ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
ダウンロード
ブラウザよりも高速アクセス!
 

北カルヤラ州

索引 北カルヤラ州

北カルヤラ州(Pohjois-Karjalan lääni、Norra Karelens län)は、かつて存在したフィンランドの州。1960年から1997年まで存在した。カルヤラの部分を英語読みし、北カレリア州とも書かれる。 1960年に、クオピオ州東部から分離して成立。1997年9月1日、州の大規模再編に伴って、ミッケリ州、クオピオ州と合併して消滅。合併後は、東スオミ州となった。東スオミ州はその後、2010年1月1日に他州と共に廃止され、フィンランドの州の歴史は幕を閉じた。.

15 関係: 北カルヤラ県ミッケリ州ヨエンスーリエクサフィンランドフィンランドの地方行政区画エノカルヤラ (伝統州)クオピオ州東スオミ州1960年1997年1月1日2010年9月1日

北カルヤラ県

北カルヤラ県 (Pohjois-Karjala、Norra Karelen)はフィンランドの行政区。カルヤラの部分を英語読みし、北カレリア県とも書かれる。 北側にカイヌー県、北西に北サヴォ県、南西に南サヴォ県、南カルヤラ県、東にロシアのカレリア共和国と接する。 県庁はヨエンスー。1.7万平方kmの面積があり、人口はおよそ17万。 カルヤラ地方(カレリア地方)はロシアと接しており文化の経由点となっている。カルヤラはその距離ゆえ冬戦争と継続戦争でソ連とフィンランドが互いに争奪する地域となり、戦後多くの部分がソ連に割譲されてしまったものの、北カルヤラは割譲をまぬかれた。 湖沼の多い土地柄であり、コリ国立公園などの国立公園がある。.

新しい!!: 北カルヤラ州と北カルヤラ県 · 続きを見る »

ミッケリ州

ミッケリ州 (Mikkelin lääni、S:t Michels län)は、かつて存在したフィンランドの州。1831年から1997年まで存在した。 フィンランド大公国時代の1831年に州の再編によって、サヴォ・カルヤラ州とキュメンカルタノ州の一部などから成立。 1960年には、北西の一部が新設される中央スオミ州に編入された。1997年9月1日、州の大規模再編に伴って、クオピオ州、北カルヤラ州と合併して消滅。合併後は、東スオミ州となった。また州域の内、南西の一部地域がウーシマー州、キュミ州、ハメ州南部と合併し、南スオミ州となった。東スオミ州、南スオミ州はその後、2010年1月1日に他州と共に廃止され、フィンランドの州の歴史は幕を閉じた。.

新しい!!: 北カルヤラ州とミッケリ州 · 続きを見る »

ヨエンスー

ヨエンスー (Joensuu) は、フィンランド北カルヤラ県に所在する都市。ヨエンスー郡に属する。1848年に建設された。人口は約58,000人(2005年時)である。 ヨエンスーは6,000名の学生が学ぶ学生と3,000人の学生が学んでいるがあり、活気のある学生街を形成している。.

新しい!!: 北カルヤラ州とヨエンスー · 続きを見る »

リエクサ

リエクサ(Lieksa)は、フィンランド、北カルヤラ県のクンタ(行政区画)。ピエリセン・カルヤラ郡に属する。人口14,396人(2003年)、面積4,067.72km2。水域面積642.94km2。人口密度3.5人/km2。公用語はフィンランド語のみ。.

新しい!!: 北カルヤラ州とリエクサ · 続きを見る »

フィンランド

フィンランド共和国(フィンランドきょうわこく、Suomen tasavalta、Republiken Finland)、通称フィンランドは、北ヨーロッパに位置する共和制国家。北欧諸国の一つであり、西はスウェーデン、北はノルウェー、東はロシアと隣接し、南はフィンランド湾を挟んでエストニアが位置している。 首都ヘルシンキは露仏同盟以来、ロシアの主要都市であるサンクトペテルブルク方面へ西側諸国が投資や往来をするための前線基地となってきた。同じく直近の旧領ヴィボルグはサイマー運河の出口であったが、現在はロシア領で、ノルド・ストリームの経由地となっている。ロシアと欧州諸国の間にある地政学的な重要性から、勢力争いの舞台や戦場にも度々なってきた。 中立的外交の裏では、外交・安全保障やエネルギー政策を巡り東西の綱引きが行われている。国内には原子力発電所があり、オンカロ処分場は2020年に開設されれば世界初の使用済み核燃料の最終処分場となる。情報産業も政治と関係しており、エスコ・アホという首相経験者がノキア取締役を務めている。 人口や経済規模は小さいが、一人当たりGDPなどを見ると豊かで自由な民主主義国として知られている。フィンランドはOECDレビューにおいて「世界で最も競争的であり、かつ市民は人生に満足している国の一つである」と2014年には報告された。フィンランドは収入、雇用と所得、住居、ワークライフバランス、保健状態、教育と技能、社会的結びつき、市民契約、環境の質、個人の安全、主観的幸福の各評価において、すべての点でOECD加盟国平均を上回っている。.

