶などの調理器具が代表的な例である。他にも、文鎮、置物、花瓶、風鈴などがある。古代には農具、工具、武器などの多くが鉄器で作られていた時代があり、鉄器時代と呼ばれる。 強度、耐熱性、耐久性に優れている反面、錆びやすい、衝撃に弱く割れやすい欠点も持つ。.
鉄砲
火縄式鉄砲 火縄式鉄砲 日本陸軍の小銃の系譜(日露戦争以降)最上段1段目:三十年式歩兵銃2段目:三八式歩兵銃3段目:三八式騎銃4段目:四四式騎銃5段目:イ式小銃5段目:九九式短小銃(中期型)6段目:九九式短小銃(末期型) 鉄砲(てっぽう、鉄炮)とは、銃身を有し火薬の力で弾丸を発射する火器のこと。特に江戸時代以前、「銃」を意味する最も一般的な語が「鉄砲」であった。また広義において、大砲などを含めた火器全般を指して「鉄砲」と称する例もあった。本項では日本における「鉄砲」について述べる。銃、火縄銃も参照のこと。.
陰陽師
江戸時代初期の奈良絵本『たまものまへ』より、算木で占いを行う陰陽師の画。京都大学附属図書館所蔵。 陰陽師(おんみょうじ、おんようじ)は、古代日本の律令制下において中務省の陰陽寮に属した官職の1つで、陰陽五行思想に基づいた陰陽道によって占筮(せんぜい)及び地相などを職掌とする方技(技術系の官人。技官)として配置された者を指すが、それら官人が後には本来の律令規定を超えて占術など方術や、祭祀を司るようになったために陰陽寮に属する者全てを指すようになり、更には中世以降の民間において個人的に占術等を行う非官人の者をも指すようになり、声聞師と重ねられることもあって「声聞師」と呼ばれる場合もあった。中・近世においては民間で私的祈祷や占術を行う者を称し、中には神職の一種のように見られる者も存在する。 なお、本来は「おんようじ」と訓んだが現代は専ら「おんみょうじ」と訓まれ、これは「おんようじ」が連声化して「おんみょうじ」となった(「陰」は中国語中古音で「*ʔi̯əm」、中世日本語音で「*wom」なので、連声化するとま行の音になる)ものとされ、また「おんみょうじ」と先頭を強調する発音が定着しているが、かつては「おんみやうぢ」と2音目に揚音があったと言われている。.
暦学
暦学(れきがく)は、もともと天文学の古い言い方。天文学が、暦を編むために研究されていたからである。暦に関する理論や実際の計算・作成技術について研究する天文学の一分野である暦算天文学(れきさんてんもんがく)の略称としても使われる。ただし、古くから暦学の一部とされてきた暦注については、今日では占星術に属するものとされており、科学とは分けられている。暦学・暦法の研究家は暦法家(れきほうか)という。.
東半球
東半球(ひがしはんきゅう)とは、地球の内、本初子午線から東回りに東経180度(180度経線)までの半分のことである。残余の部分を西半球という。 東半球で経度を示すには、東経を用いる。 東半球には、.
東南アジア
東南アジア(とうなんアジア)は、中国より南、インドより東のアジア地域を指す。インドシナ半島、マレー半島、インドネシア諸島、フィリピン諸島などを含む。主に、大陸部東南アジアと島嶼部東南アジアに分けられる。 '''東南アジア''' 東南アジアの地図 東南アジアの範域.
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東アジア
東アジア(ひがしアジア)は、ユーラシア大陸の東部にあたるアジア地域の一部を指す地理学的な名称である。北西からモンゴル高原、中国大陸、朝鮮半島、台湾列島、琉球諸島、日本列島などを含む。北東アジア(東北アジア)、極東、東亜などと呼ぶ場合もある。.
桃山文化
武田(1969)p.135。昭和天皇崩御後は御物(皇室所有品)ではなく国有(三の丸尚蔵館保管)となっている。) 桃山文化(ももやまぶんか)または安土桃山文化(あづちももやまぶんか)は、織田信長と豊臣秀吉によって天下統一事業が進められていた安土桃山時代の日本の文化である尾藤(2000)pp.150-151。この時代、戦乱の世の終結と天下統一の気運、新興大名・豪商の出現、さかんな海外交渉などを背景とした、豪壮・華麗な文化が花ひらいた。 なお、「桃山文化」の呼称は、主として美術史の分野において多用される時期区分であり、その場合は徳川家康による江戸幕府開幕後の17世紀初頭も含めることが多い家永三郎は、文化史のうえでは、寛永年間(1624年-1644年)ころまでを桃山時代として扱うのが適切であるとしている。家永(1982)pp.163-164。本項でも、この時期区分に準じ、16世紀後半から17世紀初めにかけての文化事象について、その概略を述べる。.
欧米
欧米(おうべい)とは、ヨーロッパ州(欧州)とアメリカ州(米州。北アメリカ州と南アメリカ州)の3大州を指す。 狭義では、ヨーロッパの先進国及びアメリカ合衆国とカナダの北アメリカ2か国とを合わせた集団を指す。イギリス人が建国した、オセアニアにあるオーストラリアやニュージーランドを含める場合もある。.
永禄
永禄(えいろく)は、日本の元号の一つ。弘治の後、元亀の前。1558年から1570年までの期間を指す。この時代の天皇は正親町天皇。室町幕府将軍は足利義輝、足利義栄、足利義昭。.
江戸幕府
江戸城天守 江戸幕府(えどばくふ)は、1603年に征夷大将軍に任官した徳川家康が創設した武家政権である。終末期は、一般的には大政奉還が行われた1867年までとされる(他に諸説あり、後述)。江戸(現・東京都)に本拠を置いたのでこう呼ばれる。徳川幕府(とくがわばくふ)ともいう。安土桃山時代とともに後期封建社会にあたる。.
汎神論
汎神論(はんしんろん)とは、神と宇宙、または神と自然とは同一であるとみなす哲学的・宗教的立場である竹内良和「近世の汎神論」『概念と歴史がわかる西洋哲学小事典』生松敬三・木田元・伊藤俊太郎・岩田靖夫編、筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2011年、308頁。。万有神論、汎神教とも。古代インドのヴェーダとウパニシャッド哲学、ソクラテス以前のギリシア思想、近代においては、スピノザ、ゲーテ、シェリング等の思想がこれに属する。 汎神論においては、一切のものは神の顕現であるとされる。あるいは世界における神の内在や遍在が強調される。一切のものと神とを一元論的に理解しようとする汎神論においては、理論上、神は非人格的原理としてのそれである場合が多いが、人格神を立てる有神論的宗教の理論的思弁や神秘主義、あるいは祭祀上の習合からも汎神論的傾向が生じる田丸徳善「汎神論」『宗教学辞典』小口偉一・堀一郎 監修、東京大学出版会、1973年、615-616頁。。汎神論は歴史上それ自体として存立したものではなく、さまざまな宗教のなかにみられる一定の傾向であり、汎神論的態度は古代・中世にもあったが、ヨーロッパで頻出するようになるのは16世紀以降である。 英語の pantheism (パンセイズム)は、ギリシア語の pan(全て)と theos(神)の合成語で、文字どおり「全ては神」で「神は全て」を意味する宮嶋俊一「汎神論」『宗教学辞典』 星野英紀・池上良正他編、丸善、2010年。。つまり神と一切万物(または宇宙・世界・自然)とが同一であるとする思想であるが、一口に汎神論といってもさまざまな形態がある。一方では「神が全てである」ことを強調する無宇宙論 (acosmism) があり、他方では「森羅万象が神である」ことを強調する汎宇宙論 (pancosmism) がある。後者の立場は一種の唯物論に通じ、神の非人格性が顕著であるため無神論的とされる場合がある。ドイツの哲学者K・C・F・クラウゼは、万物を神の内包と捉える万有在神論 (panentheism) を主張した。.
河出書房新社
株式会社河出書房新社(かわでしょぼうしんしゃ)は、日本の出版社である。本社は東京都渋谷区千駄ヶ谷にある。 3代目社長の河出朋久は歌人でもあり、歌集『白葉集』1-3(短歌研究社、2004-06)がある。佐佐木幸綱、高野公彦、小野茂樹など学生歌人を社員登用していたこともある。.
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油彩
油彩(ゆさい)には、以下の2つの意味がある。.
泰西王侯騎馬図
泰西王侯騎馬図(たいせいおうこうきばず)は、会津藩主松平家に伝来した初期洋風画の八曲一双の屏風。重要文化財。.
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活字
活字(かつじ)は、狭義においては活版印刷の際に文字の図形を対象(特に紙)に印字するもので、木や金属に字形を刻み、それにインクをつけて何度も印刷できるようにしたものである。また広義では、写真植字の文字盤やデジタルフォントをはじめ印刷物など、広く文字を同一の字形で繰り返し表現するものを含む。 印刷技術については活版印刷を、印刷された本については刊本を、印刷された文章についてはテクストを、それぞれ参照のこと。.
活版印刷
活版印刷(かっぱんいんさつ)は、凸版印刷の一種で、金属や木に文字を彫り込み判子状にしたもの(活字)を並べて文章にした板(活版、組版)を作り、それに塗料を塗って印刷すること。また、その印刷物。鉛版・線画凸版・樹脂版などの印刷も含めていう。活版刷りともいう。.
洋楽器
洋楽器(ようがっき)とは、日本古来の伝統楽器である「和楽器」に対して、「明治時代以降に西洋から伝来した楽器」という意味で用いられる楽器分類。 狭義に解釈すると「現代の西洋音楽で用いられる近代的楽器」の一群を指すので、「諸外国(西洋も含めて)の伝統楽器・民族楽器」には当てはまらない。 広義に解釈するならば、「民族楽器も含む諸外国の楽器」つまり「和楽器以外のすべての楽器」と考えるべきであろう。.
渋川春海
渋川 春海(しぶかわ はるみ、しぶかわ しゅんかい、寛永16年閏11月3日(1639年12月27日) - 正徳5年10月6日(1715年11月1日))は、江戸時代前期の天文暦学者、囲碁棋士、神道家。幼名は六蔵、諱は都翁(つつち)、字は春海、順正、通称は助左衛門、号は新蘆、霊社号は土守霊社。貞享暦の作成者。姓は安井から保井、さらに渋川と改姓した。.
漢字
漢字(かんじ)は、中国古代の黄河文明で発祥した表語文字。四大文明で使用された古代文字のうち、現用される唯一の文字体系である。また史上最も文字数が多い文字体系であり、その数は10万字を超え、他の文字体系を圧倒する。古代から周辺諸国家や地域に伝播して漢字文化圏を形成し、言語のみならず文化上の大きな影響を与えた。 現代では中国語、日本語、朝鮮語の記述に使われる。20世紀に入り、漢字文化圏内でも日本語と中国語以外は漢字表記をほとんど廃止したが、なお約15億人が使用し、約50億人が使うラテン文字についで、世界で2番目に使用者数が多い。.
情報
情報(じょうほう、英語: information、ラテン語: informatio インフォルマーティオー)とは、.
戦国大名
戦国大名(せんごくだいみょう)は、日本の戦国時代に数郡から数カ国規模の領域を一元的に支配した大名を指す。.
戦国時代 (日本)
日本の戦国時代(せんごくじだい)は、日本の歴史(にほんのれきし)において、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下したことに伴って守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭した。領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めるとともに、領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった。こうした戦国大名による強固な領国支配体制を大名領国制という。.
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新世界
緑の地域(南北アメリカ大陸やオーストラリア周辺)が大航海時代の新世界 新世界(しんせかい、New World)あるいは新大陸(しんたいりく、New Continent)とは、大航海時代に欧州人が新たに発見した土地に対する呼称である。.
