ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

北カレリア国

索引 北カレリア国

北カレリア国(Северокаре́льское госуда́рство)は、1919年ごろ、現在のロシア、カレリア共和国からアルハンゲリスク近郊に存在した独立志向の組織、アルハンゲリスク・カレリア暫定政府が構想していた国家。 1917年の2月革命、そして10月革命以降ロシア国内では各地で独立運動が巻き起こった。フィンランドや現在カレリア共和国も例外でなく、フィンランドは独立し、内戦を経たものの西カレリア以西の多くの領土はフィンランドの領土となった。しかしながら、東カレリア以東にもロシア人だけでなくフィン人も住んでおり、さらにカレリアにアイデンティティーを持つ人々も存在し、このためこの地域にも独立志向を持つものもいた。 この当時、イギリスは白ロシア軍を援護するためにムルマンスクからアルハンゲリスクにかけて軍を派遣しており、この地域に白軍派の北ロシア政府がおかれていた。イギリスはフィンランドにも兵力の拠出を求めており、これに対してフィンランド側は独立の承認、北海沿海のペッツァモと東カレリアの領有主張と引き換えに義勇軍をカレリアに進めた。東カレリアにフィンランド軍が進出すると、この地域で独立志向を持った地域政府が組織され、フィンランドと同盟を結んだ共和制の独立国家の樹立の方針を立てた。首都は現在のロシア、カレワラ市(フィンランド語でUhtua)に置かれた。 しかし、後方に赤軍兵が進入したためフィンランド軍は撤退せざるをえなくなった。その後もこの地域ではしばらくの間フィンランドとロシアの戦闘が続いたが、フィンランド軍が継続的に影響力を与え続けることは出来なかった。このため、この国家は国際的な承認を得ることが無いままに消滅した。赤軍に占領されたのち、この地域にはカレリア自治ソビエト社会主義共和国が結成された。.

25 関係: 十月革命北イングリア共和国ムルマンスクロシアロシア人ロシア語フィン人フィンランドフィンランド内戦フィンランド国防軍フィンランド語アルハンゲリスクイギリスカルヤラ (伝統州)カレリアカレリア共和国カレリア語カレリア自治ソビエト社会主義共和国冬戦争白軍赤軍東カレリア1919年1920年2月革命 (1917年)

十月革命

十月革命(じゅうがつかくめい、Октябрьская революция、ラテン文字表記の例:Oktiabr'skaia revoliutsiia)は、ロシア革命の一局面。ユリウス暦の1917年10月25日(現在のグレゴリオ暦の11月7日)、ロシアの首都ペトログラード(後のレニングラード、現在のサンクトペテルブルク)で起きた労働者や兵士らによる武装蜂起を発端として始まった革命である。多数の労働者や兵士らを扇動した革命家らによるクーデターとも解される。ソビエト革命あるいはボリシェヴィキ革命とも。 この当時、ロシアではユリウス暦が採用されており、現在のグレゴリオ暦と比べて日付は13日遅れている。十月革命はグレゴリオ暦によると十一月革命となるが、この記事では十月革命に統一し、日付についてもユリウス暦を用いる。 十月革命は、社会主義左派勢力ボリシェヴィキにより引き起こされた。一連のロシア革命のなかでは、帝政を崩壊させ、立憲民主党(カデット)主導の臨時政府を成立させた二月革命に次ぐ第二段階にあたる。 ボリシェヴィキはかねてから暴力による革命を主張しており、1917年10月12日、影響下にあったペトログラード・ソビエトに軍事革命委員会(Военно-революционный комитет, военревком, ВРК)を作らせて武装蜂起の準備を進めた。軍事革命委員会の指令下にあるボリシェヴィキの軍隊・赤衛隊(赤衛軍:Красная гвардия)は、1917年10月24日にペトログラードの政府施設の占拠を開始し、10月25日に軍事革命委員会が「臨時政府は打倒され軍事革命委員会に権力が移った」とする宣言を発表した。10月26日未明には臨時政府が置かれていたペトログラードの冬宮が制圧され臨時政府メンバーは逮捕された。 こうしてボリシェヴィキ主導のソビエト(労働者・農民・兵士の評議会)へと権力が集中された。これに引き続いてロシア内戦(1917年 - 1922年)が起こり、最終的には1922年に史上初の社会主義国家であるソビエト連邦(ソ連)が誕生する。.

新しい!!: 北カレリア国と十月革命 · 続きを見る »

北イングリア共和国

北イングリア共和国(フィンランド語:Pohjois-Inkeri)は、イングリアのフィン人の建設した国家。非常に短命であった。 カレリアの南部、イングリアに住むフィン人は10月革命でボルシェビキ・ロシアから分離して国家を建設した。この国を建設した目標はフィンランドへの合併であった。この国は1919年から1920年までの間イングリアの一部を統治した。 この国はタルトゥ条約によってロシアに併合されることになった。しかし、1930年代までイングリアのフィン人は幾らかの国家的自治権を得られることができたために喜んだ。 1930年代に入るとイングリアはソ連の領土確定政策の要求にしたがった。1928年にはトクソヴォ(フィン語: トクソヴァ Toksova)の町を行政の中心として、この地区にクイヴァイシ・フィン人民族地区(Kuivaisin suomalainen kansallinen piiri, Куйвозовский финский национальный район)が設立された。そして1939年にはこの地区が廃止され、この地区はパルゴロヴォ地区に併合されたKurs, Ott (1994).

新しい!!: 北カレリア国と北イングリア共和国 · 続きを見る »

ムルマンスク

ムルマンスク(ムールマンスクとも、ロシア語:Мурманск)は、ロシア連邦ムルマンスク州の州都。モスクワから北へ約2000km、コラ半島の北岸、バレンツ海からコラ湾を50kmほど南に入った東沿岸にあり、ノルウェーやフィンランドとの国境に近い。北極圏最大の都市で、漁業と海運業を主産業とする連邦最大の港湾都市のひとつでもある。ソビエト連邦政府から「英雄都市」の称号を授与されている。 暖流の北大西洋海流の影響で海は1年中凍結することがなく、世界最北の不凍港の一つ(緯度はハンメルフェスト等の方が高い)である。そのためソ連時代からの軍港であり、現在も海軍の基地を有している。また緯度の割にはあまり寒くなく、平均気温は最も寒い1月でも氷点下8-13度ほどである。しかし夏は冷涼で、7月の平均気温は摂氏15度にも達しない程度である。ケッペンの気候区分では「Df」(冷帯湿潤気候)に属するが、夏は低温であるため、「ET」(ツンドラ気候)に近い気候であると言える。.

新しい!!: 北カレリア国とムルマンスク · 続きを見る »

ロシア

ア連邦(ロシアれんぽう、Российская Федерация)、またはロシア (Россия) は、ユーラシア大陸北部にある共和制及び連邦制国家。.

新しい!!: 北カレリア国とロシア · 続きを見る »

ロシア人

ア人.

新しい!!: 北カレリア国とロシア人 · 続きを見る »

ロシア語

ア語(ロシアご、русский язык )は、インド・ヨーロッパ語族のスラヴ語派東スラヴ語群に属する言語。露語とも略される。ロシア連邦の公用語。ロシア連邦の国語表記には、キリル文字を使用する。近縁の言語にウクライナ語とベラルーシ語がある。.

新しい!!: 北カレリア国とロシア語 · 続きを見る »

フィン人

フィン人/スオミ人(フィンランド語: suomalaiset)は、北ヨーロッパに居住する民族の一つ。居住域は「フィンランド」と呼ばれ、現在のこの地域にはフィンランド共和国がある。フィンランド国民(フィンランド人)を構成する主要な民族である。.

新しい!!: 北カレリア国とフィン人 · 続きを見る »

フィンランド

フィンランド共和国(フィンランドきょうわこく、Suomen tasavalta、Republiken Finland)、通称フィンランドは、北ヨーロッパに位置する共和制国家。北欧諸国の一つであり、西はスウェーデン、北はノルウェー、東はロシアと隣接し、南はフィンランド湾を挟んでエストニアが位置している。 首都ヘルシンキは露仏同盟以来、ロシアの主要都市であるサンクトペテルブルク方面へ西側諸国が投資や往来をするための前線基地となってきた。同じく直近の旧領ヴィボルグはサイマー運河の出口であったが、現在はロシア領で、ノルド・ストリームの経由地となっている。ロシアと欧州諸国の間にある地政学的な重要性から、勢力争いの舞台や戦場にも度々なってきた。 中立的外交の裏では、外交・安全保障やエネルギー政策を巡り東西の綱引きが行われている。国内には原子力発電所があり、オンカロ処分場は2020年に開設されれば世界初の使用済み核燃料の最終処分場となる。情報産業も政治と関係しており、エスコ・アホという首相経験者がノキア取締役を務めている。 人口や経済規模は小さいが、一人当たりGDPなどを見ると豊かで自由な民主主義国として知られている。フィンランドはOECDレビューにおいて「世界で最も競争的であり、かつ市民は人生に満足している国の一つである」と2014年には報告された。フィンランドは収入、雇用と所得、住居、ワークライフバランス、保健状態、教育と技能、社会的結びつき、市民契約、環境の質、個人の安全、主観的幸福の各評価において、すべての点でOECD加盟国平均を上回っている。.

新しい!!: 北カレリア国とフィンランド · 続きを見る »

フィンランド内戦

フィンランド内戦(フィンランドないせん、Suomen sisällissota)は、フィンランドで1918年に発生した、右派と左派による内戦。ドイツ帝国の支援を受けた白衛軍がヘルシンキを陥落させ、東方問題の前線であるサンクトペテルブルクの英仏資本を牽制した。.

新しい!!: 北カレリア国とフィンランド内戦 · 続きを見る »

フィンランド国防軍

フィンランド国防軍(フィンランドこくぼうぐん、Suomen puolustusvoimat, Försvarsmakten)は、陸海空の三軍からなる、フィンランドの軍隊。 職業軍人16,500人のうち士官が8,700人であり、常備軍として34,700人の成員を持つ。 フィンランドは徴兵制を採用しており、18歳以上の全ての男性に6か月から12か月の兵役を課している。 また、多くの訓練された予備役軍人がいる。冷戦終結後、軍事ドクトリンの変化やソ連崩壊の余波での混乱などもあって予備役軍人数は減らされた。予備役の総数は百万名弱だが、戦時動員で部隊に配備されるのは約35万人。全ての軍は武官である国防軍司令官の指揮下にあり、国防軍司令官は大統領直隷となっている。.

新しい!!: 北カレリア国とフィンランド国防軍 · 続きを見る »

フィンランド語

フィンランド語(フィンランドご、Suomen kieli / Suomi)は、ウラル語族フィン・ウゴル語派のフィン・ペルム諸語に属すバルト・フィン諸語の一言語。主にフィン人が使用する。 原語名称からスオミ語(Suomi)、またフィン語ともいう。この言語は膠着語であり、15格を有する。また同じバルト・フィン諸語にはエストニア語、サーミ語、カレリア語などが挙げられる。.

新しい!!: 北カレリア国とフィンランド語 · 続きを見る »

アルハンゲリスク

アルハンゲリスク( アルハーンギェリスク;Arkhangel'sk)は、ロシア北西部の都市。白海に注ぐ北ドヴィナ川の河口近くに位置する。アルハンゲリスク州の州都。人口は343,000人(2004年)。17世紀末にピョートル大帝(ピョートル1世)によって海軍軍事基地として開発された。アルハンゲリスクとは「大天使の町」の意味で、戦う大天使(アルハンゲリ)「ミカエル」の名にちなんで命名されたものである。.

新しい!!: 北カレリア国とアルハンゲリスク · 続きを見る »

イギリス

レートブリテン及び北アイルランド連合王国(グレートブリテンおよびきたアイルランドれんごうおうこく、United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)、通称の一例としてイギリス、あるいは英国(えいこく)は、ヨーロッパ大陸の北西岸に位置するグレートブリテン島・アイルランド島北東部・その他多くの島々から成る同君連合型の主権国家である。イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの4つの国で構成されている。 また、イギリスの擬人化にジョン・ブル、ブリタニアがある。.

新しい!!: 北カレリア国とイギリス · 続きを見る »

カルヤラ (伝統州)

ルヤラ、もしくはカルヤラ州(Karjala、Karelen)は、フィンランドの伝統州。また、英名のKareliaから、カレリア、カレリア州と呼ばれることが多い。更に、ロシア側の東カレリア(ロシアン・カレリア)に対して、西カレリアやフィンニッシュ・カレリアと呼ばれる地域もほぼ同一の地域を示す。ただし現在、西カレリアの地域の北西はフィンランド領であるが、南東はロシア領である。この西カレリアの地域は、2千年紀の間、支配、宗教、政治において西洋の影響下にあった。東カレリアはノヴゴロド公国によって支配されており、その後もその後継国によって支配されており、西カレリアとは分かれていた。 カルヤラは、北でポフヤンマー、西側の大部分でサヴォ、南西の一部でハメ、ウーシマーの各伝統州と接している。また東側でロシアと接し、南側でフィンランド湾に面している。.

新しい!!: 北カレリア国とカルヤラ (伝統州) · 続きを見る »

カレリア

'''カレリア''' 国境線西側のフィンランドには北カレリアと南カレリアが広がる。白海、オネガ湖、ラドガ湖、フィンランド湾など水域が多い カレリア(Karelia)は、フィンランドの南東部からロシアの北西部にかけて広がる森林と湖沼の多い地方の名前である。そこに住む人たちのことをカレリア人と呼ぶ。フィンランド、ロシア、スウェーデンにとって歴史的にも重要な地方である。 カレリアは、カレリア語とフィンランド語ではKarjala(カルヤラ)、ロシア語ではКаре́лия(カリェーリヤ)、スウェーデン語ではKarelen(カレーレン)と呼ぶ。 今日、政治的にはロシア共和国のレニングラード州とカレリア共和国、フィンランドの北カルヤラ県と南カルヤラ県に分割されている。.

新しい!!: 北カレリア国とカレリア · 続きを見る »

カレリア共和国

レリア共和国(カレリアきょうわこく、カレリア語:Karjalan Tazavaldu、)は、ロシア連邦、北西連邦管区に属する共和国の一つ。首都はペトロザヴォーツク。.

新しい!!: 北カレリア国とカレリア共和国 · 続きを見る »

カレリア語

レリア語(karjala)は、ウラル語族フィン・ウゴル語派のバルト・フィン諸語に含まれる言語で、ロシア連邦カレリア共和国のカレリア人が用いる。 フィンランド語に近いのでフィンランド語の方言と見られることもある。しかし相互理解が容易でない程度の差があり、歴史的にも政治的に分断される前からすでに大きな違いがあったので、一般には別の言語と見なされる。一方でヴェプス語の北部方言にも近い。しかしフィンランド領カレリア地方の方言は、大部分がフィンランド語の方言とされる(旧ソ連領からフィンランドへ移住した人々はカレリア語方言を用いている)。 話者数は12万人程度。いくつかの方言があり、標準(共通)カレリア語と呼べるものはないが、標準語の制定が検討されている。フィンランド語同様にラテン文字が用いられる。 方言としては、カレリア方言(さらに北部・南部に分けられる)、その南のオロネツ方言(ラドガ湖とオネガ湖の間)およびリューディ方言(オネガ湖東岸付近)に分けられる。リューディ方言はヴェプス語の方言とされることもある。.

新しい!!: 北カレリア国とカレリア語 · 続きを見る »

カレリア自治ソビエト社会主義共和国

レリア自治ソビエト社会主義共和国 (Каре́льская АССР, Karelskaya ASSR; Karjalan autonominen sosialistinen neuvostotasavalta)、カレリアASSRはソビエト連邦、ソビエト・ロシアの自治共和国。首都はペトロザヴォーツク。 カレリアASSRは1923年6月27日の全ロシア中央執行委員会(VTsIK)の幹部会の決議と1923年7月25日のカレリア労働コミューン人民委員会とVTsIKの法令によってソビエト・ロシアの一部を構成することになったAdministrative-Territorial Division of Murmansk Oblast, p. 31。1927年にはASSRは以前の古い区分を再設置し、いくつかの区域に分けられたAdministrative-Territorial Division of Murmansk Oblast, p. 35。 1940年から1956年にかけては、冬戦争と継続戦争でフィンランドから割譲された地域を以前のカレリアASSRとともにソビエト連邦の連邦構成共和国であったカレロ=フィン・ソビエト社会主義共和国に編入した。このとき、すでにカレリア人やフィン族を背景に持つ人々は人口の10%程度になっていた。 1956年7月16日、カレロ=フィンSSRは連邦構成共和国からASSRに降格され、ソビエト・ロシアに編入、再びカレリア自治ソビエト社会主義共和国となった。 現在ではカレリア共和国となり、ロシア連邦の一共和国になっている。.

新しい!!: 北カレリア国とカレリア自治ソビエト社会主義共和国 · 続きを見る »

冬戦争

冬戦争(ふゆせんそう、芬:talvisota)は、第二次世界大戦の勃発から3ヶ月目にあたる1939年11月30日に、ソビエト連邦がフィンランドに侵攻した戦争である。フィンランドはこの侵略に抵抗し、多くの犠牲を出しながらも、独立を守った。 両国間の戦争が1941年6月に再開されたため、第1次ソ・芬(ソ連・フィンランド)戦争とも言う。なお、後続の戦争は第2次ソ・芬戦争、あるいは継続戦争と称される。.

新しい!!: 北カレリア国と冬戦争 · 続きを見る »

白軍

白軍の軍旗 白軍(はくぐん、Белая Армия ビェーラヤ・アールミヤ)は、1917年以降のロシア革命期における革命側の赤軍に対する反革命側の軍隊の総称である。 白衛軍(Белая Гвардияビェーラヤ・グヴァールヂヤ)、白色運動(Белое движениеビェーライェ・ドヴィジェーニイェまたはБелое делоビェーライェ・ヂェーラ)とも呼ばれる。その他、各国語によって異なる名称で呼ばれる。ロシア内戦において赤軍と戦闘を繰り広げたが、1920年にクリミア半島から最後の部隊が撤退・亡命した。 なお、白軍といえばまず「反革命」とされるが、この場合の「革命」というのはボリシェヴィキによる「十月革命」のことであって、白軍の多くはその前の「二月革命」には反対していない。.

新しい!!: 北カレリア国と白軍 · 続きを見る »

赤軍

赤軍(せきぐん、ロシア語:Красная армия クラースナヤ アールミヤ)は、1918年から1946年にかけてロシアおよびソビエト連邦に存在した軍隊。1917年より始まったロシア内戦の最中に労働者・農民赤軍(ろうどうしゃ・のうみんせきぐん、Рабоче-крестьянская Красная армия ラボーチェ・クリスチヤーンスカヤ・クラースナヤ・アールミヤ、略称:労農赤軍、РККА エールカーカーアー)として設立され、1937年に海軍が赤軍から独立した後はソ連の地上軍(陸軍)を指す呼称となった。.

新しい!!: 北カレリア国と赤軍 · 続きを見る »

東カレリア

白い部分が東カレリア 東カレリア(フィンランド語: Itä-Karjala)は、フィンランド・ナショナリズムの観点からロシア領カレリア(ロシア・カレリア)を指す歴史的名称である。.

新しい!!: 北カレリア国と東カレリア · 続きを見る »

1919年

記載なし。

新しい!!: 北カレリア国と1919年 · 続きを見る »

1920年

記載なし。

新しい!!: 北カレリア国と1920年 · 続きを見る »

2月革命 (1917年)

2月革命(2がつかくめい、, )は、第一次世界大戦中のロシアで1917年に発生した革命運動である。ロマノフ朝による帝政(ロシア帝国)が崩壊し、数年間の革命と内戦を経てソビエト連邦の設立につながった。 この当時のロシアでは、現在一般的に用いられているグレゴリオ暦とは異なるユリウス暦が採用されており、暦上13日の遅れが存在する。この時の革命はグレゴリオ暦によると3月革命となるが、以下では2月革命に統一する。日付についても旧暦を用いている。.

新しい!!: 北カレリア国と2月革命 (1917年) · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »