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北コーカサス

索引 北コーカサス

北コーカサスの行政区分 北コーカサス(北カフカース、北カフカス、、、オセット語:, チェチェン語: 、カラチャイ・バルカル語: )は、コーカサス地方のうちコーカサス山脈(大コーカサス山脈)よりも北に広がる部分。黒海とカスピ海に挟まれた山がちな地方であり、地理的にはヨーロッパに属している。.

75 関係: 南コーカサス南部連邦管区大コーカサス山脈宗教北オセチア共和国北カフカース・ソビエト共和国北カフカース経済地区北カフカース連邦管区マヌィチ川ノガイ族チュルク語族チェチェン人チェチェン・イチケリア共和国チェチェン・イングーシ自治ソビエト社会主義共和国チェチェン共和国チェチェン紛争チェチェン語チェルケス人ヨルダンヨーロッパルトゥル人ロシアロシアの地方ロシアの共和国ロシアの経済地区ロシア帝国ロシア連邦の地方区分プソウ川テュルク系民族ダゲスタン共和国アバザ人アルメニアアヴァール人 (カフカース)アブハズ人アディゲ人アディゲ共和国アゼルバイジャンアゾフ海インド・ヨーロッパ語族イングーシ共和国イスラム原理主義オスマン帝国オセット語カバルダ・バルカル共和国カラチャイ人カラチャイ・チェルケス共和国カラチャイ・バルカル語カフカース首長国カスピ海クマ川...クマ=マヌィチ窪地クバーニクバーニ人民共和国クバーニ・コサック軍クラスノダール地方ケルチ海峡コーカサスコーカサス山脈コーカサス諸語コーカサス戦争コサックシリアジョージア (国)ステップ (植生)スタヴロポリ地方ソ連崩壊第一次世界大戦第一次チェチェン紛争第二次チェチェン紛争言語黒海東ヨーロッパ平原民族17世紀19世紀 インデックスを展開 (25 もっと) »

南コーカサス

南コーカサス(みなみコーカサス)あるいはザカフカジエ(ロシア語:,ラテン文字転写例: Zakavkazʹe)は、アゼルバイジャン、アルメニア、ジョージア(グルジア)の3国の総称。ロシア語としては不正確だがザカフカス、ザカフカース、南カフカスとも。また英語ではトランスコーカシア ()またはトランスコーカサス()。 ザカフカジエ、トランスコーカシア(トランスコーカサス)との呼称は、それぞれロシア語・ラテン語で「コーカサス山脈の向こう側」という意味であり、北のロシア側から見た呼称であるため、「向こう側」とは「南側」を意味する。この呼称はモスクワ中心の考えであることから、近年、日本の文献では避けられる傾向がある。なお、厳密にはロシアのソチ周辺は南側、アゼルバイジャンのダヴァヒ県・クバ県・クサル県・シヤザン県・ハヒマズ県・ヒジ県は北側に位置する。 北はロシア、南はトルコとイラン、西は黒海、東はカスピ海に囲まれる。ヨーロッパではなくアジアに属するが、長くソビエト連邦領だったこともあり、西アジアや中東には含めないことが多い。 コーカサスはコーカサス山脈周辺の地域をさすが、その南部を占める。しばしば、ザカフカジエとの呼称で単にカフカース、コーカサスを指すこともあるが、文脈によって(特にロシアに関する話題で)は北コーカサスを意味することも多いので注意を要する。.

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南部連邦管区

南部連邦管区(なんぶれんぽうかんく、Южный федеральный округ, Juzhnyj federal'nyj okrug)は、ロシア連邦の地域管轄区分である連邦管区のひとつ。面積は44万7821km2、人口は1636万7949人。 本部はロストフ州のロストフ・ナ・ドヌに置かれる。「北カフカース連邦管区」(北カフカス連邦管区、)の通称があったが、2010年1月19日の大統領令により、従来の13主体のうち、北カフカース(コーカサス)の7主体が北カフカース連邦管区の名称で新たに設置された。 2014年3月21日、ウクライナから独立したクリミア共和国のロシアへの再編入がロシア議会で決議され、クリミア共和国とセヴァストポリ市の2主体がクリミア連邦管区としてロシアに編入された。 2016年7月28日、大統領令によりクリミア連邦管区が廃止され、南部連邦管区に合併された。.

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大コーカサス山脈

大コーカサス山脈(Greater Caucasus)はコーカサス山脈の主要部分を成す山脈であり、小コーカサス山脈の北側に位置する。北西から南東に約1200㎞伸び、黒海のタマン半島からカスピ海のアブシェロン半島にかけて連なる。この山脈がアジアとヨーロッパの境界となっている。 西部はより湿潤な森林地帯、東部は比較的乾燥している。アルプス・ヒマラヤ造山帯に属す新期造山帯である。 Category:ヨーロッパの山地 Category:カフカスの地形 Category:アジアの山地 Category:ロシアの山地 Category:グルジアの地形 Category:アゼルバイジャンの地形.

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宗教

宗教(しゅうきょう、religion)とは、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり『世界大百科事典』 231頁。、また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。 。.

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北オセチア共和国

ア連邦北カフカース連邦管区地図中、北オセチア共和国は'''3'''。カバルダ・バルカル共和国は4、イングーシ共和国は7、チェチェン共和国は8、スタヴロポリ地方は10。 北オセチア・アラニヤ共和国(きたオセチア・アラニヤきょうわこく、Республика Северная Осетия - Алания)は、ロシア連邦を構成する共和国で連邦構成主体のひとつ。北カフカース連邦管区に属する。首都はウラジカフカス。主要な都市にはモズドクやベスランなどがある。 北カフカース(カフカース山脈北側)に位置し、オセチアの北部を占める。南はロシア連邦の国境を隔ててジョージアがあり、西はカバルダ・バルカル共和国、東はイングーシ共和国、北はスタヴロポリ地方である。 北オセチア共和国は、ロシア連邦の一部をなすオセット人の民族共和国で、オセット人はイラン系の言語を話し正教会信者の割合の多いカフカス地方の民族で、周辺のチェチェン人などムスリムの多い民族と違いどちらかといえば親ロシア的である。国境を挟んで南のジョージア側のシダカルトリ州が南オセチアに相当する。同地方では、自治権要求から北オセチアとの統合とロシア連邦への編入を求めて南オセチア紛争が起こっている。 隣接するイングーシ共和国と領域を巡る対立を抱えるほか、イングーシの東のチェチェン共和国の独立をめぐる紛争においてロシア軍の拠点として使われている。2004年9月には北オセチアの地方都市ベスランでチェチェン独立派がベスラン学校占拠事件を起こし、350人以上が死亡する大惨事となった。.

