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勲一等旭日桐花大綬章

索引 勲一等旭日桐花大綬章

勲一等旭日桐花大綬章(くんいっとうきょくじつとうかだいじゅしょう)は、日本の勲章の一つ。1888年(明治21年)1月4日に旭日章の最上位として追加制定された。日本に於ける高位勲章の一つで、2003年(平成15年)11月3日の栄典制度改正まで旭日章の最上位勲章として運用されていた。ここでは旧制度に於ける「勲一等旭日桐花大綬章」について解説する。新制度の勲章については桐花章を参照。.

395 関係: 加藤友三郎加藤定吉加藤弘之加藤高明原健三郎原嘉道原文兵衛原敬博義王南弘南部甕男南次郎古市公威古賀峯一台湾総督府参謀本部 (日本)参議参議院議長坂田道太多嘉王大垣藩大山巌大島健一大島久直大島義昌大久保春野大勲位大勲位菊花大綬章大納言大給恒大隈重信大角岑生大谷喜久蔵大迫尚敏大野伴睦大森鍾一大濱信泉大木喬任大日本帝国憲法太政官布告・太政官達外務大臣 (日本)奥保鞏奈良武次宮中席次宮内省官報宇垣一成宇都宮太郎宇野宗佑宇治家彦...安井謙安倍晋太郎安達峰一郎安東貞美寺内正毅富井政章小松輝久小村壽太郎山尾庸三山川健次郎山下源太郎山縣伊三郎山縣有朋山田顕義山階宮菊麿王山階宮武彦王山階芳麿山本達雄 (政治家)岡崎勝男岡田啓介岡田良平岡野敬次郎岡沢精岩倉具定岸信介島村速雄島津忠義川島正次郎川上操六川村純義川村景明左大臣上原勇作上村彦之丞中央労働委員会中山孝麿中山伊知郎中牟田倉之助中村覚中村雄次郎中村梅吉中橋徳五郎常設国際司法裁判所三浦梧楼一橋大学一木喜徳郎一戸兵衛九鬼隆一幣原喜重郎平山成信平田東助平沼騏一郎乃木希典久保田譲久邇宮邦彦王久邇宮朝融王久邇邦久床次竹二郎人事院二階堂進広島藩井上光井上勝之助井上馨井上良馨井深大建設大臣伊藤博文伊藤宗一郎伊集院五郎伊集院彦吉伊東巳代治伊東祐亨伏見博英伏見宮博恭王伯爵位階佐久間左馬太佐々木高行佐賀藩佐藤尚武佐藤達夫 (法制官僚)佐野常民征夷大将軍侍従侍従武官侯爵徳大寺実則徳島藩徳川家達徳川慶喜徳永正利後藤新平従二位保利茂土屋義彦土光敏夫土方久元北白川宮永久王北白川宮成久王マイケル・マンスフィールドリー・クアンユーヘルマン・ゲーリングパナソニックドイツドイツ空軍ダグラス・マッカーサーキリシンガポールソニー内大臣府内山小二郎内務大臣 (日本)内田康哉内閣官房長官内閣総理大臣内閣法制局長官出羽重遠児玉源太郎八代六郎公爵元帥前尾繁三郎副島種臣副総理勲一等旭日大綬章勲章 (日本)勲等国務大臣国章国連大使倉富勇三郎犬養毅皇族矢口洪一石坂泰三石塚英蔵石井光次郎石井菊次郎石黒忠悳石橋湛山王 (皇族)灘尾弘吉珍田捨巳福岡孝弟福田一福永健司科学技術庁長官秋山好古稲山嘉寛穂積陳重窪田静太郎竹田宮恒久王竹田恒徳第15回国会第4師団 (日本軍)筑波藤麿粟田彰常細川潤次郎緒方竹虎瑞宝章瓜生外吉田健治郎田尻稲次郎田中不二麿田中光顕田中義一田中耕太郎田村元男爵牧野伸顕片山哲片岡七郎牛場信彦益谷秀次盛厚王白川義則芦田均花房義質芳川顕正芳澤謙吉音羽正彦荒井賢太郎草場良八鍋島直大菊花章菊花紋章華頂博信華頂宮博忠王菱刈隆青木周蔵行政管理庁長官行政裁判所衆議院議長西寛二郎西園寺公望西郷従道西村英一要人香川敬三駐日アメリカ合衆国大使読売新聞社高島鞆之助高崎正風高橋是清谷干城豊田貞次郎財務大臣財部彪賀陽宮邦憲王賀陽宮恒憲王鹿島萩麿黒田長成黒田清綱黒田清隆黒木為もと農商務省 (日本)農林水産大臣近衛忠煕蜂須賀茂韶鈴木喜三郎鈴木荘六鈴木貫太郎船田中阪谷芳郎関東都督府薩摩藩閑院宮春仁王藤山愛一郎藤井較一葛城茂麿邦寿王邦芳王野間口兼雄野村吉三郎野村靖野津道貫重宗雄三重光葵金子堅太郎金鵄勲章長州藩長谷川好道若槻禮次郎連合艦隊司令長官逓信省陸軍大将陸軍大臣枢密院 (日本)林友幸林銑十郎林譲治 (政治家)林董林権助東久世通禧東久邇宮稔彦王東京大学東伏見慈洽東龍太郎松室致松川敏胤松下幸之助松井慶四郎松田正久松野鶴平松村謙三松方正義板垣退助村上格一杉孫七郎栽仁王栗野慎一郎栄典桐紋桐花章梨本宮守正王梨本徳彦椎名悦三郎植村甲午郎榎本武揚横田喜三郎樺山資紀櫻井錠二櫻内義雄正力松太郎正三位正二位正親町三条実愛武藤信義毛利元徳水野錬太郎永野重雄江木千之河合操河井彌八河瀬真孝河野一郎河野謙三波多野敬直法務大臣渡辺美智雄渡辺錠太郎清瀬一郎清浦奎吾渋沢栄一湯浅倉平濱口雄幸濱尾新服部一三朝香孚彦朝香宮鳩彦王末松謙澄本野一郎有馬良橘最高裁判所長官戸田氏共星島二郎海軍大将海軍大臣浅田信興浅野長勲斎藤実斎藤英四郎文化勲章文部大臣 (日本)日高壮之丞日本日本商工会議所日本国憲法日本経済団体連合会日本製鐵日本赤十字社早稲田大学旭日章愛知揆一教育総監曾禰荒助曾我祐準11月3日1875年1888年1952年1月4日2003年2016年 インデックスを展開 (345 もっと) »

加藤友三郎

加藤 友三郎(かとう ともさぶろう、1861年4月1日(文久元年2月22日) - 1923年(大正12年)8月24日)は、日本の海軍軍人、政治家。階級は海軍大将、没後 元帥海軍大将。日露戦争で連合艦隊参謀長(日本海海戦時、第一艦隊参謀長兼任)、ワシントン会議で日本首席全権委員を務める。海軍大臣(第20-24代)、内閣総理大臣(第21代)を歴任し、山梨軍縮やシベリア出兵撤兵を成し遂げた。位階は正二位。勲等は大勲位。功級は功二級。爵位は子爵。.

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加藤定吉

加藤 定吉(かとう さだきち/ていきち、文久元年11月18日(1861年12月19日) - 昭和2年(1927年)9月5日)は、明治から大正期の日本の海軍軍人。実兄の加藤泰久は陸軍少将。養嗣子・泰邦は出羽重遠の実子。第一次世界大戦において第二艦隊司令長官として青島封鎖作戦を指揮した海軍大将である。戦後勲功により男爵を授爵。従二位勲一等旭日桐花大綬章功二級。.

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加藤弘之

加藤 弘之(かとう ひろゆき、1836年8月5日(天保7年6月23日) - 1916年(大正5年)2月9日)は、日本の政治学者、教育家、官僚。位階は正二位。勲等は勲一等。爵位は男爵。学位は文学博士(1888年)、法学博士(1905年)。旧名弘蔵(こうぞう)。 外様大名の出石藩の藩士の子に生まれ、出石藩藩校弘道館で学んだ後、済美館や致遠館でフルベッキの門弟として学ぶ。学門一筋で精進し幕臣となり、維新後は新政府に仕える身となる。明六社会員。外務大丞、元老院議官、勅選貴族院議員などを歴任、獨逸学協会学校の第2代校長、旧東京大学法・理・文3学部の綜理を務め、のち帝国大学(現・東京大学)第二代総長を務めた。大日本教育会名誉会員。その後男爵、初代帝国学士院院長、枢密顧問官。.

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加藤高明

加藤 高明(かとう たかあき、安政7年1月3日(1860年1月25日) - 大正15年(1926年)1月28日)は、日本の外交官、政治家。外務大臣(第15・18・25・27代)、貴族院議員、内閣総理大臣(第24代)などを歴任した。 位階勲等爵位は正二位大勲位伯爵。学位は法学士(東京大学・1881年)。幼名は総吉(そうきち)。.

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原健三郎

原 健三郎(はら けんざぶろう、1907年2月6日 - 2004年11月6日)は、日本の政治家。 衆議院議員(20期)、衆議院議長(第65代)、衆議院副議長(第43代)を務め、また国務大臣としては労働大臣(第29代・第31代)、国土庁長官(第9代)、北海道開発庁長官(第43代)を歴任。位階は従二位。勲等は勲一等旭日桐花大綬章。.

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原嘉道

原 嘉道(はら よしみち(かどう) 1867年3月23日(慶応3年2月18日) - 1944年8月7日)は、日本の官僚、弁護士、法学者、政治家。第9代中央大学学長、帝国弁護士会名誉会員。田中義一内閣の司法大臣や枢密院議長を歴任した。男爵、法学博士。幼名は亀太郎。.

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原文兵衛

原 文兵衛(はら ぶんべえ、1913年(大正2年)4月29日 - 1999年(平成11年)9月7日)は、日本の内務官僚、政治家。位階は従二位、勲等は勲一等旭日桐花大綬章。 参議院議長(第20代)、環境庁長官(第13代)、自由民主党参議院議員会長(第17代)、女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)の理事長等を歴任した。 妻の光子は町村農場創設者・町村敬貴の娘。元北海道知事の町村金五は妻の叔父、衆議院議員の町村信孝は妻の従弟にあたる。娘婿は参議院議員の中川雅治。.

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原敬

原 敬(はら たかし、安政3年2月9日(1856年3月15日) - 大正10年(1921年)11月4日)は、日本の外交官、政治家。位階勲等は正二位大勲位。幼名は健次郎。号は一山、逸山。 外務次官、大阪毎日新聞社社長、立憲政友会幹事長、逓信大臣(第11・16代)、衆議院議員、内務大臣(第25・27・29代)、立憲政友会総裁(第3代)、内閣総理大臣(第19代)、司法大臣(第22代)などを歴任した。 郵便報知新聞記者を経て外務省に入省。後に農商務省に移って陸奥宗光や井上馨からの信頼を得た。 陸奥外務大臣時代には外務官僚として重用されたが、陸奥の死後退官。その後、発足時から政友倶楽部に参加して政界に進出。大正7年(1918年)に総理大臣に就任。爵位の受け取りを固辞し続けたため「平民宰相」と渾名された。 大正10年(1921年)11月4日、東京駅丸の内南口コンコースにて、大塚駅の駅員であった右翼青年・中岡艮一に襲撃され、殺害された。満。墓所は岩手県盛岡市の大慈寺。 有職読みの「はら けい」が用いられるケースもある(原敬記念館、原敬日記など)。 足尾銅山の副社長にも就いていた。.

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博義王

博義王(ひろよしおう、1897年(明治30年)12月8日 - 1938年(昭和13年)10月19日)は、明治・大正期の伏見宮家の皇族、海軍軍人。 最終階級は海軍大佐昭和天皇実録七649-650頁「博義王略歴」「告示◎宮内告示第二十七號 海軍大佐大勲位博義王殿下本日午前二時東京府東京市麹町區紀尾井町四番地伏見宮邸ニ於テ薨去セラル 昭和十三年十月十九日 宮内大臣 松平恒雄|敍任◎昭和十三年十月十九日 海軍中佐大勲位博義王 任海軍大佐|◎宮廷録事(略)◎博義王殿下御容体 海軍大佐大勲位博義王殿下ニハ去ル八月二十八日以來軽微ナル御持病ノ氣管支喘息御發作アリシモ比較的輕易ニ拝セシカ本月十八日午前一時頃急劇ニ激烈ナル御發作アリ今十九日午前一時再ヒ強烈ナル御發作アリ種々御手當申上ケタルモ同二時心臓麻痺ニテ薨去遊ハサル」。 伏見宮第25代当主の伏見宮博恭王第1王子。伏見宮の継承はしていないが、伏見宮博義王と通称されることもある。.

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南弘

南 弘(みなみ ひろし、1869年11月13日(明治2年10月10日) - 1946年(昭和21年)2月8日)は、日本の官僚・政治家。.

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南部甕男

南部 甕男(なんぶ みかお、弘化2年6月15日(1845年7月19日) - 1923年(大正12年)9月19日)は、明治期の日本の司法官僚。正二位勲一等男爵。号は南陽。.

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南次郎

南 次郎(みなみ じろう、1874年(明治7年)8月10日 - 1955年(昭和30年)12月5日)は、日本の陸軍軍人。陸軍大将正二位勲一等功四級。.

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古市公威

古市 公威(ふるいち こうい、嘉永7年閏7月12日(1854年9月4日) - 昭和9年(1934年)1月28日)は、日本の学者。工学博士。帝国大学工科大学初代学長。東京仏学校(法政大学の前身の一つ)初代校長。土木学会初代会長、日本工学会理事長(会長)、理化学研究所第2代所長。東京帝国大学名誉教授。男爵。 帝国大学工科大学長・土木学会長・工学会(日本工学会)理事長として、日本近代工学ならびに土木工学の制度を創った。.

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古賀峯一

古賀 峯一(こが みねいち、1885年(明治18年)9月25日 - 1944年(昭和19年)3月31日)は、日本の海軍軍人。第28代連合艦隊司令長官。海軍乙事件にて殉職。最終階級は、殉職による特旨で元帥海軍大将。.

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台湾総督府

台湾総督府(たいわんそうとくふ、旧字体:臺灣總督府)は、日清戦争の結果清国から割譲された台湾を統治するために設置された日本の出先官庁。 台北市に設置された台湾総督府本庁舎は、今日でも中華民国の総統府として使用されている。.

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参謀本部 (日本)

参謀本部(さんぼうほんぶ)は、大日本帝国陸軍(1903年〔明治36年〕までは海軍の軍令を統括した)の軍令を司った機関。 参謀総長(最終的な名称)を長として、作戦計画の立案等を職務とする。なお、軍政は陸軍省が担当したが、軍政と軍令を明確に分けることは不可能で、広範囲にあいまいな領域が生じた結果、混乱を招くことにもなった。 なお、1886年(明治19年)から1888年(明治21年)までの間、海軍の軍令機関が陸軍と統合されていた時期を除いた、海軍の軍令機関(明治21年乃至明治22年の海軍参謀本部を含む)については軍令部を参照。 当初は、陸軍省等とともに彦根藩井伊家上屋敷跡三宅坂一帯(現在は、憲政記念館等が立地する国会前庭(千代田区永田町))に置かれたが、1941年(昭和16年)12月 - 8日から15日にかけて、陸軍省、教育総監部、陸軍航空総監部共々、三宅坂一帯から市ヶ谷台の陸軍士官学校跡地(現在、防衛省が所在)に移転した。.

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参議

参議(さんぎ)は、日本の朝廷組織の最高機関である太政官の官職の一つである。四等官の中の次官(すけ)に相当する令外官で、納言に次ぐ。唐名(漢風名称)は宰相・相公・平章事・諫議大夫。和訓はおほまつりことひと。 宮中の政(朝政)に参議するという意味で、朝政の議政官に位置する。.

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参議院議長

参議院議長(さんぎいんぎちょう)は、参議院において秩序を保持し、議事を整理し、議院の事務を監督し、参議院を代表する役職(国会法19条)。なお、参議院議長の職務を代行する職である参議院副議長や仮議長についても述べる。.

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坂田道太

坂田 道太(さかた みちた、1916年7月18日 - 2004年1月13日)は、日本の政治家。 衆議院議長(第64代)、法務大臣(第40代)、防衛庁長官(第33代)、文部大臣(第91・92代)、厚生大臣(37代)、衆議院議員(17期)等を歴任した。 父は衆議院議員や八代市長を務めた坂田道男。.

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多嘉王

多嘉王(たかおう、1875年(明治8年)8月17日 - 1937年(昭和12年)10月1日)は、日本の皇族。久邇宮朝彦親王の第五王子。伊勢神宮祭主となる。.

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大垣藩

大垣藩(おおがきはん)は、美濃国大垣周辺を支配した藩。藩庁は大垣城(現在の岐阜県大垣市郭町2丁目)に置かれた。 江戸時代初期には短期間で藩主として4家が交替したが、寛永12年(1635年)以降は戸田氏が10万石で入り、幕末・明治維新期まで存続した。.

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大山巌

大山 巌(おおやま いわお、、天保13年10月10日(1842年11月12日) - 大正5年(1916年)12月10日)は、日本の武士(薩摩藩士)、陸軍軍人、政治家。幼名は岩次郎。通称は弥助。雅号は赫山、瑞岩。字は清海。称号・階級は元帥陸軍大将。栄典(位階勲等および爵位)は従一位大勲位功一級公爵。 大警視(第2代)、陸軍大臣(初・2・3・4・6・7代)、陸軍参謀総長(第4・6代)、文部大臣(臨時兼任)、内大臣(第5代)、元老、貴族院議員を歴任した。西郷隆盛・従道兄弟は従兄弟にあたる。.

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大島健一

大島 健一(おおしま けんいち、1858年6月19日(安政5年5月9日) - 1947年(昭和22年)3月24日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。陸軍大臣、貴族院勅任議員、大東文化学院総長(第3代)などを歴任した。 陸軍中将、駐ドイツ大使の大島浩は長男、日本大学農獣医学部教授を務めた箕作祥一は孫。.

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大島久直

大島 久直(おおしま ひさなお、1848年10月1日(嘉永元年9月5日) - 1928年(昭和3年)9月27日)は、日本の陸軍軍人、華族。軍事参議官、教育総監、近衛師団長等を歴任し、官位は陸軍大将正二位勲一等功二級子爵に昇る。.

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大島義昌

大島 義昌(おおしま よしまさ、嘉永3年8月15日(1850年9月20日) - 大正15年(1926年)4月10日)は、日本の武士(長州藩士)、陸軍軍人、華族。関東都督、軍事参議官、第3師団長等を歴任する。官位は陸軍大将正二位勲一等功二級子爵。第90・96・97代内閣総理大臣の安倍晋三は玄孫にあたる(安倍の父方の祖母・本堂静子が大島の孫娘)。.

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大久保春野

大久保 春野(おおくぼ はるの、弘化3年8月18日(1846年10月8日) - 1915年(大正4年)1月26日)は、日本の陸軍軍人、華族。朝鮮駐剳軍司令官、第3師団長、第6師団長等を歴任する。階級は陸軍大将従二位勲一等功二級男爵。.

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大勲位

大勲位(だいくんい).

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大勲位菊花大綬章

大勲位菊花大綬章(だいくんい きっか だいじゅしょう、英訳名: Grand Cordon of the Supreme Order of the Chrysanthemum)は、日本の勲章の一つ。1876年(明治9年)12月27日に制定され、最高位である大勲位菊花章頸飾に次ぐ勲章である。.

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大納言

大納言(だいなごん)は、太政官に置かれた官職のひとつ。太政官においては四等官の次官(すけ)に相当する。訓読みは「おほいものまうすのつかさ」。唐名は亜相または亜槐。丞相・槐門(いずれも大臣のこと)に次ぐ者であることからいう。官位相当は三品・四品または正三位。.

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大給恒

大給 恒(おぎゅう ゆずる)は、日本の大名、政治家、華族。三河奥殿藩の第8代藩主、のちに信濃田野口藩(竜岡藩)の藩主。奥殿藩大給松平家10代で最後の藩主。江戸幕府の老中格、老中、若年寄。明治維新後は伯爵となる。日本赤十字社の創設者の一人として知られる。旧名は松平 乗謨(まつだいら のりかた)。.

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大隈重信

大隈 重信(おおくま しげのぶ、天保9年2月16日(1838年3月11日) - 大正11年(1922年)1月10日)は、日本の武士(佐賀藩士)、政治家、教育者。位階勲等爵位は従一位大勲位侯爵(公爵)。菅原姓。 政治家としては参議兼大蔵卿、外務大臣(第3・4・10・13・28代)、農商務大臣(第11代)、内閣総理大臣(第8・17代)、内務大臣(第30・32代)、貴族院議員などを歴任した。早稲田大学の創設者であり、初代総長である。.

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大角岑生

大角 岑生(おおすみ みねお、明治9年(1876年)5月1日 - 昭和16年(1941年)2月5日)は、大正から昭和にかけての日本の海軍軍人、政治家、華族。海軍大将。男爵。愛知県出身で本籍は高知県。.

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大谷喜久蔵

大谷 喜久蔵(おおたに きくぞう、1856年2月4日(安政2年12月28日) - 1923年(大正12年)11月26日)は、日本の陸軍軍人、華族。 陸士旧2期。 教育総監・浦塩派遣軍司令官・軍事参議官・青島守備軍司令官等を歴任し、官位は陸軍大将従二位勲一等功一級男爵に至る。.

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大迫尚敏

大迫 尚敏(おおさこ なおはる、天保15年11月15日(1844年12月24日) - 昭和2年(1927年)9月20日)は、日本の武士・薩摩藩士、陸軍軍人、華族。学習院長、第7師団長等を務める。栄典は陸軍大将正二位勲一等功二級子爵。.

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大野伴睦

大野 伴睦(おおの ばんぼく、本名:大野 伴睦(おおの ともちか)、1890年(明治23年)9月20日 - 1964年(昭和39年)5月29日)は日本の政治家。 東京市会議員を経て衆議院議員となり、衆議院議長、国務大臣北海道開発庁長官、日本自由党幹事長、自民党副総裁を務めた。没後、従二位勲一等旭日桐花大綬章。 典型的な党人政治家として知られ、「伴ちゃん」の愛称で親しまれた。また、「政治は義理と人情だ」「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人だ」等の名言を残した。 タカ派の政策集団・青嵐会を結成し、後に農林水産大臣・科学技術庁長官などを務めた中川一郎の政界での師匠として知られる。.

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大森鍾一

大森 鍾一(おおもり しょういち、安政3年5月14日(1856年6月16日) - 昭和2年(1927年)3月3日)は、日本の内務官僚、政治家。貴族院議員、枢密顧問官、皇太后宮大夫、男爵。.

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大濱信泉

大濱 信泉(おおはま のぶもと、1891年10月5日 - 1976年2月13日)は、日本の法学者(専門は商法)・教育者。第7代早稲田大学総長(1954年 - 1966年)。旧名大濱 信陪。妻は評論家の大浜英子。.

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大木喬任

大木 喬任(おおき たかとう、1832年4月23日(天保3年3月23日)– 1899年(明治32年)6月26日)は、日本の佐賀藩の武士、政治家。通称を幡六、民平。勲等は勲一等、爵位は伯爵。.

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大日本帝国憲法

憲法発布略図1889年(明治22年)、楊洲周延画 新皇居於テ正殿憲法発布式之図1889年(明治22年)、安達吟光画 大日本帝国憲法(だいにほんていこくけんぽう、だいにっぽんていこくけんぽう、旧字体:大日本帝國憲法)は、1889年(明治22年)2月11日に公布、1890年(明治23年)11月29日に施行された、外見的立憲主義に基づく日本の憲法 大日本帝国憲法には、表題に「大日本帝国」が使用されているが、詔勅では「大日本憲法」と称しており、正式な国号と規定されたものではない。「大日本帝国」が正式な国号と規定された1936年(昭和11年)まで、他に「日本国」「日本」等の名称も使用された。。 明治憲法(めいじけんぽう)、あるいは単に帝国憲法(ていこくけんぽう)と呼ばれることも多い。現行の日本国憲法との対比で旧憲法(きゅうけんぽう)とも呼ばれる。 短期間で停止されたオスマン帝国憲法を除けば実質上のアジア初の近代憲法である。1947年(昭和22年)5月3日の日本国憲法施行まで半世紀以上の間正確には56年5か月4日(20608日)、一度も改正されることはなかった。1947年(昭和22年)5月2日まで存続し、1946年(昭和21年)11月3日に第73条の憲法改正手続による公布を経て、翌1947年(昭和22年)5月3日に日本国憲法が施行された。.

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太政官布告・太政官達

太政官布告(だじょうかんふこく)・太政官達(だじょうかんたっし)とは、ともに太政官によって公布された明治時代初期の法令の形式である。.

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外務大臣 (日本)

外務省庁舎 外務大臣(がいむだいじん、)は、日本の外交を担当し、外務省を所管する国務大臣。略称は外相(がいしょう)。現在の外務大臣は、河野太郎(第138代)。.

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奥保鞏

奥 保鞏(おく やすかた、弘化3年11月19日(1847年1月5日) - 昭和5年(1930年)7月19日)は、明治の陸軍軍人。官位は元帥陸軍大将従一位大勲位功一級伯爵。.

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奈良武次

奈良 武次(なら たけじ、慶応4年4月6日(1868年4月28日) - 昭和37年(1962年)12月21日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。男爵。.

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宮中席次

宮中席次(きゅうちゅうせきじ)とは、公的な宮中行事における席次のこと。.

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宮内省

宮内省(くないしょう)は、1947年(昭和22年)まで日本に存在した官庁名。古代のものと近代のものがあり、近代のものが1949年(昭和24年)以降の宮内庁の前身となる。.

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官報

官報を販売していた霞が関政府刊行物サービス・センター 『官報』(かんぽう)は、日本国の機関紙である。国としての作用に関わる事柄の広報および公告をその使命とする。.

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宇垣一成

宇垣 一成(うがき かずしげ、慶応4年6月21日(1868年8月9日) - 昭和31年(1956年)4月30日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍大将。 大正末期から昭和初期にかけて長州出身者に代わって陸軍の実権を握り、宇垣閥と称される勢力を築いた。陸軍大臣として宇垣軍縮を断行したほか、クーデター未遂計画である三月事件に関与した。予備役入り後に組閣の大命が下ったが陸軍の反対で頓挫し、以後も幾度か首相に擬せられたがいずれも実現しなかった。短期間外相を務めた後公職から引退し、戦後になり参議院議員となったが在職中に死去した。.

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宇都宮太郎

宇都宮 太郎(うつのみや たろう、文久元年3月18日(1861年4月27日) - 1922年(大正11年)2月15日)は、日本の陸軍軍人。イギリス大使館付武官、参謀本部第二部長、第7師団長、第4師団長、三・一運動時の朝鮮軍司令官、軍事参議官を歴任した。階級は陸軍大将、位階・勲等は正三位勲一等功三級。桂太郎、仙波太郎と共に「陸軍の三太郎」と呼ばれる。最近15年分の日記を遺族が公開し、2007年4月から11月にかけて出版された。いわゆる「佐賀の左肩党」の盟主で、皇道派の荒木貞夫・真崎甚三郎の庇護者でもあった。子息にミノファーゲン社長・衆議院議員の宇都宮徳馬。.

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宇野宗佑

宇野 宗佑(うの そうすけ、1922年(大正11年)8月27日 - 1998年(平成10年)5月19日)は、日本の政治家。位階は従二位。勲等は勲一等。 滋賀県議会議員(2期)、滋賀県議会副議長(第45代)、衆議院議員(12期)、防衛庁長官(第32代)、科学技術庁長官(第31代)、行政管理庁長官(第44代)、通商産業大臣(第44代)、外務大臣(第115代)、内閣総理大臣(第75代)、自由民主党国会対策委員長、自由民主党総裁(第13代)などを歴任。平成の内閣総理大臣で学士の学位を持たない唯一の人物である。.

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宇治家彦

宇治 家彦(うじ いえひこ、1920年(大正9年)3月17日 - )は、日本の元皇族。久邇宮多嘉王の第2王子。旧名は家彦王。のちに臣籍降下。伯爵。京都帝国大学卒。海軍技術大尉。.

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安井謙

安井 謙(やすい けん、1911年3月22日 - 1986年3月10日)は、日本の政治家。参議院議長(第13代)、参議院副議長(第11代)、自治大臣(第4代)、国家公安委員会委員長(第13代)、総理府総務長官(第14代)、参議院議院運営委員長(第16代)、自由民主党参院議員会長(第9代)・参議院幹事長、参議院議員(6期)等を歴任した。 兄は戦後、公選の初代東京都知事を務めた安井誠一郎。.

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安倍晋太郎

安倍 晋太郎(あべ しんたろう、1924年(大正13年)4月29日 - 1991年(平成3年)5月15日)は、日本の政治家。 衆議院議員、農林大臣、官房長官、通産大臣、外務大臣、自民党国対委員長、自民党政調会長、自民党総務会長、自民党幹事長を歴任。.

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安達峰一郎

安達 峰一郎(あだち みねいちろう、1869年7月27日(明治2年6月19日) - 1934年(昭和9年)12月28日)は、日本の外交官・国際法学者。 アジア系として初の常設国際司法裁判所の所長(判事としては国内2人目)となるが、所長就任早々、祖国の日本が満州事変を起こし国際連盟を脱退することになる。所長3年の任期を終え、1934年(昭和9年)1月から平判事になったが、日本の国際連盟脱退問題の悩みから6月に体調を崩し、8月に重い心臓病を発症。同年12月28日にアムステルダムの病院で死去した。このときオランダは国葬の礼をもって、国際平和に尽力した多大の功績と栄誉を称えた。 1968年(昭和43年)より優れた国際法の研究業績をあげた研究者に対し安達の名前を冠した「安達峰一郎記念賞」が授賞されている。 曾孫に詩人の河津聖恵。.

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安東貞美

安東 貞美(あんどう さだよし、ていび、嘉永6年8月19日(1853年10月20日) - 昭和7年(1932年)8月29日)は、日本の陸軍軍人。朝鮮駐剳軍司令官、第10師団長、第12師団長、台湾総督などを歴任した。階級は陸軍大将勲一等功三級。勲功により男爵に叙爵された。.

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寺内正毅

寺内 正毅(てらうち まさたけ読みは「まさたけ」が一般的だが、「まさたか」(「陸海軍将官人事総覧 陸軍篇」)、「まさかた」(「歴代陸軍大将全覧(明治編)」)など異なる読み方がある。、、嘉永5年2月5日(1852年2月24日) - 大正8年(1919年)11月3日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級位階勲等功級爵位は元帥陸軍大将従一位大勲位功一級伯爵。書の雅号は桜圃、魯庵。「ビリケン宰相」の異名を持つ。 陸軍大臣(第15・16・17代)、外務大臣(第22・31代)、韓国統監(第3代)、朝鮮総督(初代)、内閣総理大臣(第18代)、大蔵大臣(第22代)などを歴任した。 明治から大正にかけて陸軍軍人として活躍し、第1次桂内閣では児玉源太郎の後任として陸軍大臣に就任した。以来、第1次西園寺内閣や第2次桂内閣でも陸軍大臣を務めた。その後、曾禰荒助の後任として韓国統監に就任し、日本への併合を推し進めた。韓国併合後は朝鮮総督に就任した。のちに内地に帰還すると、寺内内閣を発足させ、内閣総理大臣を務めるとともに、外務大臣や大蔵大臣といった国務大臣を兼任した。なお、元帥府に列せられていることから、階級を呼称する際には元帥の称号を冠して「元帥陸軍大将」と称される。.

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富井政章

富井 政章(とみい まさあき、1858年10月16日(安政5年9月10日)- 1935年9月14日)は、日本の法学者、教育者。法学博士。帝国大学法科大学(現東京大学法学部)教授、帝国大学法科大学長、貴族院勅選議員、枢密顧問官等を歴任。法典調査会民法起草委員。和仏法律学校(現法政大学)校長。京都法政学校(現立命館大学)初代校長、立命館大学初代学長。男爵。.

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小松輝久

小松 輝久(こまつ てるひさ、1888年(明治21年)8月12日 - 1970年(昭和45年)11月5日)は、北白川宮家出身の華族、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。皇族時代は(北白川宮)輝久王(てるひさおう)という。従二位勲一等侯爵。墓所は東京都文京区にある護国寺。 伊勢神宮大宮司の小松揮世久は孫にあたる。.

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小村壽太郎

小村 寿太郎(こむら じゅたろう、壽太郞、1855年10月26日(安政2年9月16日) - 1911年(明治44年)11月26日)は、日本の外交官、政治家。外務大臣、貴族院議員(侯爵終身)などを務めた。侯爵。初代拓務次官の小村欣一は長男。.

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山尾庸三

山尾 庸三(やまお ようぞう、天保8年10月8日(1837年11月5日) - 1917年(大正6年)12月22日)は、幕末から大正時代の長州藩士、官僚。子爵。長州藩重臣で寄組繁沢氏の給領地庄屋であった山尾忠治郎の二男。周防国吉敷郡二島村(現・山口県山口市秋穂二島)出身。木戸幸一(太平洋戦争時の昭和天皇側近)の外祖父(長女の寿栄が木戸の母)に当たる。.

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山川健次郎

山川 健次郎(やまかわ けんじろう、1854年9月9日(安政元年閏7月17日) - 1931年(昭和6年)6月26日)は明治時代から昭和初期にかけての日本の物理学者、教育者。男爵、理学博士。会津藩出身で白虎隊の兵士として明治政府と戦ったが、後に国費で米国留学をして東京帝国大学(東京大学の前身)に登用された。理科大学長・総長、九州帝国大学(九州大学の前身)初代総長、私立明治専門学校(九州工業大学の前身)総裁、京都帝国大学(京都大学の前身)総長、旧制武蔵高等学校(武蔵中学校・高等学校の前身)校長、貴族院議員、枢密顧問官を歴任した。.

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山下源太郎

山下 源太郎(やました げんたろう、文久3年7月30日(1863年8月26日) - 昭和6年(1931年)2月18日)は、明治、大正時代の日本海軍軍人、華族。位階・勲等・功級・爵位は、海軍大将・正二位・勲一等・功三級・男爵。日露戦争時の軍令部作戦班長(のちの作戦部長)、連合艦隊司令長官、軍令部長などを歴任した。.

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山縣伊三郎

山縣 伊三郎(やまがた いさぶろう、1858年2月6日(安政4年12月23日) - 1927年(昭和2年)9月24日)は、日本の官僚。元老山縣有朋の養子で公爵を継いだ。旧姓は勝津。妻は加藤弘之の娘の隆子。息子は有道、三郎と養子の有光。.

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山縣有朋

山県 有朋(やまがた ありとも、天保9年閏4月22日(1838年6月14日) - 大正11年(1922年)2月1日)は、日本の武士(長州藩士)、陸軍軍人、政治家。階級位階勲等功級爵位は元帥陸軍大将従一位大勲位功一級公爵。内務大臣(初・第2・第3代)、内閣総理大臣(第3・9代)、元老、司法大臣(第7代)、枢密院議長(第5・9・11代)、陸軍第一軍司令官、貴族院議員、陸軍参謀総長(第5代)などを歴任した。 長州藩領内の蔵元仲間山縣三郎有稔(ありとし)の子として生まれた。幼名は辰之助、通称は小助、後に小輔、さらに狂介と改名。明治維新後は有朋の諱を称した。高杉晋作が創設した奇兵隊に入って頭角を現し、後に副官である奇兵隊の軍監となる。 明治政府では軍政家として手腕をふるい、日本陸軍の基礎を築いて「国軍の父」とも称されるようになった。官僚制度の確立にも精力を傾け、門閥や情実だけで官僚文官官吏が登用されることのないように文官試験制度を創設し、後進を育成。山県が軍部・政官界に築いた幅広い人脈は「山県系」「山県閥」などと称される。 晩年も、陸軍のみならず政官界の大御所、「元老中の元老」として隠然たる影響力を保ち、「日本軍閥の祖」の異名をとった。ただし国政に深く関与するようになってからも、自身では「わしは一介の武弁」と称するのが常であった。伊藤博文と並び、明治維新期に低い出自から栄達を遂げた代表的人物である。 自身が得た最高位の階級は陸軍大将だが、元帥府に列せられ元帥の称号を得ており、元帥陸軍大将と呼称された。国外でも大英帝国のメリット勲章など、勲章を多数受章している。.

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山田顕義

山田 顕義学術誌、研究書、文部科学省検定教科書における歴史人物としての表記は「山田顕義」、新聞報道や『職員録』など存命中の印刷物における表記は「山田顯義」、御署名原本(法令などの天皇署名の原本)における山田本人の署名は「山田顕義」である。-->(やまだ あきよし、顯義、天保15年旧暦10月9日(西暦換算1844年11月18日) - 明治25年(1892年)11月11日)は、日本の幕末の武士、長州藩士、明治時代の政治家、陸軍軍人。諱ははじめ顕孝、のち顕義と改めた。幼名は市之允(いちのじょう)。号に養浩斎(ようこうさい)・狂痴(きょうち)・韓峰山人(かんぽうさんじん)、不抜(ふばつ)、空斎(くうさい)など。山田 空斎(やまだ くうさい)としても知られる。階級は陸軍中将、正二位勲一等、伯爵。 明治維新期の軍人として新政府に貢献するとともに、新日本の設立者として、近代日本の法典整備に力を尽くした、ため「法典伯」と呼ばれた。 長門国出身。吉田松陰が営む松下村塾に最年少の14歳で入門、最後の門下生となる。25歳の時に戊辰戦争で討伐軍の指揮をとる。その際、西郷隆盛から「あの小わっぱ、用兵の天才でごわす」、見事な軍才から「用兵の妙、神の如し」との名言がある。岩倉使節団の一員としてフランスを訪問した際、ナポレオン法典と出会い、「法律は軍事に優先する」ことを確信し、以後一貫して法律の研究に没頭する。約9年間にわたり司法大臣として近代国家の骨格となる明治法典を編纂した。.

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山階宮菊麿王

山階宮菊麿王(やましなのみや きくまろおう、1873年(明治6年)7月3日 - 1908年(明治41年)5月2日)は、日本の皇族、海軍軍人。山階宮晃親王の第一王子。母は家女房中条千枝子。官位は海軍大佐大勲位功四級。.

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山階宮武彦王

山階宮武彦王(やましなのみや たけひこおう、1898年(明治31年)2月13日 - 1987年(昭和62年)8月10日)は、日本の皇族。山階宮菊麿王と同妃範子(先妻)の第一王子。海軍少佐。海軍航空隊に所属し、空の宮様とも呼ばれた。.

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山階芳麿

山階 芳麿(やましな よしまろ、1900年(明治33年)7月5日 - 1989年(平成元年)1月28日)は、日本の元皇族。旧名、芳麿王。山階宮菊麿王と同妃範子(先妻)の第二王子。 山階鳥類研究所の創設者。階級は陸軍中尉。位階勲等は正三位勲一等。爵位は侯爵。学位は理学博士(北海道帝国大学)。生前に受けた栄誉及び表彰歴としては第1級ゴールデンアーク勲章受勲及びジャン・デラクール賞受賞などがある。.

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山本達雄 (政治家)

勲一等旭日桐花大綬章を佩用した山本達雄 山本 達雄(やまもと たつお、安政3年3月3日(1856年4月7日) - 1947年(昭和22年)11月12日)は、明治後期から戦前昭和期の日本の銀行家・政治家。43歳で第5代日本銀行総裁に就任後、政界に転じて貴族院議員、日本勧業銀行総裁、大蔵大臣・農商務大臣・内務大臣・立憲民政党の最高顧問を歴任した。 位階は正二位。勲等は勲一等。爵位は男爵。号は竹渓。.

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岡崎勝男

岡崎 勝男(おかざき かつお、1897年7月10日 - 1965年10月10日)は、日本の政治家、外交官。元内閣官房長官・外務大臣。第二次世界大戦後、吉田茂によって推進された対米協調外交において重要な役割を担った人物。.

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岡田啓介

岡田 啓介(おかだ けいすけ、1868年2月14日(慶応4年旧暦1月21日当時の時刻では2月13日(旧暦1月20日)深夜。旧暦では、夜明けを以て1日の始まりとしたため。) - 1952年(昭和27年)10月17日)は、日本の軍人、政治家。最終階級は海軍大将。栄典は勲一等功三級。 田中義一内閣で海軍大臣をつとめたのち、斎藤内閣でも海軍長老として海軍大臣を再び拝命して五・一五事件後の騒然とした海軍省部内を収めた。その斎藤内閣が瓦解したあと大命降下を受けて内閣総理大臣に就任、岡田内閣では一時拓務大臣と逓信大臣を兼任している。二・二六事件で総理官邸を青年将校に襲撃されたが奇跡的に難を逃れた。 総理退任後も重臣として度々枢機に預かったが、第二次世界大戦中は東条内閣打倒を自らの責務ととらえ倒閣運動を主導した。晩年に口述した『岡田啓介回顧録』はこの動乱の時代を知る上での貴重な史料となっている。.

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岡田良平

岡田 良平(おかだ りょうへい、1864年6月7日(元治元年5月4日) - 1934年(昭和9年)3月23日)は明治時代から昭和初期にかけての日本の文部官僚、政治家。号は恭堂。 旧制山口高等学校(山口大学の前身の一つ)校長、京都帝国大学(京都大学の前身)総長、文部次官・大臣、東洋大学学長、大日本報徳社社長、産業組合中央会会頭、貴族院議員、枢密顧問官を歴任した。.

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岡野敬次郎

岡野 敬次郎(おかの けいじろう、1865年11月9日(慶応元年9月21日) - 1925年(大正14年)12月23日)は、日本の官僚、政治家、法学者。男爵。法制局長官(第11代、第13代、第15代)司法大臣(第25代)、農商務大臣(第33代)、文部大臣(第41代)、枢密院副議長(第9代)、東京帝国大学法学部教授、中央大学学長を務めた。.

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岡沢精

岡沢 精(おかざわ くわし、弘化元年7月7日(1844年8月20日) - 1908年(明治41年)12月12日)は、日本の陸軍軍人、華族。陸軍大将正二位勲一等功二級子爵。.

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岩倉具定

岩倉 具定(いわくら ともさだ、嘉永4年12月27日(1852年1月18日) - 明治43年(1910年)4月1日)は、日本の政治家。第4代宮内大臣、貴族院議員。.

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岸信介

岸 信介(きし のぶすけ、1896年〈明治29年〉11月13日 - 1987年〈昭和62年〉8月7日)は、日本の政治家、官僚。旧姓佐藤(さとう)。満州国総務庁次長、商工大臣(第24代)、衆議院議員(9期)、自由民主党幹事長(初代)、自由民主党総裁 (第3代) 、外務大臣(第86・87代)、内閣総理大臣臨時代理、内閣総理大臣(第56・57代)皇學館大学総長 (第2代) などを歴任し、「昭和の妖怪」と呼ばれた。.

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島村速雄

島村 速雄(しまむら はやお、安政5年9月20日(1858年10月26日) - 大正12年(1923年)1月8日)は、日本の海軍軍人。元帥海軍大将正二位勲一等功二級男爵。高知県出身。海南学校出身。二男は立花和雄(立花伯爵家を継承)。 「非常な秀才で智謀は底が知れない、軍人には珍しいほど功名主義的な所が無い、生涯はつねに他者に功を譲ることを貫いた、天性のひろやかな度量のある人物」などと評される。.

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島津忠義

島津 忠義(しまづ ただよし)は、幕末から明治時代の大名、華族。薩摩藩の第12代(最後)の藩主で、島津氏第29代当主。官位は従一位参議。勲等は勲一等、公爵。 幼名は壮之助。通称は又次郎。元服後の初名は忠徳(ただのり)だったが、藩主在任中は茂久(もちひさ)を名乗る。なお、忠義は維新後の慶応4年(1868年)1月16日に改名した諱である。 第125代天皇・明仁の曽祖父である。.

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川島正次郎

川島 正次郎(かわしま しょうじろう、1890年(明治23年)7月10日 - 1970年(昭和45年)11月9日)は日本の政治家。旧姓柳原。栄典は従二位勲一等旭日桐花大綬章。衆議院議員(14期)、自治庁長官(第5代)、行政管理庁長官(第13・22代)等を歴任した。.

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川上操六

川上 操六(かわかみ そうろく、嘉永元年11月11日(1848年12月6日) - 明治32年(1899年)5月11日)は、日本の陸軍軍人、華族。官位は参謀総長・陸軍大将。栄典は従二位・勲一等・功二級・子爵。幼名宗之丞。長男の素一は陸軍少佐、娘は小原伝陸軍中将に嫁ぐ。桂太郎、児玉源太郎とともに、「明治陸軍の三羽烏」とされる。.

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川村純義

川村 純義(かわむら すみよし、天保7年11月11日(1836年12月18日) - 明治37年(1904年)8月12日)は、日本の武士・薩摩藩士、海軍軍人。階級は海軍大将。栄典は従一位勲一等伯爵。鹿児島県出身。通称は与十郎。.

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川村景明

川村 景明(かわむら かげあき、嘉永3年2月26日(1850年4月8日) - 大正15年(1926年)4月28日)は、日本の陸軍軍人、華族。東京衛戍総督、鴨緑江軍司令官等を歴任した。官位は元帥陸軍大将従一位大勲位功一級子爵。通称は源十郎。.

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左大臣

左大臣(さだいじん)は、朝廷の最高機関、太政官の職の一つ。唐名は「左府」「左丞相」「左相国」「左僕射」「太傅」。和訓は「ひだりのおおいもうちぎみ/ひだりのおとど」。定員1名。官位相当は正・従二位。太政大臣と左・右大臣(後に左・右大臣と内大臣)とを総称して、三公・三槐と呼ぶ。 「一上」の別称が示すとおり、太政官の職務を統べる議政官の首座として朝議を主催した。左大臣の上位の太政大臣は功労者を待遇する名誉職としての意味が強いために具体的職掌が伴わず、また「則闕(そっけつ)の官」と呼ばれたように常設職ではなかったことから、左大臣が太政官における事実上の最高位であった。事実、摂関政治の最盛期に位置する藤原道長・藤原頼通も長期にわたって左大臣の地位を保持し続けており、太政大臣であった期間はごく短い。 この他、弾正台が不当な糾弾や摘発を行った案件がある場合には、代わって弾劾する権限を持った。 「六国史」や『公卿補任』の記録を見ると、律令制初期には適任者不在のために闕官となっていた時期も少なくないが、その場合は右大臣が政務を代行した。10世紀前半の藤原忠平からほぼ常設職となる。明治維新以降も天皇を輔佐して大政を統理する職として存続したが、1885年(明治18年)内閣制度の発足に伴い廃止。.

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上原勇作

上原 勇作(うえはら ゆうさく、安政3年11月9日(1856年12月6日) - 1933年(昭和8年)11月8日)は、明治~昭和期の陸軍軍人。 元帥陸軍大将従一位大勲位功二級子爵、聖マイケル・聖ジョージ勲章ナイト・グランド・クロス(GCMG)。 陸軍大臣、教育総監、参謀総長。 日向国都城(現宮崎県都城市)出身。妻は野津道貫の娘、槙子。山縣有朋、桂太郎ら長州閥の元老凋落の後に陸軍に君臨し、強力な軍閥(上原閥)を築き上げた。 上原閥に属する者に荒木貞夫、真崎甚三郎、柳川平助、小畑敏四郎らがいた。 陸軍大臣、教育総監、参謀総長の「陸軍三長官」を歴任し、元帥府に列せられたのは帝国陸軍史上、上原と杉山元の2名のみである。.

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上村彦之丞

上村 彦之丞(かみむら ひこのじょう、嘉永2年5月1日(1849年6月20日) - 大正5年(1916年)8月8日)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。従二位勲一等功一級男爵。渾名は「船乗り将軍」。.

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中央労働委員会

中央労働委員会(ちゅうおうろうどういいんかい、略称:中労委(ちゅうろうい)、英語:Central Labor Relations Commission)は、労使間関係の調整をつかさどる日本の中央省庁の一つであり、厚生労働省の外局である。.

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中山孝麿

中山 孝麿(なかやま たかまろ、嘉永5年12月3日(1853年1月12日) - 大正8年(1919年)11月27日)は、日本の華族(侯爵)。貴族院議員。東京府麹町区区長(第6代)。山城国(京都)生まれ。中山忠愛の次男。子に中山輔親、今城定政(定徳養子)。.

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中山伊知郎

中山 伊知郎(なかやま いちろう、1898年9月20日 - 1980年4月9日)は、日本の経済学者。一橋大学初代学長、一橋大学名誉教授。日本における近代経済学の導入に貢献した。1963年から1980年まで学士院会員。1968年文化功労者。第4期日本学術会議副会長。勲一等瑞宝章受章。.

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中牟田倉之助

中牟田 倉之助(なかむた くらのすけ、天保8年2月24日(1837年3月30日) - 大正5年(1916年)3月30日)は、日本の海軍軍人。海軍大学校長、枢密顧問官、子爵。幼名は武臣。金丸孫七郎の次男だったが、中牟田家の養子となる。.

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中村覚

中村 覚(なかむら さとる、安政元年2月20日(1854年3月18日) - 大正14年(1925年)1月29日)は、日本の陸軍軍人、華族。階級は陸軍大将従二位勲一等功二級男爵に昇る。.

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中村雄次郎

中村 雄次郎(なかむら ゆうじろう、嘉永5年2月28日(1852年3月18日) - 昭和3年(1928年)10月20日)は、日本陸軍の軍人、政治家。陸軍中将正二位勲一等功四級男爵。貴族院議員。.

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中村梅吉

中村 梅吉(なかむら うめきち、1901年3月19日 - 1984年8月4日)は日本の政治家、弁護士、第57代衆議院議長(在任期間・1972年12月22日 - 1973年5月29日)。長男は元衆議院議員の中村靖。.

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中橋徳五郎

中橋 徳五郎(なかはし とくごろう、文久元年9月10日(1861年10月13日) - 昭和9年(1934年)3月25日)は、日本の政治家、実業家、官僚。大阪商船社長、衆議院議員、内務大臣、商工大臣、文部大臣を歴任。旧姓、斎藤。号は狸庵。.

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常設国際司法裁判所

常設国際司法裁判所(Permanent Court of International Justice、英語略称:PCIJ、Cour permanente de justice internationale、フランス語略称:CPJI、両言語共に正式名)は、1922年に設立された国際連盟における国際司法機関で、国際社会に初めて登場した本格的な常設の司法裁判所である杉原(2007)418頁。。オランダのハーグにある平和宮に本部を置いていた。1922年から1940年までの期間に裁判を行ったが、処理した事件の件数については38の判決と27のとする説や、21の判決と26の勧告的意見とする説がある。1940年、ナチス・ドイツがオランダに侵攻したのを機に活動を停止し、1946年4月に国際連盟とともに消滅した筒井(2002)183頁。。国際連合のもとに設立された国際司法裁判所がこれを継承した。.

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三浦梧楼

三浦 梧楼(梧樓)(みうら ごろう、弘化3年11月15日(1847年1月1日) - 大正15年(1926年)1月28日)は、日本の武士、陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。栄典は従一位勲一等子爵。号は観樹。.

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一橋大学

記載なし。

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一木喜徳郎

一木 喜德郞(いっき / いつき『平成新修旧華族家系大成』上巻、156頁。 / いちき きとくろう、慶応3年4月4日(1867年5月7日) - 昭和19年(1944年)12月17日)は、日本の内務官僚、法学者(公法学)、政治家。位階・勲等は従一位大勲位。爵位は男爵。旧氏名は岡田 丘平。 帝国大学法科大学教授、貴族院議員、法制局長官(第10代)、文部大臣(第26代)、内務大臣(第33代)、帝国学士院会員、宮内大臣(第9代)、枢密院議長(第16代)などを歴任した。.

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一戸兵衛

一戸 兵衛(いちのへ ひょうえ、安政2年6月20日(1855年8月2日) - 1931年(昭和6年)9月2日)は、日本陸軍の軍人。教育総監、軍事参議官、第1・第4・第17師団長を歴任し、軍を退いてからは学習院院長・明治神宮宮司・帝国在郷軍人会長等の公職に就く。官位は陸軍大将正二位勲一等功二級。.

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九鬼隆一

九鬼 隆一(くき りゅういち、嘉永5年8月7日(1852年9月12日)? - 昭和6年(1931年)8月18日)は、明治時代から昭和初期にかけての日本の官僚、政治家。旧綾部藩士。男爵。号は成海。 摂津国三田出身。慶應義塾に学んだのち文部省に出仕し、若くして文部少輔(現在の事務次官)にまで栄進。1884年(明治17年)、駐米特命全権公使に転じ、1888年(明治21年)に帰国すると図書頭、臨時全国宝物取調委員長、宮中顧問官、帝国博物館総長を歴任。美術行政に尽力した。また貴族院議員、次いで枢密顧問官を兼任。1900年(明治33年)に総長を退いてからは枢密顧問官を長く務めた。1914年(大正4年)には郷里に三田博物館を設立し、自らの美術コレクションを展示・公開している。四男は哲学者の九鬼周造。.

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幣原喜重郎

幣原 喜重郎(しではら きじゅうろう、1872年9月13日(明治5年8月11日) - 1951年(昭和26年)3月10日)は、日本の外交官、政治家。位階は従一位。勲等は勲一等。爵位は男爵。 外務大臣(第40・41・43・44代)、貴族院議員、内閣総理大臣臨時代理、内閣総理大臣(第44代)、第一復員大臣(初代)、第二復員大臣(初代)、復員庁総裁(初代)、副総理、衆議院議員、衆議院議長(第40代)などを歴任。.

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平山成信

平山成信(1898年) 平山 成信(ひらやま なりのぶ、嘉永7年11月6日(1854年12月25日) - 昭和4年(1929年)9月25日)は、日本の官僚。内閣書記官長、内閣総理大臣秘書官、貴族院勅選議員、宮中顧問官、枢密顧問官等を歴任。男爵。.

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平田東助

平田東助(ひらた とうすけ、嘉永2年3月3日(1849年3月26日)- 大正14年(1925年)4月14日)は、日本の明治・大正期の官僚・政治家。農商務大臣・内務大臣・内大臣を歴任する。山縣有朋の側近としても有名。また、第2次桂内閣において神社合祀を強力に推進した。 山形県米沢出身。爵位は伯爵。医師の伊東祐順は兄。息子の平田栄二は日本画家で、栄二の次男・正治は松下幸之助の娘婿となり松下電器産業会長を務めた。二男の平田昇は海軍中将となった。.

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平沼騏一郎

平沼 騏一郎(ひらぬま きいちろう、慶応3年9月28日(1867年10月25日) - 昭和27年(1952年)8月22日)は、日本の司法官僚、政治家。位階は正二位。勲等は勲一等。爵位は男爵。学位は法学博士。号は機外。 大審院検事局検事総長(第8代)、大審院長(第11代)、日本大学総長(第2代)、大東文化学院総長(初代)、財団法人大東文化協会会頭(第3代)、司法大臣(第26代)、貴族院議員、枢密院副議長(第11代)、枢密院議長(第17・21代)、内閣総理大臣(第35代)、国務大臣、内務大臣(第62代)などを歴任した。.

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乃木希典

乃木 希典(のぎ まれすけ、嘉永2年11月11日(1849年12月25日) - 1912年(大正元年)9月13日)は、日本の武士(長府藩士)、軍人、教育者。日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、明治天皇の後を慕って殉死したことで国際的にも著名である。 階級は陸軍大将。栄典は贈正二位勲一等功一級伯爵。第10代学習院長に任じられ、迪宮裕仁親王(昭和天皇)の教育係も務めた。「乃木大将」や「乃木将軍」と呼ばれることも多く、「乃木神社」や「乃木坂」に名前を残している。.

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久保田譲

久保田 譲(くぼた ゆずる、1847年6月22日(弘化4年5月10日) - 1936年(昭和11年)4月14日)は、近代日本の文部官僚、政治家。文部省草創の頃から行政に携わり、議定官、枢密顧問官、文部次官、貴族院勅選議員、文部大臣などを歴任した。位階勲等は正二位勲一等。男爵。.

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久邇宮邦彦王

久邇宮邦彦王(くにのみや くによしおう、1873年(明治6年)7月23日 - 1929年(昭和4年)1月27日)は、日本の皇族、陸軍軍人。階級及び位階勲等は軍事参議官、陸軍大将、大勲位、功四級。贈元帥、贈大勲位菊花章頸飾。 久邇宮朝彦親王の第三王子。香淳皇后(昭和天皇の皇后)の父。第125代今上天皇の外祖父。.

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久邇宮朝融王

久邇宮朝融王(くにのみや あさあきらおう、1901年(明治34年)2月2日 - 1959年(昭和34年)12月7日)は、日本の皇族、官位は海軍中将大勲位功三級。 昭和天皇の義兄。第125代今上天皇の伯父にあたる。.

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久邇邦久

久邇 邦久(くに くにひさ、1902年(明治35年)3月10日 - 1935年(昭和10年)3月4日)は、日本の華族、陸軍軍人。陸軍歩兵大尉。侯爵。 久邇宮邦彦王の第二王子。香淳皇后の次兄。第125代今上天皇の伯父に当たる。.

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床次竹二郎

床次 竹二郎(とこなみ たけじろう、慶応2年12月1日(1867年1月6日) - 昭和10年(1935年)9月8日)は、日本の官僚、政治家、衆議院議員、内務大臣、鉄道大臣、逓信大臣、政友本党総裁。鹿児島県士族『人事興信録.

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人事院

人事院(じんじいん、National Personnel Authority、略称:NPA)は、日本の行政機関の一つである。 国家公務員法の第2章に基づいて設置された「中央人事行政機関」である。国家公務員の人事管理の公正中立と統一を確保し、労働基本権制約の代償機能を果たすため、いわゆる行政委員会として人事院規則の制定改廃や不利益処分審査の判定、給与に関する勧告など、人事行政に広汎な権限を有する。人事行政の公平を保つため、その権限は内閣から独立して行使することができる。.

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二階堂進

二階堂 進(にかいどう すすむ、1909年(明治42年)10月16日 - 2000年(平成12年)2月3日)は、日本の政治家。 衆議院議員(13期)。科学技術庁長官、北海道開発庁長官、内閣官房長官、自由民主党総務会長、自由民主党幹事長、自由民主党副総裁などを歴任。鹿児島県肝属郡高山村(現、肝付町)出身。.

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広島藩

広島藩(ひろしまはん)は、安芸国一国と備後国の半分を領有した大藩で、現在の広島県の概ね半分にあたる。藩庁は広島城(現在の広島市)に置かれた。芸州藩(または安芸藩)と呼ばれることも多い。.

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井上光

井上 光(いのうえ ひかる、嘉永4年11月8日(1851年11月30日) - 1908年(明治41年)12月17日)は、日本の陸軍軍人、華族。第12師団長、第4師団長などを歴任。陸軍大将勲一等功二級男爵。墓所は山口県岩国市の普済寺。.

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井上勝之助

ンドンに滞在中の井上勝之助 井上 勝之助(いのうえ かつのすけ、文久元年7月11日(1861年8月16日) - 昭和4年(1929年)11月3日)は、日本の外交官、政治家。貴族院議員、侯爵。条約改正に尽力した。.

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井上馨

長州五傑 井上 馨(いのうえ かおる、天保6年11月28日(1836年1月16日) - 大正4年(1915年)9月1日)は、日本の武士(長州藩士)、政治家、実業家。本姓は源氏。清和源氏の一家系河内源氏の流れを汲む安芸国人毛利氏家臣・井上氏の出身で、先祖は毛利元就の宿老である井上就在。首相・桂太郎は姻戚。同時代の政治家・井上毅や軍人・井上良馨は同姓だが血縁関係はない。 幼名は勇吉、通称は長州藩主・毛利敬親から拝受した聞多(ぶんた)。諱は惟精(これきよ)。太政官制時代に外務卿、参議など。黒田内閣で農商務大臣を務め、第2次伊藤内閣では内務大臣など、要職を歴任した。栄典は従一位大勲位侯爵、元老。.

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井上良馨

井上 良馨(いのうえ よしか、弘化2年11月3日(1845年12月1日) - 昭和4年(1929年)3月22日)は、幕末から明治時代の日本の軍人。元帥海軍大将・従一位・大勲位・功二級・子爵。薩摩国(現鹿児島県)出身。.

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井深大

井深 大(いぶか まさる、1908年(明治41年)4月11日 - 1997年(平成9年)12月19日)は、日本の電子技術者および実業家。 盛田昭夫とともにソニーの創業者の一人。.

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建設大臣

建設大臣(けんせつだいじん)は、2001年1月6日まで存在した日本の中央省庁の一つ、建設省の長の職名である。また、前身の建設院総裁同様に国務大臣をもって充てられた。.

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伊藤博文

伊藤 博文(いとう ひろぶみ、天保12年9月2日(1841年10月16日) - 明治42年(1909年)10月26日)は、日本の武士(長州藩士)、政治家。位階勲等爵位は従一位大勲位公爵。諱は博文(ひろぶみ、「ハクブン」と有職読みすることもある)。幼名は利助(りすけ)、後に吉田松陰から俊英の俊を与えられ、俊輔(しゅんすけ)とし、さらに春輔(しゅんすけ)と改名した。号は春畝(しゅんぽ)で、春畝公と表記されることも多い。また小田原の別邸・滄浪閣を所持していたことから滄浪閣主人(そうろうかくしゅじん)を称して落款としても用いた。 周防国出身。長州藩の私塾である松下村塾に学び、幕末期の尊王攘夷・倒幕運動に参加。維新後は薩長の藩閥政権内で力を伸ばし、岩倉使節団の副使、参議兼工部卿、初代兵庫県知事(官選)を務め、大日本帝国憲法の起草の中心となる。初代・第5代・第7代・第10代の内閣総理大臣および初代枢密院議長、初代貴族院議長、初代韓国統監、元老を歴任した。内政では、立憲政友会を結成し初代総裁となったこと、外交では日清戦争の勝利に伴う日清講和条約の起草・調印により清国から朝鮮を独立させた(第一条)ことが特記できる。 1909年、ハルビン駅で朝鮮民族主義活動家の朝鮮人安重根に暗殺された。.

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伊藤宗一郎

伊藤 宗一郎(いとう そういちろう、1924年3月21日 - 2001年9月4日)は、日本の政治家。衆議院議員を13期務め、在任中には科学技術庁長官、防衛庁長官や衆議院議長などを歴任した。.

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伊集院五郎

伊集院 五郎(いじゅういん ごろう、嘉永5年9月28日(1852年11月9日) - 大正10年(1921年)1月13日)は、日本の海軍軍人。元帥海軍大将正二位勲一等功一級男爵。.

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伊集院彦吉

伊集院 彦吉(いじゅういん ひこきち、1864年7月22日(元治元年6月19日) - 1924年(大正13年)4月26日)は、明治、大正時代の日本の外交官。外務大臣。男爵。.

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伊東巳代治

伊東 巳代治(いとう みよじ、安政4年5月7日(1857年5月29日) - 昭和9年(1934年)2月19日)は、明治、大正、昭和期の官僚、政治家。従一位勲一等伯爵。長崎県長崎市出身。.

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伊東祐亨

伊東 祐亨(いとう ゆうこう / すけゆき、天保14年5月20日『平成新修旧華族家系大成』上巻、159頁。(1843年6月17日) - 大正3年(1914年)1月16日)は、日本の武士(薩摩藩士)、海軍軍人、華族。元帥海軍大将・従一位・大勲位・功一級・伯爵。初代連合艦隊司令長官を務めた。通称は四郎左衛門、四郎。号は碧海。家紋は庵木瓜。.

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伏見博英

伏見 博英(ふしみ ひろひで、1912年(大正元年)10月4日 - 1943年(昭和18年)8月21日)は、日本の伏見宮家(皇族)出身の伯爵(華族)である。伏見宮博恭王の第4王子。皇族時代は博英王といった。.

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伏見宮博恭王

伏見宮 博恭王(ふしみのみや ひろやすおう、1875年(明治8年)10月16日 - 1946年(昭和21年)8月16日)は、日本の皇族、海軍軍人。伏見宮貞愛親王王子。議定官、軍令部総長を務めた。栄典は元帥海軍大将大勲位功一級。初め名を愛賢王(なるかたおう)といい、華頂宮相続に当たり名を博恭と改めた。 日露戦争では連合艦隊旗艦「三笠」分隊長として黄海海戦に参加し戦傷を負う。また艦長や艦隊司令長官を務める等、皇族出身の軍人の中では実戦経験が豊富であった。.

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伯爵

伯爵(はくしゃく、、)とは爵位の一つである。侯爵の下位、子爵の上位に相当する。もともとは古代中国で使われていた名称で、近代日本の華族の五爵第3位として採用され、転じてヨーロッパの貴族の称号の訳語にも用いられるようになった。.

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位階

位階(いかい)とは、国家の制度に基づく個人の序列の標示である。位(くらい)ともいう。「位階」という語は、基本的には地位、身分の序列、等級といった意味広辞苑 第五版 p.121「位階」である。制度としての「位階」は、元は古代中国の政治行政制度である律令制や、それを継受した国における官僚・官吏の序列の標示(身分制度)である。後には、位階は、長く官職にあった者や特に功績のあった者などに与えられる栄典の一となった。位階を授与することを「位階に叙する」または叙位(じょい)という日本においては平安時代以後、宮中で例年正月5日頃に行われる五位以上の位階を授ける儀式のことも叙位(例の叙位)と言った。。.

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佐久間左馬太

佐久間 左馬太(さくま さまた、天保15年10月10日(1844年11月19日) - 大正4年(1915年)8月5日)は、日本の陸軍軍人、華族。栄典は正二位勲一等伯爵。台湾総督・東京衛戍総督・近衛師団長等を歴任し、最終階級は陸軍大将に昇る。.

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佐々木高行

佐々木 高行(ささき たかゆき、文政13年10月12日(1830年11月26日) - 明治43年(1910年)3月2日)は、日本の江戸時代末期(幕末)から明治時代の武士(土佐藩士)、政治家。爵位は侯爵。幼名は万之助、通称は三四郎。初名は高喜(たかあつ)、高春(たかはる)と称し、高行(たかのり)と改名した後に現在の呼称に変えた。佐佐木高行とも書かれる。土佐三伯の1人(他に板垣退助・後藤象二郎)。日記『保古飛呂比』の著者でもある。 藩士と郷士の身分が確立されている土佐藩の中で上士の板垣退助や谷干城と同じく、郷士に対し寛大だった人物として有名。明治政府高官の中でも保守派を代表する1人であり、明治天皇の信任を楯に政治体制を巡り伊藤博文らと争った。.

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佐賀藩

佐賀藩(さがはん)は、肥前国佐賀郡にあった外様藩。肥前藩(ひぜんはん)ともいう。鍋島氏が藩主であったことから鍋島藩(なべしまはん)と呼ばれることもある。明治維新を推進した薩長土肥のひとつである。現在の佐賀県、長崎県の一部にあたる。藩庁は佐賀城(現在の佐賀市)。 藩主ははじめ龍造寺氏、後に鍋島氏。石高は35万7千石。支藩として蓮池藩、小城藩、鹿島藩があった。.

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佐藤尚武

佐藤 尚武(さとう なおたけ、1882年(明治15年)10月30日 - 1971年(昭和46年)12月18日)は、日本の外交官・政治家。林内閣で外務大臣、戦後には参議院議長等を歴任、第二次世界大戦末期のソ連対日参戦当時の駐ソビエト連邦大使でもあった。 1931年(昭和6年)、勲一等瑞宝章。1934年(昭和9年)、勲一等旭日大綬章、没後勲一等旭日桐花大綬章と従二位を追贈される。.

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佐藤達夫 (法制官僚)

佐藤 達夫(さとう たつお、1904年5月1日 - 1974年9月12日)は、日本の法制官僚。法制局長官、人事院総裁。.

