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労農派

索引 労農派

労農派(ろうのうは)は、戦前の非日本共産党系マルクス主義者集団。1927年創刊の雑誌『労農』に依ったので、こう呼ばれる。日本資本主義論争において講座派と対抗した経済学者、最左派の無産政党に拠った社会運動家、「文戦派」のプロレタリア文学者などからなる。.

69 関係: 労農千坂恭二向坂逸郎堺利彦大内兵衛大森義太郎天皇制委員会対馬忠行小牧近江山崎耕一郎山川均山川菊栄岡崎次郎帝国主義平林たい子人民戦線事件佐藤優 (作家)彩流社土屋喬雄マルクス主義ブルジョワジーブルジョワ革命プロレタリアートプロレタリア文学ビューロー (日本共産党)コミンテルン共産主義共産主義革命社会主義協会社会主義協会テーゼ社会党左派社会的ネットワーク社会評論社社会民主主義福本和夫第一次共産党 (日本)第二次共産党 (日本)猪俣津南雄経済学者無産政党荒畑寒村青野季吉講座派黒田寿男鈴木茂三郎葉山嘉樹雑誌櫛田民蔵江田三郎...有沢広巳明石書店明治明治維新文芸戦線日本労働組合総評議会日本型社会民主主義日本共産党日本社会党日本資本主義論争政党1927年1938年1951年1971年1998年2008年2015年27年テーゼ インデックスを展開 (19 もっと) »

労農

『労農』(ろうのう)は、1927年12月6日に創刊された政治雑誌。 1932年に『前進』と改題された。この雑誌を拠点とした向坂逸郎、山川均、荒畑寒村、大内兵衛、土屋喬雄などが一般に「労農派」と呼ばれる。それに対し、『日本資本主義発達史講座』に結集する社会科学者のグループは「講座派」と呼ばれ、戦前の日本資本主義の現状認識をめぐり、両者は資本主義論争などを繰り広げた。.

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千坂恭二

千坂 恭二(ちさか きょうじ。1950年3月18日 - )は、日本の評論家、在野の思想家。.

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向坂逸郎

向坂 逸郎(さきさか いつろう、1897年2月6日 - 1985年1月22日)は、日本のマルクス経済学者・社会主義思想家。九州大学教授・社会主義協会代表を歴任。.

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堺利彦

堺 利彦(さかい としひこ、明治3年11月25日(1871年1月15日) - 昭和8年(1933年)1月23日)は、日本の社会主義者・思想家・歴史家・著述家・小説家。号は枯川、別名は、貝塚渋六。.

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大内兵衛

大内 兵衛(おおうち ひょうえ、1888年8月29日 - 1980年5月1日)は、大正・昭和期の日本のマルクス経済学者。専攻は財政学。日本学士院会員。.

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大森義太郎

大森 義太郎(おおもり よしたろう、明治31年(1898年)9月26日 - 昭和15年(1940年)7月28日)は日本のマルクス経済学者。筆名に成瀬光雄がある。.

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天皇制

天皇制(てんのうせい)とは、日本の君主制。『岩波 日本史辞典』によると「広義には前近代天皇制と象徴天皇制を含め、狭義には明治維新から敗戦までの近代天皇制を指す」とされている。『日本史広辞典』によれば天皇制は、「天皇を中心とする日本の国家体制」である。 『岩波 日本史辞典』によれば、「象徴天皇制は天皇が元首でないので君主制としない説もある」という。「君主制(王制)」について、『日本大百科全書(ニッポニカ)』は「一般には、世襲の君主が、ある政治共同体において最高権力(主権)をもつ政治形態」としている。.

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委員会

委員会(いいんかい、committee、commission、board)は、複数の委員からなる合議制の機関を指す。委員とは、機関・団体から選任されて、議論や権限執行を委任された自然人を指す。.

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対馬忠行

対馬 忠行(つしま ただゆき、1901年11月18日 - 1979年4月11日)は、日本のマルクス主義者。 1901年、香川県生まれ。京都府立第三中学校(現・京都府立福知山高等学校)を中退後、アナキスト運動に参加。 1925年、福本和夫の講演を聴き、マルクス主義への転向を決意。1928年、処女論文「日本無産階級運動発達史」を発表し、労農派の一員として横瀬毅八の筆名で日本資本主義論争に参加する。1950年、『スターリン主義批判』を刊行し、スターリン主義批判の先駆者の一人となる。この年ソ連の性格をめぐって向坂逸郎らと対立し袂を分かつ。「ソ連=国家資本主義」論に基づき「イスクラ協会」を組織するが、小研究会の域を出ることはなかった。スターリン批判後に、理論的影響力を広め、反スターリン主義左翼に影響を与える。主著に『クレムリンの神話』など。レフ・トロツキーの翻訳多数。 1979年4月11日、瀬戸内海を航行中のフェリーから入水自殺。遺体は4カ月後の8月11日に引き上げられた。 Category:マルクス主義 Category:日本の思想家 Category:自殺した人物 Category:労農派の人物 Category:香川県出身の人物 Category:1901年生 Category:1979年没.

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小牧近江

小牧 近江(こまき おうみ、1894年(明治27年)5月11日 - 1978年(昭和53年)10月29日)は、秋田県の土崎港(つちざきみなと、現在の秋田市土崎港)生まれのフランス文学者、翻訳家、社会科学者・社会運動家。法政大学教授。本名、近江谷駧(おうみやこまき)。 父は秋田港築港・秋田県初の火力発電などで地元の経済基盤作りに貢献した実業家・衆議院議員の近江谷栄次。長男は近江谷左馬之介(元九州大学教授、マルクス経済学)。.

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山崎耕一郎

山崎 耕一郎(やまざき こういちろう、1940年2月7日 - 2017年11月24日)は、日本の社会運動家。.

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山川均

山川 均(やまかわ ひとし、1880年(明治13年)12月20日 - 1958年(昭和33年)3月23日)は、在野の経済学者で、社会主義者・社会運動家・思想家・評論家。労農派マルクス主義の指導的理論家であった。.

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山川菊栄

山川 菊栄(山川 菊榮、やまかわ きくえ、1890年(明治23年)11月3日 - 1980年(昭和55年)11月2日)は日本の評論家・婦人問題研究家である。 旧姓は森田、後に青山姓となる。東京府東京市麹町区四番町(現:千代田区九段北)生まれ。山川均の妻。日本の婦人運動に初めて批評的、科学的視点を持ち込んだ。多くの評論集は、明晰な分析と鋭い批評眼を示し、日本における女性解放運動の思想的原点と評される。また、戦前から柳田國男の薫陶を受け、母や故老からの聞き書きや祖父の日誌をもとに、『武家の女性』『幕末の水戸藩』などの社会史を残した。.

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岡崎次郎

岡崎 次郎(おかざき じろう、男性、1904年6月29日 - 1984年?)は日本のマルクス経済学者、翻訳家。マルクスの大著『資本論』の翻訳で知られる。.

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帝国主義

1898年当時の帝国主義列強勢力図 帝国主義(ていこくしゅぎ、imperialism)とは、一つの国家が、自国の民族主義、文化、宗教、経済体系などを拡大するため、あるいは新たな領土や天然資源などを獲得するために、軍事力を背景に他の民族や国家を積極的に侵略し、さらにそれを推し進めようとする思想や政策。.

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平林たい子

平林 たい子(ひらばやし たいこ、1905年(明治38年)10月3日 - 1972年(昭和47年)2月17日)は、日本の小説家。本名、平林タイ。.

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人民戦線事件

人民戦線事件(じんみんせんせんじけん)とは、1937年(昭和12年)12月15日および翌1938年(昭和13年)2月1日、コミンテルンの反ファシズム統一戦線の呼びかけに呼応して日本で人民戦線の結成を企てたとして労農派系の大学教授・学者グループが一斉検挙された事件。 1937年12月の第一次検挙では、代議士の加藤勘十・黒田寿男、運動家の山川均・荒畑寒村・鈴木茂三郎・岡田宗司・向坂逸郎・大森義太郎など446人が検挙された。1938年2月の第二次検挙で、大内兵衛・有沢広巳・脇村義太郎・宇野弘蔵・美濃部亮吉や佐々木更三・江田三郎など大学教授・運動家を中心に38人が検挙された。いずれも「国体変革」「私有財産否定」を目的としたとして治安維持法で起訴され、多く(第二次検挙で逮捕された教授グループは全員)は、1944年(昭和19年)9月2日の二審で無罪が確定したが、加藤・鈴木・山川らは有罪とされた。敗戦で治安維持法がなくなったため、加藤らは全員、1945年(昭和20年)に免訴となる。 この事件を機に、日本共産党に限定されていた検挙が、非共産党のマルキスト・社会主義者一般に及ぶようになっていった。また、加藤勘十が委員長を務めていた日本無産党(日無党)及び系列労組の日本労働組合全国評議会は、この事件の勃発と共に、結社禁止処分となり解散した。.

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佐藤優 (作家)

佐藤 優(さとう まさる、1960年〈昭和35年〉1月18日 - )は、日本の外交官、作家。学位は神学修士(同志社大学・1985年)。同志社大学神学部客員教授、静岡文化芸術大学招聘客員教授。 在ロシア日本国大使館三等書記官、外務省国際情報局分析第一課主任分析官、外務省大臣官房総務課課長補佐を歴任。.

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彩流社

彩流社(さいりゅうしゃ)は、日本の出版社。海外文学を中心に人文社会関連、趣味・実用書、ほぼ全てのジャンルを網羅し現在まで千点を超える書籍を刊行する。.

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土屋喬雄

土屋 喬雄(つちや たかお、1896年(明治29年)11月21日 - 1988年(昭和63年)8月19日)は、日本の経済学者。東京大学名誉教授。東京都生まれ。日本経済史専攻。.

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マルクス主義

マルクス主義(マルクスしゅぎ、Marxismus)とは、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによって展開された思想をベースとして確立された社会主義思想体系の一つである。しばしば科学的社会主義(かがくてきしゃかいしゅぎ)とも言われる。 マルクス主義は、資本を社会の共有財産に変えることによって、労働者が資本を増殖するためだけに生きるという賃労働の悲惨な性質を廃止し、階級のない協同社会をめざすとしている。 エンゲルスは1883年に『空想から科学へ』を出版し、彼やマルクスの思想を社会主義思想、弁証法的唯物論、資本主義分析の三つの分野に分けて解説したうえで、唯物史観と剰余価値の発見によって社会主義は科学になったと説明した。また、レーニンは1913年に『マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分』を書き、マルクス主義の三つの源泉をドイツ哲学、イギリス経済学、フランス社会主義とし、マルクス主義の三つの構成部分を弁証法的唯物論、経済学、社会主義思想とした。.

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ブルジョワジー

ブルジョワジー(Bourgeoisie)は、中産階級の事であり、特に17 - 19世紀においては革命の主体になりうるほどの数と広がりを持つ階層であったが、市民革命における革命の推進主体となった都市における有産の市民階級をさす場合も有る。貴族や農民と区別して使われた。 短くブルジョワ(Bourgeois)ともいうが、これは単数形で個人を指す。20世紀の共産主義思想の下で産業資本家を指す言葉に転化し、共産主義者の間では概ね蔑称として用いられたが、この資本家階級という意味では上層ブルジョワジーのみをさしている。.

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ブルジョワ革命

#リダイレクト市民革命.

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プロレタリアート

プロレタリアート(Proletariat)とは、資本主義社会における賃金労働者階級のこと。無産階級とも。個々の賃金労働者はプロレタリアと呼ばれる。雇用する側の資本家階級を指すブルジョワジーと対になった概念で、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスが『共産党宣言』で使った例によって広く普及した。.

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プロレタリア文学

プロレタリア文学(プロレタリアぶんがく)とは、1920年代から1930年代前半にかけて流行した文学で、虐げられた労働者の直面する厳しい現実を描いたものである。.

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ビューロー (日本共産党)

ビューローとは、1924年(大正13年)3月の日本共産党(第一次共産党)の解散後に残務整理のため設置された事務局、および翌1925年8月に結成された共産党再建をめざすグループ(「再建ビューロー」)のこと。.

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コミンテルン

ミンテルン(Коминтерн、カミンテールン、ラテン文字転写例:Komintern、Comintern)は、1919年から1943年まで存在した、共産主義政党による国際組織である。別名第三インターナショナル。.

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共産主義

主にマルクス・レーニン主義系の共産主義のシンボルともされる赤い星 共産主義(きょうさんしゅぎ、Communism、Коммунизм)とは、政治や経済分野での思想や理論、運動、政治体制のひとつ、財産の一部または全部を共同所有することで平等な社会をめざす。その理念、共有化の範囲や形態、あるいは共産主義社会実現のための方法論などには古くから多数の議論があり、このため「共産主義」の定義は多数存在している。 共産主義のシンボルには、社会主義と同様に赤色や赤旗が広く使用されている。また特にマルクス・レーニン主義系の共産主義を表すシンボルには赤い星や鎌と槌なども使用されている。.

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共産主義革命

共産主義革命(きょうさんしゅぎかくめい communist revolution)とは共産主義を目指した革命である。 バブーフやブランキは、平等社会を目指しての暴力革命を主張した。 マルクス主義では、資本主義の発展により矛盾が増大すると、社会革命(社会主義革命、共産主義革命)が発生し、プロレタリア独裁の段階を経由して、市場・貨幣・賃金労働などが廃絶された新しい無階級社会である共産主義社会が生まれ、階級抑圧の機構としての国家・軍隊・戦争なども消滅するとした。 後にスターリンによって定式化されたマルクス・レーニン主義の概念では、共産主義の第一段階(より低い段階)が社会主義社会と呼ばれ、第二段階(より高い段階)が共産主義社会と呼ばれた。これにより当時の社会主義諸国は社会主義段階と位置づけられ、貨幣・国家などの廃止は将来の共産主義社会にて実現されるとされた。スターリニズムや一国社会主義論も参照。.

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社会主義協会

会主義協会(しゃかいしゅぎきょうかい)は、社民党の前身にあたる旧日本社会党において、労農派マルクス主義を掲げて結成された理論研究集団。一時は、旧社会党内の最有力派閥として、同党の路線に大きな影響を与え続けてきた。旧社会党系勢力の中で単に「協会」と言うときは、通常この社会主義協会を指す。.

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社会主義協会テーゼ

会主義協会テーゼ(しゃかいしゅぎきょうかいテーゼ)とは、社会主義協会の基本理念を定めた文書。1978年前年の協会規制により一部修正のうえ「社会主義協会の提言」と名称変更した。.

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社会党左派

会党左派(しゃかいとうさは)は、一般的には、旧日本社会党にあって、資本主義市場経済の枠内での福祉国家建設よりも、労農派マルクス主義に基づく政治路線を志向した勢力を指す。しかし左寄りとされた派閥であっても、「新しい社会党を創る会」などは社会民主主義に近かった。 具体的には.

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社会的ネットワーク

会的ネットワーク(しゃかいてきネットワーク、social network)とは、価値、構想、提案、金銭的やりとり、友人、親類、嫌悪、取引、ウェブリンク、性的関係、疾病の伝染(疫学)、航空路といった1つ以上の関係により結びつけられた(個人や組織を指す)ノードからなる、社会的な構造である。 社会的ネットワーク分析(ネットワーク理論)は、近年の社会学や人類学、組織論といった学問分野において、ポピュラーな推論・研究であると同時に、有用な方法として台頭した。この分析によって、それが家族から国家まで様々なレベルの問題に適用でき、問題解決への道を示す重要な役割を果たし、組織が運営され、どの程度個人の追求する目的が果たされるのか、多くの研究者によって論証されたのである。 この社会的ネットワークから派生した分析概念として、都市社会学には、個人を中心として他者とのネットワークを考える「パーソナルネットワーク」という理論も存在する。また、最近の社会学や政治学においてはソーシャル・キャピタル(社会関係資本)と関連する概念として捉えられることが多い。 漢字を伴った"社会的ネットワーク"という用語は、英語の "social network" に対する、社会科学の専門用語である。いっぽう、"ソーシャルネットワーキング"と全て片仮名で書く場合は、mixiなどのSNSコミュニケーションサービスに関連していうことが多い。.

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社会評論社

会評論社(しゃかいひょうろんしゃ)は、東京都文京区本郷の本郷村(ほんごうむら)と呼ばれる地域に所在する出版社。主に、マルクス経済学、人権、教育、在日、フェミニズムなどをテーマにした社会科学関連の出版物が多い。なお、雑誌『社会評論』は「活動家集団思想運動」の機関誌であり、社会評論社とは一切関係が無い。.

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社会民主主義

会民主主義(しゃかいみんしゅしゅぎ、social democracy)とは、社会主義思想、民主主義思想の一つであり、自由民主主義社会における中道左派思想の一つである。政治的目的としては、自由競争市場経済や資本主義経済により発生する、労働者の貧困、失業などの問題を議会や政府の管理と介入により軽減・解決し、実質・実態としての政治的・経済的・社会的な公正や機会平等、人権保護、環境保護、国際協調と国際社会との共生を追求する。また、実際に政治運動を進める際には特に労働運動との密接な繋がりの下に行う。 現代的な社会民主主義は欧州で生まれ、冷戦期の西欧・北欧諸国を中心に発展してきた政治思想である。社会民主主義政党/社会民主党は、旧共産党が社会民主主義に転じた東欧諸国も含め、現在の欧州各国で与党や有力な野党となっている。アジア、アメリカ合衆国、カナダ、ラテンアメリカ諸国にも社会民主主義政党は存在するが、これらの政党は欧州型の政党と規模や主張の点で大きく異なる部分がある。各国の社会民主主義政党の多くは、社会主義政党の国際組織である社会主義インターナショナルに加盟している。 社会民主主義は、暴力革命やプロレタリア独裁のような過激な方法も肯定する共産主義とは異なり、穏健な改良主義である。.

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福本和夫

福本 和夫(ふくもと かずお、1894年(明治27年)7月4日 - 1983年(昭和58年)11月16日)は、日本の経済学者。科学技術史家・思想史家・文化史家でもある。.

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第一次共産党 (日本)

一次共産党(だいいちじきょうさんとう)は、1921年(大正10年)4月ないし翌1922年(大正11年)7月に創立されたのち、1924年(大正13年)3月頃に解散されるまでの、非合法組織時代の日本共産党を指す呼称である。この時期の共産党は政党というよりも、いくつかの思想団体の集合体であった。.

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第二次共産党 (日本)

二次共産党(だいにじきょうさんとう)は、1926年(大正15年)12月の第3回党大会(五色温泉大会)で再建されて以降の、非合法組織時代の日本共産党を指す呼称である。 広義には、1935年(昭和10年)3月、第二次世界大戦以前では最後の中央委員である袴田里見の検挙で党中央部が最終的に壊滅されるまでの時期が「第二次共産党」であるが、狭義には1929年の四・一六事件による党員大量検挙で組織がいったん壊滅するまでの時期を指す場合もある。.

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猪俣津南雄

俣 津南雄(いのまた つなお、明治22年(1889年)4月23日 - 昭和17年(1942年)1月19日)は、日本の経済学者。マルクス経済学労農派の論客の一人。.

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経済学者

経済学者(けいざいがくしゃ、)とは、経済の研究をしたり、その結果得られた理論やその体系(経済学)を社会に提言・実践したりする経済の専門家のこと。エコノミストともいう。.

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無産政党

無産政党(むさんせいとう)とは、戦前の日本における、合法的社会主義政党の総称。 有産階級に対する、労働者などの無産階級のための政党と位置づけられる。「当時非合法であった、日本共産党を除く」意味合いがある。共産主義政党・社会主義政党は存在自体が非合法とされていたので(具体的には、治安警察法の規定により結社として届け出ると、即日禁止された)、これらの用語を避けるため「無産」の呼称が生まれた。 現代ならば社会民主主義政党と呼ばれる位置にある党派が多い。労働農民党や社会大衆党などの全国的無産政党の他、地方に存在する千葉労農党や岩手無産党などの地方的無産政党などがあり、分裂期には30余りの政党が乱立していた。.

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荒畑寒村

荒畑 寒村(あらはた かんそん、1887年(明治20年)8月14日 - 1981年(昭和56年)3月6日)は、日本の社会主義者・労働運動家・作家・評論家。日本共産党と日本社会党の結党に参加するが、のち離党。戦後1946年から1949年まで衆議院議員を務めた。本名は勝三といった。.

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青野季吉

青野 季吉(あおの すえきち、1890年(明治23年)2月24日 - 1961年(昭和36年)6月23日)は日本の文芸評論家。.

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講座派

講座派(こうざは)とは、日本資本主義論争において労農派と対抗したマルクス主義者の一派。岩波書店から1930年代前半に出版された、『日本資本主義発達史講座』を執筆したグループが中心となったのでこう呼ばれる。.

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黒田寿男

黒田寿男 黒田 寿男(くろだ ひさお、1899年4月14日 - 1986年10月21日)は、日本の政治家、弁護士。1948年結成の労働者農民党の初代主席。元衆議院議員。.

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鈴木茂三郎

鈴木 茂三郎(すずき もさぶろう、1893年2月7日 - 1970年5月7日)は、日本の政治家、第2代日本社会党委員長。ジャーナリスト、エッセイストとしても知られた。.

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葉山嘉樹

葉山 嘉樹(はやま よしき、1894年(明治27年)3月12日 - 1945年(昭和20年)10月18日)は日本のプロレタリア文学の作家である。福岡県京都郡豊津村(現・みやこ町)出身。.

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雑誌

雑誌(ざっし)とは、逐次刊行物であり定期刊行物である出版物の一種。一般に流通している娯楽雑誌などだけではなく、学術研究誌や官公庁誌なども含めた広い範囲を示す言葉であり、印刷資料としては図書と並ぶ二大情報源である。.

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櫛田民蔵

櫛田 民蔵(くしだ たみぞう、1885年(明治18年)11月16日 - 1934年(昭和9年)11月5日)は、日本の経済学者。福島県磐城郡上小川村(現在のいわき市小川町)生まれ。 福島県立磐城中学校から錦城中学に編入し、1908年、東京外国語学校卒。1912年京都帝国大学卒。妻は女性解放運動指導者の櫛田ふき。 大阪朝日新聞論説委員、同志社大学教授、法学部長を歴任。1919年に東京帝国大学講師となるが、翌年の森戸事件を機に辞職。大原社会問題研究所員となる。1920年から2年間、久留間鮫造と渡欧、主にドイツで書籍の蒐集に当たる。大原社研では、唯物史観とマルクス経済学における価値論を研究。恩師河上肇のマルクス解釈を批判したことでも知られる。日本のマルクス経済学を国際的水準に引き上げたとされる。 晩年は日本資本主義論争において労農派の論客として活躍した。1934年、くも膜下出血のため死去。 代表的著作に『マルクス価値概念に関する一考察』。また、『櫛田民蔵全集』(全5巻、改造社)がある。 Category:日本の経済学者 Category:マルクシアン経済学者 Category:戦前日本の学者 Category:労農派の人物 Category:同志社大学の教員 Category:東京大学の教員 Category:法政大学大原社会問題研究所の人物 Category:京都大学出身の人物 Category:東京外国語大学出身の人物 Category:福島県出身の人物 Category:1885年生 Category:1934年没.

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江田三郎

江田 三郎(えだ さぶろう、1907年〈明治40年〉7月29日 - 1977年〈昭和52年〉5月22日)は、日本の政治家。 参議院議員(2期)、衆議院議員(5期)、日本社会党書記長、日本社会党委員長代行、日本社会党副委員長、社会市民連合代表(初代)などを歴任した。長男は元参議院議長の江田五月。.

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有沢広巳

有沢 広巳(ありさわ ひろみ、有澤 廣巳、1896年2月16日 - 1988年3月7日)は、日本の統計学者、経済学者。法政大学元総長。 東京大学名誉教授、法政大学名誉教授。統計学が専門分野で実証に徹した。.

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明石書店

明石書店(あかししょてん)は、日本の出版社。 1978年に起業された。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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明治維新

Le Monde illustré』1869年2月20日刊行号内の挿絵。 明治維新(めいじいしん、Meiji Restoration, Meiji Revolution)とは、明治時代初期の日本が行った大々的な一連の維新をいう。江戸幕府に対する倒幕運動から明治政府による天皇親政体制への転換と、それに伴う一連の改革を指す。その範囲は、中央官制・法制・宮廷・身分制・地方行政・金融・流通・産業・経済・文化・教育・外交・宗教・思想政策など多岐に及んでいるため、どこまでが明治維新に含まれるのかは必ずしも明確ではない。.

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文芸戦線

『文芸戦線』創刊号の表紙 『文芸戦線』(ぶんげいせんせん)は、1920年代から30年代にかけてのプロレタリア文学の雑誌である。 雑誌『種蒔く人』が関東大震災の影響もあって1923年(大正12年)に廃刊したのち、新しいプロレタリア文学の書き手たちの同人誌として1924年(大正13年)6月に出発した。当初は、関係者の頭文字をつなげて〈ココラキョウ〉というタイトルも考えられたが、あまりにふざけすぎだという意見が出て、シンプルな〈文芸戦線〉になった。。 創刊当初は、平林初之輔、青野季吉らが論陣をはり、プロレタリア文学の理論化にちからをつくした。また、葉山嘉樹、黒島伝治、平林たい子たちが作品を発表し、プロレタリア文学の有力な発表舞台として認められるようになった。新感覚派の雑誌『文藝時代』とともに、新しい時代のさきぶれとして、当時の作家をめざす若者に人気があった板垣信著・福田清人編『川端康成 人と作品20』(センチュリーブックス/清水書院、1969年)羽鳥徹哉「年譜」(『作家の自伝15 川端康成』)(日本図書センター、1994年)。 1925年(大正14年)、日本プロレタリア文芸連盟(プロ連)発足の際には、実質的に機関誌として機能した。その後、プロ連が発展して日本プロレタリア芸術連盟(プロ芸)が結成されると、そのなかの福本イズムに影響された鹿地亘や中野重治から批判を受け、それをひとつのきっかけとして、労農芸術家連盟(労芸)が結成されると、その機関誌として位置づけられた。 1927年、山川均の論文掲載をめぐって、蔵原惟人たちが労芸を脱退、前衛芸術家同盟(前芸)を発足させると、『文芸戦線』は労芸に残った、いわゆる労農派と呼ばれる人たちの根拠地となり、社会民主主義的傾向をもつようになった。1928年のプロ芸と前芸の合同による全日本無産者芸術連盟(ナップ)結成と、雑誌『戦旗』創刊に対しても、距離をおき、独自のプロレタリア文学を追求した。この時期には、伊藤永之介、岩藤雪夫らが活躍した。 しかし、プロレタリア文学の主流が『戦旗』にあるとは衆目の一致するところであり、そうしたことや、労芸内部での親分子分の関係のもつれなどから、何度も脱退者がでて、二度にわたって〈文戦打倒同盟〉が結成されるなどの、内部の問題もあり、雑誌名をその後『文戦』『レフト』『新文戦』と改名しながらもちこたえたが、弾圧もあり、1932年(昭和7年)には労芸は解散、雑誌も1934年(昭和9年)に廃刊した。.

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日本労働組合総評議会

日本労働組合総評議会(にほんろうどうくみあいそうひょうぎかい)は、かつて存在した日本における労働組合のナショナルセンター。略称、総評(そうひょう)。.

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日本型社会民主主義

日本型社会民主主義(にほんがたしゃかいみんしゅしゅぎ)とは、社会民主主義の主流である西欧の社会民主主議(民主社会主義とほぼ同義)とは異なった質を持った日本での社会民主主義主流に対する表現。主に日本社会党(現・社会民主党)の志向性を指す。 なお、自民党が統治した1990年代までの日本を、政府の経済活動への介入の強さや株式配当を重視しない経営文化などから、一部の人が日本型社会主義、または日本型社会民主主義と呼ぶこともあるが、思想・イデオロギー・政治運動としての社会主義・社会民主主義とは無関係である。また、議会中心の平和革命という意味では日本共産党にも通じるところがあるが、日本共産党は自他共にあくまで科学的社会主義を絶対的党是として標榜すると認められており、社会民主主義政党と評する向きはない。.

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日本共産党

日本共産党(にほんきょうさんとう、Japanese Communist Party)は、日本の政党。英文略称はJCP。.

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日本社会党

日本社会党(にっぽんしゃかいとう、にほんしゃかいとう Social Democratic Party of Japan)は、かつて存在した日本の政党。略称は社会党、社会、SDPJ。新聞やメディアでは民社党と混同しないよう社党と記される場合もある。 1945年に旧無産政党系の政治勢力を結集して結成され、1996年に社会民主党に改名した。.

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日本資本主義論争

日本資本主義論争(にほんしほんしゅぎろんそう)とは、1933年頃から1937年頃まで行われたマルクス主義に立つ経済学者の論争のこと。広義には1927年頃から1932年頃まで日本共産党と労農派の間で行われた日本民主革命論争を含めていうこともある。日本の資本主義の性格について、講座派と労農派の間で激しく論戦が交わされた。.

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政党

政党(せいとう)とは、共通の政治的目的を持つ者によって組織される団体である。18世紀のイギリス下院議員エドマンド・バークによれば名誉や徳目による結合であり、私利私欲に基づく人間集団(徒党)ではないとしている。.

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1927年

記載なし。

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1938年

記載なし。

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1951年

記載なし。

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1971年

記載なし。

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1998年

この項目では、国際的な視点に基づいた1998年について記載する。.

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2008年

この項目では、国際的な視点に基づいた2008年について記載する。.

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2015年

この項目では、国際的な視点に基づいた2015年について記載する。.

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27年テーゼ

27年テーゼ(27ねんテーゼ)とは、1927年にコミンテルンが決定した「日本問題に関するテーゼ」の通称。山川イズムと福本イズムの双方を批判し、日本の資本主義および革命について具体的分析を試み、革命の性格を規定した。.

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