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北カフカース・ソビエト共和国

北カフカース・ソビエト共和国(きたカフカース・ソビエトきょうわこく、Северо-Кавказская Советская Республика)は、ロシア内戦中の1918年7月7日から同年12月にかけて、北カフカースに存在した国家。 1918年7月7日にエカテリノダールで開催された第1回北カフカース・ソビエト大会において、南ロシア長官セルゴ・オルジョニキゼによって、クバーニ=黒海ソビエト共和国、スタヴロポリ・ソビエト共和国、テレク・ソビエト共和国を合邦する形で形成が宣言されたК. // РЕПАРАЦИИ — СЛАВЯНЕ.

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北カフカース経済地区

北カフカース経済地区(きたカフカースけいざいちく、Северо-Кавказский экономический район)は、ロシア連邦の経済地区の一つ。 この地区はコーカサス山脈から北に広がる平野一帯を占めており、石油・石炭・天然ガスなど豊富な天然資源が採掘される。主要都市はロストフ・ナ・ドヌ、クラスノダール、グロズヌイ、ウラジカフカス、ノヴォロシースクなどで、ソチは観光名所として有名である。前述の通り天然資源、また農業機械なども主要な産業の一つである。この地域を流れるクバン川、及びそれに伴う黒土チェルノーゼムで形成された土壌によって、この地域はロシアを代表する肥沃な穀倉地域である。この土壌によって小麦、てんさい、米、タバコ、ヒマワリの種などの作物が良く生長し、畜産も発達している。この地域にはほかにもドン川やクマ川、テレク川などの河川が流れており、ヴォルガ・ドン運河は重要な輸送経路として利用されている。.

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北カフカース連邦管区

北カフカース連邦管区(きたカフカースれんぽうかんく、北カフカス連邦管区、Северо-Кавказский федеральный округ, Severo-Kavkazsky federal'nyj okrug)は、ロシア連邦の地域管轄区分である連邦管区のひとつ。北は南部連邦管区である。 本部はスタヴロポリ地方のピャチゴルスクに置かれる。人口は893万3889人(2002年国勢調査による)である。この内、ロシア民族の占める割合は、298万8,070人で全人口の33.45パーセントである。 2010年1月19日、ドミートリー・メドヴェージェフ大統領により南部連邦管区から北カフカース地方の7連邦構成主体が分離して新たに設置された。 北カフカース連邦管区に所属する連邦構成主体は、.

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マヌィチ川

マヌィチ川(Manych) (Маныч) は、ロシア南部のクマ=マヌィチ窪地の西部、および中部を流れる水系の総称である。.

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ノガイ族

ノガイ族(Ногайцы)は、カフカスに居住するテュルク系民族。1989年時点での人口は約73,700野坂「ノガイ」『世界民族事典』収録から75,000北川「ノガイ[人]」『新版 ロシアを知る事典』収録アルメスト『タイムズヨーロッパ民族事典』、524-525頁。人口のうち約半分はダゲスタン共和国北部のテレク川・クマ川間の地域に居住している。テュルク諸語のノガイ語を話す。 かつてキプチャク・ハン国を構成した遊牧民族の末裔であるとされる。言語系統はテュルク系に分類され、に次ぐ規模のグループを構成している。現在、そのほとんどは牧畜や農耕を主とした生活を営んでいる。.

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チュルク語族

チュルク語族(チュルクごぞく)/突厥語族(とっけつ-)(Turkic languages)は、中央アジア全体やモンゴル高原以西にあるアルタイ山脈を中心に東ヨーロッパ(トルコに属する東トラキア地方のみ)から北アジア(シベリア)に至る広大な地域で話される語族である。.

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チェチェン人

チェチェン人の民族衣装 チェチェン人の女性衣装 チェチェン人(Чеченец; Chechenets)は、北カフカースの民族。自称はノフチー(Hохчи)。ソ連解体以降、一部のチェチェン人はロシア連邦のチェチェン共和国において、ロシアからの分離独立を目指してテロリズムを行っている。 カフカス山脈中央から東部の北斜面に広がって居住するチェチェン人は、イスラム教のスンナ派シャーフィイー学派を信仰し、カフカス諸語のと呼ばれるグループに属するチェチェン語を話す。チェチェン人はの一つと考えられていて、隣接した地域に居住し、同じナフ諸語に属するイングーシ語を話すイングーシ人とは民族的に非常に近縁な関係にあり、19世紀にロシア人が入ってくる以前は両民族はひとつの民族であったと考える人もいる。.

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チェチェン・イチケリア共和国

チェチェン・イチケリア共和国(ラテン文字表記:Noxçiyn Paçẋalq Noxçiyçö キリル文字表記:Нохчийн Пачхьалкх Нохчийчоь 英:Chechen Republic of Ichkeria)は、チェチェン分離独立派による国際的に未承認の国家または武装勢力。.

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チェチェン・イングーシ自治ソビエト社会主義共和国

チェチェン・イングーシ自治ソビエト社会主義共和国(チェチェン・イングーシじちそびえとしゃかいしゅぎきょうわこく、Чечено-Ингушская Автономная Советская Социалистическая Республика、Нохч-ГІалгІайн Автономни Совецки Социалистически Республика、イングーシ語: Нохч-ГІалгІай Автономни Советски Социалистически Республика)は、ソビエト連邦内ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国およびロシア連邦に、1934年から1944年までと1957年から1992年まで存在した自治共和国。チェチェノ・イングーシとも。 現在のチェチェン共和国、イングーシ共和国および、1944年までは現在の北オセチア共和国の一部を領域とした。1957年以降の面積は1万9300平方キロ。首都はグロズヌイで、現在はチェチェン共和国の首都となっている。.

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チェチェン共和国

チェチェン共和国(チェチェンきょうわこく)は、北カフカース(北コーカサス)地方の北東部に位置するロシア連邦北カフカース連邦管区に属する共和国。設立は1991年で首都はグロズヌイ。北カフカースの先住民族のひとつのチェチェン人が住民の多数を占める。 ソビエト連邦解体後、ロシア連邦政府及びロシア連邦への残留を主張するチェチェン人勢力と、チェチェン・イチケリア共和国やカフカース首長国を自称するチェチェンの独立を求める武装勢力との間で対立が続き、2度のチェチェン紛争と独立派のテロリズムが発生した歴史がある。現首相就任後は、治安は比較的安定している。 ロシアの憲法上ではロシア連邦を構成する連邦構成主体のひとつである。したがって、入出国手続などは無いのでロシア滞在査証で滞在可能である。日本からの移動手段は、モスクワからUTエア・アビエーションでグロズヌイへ飛行機移動となる。.

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チェチェン紛争

チェチェン紛争(チェチェンふんそう)は、ロシア連邦の北カフカース地方に位置するチェチェン共和国における、ロシア連邦軍と独立派武装勢力との紛争。.

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チェチェン語

チェチェン語(チェチェンご、Нохчийн мотт)は、ロシア連邦内のチェチェン共和国の公用語。話者は約90万人。話者のほとんどはロシア語との二言語併用者である。.