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佐野常民

佐野 常民(さの つねたみ、1823年2月8日(文政5年12月28日) - 1902年(明治35年)12月7日)は、日本の武士(佐賀藩士)、政治家。日本赤十字社の創始者。官職は枢密顧問官、農商務大臣、大蔵卿、元老院議長。勲等は勲一等。爵位は伯爵。「佐賀の七賢人」の1人。名は栄寿、栄寿左衛門。子は佐野常羽。.

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征夷大将軍

征夷大将軍(せいいたいしょうぐん 旧字体:征夷大將軍)は、朝廷の令外官の一つである。「征夷」は、蝦夷を征討するという意味。 飛鳥時代・奈良時代以来、東北地方の蝦夷征討事業を指揮する臨時の官職は、鎮東将軍・持節征夷将軍・持節征東大使・持節征東将軍・征東大将軍などさまざまにあったが、奈良末期に大伴弟麻呂が初めて征夷大将軍に任命された。征夷大将軍(征夷将軍)の下には、征夷副将軍・征夷軍監・征夷軍曹、征東将軍(大使)の下には、征東副将軍(副使)・征東軍監・征東軍曹などの役職が置かれた。 大伴弟麻呂の次の坂上田村麻呂は阿弖流為を降して勇名を馳せたが、次の文室綿麻呂が征夷将軍に任ぜられた後は途絶えた。平安中期に藤原忠文が、平安末期には源義仲が征東大将軍に任じられたが、もはや蝦夷征討を目的としたものではなかった。なお、後述のとおり、義仲が任命されたのは征東大将軍であり、従来考えられていた征夷大将軍ではなかったことが明らかにされている。 平氏政権・奥州藤原氏を滅ぼして武家政権(幕府)を創始した源頼朝は「大将軍」の称号を望み、朝廷は坂上田村麻呂が任官した征夷大将軍を吉例としてこれに任じた。以降675年間にわたり、武士の棟梁として事実上の日本の最高権力者である征夷大将軍を長とする鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府が(一時的な空白を挟みながら)続いた。慶応3年(1867年)徳川慶喜の大政奉還を受けた明治新政府が王政復古の大号令を発し、征夷大将軍職は廃止された。.

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侍従

服をまとった侍従(大阪歴史博物館) 侍従(じじゅう)とは、広義では(しばしば高貴な立場の)ある人物に付き従い、身の回りの世話などをする行為、または従う者そのものを指す。日本においては、特に天皇に側近奉仕する文官や位を意味するため、この項目ではこれについて解説する。なお、武官による侍従武官や皇太子に付される東宮侍従については、それぞれ項目を参照のこと。.

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侍従武官

侍従武官(じじゅうぶかん)とは、天皇に常時奉仕し軍事に関する奏上の伝達等に当たる武官のこと。.

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侯爵

侯爵(こうしゃく)とは、公爵の下位、伯爵の上位に相当する爵位。近代日本では華族の階級としても用いられたほか、英語でmarquessまたはmarquisと呼ばれるヨーロッパ各国の爵位や、ドイツの爵位としてのFürstの訳語にも充てられる。古代中国の爵位(五爵)の第2位。 公爵と発音が同じことから、俗に字体が似ている「候」から「そうろう-こうしゃく」と呼ばれ、区別される。.

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徳大寺実則

徳大寺 實則(とくだいじ さねつね、天保10年12月6日(1840年1月10日) - 1919年(大正8年)6月4日)は、幕末から明治期の公卿・官僚。宮内卿、内大臣、明治天皇の侍従長等を務めた。栄典は従一位大勲位公爵。.

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徳島藩

徳島藩(とくしまはん)は、阿波国(徳島県)・淡路国(兵庫県淡路島)の2国を領有した藩。藩庁は徳島城(徳島県徳島市)に置かれた。藩主は外様大名の蜂須賀氏。支藩として一時、富田藩があった。.

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徳川家達

德川 家達(徳川 家達、とくがわ いえさと、1863年8月24日 - 1940年6月5日)は、徳川宗家の16代当主。もとは田安徳川家の7代当主で、静岡藩の初代藩主。幼名は亀之助といった。号は静岳。位階、勲等、爵位は従一位大勲位公爵。世間からは「十六代様」と呼ばれた。第4代から第8代までの貴族院議長、ワシントン軍縮会議全権大使、1940年東京オリンピックの組織委員会の委員長、第6代日本赤十字社社長、華族会館館長、学習院評議会議長、日米協会会長などを歴任した。大正期には組閣の大命も受けた(拝辞)。.

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徳川慶喜

徳川 慶喜(とくがわ よしのぶ)は、江戸幕府第15代征夷大将軍(在職:慶応2年12月5日(1867年1月10日) ‐ 慶応3年12月9日(1868年1月3日))。江戸幕府最後の将軍かつ日本史上最後の征夷大将軍。 徳川将軍の中で、在任中に江戸入城を果たさなかった唯一の将軍であり、また家康を上回って最も長命だった将軍である。 御三卿一橋徳川家の第9代当主時に将軍後見職・禁裏御守衛総督など要職を務めた。徳川宗家を相続した約4ヶ月後に第15代将軍に就任。大政奉還や新政府軍への江戸開城を行なった。明治維新後に従一位勲一等公爵、貴族院議員。.

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徳永正利

徳永 正利(とくなが まさとし、1913年8月25日 - 1990年9月23日)は、日本の政治家、参議院議員。山口県出身。.

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後藤新平

後藤 新平(ごとう しんぺい、安政4年6月4日(1857年7月24日) - 昭和4年(1929年)4月13日)は、日本の医師・官僚・政治家。位階勲等爵位は正二位勲一等伯爵。 台湾総督府民政長官。満鉄初代総裁。逓信大臣、内務大臣、外務大臣。東京市第7代市長、ボーイスカウト日本連盟初代総長。東京放送局(のちの日本放送協会)初代総裁。拓殖大学第3代学長を歴任した。 計画の規模の大きさから「大風呂敷」とあだ名された、植民地経営者であり、都市計画家である。台湾総督府民政長官、満鉄総裁を歴任し、日本の大陸進出を支え、鉄道院総裁として国内の鉄道を整備した。関東大震災後に内務大臣兼帝都復興院総裁として東京の帝都復興計画を立案した(都市計画の項も参照推奨)。 甥に政治家の椎名悦三郎、娘婿に政治家の鶴見祐輔、孫に社会学者の鶴見和子、哲学者の鶴見俊輔、演出家の佐野碩、義孫に法学者の内山尚三、曾孫に歴史家の鶴見太郎をもつ。.

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従二位

従二位(じゅにい)は、日本の位階及び神階における位の一つ。正二位の下、正三位の上に位する。.

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保利茂

保利 茂(ほり しげる、1901年(明治34年)12月20日 - 1979年(昭和54年)3月4日)は、日本の政治家。 衆議院議員(12期)、内閣官房長官(第8代)衆議院議長(第59代)、労働大臣(第45、46代)、農林大臣(第19代)、自由民主党幹事長(第12代)、自由民主党総務会長(第7代)を歴任。.

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土屋義彦

土屋 義彦(つちや よしひこ、1926年(大正15年)5月31日 - 2008年(平成20年)10月5日)は、日本の政治家。 参議院議員(5期)、参議院議長(第17・18代)、環境庁長官、埼玉県知事(第54・55・56代)、埼玉県議会議員(2期)、自由民主党参議院議員会長を歴任。.

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土光敏夫

土光 敏夫(どこう としお、1896年(明治29年)9月15日 - 1988年(昭和63年)8月4日)は、昭和時代の日本のエンジニア、実業家。 石川島重工業・石川島播磨重工業 社長、東芝 社長・会長を歴任、日本経済団体連合会第4代会長に就任し、「ミスター合理化」として土光臨調でも辣腕を振るった。 他方、橘学苑の理事長、校長を創設者の母から引き継ぎ、「メザシの土光さん」としても親しまれた。 位階勲等は従二位勲一等(勲一等旭日桐花大綬章・勲一等旭日大綬章・勲一等瑞宝章)。岡山県名誉県民、岡山市名誉市民。次男の土光哲夫は東芝タンガロイの元役員。.

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土方久元

土方 久元(ひじかた ひさもと、天保4年10月12日(1833年11月23日) - 大正7年(1918年)11月4日)は、日本の武士(土佐藩士)・政治家である。爵位は伯爵。幼名は大一郎。通称は楠左衛門。号は秦山。.

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北白川宮永久王

北白川宮永久王(きたしらかわのみや ながひさおう、1910年(明治43年)2月19日 - 1940年(昭和15年)9月4日)は、日本の皇族、陸軍軍人、貴族院議員。陸軍大将北白川宮能久親王の王子北白川宮成久王の第一王子。最終階級は陸軍砲兵少佐(薨後特進)、勲等は大勲位菊花大綬章。 母は明治天皇の第七皇女房子内親王。妃は男爵徳川義恕の次女祥子。参謀たる陸軍砲兵大尉としてモンゴルへ赴任していたが、演習中に航空事故に巻き込まれ事故死した。.

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北白川宮成久王

北白川宮成久王(きたしらかわのみや なるひさおう、1887年(明治20年)4月18日 - 1923年(大正12年)4月1日)は日本の皇族である。階級は陸軍大佐。 北白川宮能久親王の第3王子。.

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マイケル・マンスフィールド

マイケル・ジョーゼフ・マンスフィールド (Michael Joseph "Mike" Mansfield, 1903年3月16日 - 2001年10月5日) は、アメリカ合衆国の政治家。ニューヨーク生まれのモンタナ州育ち。モンタナ大学卒業。所属政党は民主党。愛称はマイク(Mike)。 1953年に初当選後、1977年の任期満了をもって引退するまでの24年間にわたって上院議員を務め、そのうち1961年から1977年までの16年間は多数党院内総務を務め、上院民主党の大物として活躍した。この16年という任期はアメリカ史上最長であり、現在でも破られていない記録である。また知日派としても知られ、1977年から1989年までの長期にわたって駐日大使を務めた。.

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リー・クアンユー

リー・クアンユー(, 、日本語読み:り こうよう、 1923年9月16日(旧暦8月6日) - 2015年3月23日)は、シンガポールの政治家、初代首相。首相退任後、上級相、内閣顧問を歴任した。 初代首相就任以降、長期にわたり権威主義的政治体制、いわゆる「開発独裁」を体現し、独裁政権下ながらシンガポールの経済的繁栄を実現した。.

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ヘルマン・ゲーリング

ヘルマン・ヴィルヘルム・ゲーリング(Hermann Wilhelm Göring 、1893年1月12日 ‐ 1946年10月15日)は、ドイツの政治家、軍人。 第一次世界大戦でエースパイロットとして名声を得る。戦後の1922年にヒトラーに惹かれて国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)に入党。ミュンヘン一揆の失敗で一時亡命生活を送るも、1928年に国会議員に当選し、1932年の選挙でナチ党が第一党となると国会議長に選出された。ナチ党と上流階級の橋渡し役を務めてナチ党の党勢拡大と政権獲得に貢献した。1933年のナチ党政権誕生後にはプロイセン州首相、航空相、ドイツ空軍総司令官、四ヵ年計画全権責任者、ドイツ経済相、森林長官、狩猟長官など要職を歴任し、ヒトラーの後継者に指名されるなど高い政治的地位を占めた。しかし政権内では対外穏健派だったため、対外強硬派のヒトラーと徐々に距離ができ、1930年代終わり頃から政治的影響力を低下させはじめた。第二次世界大戦中にドイツ空軍の劣勢が目立つようになると一層存在感を落とした。しかし戦後のニュルンベルク裁判では最も主要な被告人としてヒトラーとナチ党を弁護し、検察と徹底対決して注目を集めた。死刑判決後に服毒自殺した。 軍における最終階級は全ドイツ軍で最高位の国家元帥 (Reichsmarschall) である。.

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パナソニック

パナソニック株式会社()は、大阪府門真市に拠点を置く電機メーカー。白物家電などのエレクトロニクス分野をはじめ、住宅分野や車載分野などを手がける。国内電機業界では日立製作所、ソニーに次いで3位。.

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ドイツ

ドイツ連邦共和国(ドイツれんぽうきょうわこく、Bundesrepublik Deutschland)、通称ドイツ(Deutschland)は、ヨーロッパ中西部に位置する連邦制共和国である。もともと「ドイツ連邦共和国」という国は西欧に分類されているが、東ドイツ(ドイツ民主共和国)の民主化と東西ドイツの統一により、「中欧」または「中西欧」として再び分類されるようになっている。.

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ドイツ空軍

ドイツ空軍(ドイツくうぐん)は、ドイツにおける空軍の名称である。.

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ダグラス・マッカーサー

ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur、1880年1月26日 - 1964年4月5日)は、アメリカの軍人、陸軍元帥。連合国軍最高司令官、国連軍司令官を務めた。コーンパイプがトレードマークであった。 マッカーサーのカナ表記はマックアーサーとされている場合がある。.

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キリ

リ(桐、学名: )は、シソ目のキリ科 。以前はゴマノハグサ科に分類していた(あるいはノウゼンカズラ科)。キリ属の落葉広葉樹。漢語の別名として白桐、泡桐、榮。 属名はシーボルトが『日本植物誌』(1835年)においてアンナ・パヴロヴナに献名したもの。ただしシーボルトが与えた学名はP.

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シンガポール

ンガポールの衛星写真 シンガポール共和国(シンガポールきょうわこく)、通称シンガポールは、東南アジアの主権都市国家かつ島国である。マレー半島南端、赤道の137km北に位置する。同国の領土は、菱型の本島であるシンガポール島及び60以上の著しく小規模な島々から構成される。 同国は、北はジョホール海峡によりマレーシア半島から、南はシンガポール海峡によりインドネシアのリアウ諸島州から各々切り離されている。同国は高度に都市化され、原初の現存植生はほとんどない。同国の領土は、一貫して埋立てにより拡大してきた。.

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ソニー

ニー株式会社(Sony Corporation)は、日本・東京都港区に本社を置く多国籍コングロマリットであり、ソニーグループを統括する事業持株会社。世界首位のCMOSイメージセンサやゲームなどのハードウェア分野をはじめ、映画・音楽分野にも重点を置いている。 その他、グループ子会社を通じて銀行業・生命保険業・損害保険業・不動産業・放送業・出版業・アニメーション制作事業・芸能マネージメント事業・介護事業・教育事業・電気通信事業などそれぞれ.

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内大臣府

内大臣府(ないだいじんふ)は、明治中頃から戦前昭和にかけて日本に存在した制外官の一つ。宮中にあって天皇を常侍輔弼し、宮廷の文書事務などを所管した内大臣(ないだいじん)を支える機関として1885年(明治18年)に創設され、終戦直後の1945年(昭和20年)にGHQにより廃止された。.

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内山小二郎

内山 小二郎(うちやま こじろう、安政6年10月20日(1859年11月14日) - 1945年(昭和20年)2月14日)は、日本の陸軍軍人、華族。 侍従武官長・第12師団長・東京湾要塞司令官を務め、階級は陸軍大将正二位勲一等功一級男爵に昇る。妻は貴族院議員・呉鎮守府兵器部長田中綱常海軍中将の娘。.

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内務大臣 (日本)

内務大臣(ないむだいじん、Ministers of Home Affairs)は、日本の旧内務省を指揮監督した国務大臣。通称は内相(ないしょう)。前身は内務卿(ないむきょう、Lords of Home Affairs)。.

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内田康哉

内田 康哉(うちだ こうさい / やすや、1865年9月29日(慶応元年8月10日) - 1936年(昭和11年)3月12日)は、日本の外交官・政治家。伯爵。 明治・大正・昭和の3代にわたって外務大臣を務めた唯一の人物。戦前の日本を代表する外政家だが、その外交姿勢は時期によって揺れがあり、単純ではない。外相在職期間通算7年5か月は、現在に至るまで最長である。.

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内閣官房長官

内閣官房長官(ないかくかんぼうちょうかん、)は、内閣法に基づき内閣に置かれる内閣官房の長。現任は菅義偉。 国務大臣をもって充てることとされ、内閣を構成する閣僚の一員でもある。.

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内閣総理大臣

内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん、prime minister of Japan)とは、日本国において行政権の属する内閣の首長たる国務大臣である(憲法第66条1項)。したがって、日本国における政府の長である。文民(憲法第66条2項)かつ国会議員の中から国会の議決で指名され(憲法第67条)、これに基いて天皇によって任命される(憲法第6条)。略称は総理大臣ないしは総理。一般的には首相、またはまれに宰相とも言う。現任は安倍晋三。.

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内閣法制局長官

内閣法制局長官(ないかくほうせいきょくちょうかん、英: Director-General of the Cabinet Legislation Bureau)は、内閣法制局の長である特別職の国家公務員である。.

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出羽重遠

出羽 重遠(でわ しげとお、安政2年12月10日(1856年1月17日) - 昭和5年(1930年)1月27日)は、日本の海軍軍人、華族。最終階級は海軍大将。栄典は正二位・勲一等・功二級・男爵。.

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児玉源太郎

児玉兒玉の表記もある。「兒」は印刷字体、「児」は手書き書体である。学術誌、研究書、辞典類、文部科学省検定教科書などにおける歴史人物としての表記は「児玉源太郎」、『職員録』など存命中の刊行物における表記は正字体に統一の慣例により「兒玉源太郎」、御署名原本における大臣副書の本人署名は「児玉源太郎」である。 源太郎(こだま げんたろう、嘉永5年閏2月25日(1852年4月14日) - 明治39年(1906年)7月23日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級位階勲等功級爵位は陸軍大将正二位勲一等功一級子爵。日露戦争において満州軍総参謀長を勤め、勝利に貢献した。.

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八代六郎

八代 六郎(やしろ ろくろう、安政7年1月3日(1860年1月25日)- 昭和5年(1930年)6月30日)は明治~大正期の日本海軍軍人。政治家。海軍大将。男爵。愛知県犬山市出身。兄は衆議院議員の松山義根。.

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公爵

公爵(こうしゃく、、)は、爵位(五爵)の第1位である。侯爵の上位に相当する。ヨーロッパの貴族の称号の訳語、古代中国の諸侯の称号、また明治以降から戦前まで使われた日本の華族の称号として用いられる。 日本ではこの「公」によって(英語の場合であれば)princeとdukeの両方の称号を表そうとしたため混乱を生じることとなった。princeは基本的には小国の君主や諸侯、王族の称号であり、dukeは諸侯の称号である。日本語では、例えばモナコやリヒテンシュタインの君主、マルタ騎士団長などのprinceを「公」ではなく「大公」と訳すことで「公爵」(duke)との区別をつけようとする場合がある。ただし、こうして便宜的に使用された場合の「大公」は、ルクセンブルクの君主がもつ称号grand dukeやロシア等のgrand prince、オーストリアのarchdukeと区別される必要が改めて生じてくる。逆に、日本の華族制度における「公爵」の公式英訳にはdukeではなくprinceが当てられたが、たとえば伊藤博文や近衛文麿の爵位が英米ではprinceと訳されることとなり、皇族と誤解されるような場合があった。 日本語では侯爵と発音が同じであることから区別する必要があるときは「おおやけ-こうしゃく」と呼ばれた。.

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元帥

元帥(げんすい、(陸軍、空軍)、Admiral of the fleet他(海軍))は、軍隊における階級、又は称号。元帥号とも。階級を示す場合には大将よりも更に上位で軍隊における最上級の階級であり、称号を示す場合には大将または上級大将の階級を持つ者の中から選ばれることが一般的である。広義の元帥には「大元帥・元帥・将帥・次帥・副元帥・代帥」などが区分されることもある。陸海空軍で呼称の異なる元帥を総称しFive-star rankと呼ぶこともある。.

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前尾繁三郎

前尾 繁三郎(まえお しげさぶろう、1905年12月10日 - 1981年7月23日)は、日本の政治家、官僚。宏池会第二代会長。第58代衆議院議長。.

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副島種臣

副島 種臣(そえじま たねおみ、文政11年9月9日(1828年10月17日) - 明治38年(1905年)1月31日)は、日本の江戸時代末期(幕末)から明治時代の佐賀藩士、政治家、書家。勲一等、伯爵。初名は竜種(たつたね)。通称は次郎(じろう)。号に蒼海(そうかい)、一々学人(いちいちがくじん)。.

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副総理

副総理(ふくそうり)とは、日本において内閣総理大臣に事故のあるとき又は内閣総理大臣が欠けたときに臨時にその職務を代行する第1順位の国務大臣として内閣法第9条に基づき指定された者(内閣官房長官でない場合に限る。)の呼称。辞令等に記載される正式な官職名ではない。内閣において内閣総理大臣に次ぐ席次を与えるために用いられる。 現任は麻生太郎(第4次安倍内閣)。.

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勲一等旭日大綬章

防衛庁長官(左)から勲一等旭日大綬章を伝達されるデニス・C・ブレアアメリカ太平洋軍海軍大将(右)。 勲一等旭日大綬章(くんいっとう きょくじつだいじゅしょう)は、日本の勲章の一つ。1875年(明治8年)4月10日、勲章制定ノ件(明治8年太政官布告第54号)に基づいて制定された。 大綬を右肩から左脇に垂れ、副章(勲二等旭日重光章の正章と同じ)を左胸に佩用する。2003年(平成15年)11月3日に漢数字による勲等表示が廃止され、同日以後に授与されるものは旭日大綬章と改められた。 受章者は合計で1220名(戦前810名、戦後410名)。叙勲対象者は男性とされていた。.

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勲章 (日本)

功一級金鵄勲章の副章。左肩から右脇にかけている大綬は功一級金鵄勲章の正章。 本項では、日本の勲章(にほんの くんしょう)について解説する。.

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勲等

勲等(くんとう)とは勲功に対して授与されたものである。日本においては律令制度が出来た当時は勲位と称し、勲一等以下勲十二等までの12等級あった。また、位階勲等という様に叙勲は位階に応じて行われた。 以下、日本の勲等について詳述する。.

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国務大臣

国務大臣(國務大臣.こくむだいじん)とは、日本国の内閣の構成員を指す。閣僚(かくりょう)、閣員(かくいん)とも言われる特別職国家公務員である。.

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国章

'''ベトナム'''の国章 '''ウガンダ'''の国章 国章(こくしょう)は、国家を象徴する紋章や徽章のこと。国徽とも。一般に国旗よりもデザインが複雑なため、その国の風土、歴史、文化などが象徴的に表現され、その国を理解する上で国旗よりも多くの情報を読み取ることができる。 なお、日本語では、広義には国旗を含めたものを国章と呼称することもある。例えば、日本の刑法(明治40年法律第45号)第92条の「外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、二年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処する。」などである。本記事では、国旗を含めない狭義の国章について記述する。.

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国連大使

国際連合大使(こくさいれんごうたいし)または国連大使(こくれんたいし、英:Ambassador to the United Nations)は、国際連合において派遣国政府を代表し、その外交を担当する国際連合常駐代表(こくさいれんごうじょうちゅうだいひょう)の通称。一般に特命全権大使にも任じられ、国連大使と呼ばれる。.

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倉富勇三郎

倉富 勇三郎(くらとみ ゆうざぶろう、嘉永6年7月16日(1853年8月20日) - 昭和23年(1948年)1月26日)は、明治から昭和にかけての司法・宮内官僚。法学博士。男爵。 法制局長官、貴族院勅選議員、枢密院議長。法典調査会刑法起草委員。作家広津柳浪は夫人の兄に当たる。.

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犬養毅

養 毅(いぬかい つよし、1855年6月4日(安政2年4月20日) - 1932年(昭和7年)5月15日)は、日本の政治家。位階は正二位。勲等は勲一等。通称は仙次郎。号は木堂、子遠。 中国進歩党総裁、立憲国民党総裁、革新倶楽部総裁、立憲政友会総裁(第6代)、文部大臣(第13・31代)、逓信大臣(第27・29代)、内閣総理大臣(第29代)、外務大臣(第45代)、内務大臣(第50代)などを歴任した。.

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皇族

女王旗)皇室儀制令19条では「親王旗親王妃旗内親王旗王旗王妃旗女王旗」。 皇族(こうぞく)は、天皇の親族のうち、男系の嫡出の血族(既婚の女子を除く)およびその配偶者の総称。すなわち、皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃および女王の総称であり、天皇は含まれない。天皇を含む場合は「皇室」という。.

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矢口洪一

口 洪一(やぐち こういち、1920年(大正9年)2月20日 - 2006年(平成18年)7月25日)は、日本の裁判官。第11代最高裁判所長官を務めた。父の矢口家治も裁判官。.

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石坂泰三

石坂 泰三(いしざか たいぞう、1886年(明治19年)6月3日 - 1975年(昭和50年)3月6日)は、日本の財界人、経営者。第一生命保険、東京芝浦電気(現・東芝)社長を経て、第2代経済団体連合会(経団連)会長(在任、1956年(昭和31年)2月21日~1968年(昭和43年)5月24日)。経団連会長を4期、12年務めた。経団連会長の異名 「財界総理」は、石坂泰三を嚆矢とする。正三位勲一等。.

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石塚英蔵

石塚 英蔵(いしづか えいぞう、1866年10月31日(慶応2年7月23日) - 1942年(昭和17年)7月28日)は、日本の官僚、政治家。台湾総督、貴族院議員、枢密顧問官、日本赤十字社常議員。.

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石井光次郎

石井 光次郎(いしい みつじろう、1889年(明治22年)8月18日 - 1981年(昭和56年)9月20日)は、日本の政治家。衆議院議長(第54代)、副総理、法務大臣、通商産業大臣、行政管理庁長官、北海道開発庁長官、運輸大臣、商工大臣、朝日放送社長などを歴任。久留米市名誉市民。.

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石井菊次郎

石井 菊次郎(いしい きくじろう、慶応2年旧暦3月10日(1866年4月24日)- 1945年(昭和20年)5月25日?)は、日本の外交官、政治家。第2次大隈内閣で外務大臣を務め、国際連盟設立期には日本代表を務めた。特使としてアメリカで締結した石井・ランシング協定にその名を残すことでも知られる。.

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石黒忠悳

石黒 忠悳(いしぐろ ただのり、弘化2年2月11日(1845年3月18日) - 1941年(昭和16年)4月26日)は、明治時代の日本陸軍軍医、日本赤十字社社長。草創期の軍医制度を確立した。爵位は子爵。.

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石橋湛山

石橋 湛山(いしばし たんざん、1884年〈明治17年〉9月25日 - 1973年〈昭和48年〉4月25日)は、日本のジャーナリスト、政治家、教育者(立正大学学長)。階級は陸軍少尉(陸軍在籍時)。位階は従二位。勲等は勲一等。大蔵大臣(第50代)、通商産業大臣(第12・13・14代)、内閣総理大臣(第55代)、郵政大臣(第9代)などを歴任した。内閣総理大臣在任期間は65日であり、日本国憲法下では羽田孜に次いで2番目に短く、日本の憲政史上でも4番目の短かさである。 早稲田大学から名誉法学博士(Doctor of Laws)を贈られた。.

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王 (皇族)

王(おう、みこ、古くはおおきみ)は、皇族の身位または称号の一つ。または、王の身位を授けられた皇族のこと。現行の皇室典範では天皇からみて直系で嫡男系嫡出の三親等以遠の男性に与えられる。皇室典範で定められた敬称は殿下。.

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灘尾弘吉

尾 弘吉(なだお ひろきち、1899年(明治32年)12月21日 - 1994年(平成6年)1月22日)は、昭和時代の日本の内務・厚生官僚、政治家。衆議院議長(60・61代)、文部大臣(74・75・77・82・83・90代)、厚生大臣(41代)を歴任。.

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珍田捨巳

珍田捨巳 珍田 捨巳(ちんだ すてみ、1857年1月19日(安政3年12月24日) - 1929年(昭和4年)1月16日)は、日本の外交官。侍従長・枢密顧問官・外務次官。キリスト教牧師(メソジスト派)。.

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福岡孝弟

福岡 孝弟(ふくおか たかちか、天保6年2月5日(1835年3月3日) - 大正8年(1919年)3月7日)は、日本の幕末から明治時代の土佐藩士、政治家。五箇条の御誓文を加筆、政体書を起草した人物である。通称は藤次、雅号は南蘋。栄典は勲一等子爵。.

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福田一

福田 一(ふくだ はじめ、1902年4月1日 - 1997年9月2日)は、日本の政治家。自民党衆議院議員、第62代衆議院議長(在任期間・1980年7月17日-1983年11月28日)。自民党では大野伴睦→船田中派に属した後に、無派閥。.

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福永健司

福永 健司(ふくなが けんじ、1910年(明治43年)8月5日 - 1988年(昭和63年)5月31日)は、日本の政治家、第63代衆議院議長、内閣官房長官、労働大臣、厚生大臣、運輸大臣、自由民主党国会対策委員長、自由民主党総務会長を歴任。従二位勲一等旭日桐花大綬章。息子は元自民党衆議院議員の福永信彦。.

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科学技術庁長官

科学技術庁長官(かがくぎじゅつちょうちょうかん)は、2001年1月5日まで日本の中央省庁として存在した科学技術庁の長である。国務大臣をもって充てられた。.

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秋山好古

秋山 好古(あきやま よしふる、安政6年1月7日(1859年2月9日)- 昭和5年(1930年)11月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級及び位階勲等功級は陸軍大将従二位勲一等功二級。日本の教育者「大阪教育大学学長メッセージ」大阪教育大学ホームページ 2013年8月閲覧。長年、軍人としてのみの評価であったが、史料研究の結果、大阪教育大学は秋山を現代民主学校教育に通じる自校出身の秀逸な教育者として認め、大阪教育大学学長自ら秋山の在籍と卒業の事実を公開して評した。 。幼名は信三郎。 陸軍騎兵学校を参観に来たフランス軍人に「秋山好古の生涯の意味は、満州の野で世界最強の騎兵集団を破るというただ一点に尽きている」と賞されており、日本騎兵の父と云われた。 連合艦隊先任参謀として、日本海海戦の勝利に貢献したとされる秋山真之は実弟にあたる。.

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稲山嘉寛

山 嘉寛(いなやま よしひろ、1904年(明治37年)1月2日 – 1987年(昭和62年)10月9日)は、日本の実業家、財界人。第5代経済団体連合会(経団連)会長(1980年 – 1986年)。.

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穂積陳重

積 陳重(ほづみ のぶしげ、入江陳重、いりえ のぶしげ、1855年8月23日(安政2年7月11日) - 1926年(大正15年)4月7日)は、明治から大正期の日本の法学者。日本初の法学博士の一人。東京帝国大学法学部長。英吉利法律学校(中央大学の前身)の創立者の一人。貴族院議員(勅選)。男爵。枢密院議長。勲一等旭日桐花大綬章。現在の愛媛県宇和島市出身。.

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窪田静太郎

静太郎(くぼた せいたろう / しずたろう、1865年11月10日(慶応元年9月22日) - 1946年10月6日)は、日本の内務官僚、法学者、社会事業家。法学博士、行政裁判所長官、枢密顧問官。.

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竹田宮恒久王

竹田宮恒久王(たけだのみや つねひさおう、1882年(明治15年)9月22日 - 1919年(大正8年)4月23日)は日本の皇族・陸軍軍人。.

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竹田恒徳

竹田 恒徳(たけだ つねよし、1909年(明治42年)3月4日 - 1992年(平成4年)5月11日)は、日本の旧皇族(竹田宮第2代)、陸軍軍人。1947年(昭和22年)10月に皇籍離脱し、竹田恒徳と名乗る。皇籍離脱前は竹田宮恒徳王(たけだのみや つねよしおう)。陸軍少将竹田宮恒久王の第1王子で、母は明治天皇の第6皇女常宮昌子内親王、昭和天皇の従弟にあたる。最終階級は陸軍中佐。勲等は大勲位。 妹の禮子女王は佐野常光に嫁す。.

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第15回国会

15回国会(だい15かいこっかい)は、1952年10月24日から1953年3月14日まで開かれた日本の国会である。.

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第4師団 (日本軍)

4師団(だいよんしだん)は、大日本帝国陸軍の師団のひとつ。兵団文字符は淀。軍隊符号は4D。.

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筑波藤麿

筑波 藤麿(つくば ふじまろ、1905年(明治38年)2月25日 - 1978年(昭和53年)3月20日)は、日本の元皇族。旧名、藤麿王。山階宮菊麿王の第三王子。母は菊麿王妃常子。1946年(昭和21年)1月25日から死去するまで靖国神社第五代宮司だった。位階勲等は従三位勲一等侯爵。.

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粟田彰常

粟田 彰常(あわた あきつね、1920年(大正9年)5月13日 - 2006年(平成18年)8月30日)は、日本の華族、陸軍軍人。陸軍大将東久邇宮稔彦王第三王子で、母は明治天皇第九皇女東久邇聡子。兄に盛厚王、師正王、弟に俊彦王がいる。階級は陸軍大尉、勲等は勲一等旭日桐花大綬章、爵位は侯爵。皇族時代は彰常王と称された。 1940年(昭和15年)5月に皇族議員として貴族院議員となり、同年9月陸軍士官学校(54期)を卒業する。翌月の10月25日願による臣籍降下が認められ、昭和天皇から粟田の氏を賜り、侯爵の爵位を授けられ華族に列せられた。賜った粟田の氏の由来は、彰常の祖父にあたる久邇宮朝彦親王が、還俗する前に門主を務めていた青蓮院の所在地である洛東粟田口にちなむ。粟田侯爵家は日本で最後に創設された侯爵家であった。 1947年(昭和22年)5月3日に日本国憲法が施行され、華族制度が廃止されたため華族の身分を失う。戦後は東京農業大学を卒業して東京都建設局に勤務し、飼育係として上野動物園に入り、ニワトリやヤギなど多くの生き物の飼育を担当。家庭では2人の男子(粟田彰彦、粟田常一)をもうけた。 Category:日本の侯爵 Category:大日本帝国陸軍軍人 Category:東京農業大学出身の人物 Category:勲一等旭日桐花大綬章受章者 Category:1920年生 Category:2006年没.

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細川潤次郎

細川 潤次郎(ほそかわ じゅんじろう、1834年3月11日(天保5年2月2日) - 1923年(大正12年)7月20日)は、幕末の土佐藩藩士、明治・大正時代の法制学者・教育者。男爵。幼名は熊太郎、諱は元(はじめ)。十洲と号した。 政治的要職としては司法大輔・貴族院副議長位であったが、日本の近代法導入の功績に関しては江藤新平と並んで高く評価されている。また、福沢諭吉に明治新政府に出仕するよう最後まで説得にあたった。.

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緒方竹虎

緒方 竹虎(おがた たけとら、1888年(明治21年)1月30日 - 1956年(昭和31年)1月28日)は、日本のジャーナリスト、政治家。朝日新聞社副社長・主筆、自由党総裁、自由民主党総裁代行委員、国務大臣、情報局総裁、内閣書記官長、内閣官房長官、副総理などを歴任。栄典は正三位勲一等旭日大綬章。三男の緒方四十郎は元日本銀行理事。.

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瑞宝章

勲一等瑞宝章の正章1895年(明治28年)、西園寺公望が授与された物。国立公文書館所蔵(請求番号:寄贈02112100)。。現行の瑞宝大綬章と本体部分の意匠は同じ。 勲一等瑞宝章の副章。現行の瑞宝大綬章と意匠は同じ。 瑞宝章(ずいほうしょう、Orders of the Sacred Treasure)は、日本の勲章の一つ。.

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瓜生外吉

生 外吉(うりゅう そときち、旧仮名遣い:うりう、安政4年1月2日(1857年1月27日) - 昭和12年(1937年)11月11日)は、大日本帝国の海軍軍人。最終階級は海軍大将。石川県出身。.

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田健治郎

健治郎(でん けんじろう、安政2年旧暦2月8日(西暦換算1855年3月25日)- 昭和5年(1930年)11月16日)は、日本の官僚、政治家、華族(男爵)。丹波国氷上郡(現在の兵庫県丹波市)出身。幼名は梅之助、号に譲山。衆議院議員・貴族院議員(勅選)・逓信大臣・農商務大臣・台湾総督・枢密顧問官等を歴任。田艇吉(衆議院議員)は兄。田英夫(参議院議員)は孫。また先祖に元禄時代の女流俳人田捨女がいる。.

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田尻稲次郎

尻 稲次郎(たじり いなじろう、嘉永3年6月29日(1850年8月6日) - 大正12年(1923年)8月15日)は、日本の経済学者・政治家・官僚。元東京市長。専修学校(専修大学の前身)の創始者の一人である。子爵。.

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田中不二麿

中 不二麿(たなか ふじまろ、弘化2年6月12日(1845年7月16日) - 明治42年(1909年)2月1日)は、日本の幕末・明治期の武士、官僚、政治家。位階爵位は正二位子爵。号は夢山。名前は「不二麻呂」とも表記され、幕末には寅三郎(とらさぶろう)、国之輔と称した。明治維新期の著名人物としては非常に稀少な尾張藩士の一人。 尾張国名古屋城下出身。慶応3年12月(1868年1月)、新政府の参与となる。明治4年(1871年)、文部省出仕と同時に岩倉使節団理事官となり、欧米に渡って教育制度の調査に当たった。帰国後は文部大輔まで進み、学制実施と教育令制定を主導したが、明治13年(1880年)に司法卿に転じた。以後、参事院副議長、駐伊特命全権公使、駐仏特命全権公使、枢密顧問官、司法大臣を歴任し、晩年は再び枢密顧問官を務めた。 明六社会員。島崎藤村の長編小説『夜明け前』や、井上ひさしの戯曲『國語元年』に登場する。.

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田中光顕

中 光顕(たなか みつあき、1843年11月16日(天保14年閏9月25日) - 1939年(昭和14年)3月28日)は、日本の武士・土佐藩家老深尾氏家臣、官僚、政治家。栄典は従一位勲一等伯爵。初名は浜田辰弥。通称を顕助、号は青山。フリーカメラマンの田中光常は孫。.

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田中義一

中 義一(たなか ぎいち、1864年7月25日(元治元年6月22日) - 1929年(昭和4年)9月29日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。勲等は勲一等。功級は功三級。爵位は男爵。 陸軍大臣、貴族院議員、内閣総理大臣(第26代)、外務大臣(第42代)、内務大臣(第45代)、拓務大臣(初代)などを歴任した。.

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田中耕太郎

中 耕太郎(たなか こうたろう、1890年(明治23年)10月25日 - 1974年(昭和49年)3月1日)は、日本の法学者、法哲学者。東京帝国大学大学法学部長、第1次吉田内閣文部大臣、第2代最高裁判所長官、国際司法裁判所判事、日本学士院会員。日本法哲学会初代会長。文化勲章、勲一等旭日桐花大綬章を受章。大勲位菊花大綬章を没後叙勲、正二位を追贈された。.

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田村元

村 元(たむら はじめ、1924年5月9日 - 2014年11月1日)は、日本の政治家。衆議院議員、第66代衆議院議長、労働大臣、運輸大臣、通商産業大臣、自由民主党国会対策委員長を歴任。.

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男爵

男爵(だんしゃく、)は、爵位の一つである。古代中国と近代日本で用いられ、子爵の下位に相当する。ヨーロッパ諸国の最下位の貴族称号の日本語・中国語訳にも用いられ、イギリスのbaronの訳にはこの語が用いられる。.

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牧野伸顕

牧野 伸顕(まきの のぶあき、1861年11月24日(文久元年10月22日) - 1949年(昭和24年)1月25日)は、日本の政治家。位階は従一位。勲等は勲一等。爵位は伯爵。名はシンケンと通称されることもある(有職読み)。以前の諱は是利(これとし)茶谷によると一時是利(これとし)と名乗ったという(1874年 - 1878年)。。 大久保利通は父、吉田茂は女婿、寬仁親王妃信子と麻生太郎は曾孫にあたる。.

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片山哲

片山 哲(かたやま てつ、1887年(明治20年)7月28日 - 1978年(昭和53年)5月30日)は、日本の弁護士、政治家。位階は従二位。勲等は勲一等。 社会民衆党書記長(初代)、衆議院議員(12期)、社会大衆党執行委員、日本社会党書記長(初代)、日本社会党委員長(初代)、内閣総理大臣(第46代)、民主社会党常任顧問などを歴任した。.

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片岡七郎

片岡 七郎(かたおか しちろう、嘉永6年12月14日(1854年1月12日) - 大正9年(1920年)1月11日)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。男爵。位階は正二位。.

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牛場信彦

牛場 信彦(うしば のぶひこ、1909年11月16日 - 1984年12月31日)は、日本の外交官、対外経済担当大臣(福田赳夫改造内閣)。世界和平連合会発足当時の理事。 祖父は牛場卓蔵。兄に近衛文麿の秘書官を務めた牛場友彦がいる。弟は国家公安委員会委員を務めた牛場大蔵慶應義塾大学医学部教授。.

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益谷秀次

谷 秀次(ますたに しゅうじ、1888年1月17日 - 1973年8月18日)は、日本の政治家。 衆議院議員(14期)、衆議院議長(第46代)、副総理、建設大臣、行政管理庁長官などを歴任した。.

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盛厚王

盛厚王(もりひろおう、1917年5月6日 - 1969年2月1日)は、日本の皇族、陸軍軍人。旧皇族。東久邇宮稔彦王第一王子で、母は明治天皇第九皇女聰子内親王。弟に師正王、粟田彰常侯爵、多羅間俊彦がいる。 陸軍での階級は陸軍少佐。勲等は勲一等。なお、盛厚王自身は「東久邇宮」を継承してはいないが、慣例に従い「東久邇若宮」と呼ばれることもあった。.

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白川義則

白川 義則(しらかわ よしのり、1869年1月24日(明治元年12月12日) - 1932年(昭和7年)5月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将、栄典は勲一等功二級男爵。 関東軍司令官・陸軍大臣を歴任する。上海派遣軍司令官であった1932年(昭和7年)4月29日、上海天長節爆弾事件において尹奉吉の投げた爆弾により重傷を負い、翌月に死去した。.

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芦田均

芦田 均(あしだ ひとし、1887年(明治20年)11月15日 - 1959年(昭和34年)6月20日)は、日本の外交官、政治家。位階は従二位。勲等は勲一等。学位は法学博士(東京帝国大学)。 衆議院議員(11期)、厚生大臣(第14代)、外務大臣(第76・77代)、副総理、内閣総理大臣(第47代)などを歴任した。.

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花房義質

花房 義質(はなぶさ よしもと、1842年2月10日(天保13年1月1日) - 1917年(大正6年)7月9日)は、明治、大正期の外交官。岡山藩士で実業家、政治家(初代岡山市長)花房端連の長男。爵位は子爵。歴任した主な官公職は枢密顧問官、日本赤十字社社長など。.

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芳川顕正

芳川 顕正(よしかわ あきまさ、天保12年12月10日(1842年1月21日) - 大正9年(1920年)1月10日)は、日本の官僚、政治家。阿波国麻植郡山川町(後の徳島県吉野川市)出身。父は原田民部。伯爵。 官僚時代は、藩閥の後ろ盾がなく苦労するが、銀行制度の確立に貢献。山縣有朋に認められて政界へ進出した。東京府知事(第8代)、貴族院議員。司法大臣(第5代)、文部大臣(第3代)、内務大臣(第12・16・23代)、逓信大臣(第9・12代)、枢密院副議長(第4代)を務めた。 男子に恵まれず、四女の鎌子に子爵・曾禰荒助の次男を婿養子にとって家を継がせた(芳川寛治)。三女の富子は藤田財閥2代目藤田平太郎妻。.

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芳澤謙吉

芳澤 謙吉(よしざわ けんきち、1874年(明治7年)1月24日 - 1965年(昭和40年)1月5日)は、日本の外交官、政治家。従二位勲一等旭日桐花大綬章。 新潟県中頸城郡高田(のち上越市)出身。.

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音羽正彦

音羽 正彦(おとわ ただひこ、1914年(大正3年)1月5日 - 1944年(昭和19年)2月6日戦死認定)は、朝香宮家出身の侯爵、海軍軍人。栄典は勲一等。皇族時代は正彦王という。.

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荒井賢太郎

水野錬太郎(右)とともに 荒井 賢太郎(あらい けんたろう、文久3年10月15日(1863年11月25日) - 昭和13年(1938年)1月29日)は、日本の官僚・政治家。新潟県士族『人事興信録.

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草場良八

草場 良八(くさば りょうはち、1925年(大正14年)11月16日 - )は、日本の裁判官(刑事)。第12代最高裁判所長官。.

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鍋島直大

鍋島 直大(なべしま なおひろ)は、幕末期の大名。肥前国佐賀藩第11代(最後の)藩主。明治・大正時代の政府高官。侯爵。 佐賀藩第10代藩主・鍋島斉正(直正)の長男。初名は直縄(なおただ)で、明治維新以前(藩主在任中)は将軍徳川家茂の偏諱を冠し茂実(もちざね)と名乗っていた。.

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菊花章

菊花章(きっかしょう)は、日本の明治時代以降の栄典制度における最高位の勲章。大勲位菊花章頸飾と大勲位菊花大綬章の2種類がある。 2003年11月3日の栄典制度改正以降は正章(頸飾と大綬章)と副章という形となっている。この副章は、旧制度では大勲位の範疇に独立して存在する勲章(大勲位菊花章)であったが、実際には頸飾・大綬章の副章として運用され単独で授与された例はなかった。 旧制度での授与時には、「大勲位」という勲等と、「菊花大綬章」又は「菊花章頸飾」という勲章に分けて叙授された(例「大勲位に叙し菊花大綬章を授ける」、「菊花章頸飾を授ける」)が、新制度では、他の勲章の授与方式に合わせて、「大勲位菊花大綬章」又は「大勲位菊花章頸飾」というように分けずに授与される形(例「大勲位菊花大綬章を授ける」)となった。.

