65 関係: ばさら、史跡、増鏡、大正、太平記、宝篋印塔、中納言、世良親王、延慶 (日本)、佐々木道誉、徳源院、後醍醐天皇、北畠家、北畠顕家、北畠親房、北畠雅家、嘉元、和歌、公卿、元亨、元弘、元弘の乱、元徳、米原市、続柄、鎌倉幕府、鎌倉時代、貞和、贈位、近江国、柏原宿、村上源氏、正安、正中 (元号)、正二位、正応、正和、正慶、滋賀県、文保、1290年、1301年、1302年、1306年、1310年、1314年、1316年、1318年、1319年、1320年、...、1321年、1322年、1323年、1324年、1325年、1326年、1329年、1330年、1331年、1332年、1333年、1347年、1915年、6月19日 (旧暦)、7月12日。 インデックスを展開 (15 もっと) »
ばさら
ばさらとは、日本の中世、主に南北朝時代の社会風潮や文化的流行をあらわす言葉であり、実際に当時の流行語として用いられた。婆娑羅など幾つかの漢字表記がある。.
史跡
特別史跡「姫路城跡」(兵庫県姫路市) 史跡(しせき、非常用漢字:史蹟)とは、貝塚、集落跡、城跡、古墳などの遺跡のうち歴史・学術上価値の高いものを指し、国や自治体によって指定されるものである。この語は一般には遺跡全般と同義で現在においてもその意味で使用される場合も多いが、日本においては1919年(大正8年)の史蹟名勝天然紀念物保存法以降、特に法律で指定保護されている遺跡を指すようになり、現在では狭義の「史跡」は文化財の種別の一つとして文化財保護法第109条第1項に規定されている。.
増鏡
『増鏡』(ますかがみ)は、歴史物語。成立は南北朝時代と推定される。作者は未詳だが、二条良基説や洞院公賢説、四条家関係者説などがある。いわゆる「四鏡」の成立順では最後に位置する作品である。内容的には最も新しい時代を扱っている。.
大正
大正(たいしょう)は日本の元号の一つ。明治の後、昭和の前。大正天皇の在位期間である1912年(明治45年/大正元年)7月30日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの期間。.
太平記
『太平記』(たいへいき)は、日本の古典文学作品の1つである。歴史文学に分類され、日本の歴史文学の中では最長の作品とされる。 全40巻で、南北朝時代を舞台に、後醍醐天皇の即位から、鎌倉幕府の滅亡、建武の新政とその崩壊後の南北朝分裂、観応の擾乱、2代将軍足利義詮の死去と細川頼之の管領就任まで(1318年 (文保2年) - 1368年(貞治6年)頃までの約50年間)を書く軍記物語。今川家本、古活字本、西源院本などの諸種がある。「太平」とは平和を祈願する意味で付けられていると考えられており、怨霊鎮魂的な意義も指摘されている。 第二次世界大戦後、「太平記」を称する小説やテレビドラマが多く作られたため、混同を避けるために『古典太平記』と呼ばれることもある。.
宝篋印塔
宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種である。五輪塔とともに、石造の遺品が多い。.
中納言
中納言(ちゅうなごん)は、太政官に置かれた令外官のひとつ。太政官においては四等官の次官(すけ)に相当する。訓読みは「すけのものまうすつかさ」あるいは「なかのものまうすつかさ」。.
世良親王
世良親王(よよししんのう/ときながしんのう、? - 元徳2年9月17日(1330年10月29日))は、鎌倉時代後期の皇族。後醍醐天皇の皇子。母は橋本実俊の娘遊義門院一条局。官職は大宰帥。名前の読みが2種類あることについては、後醍醐天皇の皇子の読みを参照。 亀山上皇の皇女昭慶門院に養育され、北畠親房が乳父となった。兄の尊良親王よりも聡明で父後醍醐天皇の期待をかけられていたが、早世してしまった。死に先立ち居所を禅院(現在の京都嵐山臨川寺)とし、昭慶門院から継承された所領を寄進した。 Category:日本の親王 Category:鎌倉時代の男性皇族 Category:後醍醐天皇の子女 Category:14世紀生 Category:1330年没.
延慶 (日本)
延慶(えんきょう、えんぎょう、えんけい)は、日本の元号の一つ。徳治の後、応長の前。1308年から1310年までの期間を指す。この時代の天皇は花園天皇。鎌倉幕府将軍は久明親王、守邦親王、執権は北条師時。.
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佐々木道誉
佐々木 道誉/佐々木 高氏(ささき どうよ/- たかうじ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将、守護大名。若狭・近江・出雲・上総・飛騨・摂津守護。 一般的に佐々木佐渡判官入道(佐々木判官)や佐々木道誉の名で知られる。後者の道誉(導誉とも)は法名であり、諱(実名)は高氏(たかうじ)という。鎌倉幕府創設の功臣で近江を本拠地とする佐々木氏一族の京極氏に生まれたことから、京極 道誉(導誉)(きょうごく どうよ)または 京極 高氏(きょうごく たかうじ)とも呼ばれる。.
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徳源院
徳源院(とくげんいん)は、滋賀県米原市にある京極氏の菩提寺。清瀧寺(せいりゅうじ、または、きよたきでら)とも呼ばれる。山号を霊通山と称する。宗派は天台宗。境内にある京極家墓所は国の史跡に指定されている。.
後醍醐天皇
後醍醐天皇(ごだいごてんのう)は、鎌倉時代後期から南北朝時代初期にかけての第96代天皇にして、南朝の初代天皇(在位:文保2年2月26日(1318年3月29日) - 延元4年/暦応2年8月15日(1339年9月18日))。ただし、以下で記述するとおり、歴史的事実としては在位途中に2度の廃位と譲位を経ている。諱は尊治(たかはる)。鎌倉幕府を倒して建武新政を実施したものの、間もなく足利尊氏の離反に遭ったために大和吉野へ入り、南朝政権(吉野朝廷)を樹立した。.
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北畠家
北畠家(きたばたけけ、または北畠氏(きたばたけし))は、公家の一つ。村上源氏中院家庶流。武家としての通字は「具(とも)」。 南北朝時代に南朝の忠臣として重きをなし、伊勢国に進出して南北朝合一後も国司として勢力を保ち、公家大名、戦国大名として戦国時代まで命脈を保った「三国司家」『世界大百科事典』。また、大名化しても公家としての意識は持ち続け、伊勢国司家の歴代当主の花押は武家ではなく公家のものであった (三重県HP)。 なお、明治維新後、北畠家の家名は中院流久我家の分家として再興され、男爵に叙されている。.
北畠顕家
北畠 顕家(きたばたけ あきいえ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代の公卿・武将。 『神皇正統記』を著した准三后北畠親房の長男、母は不詳。官位は正二位、権大納言兼鎮守府大将軍、贈従一位、右大臣。 建武親政下において、義良親王を奉じて陸奥国に下向した。足利尊氏が建武政権に叛したため西上し、新田義貞や楠木正成らと協力してこれを京で破り、九州に追いやった。やがて任地に戻るも、尊氏が再挙して南北朝が分立するに及び、再びこれを討とうとして西上し、鎌倉を陥落させ、上洛しようと進撃した。 以後、伊勢・大和などを中心に北朝軍相手に果敢に挑むも遂に和泉国堺浦・石津に追い詰められ、奮戦の末に討ち取られて戦死した。 死後、明治時代に顕家を主祭神とする霊山神社と阿部野神社が建設され、これらは建武中興十五社となった。.
北畠親房
北畠 親房(きたばたけ ちかふさ)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の公卿。著書の『神皇正統記』で名高い。.
北畠雅家
北畠 雅家(きたばたけ まさいえ)は、鎌倉時代前期から中期にかけての公卿。北畠家の祖。大納言・源通方の子。.
嘉元
嘉元(かげん)は、日本の元号の一つ。乾元の後、徳治の前。1303年から1305年までの期間を指す。この時代の天皇は後二条天皇。鎌倉幕府将軍は久明親王、執権は北条師時。.
和歌
和歌(わか)とは、短歌型式の古典詩。古典短歌。広義には『万葉集』に所収される歌体の総称。 「和歌」の訓は「やまとうた」である。「和」の代わりに「倭」の字が、「歌」の代わりに「謌」、「哥」の字が宛てられたこともある。なお、歌謡と混同されるおそれがない文脈においては「歌」「うた」と表記され、呼ばれることもある。 長連歌、俳諧、狂歌、川柳風狂句は定型の古典詩であるが、和歌には含まれない。また、明治の和歌革新家とその後継者の短歌作品、すなわち近現代短歌は「短歌」と称され、「和歌」とは称されない。近現代短歌はこの項では取り上げない。.
