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写真評論家

索引 写真評論家

写真評論家(しゃしんひょうろんか)とは、写真を専門として評論を行う評論家。美術評論家の1ジャンルとして、まとめて考えられたり、美術評論家が写真について併せて評論することも多い。「写真批評家」、「写真研究家(写真史研究家)」、「写真史家」などと呼ばれることもある。 写真評論家として独立していることもあるが、美術館の学芸員、キュレーター、大学教授、雑誌編集者、ギャラリーのオーナーなどを兼ねることも多い。なお、写真家が、写真評論家ばりの写真評論を行うことも、しばしばある。 写真評論家の仕事としては、写真評論の執筆および著作の出版にとどまらず、講演、TV番組への出演、写真展の企画、写真公募(コンテスト)の審査員など、広い範囲に及ぶ、 日本における著名な写真評論家としては、中島謙吉、伊奈信男、渡辺勉、田中雅夫、亀井武、重森弘淹、多木浩二、福島辰夫、山岸章二、松本徳彦、金子隆一、平木収、谷口雅、横江文憲、伊藤俊治、飯沢耕太郎、岡部昌幸、大日方欣一、竹葉丈、光田由里、増田玲、竹内万里子などがいる(生年順)。.

45 関係: 増田玲多木浩二大学大日方欣一学芸員山岸章二岡部昌幸中島謙吉平木収亀井武伊奈信男伊藤俊治ヴァルター・ベンヤミンヴィレム・フルッサーキュレーターギャラリー (美術)スーザン・ソンタグ写真写真家写真論光田由里倉石信乃福島辰夫竹内万里子竹葉丈笠原美智子編集者美術館美術評論家田中雅夫白山眞理飯沢耕太郎評論家谷口雅重森弘淹金子隆一 (写真)長谷川祐子雑誌東京国立近代美術館東京都写真美術館松本徳彦栃木県立美術館横江文憲渡辺勉 (写真)教授

増田玲

増田 玲(ますだ れい、1968年 - )は、写真評論家、写真史家。 筑波大学大学院地域研究研究科修士課程終了。 2009年現在、東京国立近代美術館学芸員であり、各種写真展の企画を行っている。.

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多木浩二

多木 浩二(たき こうじ、1928年 - 2011年4月13日)は、日本の思想家、批評家(美術評論家・写真評論家)。専門は、芸術学、哲学。.

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大学

ボローニャ大学における1350年代の講義風景を描いた写本挿絵 大学(だいがく、college、university)は、学術研究および教育における高等教育機関である。 日本の現在の学校教育制度では、高等学校もしくは中等教育学校卒業者、通常の課程による12年の特別教育を修了した者、またはこれと同等以上の学力を有する者を対象に専門的な高等教育を行うものとされている。学生の教育課程と修了要件の充足に応じて学位(短期大学士、学士、修士、専門職学位、博士)の学位授与を行う(なお、学位の名称・定義も国や地域によって異なる)。.

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大日方欣一

大日方 欣一(おびなた きんいち、1960年12月5日 - )は、日本の写真評論家、フォトアーキビスト。.

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学芸員

学芸員(がくげいいん)とは、日本の博物館法に定められた、博物館(美術館・天文台・科学館・動物園・水族館・植物園なども含む)における専門的職員および、その職に就くための国家資格のことである。欧米の博物館・図書館・公文書館では職種としてキュレーター(curator)が置かれているが、日本ではキュレーターを学芸員と訳している。.

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山岸章二

山岸章二(やまぎし しょうじ、1930年 - 1979年7月20日)は日本の編集者、写真評論家。 カメラ毎日編集長として活躍した。1979年、事務所で首を吊って自殺した。.

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岡部昌幸

岡部 昌幸(おかべ まさゆき、1957年11月17日 - )は、日本の美術評論家、写真評論家。帝京大学文学部史学科教授。群馬県立近代美術館館長。専門は、美術史、写真史(特に近代美術)。.

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中島謙吉

中島 謙吉(なかじま けんきち、1888年 - 1972年)とは、主として第二次世界大戦以前に活躍した日本の写真家、写真編集者、写真評論家、写真批評家である。日本の芸術写真の興隆において、重要な役割を果たした。写真だけでなく美術に関する批評も行った。「中嶋謙吉」と記載されることもある。 1922年にアルスに入社。雑誌『カメラ』『芸術写真研究』の編集に携わった(いずれの雑誌も、アルスから刊行。前者は1921年創刊で、主筆・高桑勝雄、顧問・三宅克己。後者は1922年創刊で、主筆は南実、中島謙吉は創刊時から編集)。『芸術写真研究』については、1923年から、南実のあとをついで主宰・主幹・主筆(文献により表現が異なる)といった役割を果たし、特に、読者からの写真作品を募集して掲載する「月例懸賞」の選者となり、応募者の中から、高山正隆、山本牧彦、渡辺淳、塩谷定好などを見出した。これらの写真家が、のちの日本光画協会(1928年設立)の中心メンバーとなり、日本における芸術写真の大きな潮流の1つである「ベス単派」が形成されていくことになる。 1928年に写真専門の出版社である光大社(東京市板橋区板橋町3丁目287番地)を設立して、アルスから独立。『芸術写真研究』の刊行も光大社に移った。そのことから、ベス単派は光大派とも呼ばれた(また、1924年に鈴木八郎らにより設立された「表現者写真会」(顧問は南実)でも同様の傾向がとられたことから、「表現派」と呼ばれることもある)。.

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平木収

平木 収(ひらき おさむ、1949年8月7日 - 2009年2月24日)は、日本の写真評論家、写真史研究家。.

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亀井武

亀井 武(かめい たけし、1915年 - 2001年)は、写真評論家、写真史家、写真家。.

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伊奈信男

伊奈 信男(いな のぶお、1898年3月31日 - 1978年10月7日)は、日本の写真評論家。 愛媛県松山市出身。東京大学文学部美学美術史学科卒業。戦前に活動を開始し、1932年に創刊した写真雑誌「光画」の同人としても活躍(2号から)。その後、日本工房、中央工房にも参加。 「光画」の創刊号に掲載された「写真に帰れ」(寫眞に歸れ)は、新興写真(近代写真)の成立を宣言したものであり、社会性を強く持っている写真作品を高く評価する内容で、それは、それ以降戦後しばらくまでの間の、報道写真を重視する(とともに、それ以外の芸術的な写真を社会性を喪失したという理由付けで排除する)という日本の写真状況と軌を一にする。 戦後は、写真にかかわる評論などを著しつつ、平凡社の『世界写真全集』(全7巻)の企画なども行う。また、日本写真協会理事、ニコンサロン名誉館長などを歴任する。 1976年には、「伊奈信男賞」(ニコンが主催)が設けられている。 従来は、伊奈の評論、論文等は、書籍の形で刊行されることがほとんどなかったので、古い雑誌等を探す必要があったが、伊奈の主要評論を収録した下記の『写真に帰れ―伊奈信男写真論集』が2005年に刊行されたため、容易に参照できるようになった。.

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伊藤俊治

伊藤 俊治(いとう としはる、1953年6月26日 - )は、日本の美術評論家、写真評論家、美術史家。東京芸術大学美術学部先端芸術表現科教授。.

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ヴァルター・ベンヤミン

ヴァルター・ベンディクス・シェーンフリース・ベンヤミン(Walter Bendix Schoenflies Benjamin、'valtɐ 'bεnjami:n、1892年7月15日 - 1940年9月26日)は、ドイツの文芸批評家、哲学者、思想家、翻訳家、社会批評家。フランクフルト学派の1人に数えられる。ドイツ観念論、ロマン主義、史的唯物論、及びユダヤ教的神秘主義などの諸要素を取り入れ、主に美学と西洋マルクス主義に強い影響を与えた。 第二次世界大戦中、ナチスの追っ手から逃亡中ピレネーの山中で服毒自殺を遂げたとされてきたが、近年暗殺説もあらわれ、いまだ真相は不明。ハンナ・アーレントは、彼を「homme de lettres(オム・ド・レットル/文の人)」と呼んだ。.

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ヴィレム・フルッサー

ヴィレム・フルッサー(Vilém Flusser, 1920年5月12日- 1991年11月27日)は、チェコスロバキア出身の哲学者。 プラハに住むユダヤ人家庭に生まれた。1938年、プラハ・カレル大学に入学し哲学を専攻。しかし1939年3月、チェコスロバキアはナチス・ドイツによって解体される。フルッサーは、のちに妻となる Edith Barth と彼女の両親とともにロンドンに逃れた。彼の親族はすべてナチスの収容所で命を落とした。 1940年、ブラジルに亡命。写真等のメディアに関する哲学を展開した。サンパウロ大学などで教鞭を執った。1991年、講演旅行の為に亡命後初めて故郷プラハに里帰りしたフルッサーは自動車事故に遭遇し、その生涯を終えた。1990年代には、主にドイツ語圏でその思想がブームとなった。.