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菊花紋章

菊花紋章(きくかもんしょう、きっかもんしょう)は、キク科キク属のキク(菊)を図案化した菊紋のうち、特に花の部分を中心に図案化した家紋のことである。菊花紋(きくかもん、きっかもん)、菊の御紋ともいう。単に菊紋(きくもん)と言う場合は葉、茎、花を組み合わせるか、いずれかを図案化したものも含める。.

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華頂博信

華頂 博信(かちょう ひろのぶ、1905年(明治38年)5月22日 - 1970年(昭和45年)10月23日)は、日本の皇族、政治家、海軍軍人。 伏見宮家の出身で、後に臣籍降下し華族(侯爵)となり、貴族院議員を務めた。階級は海軍大佐勲一等侯爵。皇族時代は(伏見宮)博信王(ひろのぶおう)という。.

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華頂宮博忠王

華頂宮博忠王(かちょうのみや ひろただおう、1902年(明治35年)1月26日 - 1924年(大正13年)3月19日/公式発表3月24日)は日本の皇族、海軍軍人。.

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菱刈隆

菱刈 隆(ひしかり たか、1871年12月27日(明治4年11月16日) - 1952年(昭和27年)7月31日)は、日本陸軍の軍人、外交官。最終階級は陸軍大将。栄典は勲一等功五級。幼名、幸吉。.

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青木周蔵

青木 周藏(あおき しゅうぞう、1844年3月3日(天保15年1月15日) - 1914年(大正3年)2月16日)は、明治、大正期の日本の外交官、政治家。勲等は勲一等。爵位は子爵。.

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行政管理庁長官

行政管理庁長官(ぎょうせいかんりちょうちょうかん)は、1984年7月1日まで日本の中央省庁として存在した行政管理庁の長である。国務大臣をもって充てられた。.

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行政裁判所

行政裁判所(ぎょうせいさいばんしょ、Verwaltungsgericht、ordre administratif )は、大陸法において民事事件・刑事事件を管轄する司法裁判所ないし通常裁判所とは別に、行政事件を管轄する裁判所のこと。通常、行政権に属する特別裁判所のことを指す。ただし憲法に関する事件については憲法裁判所が管轄するとされている。フランスのコンセイユ・デタ、ドイツの連邦行政裁判所、中華民国(台湾)の最高行政法院および高等行政法院など。 ---- 日本においては、大日本帝国憲法第61条でその存在をうたい、司法裁判所とは別個の組織として設置された。本項では主に日本の行政裁判所について記す。.

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衆議院議長

衆議院議長(しゅうぎいんぎちょう)は、衆議院において秩序を保持し、議事を整理し、議院の事務を監督し、衆議院を代表する役職(国会法19条、旧・議院法10条)。なお、衆議院議長の職務を代行する職である衆議院副議長や仮議長についても述べる。 衆議院議場・中央が衆議院議長席.

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西寛二郎

西 寛二郎(にし かんじろう、弘化3年3月10日(1846年4月5日) - 1912年(明治45年)2月28日)は、日本の陸軍軍人。教育総監、遼東守備軍司令官、軍事参議官等を歴任する。官位は陸軍大将正二位勲一等功一級子爵。.

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西園寺公望

1871年〜1880年、パリ留学時代 西園寺 公望(さいおんじ きんもち、嘉永2年10月22日(1849年12月6日)グレゴリオ暦導入後、西園寺は10月23日を戸籍上の誕生日として登録している - 昭和15年(1940年)11月24日)は、日本の公家、政治家、教育者。位階・勲等・爵位は従一位大勲位公爵。雅号は陶庵、不読、竹軒京都市北区等持院ちかくの別邸「萬介亭」の竹に因んだ号(出典: 藤井松一「西園寺公望関係文書について」『立命館大学人文科学研究所紀要(27)』p.32) 。 戊辰戦争において官軍の方面軍総督を務め、フランス留学後には伊藤博文の腹心となった。第2次伊藤内閣にて文部大臣として初入閣し外務大臣を兼任、第3次伊藤内閣でも文部大臣として入閣した。第4次伊藤内閣では班列として入閣し、内閣総理大臣の伊藤博文の病気療養中は内閣総理大臣臨時代理を務め、のちに伊藤が単独辞任すると内閣総理大臣臨時兼任を務めた。 その後、伊藤の立憲政友会の総裁に就任した。明治39年(1906年)内閣総理大臣に任じられ、第1次西園寺内閣、第2次西園寺内閣を組閣した。この時代は西園寺と桂太郎が交互に政権を担当したことから「桂園時代」と称された。その後は首相選定に参画するようになり、大正5年(1916年)に正式な元老となった。大正13年(1924年)に松方正義が死去した後は、「最後の元老」として大正天皇、昭和天皇を輔弼、実質的な首相選定者として政界に大きな影響を与えた。.

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西郷従道

西郷 従道(さいごう じゅうどう / つぐみち、天保14年5月4日(1843年6月1日) - 明治35年(1902年)7月18日)は、日本の武士(薩摩藩士)、陸軍および海軍軍人、政治家。階級は元帥海軍大将。栄典は従一位大勲位功二級侯爵。名前の読みとして「つぐみち」が広く流布しているが、西郷家によると「じゅうどう」が正訓である。兄の西郷隆盛を「大西郷」と称するのに対し、従道を「小西郷」と呼ぶ佐々木隆(2002)p.96。 文部卿(第3代)、陸軍卿(第3代)、農商務卿(第2代)、元老、海軍大臣(初・2・3・7・8・9・10代)、内務大臣(第4・5・18代)、貴族院議員を歴任した。.

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西村英一

西村 英一(にしむら えいいち、1897年8月28日 - 1987年9月15日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(当選11回)。 閣僚として厚生大臣、建設大臣など、また党職として自民党副総裁を務めた。田中派(七日会)初代会長。「おじいちゃん」の愛称で知られ、佐藤栄作、田中角栄両元首相に対するご意見番的存在であった。.

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要人

赤坂) 要人(ようじん)とは、社会に重大な影響が及ぶ立場や要職に就いている人物のことである。(ブイ・アイ・ピー(「ヴィップ」「ビップ」)と発音すると軽蔑的な響きがするため、「ヴィップ」「ビップ」とは読まない。 - プラクティカル ジーニアス英和辞典 ISBN 9784469041682(大修館書店) 1695ページ/当該項目より発音はであり、とは発音しない。 - プログレッシブ英和中辞典 第4版(小学館)、.

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香川敬三

幕末期の香川敬三 香川 敬三(かがわ けいぞう、天保10年11月15日(1839年12月20日) - 大正4年(1915年)3月18日)は、水戸藩出身の勤皇志士。東山道軍総督府大軍監・皇后宮大夫・皇太后宮大夫・枢密顧問官。諱は広安。旧姓は蓮田。幼名は、了介または徳松。旧名、鯉沼 伊織(こいぬま いおり)。変名は、小林彦次郎。明治になり香川広安、のちに敬三に改名。士族だったが、華族に編入される。爵位制度ができると子爵となり、のちに伯爵位。従一位勲一等旭日桐花大綬章。生年は天保10年(1839年)という説もある。墓所は青山霊園。.

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駐日アメリカ合衆国大使

日本国アメリカ合衆国大使(ちゅうにほんこくアメリカがっしゅうこくたいし)とは、日本に駐在するアメリカ合衆国連邦政府が派遣した特命全権大使。在日本アメリカ合衆国大使(ざいにほんアメリカがっしゅうこくたいし)、駐日米大使(ちゅうにちべいたいし)ともいう。.

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読売新聞社

読売新聞社(よみうりしんぶんしゃ)は、日本で『読売新聞』を発行する新聞社の名称である。.

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高島鞆之助

島 鞆之助(たかしま とものすけ、天保15年11月9日(1844年12月18日) - 大正5年(1916年)1月11日)は、日本の武士(薩摩藩士)、陸軍軍人、政治家、華族。薩摩藩士・高島喜兵衛の四男。諱は昭光。階級は陸軍中将、位階は正二位、勲等は勲一等、爵位は子爵。陸軍大臣・拓殖務大臣・枢密顧問官等を歴任した。また、現在の追手門学院小学校の前身である、大阪偕行社附属小学校の設立者でもある。当時の自宅は上智大学四谷キャンパスのクルトゥルハイム聖堂として現存する。.

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高崎正風

崎 正風(たかさき まさかぜ、天保7年7月28日(1836年9月8日) - 明治45年(1912年2月28日)は志士、作詞家。二条派の歌人。通称は左太郎、他に伊勢、豊麿、左京とも。号は宝義堂。長男元彦は日露戦争で戦死し、その跡は正光、正人と続く。.

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高橋是清

橋 是清(たかはし これきよ、1854年9月19日〈嘉永7年閏7月27日〉 - 1936年〈昭和11年〉2月26日)は、日本の幕末の武士(仙台藩士)、明治、大正、昭和時代初期の官僚、政治家。立憲政友会第4代総裁。第20代内閣総理大臣(在任: 1921年〈大正10年〉11月13日 - 1922年〈大正11年〉6月12日)。栄典は大勲位子爵。幼名は。財政家として知られているため総理大臣としてよりも大蔵大臣としての評価の方が高い。愛称は「ダルマさん」。.

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谷干城

谷 干城(たに たてき / かんじょう、天保8年2月12日(1837年3月18日) - 明治44年(1911年)5月13日)は、幕末から明治にかけて活躍した、土佐藩士、軍人、政治家。通称は申太郎、守部。号は隈山。 第2代学習院院長。東京学士会院会員、後に帝国学士院会員。位階勲等爵位は陸軍中将正二位勲一等子爵。 熊本鎮台司令長官であった西南戦争において、熊本城攻防戦を指揮したことで知られる。.

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豊田貞次郎

豊田 貞次郎(とよだ ていじろう、1885年(明治18年)8月7日 - 1961年(昭和36年)11月21日)は、日本の海軍軍人、政治家、実業家。最終階級は海軍大将。海兵33期首席。和歌山県出身。紀伊田辺藩士・豊田信太郎の次男。従二位勲一等。.

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財務大臣

財務大臣(ざいむだいじん)とは、各国において財務、財政、金融などを担当する大臣や長官のこと。 英語圏での「Minister of Finance」などの訳語。 「財務長官(ざいむちょうかん)」と訳すこともある。米国の「英:Secretary of the Treasury」は「財務長官」と訳すのが一般的。.

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財部彪

財部 彪(たからべ たけし、慶応3年4月7日(1867年5月10日) - 昭和24年(1949年)1月13日)は、日本の軍人、政治家。宮崎県都城市出身。階級は海軍大将。.

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賀陽宮邦憲王

賀陽宮邦憲王(かやのみや くにのりおう、1867年7月2日(慶応3年6月1日) - 1909年(明治42年)12月8日)は、日本の皇族、伊勢神宮祭主。第125代今上天皇の大伯父にあたる。.

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賀陽宮恒憲王

賀陽宮恒憲王(かやのみや つねのりおう、1900年(明治33年)1月27日 - 1978年(昭和53年)1月3日)は日本の元皇族、陸軍軍人である。神宮祭主賀陽宮邦憲王第1王子。官位は陸軍大学校長陸軍中将大勲位功三級に昇る。妃は九条道実公爵の五女敏子。.

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鹿島萩麿

鹿島 萩麿(かしま はぎまろ、1906年(明治39年)4月21日 - 1932年(昭和7年)8月26日)は、日本の元皇族。旧名、萩麿王。山階宮菊麿王の第四王子。母は菊麿王妃常子。日本海軍の軍人、最終階級は海軍大尉。.

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黒田長成

黒田 長成(くろだ ながしげ、慶応3年5月5日(1867年6月7日) - 昭和14年(1939年)8月14日)は、日本の政治家で侯爵。号は桜谷。父は筑前福岡藩の最後の藩主黒田長知である。妻は公爵島津忠義の娘、清子。後嗣は嫡男・黒田長礼。黒田長政から数えて福岡黒田家13代目の当主である。位階は従一位、勲等勲章は勲一等旭日桐花大綬章。.

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黒田清綱

黒田 清綱(くろだ きよつな、1830年4月13日(天保元年3月21日) - 1917年(大正6年)3月23日)は、幕末の薩摩藩士。明治期期の官吏・歌人・正二位・勲一等・子爵。薩摩藩士黒田清直の嫡男。母はお守(小倉氏)。通称は新太郎・嘉右衛門・嘉納。雅号は滝園。庶子に黒田清秀・養嗣子に黒田清輝(弟の実子)。同じ薩摩藩出身の黒田清隆との直接の血縁は無い。.

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黒田清隆

黒田 清隆(くろだ きよたか、学術誌、研究書、文部科学省検定教科書における歴史人物としての表記は「黒田清隆」、御署名原本における本人の署名は「黒田清隆」、『枢密院高等官履歴』における枢密院書記による氏名手記も「黒田清隆」である。印刷物では本字に統一するという慣例に従い、印刷局刊『職員録 明治21年(甲)』(1888年3月31日現在)における内閣総理大臣名の表記は「黒田淸隆」、同時代の新聞紙上での表記は「黒田淸隆」ないし「黑田淸隆」である。、天保11年10月16日(1840年11月9日) - 明治33年(1900年)8月23日)は、日本の武士(薩摩藩士)、陸軍軍人、政治家。階級は陸軍中将。位階勲等爵位は従一位大勲位伯爵。通称は仲太郎、了介。 薩摩藩士として、幕末に薩長同盟のため奔走し、明治元年(1868年)から明治2年(1869年)の戊辰戦争に際しては北越から庄内までの北陸戦線と、箱館戦争で新政府軍の参謀として指揮を執った。開拓次官、後に開拓長官として明治3年(1870年)から明治5年(1872年)まで北海道の開拓を指揮した。開拓使のトップを兼任しつつ、政府首脳として東京にあり、明治9年(1876年)に日朝修好条規を締結し、同10年(1877年)の西南戦争では熊本城の解囲に功を立てた。翌年に大久保利通が暗殺されると、薩摩閥の重鎮となった。しかし、開拓使の廃止直前に開拓使官有物払下げ事件を起こして指弾された。明治21年(1888年)4月から内閣総理大臣。在任中に大日本帝国憲法の発布があったが、条約交渉に失敗して翌年辞任した。その後元老となり、枢密顧問官、逓信大臣、枢密院議長を歴任した。.

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黒木為もと

黒木 為楨(くろき ためもと、天保15年3月16日(1844年5月3日) - 大正12年(1923年)2月3日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。伯爵。通称は七左衛門。.

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農商務省 (日本)

農商務省、1890年 農商務省(のうしょうむしょう)は、かつて産業行政を推進するために設置されていた日本の中央官庁。このページでは、第二次世界大戦中に設置された農商省(のうしょうしょう)も併せて述べる。.

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農林水産大臣

農林水産大臣(のうりんすいさんだいじん、)は、日本の農林水産省を所管する国務大臣である。略称は農水相(のうすいしょう)、または、農相(のうしょう)。 1925年以前及び1943年から1945年までの農商務大臣・農商大臣の一覧表は農商務省の項目を参照。.

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近衛忠煕

近衛 忠煕(このえ ただひろ、文化5年7月14日(1808年9月4日) - 明治31年(1898年)3月18日)は、幕末の公卿。公武合体派として活動した。翠山と号す。.

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蜂須賀茂韶

蜂須賀 茂韶(はちすか もちあき)は、江戸時代末期の大名、明治・大正時代の華族。阿波国徳島藩の第14代(最後)の藩主。文部大臣、東京府知事、貴族院議長を歴任した。.

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鈴木喜三郎

鈴木 喜三郎(すずき きさぶろう、慶応3年10月11日(1867年11月6日)- 昭和15年(1940年)6月24日)は、日本の司法官僚、政治家。立憲政友会第7代総裁。旧姓は川島。鳩山和夫の長女カヅと結婚し、鳩山一郎は義弟にあたる。司法官僚から、貴族院議員、清浦奎吾内閣の司法大臣、田中義一内閣の内務大臣を歴任し、衆議院議員から再度貴族院議員となった。犬養毅暗殺後の立憲政友会第7代総裁(在任、昭和7 - 昭和12、1932年 - 1937年)を務めた。.

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鈴木荘六

鈴木荘六書による忠魂碑、大阪府枚方市 鈴木 荘六(すずき そうろく、元治2年2月19日(1865年3月16日)- 昭和15年(1940年)2月20日)は、日本陸軍の軍人。陸軍大将正二位勲一等功二級。第4代帝国在郷軍人会長。.

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鈴木貫太郎

鈴木 貫太郎(すずき かんたろう、1868年1月18日(慶応3年12月24日) - 1948年(昭和23年)4月17日)は、日本の海軍軍人、政治家。階級・栄典は海軍大将従一位勲一等功三級男爵。 海軍士官として海軍次官、連合艦隊司令長官、海軍軍令部長(第8代)などの顕職を歴任した。予備役編入後に侍従長に就任、さらに枢密顧問官も兼任した。二・二六事件において襲撃されるが一命を取り留めた。枢密院副議長(第14代)、枢密院議長(第20・22代)を務めたあと、小磯國昭の後任として内閣総理大臣(第42代)に就任した。一時、外務大臣(第70代)、大東亜大臣(第3代)も兼任した。陸軍の反対を押し切って、第二次世界大戦を終戦に導いた。.

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船田中

船田 中(ふなだ なか、1895年(明治28年)4月24日 - 1979年(昭和54年)4月12日)は、日本の政治家。衆議院議員(当選15回)。第51代・第56代衆議院議長、自由民主党副総裁、従二位勲一等旭日桐花大綬章。 政治家一家として知られた「船田三兄弟」の長兄。衆議院議員で行政管理庁長官をつとめた船田享二は次弟、やはり衆議院議員で運輸大臣や自治大臣などを歴任した藤枝泉介は三弟にあたる。澄夫人は第24代衆議院議長元田肇の五女。参議院議員や栃木県知事をつとめた船田譲は長男で、その長男(孫)の船田元も衆議院議員、その2度目の妻(孫嫁)の畑恵も参議院議員をつめとている。 なお名の「中」は「なか」が正しい読みで、「あたる」は誤読である。.

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阪谷芳郎

阪谷 芳郎(さかたに よしろう、文久3年1月16日(1863年3月5日) - 昭和16年(1941年)11月14日)は、日本の大蔵官僚、政治家。子爵、法学博士。岡山県美星町(現井原市)出身。大蔵大臣、東京市長、貴族院議員などを歴任した。 曾孫の久美子は元首相を務めた橋本龍太郎の妻である。.

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関東都督府

関東都督府(かんとうととくふ、)は、大日本帝国時代の日本の機関。遼東半島先端部の関東州を統治する任務を帯びた。.

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薩摩藩

薩摩藩庁が置かれた鹿児島城 薩摩藩(さつまはん)は、江戸時代に薩摩・大隅の2か国及び日向国諸県郡の大部分を領有し、琉球王国を支配下に置いた藩。現在の鹿児島県全域と宮崎県の南西部を領有したほか、間接的に沖縄県の大部分を服属させた。.

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閑院宮春仁王

閑院宮春仁王(かんいんのみや はるひとおう、1902年(明治35年)8月3日 - 1988年(昭和63年)6月18日)は、日本の皇族、陸軍軍人で、階級は陸軍少将に昇る。栄典は大勲位・功四級。閑院宮載仁親王の第2王子。兄宮の篤仁王が生後すぐに薨去したため、実質長男として育ち、父載仁親王薨去にともない閑院宮を継承した。なお、父の代まで親王であったため、誤って「閑院宮春仁親王」として言及されることがしばしばある 誤って「春仁親王」とした言及の例:::。 戦後は皇籍を離脱し、姓を閑院とし閑院春仁と名乗った。のちに純仁(すみひと)と改名した。.

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藤山愛一郎

藤山 愛一郎(ふじやま あいいちろう、1897年5月22日 - 1985年2月22日)は、日本の政治家、実業家。 外務大臣、経済企画庁長官、日本商工会議所会頭、経済同友会代表幹事、初代日本航空会長、自民党総務会長を歴任した。 藤山コンツェルン二代目。位階は従二位。勲等は勲一等。.

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藤井較一

藤井 較一(ふじい こういち、安政5年8月18日(1858年9月24日) - 大正15年(1926年)7月9日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。.

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葛城茂麿

葛城 茂麿(かつらぎ しげまろ、1908年(明治41年)4月29日 - 1947年(昭和22年)1月10日)は、日本の元皇族。旧名、茂麿王。山階宮菊麿王の第五王子。母は菊麿王妃常子。陸軍軍人、最終階級は陸軍中佐。伯爵。.

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邦寿王

邦寿王(くにながおう、1922年(大正11年)4月21日 - 1986年(昭和61年)4月16日)は、日本の元皇族、陸軍軍人。最終階級は陸軍大尉。賀陽宮恒憲王の第1王子。.

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邦芳王

邦芳王(くにかおう、1880年(明治13年)3月18日 - 1933年(昭和8年)6月1日)は、明治から昭和にかけての皇族。父は伏見宮貞愛親王、母は利子女王(有栖川宮幟仁親王第四王女)。伏見宮邦芳王と通称することもある。 正嫡の子であることから伏見宮を継承する予定であったが、病弱であったため、1904年(明治37年)、異母兄で華頂宮を継承していた華頂宮博恭王が伏見宮に復籍し、伏見宮を継承した。1900年(明治33年)から薨去する1933年(昭和8年)まで貴族院議員。.

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野間口兼雄

野間口 兼雄(のまぐち かねお、慶応2年2月14日(1866年3月30日) - 昭和18年(1943年)12月24日)は、日本の海軍軍人、海軍大将。.

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野村吉三郎

野村 吉三郎(のむら きちさぶろう、1877年(明治10年)12月16日 - 1964年(昭和39年)5月8日)は、昭和初期に活躍した日本の海軍軍人、外交官、政治家。和歌山県和歌山市出身。位階勲功等は海軍大将従二位勲一等功二級。 国際法の権威として知られ、阿部内閣で外務大臣をつとめたのち、第二次近衛内閣のとき駐米大使に任じられ、真珠湾攻撃の日まで日米交渉に奔走して戦争回避を模索した。.

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野村靖

野村 靖(のむら やすし、天保13年8月6日(1842年9月10日) - 明治42年(1909年)1月24日)は日本の武士、政治家。子爵。名は和作、靖之助。号を欲庵、香夢庵主。官位は正二位。山口県萩市萩往還公園に天野清三郎と並んだ銅像が立っている。.

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野津道貫

野津 道貫(のづ みちつら / どうがん)、天保12年11月5日(1841年12月17日) - 1908年(明治41年)10月18日)は、幕末の薩摩藩士、明治の陸軍軍人、貴族院議員。東部都督、教育総監、第4軍司令官を歴任した。通称は七次。諱は道貫。最終階級は元帥陸軍大将正二位大勲位功一級侯爵。兄に陸軍中将・野津鎮雄がいる。.