公卿
公卿(くぎょう)は、公家の中でも日本の律令の規定に基づく太政官の最高幹部として国政を担う職位、すなわち太政大臣・左大臣・右大臣・大納言・中納言・参議ら(もしくは従三位以上(非参議))の高官(総称して議政官という)を差す用語である。平安時代に公卿と呼ばれるようになった。.
元亨
元亨(げんこう、げんきょう)は、日本の元号の一つ。元応の後、正中の前。1321年から1323年までの期間を指す。この時代の天皇は後醍醐天皇。鎌倉幕府将軍は守邦親王、執権は北条高時。.
元弘
元弘(げんこう)は、日本の元号の一つ。元徳の後、建武の前。1331年から1333年までの期間を指す。この時代の天皇は後醍醐天皇。鎌倉幕府将軍は守邦親王、執権は北条守時。.
元弘の乱
元弘の乱(げんこうのらん)は、元弘元年(1331年)に起きた、後醍醐天皇を中心とした勢力による鎌倉幕府倒幕運動である。元弘3年/正慶2年(1333年)に鎌倉幕府が滅亡に至るまでの一連の戦乱を含めることも多い。以下では1331年から1333年までの戦乱について述べる。元弘の変(げんこうのへん)とも呼ばれる。.
元徳
元徳(元德、げんとく)は、日本の元号の一つ。嘉暦の後。大覚寺統(南朝)では元弘の前で、1329年から1330年までの期間を指す。この時代の天皇は後醍醐天皇。鎌倉幕府将軍は守邦親王、執権は北条守時。 後醍醐天皇が元弘に改元した直後に倒幕の兵を挙げて失敗、隠岐に流され(元弘の乱)、持明院統(北朝)の光厳天皇が立てられた。光厳天皇と幕府は元弘改元を認めず、1331年まで元徳の元号を使用し、1332年に正慶に改元した。.
米原市
米原市(まいばらし)は、滋賀県の北東部(湖北地域)に位置する市。旧坂田郡。 交通都市として知られ、古くから中山道と北陸道の分岐点として発達した。市の中心部である米原が北国街道の米原宿に当たり、市域南部を東西に通過する中山道には「番場の忠太郎」で有名な番場宿、醒井宿、柏原宿の3ヶ所の宿場町が置かれていた。また現在でも、国道8号と国道21号が分岐し、米原JCTでは、名神高速道路と北陸自動車道が分岐するなど、交通の結節点としての役割を果たしている。 滋賀県内で唯一、東海道新幹線の駅が設置されている。そのため、関西圏・中京圏ともにアクセスが良く、新幹線では米原駅から京都駅まで19分、新大阪駅まで35分、一方名古屋駅までは27分で到着する。 自然資源も豊富であり、日本百名山に数えられる高山植物の宝庫・伊吹山、ゲンジボタルの群生地として有名な天野川中流域と三島池、滋賀県・岐阜県にのみ生息する魚ハリヨや希少植物バイカモ(梅花藻)といった貴重な生物が見られる地蔵川などがある。市内の甲津原にスキー場がある。.
続柄
続柄の関係図 続柄(つづきがら)とは、血縁関係あるいは婚姻関係を指す語である。俗に「ぞくがら」と読まれることもある。 血族と姻族、直系と傍系、尊属と卑属の意味や親等については「親族」を参照。 本項目において「親族」とは、民法第725条「親族の範囲」で定める「法定親族」を指す。.
鎌倉幕府
鎌倉幕府(かまくらばくふ)は、日本の武家政権。同幕府の約150年間を鎌倉時代と呼び、源頼朝を創設者とし、北条時政・北条義時らを中心とした坂東武士が鎌倉に設立した幕府である。頼朝の死後、御家人の権力闘争によって頼朝の嫡流は断絶し、その後は義時の嫡流である得宗家が同幕府の支配者となった。武家政権は室町幕府・江戸幕府へと継承された。.
鎌倉時代
伝・源頼朝肖像 鎌倉・高徳院の大仏 鎌倉時代(かまくらじだい、1185年頃 - 1333年)は、日本史で幕府が鎌倉に置かれていた時代を指す日本の歴史の時代区分の一つである。朝廷と並んで全国統治の中心となった鎌倉幕府が相模国鎌倉に所在したのでこう言う。本格的な武家政権による統治が開始した時代である。 始期については従来の1192年の征夷大将軍就任説をはじめ諸説あるが、東国支配権の承認を得た1183年説と守護・地頭設置権を認められた1185年説が有力になっている。(詳細は鎌倉幕府#概要を参照).
貞和
貞和(じょうわ)は、日本の南北朝時代の元号の一つ。北朝方にて使用された。康永の後、観応の前。1345年から1349年までの期間を指す。この時代の天皇は、北朝方が光明天皇、崇光天皇。南朝方が後村上天皇。室町幕府将軍は足利尊氏。.
贈位
贈位(ぞうい)とは、生前に功績を挙げた者に対して、没後に位階を贈る制度。追贈、追賜ともいう。官職を贈る場合は贈官(ぞうかん)という(例:贈太政大臣)。 将棋や囲碁の世界では、大会での優勝や功績に応じてタイトルを贈られることを贈位と呼ぶこともある。就位ともいう。この際に贈られる賞状を贈位状とも呼ぶ。.
近江国
近江国(おうみのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。.
柏原宿
柏原宿(かしわばらしゅく、かしわばらじゅく)は近江国坂田郡にあった中山道60番目の宿場(→中山道六十九次)で、現在は滋賀県米原市柏原。 『太平記』にすでに記載されている中世以来の宿場。艾(もぐさ)が特産品で、最盛時には10軒以上の艾屋があったという。.
村上源氏
村上源氏(むらかみげんじ)は、第62代村上天皇の皇子を祖とする源氏氏族で、賜姓皇族の一つ。姓(カバネ)は朝臣。.
正安
正安(しょうあん)は、日本の元号の一つ。永仁の後、乾元の前。1299年から1301年までの期間を指す。この時代の天皇は後伏見天皇、後二条天皇。鎌倉幕府将軍は久明親王、執権は北条貞時、北条師時。.
正中 (元号)
正中(しょうちゅう)は、日本の元号の一つ。元亨の後、嘉暦の前。1324年から1326年までの期間を指す。この時代の天皇は後醍醐天皇。鎌倉幕府将軍は守邦親王、執権は北条高時。.
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正二位
正二位(しょうにい)は、日本の位階及び神階における位の一つ。従一位の下、従二位の上に位する。.
正応
正応(しょうおう)は、日本の元号の一つ。弘安の後、永仁の前。1288年から1292年までの期間を指す。この時代の天皇は伏見天皇。鎌倉幕府将軍は惟康親王、久明親王、執権は北条貞時。.
正和
正和(しょうわ)は、日本の元号の一つ。応長の後、文保の前。1312年から1317年までの期間を指す。この時代の天皇は花園天皇。鎌倉幕府将軍は守邦親王、執権は北条宗宣、北条煕時、北条基時、北条高時。.
正慶
正慶(しょうきょう、しょうけい)は、日本の元号の一つ。持明院統(後の北朝)方にて使用された。元徳の後、元弘の前。1332年から1333年5月25日までの期間を指す。この時代の天皇は大覚寺統(南朝)の後醍醐天皇だが、幕府方は持明院統の光厳天皇を立てた。鎌倉幕府将軍は守邦親王、執権は北条守時。.
滋賀県
こちら) 滋賀県(しがけん)は、琵琶湖を擁する日本国・近畿地方北東部の内陸県である。県庁所在地は大津市。.
文保
文保(ぶんぽう)は、日本の元号の一つ。正和の後、元応の前。1317年から1318年までの期間を指す。この時代の天皇は花園天皇、後醍醐天皇。鎌倉幕府将軍は守邦親王、執権は北条高時。.
1290年
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1301年
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1302年
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1332年
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1333年
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1347年
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1915年
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6月19日 (旧暦)
旧暦6月19日は旧暦6月の19日目である。六曜は赤口である。.
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7月12日
7月12日(しちがつじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から193日目(閏年では194日目)にあたり、年末まであと172日ある。誕生花はゼニアオイ、パッションフラワー。.
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