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勿吉

索引 勿吉

勿吉(もつきつ、拼音:Wùjí)は、中国の南北朝時代に、高句麗の北から満州地域に住んでいた狩猟民族で、現在の松花江から長白山一帯に居住していたと思われる。粛慎、挹婁の末裔で、唐代における靺鞨の前身である。 5世紀頃の東夷諸国と勿吉の位置。.

83 関係: 加藤九祚埴原和郎南北朝時代 (中国)南出喜久治口噛み酒吉川弘文館大辞泉大業太和 (北魏)夫余契丹室韋室谷克実宮家邦彦小島直記三上次男広辞苑井上秀雄延興 (北魏)佐々木高明北史北魏ユウ婁ワイ人ブタピン音テンイノシシイヌ神田信夫粛慎 (中国)煬帝白崎昭一郎白頭山白鳥庫吉隋の高句麗遠征隋書靺鞨諏訪春雄高句麗魏書護雅夫鳥越憲三郎黒水部黄文雄 (評論家)興和 (東魏)薗田香融開皇...酒井忠夫東夷東魏松花江武定 (東魏)水野祐沃沮沖浦和光渡部昇一満州成瀬治浜田耕策景明1977年471年476年477年485年486年488年493年494年499年503年540年543年550年581年600年604年612年613年618年 インデックスを展開 (33 もっと) »

加藤九祚

加藤 九祚(かとう きゅうぞう、1922年5月18日 - 2016年9月11日)は、人類学者。アジア文化史。創価大学、国立民族学博物館名誉教授。.

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埴原和郎

埴原 和郎(はにわら かずろう、1927年8月17日 - 2004年10月10日)は、日本の自然人類学者。東京大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。解剖学者で北里大学医学部教授の埴原恒彦は息子。元外交官で外務事務次官、駐アメリカ大使の埴原正直は伯父。.

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南北朝時代 (中国)

北魏と宋 北魏と南斉 東西魏と梁 北周、北斉と後梁、陳 中国史における南北朝時代(なんぼくちょうじだい)は、北魏が華北を統一した439年から始まり、隋が中国を再び統一する589年まで、中国の南北に王朝が並立していた時期を指す。 この時期、華南には宋、斉、梁、陳の4つの王朝が興亡した。こちらを南朝と呼ぶ。同じく建康(建業)に都をおいた三国時代の呉、東晋と南朝の4つの王朝をあわせて六朝(りくちょう)と呼び、この時代を六朝時代とも呼ぶ。この時期、江南(長江以南)の開発が一挙に進み、後の隋や唐の時代、江南は中国全体の経済基盤となった。南朝では政治的な混乱とは対照的に文学や仏教が隆盛をきわめ、六朝文化と呼ばれる貴族文化が栄えて、陶淵明や王羲之などが活躍した。 また華北では、鮮卑拓跋部の建てた北魏が五胡十六国時代の戦乱を収め、北方遊牧民の部族制を解体し、貴族制に基づく中国的国家に脱皮しつつあった。北魏は六鎮の乱を経て、534年に東魏、西魏に分裂した。東魏は550年に西魏は556年にそれぞれ北斉、北周に取って代わられた。577年、北周は北斉を滅ぼして再び華北を統一する。その後、581年に隋の楊堅が北周の譲りを受けて帝位についた。589年、隋は南朝の陳を滅ぼし、中国を再統一した。普通は北魏・東魏・西魏・北斉・北周の五王朝を北朝と呼ぶが、これに隋を加える説もある。李延寿の『北史』が隋を北朝に列しているためである。.

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南出喜久治

南出 喜久治(みなみで きくぢ、1950年1月3日 - )は、日本の弁護士(登録番号18832)。京都弁護士会所属。「國體護持塾」塾長 國體護持塾。学校教育法第11条(体罰の禁止と懲戒権規定)廃止を主張する「体罰の会」副会長。.

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口噛み酒

口噛み酒(くちかみざけ)は、米などの穀物やイモ類、木の実などを口に入れて噛み、それを吐き出して溜めたものを放置して造る酒のこと。古代日本、アイヌ、沖縄、奄美諸島で作られていたほか、中南米やアフリカなど世界各地に見られたが、アマゾン低地などに残存する以外ほとんど消滅した。真臘では女性が醸すことから「美人酒」と呼ばれていた。また、人為的に造る酒の発祥は口噛み酒であるという説がある。 日本列島への渡来時期や製法、文化を考えると、同じく米を原料としている日本酒の原形とはなり得ないと考えられている。.

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吉川弘文館

吉川弘文館(よしかわこうぶんかん)は日本史関連を主軸とした老舗の出版社。1857年(安政4年)に、吉川半七により設立。戦後1949年(昭和24年)に株式会社として現在に至る。.

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大辞泉

『大辞泉』(だいじせん)は小学館が発行する中型国語辞典。.

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大業

大業(たいぎょう)は、隋の煬帝楊広の治世に行われた年号。605年 - 618年。.

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太和 (北魏)

太和(たいわ)は、南北朝時代の北魏において、孝文帝の治世に使用された元号。477年正月 - 499年12月。.

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夫余

夫余(ふよ、朝鮮語: 부여、、正字体:夫餘)は、現在の中国東北部(満州)にかつて存在した民族およびその国家。扶余(扶餘)とも表記される。 2世紀頃の東夷諸国と夫余の位置。 4世紀頃の東夷諸国と夫余の位置。.

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契丹

宋代に描かれた契丹人の絵 契丹(きったん、キタン、キタイ、)は、4世紀から14世紀にかけて、満州から中央アジアの地域に存在した半農半牧の民族。10世紀初頭に現在の中華人民共和国に相当する地域の北部に帝国を建国し、国号を遼と号した。しかし12世紀に入り次第に勢力を強める女真が宋と結び南下し、挟撃された遼は1125年に滅ぼされた。契丹人の多くは女真に取り込まれ、一部は中央アジアに逃れて西遼(カラ・キタイ)を建てた。.

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室韋

室韋(しつい、)は、6世紀から10世紀まで中国東北部のチチハル周辺にある嫩江、アルグン川、黒竜江流域に存在していた民族。初めは失韋国と書かれた。また、モンゴル系民族の源流と考えられており、『オルホン碑文』にある三十姓タタル(オトゥズ・タタル、)にも比定されている。.

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室谷克実

室谷 克実(むろたに かつみ、1949年(昭和24年) - )は、日本の評論家・ジャーナリストである。.

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宮家邦彦

宮家 邦彦(みやけ くにひこ、1953年(昭和28年)10月12日 - )は、日本の元外交官、評論家、研究者。キヤノングローバル戦略研究所研究主幹、株式会社外交政策研究所代表、立命館大学教育開発推進機構客員教授、中東調査会顧問。.

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小島直記

小島 直記(こじま なおき、1919年5月1日 - 2008年9月14日)は、福岡県八女郡福島町(現・八女市福島)の生まれの小説家。経済人などの伝記小説で知られる。本名は小嶋直記日外アソシエーツ現代人物情報。.

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三上次男

三上 次男(みかみ つぎお、1907年(明治40年)3月31日 - 1987年(昭和62年)6月6日)は、日本の東洋学者、考古学者。.

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広辞苑

『広辞苑』(こうじえん)とは、岩波書店が発行している中型の日本語国語辞典である。編著者・新村出、新村猛。.

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井上秀雄

井上 秀雄(いのうえ ひでお、1924年(大正13年)12月1日 - 2008年10月7日)は、日本の歴史学者。東北大学、樟蔭女子短期大学名誉教授。専門は古代朝鮮史、日朝関係史。.

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延興 (北魏)

延興(えんこう)は、南北朝時代の北魏において、孝文帝の治世に使用された元号。471年8月 - 476年6月。.

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佐々木高明

佐々木 高明(ささき こうめい、1929年11月17日 - 2013年4月4日)は、日本の民族学者。国立民族学博物館名誉教授・元館長。総合研究大学院大学名誉教授。前財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構理事長。文学博士(京都大学、1970年)。大阪府生まれ。照葉樹林文化論の主要な提唱者の一人。.

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北史

『北史』(ほくし)は、中国の北朝について書かれた歴史書。李大師により編纂が開始され、その子の李延寿によって完成された。二十四史の一つ。 全100巻で、本紀12巻、列伝88巻の構成となっている。 南北朝時代(439年 - 589年)の北朝にあたる王朝、北魏・西魏・東魏・北斉・北周・隋の歴史を記している。詔令や上奏文の多くを削って叙事に重きを置き、記述の総量は断代史である『魏書』・『北斉書』・『周書』・『隋書』を合わせた分量の半分ほどであるが、断代史の4書に見られない記述も少なくない。特に『魏書』の記さなかった西魏の人物についての増補部分が大きい。.

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北魏

北魏(ほくぎ、、386年 - 534年)は、中国の南北朝時代に鮮卑族の拓跋氏によって建てられた国。前秦崩壊後に独立し、華北を統一して五胡十六国時代を終焉させた。 国号は魏だが、戦国時代の魏や三国時代の魏などと区別するため、通常はこの拓跋氏の魏を北魏と呼んでいる。また三国時代の魏は曹氏が建てたことからこれを曹魏と呼ぶのに対して、拓跋氏の魏はその漢風姓である元氏からとって元魏(げんぎ)と呼ぶこともある(広義には東魏と西魏もこれに含まれる)。さらに国号の由来から、曹魏のことを前魏、元魏のことを後魏(こうぎ)と呼ぶこともある。.

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ユウ婁

挹婁(ゆうろう、)は、後漢から五胡十六国時代(1世紀から4世紀)にかけて、外満州付近に存在したとされる民族。.

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ワイ人

(わい、)は、中国の史書である『三国志』や『後漢書』などに記されている古代民族。現在の黒龍江省西部・吉林省西部・遼寧省東部から朝鮮半島北東部にかけて、北西から南東に伸びる帯状に存在したとされる。.

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ブタ

岐阜市畜産センターのビジターハウス内に展示) 岐阜市畜産センターにて) 仔豚に母乳を与える豚 豚小屋で飼育されている放牧豚 ブタ(豚、学名:Sus scrofa domesticus(仮名転写:スース・スクローファ・ドメスティクス)、英名:pig)は、哺乳綱鯨偶蹄目イノシシ科の動物で、イノシシ(Sus scrofa)を家畜化したものである。主に食用(豚肉)とされる。.

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ピン音

(ピンイン)は、中国語で音節を音素文字に分け、ラテン文字化して表記する発音表記体系を指す。一般的な場合この語は、(かんごピンイン、Hànyǔ Pīnyīn)と呼ばれる1958年に中華人民共和国が制定したという表記法、またはそれに基づくという文字を指す。 のように中国大陸とは異なる「」もあり、ウェード式などの他のラテン文字による表記法も中国語ではと称することがある。の名称は、それらと特に区別する必要がある場合用いられる。 は、当初は将来的に漢字に代わる文字として中国で位置づけられていたが、現在では中国語の発音記号として使用されている。.

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テン

テン(貂『広辞苑 第5版』、岩波書店、黄鼬、)は、哺乳綱ネコ目(食肉目)イヌ亜目 イタチ科テン属に分類される食肉類。北海道に生息するエゾクロテン(蝦夷黒貂、)は同属異種。.

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イノシシ

イノシシ(猪・豬、英名: boar 学名:)は、鯨偶蹄目イノシシ科の1種。十二支の12番目「亥」であり、犬と同じくらい鼻が非常に敏感だが、神経質な動物でもある。本種の家畜化がブタである。.

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イヌ

イヌ(犬、狗、学名:Canis lupus familiaris、ラテン語名:canis、英語名[国際通用名]:dog、domestic dog)は、ネコ目(食肉目)- イヌ科- イヌ属に分類される哺乳類の一種である。.

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唐(とう、、618年 - 907年)は、中国の王朝である。李淵が隋を滅ぼして建国した。7世紀の最盛期には、中央アジアの砂漠地帯も支配する大帝国で、中央アジアや、東南アジア、北東アジア諸国、例えば朝鮮半島や渤海、日本などに、政制・文化などの面で多大な影響を与えた世界帝国である。日本の場合は遣唐使などを送り、894年(寛平6年)に菅原道真の意見でその回の遣唐使を中止し、結果としてそれ以降遣唐使は送られず、それまでは積極的な交流をしていた。首都は長安に置かれた。 690年に唐王朝は廃されて武周王朝が建てられたが、705年に武則天が失脚して唐が復活したことにより、この時代も唐の歴史に含めて叙述することが通例である。 日本では唐の滅亡後も唐、唐土の語はそれ以降の王朝、さらには外国全般を漠然と指す語として用いられた。しかし、天竺同様昔の呼称のため、正確に対応するわけではない。詳しくは中国を参照のこと。.

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神田信夫

信夫(かんだ のぶお、1921年(大正10年)10月2日 - 2003年(平成15年)12月30日)は、日本の歴史学者。専門は東洋史、特に清朝史、満州族史。明治大学名誉教授。京都府京都市出身。父は東洋史、書誌学者の神田喜一郎。.

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粛慎 (中国)

紀元前1世紀頃の東夷諸国と'''粛慎'''の位置 粛慎(しゅくしん、拼音:Sùshèn)は、満州(中国東北地方及び外満州)に住んでいたとされるツングース系狩猟民族。また、後にこの民族が住んでいた地域の名称ともなった。粛慎という呼び名は中国の周代・春秋戦国時代の華北を中心とする東アジア都市文化圏の人々(後に漢民族として統合されていく前身となった人々)が粛慎人の自称を音訳したもので、息慎(そくしん、Xīshèn),稷慎(しょくしん、Jìshèn)とも表記される。 中国の周代の文献の中にしばしば見られ、後代の挹婁・勿吉・靺鞨・女真(満州族)と同系の民族と考えられている。 日本の歴史書に現れる粛慎(みしはせ)とは字が同じだが、年代に大きな開きがあり、両者の関係性は不明である。.

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煬帝

帝(ようだい、ようてい)は、隋朝の第2代皇帝(在位:604年8月21日 - 618年4月11日)。中国史を代表する暴君といわれる。煬帝は唐王朝による追謚であり、本名は楊広である。.

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白崎昭一郎

白崎 昭一郎(しらさき しょういちろう、1927年1月17日 - 2014年8月3日)は、作家、歴史家、医師。 東京生まれ。1950年京都大学医学部卒。開業医、福井保健所長、福井工業大学教授、『福井県史』古代史部会の副部会長などを務めた。.

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白頭山

白頭山(はくとうさん、백두산 ペクトゥサン、)は、中華人民共和国(中国)吉林省と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)両江道の国境地帯にある標高2,744mの火山。別名、長白山(ちょうはくさん、 チャンパイシャン)。.

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白鳥庫吉

白鳥 庫吉(しらとり くらきち、1865年3月1日(元治2年2月4日) - 1942年3月30日)は、日本の歴史学者。文学博士である。専門は東洋史。東京帝国大学(現・東京大学)教授。東洋文庫理事長を歴任した。.

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隋(呉音: ずい、漢音: すい、 、581年 - 618年)は、中国の王朝。魏晋南北朝時代の混乱を鎮め、西晋が滅んだ後分裂していた中国をおよそ300年ぶりに再統一した。しかし第2代煬帝の失政により滅亡し、その後は唐が中国を支配するようになる。都は大興城(現在の中華人民共和国西安市)。国姓は楊。当時の日本である倭国からは遣隋使が送られた。.

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隋の高句麗遠征

隋の高句麗遠征(ずいのこうくりえんせい)は、598年から614年まで4回にわたって行われた、隋による高句麗への遠征である。.

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隋書

『隋書』(ずいしょ)は、二十四史の一つで第13番目にあたる。中国史の中における隋代を扱った歴史書。志の部分だけは通史である(後述)。.

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靺鞨

靺鞨(まつかつ、まっかつ、拼音:Mòhé)は、中国の隋唐時代に中国東北部、沿海州に存在した農耕漁労民族。南北朝時代における「勿吉(もつきつ)」の表記が変化したものであり、粛慎,挹婁の末裔である。16部あったが、後に高句麗遺民と共に渤海国を建国した南の粟末部と、後に女真族となって金朝,清朝を建国した北の黒水部の2つが主要な部族であった。.

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諏訪春雄

諏訪 春雄(すわ はるお、1934年3月30日 - )は、日本の近世文学・芸能史学者。学習院大学名誉教授。 新潟県新潟市生まれ。1956年新潟大学国文学科卒業、1961年東京大学大学院国文科博士課程単位取得退学、1958年中・高等科教諭、1970年学習院女子短期大学教授、1979年学習院大学教授。1966年「元禄歌舞伎の研究」で東京大学文学博士。2005年定年退職、名誉教授。 国際浮世絵学会理事長、歌舞伎学会監事、日本近世文学会代表など。1995年内山記念浮世絵賞、2004年安倍能成記念学術賞。2013年秋、瑞宝中綬章受勲。雑誌『GYROS』を編纂。 歌舞伎研究から出発したが、近世の浮世絵、民俗学等に関心が広まり、東アジアとの比較芸能、民俗、宗教等に展開、近年は時事問題に対しても活発に発言している。 1985年、丸谷才一が『忠臣蔵とは何か』を発表した際、これを厳しく批判し、丸谷と論争になった(『聖と俗のドラマツルギー』、丸谷『鳥の歌』)。.

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高句麗

句麗(こうくり、、紀元前37年 - 668年)または高麗(こうらい、こま、)は、現在の中国東北部の南部から朝鮮民主主義人民共和国、韓国北部に存在した国家。しばしばツングース系民族によって建てられたとされるが*シロコゴロフ、川久保悌郎・田中克巳訳『シロコゴロフ 北方ツングースの社會構成』(1942年、岩波書店)p285-p287「鳥居龍蔵氏は彼らを北朝鮮の強国、夫余及び高句麗の建設者と見做し、彼等をツングースであろうと考えている。.

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魏書

『魏書』(ぎしょ)は、中国北斉の魏収が編纂した北魏の正史である。『北魏書』、『後魏書』とも。二十四史の一。構成は、本紀14巻、列伝96巻、志20巻で、全130巻からなる紀伝体。本紀と列伝の部分は、554年(天保5年)に、志の部分は、559年(天保10年)に成立した。.

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護雅夫

護 雅夫(もり まさお、1921年3月30日 - 1996年12月23日)は、日本の東洋学者、歴史学者。専攻は古代東洋史(中央アジア・突厥民族研究)。.

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鳥越憲三郎

鳥越 憲三郎(とりごえ けんざぶろう、1914年2月8日 - 2007年3月23日)は、日本の民俗学者、歴史学者。.

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黒水部

黒水靺鞨(こくすいまっかつ)は、ツングース系民族とする靺鞨の一派で、その主体である黒水部のほか16部が存在し、その主要な部落は次の通りである。.

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黄文雄 (評論家)

文雄(こう ぶんゆう、1938年12月5日 - )は、日本の評論家で、文明史・経済史研究者にして哲学者。中華民国台湾出身。専攻は西洋経済史。拓殖大学日本文化研究所客員教授。主権回復を目指す会顧問、世界戦略総合研究所評議員。男性。.

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興和 (東魏)

興和(こうわ)は、南北朝時代の東魏において、孝静帝の治世に使用された元号。539年11月 - 542年12月。.

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薗田香融

薗田 香融(そのだ こうゆう、1929年1月18日 - 2016年8月4日)は、日本史・仏教学者、関西大学名誉教授。 和歌山県に薗田香勲の長男として生まれる。祖父は薗田宗恵。母方祖父は芦津実全。弟に薗田宗人、薗田坦、芦津家を継いだ芦津丈夫がいる。1951年京都大学文学部史学科卒、1953年関西大学文学部助手、専任講師、助教授、教授。1980年「古代財政史の研究」で関西大学文学博士。1999年定年退任、名誉教授。浄土真宗妙慶寺住職。.

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開皇

開皇(かいこう)は、隋の文帝楊堅の治世に行われた年号。隋朝最初の年号。581年 - 600年。.

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酒井忠夫

酒井 忠夫(さかい ただお、1912年3月25日 - 2010年2月19日)は、中国史学者。 福井県坂井郡棗村小幡(現・福井市)生まれ。東京高等師範学校、1935年東京文理科大学東洋史学科卒業。中国・東亜研究所に勤務、敗戦で帰国。1961年「中国善書の研究」で東京教育大学文学博士。東京教育大学教授、1975年定年退官(東京教育大学名誉教授)、シンガポール南洋大学客員教授、1976年立正大学教授。1982年退官。.

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東夷

四夷の名称 東夷(とうい)は、古代中国東方の異民族の総称で、四夷の一つである。夷(い)。 「夷」という漢字は「大」(人の象形)と「弓」(「己」、縄の象形)と書いて、好戦的な民族として、蔑んだ意味合いを込めている。 本来は古代中国の東に位置する山東省あたりの人々に対する呼び名であったが、秦以降は朝鮮半島、日本列島などに住む異民族を指すようになった。後に日本でも異民族を意味する「エビス」という語と一体化し、朝廷(京)から見て東国や蝦夷の人々のことを「東夷(あずまえびす・とうい)」「夷(い・えびす)」と呼んだ。.

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東魏

東魏(とうぎ、534年 - 550年)は、中国の南北朝時代にあった北朝の国の一つ。北魏が分裂して成立した二つの魏のうち、函谷関の東側で中原を中心とした版図を持つ国の呼び名。函谷関の西側で関中を中心とした版図を持つ国の方は、西魏と呼んで区別する。 「北魏」「東魏」「西魏」は、いずれも後代の史家が便宜上そう呼びはじめたもので、本来の国号はみな魏である。また、東魏・西魏のそれぞれが魏(北魏)の正統を自認していた。.

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松花江

松花江(しょうかこう、,ソンホワチアン)は、ユーラシア大陸・中国東北部を流れる川の一つ。.

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武定 (東魏)

武定(ぶてい)は、南北朝時代の東魏において、孝静帝の治世に使用された元号。543年正月 - 550年5月。.

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水野祐

水野 祐(みずの たすく、1981年 - )は、日本の弁護士。シティライツ法律事務所(パートナー、ファウンダー)。Arts and Law代表理事。クリエイティブ・コモンズ・ジャパン(特定非営利活動法人コモンスフィア)理事。慶應義塾大学SFC研究所上席所員(リーガルデザイン・ラボ)。FabLabJapan Networkなどにも所属。IT・クリエイティブ・まちづくり分野の法務に従事しつつ、官公庁で委員会の委員やアドバイザーなども務める。.

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沃沮

沃沮(よくそ、옥저)は、紀元前2世紀から3世紀にかけて朝鮮半島北部の日本海に沿った地方(現在の咸鏡道付近)に住んでいたと思われる民族。『三国志』や『後漢書』では東沃沮(とうよくそ)と表記される。.

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沖浦和光

沖浦 和光(おきうら かずてる、1927年1月1日 - 2015年7月8日)は、日本の社会学者・民俗学者。桃山学院大学名誉教授。芸術論、社会思想史、比較文化論が専攻だが、もっぱら被差別民などの研究を行う。アニメーターの沖浦啓之は甥。.

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渡部昇一

渡部 昇一(わたなべ しょういち、1930年(昭和5年)10月15日 - 2017年(平成29年)4月17日)は、日本の英語学者、評論家。上智大学名誉教授。専攻は英語文法史。学位はミュンスター大学(ヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学)哲学博士。ミュンスター大学名誉哲学博士。公益財団法人日本財団評議員。.

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満州

満洲(まんしゅう、マンジュ、拼音:Mǎnzhōu、英語:Manchuria)は、現在中華人民共和国において「中国東北部」と呼ばれる地域およびロシア連邦において「極東」と呼ばれる地域の一部を含めた北東アジアの特定地域を指す地域名。渤海・金朝・後金・清朝を建国した満洲民族や、夫余・高句麗を建国した濊貊族、鮮卑・烏桓・契丹・奚などモンゴル民族の故地である。なお、漢字表記は法令や一部の文献では「満洲」が用いられるものの、一般には「満州」が用いられることが多い。 「満洲」という言葉は、もともとは12世紀にはおもに民族名を指していた。しかし19世紀の日本では満洲、満洲国とは地域をさし、民族は「満洲族」と呼ぶようになった。.

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成瀬治

成瀬 治(なるせ おさむ、1928年3月8日 - 2016年8月26日)は、日本の歴史学者、東京大学名誉教授。中近世ドイツ史、特にマルティン・ルターが専門。.

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浜田耕策

濱田 耕策(はまだ こうさく、1949年 - )は、日本の歴史学者、九州大学名誉教授。専門は朝鮮古代史・渤海史。 大分県出身。北海道大学文学部史学科卒業、学習院大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。学習院大学にて博士号(史学)取得。九州大学文学部教授、同大学院人文科学研究院教授を歴任し、2015年定年退職。 第1回日韓歴史共同研究(2005年)において「4世紀の日韓関係」を発表している。.

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景明

景明(けいめい)は、南北朝時代の北魏において、宣武帝の治世に使用された元号である。500年旧正月-504年旧正月。.

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1977年

記載なし。

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471年

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476年

記載なし。

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477年

記載なし。

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485年

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486年

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488年

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493年

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494年

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499年

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503年

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540年

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543年

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550年

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581年

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600年

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604年

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612年

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613年

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618年

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