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典薬寮

索引 典薬寮

典薬寮(てんやくりょう/くすりのつかさ、薬司)は、律令制により制定された機関で、宮内省に属する医療・調薬を担当する部署。.

52 関係: 大初位天保天皇室町時代官位丹波氏平安時代任官伊良子光顕役小角御典医従七位従五位従八位従六位律令制修験道医師医師 (律令制)医療僧位呪禁博士呪禁師和気氏品部内薬司六位蔵人光格天皇皇室社家続日本紀韓国広足調剤賀茂別雷神社醍醐針博士陰陽寮正七位正八位正六位武家伝奏江戸時代漢方医学朝廷戦国時代 (日本)明治維新日本の官制1869年...732年896年 インデックスを展開 (2 もっと) »

大初位

大初位(だいしょい、だいそい)は、日本の位階における位の一つ。従八位または従九位の下、少初位の上の位階である。 律令制においては、さらに大初位上と大初位下の二階に分けられた。大初位は、一部の司の令史、大宰府の判事大令史、家司の一品家少書吏、二品家大書吏、職事一位家少書吏、掃部寮の少属などに相当する。 明治時代初期の太政官制においては上下の区別がなくされた。また、大初位は、明治2年(1869年)8月22日内閣記録局『単行書・明治職官沿革表・職官部・一』(国立公文書館(ref.A07090183000))では、7月8日制定、8月20日改正とされている。に定められた職員令により、相当の職もなくなった 。 栄典としての位階制が定められた叙位条例(明治20年勅令第10号)、位階令(大正15年勅令第325号)には、初位はない。.

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天保

天保(てんぽう)は日本の元号の一つ。文政の後、弘化の前。1831年から1845年までの期間を指す。この時代の天皇は仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉、徳川家慶。.

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天皇

天皇(てんのう)は、日本国憲法に規定された日本国および日本国民統合の象徴たる地位、または当該地位にある個人「天皇」『日本大百科全書(ニッポニカ)』 小学館。。7世紀頃に大王が用いた称号に始まり、歴史的な権能の変遷を経て現在に至っている。 今上天皇(当代の天皇)は、昭和天皇第一皇子である明仁。.

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室町時代

室町時代(むろまちじだい)は、日本の歴史において、室町幕府(足利将軍家)によって統治されていた時代である。「室町時代」の名称は、京都の室町に幕府が置かれていたことに由来する。.

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官位

日本における官位(かんい)は、日本史では人が就く官職と、人の貴賤を表す序列である位階の総称、古代朝鮮史(高句麗・百済・新羅)においては人の貴賤の序列として定められた位のことである。ともに中国の影響を受けたものだが、中国史では官位という言葉は用いない。 官職と位階との相当関係を定めたものを官位相当といい、各官職には相当する位階(品階)に叙位している者を任官する制度を官位制(官位制度、官位相当制)という『日本歴史大事典 1』小学館、2000年(平成12年)、768頁。日本において、官職と位階は律令法(律令制)によって体系的に整備された。位階制度については「位階」の項目を、官職については「日本の官制」を参照のこと。以下、日本における官位制について概説する。.

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丹波氏

丹波氏(たんばうじ)は、「丹波」を氏の名とする氏族。 渡来系氏族の姓の1つで、後漢霊帝の後裔と言われ、本姓は坂上氏。丹波康頼の代で丹波宿禰姓を賜る。応神天皇の時代に帰化した阿知使主を祖とする。一族からの堂上家としては錦小路家があり、その他では金保氏(後の多紀氏)や施薬院氏がある。 開化天皇の裔である丹波氏とは別系統である。.

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平安時代

平安時代(へいあんじだい、延暦13年(794年) - 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。.

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任官

任官(にんかん)とは、官職に任用されることをいう。古くは奈良時代の律令制導入の際より日本の官制において用いられた用語であり、今日の政府や国家機関等においても使用されている。今日では国家公務員の職、特に裁判官、検察官、自衛官(即応予備自衛官、予備自衛官を含む)、警察官、海上保安官、刑務官、労働基準監督官などに任ぜられる場合に用いられる。対義語は「免官」、「退官」。 なお、関連用語として、「任官拒否」という用語もある。用法としては、司法試験合格者のうち、裁判官等への任官を拒否するために用いられ、その他には防衛大学校卒業者が自衛官への任官を拒否する場合にも用いられる。なお、国家公務員が異なる官庁・職種に転じる場合、転官ともいう。.

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伊良子光顕

伊良子 光顕(いらこ みつあき、元文2年6月2日(1737年6月29日) - 寛政11年9月19日(1799年10月17日))は、江戸時代の外科医、官人。字は孝伯、号は無荒。最後の官位は正六位下長門守。「顕」の正字は「顯」。 伊良子道牛の実孫で、道牛の確立した「伊良子流外科」の継承者。光顕は、祖父の代に名声を得た医術をさらに発展させたが、伊良子流外科の源流である西洋医学の論理を自分の目で確認するために、腑分けの実施を熱望するようになる。その願いが叶い、宝暦8年5月28日(1758年7月2日)、山脇東洋・栗山孝庵についで日本で3番目の腑分けを行った。このとき、光顕は22歳(数え)の青年であったが、山脇東洋が気づく事のなかった大腸と小腸の違いを見分ける事に成功している。光顕はこの腑分けの体験を元に、「外科訓蒙図彙(げかきんもうずい)」という医学書を明和4年(1767年)に執筆した。 これらの業績によって光顕の医家としての名はさらに轟き、宮門跡であった青蓮院の医師に取り立てられ、さらには安永6年(1777年)、滝口武者に列し、後に長門守に補せられた。 光顕は伊良子家を、滝口武者を世襲する伏見の宗家(見道斎伊良子家)と典薬寮医師を世襲する京都の家(千之堂伊良子家)とに分け、前者を実子の光慶に、後者を門人で娘婿の光通(旧姓・吉井)にそれぞれ継がせた。 墓所は京都市伏見区の宝塔寺。 Category:江戸時代の医学者 Category:18世紀の学者 Category:日本の外科医 Category:江戸時代の医師 Category:1737年生 Category:1799年没.

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役小角

役 小角(えん の おづの /おづぬ /おつの、舒明天皇6年(634年)伝 – 大宝元年6月7日(701年7月16日)伝)は、飛鳥時代の呪術者である。姓は君。 修験道の開祖とされている。 実在の人物だが、伝えられる人物像は後世の伝説によるところが大きい。天河大弁財天社や大峯山龍泉寺など多くの修験道の霊場に、役行者を開祖としていたり、修行の地としたという伝承がある。.

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御典医

御典医(ごてんい)とは、典薬寮に所属する医師のことであり、単に典医ともいう。転じて、江戸時代には将軍家や大名に仕えた医師もこの名称で呼ぶようになった。この場合、御殿医と表記することもある。.

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従七位

従七位(じゅしちい)は、日本の位階における位の一つ。正七位の下、正八位の上の位階である。 律令制においては、さらに従七位上と従七位下の二階に分けられた。明治時代初期の太政官制においては上下の別がなくされた。従七位は、神祇官の少史などに相当する。 栄典としての従七位には、イラク日本人外交官射殺事件で殉職した在イラク日本国大使館一等書記官の井ノ上正盛が叙されている。.

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従五位

従五位(じゅごい)とは、日本の位階及び神階における位のひとつ。正五位の下、正六位の上に位する。贈位の場合、贈従五位という。近代以前の日本における位階制度では、従五位下以上の位階を持つ者が貴族とされている。また、華族の嫡男が従五位に叙せられることから、華族の嫡男の異称としても用いられた。.

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従八位

従八位(じゅはちい)は、日本の位階における位の一つ。正八位の下、大初位または正九位の上の位階である。 律令制においては、さらに従八位上と従八位下の二階に分けられた。従八位は、中務省の少典鑰、治部少解部、刑部少解部などに相当する。 明治時代初期の太政官制においては上下の別がなくされた。従八位は、神祇官の史生、太政官の官掌などに相当する。 栄典としての位階制が定められた叙位条例(明治20年勅令第10号)、位階令(大正15年勅令第325号)では、従八位が最も低い位階である。.

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従六位

従六位(じゅろくい)は、日本の位階における位の一つ。正六位の下、正七位の上。.

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律令制

律令制(りつりょうせい)は、律令に基づく制度のこと。主に古代東アジアで見られた中央集権的な統治制度であるといわれることもあるが、唐制に倣った体系的法典を編纂・施行したことが実証されるのは日本だけである山内昌之・古田博司。日本では律令制または律令体制や律令国家と呼ばれるが、中国にはこのような呼称は存在しない菊池秀明p8 (日中歴史共同研究報告書 p153)。中国において「律令」という言葉は秦から明まで長期にわたって使われており、その間にその内容や位置づけは大きな変遷をみている。そのため、日本の律令制の直接的モデルとなった隋や唐の国家体制をもって「律令制」と定義することは、中国の律令の変遷の実情を無視することとなり、また秦から明までのおよそ1800年間(律のみ存在した清も加えれば2100年間)の制度を一括りにすることにはあまり意味がないとする考えもある廣瀬薫雄『秦漢律令研究』2010年、汲古書院、第一部第一章「律令史の時代區分について」。.

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修験道

野の深山にて修行中の修験者 修験道(しゅげんどう)は、山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的とする日本古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた日本独特の宗教である。修験宗ともいう。修験道の実践者を修験者または山伏という。.

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医師

医師(いし、doctor)とは、医療および保健指導を司る医療従事者。医学に基づく傷病の予防、診療および公衆衛生の普及を責務とする。 米国では、伝統的に医師は英語で「」と称される。また、専門分野ごとに「内科医 (physician)」と呼ばれたり「外科医 (surgeon)」と呼ばれたりもする。欧米で医師の一般名称「physician」に対して外科医だけが「surgeon」と呼ばれている理由は、中世より「内科学」=「医学」とされており、「内科医」=「医師」であったことによる。「外科医」の仕事は初期の頃は理容師によって行われ、医療補助職として扱われており、現在での義肢装具士や理学療法士等のような存在であったことから、別の名称があてられることになった。すなわち医師である内科医が診察診断を行いその処方に基づいて理髪師(外科医)が外科的治療を薬剤師が内科的治療(投薬)をそれぞれ行うという建前であった。しかし時代が進むにつれ外科医も薬剤師も独自に治療を行うようになり彼らも医者とみなされるようになっていった。その他に、フランス語では médecin(メドゥサン)、ドイツ語では Arzt(アルツト)である。 また、博士の学位を持っていない医師までも doctor と呼ぶことは、日本、英国、オーストラリア、ニュージーランド、等で行われている。ただし、英連邦諸国では、外科医は、学位にかかわらず、今日なお「ミスター」で、「ドクター」とは呼ばない。本来なら「master.

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医師 (律令制)

『七十一番職人歌合』三十四番に描かれた医師 医師(くすし)は、律令制下の日本における典薬寮の職員の1つ。従七位下相当で定員10名。 京中の庶人以上の疾病・瘡傷の治療にあたる。また、五位以上の貴族に対しては往診も行った。 医師になることを希望する者は、13-16歳位で医生として典薬寮に入学し、教養課程2年及び専門課程(内科7年、外科・小児科5年、耳鼻咽頭科・眼科・歯科4年)を経たのち、卒業試験と任官試験を受けて合格したものが最初に任じられる官職である。往診を受けた貴族の家では往診に来た医師の姓名と治療の良悪と治癒状況について宮内省に届け出て、その報告を基に6年後との勤務評価を行った。治癒率7割以上は上、5割以上は中、それ以下は下と判断され、6年間の平均が上に達すれば位階を2階上げられ、中であれば1階上げられ、下であれば解職された。また、ここでの実績が評価されて典薬寮内の上位の官職(典薬少属)に任じられたり、衛府などに所属する武官医師に転じる場合があった。 ただし、典薬寮及び医師の規定は、民間の医師の存在を否定・禁止するものではなかった。民間の医師は「里中医」と称せられ、『令義解』の獄令部分において、囚人が病気にかかった際に里中医を呼んで治療にあたらせ、贓贖物(贓物・贖物)をその費用にあてていたことが記されている。.

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医療

医療(いりょう、health care、medical care)とは、人間の健康の維持、回復、促進などを目的とした諸活動について用いられる広範な意味を持った語である。広義の類語はヘルスケアや保健。.

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僧位

僧位(そうい)とは日本において僧侶に対し与えられた位階のことである。.

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呪禁博士

呪禁博士(じゅごんはかせ)とは、律令制において典薬寮に属した官人。呪禁のことを扱うとともに呪禁師の育成にあたる。定員1名で従七位上相当。 初出は『日本書紀』にある持統天皇5年(691年)条で、木素丁武・沙宅万首が呪禁博士であったことが知られる。 律令制においては呪禁は病気治療や安産のために欠かせないものとされ、同時に国家安泰のための道教呪術を行う存在として、天文・暦学ともに「国家要道」の学と位置づけられた。また、医博士・針博士・案摩博士とともに医学に冠する専門職とされた。 呪禁師の中で優秀なものが呪禁博士に任ぜられ、医師の家や薬部の家から選ばれた呪禁生(定員6名)の育成に努めた。だが、後に厭魅蠱毒事件の続発によって呪禁そのものが危険視されたこと、同様に道教の呪術を取り入れた陰陽道の台頭によって8世紀末頃には事実上廃止され、9世紀には呪禁博士の制度自体が消滅した。.

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呪禁師

呪禁師(じゅごんし)とは、律令制において典薬寮に属した官人。呪禁のことを扱う。定員2名で正八位上相当。 呪禁師は道教の影響を受けて成立し、呪術によって病気の原因となる邪気を祓う治療などを行った。古くは仏教の祈祷と混同されて用いられた例もある(『日本書紀』敏達天皇6年条)が、本格的な導入の初出は『日本書紀』にある持統天皇5年(691年)条である。 律令制においては呪禁も病気治療や安産のために欠かせないものとされ、呪禁師の中で優秀なものは呪禁博士(定員1名)に任ぜられ、呪禁生(定員6名)の育成に努めた。だが、後に厭魅蠱毒事件の続発によって呪禁そのものが危険視されたこと、同様に道教の呪術を取り入れた陰陽道の台頭によって8世紀末頃には事実上廃止され、9世紀には呪禁師の制度自体が消滅した。.

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和気氏

和気氏(わけうじ)は、「和気」を氏の名とする氏族。 備前国和気郡(古くは藤野郡と称した)を本拠とした豪族である。垂仁天皇の皇子・鐸石別命(ぬてしわけのみこと)を祖とすると伝えられる。「別氏」とも書く。姓(かばね)は公(きみ)から真人(まひと)、宿禰などを経て774年(宝亀5年)に朝臣の姓が与えられた。.

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品部

品部(しなべ/ともべ)とは、「しなしなのとものを」あるいは「とものみやつこ」の和訓を持つ古代日本の人的集団・組織のこと。.

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内薬司

内薬司(ないやくし/うちのくすりのつかさ)は、律令制において中務省に属する機関の一つである。.

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六位蔵人

六位蔵人(ろくいのくろうど)とは、令外官の役職で、蔵人所の官吏。五位蔵人の次位にあたる。定員はおおよそ4名から6名。天皇の膳の給仕等、秘書的役割を果たした。毎日出仕して働く下級役人であることから日下﨟(ひげろう)とも呼ばれた。六位の者が補任されるが、昇殿が許される殿上人となり、麹塵袍の着用が許されるなど、天皇の側近として名誉な職とされた。 任官資格順位としては「公卿の子弟の非蔵人(蔵人の見習)」、「非蔵人」、「執柄勾当(摂家の家来)」、「院蔵人」 「雑色」、「儒生の修了者(明法道などの難試験に合格した者)」、「判官代」の順である。任官に年齢制限はなく、就任した順に「新蔵人」(しんくろうど)、「氏蔵人」(うじくろうど)、「差次」(さしつぎ)、「極﨟」(ごくろう)という席次があった。 六位蔵人は式部丞・民部丞・外記・史・近衛将監・衛門尉などと同様に毎年正月の叙位で叙爵枠があり、上﨟者(在職年数の長い者)は従五位下に叙される慣例となっていた(巡爵)。この際、通常五位蔵人に転じることはなく蔵人を辞職し地下人になる。こういう人を蔵人五位(くろうどのごい)と呼んだ。なお、殿上人から退くことをよしとしない者はあえて叙爵を受けず、六位に留まり、改めて末席の「新蔵人」となる「鷁退(逆退とも。げきたい)」という慣例が生まれた。 式部丞・民部丞・外記・史・検非違使衛門尉などから叙爵した者と同様に六位蔵人から五位に叙された者は受領に任じられる資格があり、叙爵後一定の待機期間の後、受領に任じられた。そのため、六位出身者にとって六位蔵人は重要な出世コースであった。 中世以降、五位蔵人は次第に名家と呼ばれる堂上家が経る職となり六位蔵人が五位蔵人となることはなくなっていったため、「鷁退」か五位の地下人になるかいずれかを選ばなければならなくなった。さらに時代が下ると六位蔵人を経たものが公卿に至ることもなくなり、近世では『地下家伝』に記載されるなど、殿上人でありながら堂上家ではなく、あくまで地下人の中での上級層とみなされていた。 近世では禁色勅許はもちろん、地下人であっても堂上家同様に鉄漿をつけることができた。禁色は五位になって地下人に降りれば使用できないが、鉄漿のほうは一生つけることができたという。.

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光格天皇

光格天皇御胞塚、光格天皇の胞衣を埋納した塚、京都市上京区荒神口通河原町西入清荒神内 光格天皇(こうかくてんのう、明和8年8月15日(1771年9月23日) - 天保11年11月18日(1840年12月11日))は、江戸時代の第119代天皇(在位:安永8年11月25日(1780年1月1日) - 文化14年3月22日(1817年5月7日))。幼名を祐宮(さちのみや)という。諱は初め師仁(もろひと)としたが、死人(しにん)に音が通じるのを忌み、践祚と同時に兼仁(ともひと)に改めた。傍系の閑院宮家から即位したためか、中世以来絶えていた朝儀の再興、朝権の回復に熱心であり、朝廷が近代天皇制へ移行する下地を作ったと評価されている。実父閑院宮典仁親王と同じく歌道の達人でもあった。.

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皇室

皇室(こうしつ)は、天皇および皇族の総称。 狭義には内廷皇族、広義には天皇とその近親である皇族を意味するが、皇族の範囲は時期によって異なる。 近代(明治維新)以降は、天皇と内廷皇族を家族とする内廷と皇太子以外の皇族男子及びその家族で構成される宮家を意味する。 皇室典範第五条に定める、天皇の配偶者である皇后、先代の天皇の未亡人である皇太后、先々代の天皇の未亡人である太皇太后、また、皇太子(皇太孫)、皇太子妃(皇太孫妃)、皇族男子たる親王、王、さらには生まれながらの皇族女子である内親王、女王がある。親王妃、王妃は親王、王の配偶者となることをもって、皇族とされる。戦前(大日本帝国憲法下、日本国憲法施行まで)においては、帝室(ていしつ)とも呼ばれていた。 一般国民の女性は、皇族男子との婚姻により皇族になることができる。また、15歳以上の内親王、王、女王はその意思により、皇太子、皇太孫を除く親王、内親王、王、女王は、その意思によるほかにやむをえない特別の事由があるとき、皇室会議の議決を経て皇族の身分を離脱できる。なお、皇族女子は天皇、皇族以外の者と婚姻したとき皇族の身分を離れる(臣籍降下・臣籍降嫁)。.

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社家

家(しゃけ)とは、日本の身分のひとつ。代々特定神社の神職や社僧の職を世襲してきた家(氏族)のことである。明治維新後、現代まで世襲している神職家のことをいう。.

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続日本紀

『続日本紀』(しょくにほんぎ)は、平安時代初期に編纂された勅撰史書。『日本書紀』に続く六国史の第二にあたる。菅野真道らが延暦16年(797年)に完成した。文武天皇元年(697年)から桓武天皇の延暦10年(791年)まで95年間の歴史を扱い、全40巻から成る。奈良時代の基本史料である。編年体、漢文表記である。略称は続紀(しょっき)。.

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韓国広足

韓国広足(からくに の ひろたり、生没年不詳)は、7世紀末から8世紀の日本にいた呪術者である。姓(カバネ)は連。氏は物部韓国(もののべのからくに)ともいう。役小角を師としたが、699年に小角を告発した。呪禁の名人として朝廷に仕え、732年に典薬頭になった。外従五位下。.