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キュレーター

ュレーター()とは、博物館(美術館含む)、図書館、公文書館のような資料蓄積型文化施設において、施設の収集する資料に関する鑑定や研究を行い、学術的専門知識をもって業務の管理監督を行う専門職、管理職を指す(※―展覧会を組織すること)。英語由来の外来語であり、日本語でもほぼ同じ意味で使われている。 日本にキュレーターという語が入ってくる2000年代までは、学芸員という語が使われていた。現在は学芸員とキュレーターが混在している。なお、「学芸員」は一般的にはと訳される。.

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ギャラリー (美術)

ャラリー(Gallery, Art gallery)は、美術作品を陳列・展示したり販売したりする施設や組織。 公共機関か美術商が建造物等を管理しているのが普通である。美術館と比べると敷地面積や屋内体積は小さく、入場料を取らない場合が多いものの、例外もある。画廊(がろう)とも呼ばれるが、扱う製作物が絵画に限られないこともあり、近年ではギャラリーという語が選ばれる場合が多い。.

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スーザン・ソンタグ

ーザン・ソンタグ(Susan Sontag, 1933年1月16日 - 2004年12月28日)は、アメリカの著名な作家、エッセイスト、小説家、知識人、映画製作者、運動家。 人権問題についての活発な著述と発言でその生涯を通じてオピニオンリーダーとして注目を浴びた。批評家としてベトナム戦争やイラク戦争に反対し、アメリカを代表するリベラル派の知識人として活躍した。 しかし一方では、アグレッシブな「言語帝国主義者」として、言語は全て正規のアルファベット(アクサン、セディユ、ウムラウト等々を認めない)で表現されるべきである、英語以外の言語を言語として認めないなどの英語国粋主義的な強論が、おもに非英語圏の多数の知識人から批判されてきた。.

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写真

写真(しゃしん、古くは寫眞)とは、.

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写真家

写真家(しゃしんか、photographer)とは、主に写真を撮影もしくは製作する事を生活の中心にしている人。カメラマンと区別して写真家と呼ぶ場合、動画ではない写真を撮影する人をさす場合や、特に芸術的な写真を撮影し発表する人(芸術写真家)を指す場合がある。.

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写真論

写真論(しゃしんろん、theory of photography)とは、写真に関する論、評論、批評のことである。「写真評論」(phtography critics)ともいう。.

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光田由里

光田 由里(みつだ ゆり、1962年 - )は、日本の写真評論家、写真史家。.

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倉石信乃

倉石 信乃(くらいし しの、1963年 - )は、日本の詩人、批評家(美術評論家・写真評論家)、明治大学理工学部総合文化教室教授。男性。.

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福島辰夫

福島 辰夫(ふくしま たつお、1928年 - )は、日本の写真評論家、美術評論家。.

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竹内万里子

竹内 万里子(たけうち まりこ、1972年 - )は、日本の写真評論家、写真批評家。.

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竹葉丈

竹葉 丈(たけば じょう、1961年-)とは、写真評論家、写真史家。 2009年現在、名古屋市美術館学芸員であり、各種写真展の企画を行っている。 企画の中では、「異郷のモダニズム」展など、今まで人々の目に触れることのなかった作品の掘り起こしに大きな貢献をしている。.

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笠原美智子

原 美智子(かさはら みちこ、1957年10月13日 - )は、美術評論家・写真評論家、学芸員、キュレーター。東京都写真美術館事業企画課長を経て、(公財)石橋財団 ブリヂストン美術館 副館長。また、明治学院大学非常勤講師でもある。 長野県茅野市生まれ。1979年長野県諏訪二葉高等学校卒業。1983年に明治学院大学社会学部社会学科を卒業。1987年にはシカゴのコロンビア大学修士課程を修了(写真専攻)。 1989年に東京都写真美術館学芸員、2002年に東京都現代美術館学芸員、2006年には写真美術館に戻る。極めて積極的に写真展の企画を継続しているほか、講演等もおこなっている。.

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編集者

編集者(へんしゅうしゃ)は、本(書籍・雑誌)や新聞などの刊行物や論文などの内容を編集する者である。歴史書や教科書を発行する出版社(例えば三省堂)では、「編集」ではなく「編修」と表記する場合もある。 実際は、「編集者」と呼ばれる役職は2つある。1つは、著作的な編集を行う人である。著者表示で「著」などと並んで「編」「edited by」「ed.」などとなっている人物である。編纂者・編者(編著者)に同じ。.

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美術館

美術館(びじゅつかん、Art museum)とは、博物館の一種 であり、美術作品を中心とした文化遺産や現代の文化的所産を収集・保存・展示し、またそれらの文化に関する教育・普及・研究を行なう施設である。.

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美術評論家

美術評論家(びじゅつひょうろんか)は、美術について評論する評論家のこと。専門分野により、建築評論家、写真評論家などの言い方もされる。 美術館の学芸員、キュレーター、大学等の教育・研究機関の教官・研究員(教授・助教授・講師など)、雑誌等編集者と兼務している場合も多いが、フリーで美術評論家だけをしている場合もある(元学芸員の場合等、もともとは美術関係の他の肩書きを持っていた者が、退職等でその肩書きを失った後に美術評論家と呼ばれるケースも含む)。主として、雑誌記事や書籍の執筆、講演会開催、テレビやラジオへの出演、美術展の企画等が、その仕事である。 最近は、「評論家」が持つマイナスイメージを嫌うためか、「美術評論家」の代わりに「美術史家」または「美術批評家」などの呼び方も用いられる。これらの3つの呼び方には明確な境界や区別はなく、1人の人間に対して、時と場合により、この3つの呼び方が使われることがある(または自分で用いることがある)。.

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田中雅夫

中 雅夫(たなか まさお、1912年 - 1987年)は日本の写真評論家。写真家の濱谷浩、濱谷了一は実弟。本人は養子に出たために、姓が「田中」となっている。.

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白山眞理

白山 眞理(しらやま まり、1958年10月1日-)とは、写真評論家、写真批評家。日本カメラ博物館・JCIIライブラリーに勤務。旧姓「森山」。.

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飯沢耕太郎

飯沢耕太郎(いいざわ こうたろう、1954年3月26日 - )は、日本の写真評論家。.

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評論家

評論家(ひょうろんか、)とは、評論を仕事にしている者のことである。批評家ともいう。.

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谷口雅

谷口 雅(たにぐち みやび、1949年 - )は、写真家、写真評論家。2002年より2012年まで東京綜合写真専門学校校長。 1949年愛知県生まれ。福岡県立福岡高等学校を経て、東京綜合写真専門学校卒業。 「写真批評」編集部に勤務。その後、東京綜合写真専門学校講師となる。 写真家による自主ギャラリー「プリズム」(東京・新宿)設立にかかわる(このギャラリーは東京綜合写真専門学校や東京造形大学の在校生や卒業生が中心となって1976年3月に設立された。その後、このプリズムは閉廊している)。 1985年のつくば写真美術館'85の企画にも参加した。 個展、グループ展や展覧会の企画も行う。 なお、福岡在住で布を使った作品を制作する谷口雅()は別人。.

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重森弘淹

重森 弘淹(しげもり こうえん、1926年7月27日 - 1992年10月13日)は写真評論家。 作庭家重森三玲の二男として京都市に生まれる。名前はドイツの哲学者ヘルマン・コーエンに由来。同志社大学文学部卒業後、1949年「いけばな芸術」の編集長となり、勅使河原宏らとともに、流派を超えた新しいいけばなの方向を模索し始めた。 一方、岡本太郎や花田清輝らの結成した「夜の会」、安部公房らによる「記録芸術の会」などに参加し、総合的な芸術への視野に立った活動を始めた。1955年頃から、カメラ雑誌を中心に写真の評論活動を開始し、当時隆盛をきわめていた「リアリズム写真運動」を批判的に継承しつつ、東松照明や奈良原一高らによる新しい写真表現の登場を支持し、さらに現代写真の始まりを告げるウィリアム・クライン、ロバート・フランクらの仕事をいち早く紹介、評論するなど、日本の現代写真の動向に大きな影響を与えた。 1958年「東京フォトスクール」を創立、1960年東京綜合写真専門学校と名称を変えて発展させ、自らの写真美学や批評精神を展開しつつ、写真家の育成に情熱を注いだ。 批評家であると同時に教育者である重森弘淹の基本的な思想は、『表現とは、作者の批評行為であり、それなくして表現は存在しない』というものだった。この思想が東京綜合写真専門学校の理念として引き継がれ、多くの先鋭的で個性的な写真家を輩出し続けている。 日本写真批評家協会会員、東京綜合写真専門学校校長、多摩美術大学客員教授、武蔵野美術大学客員教授、日本映像学会常任理事を経て、1992年没。.

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金子隆一 (写真)

金子 隆一(かねこ りゅういち、1948年5月18日『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.477 - )は、日本の写真評論家、写真史家、写真集コレクター。本職業は僧侶。.

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長谷川祐子

長谷川 祐子(はせがわ ゆうこ、1957年 - )は、日本のキュレーター、美術評論家。東京都現代美術館チーフキュレーター、多摩美術大学教授。東京芸術大学大学院教授。.

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雑誌

雑誌(ざっし)とは、逐次刊行物であり定期刊行物である出版物の一種。一般に流通している娯楽雑誌などだけではなく、学術研究誌や官公庁誌なども含めた広い範囲を示す言葉であり、印刷資料としては図書と並ぶ二大情報源である。.

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東京国立近代美術館

東京国立近代美術館(とうきょうこくりつきんだいびじゅつかん、英語:The National Museum of Modern Art, Tokyo、英略称:MoMAT)は、東京都千代田区北の丸公園内にある、独立行政法人国立美術館が運営する美術館である。.

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東京都写真美術館

東京都写真美術館(とうきょうとしゃしんびじゅつかん)は、東京都目黒区三田一丁目にある、写真・映像専門の公立美術館である。指定管理者制度により、東京都歴史文化財団グループ(公益財団法人東京都歴史文化財団、鹿島建物総合管理株式会社、アサヒビール株式会社の共同事業体)が管理・運営している。.

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松本徳彦

松本 徳彦(まつもと のりひこ、1936年1月1日 - )は、日本の写真評論家、写真家。 広島県尾道市に生まれる。 日本大学芸術学部写真学科卒業。 九州産業大学芸術学部・大学院講師、東京工芸大学芸術学部講師などを務める。 写真史に関する啓蒙活動、美術館の写真収集に関する協力活動などを、きわめて積極的に行う。 写真弘社のカレンダーの制作にも協力している(解説など)。 写真家としても作品を残している。.

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栃木県立美術館

栃木県立美術館(とちぎけんりつびじゅつかん 英表記:Tochigi Prefectural Museum of Fine Arts)は栃木県宇都宮市桜四丁目にある美術館である。日本の近代美術館の先駆けとして1972年(昭和47年)に開館した。県内、国内各地、そして西欧美術品を幅広く収蔵し、絵画、版画、挿絵、写真、工芸品に亘るコレクションの数は8,000点を超える。概ねシーズンあたり1回の企画展・常設展示品入れ替えが行われる。 宇都宮市西部市街地、宇都宮市桜公園の奥に立地する。建物は本館・分館ともに川崎清の設計である。.

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横江文憲

横江 文憲(よこえ ふみのり、1949年 - )は、日本の写真評論家、写真史家。東京学芸大学非常勤講師、女子美術大学非常勤講師。.

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渡辺勉 (写真)

渡辺 勉(わたなべ つとむ、1908年5月9日-1978年1月17日)は、写真評論家、写真家。 岐阜県出身。中津商業を卒業。 写真評論、アマチュア写真家の啓蒙、雑誌編集などで、戦前から戦後にかけて活躍。著書多数。評論書のみならず技法書も執筆。 戦前には報道写真家としても作品を発表した。東方社にも参加した。 戦後の活動としては、「世界画報」(1946年創刊)の編集長となったり、木村伊兵衛賞の最初期の選考委員も務めた(具体的には、第2回、第3回および第4回、)。.

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教授

教員における教授(きょうじゅ、professor)は、大学院、大学、短期大学、高等専門学校など高等教育を行う教育施設や、JAXA、大学入試センターなど研究機関の、指導者の職階や職階者である。.

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