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チェルケス人

チェルケス人(チェルケス語:Адыгэхэр, Adygekher)は、北西コーカサス語族のチェルケス語を母語とする民族である。19世紀にロシア帝国の侵略(コーカサス戦争)によって、多くのチェルケス人が故郷を失った。特に1864年のの後の流出が激しかった。最狭義には、「チェルケス人」はアディゲ人(チェルケス語:Адыгэ, Adyge)の12の氏族を表す。.

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ヨルダン

ヨルダン・ハシミテ王国(ヨルダン・ハシミテおうこく、)、通称ヨルダンは、中東・西アジアに位置する立憲君主制国家である。首都はアンマン。イスラエル、パレスチナ暫定自治区、サウジアラビア、イラク、シリアと隣接する。イスラエル・パレスチナ暫定自治区とはヨルダン川と死海が境である。 立憲君主制をとり、イスラームの預言者ムハンマドの従弟アリーとムハンマドの娘ファーティマの夫妻にさかのぼるハーシム家出身の国王が世襲統治する王国である。 国民の半数余りは中東戦争によってイスラエルに占有されたパレスチナから難民として流入した人々(パレスチナ難民)とその子孫である。.

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ヨーロッパ

ヨーロッパ日本語の「ヨーロッパ」の直接の原語は、『広辞苑』第5版「ヨーロッパ」によるとポルトガル語・オランダ語、『デジタル大辞泉』goo辞書版「」によるとポルトガル語。(、)又は欧州は、地球上の七つの大州の一つ。漢字表記は欧羅巴。 地理的には、ユーラシア大陸北西の半島部を包括し、ウラル山脈およびコーカサス山脈の分水嶺とウラル川・カスピ海・黒海、そして黒海とエーゲ海を繋ぐボスポラス海峡-マルマラ海-ダーダネルス海峡が、アジアと区分される東の境界となる増田 (1967)、pp.38–39、Ⅲ.地理的にみたヨーロッパの構造 ヨーロッパの地理的範囲 "Europe" (pp. 68-9); "Asia" (pp. 90-1): "A commonly accepted division between Asia and Europe...

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ルトゥル人

ルトゥル人(Rutuls)はカフカース山脈に住む民族である。宗教はスンニ派イスラム教。大部分はロシア連邦ダゲスタン共和国の山間部に、一部は平野部に住んでいる。アゼルバイジャン、トルコにも住む。人口(2010年)は約9万人、うちロシア連邦に3万5千人、ダゲスタンに3万人以上が住んでいる。.

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ロシア

ア連邦(ロシアれんぽう、Российская Федерация)、またはロシア (Россия) は、ユーラシア大陸北部にある共和制及び連邦制国家。.

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ロシアの地方

ア連邦は85の連邦構成主体に分かれるが、そのうち9つは地方(Край, krai)を称する。 地方(クライ)は連邦大統領により指名される知事と、州民により選出される議会を持つ。州と基本的な機能に差はない。地方(クライ)という名は、ロシア帝国時代に国境地帯に置かれた歴史的な地方区分に由来し、ソビエト連邦時代にも置かれてきた。ロシアの連邦構成主体の統廃合により、2000年代に入り地方(クライ)を称する構成主体は増えている。.

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ロシアの共和国

ア連邦は85の連邦構成主体に分かれるが、そのうち22主体が共和国を称する。共和国は、ロシア民族以外の民族が郷土としている地域に建てられている。自民族の名を共和国の名にできる民族集団(ナーツィヤ、国民国家を持てる規模の民族)のことをロシアでは「基幹民族」(名義上国民国家の主体となる民族、Titular nation, титульная нация)と呼ぶ。彼らはロシア連邦の枠内で自らの国土や国語を持つことができ、名義上の国民国家を形成している。ソビエト連邦成立後の数十年、あるいはそれよりも何世紀も前からロシア人などが多数移住しているために、こうした先住民族・基幹民族はすでに共和国の多数派ではないことが多い。また、2014年のロシアによるクリミア・セヴァストポリの編入によりクリミア共和国はロシアに編入され、ロシアの共和国となったが、ロシア以外の国の多数はウクライナに属するとしており、ロシア領と認めていない。.

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ロシアの経済地区

アの経済地区(экономи́ческие райо́ны、ekonomicheskiye rayony、単数形はekonomichesky rayon、英語:economic regions)は、ロシア連邦の地域区分のひとつ。 ロシア全土を以下の基準によって、11の地区に分けた。カリーニングラード州はどの経済地区にも属しておらず、単独の経済地区と見なすこともできる。.

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ロシア帝国

ア帝国(ロシアていこく、 ラスィーイスカヤ・インピェーリヤ)は、1721年から1917年までに存在した帝国である。ロシアを始め、フィンランド、リボニア、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナ、ポーランド、カフカーズ、中央アジア、シベリア、外満州などのユーラシア大陸の北部を広く支配していた。帝政ロシア(ていせいロシア)とも呼ばれる。通常は1721年のピョートル1世即位からロシア帝国の名称を用いることが多い。統治王家のロマノフ家にちなんでロマノフ朝とも呼ばれるがこちらはミハイル・ロマノフがロシア・ツァーリ国のツァーリに即位した1613年を成立年とする。.

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ロシア連邦の地方区分

ア連邦は、1993年に制定されたロシア連邦憲法の規定により、地域或いは民族によって区分された85(または83)の連邦構成主体(れんぽうこうせいしゅたい)からなる連邦制を採っている。連邦構成主体数については、2014年クリミア危機以前は83である。クリミア共和国とセヴァストポリ連邦市の編入後は85であるとロシアは主張している。しかしウクライナ政府を始め国際社会の大多数はこの編入自体を認めていない。.

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プソウ川

プソウ川(Ҧсоу、ფსოუ、Псоу)は、西コーカサスの川。大コーカサス山脈の南麓を流れ、黒海に至る。ロシアとアブハジア(国際的にはジョージアの一部)の国境となっている。全長57km、流域面積およそ420km2。プソウ川の流域の東は、アブハジアのガグラ山地である。.

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テュルク系民族

世界のテュルク系民族の分布。濃い青色の部分はテュルク系言語を公用語にしている国。薄い青色の部分はテュルク系言語を公用語にしている自治地域。 テュルク系民族の分布。 テュルク系民族(テュルクけいみんぞく、 または、 、 )は、中央アジアを中心にシベリアからアナトリア半島にいたる広大な地域に広がって居住する、テュルク諸語を母語とする人々のことを指す民族名称である。.

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ダゲスタン共和国

ダゲスタン共和国(ダゲスタンきょうわこく、Dağıstan Respublikası、Дагъистанлъул ДжумхIурият, Daɣistanłul Džumħuriyat)は北カフカース地方とカスピ海の間にあるロシア連邦を構成する共和国の内の一つである。首都はマハチカラ。 隣接する連邦構成主体はカルムイク共和国、スタヴロポリ地方、チェチェン共和国、またジョージア、アゼルバイジャンとも隣接する。北部にはテレク川が流れる。首都マハチカラから北にはアグラハン半島が突き出し、その先にはチェチェン島がカスピ海に浮かぶ。.

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アバザ人

アバザ人(またはアバジン人、Abazins、Abaza、アバザ語:Asuwa)はロシア連邦のカラチャイ・チェルケス共和国、アディゲ共和国などに住む北カフカースの民族。 2002年の人口調査によると、ロシア在住のアバザ人は37,942人である。また宗教は主にイスラム教スンナ派を信仰している。 アバザ人の使用するアバザ語は北西コーカサス語族に属し、アブハズ語と密接な関係をもっている。またカラチャイ・チェルケス共和国に住むアバザ人のアバザ語はアシュハル方言とタパント方言の二つに分かれている。.

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アルメニア

アルメニア共和国(アルメニアきょうわこく、)、通称アルメニアは、南コーカサスに位置する共和制国家。東ヨーロッパに含められることもある。首都はエレバンで、黒海とカスピ海の間にある内陸国であり西にトルコ、北にジョージア、東にアゼルバイジャン、南にイランとアゼルバイジャンの飛び地ナヒチェヴァン自治共和国と接する。1991年にソビエト連邦から独立した。ナゴルノ・カラバフを巡ってアゼルバイジャンと、アルメニア人虐殺に対する歴史認識をめぐってトルコと激しく対立していたが、近年はアルメニア大統領が両国を訪問するなど関係修復を目指して対話を行っている。.

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アヴァール人 (カフカース)

アヴァール人(Avars)はカフカース山脈に住む民族である。北東カフカス語族の言語アヴァール語を話す。宗教はスンニ派イスラム教。大部分はロシア連邦ダゲスタン共和国の山間部に、一部は平野部に住んでいる。またチェチェン共和国、カルムィク共和国などロシア連邦内のほか、アゼルバイジャン、グルジア、トルコにも住む。人口(2002年)は約104万人、うちロシア連邦に81万5千人、ダゲスタンに75万人以上が住んでいる。.

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アブハズ人

アブハズ人(またはアブハジア人、英語:Abkhaz、Abkhazians)は、主として南コーカサスのアブハジア地方に住む民族。アプスア人(アブハズ語:、Apswa)と自称する。 19世紀後半、ロシア帝国がカフカーズ戦争によって北カフカースを併合すると、ロシアの植民地的支配を嫌った多くのアブハズ人がオスマン帝国に移住し、現在でも数万~数十万人のアブハズ人がトルコに住んでいる。また、旧ソビエト連邦国家、特にロシア、ウクライナ、カザフスタンなどにも多くのアブハズ人が住む。.

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アディゲ人

アディゲ人(/ˈædᵻɡeɪ/ または/ˌɑːdᵻˈɡeɪ/; チェルケス語: Адыгэ Adygè)はチェルケス人の現地語名。 ロシア語でアディゲ共和国の住民は、アディゲツィ(Адыгейцы)と呼ばれ、総称としてはアドイギ(Адыги)と呼ばれている。 12のアディゲの氏族、、、、、、、、、(テミルゴイ)、、、 、現代のアディゲ共和国の旗の12の星はこの氏族を表す。アディゲ共和国のアディゲは、主にアディゲ語(西アディゲ語、西チェルケス語)(チェルケス語: КӀах Адыгэбзэ)を話す、とで、カラチャイ・チェルケス共和国のアディゲは主に で、カバルダ・バルカル共和国のアディゲは主に。とは東アディゲ語(カバルド語)(チェルケス語: Къэбэрдей Адыгэбзэ)を話す。.

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アディゲ共和国

アディゲ共和国(アディゲきょうわこく、ロシア語: Адыгея、アディゲ語: Адыгэ)は、ロシア連邦を構成する共和国のひとつ。別名アドゥイゲ共和国。北コーカサスに位置し、周囲をクラスノダール地方に囲まれている。.

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アゼルバイジャン

アゼルバイジャン共和国(アゼルバイジャンきょうわこく、)、通称アゼルバイジャン は、南コーカサスに位置する共和制国家。東ヨーロッパに含められることもある。北はロシア、北西はジョージア(グルジア)、西はアルメニア、南はイランと国境を接し、東はカスピ海に面する。アルメニアをまたいで西南方に飛地のナヒチェヴァン自治共和国があり、アルメニア、イランおよびトルコと接している。首都はバクー。アルメニア人が多数居住する西部のナゴルノ・カラバフ地方は、事実上独立した状態となっている。.

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アゾフ海

アゾフ海(アゾフかい、ウクライナ語:Азовське море;ロシア語:Азовское море)は、黒海北部にある内海で、ケルチ海峡によって黒海と結ばれている。北はウクライナに接し、東のロシア連邦領タマン半島と西のウクライナ領クリミア半島に挟まれている。西岸には110kmにわたり、(堆積物が海中に突起したもの、砂州)が広がり、腐海(Сиваш)には塩分濃度の高い湿地帯の入り江がある。ドン川河口のある北東部はタガンログ湾という。 大きさは長さ340km、幅135km、面積37,555km2である。ドン川とクバン川が流れ込み、それによって比較的低濃度の塩水と新鮮さが保たれている。これらの川はまたシルトという土も運んでくる。平均して水深が13mしかない世界で最も浅い海でもあり、シルトが沈積したタガンログ湾の水深は1mにも満たない。現在の海流は時計と反対周りに渦を巻く流れとなっている。潮の満ち引きは大きく、満潮時には水深5mに達する所もある。冬になると、海の大部分が氷に閉ざされる。 重要な港は、ベルジャーンシク、マリウポリ、ロストフ・ナ・ドヌー、タガンログ、エイスクである。またカスピ海やバルト海などと通じるヴォルガ・ドン運河とカスピ海につながるクマ=マヌィチ運河がある。多くの重要な水産資源があり、天然ガスや油田の開発が進められている。 さまざまな海洋生物が生息し、無脊椎動物は300種類以上、魚類は80種類以上にのぼっている。しかし乱獲による種や数の減少、海洋汚染などの問題も発生している。 Category:ヨーロッパの海域 Category:ウクライナの地形 Category:ロシアの海域 Category:地中海の海域 Category:黒海.

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インド・ヨーロッパ語族

インド・ヨーロッパ語族(インド・ヨーロッパごぞく)は、ヨーロッパから南アジア、北アジア、アフリカ、南アメリカ、北アメリカ、オセアニアにかけて話者地域が広がる語族である。印欧語族(いんおうごぞく、いんのうごぞく)と略称される。この語族に属する言語を公用語としている国は100を超える。.

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イングーシ共和国

イングーシ共和国(イングーシきょうわこく)は、ロシア連邦の北カフカース連邦管区にある共和国。北カフカース(コーカサス)に位置する。東はチェチェン共和国、西は北オセチア共和国(共にロシア連邦内の共和国)、南はジョージアである。 住民の大半が、イスラム教スンナ派のイングーシ人であり、ロシア人は殆どおらず、これはロシアを構成する共和国としては珍しい。 ロシア連邦南部連邦管区地図の7.

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イスラム原理主義

イスラム原理主義またはイスラーム原理主義(イスラームげんりしゅぎ、Islamic Fundamentalism)とは、シャリーア(イスラーム法)を規範として統治される政体や社会の建設と運営を目ざす政治的諸運動を指す用語である。アメリカ合衆国をはじめとするキリスト教圏諸国の反イスラーム主義思想を反映した、往々にして否定的・批判的ニュアンスを帯びた呼称となっている。 日本では、「イスラム原理主義」という用語は英語の の和訳としてジャーナリズム等で使われて広まったものであり、今日一般には「イスラム原理主義」という用語法は無批判に受容されている。しかし、今日一般に原理主義と翻訳される英語の は、もともと「根本主義」と翻訳されるキリスト教の神学用語で、それが一部の保守的キリスト教徒を嘲弄する意図の込められたレッテルとして使われるようになったという経緯がある小川 2003, pp.

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オスマン帝国

マン帝国(オスマンていこく、)は、テュルク系(後のトルコ人)のオスマン家出身の君主(皇帝)を戴く多民族帝国。英語圏ではオットマン帝国 (Ottoman Empire) と表記される。15世紀には東ローマ帝国を滅ぼしてその首都であったコンスタンティノポリスを征服、この都市を自らの首都とした(オスマン帝国の首都となったこの都市は、やがてイスタンブールと通称されるようになる)。17世紀の最大版図は、東西はアゼルバイジャンからモロッコに至り、南北はイエメンからウクライナ、ハンガリー、チェコスロバキアに至る広大な領域に及んだ。.

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オセット語

ーカサス地域の言語分布図 オセット語(オセットご、、Ossetic language、Осетинский язык)は、ロシア連邦に属する北オセチア・アラニア共和国、ならびにジョージアに属する南オセチア自治州で話されている言語である。話者の数は約60万人。インド・ヨーロッパ語族のイラン語派に属する。オセチア語(Ossetian language)とも呼ばれる。 北部のイロン(Iron, Ирон)方言と西部のディゴル(Digor, Дигор)方言の二つの方言に大別される。オセット語話者の約6分の5がイロン方言話者であり、現在の書記言語もイロン方言が元になっている。13世紀頃にはハンガリーにおいても少数民族ヤースによってオセット語の方言が使用されていた。 1923年にラテン文字をもとにした正書法がつくられた。1938年より、北オセチアではキリル文字を用いた表記に改められた。南オセチアでは1938年にグルジア文字による表記に改められたが、1954年以後、キリル文字が用いられている。.

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カバルダ・バルカル共和国

バルダ・バルカル共和国(カバルダ・バルカルきょうわこく、Кабардино-Балкарская Республика, Kabardino-Balkarskaja Respublika)は、ロシア連邦の連邦構成主体のひとつ。北カフカスに位置するカフカス系の(Кабардинцы)とテュルク系のバルカル人(Балкарцы)の民族自治共和国で、北カフカース連邦管区に属する。首都はナリチク。面積は12,500km2で、人口は約90万人。.

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カラチャイ人

ラチャイ人(къарачайлылаまたは、単数алан、複数аланла)とは、北コーカサスに住むテュルク系民族である。人種はモンゴロイドをベースにコーカソイドの血も濃厚に混じっている。.

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カラチャイ・チェルケス共和国

ラチャイ・チェルケス共和国(カラチャイ・チェルケスきょうわこく、ロシア語:Карачаево-Черкесская республика あるいは Карачаево-Черкессия)は、ロシア連邦に属する共和国。首都はチェルケスク。北カフカース連邦管区に含まれる。.

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カラチャイ・バルカル語

ラチャイ・バルカル語(カラチャイ・バルカル語:Къарачай-Малкъар тил、ロシア語:Карача́ево-балка́рский язык)は、北カフカースのテュルク系言語の1つ。 北カフカースのカラチャイ・チェルケス共和国、カバルダ・バルカル共和国に居住するテュルク系民族のカラチャイ人、バルカル人によって話される。話者数は、ロシア連邦国内で約30万人(2002年統計)と推計されており、中央アジア諸国や、トルコ共和国にも話者がいる。 言語系統は、テュルク諸語北西語群(キプチャク語群)に属し、ダゲスタン共和国のクムク語に近縁とされる。 音韻的特徴から以下の2つの下位方言に分類される。.

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カフカース首長国

フカース首長国(チェチェン語: Имарат Кавказ)は、チェチェン独立派武装勢力のイスラーム過激派組織。または彼らは独立国家であると主張するが国際的に未承認の国家。コーカサス・イスラム首長国とも 外務省、2013年5月29日。.

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カスピ海

ピ海周辺の地図。黄色の部分が集水域である カスピ海(カスピかい、、)は、中央アジアと東ヨーロッパの境界にある塩湖。世界最大の湖である。カスピの名は古代に南西岸にいたカス族あるいはカスピ族に由来する。カスピ海に近い現在のイラン・ガズヴィーン州都ガズヴィーンは同じ語源であると言われる。現代のペルシア語では一般に「ハザール海」دریای خزرと呼ばれるが、これは7世紀から10世紀にカスピ海からコーカサスや黒海にかけて栄えたハザール王国に由来する(現代ペルシア語では、カスピ海南岸のイランの地名から「マーザンダラーン海」دریای مازندرانとも呼ばれる)。また、トルコ語でも同様の名でHazar Deniziと呼ばれる。中国語では現在に至るまで「裏海」(りかい)と呼ばれる。.

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クマ川

クマ川(Kuma)(Кума́) は、ロシア南東部を流れる総延長802kmの川である。キスロヴォツクの西、カラチャイ・チェルケス共和国を源とし、北西にスタヴロポリ地方を流れる。カルムイク共和国とダゲスタン共和国の境となって流れ、両国の国境近くのカスピ海に注ぐ。 クマ川が作り出す渓谷はクマ=マヌィチ窪地の東側を形成し、東ヨーロッパ平原とカフカース地方を分けるものとなっている。 Category:ロシアの河川 Category:カスピ海.

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クマ=マヌィチ窪地

クマ=マヌィチ窪地(Кумо–Манычская впадина, Kumo–Manychskaya vpadina; Kuma–Manych Depression)はロシア連邦の南東部にある東西680kmの長さの低地で、東はカスピ海沿岸低地に、西はドン川下流の低地につながっており、北の東ヨーロッパ平原(ロシア平原)と南の北コーカサス地方とを分けている。湿地や塩湖が多く、東のカスピ海に注ぐクマ川と、西のアゾフ海へ流れるマヌィチ川の下流が流れている。クマ=マヌィチ窪地という名も、この二つの川に由来する。 クマ=マヌィチ窪地にはクマ=マヌィチ運河が建設され、カスピ海と黒海とを結んでいる。モズドクでテレク川から分かれて北へ向かいクマ川の貯水湖に至るテレク=クマ運河が1930年代に築かれ、河川の水量の安定や砂漠の灌漑などに利用された。これに続き1960年代にクマ=マヌィチ運河が完成したが、水深が浅いため新たな運河の建設も構想されている。 かつて黒海やカスピ海の水量が多かった時期には、クマ=マヌィチ窪地はカスピ海と黒海とをつなぐ海であった時期もあったと見られる。 この低地がヨーロッパとアジアの境界とされる場合もある。1730年にロシア皇帝ピョートル2世は、スウェーデンの地理学者フィリップ・ヨハン・フォン・シュトラーレンベルクの成果を元に、クマ=マヌィチ窪地をヨーロッパとアジアの境界と宣言している。 Category:ロシアの地形.

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クバーニ

バン州の地図(1916年)。 クバーニ(ロシア語:Кубань;ウクライナ語:Кубань;アディゲ語:Пшызэ)は、ロシア南部、クバーニ川流域から、現在のクラスノダール地方、アディゲ共和国、スターヴロポリ地方、ロストフ州、カラチャイ・チェルケス共和国に当たる地域を指す。.

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クバーニ人民共和国

バーニ人民共和国(Кубанська Народна Республiка;Кубанская Народная Республика)は、現在のクバーニ地方にコサックが建国した国家である。反ボリシェヴィキの共和国であったが、ロシア内戦で共産主義政権に敗れて滅亡した。 1918年1月28日、国の政府機関となるクバーニ・ラーダ(クバーニ議会)で樹立が宣言され、同年2月16日に独立が宣言された。クバーニ人民共和国は、ロシア帝国時代のクバーニ州の全領土を領有していた。.

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クバーニ・コサック軍

バーニ・コサック軍(ウクライナ語:Кубанське козаче військо;ロシア語:Кубанское казачье войско)は、1860年から1920年までクバーニ地方に存在したコサック軍の一つ。ザポロージャ・コサックの系統を受け継ぐウクライナ系黒海コサック、ドン・コサックの系統を受け継ぐロシア系カフカース防衛線コサック、並びにカフカースの諸民族出身の軍人から編成されていた。ロシア帝国によるカフカース地方の植民地化において先導的役割を果たした。.

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クラスノダール地方

ラスノダール地方(ロシア語:Краснодарский край クラスナダールスキイ・クラーイ)は、ロシア連邦の南部連邦管区を構成する地方のひとつ。北コーカサス(北カフカス)に位置する。行政の中心はクラスノダール。.

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ケルチ海峡

ルチ海峡(ケルチかいきょう、Керченский пролив キェールチェンスキイ・プラリーフ、ウクライナ語:Керченська протока ケールチェンスィカ・プロトーカ)は、黒海とアゾフ海を結ぶ海峡である。西は2014年3月以降ロシアにより被占領下にあるウクライナ領のクリミア半島、東にはロシア連邦領のタマン半島(タマニ半島)がある。.

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コーカサス

ーカサス山脈 コーカサス()、またはカフカース、カフカス( (ラテン文字転写例: Kavkaz)、、、)は、黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス山脈と、それを取り囲む低地からなる面積約44万km2の地域である。コーカサスの漢字表記は高加索。 英語のコーカサス、ロシア語のカフカースとも (Kaukasos; カウカーソス)に由来する。 「カウカーソス」自体は、一説に、古代スキタイ語のクロウカシス(白い雪)に由来するとされる。 コーカサス山脈を南北の境界として北コーカサスと南コーカサス(ザカフカジエ、ザカフカース、トランスカフカス、外カフカース)に分かれ、北コーカサスはロシア連邦領の北カフカース連邦管区および南部連邦管区に属する諸共和国となっており、南コーカサスは旧ソ連から独立した3共和国からなる。北コーカサス(ロシア)はヨーロッパに区分され、南コーカサスは西アジアに区分されることもあるがヨーロッパに区分されることもある。 全体的に山がちな地形で、山あいには様々な言語、文化、宗教をもった民族集団が複雑に入り組んで暮らしており、地球上でもっとも民族的に多様な地域であると言われる。 ケフィア発祥の地で、しばしば、この地方の人々は、ケフィアを飲んでいるために長寿であると喧伝されるが、統計的に見て、この地方の人々が長寿であるという科学的根拠はない。.

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コーカサス山脈

ーカサス山脈(コーカサスさんみゃく)は、黒海からカスピ海まで東西に走る山脈である。ロシア語からカフカース山脈ともよばれる。ロシアでは大カフカース山脈()と呼び、南の小カフカース山脈()と区別している。 ギリシア神話では、コーカサスは世界を支える柱のうちの一つでゼウスがプロメーテウスを鎖で繋いだ場所でもある。.

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コーカサス諸語

ーカサス諸語(コーカサスしょご)またはカフカース諸語は、主にコーカサスで話されている3つの語族に属する約40種の言語の総称。 コーカサス地域の言語分布図.

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コーカサス戦争

ーカサス戦争、カフカーズ戦争(Кавказская война)とは、1817年~1864年の間、北コーカサスを支配しようとするロシア帝国とコーカサスのチェチェン人・ダゲスタン人(アヴァール人,, 等)・カラチャイ人・チェルケス人(アディゲ人, )・アブハズ人・アバザ人・等の間で行われた戦争。.

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コサック

ック・ママーイ。コサックの理想像。 コサック(козак、哥薩克)は、ウクライナと南ロシアなどに15世紀以降に帝政ロシアの農奴制から逃亡した農民や没落貴族で形成された独特の軍事的共同体、またはその共同体の一員である。18世紀以降から帝政ロシアによる自治剝奪後に国境警備や領土拡張の先兵、国内の民衆運動の鎮圧などを行った。.

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シリア

リア・アラブ共和国(シリア・アラブきょうわこく、)、通称シリアは、中東・西アジアの共和制国家。北にトルコ、東にイラク、南にヨルダン、西にレバノン、南西にイスラエルと国境を接し、北西は東地中海に面する。首都はダマスカス。「シリア」という言葉は、国境を持つ国家ではなく、周辺のレバノンやパレスチナを含めた地域(歴史的シリア、大シリア、ローマ帝国のシリア属州)を指すこともある。.

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ジョージア (国)

ョージア(, )は、南コーカサスにある共和制国家。東ヨーロッパInternational Geographic Encyclopaedia and Atlas. Springer, 24 November 1979, 欧州議会,, 17 July 2014: "...pursuant to Article 49 of the Treaty on European Union, Georgia, Moldova and Ukraine – like any other European state – have a European perspective and may apply to become members of the Union provided that they adhere to the principles of democracy..."(CIA "The World Fact Book") 2016-08-28閲覧。、もしくは西アジアに区分される(国際連合), "Western Asia - 268 Georgia" 2016-08-27閲覧。。日本では2015年4月まで政府が使用していた外名の「グルジア」(, Gruziya)としても知られている(詳細は後述)日本国外務省「」。首都はトビリシ。 ソビエト連邦の構成国であったが、1991年に独立した。南オセチアとアブハジアの2地域が事実上の独立状態となっており、ロシアなど一部の国から国家承認を受けている。中央部のゴリは旧ソビエト連邦の最高指導者であったヨシフ・スターリンの出身地である。ロシア帝国とその後に成立したソビエト連邦の支配が長く続いたことから、独立後はロシアとの対立路線を取ることが多い。1997年にはウクライナの呼び掛けに応じてアゼルバイジャン・モルドバと共にGUAMを結成し、2009年には独立国家共同体 (CIS) を脱退した。1999年から欧州評議会のメンバーである。 コーカサス山脈の南麓、黒海の東岸にあたる。北側にロシア、南側にトルコ、アルメニア、アゼルバイジャンと隣接する。古来数多くの民族が行き交う交通の要衝であり、幾たびもの他民族支配にさらされる地にありながら、キリスト教信仰をはじめとする伝統文化を守り通してきた。また、温暖な気候を利用したワイン生産の盛んな国としても知られる。 なお、本項では2015年4月22日の「在外公館名称を変更するための法改正案」成立以前の国家名称については「グルジア」、それ以後については「ジョージア」と表記する。また、「グルジア語」「グルジア紛争(南オセチア紛争)」等すでに用語として定着したものについては「グルジア」を使用することとする。.

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ステップ (植生)

テップ(ロシア語:степь stepʹ、ウクライナ語:степ step、英語:steppe)は、中央アジアのチェルノーゼム帯など世界各地に分布する草原を言う。ロシア語で「平らな乾燥した土地」の意味。ステップは植生や気候によって定義される。.

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スタヴロポリ地方

タヴロポリ地方(スターヴロポリ地方、Ставропольский крайスタヴラポーリスキイ・クラーイ)は、ロシア連邦を構成する地方(行政区分)のひとつ。州都はスタヴロポリ。 北カフカスに位置する。ロストフ州、クラスノダル地方、カラチャイ・チェルケス共和国、カバルダ・バルカル共和国、北オセチア共和国、チェチェン共和国、ダゲスタン共和国、カルムイク共和国と隣接する。.

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ソ連崩壊

連崩壊(ソれんほうかい、Распад СССР)とは、1991年12月のソビエト連邦共産党解散を受けた各連邦構成共和国の主権国家としての独立、ならびに同年12月25日のソビエト連邦(ソ連)大統領ミハイル・ゴルバチョフの辞任に伴い、ソビエト連邦が解体された出来事である。.

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第一次世界大戦

一次世界大戦(だいいちじせかいたいせん、World War I、略称WWI)は、1914年7月28日から1918年11月11日にかけて戦われた世界大戦である。.

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第一次チェチェン紛争

一次チェチェン紛争(だいいちじチェチェンふんそう)は、1994年から1996年にかけて、ロシア連邦からの独立を目指すチェチェン共和国独立派武装勢力と、それを阻止しようとするロシア連邦軍との間で発生した紛争。.

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第二次チェチェン紛争

二次チェチェン紛争(だいにじチェチェンふんそう)は、チェチェン独立派勢力(チェチェン・イチケリア共和国等)と、ロシア人及びロシア連邦への残留を希望するチェチェン共和国のチェチェン人勢力との間で発生した紛争。1999年に勃発した。2009年4月16日に国家対テロ委員会は独立派の掃討が完了したとして対テロ作戦地域からの除外を発表、10年の長きにわたった紛争は終結した。.

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言語

この記事では言語(げんご)、特に自然言語について述べる。.

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黒海

黒海(こっかい)は、ヨーロッパとアジアの間にある内海で、大西洋の縁海(地中海 (海洋学))の一つである。マルマラ海を経てエーゲ海、地中海に繋がる。 バルカン半島、アナトリア半島、コーカサスと南ウクライナ・クリミア半島に囲まれており、ドナウ川、ドニエストル川、ドニエプル川などの東ヨーロッパの大河が注ぐ。アナトリアとバルカンの間のボスポラス海峡、マルマラ海、ダーダネルス海峡を通じて地中海に繋がっており、クリミアの東にはケルチ海峡を隔ててアゾフ海がある。 黒海に面する国は、南岸がトルコで、そこから時計回りにブルガリア、ルーマニア、ウクライナ、ロシア、ジョージアである。 黒海に面する有名な港湾には、イスタンブール(ビュザンティオン、コンスタンティノープル)から時計回りにブルガス、ヴァルナ、コンスタンツァ、オデッサ、セヴァストポリ、ヤルタ、ガグラ、バトゥミ、トラブゾン、サムスンなどがある。.

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東ヨーロッパ平原

ヨーロッパ地形図 東ヨーロッパ平原(East European Plain)は、ヨーロッパ東部に広がる平原地帯。ヴォルガ川やドニエプル川などの大河の形成する盆地の連なりから構成される。山のない地方としてはヨーロッパでも最大で、西に広がる北ヨーロッパ平野とあわせてヨーロッパ平原をなす。平原の広さはおよそ400万平方キロメートルで、標高の平均は170メートル。最も高い地点はヴァルダイ丘陵の標高350メートル弱の地点。 東ヨーロッパ平原はロシア、エストニア、ラトビア、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナ、モルドバ、カザフスタンにまたがっている。かつてのロシア帝国およびソビエト連邦の領域内に平原の大半が入るため、ロシア平原(Russian Plain, Русская равнина)とも呼ばれてきた。 北は白海とバレンツ海に、西北はスカンジナビア半島を覆うバルト楯状地、東はウラル山脈とウラル川とカスピ海に、南はカフカス山脈と黒海に囲まれる。西はカルパティア山脈やポーランドの丘陵地帯に至り、北ヨーロッパ平野へと連なる。 平原内には丘陵や谷間が連続する。主な丘陵はヴァルダイ丘陵、中央ロシア高地、ヴォルガ高地(ヴォルガ川の西方)、モスクワ高地、スモレンスク=モスクワ丘陵、ベラルーシ丘陵、ポドリナ高地(ウクライナ西部からポーランド南東部)、ドニプロ高地(ウクライナ中央部のドニプロ川沿い)など。合間にはポリーシャなどの湿地帯が広がる。 主な低地・盆地は、北ロシア低地、ドニエプル川盆地、黒海低地、カスピ海沿岸低地、クマ=マヌィチ窪地など。 主な河川はヴォルガ川およびその支流カマ川・オカ川・ベラヤ川、ウラル川、ドニエプル川、ドン川、ペチョラ川、ダウガヴァ川、ネマン川、プレゴリャ川、クマ川、マヌィチ川など。 平原の南部には広大なステップおよび黒土地帯が広がっている。歴史的には「キプチャク草原」「荒野」と呼ばれてきた。 Category:ヨーロッパの地形 Category:平野 Category:東欧.

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民族

民族(みんぞく)とは一定の文化的特徴を基準として他と区別される共同体をいう。土地、血縁関係、言語の共有(母語)や、宗教、伝承、社会組織などがその基準となるが、普遍的な客観的基準を設けても概念内容と一致しない場合が多いことから、むしろある民族概念への帰属意識という主観的基準が客観的基準であるとされることもある。また、日本語の民族の語には、近代国民国家の成立と密接な関係を有する政治的共同体の色の濃い nation の概念と、政治的共同体の形成や、集合的な主体をなしているという意識の有無とはかかわりなく、同一の文化習俗を有する集団として認識される ethnic group(ジュリアン・ハクスリーが考案)の概念の双方が十分区別されずに共存しているため、その使用においては一定の注意を要する。 .

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17世紀

ルイ14世の世紀。フランスの権勢と威信を示すために王の命で壮麗なヴェルサイユ宮殿が建てられた。画像は宮殿の「鏡の間」。 スペインの没落。国王フェリペ4世の時代に「スペイン黄金時代」は最盛期を過ぎ国勢は傾いた。画像は国王夫妻とマルガリータ王女を取り巻く宮廷の女官たちを描いたディエゴ・ベラスケスの「ラス・メニーナス」。 ルネ・デカルト。「我思う故に我あり」で知られる『方法序説』が述べた合理主義哲学は世界の見方を大きく変えた。画像はデカルトとその庇護者であったスウェーデン女王クリスティナ。 プリンキピア』で万有引力と絶対空間・絶対時間を基盤とするニュートン力学を構築した。 オランダの黄金時代であり数多くの画家を輩出した。またこの絵にみられる実験や観察は医学に大きな発展をもたらした。 チューリップ・バブル。オスマン帝国からもたらされたチューリップはオランダで愛好され、その商取引はいつしか過熱し世界初のバブル経済を生み出した。画像は画家であり園芸家でもあったエマヌエル・スウェールツ『花譜(初版は1612年刊行)』の挿絵。 三十年戦争の終結のために開かれたミュンスターでの会議の様子。以後ヨーロッパの国際関係はヴェストファーレン体制と呼ばれる主権国家を軸とする体制へと移行する。 チャールズ1世の三面肖像画」。 ベルニーニの「聖テレジアの法悦」。 第二次ウィーン包囲。オスマン帝国と神聖ローマ帝国・ポーランド王国が激突する大規模な戦争となった。この敗北に続いてオスマン帝国はハンガリーを喪失し中央ヨーロッパでの優位は揺らぐことになる。 モスクワ総主教ニーコンの改革。この改革で奉神礼や祈祷の多くが変更され、反対した人々は「古儀式派」と呼ばれ弾圧された。画像はワシーリー・スリコフの歴史画「貴族夫人モローゾヴァ」で古儀式派の信仰を守り致命者(殉教者)となる貴族夫人を描いている。 スチェパン・ラージン。ロシアではロマノフ朝の成立とともに農民に対する統制が強化されたが、それに抵抗したドン・コサックの反乱を率いたのがスチェパン・ラージンである。画像はカスピ海を渡るラージンと一行を描いたワシーリー・スリコフの歴史画。 エスファハーンの栄華。サファヴィー朝のシャー・アッバース1世が造営したこの都市は「世界の半分(エスファハーン・ネスフェ・ジャハーン・アスト)」と讃えられた。画像はエスファハーンに建てられたシェイク・ロトフォラー・モスクの内部。 タージ・マハル。ムガル皇帝シャー・ジャハーンが絶世の美女と称えられた愛妃ムムターズ・マハルを偲んでアーグラに建てた白亜の霊廟。 アユタヤ朝の最盛期。タイでは中国・日本のみならずイギリスやオランダの貿易船も来訪し活況を呈した。画像はナーラーイ王のもとで交渉をするフランス人使節団(ロッブリーのプラ・ナーライ・ラーチャニーウエート宮殿遺跡記念碑)。 イエズス会の中国宣教。イエズス会宣教師は異文化に対する順応主義を採用し、中国の古典教養を尊重する漢人士大夫の支持を得た。画像は『幾何原本』に描かれたマテオ・リッチ(利瑪竇)と徐光啓。 ブーヴェの『康熙帝伝』でもその様子は窺える。画像は1699年に描かれた読書する40代の康熙帝の肖像。 紫禁城太和殿。明清交代の戦火で紫禁城の多くが焼亡したが、康熙帝の時代に再建がなされ現在もその姿をとどめている。 台湾の鄭成功。北京失陥後も「反清復明」を唱え、オランダ人を駆逐した台湾を根拠地に独立政権を打ち立てた。その母が日本人だったこともあり近松門左衛門の「国姓爺合戦」などを通じて日本人にも広く知られた。 江戸幕府の成立。徳川家康は関ヶ原の戦いで勝利して征夷大将軍となり、以後260年余にわたる幕府の基礎を固めた。画像は狩野探幽による「徳川家康像」(大阪城天守閣蔵)。 日光東照宮。徳川家康は死後に東照大権現の称号を贈られ日光に葬られた。続く三代将軍徳川家光の時代までに豪奢で絢爛な社殿が造営された。画像は「日暮御門」とも通称される東照宮の陽明門。 歌舞伎の誕生。1603年に京都北野社の勧進興業で行われた出雲阿国の「かぶき踊り」が端緒となり、男装の女性による奇抜な演目が一世を風靡した。画像は『歌舞伎図巻』下巻(名古屋徳川美術館蔵)に描かれた女歌舞伎の役者采女。 新興都市江戸。17世紀半ばには江戸は大坂や京都を凌ぐ人口を擁するまでとなった。画像は明暦の大火で焼失するまで威容を誇った江戸城天守閣が描かれた「江戸図屏風」(国立歴史民俗博物館蔵)。 海を渡る日本の陶磁器。明清交代で疲弊した中国の陶磁器産業に代わり、オランダ東インド会社を通じて日本から陶磁器が数多く輸出された。画像は1699年に着工されたベルリンのシャルロッテンブルク宮殿の「磁器の間」。 海賊の黄金時代。西インド諸島での貿易の高まりはカリブ海周辺に多くの海賊を生み出した。画像はハワード・パイルが描いた「カリブ海のバッカニーア」。 スペイン副王支配のリマ。リマはこの当時スペインの南米支配の拠点であり、カトリック教会によるウルトラバロックとも呼ばれる壮麗な教会建築が並んだ。画像は1656年の大地震で大破したのちに再建されたリマのサン・フランシスコ教会・修道院。 17世紀(じゅうしちせいき、じゅうななせいき)は、西暦1601年から西暦1700年までの100年間を指す世紀。.

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19世紀

19世紀に君臨した大英帝国。 19世紀(じゅうきゅうせいき)は、西暦1801年から西暦1900年までの100年間を指す世紀。.

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