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テンレス1寸1番鍼 鍼(はり、Acupuncture)もしくは鍼治療(はりちりょう)とは、身体の特定の点を刺激するために専用の鍼を生体に刺入または接触する治療法である。中国医学等の古典的な理論に基づいており、中国・日本・韓国でそれぞれ発達した。このうち韓国が特に鍼を重視し、「一鍼二灸三薬」と言われている 日本東洋醫學雜誌54 社団法人日本東洋医学会。中国医学では、経穴を刺激することで経絡として知られる道を通る「気」の流れの異常を正すとされる。科学的調査では「気」、「経絡」、「経穴」、といった中国医学の概念に組織学的あるいは生理学的相互関係は見出されておらず、一部の現代の施術者は中国医学的手法に基づかない鍼療法を使用している。 UNESCOは「伝統中国医学としての鍼灸」(Acupuncture and moxibustion of traditional Chinese medicine)を、2010年11月16日に無形文化遺産に指定した。 現在、日本において鍼を業として行えるのは、医師および国家資格であるはり師の免許を持つ人である。 欧米では代替医療、医療類似行為に分類されている。 侵襲性はごくわずかであるものの、鍼灸針を使用したへの刺鍼は、プラセボ効果を十分に制御した治験を計画する時に支障を来す 。伝統的鍼治療と偽療法を比較した多くの研究によって、偽鍼治療と伝統的鍼治療の両方が通常治療よりも優れていたものの、両者の効果は同等であったことが示されている。これらの知見は経穴の特異性に関する中国医学理論と矛盾しているように見える。現在のエビデンスは鍼治療の効果が全てプラセボによるものである可能性を排除していない。 特定の症状に対する鍼治療の適用はアメリカ国立衛生研究所やイギリスの国民保健サービス、世界保健機関、アメリカ国立補完代替医療センターによって認められている。しかしながら、懐疑論者は様々な保健管理機関による鍼の承認に対して、ひどく軽率であり鍼の有効性に関する異論あるいは反論を含んいでないとして批判している。鍼治療はクリーン・ニードル・テクニック (CNT) を用いて施術した場合には一般的に安全であり、深刻な副作用の危険性は非常に低い。 以下では主に日本の鍼を解説する。.

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調剤

調剤(ちょうざい)とは、医師・歯科医師・獣医師から発行された処方箋に基づき、医薬品を交付すること。薬剤師の独占業務である。.

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賀茂別雷神社

賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は、京都市北区にある神社。通称は上賀茂神社(かみがもじんじゃ)。式内社(名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。 ユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されている。.

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蘇(復元品) 蘇(そ)は、古代の日本で作られていた乳製品の一種で、相当に乾燥し長期保管に耐える加熱濃縮系列の乳加工食品と考えられている平田昌弘、 帯広畜産大学 学術雑誌論文 食品資材研究会 (2011),New Food Industry, 53(6): 73-81。酥とは同一の物では無い。.

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醍醐

醍醐(だいご)とは、五味の一つ。牛乳を加工した、濃厚な味わいとほのかな甘味を持った液汁とされ、最も美味しい味の代名詞として使われた。すでに製法は失われており、後述のような諸説(バターのようなもの松長有慶 「密教大系(9巻)」 1994年 法藏館、又は現代で言うカルピスや飲むヨーグルトのようなもの、または蘇(レアチーズ)を熟成させたものなど)入り乱れ実態は不明である有賀秀子、高橋セツ子、倉持泰子 ほか、 日本畜産学会報 Vol.59 (1988) No.3 P.253-260, 。再現実験を行った有賀らは、バターオイルのような物質であるとしている。.

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針博士

針博士(はりはかせ)は、宮内省典薬寮に属する職員の1つ。従七位下相当。定員1名。ただし、従七位下以上に栄達する者も多数出ている。針生の教育と針師の監督を行った。「鍼博士」とも記載された。.

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陰陽寮

陽寮(おんようりょう、おんようのつかさ、おんみょうりょう)は、日本の律令制において中務省に属する機関のひとつ。占い・天文・時・暦の編纂を担当する部署。「うらのつかさ」とも。.

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正七位

正七位(しょうしちい)は、日本の位階における位の一つ。従六位の下、従七位の上に位する。.

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正八位

正八位(しょうはちい)は、日本の位階における位の一つ。従七位の下、従八位の上に位する。 律令制においては、さらに正八位上と正八位下の二階に分けられた。明治時代初期の太政官制においては上下の別がなくされた。正八位は、神祇官の権少史、太政官の主記などに相当する。.

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正六位

正六位(しょうろくい)とは、日本の位階及び神階における位のひとつ。従五位の下、従六位の上に位する。勲等では勲五等に、功級では功五級に相当。 律令制下において六位は下国の国司及び国府の次官である介が叙せられる位であった。地下人の位階とされ、五位以上の貴族(通貴)とは一線を画する位階であり昇殿は許されなかった。但し、蔵人の場合、その職務上、六位であっても昇殿が許され、五位以上の者と六位蔵人の者を合わせて殿上人と称した。神階においては、正六位が最下位となる。 明治時代以降は、少佐の階級にある者などがこの位に叙せられた。また、今日では警察官では警視正、消防吏員では消防監などがこの位に叙せられる他、市町村議会議長にあった者、特別施設や学校創立者その他、業種等で功労ある者などが没後に叙せられる。.

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武家伝奏

武家伝奏(ぶけてんそう)は、室町時代から江戸時代にかけての朝廷における職名の一つ。公卿が任じられ、武家の奏請を朝廷に取り次ぐ役目を果たした。.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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漢方医学

漢方医学(かんぽういがく)または漢方は、狭義では漢方薬を投与する医学体系を指す今西二郎・栗山洋子「漢方」(今西二郎 編集 『医療従事者のための補完・代替医療 改訂2版』 金芳堂、2009年 収録)。また漢方は、漢方薬そのものを意味する場合もある。広義では、中国医学を基に日本で発展した伝統医学を指し、鍼、灸、指圧なども含む。現在日本の東洋医学業界では、古典医学書に基づく薬物療法を漢方医学、経穴などを鍼や灸で刺激する物理療法を鍼灸医学、両者をまとめて東洋医学と呼んでいる。 5・6世紀に、まず朝鮮半島を経由し、のちに直接中国から日本に中国医学が伝来したといわれる。漢方医学は、明に留学した僧医などによって、金・元の医学が導入されてから徐々に独自性を持つようになり(後世派)、16世紀室町時代以降に発展し、活発な貿易が行われた安土桃山時代に一般に普及した。(これは、日本では生薬の多くは輸入する必要があり、海上ルートの確立が欠かせなかったためである)陰陽五行説の影響の大きい後世派に対し、江戸時代にはこれを批判して実証主義的な古方派が台頭し、のちに2派を統合した折衷派が生まれた長濱善夫 『東洋医学概説』 1961年、創元社。現在の漢方医学にも3派の名残がみられ、特に古方派の影響が大きいといわれる小髙修司 『中国三千年の知恵 中国医学のひみつ なぜ効き、治るのか』〈講談社ブルーバックス〉講談社 1991年。 漢方医学では、伝統的診断法によって、使用する生薬の選別と調合を行う。このように処方された生薬方を漢方薬と称す。漢方薬の一部は1976年(昭和51年)から保険薬として収載されており、現在では漢方薬を使った治療が広く行われている。しかし日本には、中国や韓国のような伝統医の国家資格は存在せず、1883年(明治16年)以降、医師国家試験の課目にも漢方医学は含まれなかった。そのため漢方医学の体系的な知識を持つ医師は少なく、漢方薬が西洋医学的発想で使われるなどの問題も散見される大塚恭男 『東洋医学』 岩波書店(1996年)。 明治政府により日本の医療に西洋近代医学が採用され、漢方医学は著しく衰退した。日本の医学教育では、漢方医学を始めとする伝統医学の教育は100年以上ほとんど行われなかったが、2001年に、医学部の教育内容ガイドラインの到達目標に「和漢薬を概説できる」が加えられたことで、全国の大学で漢方医学の講義が徐々に行われるようになってきている。.

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朝廷

朝廷(ちょうてい)とは、君主制下で官僚組織をともなった政府および政権で、とりわけ中国と日本におけるものを指す。また、君主が政治執務を行う場所や建物(朝堂院:朝政と朝儀を行う廟堂)。.

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戦国時代 (日本)

日本の戦国時代(せんごくじだい)は、日本の歴史(にほんのれきし)において、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下したことに伴って守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭した。領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めるとともに、領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった。こうした戦国大名による強固な領国支配体制を大名領国制という。.

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明治維新

Le Monde illustré』1869年2月20日刊行号内の挿絵。 明治維新(めいじいしん、Meiji Restoration, Meiji Revolution)とは、明治時代初期の日本が行った大々的な一連の維新をいう。江戸幕府に対する倒幕運動から明治政府による天皇親政体制への転換と、それに伴う一連の改革を指す。その範囲は、中央官制・法制・宮廷・身分制・地方行政・金融・流通・産業・経済・文化・教育・外交・宗教・思想政策など多岐に及んでいるため、どこまでが明治維新に含まれるのかは必ずしも明確ではない。.

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日本の官制

日本の官制(にほんのかんせい)では、日本の前近代、とくに律令制期の廃止された統治機構について概観する。なお近代の官制は近代日本の官制を、現在の官制については日本の国家機関を参照。.

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1869年

記載なし。

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732年

記載なし。

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896年

記載なし。

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