文化
文化(ぶんか、)にはいくつかの定義が存在するが、総じていうと人間が社会の成員として獲得する振る舞いの複合された総体のことである。社会組織(年齢別グループ、地域社会、血縁組織などを含む)ごとに固有の文化があるとされ、組織の成員になるということは、その文化を身につける(身体化)ということでもある。人は同時に複数の組織に所属することが可能であり、異なる組織に共通する文化が存在することもある。もっとも文化は、次の意味で使われることも多い。.
日葡辞書
''Vocabulario da Lingoa de Iapam'' 『日葡辞書』(にっぽじしょ、Vocabulário da Língua do Japão)は、キリシタン版の一種で、日本語をポルトガル語で解説した辞典である。イエズス会によって、1603年から1604年にかけて長崎で発行された。全てポルトガル語で記述され、約32,000語を収録している。原書名は "Vocabulario da Lingoa de Iapam com Adeclaração em Portugues" であり、「ポルトガル語で説明を付けた日本の言語の辞典」を意味する。.
日本
日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.
日本人
日本人(にほんじん、にっぽんじん、Japanese)は、日本の国籍(日本国籍)を持つ日本国民。または祖先が日本列島に居住していた民族集団を指す。.
日本画
日本画(にほんが)は、日本の伝統的な様式を汲んだ絵画である。明治期に洋画が発展するなかで生まれた概念。多くは岩絵具や和紙、絵絹などの伝統的材料や技法が用いられる。彩色画と水墨画に分けられる。 狭義では、明治維新から第二次世界大戦終結までの77年間において、油彩に依らず、旧来の日本の伝統的な技法や様式の上に育てられた絵画を指す。これに対して、油絵は「洋画」と呼ばれていた。 広義では、明治維新前の物や、第二次世界大戦後の物にも拡張して呼ぶこともある。その場合、中国に由来しながらも主題や様式において日本的特徴を持つ物を意味するのか、あるいは油彩技法が到来する以前に日本で制作された図画一般まで指すのか、定義があいまいなまま使われることも多い。.
日本語
日本語(にほんご、にっぽんご「にっぽんご」を見出し語に立てている国語辞典は日本国語大辞典など少数にとどまる。)は、主に日本国内や日本人同士の間で使用されている言語である。 日本は法令によって公用語を規定していないが、法令その他の公用文は全て日本語で記述され、各種法令において日本語を用いることが規定され、学校教育においては「国語」として学習を課されるなど、事実上、唯一の公用語となっている。 使用人口について正確な統計はないが、日本国内の人口、および日本国外に住む日本人や日系人、日本がかつて統治した地域の一部住民など、約1億3千万人以上と考えられている。統計によって前後する場合もあるが、この数は世界の母語話者数で上位10位以内に入る人数である。 日本で生まれ育ったほとんどの人は、日本語を母語とする多くの場合、外国籍であっても日本で生まれ育てば日本語が一番話しやすい。しかし日本語以外を母語として育つ場合もあり、また琉球語を日本語と別の言語とする立場を採る考え方などもあるため、一概に「全て」と言い切れるわけではない。。日本語の文法体系や音韻体系を反映する手話として日本語対応手話がある。 2017年4月現在、インターネット上の言語使用者数は、英語、中国語、スペイン語、アラビア語、ポルトガル語、マレー語に次いで7番目に多い。.
日本語学
日本語学(にほんごがく)とは、日本語を研究の対象とする学問である。.
日本文典 (コリャード)
『日本文典』(にほんぶんてん、Ars grammaticae Iaponicae lingvae (i.e. Ars grammaticae Iaponicae linguae))は、スペインの宣教師ディエゴ・コリャードの表した日本語の文法の書籍。日本語をラテン語文法に当てはめたものでラテン語で記されている。1632年刊行。1975年に英訳Grammar of the Japanese Language(Richard L. Spear訳)が出版された。.
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数学
数学(すうがく、μαθηματικά, mathematica, math)は、量(数)、構造、空間、変化について研究する学問である。数学の範囲と定義については、数学者や哲学者の間で様々な見解がある。.
教会堂
聖ソフィア大聖堂(ビザンティン建築・ロシア建築)。ロシア正教会のものとして建設されたが現在は博物館。 教会堂(きょうかいどう)は、キリスト教などの教会の建築物である。単に教会とも言うが、その場合には、教会堂と、そこに関わる共通の信仰を持つ人々の総体を表す。 キリスト教の場合、日本では正教会やカトリック教会、聖公会では教会堂ではなく聖堂(せいどう)と呼ぶことが多く、聖堂を荘厳にして、イコンやステンドグラス、壁画を用いて感覚的に信仰をわかりやすく説いたものが多い。プロテスタントの教会では、説教や集会のためという実用本位な教会が多く、装飾は控えられ、なかには十字架も置かない場合もある。 以下、特徴ある各時代の教会堂の様式を述べる。.
教皇
教皇(きょうこう、Pāpa、Πάπας Pápas、The Pope)は、キリスト教の最高位聖職者の称号。一般的にはカトリック教会のローマ司教にして全世界のカトリック教徒の精神的指導者であるローマ教皇を指す。ヴァティカン市国の首長。教皇の地位は「教皇位」、あるいは「教皇座」と呼ばれる。また、教皇の権威のことを「聖座」、「使徒座」ということもある。現在の教皇はフランシスコ(第266代)。 日本語では「ローマ法王」と表記されることも多いが、日本のカトリック教会の中央団体であるカトリック中央協議会は「ローマ教皇」の表記を推奨している(後述)。またカトリックの内部では「教父」の呼称を用いる場合もある。なお、退位した教皇の称号は名誉教皇(名誉法王とも)という。 本項では主にローマ教皇について記述する。その他の教皇については称号の変遷とその他の「教皇」の節を参照。.
教義
教義(きょうぎ、、ドグマ)とは、宗教の教えを体系化したもの。多岐に亘る宗教があり、そのいずれにも独自のこれが存在し、各々の宗教を信奉する人が、これに則って物事を理解したり判断する助けとなるものとされる。教理とは相違がある。転じて、一定集団の中においてのみ支持されているルールや考え方も、比喩的に教義と呼ばれることがある。また教義を絶対化する、あるいは固執する傾向を教条主義()という。.
手術
アキレス腱の手術 手術(しゅじゅつ、surgery, operation)とは、外科的機器やメスなどを用いて患部を切開し、治療的処置を施すこと。通称、略称としてオペとも呼ばれる(独: Operationに由来)。.
思想
思想(しそう、thought)は、人間が自分自身および自分の周囲について、あるいは自分が感じ思考できるものごとについて抱く、あるまとまった考えのことである。.
時計
山田訓氏所蔵「MADE IN JAPANの置時計 1960年代を中心に」展より 懐中時計 時計(土圭、とけい)とは、時刻を知るための、また時間を計るための器機・道具。.
1549年
記載なし。
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1576年
記載なし。
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1585年
記載なし。
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1592年
記載なし。
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1593年
記載なし。
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1599年
記載なし。
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15世紀
大航海時代。大西洋を渡り新世界を発見したコロンブス。 マチュ・ピチュ遺跡。アンデス山麓に属するペルーのウルバンバ谷に沿いの尾根にある遺跡で標高2430mの高さにある。用途は未だ明らかでない所もあるが、15世紀に建造されたインカ帝国の技術の高さを反映している。 National Museum of Anthropology (Mexico)蔵)。 香辛料の魅惑。15世紀には東方との交易路はオスマン帝国に遮断される事になり、香辛料の供給不足が大きな問題となった。画像は1410年代に描かれた『世界の記述(東方見聞録)』の挿絵で、インドでの胡椒採収が取り上げられている。 エンリケ航海王子。ポルトガルは東方への航路の開発を推進したが、その中心となったのは「航海王子」の名を持つエンリケ王子である。サグレスに設置した「王子の村」が航海士の育成に貢献したことはよく知られている。画像は「サン・ヴィセンテの祭壇画」で聖人のすぐ右隣に位置する黒帽で黒髭の人物が王子ととされているが異論もある。 キルワの大モスク跡。 サマルカンド近郊のウルグ・ベク天文台。ティムール朝の君主ウルグ・ベクは天文学に造詣が深く「ズィージ・スルターニー」のような精緻な天文表も作成させた。 Musée des Augustins蔵)。 ロシア正教会の自立。東ローマ帝国の衰退に伴い「タタールの軛」を脱したロシアでは独自の組織が形成され文化的にも新たな展開が見られた。画像はこの時代を代表するモスクワ派のイコン(聖画像)でアンドレイ・ルブリョフの「至聖三者」(モスクワのトレチャコフ美術館蔵)。 グルンヴァルトの戦い(タンネンベルクの戦い)。ポーランド・リトアニア連合軍がドイツ騎士団を破り、東方植民の動きはここで抑えられた。画像はこの戦いを描いたポーランド人画家ヤン・マテイコの歴史画(ワルシャワ国立美術館蔵)。 天文時計で1410年頃作成されてから、後世の補修はあるものの今日まで動いているものである。 プラハ大学学長ヤン・フスの火刑。コンスタンツ公会議の決定によりカトリック教会と相容れぬ異端の徒として処刑されたが、これがチェック人の憤激を呼び起こすことになった。 オルレアンの乙女ジャンヌ・ダルク。劣勢のフランス軍を鼓舞し百年戦争の終結に大きな役割を果たしたが魔女裁判で火刑に処せられた。 グーテンベルク聖書(42行聖書)』の「創世記」。 『中世の秋』。歴史家ホイジンガはこの題名でこの時代のブルゴーニュ公国の歴史を描いた。画像はヤン・ファン・エイクの「宰相ロランの聖母」。ロランはこの国の宰相で、背後にはブルゴーニュのオータンの風景が広がる。 ブルネレスキの巨大なドーム建築で知られる「花の聖母教会(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)」。 ボッティチェリの「春(プリマヴェーラ)」。メディチ家などの文化支援活動に支えられてルネサンス文化が花開いた。画像の中心の女神は美と愛の女神ウェヌス(ヴィーナス)で、その周囲を多くの神々が取り囲んでいる(ウフィッツィ美術館蔵)。 サイイド朝からローディー朝へ。北インドではデリーを中心にイスラム系王朝が続いた。画像はデリーのローディー・ガーデン内にあるサイイド朝の君主ムハンマド・シャーの霊廟。この公園の敷地にはローディー朝君主たちの霊廟もある。 タイを支配したアユタヤ朝は上座部仏教を保護し東南アジアでも有数の国家となっていた。画像はアユタヤに残るワット・プラ・シーサンペットで、1448年にボーロマトライローカナート王により建立された寺院である。 万里の長城。モンゴル人を漠北に追い払ってからもその侵入に備え明代には長城が幾度となく修復・増築を繰り返されていた。画像は1404年に「慕田峪長城」と名付けられた長城で北京市の北東に位置するもの。 鄭和の南海大遠征。永楽帝時代には明の国威を示す大艦隊が各地に派遣された。画像は1417年にベンガルから運ばれたキリンを描いた「瑞應麒麟図」。 「仁宣の治」。明は仁宗洪熙帝と続く宣宗宣徳帝の時代に安定期を迎えた。画像は明の宣宗宣徳帝の入城を描いたもの(台北故宮博物院蔵)。 如拙「瓢鮎図」。禅宗の流入は「五山文学」や「舶来唐物」などを通じて室町時代の文化に大きな影響を与えた。この「瓢鮎図」も将軍足利義持の命で描かれた水墨画で数多くの禅僧の画讃がつけられている。京都妙心寺塔頭退蔵院の所蔵。 文化を極めた。 応仁の乱。将軍後継をめぐる守護大名の争いで京都の町は焦土と化した。以後足利将軍の権威は衰え下剋上の時代へと進むことになる。画像は応仁の乱を描いた「紙本著色真如堂縁起」(真正極楽寺蔵)。 15世紀(じゅうごせいき)とは、西暦1401年から西暦1500年までの100年間を指す世紀。.
1603年
記載なし。
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1604年
記載なし。
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1608年
記載なし。
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