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重宗雄三

重宗 雄三(しげむね ゆうぞう、1894年(明治27年)2月11日 - 1976年(昭和51年)3月13日)は、昭和期の政治家、実業家。参議院議長を3期9年間にわたり務めた。山口県岩国市出身。.

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重光葵

重光 葵(しげみつ まもる、1887年(明治20年)7月29日 - 1957年(昭和32年)1月26日)は、第二次世界大戦期の、日本の外交官・政治家である。.

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金子堅太郎

金子 堅太郎(かねこ けんたろう、嘉永6年2月4日(1853年3月13日) - 1942年(昭和17年)5月16日)は、明治期の官僚・政治家。司法大臣、農商務大臣、枢密顧問官を歴任し栄典は従一位大勲位伯爵。 伊東巳代治、井上毅らとともに大日本帝国憲法の起草に参画。また、皇室典範などの諸法典を整備した。日本法律学校(現・日本大学)初代校長。.

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金鵄勲章

金鵄勲章(きんしくんしょう)は、かつて制定されていた日本の勲章の一つ。日本唯一の武人勲章とされ、武功のあった陸海軍(陸軍・海軍)の軍人および軍属に与えられた。金鵄章ともいう。 「金鵄」という名前の由来は、神武天皇の東征の際に、神武の弓の弭にとまった黄金色のトビ(鵄)が光り輝き、長髄彦の軍を眩ませたという日本神話の伝説に基づく。.

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長州藩

長州藩邸跡、碑文は屋敷址、京都河原町御池東入ル 長州藩(ちょうしゅうはん)は、江戸時代に周防国と長門国を領国とした外様大名・毛利氏を藩主とする藩。家格は国主・大広間詰。 藩庁は長く萩城(萩市)に置かれていたため、萩藩(はぎはん)とも呼ばれた。幕末には周防山口の山口城(山口政事堂)に移ったために、周防山口藩(すおうやまぐちはん)と呼ばれる事例もでてきた。一般には、萩藩・(周防)山口藩時代を総称して「長州藩」と呼ばれている。 幕末には討幕運動・明治維新の中心となり、明治時代には明治新政府に政治家を多数輩出した(2014年8月5日時点のアーカイブ)。.

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長谷川好道

長谷川 好道(はせがわ よしみち、1850年10月1日(嘉永3年8月26日) - 1924年(大正13年)1月27日)は、日本の陸軍軍人。韓国駐剳軍司令官、参謀総長、朝鮮総督を歴任。官位は元帥陸軍大将・従一位・大勲位・功一級・伯爵。.

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若槻禮次郎

若槻 禮次郞(わかつき れいじろう、慶応2年2月5日(1866年3月21日) - 昭和24年(1949年)11月20日)は、日本の大蔵官僚、政治家。栄典は正二位勲一等男爵。旧姓は奥村。幼名は源之丞。号は克堂。新字体にて若槻 礼次郎と表記されることもある学術誌、研究書、辞典類、文部科学省検定教科書では歴史人物名の表記として「若槻礼次郎」、存命当時の『職員録』などでは「若槻禮次郎」、御署名原本における署名も「若槻禮次郎」(ただし「禮」は草書体)である。。 貴族院議員、大蔵大臣(第18・20代)、内務大臣(第41・42代)、内閣総理大臣(第25・28代)、拓務大臣(第4代)などを歴任した。.

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連合艦隊司令長官

連合艦隊司令長官(れんごうかんたいしれいちょうかん、旧字表記:聯合艦隊司令長官、英語名:Commander-in-Chief of the Combined Fleet)は、日本海軍の外戦部隊である連合艦隊の指揮官。略称はGF長官。.

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逓信省

逓信省(ていしんしょう)は、かつて日本に存在した郵便や通信を管轄する中央官庁である。 内閣創設時から第二次世界大戦中の行政機構改革で統合されるまで、交通・通信・電気を幅広く管轄していた。第二次世界大戦後にも復活して1946年(昭和21年)から1949年(昭和24年)まで存在したが、この時期には通信事務のみを管轄した。現在の総務省、日本郵政(JP)、及び日本電信電話(NTT)は、1946年(昭和21年)から1949年(昭和24年)までの逓信省の後身に相当する。.

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陸軍大将

軍大将(りくぐんたいしょう/英:General・仏:Général d'Armée)は陸軍将官の階級。通常陸軍中将の上に位置するが、上位の階級は国や時代による異なる。 陸上自衛隊は旧軍と同一の階級呼称は用いていないが、旧軍の中将にあたる陸将が階級としては最上位で、陸軍大将にあたる階級はない。しかし、陸将たる者が統合幕僚長または陸上幕僚長に就任している間は諸外国の大将と同じ4つ桜(星にあたる)の階級章を用いる。 英語呼称の“General”は、陸軍元帥から陸軍准将までの陸軍の将官(General officer)への敬称としても用いられる。このような場合の“General”の和訳語としては、将軍が用いられる。他の将官の階級と区別したい場合はFull Generalと表現する。 ドイツ軍の“General”は、日本では「大将」と訳されているが、ナチス・ドイツ時代までのドイツ陸軍や空軍では〝General”の上に“Generaloberst”(日:上級大将・英:Colonel General)があり、英米では“Generaloberst(独)”を“General(英)”と扱っている。なお蛇足ながら、海軍上級大将は‶Generaladmiral(独)”と呼称する。.

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陸軍大臣

軍大臣(りくぐんだいじん)は、陸軍省を担当した日本の国務大臣。陸軍三長官の一つ。親任官であるため、中将の就任者であっても大将に対し行政命令を発することが出来た。.

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枢密院 (日本)

枢密院(すうみついん、旧字体:樞密院)は、枢密顧問(顧問官)により組織される天皇の諮問機関。憲法問題も扱ったため、「憲法の番人」とも呼ばれた。1888年(明治21年)創設、1947年(昭和22年)5月2日、翌日の日本国憲法施行に伴い廃止。略称は枢府(すうふ)。議長は枢相(すうしょう)とも呼ばれた。.

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林友幸

林 友幸(はやし ともゆき、文政6年2月6日(1823年3月18日) - 明治40年(1907年)11月8日)は、日本の武士、政治家。元老院議官、貴族院議員、枢密顧問官を歴任。通称は周次郎、半七。栄典は勲一等旭日桐花大綬章伯爵。林博太郎の祖父。.

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林銑十郎

林 銑十郎(はやし せんじゅうろう、1876年(明治9年)2月23日 - 1943年(昭和18年)2月4日)は、日本の陸軍軍人、政治家。陸軍大将。従二位、勲一等旭日大綬章、 功四級金鵄勲章。 斎藤内閣と岡田内閣の陸軍大臣を務めた後、内閣総理大臣(第33代)となり、文部大臣を兼任、組閣直後には外務大臣も短期間兼任した。.

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林譲治 (政治家)

林 譲治(はやし じょうじ、1889年(明治22年)3月24日 - 1960年(昭和35年)4月5日)は、日本の政治家。第41代衆議院議長、副総理、厚生大臣、内閣官房長官を歴任。位階勲等は従二位勲一等旭日桐花大綬章。.

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林董

林 董(はやし ただす、嘉永3年2月29日(1850年4月11日) - 大正2年(1913年)7月10日)は、江戸時代末期(幕末)の幕臣、明治時代の日本の外交官、政治家。伯爵。蘭方医佐藤泰然の5男で初代陸軍軍医総監・男爵の松本良順は実兄。幼名は信五郎、名は董三郎(とうさぶろう)とも。変名、佐藤 東三郎(さとう とうさぶろう)。.

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林権助

林 権助(はやし ごんすけ、安政7年3月2日(1860年3月23日) - 昭和14年(1939年)6月27日)は、明治・大正期の外交官・男爵。会津藩出身。林又一郎は父星亮一『松江豊寿と会津武士道』2006年、ベストセラーズ(ベスト新書)、pp87-90、第三章 坂東俘虜収容所 韓国に派遣さる。会津藩大砲隊長・林権助安定は祖父。位階・勲等は従一位勲一等。.

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東久世通禧

東久世 通禧(ひがしくぜ みちとみ、天保4年11月22日(1834年1月1日) - 明治45年(1912年)1月4日『平成新修旧華族家系大成』下、384-385頁。)は、日本の江戸時代末期から明治時代にかけての公家、政治家。 七卿落ちで長州に逃れた尊王攘夷派公卿の1人。王政復古後は外国事務総督を務め、発足したばかりの新政府の外交折衝にあたる。神奈川府知事、開拓長官、侍従長などの要職を歴任し、後に貴族院副議長・枢密院副議長に至った。華族(伯爵)。号は竹亭、古帆軒。.

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東久邇宮稔彦王

東久邇宮 稔彦王(ひがしくにのみや なるひこおう、1887年(明治20年)12月3日 - 1990年(平成2年)1月20日)は、日本の皇族(旧皇族)、陸軍軍人、政治家。階級は陸軍大将。位階は従二位。勲等は大勲位。功級は功一級。皇籍離脱後は東久邇 稔彦(ひがしくに なるひこ)を名乗った。世界連邦建設同盟(現世界連邦運動協会)名誉会長、第2代会長。千葉工業大学の創設発案者。 貴族院議員、陸軍航空本部長(第10代)、防衛総司令官(第2代)、内閣総理大臣(第43代)、陸軍大臣(第34代)などを歴任した。 父は久邇宮朝彦親王。香淳皇后(昭和天皇后)は姪、今上天皇は大甥に当たる。 日本の降伏、第二次世界大戦終結後の1945年(昭和20年)8月17日、敗戦の責任を取り辞職した鈴木貫太郎の後を継いで内閣総理大臣に就任、憲政史上最初で最後の皇族内閣を組閣した。 東久邇宮は内閣総理大臣として、連合国に対する降伏文書の調印、陸海軍の解体、復員の処理を実施した。また、「新日本建設に向けて活発な言論と公正な世論に期待する」とし、政治犯の釈放や言論・集会・結社の自由容認の方針を組閣直後に明らかにし、選挙法の改正と総選挙の実施の展望を示した。 その一方、昭和天皇への問責を阻止するため“一億総懺悔”を唱え、国内の混乱を収めようとするも自由化政策内相及び内務警察官僚4000名の罷免と治安維持法の撤廃、特別高等警察の廃止を巡るGHQと内務省による対立とGHQによる内政干渉に抵抗の意志を示すため、歴代内閣在任最短期間の54日で総辞職した東久邇宮首相は、副総理格の緒方竹虎の意見を求めると「占領されている以上拒否はできないが、承服したのでは政府の威信がなくなる。承服できないという消極的な意思表示の意味で内閣総辞職しよう」と述べ、これに首相が同意し、内閣は総辞職した(産経新聞 2002年6月10日掲載)。歴代総理大臣では最高齢(死去時102歳48日)の首相経験者である。.

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東京大学

記載なし。

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東伏見慈洽

東伏見 慈洽(ひがしふしみ じごう、1910年5月16日 - 2014年1月1日)は、日本の僧侶。旧華族、旧皇族。今上天皇の叔父に当たる。 久邇宮邦彦王の第3王子、旧名邦英王(くにひでおう)。夫人は伯爵・亀井茲常の次女・東伏見保子(亀井次女)。前衆議院議員・亀井久興は妻の甥。.

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東龍太郎

東 龍太郎(あずま りょうたろう、1893年(明治26年)1月16日 - 1983年(昭和58年)5月26日)は、日本の医学者・官僚。東京大学名誉教授。 東京都知事(第4・5代)、日本赤十字社社長(第10代)等を歴任した。 位階勲等は正三位勲一等旭日桐花大綬章。学位は医学博士(東京帝国大学)。称号は東京都名誉都民、日本赤十字社名誉社長等。 父・藤九郎は医師。弟の東武雄は、東大野球部の投手として活躍。妻は東京帝国大学総長を務めた山川健次郎(枢密顧問官、男爵)の三女・照子。.

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松室致

松室 致(まつむろ いたす、嘉永5年1月2日(1852年1月22日) - 昭和6年(1931年)2月16日)は、日本の司法官僚、政治家、教育者。検事総長、司法大臣、貴族院勅選議員、枢密顧問官を歴任。法政大学学長(1913年 - 1931年)。.

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松川敏胤

松川 敏胤(まつかわ としたね、安政6年11月9日(1859年12月2日) - 昭和3年(1928年)3月7日)は、日本の陸軍軍人。軍事参議官・朝鮮軍司令官・東京衛戍総督や第10・第16師団長を歴任し、階級は陸軍大将従二位勲一等功二級に至る。宮城県仙台市出身。幼名は恭輔。.

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松下幸之助

松下 幸之助(まつした こうのすけ、1894年〈明治27年〉11月27日 - 1989年〈平成元年〉4月27日)は、日本の実業家、発明家、著述家。 パナソニック(旧社名:松下電気器具製作所、松下電器製作所、松下電器産業)を一代で築き上げた経営者である。異名は「経営の神様」。 自分と同じく丁稚から身を起こした思想家の石田梅岩に倣い、PHP研究所を設立して倫理教育や出版活動に乗り出した。さらに晩年は松下政経塾を立ち上げ、政治家の育成にも意を注いだ。.

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松井慶四郎

松井 慶四郎(まつい けいしろう、1868年3月28日(慶応4年3月5日) - 1946年(昭和21年)6月4日)は、明治から昭和時代の日本の外交官、外務大臣。男爵。大阪府出身。松井保蔵二男。.

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松田正久

松田 正久(まつだ まさひさ、弘化2年4月12日(1845年5月17日) - 大正3年(1914年)3月4日)は、日本の政治家。男爵。幼名は猪吉郎。号は牛州・江村など。.

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松野鶴平

松野 鶴平(まつの つるへい、明治16年(1883年)12月22日 - 昭和37年(1962年)10月18日)は日本の政治家。衆議院議員、鉄道大臣、参議院議長などを歴任。権謀術数に長けたことから「松のズル平」とあだ名された。また、実業家として菊池電気軌道(現・熊本電気鉄道)の社長も務めた。熊本県平民『人事興信録.

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松村謙三

松村 謙三(まつむら けんぞう、1883年(明治16年)1月24日 - 1971年(昭和46年)8月21日)は、戦前昭和から戦後昭和にかけて活躍した日本の政党政治家。.

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松方正義

松方 正義(まつかた まさよし、天保6年2月25日(1835年3月23日) - 大正13年(1924年)7月2日)は、日本の武士(薩摩藩士)、政治家。位階勲等爵位は従一位大勲位公爵。幼名は金次郎。通称は助左衛門。号は海東『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞社、1994年が「海来」としているのは誤植。。 明治期の日本において内閣総理大臣を2度(第4・6代)務めるとともに大蔵卿、大蔵大臣(初・第2・第3・第4・第6・第8・第11代)を長期間務めて日本銀行を設立したり、金本位制を確立するなど、財政通として財政面で業績を残した。また、晩年は元老、内大臣として政局に関与し影響力を行使した。独逸学協会名誉会員。日本赤十字社社長。.

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板垣退助

板垣 退助(いたがき たいすけ、天保8年4月17日(1837年5月21日) - 大正8年(1919年)7月16日)は、日本の武士(土佐藩士)、政治家。幼名は猪之助。退助は元は通称。諱は初め正躬(まさみ)、のち正形(まさかた)。号は無形(むけい)。栄典は従一位勲一等伯爵。明治維新の元勲。自由民権運動の主導者として知られ、「庶民派」の政治家として国民から圧倒的な支持を受けていた。薨去後も民主政治の草分けとして人気が高く、第二次世界大戦後は50銭政府紙幣、日本銀行券B100円券に肖像が用いられた。.

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村上格一

村上 格一(むらかみ かくいち、文久2年11月1日(1862年12月21日) - 昭和2年(1927年)11月15日)は、日本の海軍軍人。海軍大将。清浦内閣の海軍大臣。佐賀県出身。幼名は袈裟之助(けさのすけ)。養子に海軍少将・村上暢之助。また実娘は海軍少将・横井忠雄と結婚している。.

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杉孫七郎

杉 孫七郎(すぎ まごしちろう、1835年2月13日(天保6年1月16日)- 1920年(大正9年)5月3日)は、日本の武士・長州藩士。明治・大正期の官僚。諱は重華。字は子華。通称は徳輔・忠次郎・少輔九郎。号は松城・聴雨。.

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栽仁王

栽仁王(たねひとおう、1887年(明治20年)9月22日 - 1908年(明治41年)4月3日)は、明治期の日本の皇族。勲等は大勲位、階級は海軍少尉。 有栖川宮威仁親王の第一王子(男女合わせた王子女の中では3人中2番目)で、 母は加賀金沢藩主前田慶寧の四女・慰子。公爵徳川慶久の夫人となった實枝子は実妹。.

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栗野慎一郎

栗野 慎一郎(くりの しんいちろう、嘉永4年11月7日(1851年11月29日) - 昭和12年(1937年)11月15日)は、明治・大正期の日本の外交官。初代駐フランス特命全権大使。.

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栄典

栄典(えいてん)とは、.

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桐紋

桐紋(きりもん)とは、ゴマノハグサ科の樹木であるキリ(桐)の葉や花を図案化した、家紋などの総称である。桐花紋(とうかもん)とも呼ばれる。 室町幕府では小判などの貨幣に刻印された。これ以来、室町幕府のほか皇室や豊臣政権など様々な政権が用いており、現在では日本国政府の紋章として用いられている。.

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桐花章

桐花大綬章(とうかだいじゅしょう)は、日本の勲章の一つ。1888年(明治21年)1月4日に旭日章の最上位として追加制定された。日本に於ける高位勲章の一つ。 2003年(平成15年)11月3日から勲一等旭日桐花大綬章は、旭日大綬章及び瑞宝大綬章を授与されるべき者のうち功績又は長年にわたる功労が特に優れているものに授与される勲章とし、名称を桐花大綬章(漢数字による勲等表示は廃止)に改めた。勲章の形容は変わらないが「旭日桐花大綬章」ではなくなり、旭日章とは別個の「桐花章」という勲章に分類が成された。 ここでは新制度に於ける「桐花大綬章」について解説する。旧制度の勲章については旭日章及び勲一等旭日桐花大綬章を参照。.

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梨本宮守正王

梨本宮守正王(なしもとのみや もりまさおう、1874年(明治7年)3月9日 - 1951年(昭和26年)1月1日)は、日本の皇族、陸軍軍人。官位は元帥陸軍大将。栄典は大勲位功四級。大韓帝国最後の皇太子である李王垠の岳父。第125代今上天皇の大叔父にあたる。.

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梨本徳彦

梨本 徳彦(なしもと のりひこ、1922年(大正11年)11月19日 - 2007年(平成19年)2月7日)は、日本の海軍軍人、皇族、華族。位階は従四位。勲等は勲一等。爵位は伯爵。最終階級は海軍大尉。お印は鳳凰小田部雄次『天皇と宮家-消えた十一宮家と孤立する天皇家』新人物往来社、2010年、259頁。。 梨本家(旧梨本宮家)前当主。皇族時代は徳彦王(久邇宮家)といい、臣籍降下後に梨本伊都子(梨本宮守正王妃)の養子となるまでは龍田 徳彦という。.

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椎名悦三郎

椎名 悦三郎(しいな えつさぶろう、1898年(明治31年)1月16日 - 1979年(昭和54年)9月30日)は、日本の官僚、政治家。岸信介の腹心として満州国の運営に関わり、また商工次官として統制経済を推進、軍需次官も務めた。戦後は政界入りし、内閣官房長官(岸内閣)、通商産業大臣(21代・30代)、外務大臣(94-95代)、自由民主党において政調会長、総務会長、副総裁を歴任した。田中角栄の後継の総裁として三木武夫を指名した「椎名裁定」は世人を驚かせた。椎名素夫は次男、血縁のない叔父に後藤新平がいる。.

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植村甲午郎

植村 甲午郎(うえむら こうごろう、1894年(明治27年)3月12日 - 1978年(昭和53年)8月1日)は、昭和初期から後期(1920年代 - 1970年代)の財界人、官僚。札幌オリンピック組織委員会会長。 第3代経済団体連合会(経団連)会長(1968年(昭和43年) - 1974年(昭和49年) )。.

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榎本武揚

榎本 武揚(えのもと たけあき、1836年10月5日(天保7年8月25日) - 1908年(明治41年)10月26日)は、日本の武士(幕臣)、化学者、外交官、政治家。海軍中将、正二位勲一等子爵。通称は釜次郎、号は梁川(りょうせん)。榎、釜を分解した「夏木金八(郎)」という変名も用いていた。なお、武揚は「ぶよう」と故実読みでも呼ばれた。 伊能忠敬の元弟子であった幕臣・榎本武規(箱田良助)の次男として生まれる。昌平坂学問所、長崎海軍伝習所で学んだ後、幕府の開陽丸発注に伴いオランダへ留学した。帰国後、幕府海軍の指揮官となり、戊辰戦争では旧幕府軍を率いて蝦夷地を占領、いわゆる「蝦夷共和国」の総裁となった。箱館戦争で敗北し降伏、東京・辰の口の牢獄に2年半投獄された。 敵将・黒田清隆の尽力により助命され、釈放後、明治政府に仕えた。開拓使で北海道の資源調査を行い、駐露特命全権公使として樺太千島交換条約を締結したほか、外務大輔、海軍卿、駐清特命全権公使を務め、内閣制度開始後は、逓信大臣・文部大臣・外務大臣・農商務大臣などを歴任、子爵となった。 また、メキシコに殖民団を送ったほか、東京農業大学の前身である徳川育英会育英黌農業科や、東京地学協会、電気学会など数多くの団体を創設した。.

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横田喜三郎

横田 喜三郎(よこた きさぶろう、1896年(明治29年)8月6日 - 1993年(平成5年)2月17日)は、日本の国際法学者、第3代最高裁判所長官。学位は法学博士(東京帝国大学)。栄典は従二位・勲一等・文化勲章・文化功労者・紺綬褒章・江南市名誉市民など。国務大臣を務めた猪口邦子は孫にあたる。.

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樺山資紀

樺山 資紀(かばやま すけのり、天保8年11月2日(1837年12月9日) - 大正11年(1922年)2月8日)は、日本の武士(薩摩藩士)、軍人、政治家。階級は海軍大将。栄典は従一位大勲位功二級伯爵。 警視総監(第3代)、海軍大臣(第4・5代)、海軍軍令部長(第6代)、台湾総督(初代)、枢密顧問官、内務大臣(第15代)、文部大臣(第14代)を歴任した。.

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櫻井錠二

櫻井 錠二(さくらい じょうじ、1858年9月24日(安政5年8月18日) - 1939年(昭和14年)1月28日)は、日本の化学者。.

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櫻内義雄

櫻内 義雄(さくらうち よしお、1912年(明治45年)5月8日 - 2003年(平成15年)7月5日)は、日本の政治家。衆議院議員(18期)、衆議院議長(第67代)、通産大臣、農林大臣、建設大臣、国土庁長官、自民党政調会長、外務大臣、自由民主党幹事長などを歴任。元日蓮宗全国檀信徒協議会会長。従二位勲一等。 父は商工相、農林相、大蔵相などを歴任した櫻内幸雄。兄は中国電力会長を務めた櫻内乾雄。  .

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正力松太郎

正力 松太郎(しょうりき まつたろう、1885年(明治18年)4月11日 – 1969年(昭和44年)10月9日)は、日本の内務官僚、実業家、政治家。元読売新聞社社主。位階勲等は従二位勲一等。富山県高岡市名誉市民。京成電鉄OB。.

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正三位

正三位(しょうさんみ)とは、位階及び神階のひとつ。従二位の下、従三位の上に位する。日本では「おおいみつのくらい」とも読む。.

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正二位

正二位(しょうにい)は、日本の位階及び神階における位の一つ。従一位の下、従二位の上に位する。.

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正親町三条実愛

正親町三条 実愛(おおぎまちさんじょう さねなる、文政3年10月30日(1820年12月5日) - 明治42年(1909年)10月20日)は、日本の江戸時代後期から明治時代の公卿、政治家、麝香間祗候。改名して嵯峨実愛。.

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武藤信義

武藤 信義(むとう のぶよし、1868年9月1日(慶応4年7月15日) - 1933年7月27日)は、日本の陸軍軍人。元帥、陸軍大将、正二位勲一等功一級男爵。関東軍司令官兼駐満大使兼関東長官・教育総監・軍事参議官・東京警備司令官等を歴任した。.

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毛利元徳

毛利 元徳 / 定広(もうり もとのり / さだひろ)、天保10年9月22日(1839年10月28日) - 明治29年(1896年)12月23日)は、長州藩の第14代(最後の)藩主。のち公爵。位階は従一位。勲等は勲一等。.

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水野錬太郎

水野 錬太郎(みずの れんたろう、慶応4年1月10日(1868年2月3日) - 昭和24年(1949年)11月25日)は、日本の内務官僚、政治家。勲等は勲一等。内務大臣、朝鮮総督府政務総監、文部大臣、貴族院議員などを歴任した。.

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永野重雄

永野 重雄(ながの しげお、1900年7月15日 - 1984年5月4日)は日本の実業家。島根県松江市生まれ、広島県広島市南区出汐育ち。新日本製鐵会長、経済同友会代表幹事、日本商工会議所会頭などを歴任した、戦後日本を代表する経済人の一人#回想録、12-16頁「中曽根康弘(述)」。。財界四天王の一人で#財界昭和史、208-221頁。、"戦後の財界のドン"ともいわれた。広島高等師範学校附属小学校#財界人生、43-46、255頁。 - 広島高等師範学校附属中学校 - 第六高等学校 - 東京帝国大学法学部政治学科卒業。正三位勲一等旭日桐花大綬章。広島市名誉市民。 .

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江木千之

江木 千之(えぎ かずゆき、1853年5月21日〈嘉永6年4月14日 〉 - 1932年〈昭和7年〉8月23日)は、近代日本の文部・内務官僚、政治家。官選県知事、貴族院勅選議員、文部大臣などを歴任。号は狂塢。岩国藩士江木俊敬の長男。.

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河合操

河合 操(かわい みさお、1864年10月26日(元治元年9月26日) - 1941年10月11日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍大将。.

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河井彌八

河井 彌八(かわい やはち、1877年10月24日-1960年7月21日)は、日本の官僚・政治家。侍従次長や第4代参議院議長を歴任する。静岡県出身。.

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河瀬真孝

河瀬 真孝(かわせ まさたか)、天保11年2月9日(1840年3月12日) - 大正8年(1919年)9月29日)は日本の武士(長州藩士)、官僚。はじめ石川新五郎、石川 小五郎(いしかわ こごろう)と称したが、のちに河瀬真孝、河瀬安四郎と改名。位階勲等は正二位勲一等、爵位は子爵。.

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河野一郎

河野 一郎(こうの いちろう、1898年(明治31年)6月2日 - 1965年(昭和40年)7月8日)は、日本の政治家。副総理、日本自由党幹事長、自由民主党総務会長。昭和中期の政界実力者の一人。河野派会長、領袖。 自由民主党の党人派の代表格として権勢を誇り、その政治行動は「横紙破り」 と呼ばれた。農林大臣、建設大臣、経済企画庁長官、行政管理庁長官、副総理、国務大臣(東京五輪担当)を務めた。また、地元神奈川県県政にも強い影響力を持ち、県は「河野王国」とも呼ばれた。栄典は従二位勲一等旭日桐花大綬章。 参議院議長をつとめた河野謙三は実弟。衆議院議長、外務大臣、自由民主党総裁、新自由クラブ代表をつとめた河野洋平は次男。外務大臣を務める衆議院議員、河野太郎は孫にあたる。.

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河野謙三

河野 謙三(こうの けんぞう、1901年(明治34年)5月14日 - 1983年(昭和58年)10月16日)は、日本の政治家。従二位勲一等旭日桐花大綬章。 参議院議員(5期)、衆議院議員(1期)、参議院議長(第11・12代)を歴任。.

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波多野敬直

波多野 敬直(はたの よしなお読みは『平成新修旧華族家系大成』、『議会制度七十年史』による。、1850年11月13日(嘉永3年10月10日) - 1922年(大正11年)8月29日)は、明治・大正時代の官僚・政治家。司法大臣・宮内大臣などを歴任した。位階・勲等・爵位は、正二位勲一等子爵。.

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法務大臣

法務大臣(ほうむだいじん、)は、法務省の長である国務大臣。略称は法相(ほうしょう)。.

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渡辺美智雄

渡辺 美智雄(渡邉、わたなべ みちお、1923年(大正12年)7月28日 - 1995年(平成7年)9月15日)は、日本の政治家。元衆議院議員、自由民主党政務調査会長(第33代)。厚生相、農水相、蔵相、通産相、副総理兼外相と閣僚を歴任。中曽根派を継承して派閥の領袖。衆議院議員。税理士。千葉県習志野市生まれの、栃木県那須郡川西町(黒羽町を経て2005年以降大田原市)育ち。従二位勲一等旭日桐花大綬章。 「ミッチー」の愛称で親しまれた。 息子は、内閣府特命担当大臣や、みんなの党代表を務めた参議院議員の渡辺喜美。長女は、医師、公認会計士、税理士で第48回衆議院議員総選挙に出馬した渡辺美由紀。参議院議員の渡辺美知太郎は孫。.

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渡辺錠太郎

渡辺 錠太郎(わたなべ じょうたろう、1874年4月16日 - 1936年2月26日)は、日本の昭和初期の陸軍軍人で、二・二六事件の犠牲者である。.

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清瀬一郎

清瀬 一郎(きよせ いちろう、1884年(明治17年)7月5日 - 1967年(昭和42年)6月27日)は大正、昭和時代の日本の弁護士、政治家。弁護士としては極東国際軍事裁判で東條英機の弁護人などを務め、また政治家としては文部大臣、衆議院議長を歴任。学位は法学博士。東京弁護士会会長。従二位勲一等旭日桐花大綬章。.

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清浦奎吾

清浦 奎吾(きようら けいご、1850年3月27日(嘉永3年2月14日) - 1942年(昭和17年)11月5日)は、日本の司法官僚、政治家。位階は正二位。勲等は大勲位。爵位は伯爵。幼名は普寂(ふじゃく)。旧姓は大久保(おおくぼ)。 貴族院議員、司法大臣、農商務大臣、内務大臣、枢密顧問官、枢密院副議長、枢密院議長、内閣総理大臣などを歴任した。.

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渋沢栄一

渋沢 栄一(しぶさわ えいいち、天保11年2月13日(1840年3月16日) - 昭和6年(1931年)11月11日)は、江戸時代末期(幕末)から大正初期にかけての日本の武士(幕臣)、官僚、実業家。第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、「日本資本主義の父」ともいわれる。理化学研究所の創設者でもある。 正二位勲一等子爵。雅号に青淵(せいえん)。.

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湯浅倉平

湯浅 倉平(ゆあさ くらへい、1874年(明治7年)2月1日 - 1940年(昭和15年)12月24日)は、日本の内務官僚・政治家。位階・勲等・爵位は正二位勲一等男爵。初名は石川倉之丞。.

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濱口雄幸

濱口の署名「空谷」 濱口 雄幸学術誌、研究書、辞典類、文部科学省検定教科書では歴史人物名の表記として「浜口雄幸」、存命当時の『職員録』など印刷物では「濱口雄幸」、御署名原本における署名も「濱口雄幸」である。(はまぐち おさち、1870年5月1日(明治3年4月1日) - 1931年(昭和6年)8月26日)は、日本の大蔵官僚、政治家。位階は正二位。勲等は勲一等。号は空谷。 大蔵大臣(第25代)、内務大臣(第43代)、内閣総理大臣(第27代)、立憲民政党総裁などを歴任した。.

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濱尾新

濱尾 新(はまお あらた、1849年5月12日(嘉永2年4月20日) - 1925年(大正14年)9月25日)は明治時代から大正時代にかけての日本の教育行政官、政治家。旧豊岡藩士。子爵。 文部省専門学務局長、元老院議官、東京帝国大学(東京大学の前身)総長、文部大臣、高等教育会議議長、東宮大夫、貴族院議員、枢密顧問官、枢密院副議長・議長、内大臣を歴任した。.

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服部一三

服部 一三(はっとり いちぞう、1851年3月13日(嘉永4年2月11日) - 1929年(昭和4年)1月25日)は明治時代の日本の文部・内務官僚。 岩手・広島・長崎・兵庫の各県知事、貴族院議員を歴任した。.

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朝香孚彦

朝香 孚彦(あさか たかひこ、1912年(大正元年)10月8日 - 1994年(平成6年)5月6日)は、日本の元皇族、陸軍軍人。朝香宮鳩彦王の第1王子で、旧名は孚彦王。1947年(昭和22年)10月14日に皇籍離脱。陸軍軍人で、皇族として初めて操縦桿を握った。士候45期、陸大53。最終階級は陸軍中佐。.

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朝香宮鳩彦王

朝香宮鳩彦王(あさかのみや やすひこおう、1887年(明治20年)10月20日 - 1981年(昭和56年)4月12日)は日本の皇族、陸軍軍人。久邇宮朝彦親王の第8王子で、朝香宮初代当主。1947年(昭和22年)10月14日に皇族の身分を離れ、朝香鳩彦と名乗る。 最終階級は陸軍大将。勲等は大勲位功一級。また、「ゴルフの宮様」として知られる。 第125代今上天皇の大叔父にあたる。 陸軍大将であったため、朝香大将宮殿下(あさかたいしょうのみやでんか)とも呼ばれた。.

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末松謙澄

末松 謙澄(すえまつ けんちょう、安政2年8月20日(1855年9月30日) - 大正9年(1920年)10月5日)は、明治・大正時代のジャーナリスト・政治家・歴史家。子爵。幼名は千松(または線松)。帝国学士院会員。.

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本野一郎

本野 一郎(もとの いちろう、1862年3月23日(文久2年2月23日) - 1918年(大正7年)9月17日)は明治、大正の外交官、政治家である。子爵。.

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有馬良橘

有馬 良橘(ありま りょうきつ、文久元年11月15日(1861年12月16日) - 昭和19年(1944年)5月1日)は、日本の軍人。最終階級は海軍大将。和歌山県和歌山市出身。養子に海軍中将・有馬寛がいる。.

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最高裁判所長官

最高裁判所長官(さいこうさいばんしょちょうかん)は、日本の最高裁判所の長の官職名。最高裁判所裁判官の一人であると同時に、司法行政事務を行う裁判官会議を総括する。.

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戸田氏共

戸田 氏共(とだ うじたか)は、江戸時代末期(幕末)の大名、明治から昭和期の華族。美濃国大垣藩第11代藩主。大垣藩戸田家12代。位階勲等爵位は従一位勲一等伯爵。官職はオーストリア=ハンガリー全権公使、式部長官など。.

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星島二郎

星島 二郎(ほししま にろう、明治20年(1887年)11月6日 - 昭和55年(1980年)1月3日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員。元衆議院議長。従二位勲一等旭日桐花大綬章。.

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海軍大将

海軍大将(かいぐんだいしょう)は、海軍の階級の一。海軍中将の上に位置する。一般に将官の最高位であり、海軍軍人の最高位である。 英呼称である“admiral”はアラビア語で「海の司令官」を意味するアミール・アルハル“amīr al-baḥr”に由来する。.

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海軍大臣

海軍大臣(かいぐんだいじん)は、旧日本海軍を担当した日本の閣僚。.

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浅田信興

浅田 信興(あさだ のぶおき、嘉永4年10月12日(1851年11月5日) - 1927年(昭和2年)4月27日)は、日本の陸軍軍人、華族。最終階級は陸軍大将。男爵。.

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浅野長勲

浅野 長勲(あさの ながこと)は、日本の江戸時代末から昭和初期の大名、政治家、外交官、実業家、社会事業家。 安芸広島新田藩第6代藩主、のち広島藩第12代(最後の)藩主。浅野宗家13代当主。勲等爵位は勲一等侯爵。.

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斎藤実

斎藤 実(さいとう まこと、旧字体:齋藤 實、1858年12月2日(安政5年10月27日) - 1936年(昭和11年)2月26日)は、日本の海軍軍人、政治家。階級は海軍大将。位階は従一位。勲等は大勲位。功級は功二級。爵位は子爵。出生時の名前は富五郎(とみごろう)といったが、海軍兵学校卒業後に改名した。号は皋水(こうすい)。 第一次西園寺・第二次桂・第二次西園寺・第三次桂・第一次山本の5内閣で海軍大臣を務めた後、シーメンス汚職事件により大臣を引責辞任した。その後、ジュネーブ海軍軍縮会議の主席全権を務め、朝鮮総督を2期務めているあいだに、子爵の称号を受けた。 犬養毅首相が海軍将校らによって殺害された五・一五事件のあとの第30代内閣総理大臣として、陸軍関東軍による前年からの満州事変など混迷した政局に対処し、満州国を認めなかった国際連盟を脱退しながらも、2年1か月という当時としては長い政権を保ったが、帝人事件での政府批判の高まりにより内閣総辞職した。その後内大臣となって宮中にまわったが、直後に二・二六事件で射殺された。.

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斎藤英四郎

斎藤 英四郎(さいとう えいしろう、1911年11月22日 - 2002年4月22日)は、日本の実業家。新日本製鐵(新日鉄、現・新日鐵住金)の元社長。経済団体連合会(経団連)第6代会長。.

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文化勲章

文化勲章(ぶんかくんしょう)は、科学技術や芸術などの文化の発展や向上にめざましい功績のある者に授与される日本の勲章。当時の内閣総理大臣・廣田弘毅の発案により、1937年の文化勲章令(昭和12年2月11日勅令第9号)を以て制定された。.

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文部大臣 (日本)

初代文部卿、大木喬任 文部大臣(もんぶだいじん)および前身の文部卿(もんぶきょう)は、教育行政を担う日本の行政機関として設置されていた文部省(明治4年7月18日〈1871年9月2日〉から2001年〈平成13年〉1月5日まで)の長である。略称は文相(ぶんしょう)。大臣の職掌、文部省については、文部省の記事を参照のこと。 なお、2001年〈平成13年〉1月6日に文部省と科学技術庁を統合して設置された文部科学省の長である歴代の文部科学大臣については、同項目を参照のこと。 一覧表の凡例は、脚注を参照のこと。.

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日高壮之丞

日高 壮之丞(ひだか そうのじょう、嘉永元年3月23日(1848年4月26日) - 昭和7年(1932年)7月24日)は、日本の海軍軍人。海軍大将勲一等功二級男爵。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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日本商工会議所

日本商工会議所(にほんしょうこうかいぎしょ、略称:日商、)は、日本各地の商工会議所を会員として組織される団体。日本経済団体連合会、経済同友会と並ぶ「経済三団体」の一つである。.

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日本国憲法

日本国憲法(にほんこくけんぽう、にっぽんこくけんぽう)は、現在の日本の国家形態および統治の組織・作用を規定している憲法。1947年(昭和22年)5月3日に施行された。ブルジョア憲法(資本主義憲法)の一種。 昭和憲法(しょうわけんぽう)、あるいは単に現行憲法(げんこうけんぽう)とも呼ばれる。 1945年(昭和20年)に、ポツダム宣言を受諾して連合国に対し降伏した日本政府は、そこに要求された「日本軍の無条件降伏」「日本の民主主義的傾向の復活強化」「基本的人権の尊重」「平和政治」「国民の自由意思による政治形態の決定」などにより、事実上憲法改正の法的義務を負うことになった。そこで連合国軍占領中に連合国軍最高司令官総司令部の監督の下で「憲法改正草案要綱」を作成し『世界大百科事典』(平凡社)「日本国憲法」の項目より、その後の紆余曲折を経て起草された新憲法案は、大日本帝国憲法73条の憲法改正手続に従い、1946年(昭和21年)5月16日の第90回帝国議会の審議を経て若干の修正を受けた後、同年1946年(昭和21年)11月3日に日本国憲法として公布され、その6か月後の翌年1947年(昭和22年)5月3日に施行された。 国民主権の原則に基づいて象徴天皇制を定め、個人の尊厳を基礎に基本的人権の尊重を掲げて各種の憲法上の権利を保障し、戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認という平和主義を定める。また国会・内閣・裁判所の三権分立の国家の統治機構と基本的秩序を定めている。「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の3つは、日本国憲法を特徴付ける三大要素と呼ばれることもある。 2017年現在、現行憲法としては世界で最も長い期間改正されていない憲法である(Webアーカイブ)出典元記事の記載では、施行されてから一度も改正されていないという立場であるが、日本国憲法が一度も改正されていないか否かは、行われた改正手続き通り、大日本帝国憲法の全面改正として日本国憲法を捉えるか、事実上大日本帝国憲法を破棄して制定された新憲法と捉えるかで異論がある。日本国憲法は、当用漢字表と現代かなづかいの告示より前に公布されたもので、原文の漢字表記は当用漢字以前の旧字体であり、仮名遣いは歴史的仮名遣である。 原本は国立公文書館に保管されており、不定期に公開されている。.

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日本経済団体連合会

一般社団法人日本経済団体連合会(にっぽんけいざいだんたいれんごうかい、Japan Business Federation)は、日本の東証第一部上場企業を中心に構成される団体。日本商工会議所、経済同友会と並ぶ「経済三団体」の一つである。以前は経済産業省所管の社団法人であったが、公益法人制度改革に伴い内閣府所管の一般社団法人へ移行した。.

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日本製鐵

日本製鐵株式會社「社」の偏(示偏)は、新字体の「礻」ではなく康熙字典体の「示」。(にほんせいてつ、新字体:日本製鉄株式会社、英文社名:Japan Iron & Steel Co., Ltd.新日本製鐵の英語版ウェブサイトによる。)は、かつて存在した日本の鉄鋼メーカーである。 官営八幡製鉄所を中心とする官営・民営の製鉄事業者が合同し1934年(昭和9年)に設立。法律で規定された半官半民の国策会社であった。太平洋戦争後の1950年(昭和25年)に財閥解体の一環で解体され消滅した。新日鐵住金(新日鉄住金)などの前身にあたる。略称は「日鉄」(日鐵、にってつ)。.

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日本赤十字社

日本赤十字社(にっぽんせきじゅうじしゃ)は、日本における赤十字社。1952年(昭和27年)に制定された日本赤十字社法(にほんせきじゅうじしゃほう)昭和27年8月14日法律第305号によって設立された認可法人。社員と呼ばれる個人及び法人参加者の結合による社団法人類似組織である。略称は「日赤」(にっせき)。Société de la Croix-Rouge du Japon、Sociedad de la Cruz Roja Japonesaである。 名誉総裁は皇后(現在は皇后美智子)。名誉副総裁には、代議員会の議決に基づき、各皇族が就任している。代表者である社長は近衞忠煇(旧公爵近衛家当主。夫人は、三笠宮崇仁親王第一女子である近衛やす子)。 日本赤十字社は全国に92の赤十字病院、79の血液センターを運営し、赤十字病院は第3次医療機関に指定され救急医療の最後の砦を担っている。血液事業は日本で唯一献血を原料とする製剤を製造する。またセンター、病院、支部などには常備救護班(医師1名・看護師長1名・看護師2名・庶務(事務)担当の職員である主事2名の計6名で1個班が構成される)を複数個保有し、地震・台風などの災害時や旅客機墜落・公共交通機関の大事故など、消防で対応し切れない大人数の負傷者発生の際には救援活動を行っている。 赤十字のマークは、赤十字の標章及び名称等の使用の制限に関する法律により、日本赤十字社及びその許可を得た者以外が使う事が禁じられており、違反者は6ヶ月以下の懲役又は30万円以下の罰金が課されることとなっている。.

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早稲田大学

大隈重信立像(朝倉文夫作) 登台した学生は退学の内規あり 東京専門学校 大正時代の早稲田大学の正.

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旭日章

旭日章(きょくじつしょう、Order of the Rising Sun)は、日本の勲章の一つ。.

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愛知揆一

愛知 揆一(あいち きいち、1907年10月10日 - 1973年11月23日)は、日本の政治家である。初め参議院議員、後に衆議院議員に転じ、外務大臣や大蔵大臣などを歴任。.

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教育総監

教育総監(きょういくそうかん)は、日本陸軍の教育を掌る役職で、その事務は教育総監部が行った。.

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曾禰荒助

曾禰 荒助(そね あらすけ、新字体:曽祢、嘉永2年1月28日(1849年2月20日) - 明治43年(1910年)9月13日)は、日本の武士(長州藩士)、政治家、外交官。明治時代の歴代内閣で閣僚職を歴任した。伊藤博文が暗殺された後に第2代韓国統監に就任し、韓国併合を進めた。.

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曾我祐準

曾我 祐準(そが すけのり、「すけゆき」とも、天保14年12月25日(1844年2月13日) - 昭和10年(1935年)11月30日)は、日本の陸軍軍人、政治家。陸軍中将勲一等子爵。.

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11月3日

11月3日(じゅういちがつみっか)はグレゴリオ暦で年始から307日目(閏年では308日目)にあたり、年末まであと58日ある。.

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1875年

記載なし。

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1888年

記載なし。

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1952年

この項目では、国際的な視点に基づいた1952年について記載する。.

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1月4日

1月4日(いちがつよっか)はグレゴリオ暦で年始から4日目に当たり、年末まであと361日(閏年では362日)ある。誕生花はヒアシンス(白)。.

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2003年

この項目では、国際的な視点に基づいた2003年について記載する。.

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2016年

この項目では、国際的な視点に基づいた2016年について記載する。.

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