新しい!!: 北カルヤラ州とフィンランド · 続きを見る »

フィンランドの地方行政区画

フィンランドの地方行政区画には最上位自治体である県 (maakunta、landskap、region)、またその下に郡 (seutukunta、ekonomisk region、sub-region)、更にその下に市町村などの区分がある。2009年末までは、県の上に州 (lääni、län、province)が存在した。また、行政上の機能はないが、伝統州 (historialliset maakunta、historiska landskap、historical province)という区分も存在する。.

新しい!!: 北カルヤラ州とフィンランドの地方行政区画 · 続きを見る »

エノ

ノ駅(2006年10月撮影) 1893年、エノにおける焼畑の様子 エノ (Eno) は、フィンランド東スオミ州北カルヤラ県にあったクンタ(行政区画)である。2009年1月1日付でヨエンスーに吸収合併された。.

新しい!!: 北カルヤラ州とエノ · 続きを見る »

カルヤラ (伝統州)

ルヤラ、もしくはカルヤラ州(Karjala、Karelen)は、フィンランドの伝統州。また、英名のKareliaから、カレリア、カレリア州と呼ばれることが多い。更に、ロシア側の東カレリア(ロシアン・カレリア)に対して、西カレリアやフィンニッシュ・カレリアと呼ばれる地域もほぼ同一の地域を示す。ただし現在、西カレリアの地域の北西はフィンランド領であるが、南東はロシア領である。この西カレリアの地域は、2千年紀の間、支配、宗教、政治において西洋の影響下にあった。東カレリアはノヴゴロド公国によって支配されており、その後もその後継国によって支配されており、西カレリアとは分かれていた。 カルヤラは、北でポフヤンマー、西側の大部分でサヴォ、南西の一部でハメ、ウーシマーの各伝統州と接している。また東側でロシアと接し、南側でフィンランド湾に面している。.

新しい!!: 北カルヤラ州とカルヤラ (伝統州) · 続きを見る »

クオピオ州

ピオ州(Kuopion lääni、Kuopio län)は、かつて存在したフィンランドの州。1831年から1997年まで存在した。 州の起源は、1775年のスウェーデン統治下で設立されたサヴォラックス・カレーレン県にある。 ナポレオン戦争の際、スウェーデンはロシア帝国、イギリスなどの国々と、フランス帝国に対抗する第四次対仏大同盟を結んでいた。しかし1807年のティルジットの和約後に、ロシア帝国が第四次対仏大同盟を離脱。大陸封鎖令に端を発して、第二次ロシア・スウェーデン戦争が勃発。1809年9月17日にフレデリクスハムンの和約が結ばれ、トルネ川以東(フィンランド)はロシア帝国へと割譲され、ロシア帝国の保護国であるフィンランド大公国が成立する。 当初は、フィンランド大公国でもスウェーデン統治時代のサヴォラックス・カレーレン県がサヴォ・カルヤラ州としてそのまま使われ続けたが、1831年にサヴォ・カルヤラ州は、クオピオ州として再編された。また、同年は別の地域でも州の再編があり、サヴォ・カルヤラ州南部はミッケリ州に編入された。 1960年には、東部が北カルヤラ州として分離する。1994年に州下に北サヴォ県が設置される。1997年9月1日、州の大規模再編に伴って、ミッケリ州、北カルヤラ州と合併して消滅。合併後は、東スオミ州となった。東スオミ州はその後、2010年1月1日に他州と共に廃止され、フィンランドの州の歴史は幕を閉じた。.

新しい!!: 北カルヤラ州とクオピオ州 · 続きを見る »

東スオミ州

東スオミ州 (フィンランド語: Itä-Suomen lääni、スウェーデン語: Östra Finlands län) あるいは東フィンランド州はかつて存在したフィンランドの州のひとつ。1997年9月1日、ミッケリ州、クオピオ州、北カルヤラ州が合併して発足した。2010年1月1日、他の州と同じく廃止された。オウル州、西スオミ州、南スオミ州に隣接していた。またロシアとも国境を接する。州都はミッケリ市。湖沼地帯であり、サイマー湖、ピエリネン湖、オリ湖など多数の湖沼を有する。.

新しい!!: 北カルヤラ州と東スオミ州 · 続きを見る »

1960年

アフリカにおいて当時西欧諸国の植民地であった地域の多数が独立を達成した年であることに因み、アフリカの年と呼ばれる。.

新しい!!: 北カルヤラ州と1960年 · 続きを見る »

1997年

この項目では、国際的な視点に基づいた1997年について記載する。.

新しい!!: 北カルヤラ州と1997年 · 続きを見る »

1月1日

1月1日(いちがつついたち)はグレゴリオ暦で年始から1日目に当たり、年末まであと364日(閏年では365日)ある。誕生花は松(黒松)、または福寿草。 キリスト教においては生後8日目のイエス・キリストが割礼と命名を受けた日として伝えられる。.

新しい!!: 北カルヤラ州と1月1日 · 続きを見る »

2010年

この項目では、国際的な視点に基づいた2010年について記載する。.

新しい!!: 北カルヤラ州と2010年 · 続きを見る »

9月1日

9月1日(くがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から244日目(閏年では245日目)にあたり、年末まではあと121日ある。.

新しい!!: 北カルヤラ州と9月1日 · 続きを見る »

ここにリダイレクトされます:

ポフヨイス=カルヤラ州北カリャラ州北カリヤラ州北カレリア州

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »