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六歌仙

索引 六歌仙

六歌仙の図、喜多川歌麿画。 六歌仙(ろっかせん)とは、『古今和歌集』の序文に記された六人の代表的な歌人のこと。僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大伴黒主の六人を指す。ただし「六歌仙」という名称そのものは後代になって付けられたものである。.

59 関係: 古今和歌集古今和歌集仮名序大友黒主天保天保六花撰天明小野小町小野篁山部赤人中座中村座常磐津節七福神三十六歌仙九条良経平棟仲享保五粽亭広貞仮名 (文字)在原行平在原業平喜撰六歌仙容彩積恋雪関扉竹田出雲紀貫之紀氏紀淑望目崎徳衛鎌倉時代遍昭顔見世袋草紙西行高田崇史講談藤原定家藤原家隆 (従二位)藤原俊成藤原範永長唄QED 六歌仙の暗号柿本人麻呂歌人歌舞伎江戸三座河竹黙阿弥清元節源頼実源頼家 (摂津源氏)...漢文惟喬親王浮世絵文屋康秀文徳天皇文楽日本の中古文学史日本古典文学大系慈円 インデックスを展開 (9 もっと) »

古今和歌集

『古今和歌集』(こきんわかしゅう)とは、平安時代前期の勅撰和歌集。全二十巻。勅撰和歌集として最初に編纂されたもの。略称を『古今集』(こきんしゅう)という。.

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古今和歌集仮名序

『古今和歌集仮名序』(こきん わかしゅう かなじょ、旧字体:假名序)は、『古今和歌集』に添えられた2篇の序文のうち、仮名で書かれているものの方の名称。通常は単に『仮名序』(かなじょ)という。執筆者は紀貫之。初めて本格的に和歌を論じた歌論として知られ、歌学のさきがけとして位置づけられている。 もう一方の序文は紀淑望が漢文で著した『真名序』(まなじょ、旧字体:眞名序)。.

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大友黒主

大友 黒主 / 大伴 黒主(おおとも の くろぬし、生没年不詳)は平安時代の歌人・官人。姓は村主。六歌仙の一人。官位は従八位上・滋賀郡大領。.

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天保

天保(てんぽう)は日本の元号の一つ。文政の後、弘化の前。1831年から1845年までの期間を指す。この時代の天皇は仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉、徳川家慶。.

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天保六花撰

天保六花撰(てんぽうろっかせん)は、二代目松林伯圓の創作による講談。また、これらの話に登場する六人の男女の総称でもある。後にフシ付け(浪曲化)され、木村重友、初代友衛、若衛と続く得意演題で、お家芸となっている。 この講談をもとに河竹黙阿弥が歌舞伎化した演目に『天衣紛上野初花』(くもに まごう うえのの はつはな、通称『河内山と直侍』または『河内山』)がある。そのうち直侍と三千歳とのからみ部分のみを上演する際には、これを『雪暮夜入谷畦道』(ゆきの ゆうべ いりやの あぜみち、通称『三千歳と直侍』または『直侍』)と呼んでいる。.

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天明

天明(てんめい)は日本の元号の一つ。安永の後、寛政の前。1781年から1789年までの期間を指す。この時代の天皇は光格天皇。江戸幕府将軍は徳川家治、徳川家斉。.

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小野小町

小野小町(『前賢故実』菊池容斎画、明治時代) 歌碑(京都随心院)「花の色は」の歌が刻まれている。 小野 小町(おの の こまち、生没年不詳)は、平安時代前期9世紀頃の女流歌人。六歌仙、三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。.

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小野篁

小野篁(『前賢故実』より) 小野 篁(おの の たかむら、延暦21年(802年) - 仁寿2年12月22日(853年2月3日))は、平安時代前期の公卿・文人。 参議・小野岑守の長男。官位は従三位・参議。異名は野相公、野宰相、その反骨精神から野狂とも称された。小倉百人一首では参議篁(さんぎたかむら)。.

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山部赤人

山部赤人像/ 蜷川式胤所蔵品 山部 赤人(やまべ の あかひと、生年不詳 - 天平8年(736年)?)は、奈良時代の歌人。三十六歌仙の一人。姓は宿禰。大山上・山部足島の子とし、子に磐麻呂がいたとする系図がある鈴木真年『諸系譜』第二冊、山宿禰。官位は外従六位下・上総少目。後世、山邊(辺)赤人と表記されることもある。.

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中座

中座(なかざ・1661年開業 - 1999年10月31日閉鎖)は大阪府大阪市中央区にあった劇場である。.

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中村座

復元された中村座(江戸東京博物館) 京橋) 中村座の定式幕 中村座(なかむらざ)は、江戸にあった歌舞伎劇場で江戸三座のひとつ。座元は中村勘三郎代々。控櫓は都座。.

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常磐津節

常磐津節(ときわづぶし/ときわずぶし)は、三味線音楽の一種。浄瑠璃を語る太夫と、三味線弾きで構成される。重要無形文化財(総合指定)。初代常磐津文字太夫(1709年-1781年)が、延享4年 (1747年) に豊後節より創設した。語り物の浄瑠璃の一つで、全盛期を迎えていた江戸歌舞伎とともに発展した。語りと歌との均衡が取れ、整然とまとめられた旋律「オトシ」と呼ばれる独自の技法を持ち、この特徴から常磐津節は劇付随音楽として歌舞伎など舞踊劇になくてはならない音曲といわれる。三味線方は、中棹の紅木三味線と象牙の撥(ばち)を用い、太夫の語りに合わせた絶妙な間合いで相方をつとめる。創流当初は佐々木市蔵などの佐々木姓、鳥羽屋里長などの鳥羽姓が見受けられるが、江戸時代を通して明治期に至るまで岸澤式佐を家元とする岸澤派が主流となる(現在は常磐津姓の三味線弾きが多数を占める)。また、歌舞伎出語りの時には、柿色の肩衣、蛸足と呼ばれる独自の見台を用いるのが特色である。現在では歌舞伎伴奏のほか、日本舞踊の伴奏音楽として、また、素浄瑠璃の演奏会などで頻繁に演奏されている。定紋は角木瓜、替紋は松皮菱である。.

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七福神

七福神(しちふくじん)とは、福をもたらすとして日本で信仰されている七柱の神である。七柱は一般的には、恵比寿、大黒天、福禄寿、毘沙門天、布袋、寿老人、弁才天とされており、それぞれがヒンズー教、仏教、道教、神道など様々な背景を持っている。.

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三十六歌仙

三十六歌仙(さんじゅうろっかせん)は、藤原公任の『三十六人撰』(さんじゅうろくにんせん)に載っている平安時代の和歌の名人36人の総称である。36人の家集を集大成した現存する最古の写本は、西本願寺本三十六人家集である。 これに影響されて、中古三十六歌仙や女房三十六歌仙などが後世にできた。 なお連句の形式で三十六句のものを「歌仙」と呼ぶのは、これにちなんだものである。.

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九条良経

九条 良経(くじょう よしつね)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての公卿。従一位、摂政、太政大臣。後京極殿と号した。通称は後京極摂政(ごきょうごく せっしょう)、中御門摂政。摂政関白・九条兼実の次男。 小倉百人一首では「後京極摂政前太政大臣」。 「きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかもねむ.

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平棟仲

平 棟仲(たいら の むねなか、生没年不詳)は平安時代中期から後期にかけての貴族。歌人。桓武平氏高棟王流、安芸守・平重義の子。官位は従五位上・周防守。周防内侍の父。 史料上の初見は万寿2年(1025年)7月で、藤原能信の雑人の狼藉を訴えている。当時、丹生使に任ぜられており、蔵人・検非違使を務めていた。その後、周防守・因幡守を歴任。位階は従五位上に至った。長暦2年(1039年)並びに長久2年(1041年)に「権大納言師房歌合」に出詠。同家の歌合では講師も務めたという。長暦4年(1040年)には内侍所御神楽に歌人として召されている。和歌六人党のひとりであったが、勅撰和歌集への入集は『後拾遺和歌集』の2首のみであった。.

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享保

享保(きょうほう、きょうほ)は日本の元号の一つ。正徳の後、元文の前。1716年から1736年までの期間を指す。この時代の天皇は中御門天皇、桜町天皇。江戸幕府将軍は徳川吉宗。.

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五粽亭広貞

五粽亭 広貞(ごそうてい ひろさだ、生没年不詳)とは、江戸時代の大坂の浮世絵師。.

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仮名 (文字)

仮名(かな)とは、漢字をもとにして日本で作られた文字のこと。現在一般には平仮名と片仮名のことを指す。表音文字の一種であり、基本的に1字が1音節をあらわす音節文字に分類される。漢字に対して和字(わじ)ともいう。ただし和字は和製漢字を意味することもある。.

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在原行平

在原 行平(ありわら の ゆきひら、弘仁9年(818年) - 寛平5年7月19日(893年9月6日))は、平安時代初期から前期にかけての貴族・歌人。平城天皇の第一皇子である弾正尹・阿保親王の次男(または三男)。官位は正三位・中納言。在中納言・在民部卿とも呼ばれた。小倉百人一首では中納言行平。.

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在原業平

在原 業平(ありわら の なりひら)は、平安時代初期の貴族・歌人。平城天皇の孫。贈一品・阿保親王の五男。官位は従四位上・蔵人頭・右近衛権中将。 六歌仙・三十六歌仙の一人。別称の在五中将は在原氏の五男であったことによる。 全百二十五段からなる『伊勢物語』は、在原業平の物語であると古くからみなされてきた。.

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喜撰

喜撰(きせん).

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六歌仙容彩

『六歌仙容彩』(ろっかせんすがたのいろどり)とは、歌舞伎および日本舞踊の演目のひとつ。天保2年(1831年)3月、江戸中村座にて初演。初演の時には外題を「うたあわせすがたのいろどり」と読ませた。通称『六歌仙』。.

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積恋雪関扉

『小町桜の精』(月岡芳年『新形三十六怪撰』) 『積恋雪関扉』(つもるこい ゆきの せきのと)、通称『関の扉』(せきのと)は、常磐津節及びそれに合せて演じられる歌舞伎舞踊の演目のひとつ。.

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竹田出雲

竹田 出雲(たけだ いずも)とは、江戸時代の浄瑠璃作者。また三代に亘って竹本座の座本(興行責任者)にもなった。.

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紀貫之

紀 貫之(き の つらゆき)は、平安時代前期の歌人・貴族。下野守・紀本道の孫。紀望行の子。『古今和歌集』の選者の一人で、三十六歌仙の一人。.

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紀氏

紀氏(きうじ)は、「紀」を氏の名とする氏族。 大和国平群県紀里(現在の奈良県生駒郡平群町上庄付近)を本拠とした古代豪族である。姓は初め臣(おみ)であり、天武天皇13年(684年)八色の姓制定に伴い朝臣へ改姓した。.

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紀淑望

紀 淑望(き の よしもち、生年不詳 - 延喜19年(919年))は、平安時代中期の貴族・儒者・歌人。中納言・紀長谷雄の長男。官位は従五位上・大学頭。.

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目崎徳衛

崎 徳衛(めざき とくえ、1921年2月19日 - 2000年6月13日)は、国文学者、王朝文化研究者、専攻は日本文化史、平安文学研究。新潟県生まれ。 1945年東京帝国大学文学部国史学科卒業、長岡工業高等専門学校助教授、文部省教科書調査官、聖心女子大学教授、のち同名誉教授、1980年に『西行の思想史的研究』で東京大学文学博士、第一回角川源義賞。1996年に『南城三余集私抄』で第三回(95年度)やまなし文学賞<研究評論部門>を受賞。また俳句同人誌「花守」を半世紀近く主宰した。.

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鎌倉時代

伝・源頼朝肖像 鎌倉・高徳院の大仏 鎌倉時代(かまくらじだい、1185年頃 - 1333年)は、日本史で幕府が鎌倉に置かれていた時代を指す日本の歴史の時代区分の一つである。朝廷と並んで全国統治の中心となった鎌倉幕府が相模国鎌倉に所在したのでこう言う。本格的な武家政権による統治が開始した時代である。 始期については従来の1192年の征夷大将軍就任説をはじめ諸説あるが、東国支配権の承認を得た1183年説と守護・地頭設置権を認められた1185年説が有力になっている。(詳細は鎌倉幕府#概要を参照).

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遍昭

遍昭(へんじょう、弘仁7年(816年) - 寛平2年1月19日(890年2月12日))は、平安時代前期の僧・歌人。俗名は良岑 宗貞(よしみね の むねさだ)。大納言・良岑安世の八男。官位は従五位上・左近衛少将。花山僧正とも号す。六歌仙および三十六歌仙の一人。.

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顔見世

見世(かおみせ)は、歌舞伎で、1年に1回、役者の交代のあと、新規の顔ぶれで行う最初の興行のことである。江戸時代、劇場の役者の雇用契約は満1箇年であり、11月から翌年10月までが1期間であった。したがって役者の顔ぶれは11月に変わり、その一座を観客にみせ、発表するのが顔見世であった。 歌舞伎興行において最も重要な年中行事とされる。 現在も11月(歌舞伎座)か12月(10月(御園座)のところもある)に全国の劇場(芝居小屋)で行われるが、なかでも京都南座の12月顔見世公演は、最も歴史が古いことで有名で、劇場正面には役者の名前が勘亭流で書かれた「まねき」と呼ばれる木の看板が掲げられ、京都の年末の風物詩となっている。(まねきが掲げられるのは、南座と御園座で、歌舞伎座は掲げられない。).

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袋草紙

袋草紙(ふくろぞうし)は、平安時代後期の保元年間(1156年-1159年)頃に公家で六条家流の歌人であった藤原清輔が著した歌論書である。4巻および遺編1巻からなる。.

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西行

西行像(MOA美術館蔵) 西行(さいぎょう)、元永元年(1118年) - 文治6年2月16日(1190年3月31日)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人。父は左衛門尉・佐藤康清、母は監物・源清経女。同母兄弟に仲清があり、子に隆聖、女子(単に西行の娘と呼ばれる)がある。俗名は佐藤 義清(さとう のりきよ)。憲清、則清、範清とも記される。出家して法号は円位、のちに西行、大本房、大宝房、大法房とも称す。 勅撰集では『詞花集』に初出(1首)。『千載集』に18首、『新古今集』に94首(入撰数第1位)をはじめとして二十一代集に計265首が入撰。家集に『山家集』(六家集の一)『山家心中集』(自撰)『聞書集』、その逸話や伝説を集めた説話集に『撰集抄』『西行物語』があり、『撰集抄』については作者と目される。.

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高田崇史

崇史(たかだ たかふみ、1958年12月 - )は、東京都生まれの日本の小説家・推理作家。薬剤師免許所持。近年は、清涼院流水が立ち上げたプロジェクト「The BBB」(Breakthrough Bandwagon Books)に参加し、英語版の著作を発表している。.

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講談

講談(こうだん)とは、日本の伝統芸能のひとつ。 演者は高座におかれた釈台(しゃくだい)と呼ばれる小さな机の前に座り、張り扇(はりおうぎ)でそれを叩いて調子を取りつつ、軍記物や政談など主に歴史にちなんだ読み物を、観衆に対して読み上げる。上方講談においては、張り扇と拍子木を併用する。.

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藤原定家

藤原 定家(ふじわら の さだいえ/ていか)は、鎌倉時代初期の公家・歌人。諱は「ていか」と音読みされることが多い。小倉百人一首の撰者で権中納言定家を称する。.

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藤原家隆 (従二位)

藤原 家隆(ふじわら の いえたか)は、鎌倉時代初期の公卿、歌人。有職読みで「かりゅう」とも呼ばれる。初名は顕隆。法名は仏性。壬生二位と号する。中納言・藤原兼輔の末裔で、権中納言・藤原光隆の次男。官位は従二位・宮内卿。『新古今和歌集』の撰者の一人。小倉百人一首では従二位家隆「風そよぐ 楢の小川の 夕暮は 御禊ぞ夏の しるしなりける」。.

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藤原俊成

藤原俊成歌碑「又や見む交野の御野の桜狩 花の雪散る春の曙」(枚方市) 愛知県蒲郡市竹島園地の藤原俊成卿像。『吾妻鏡』(元暦二年二月十九日条)に竹谷・蒲形荘(現在の蒲郡市)の開発領主として「散位俊成」の名がある蒲郡市ホームページ(http://www.city.gamagori.lg.jp/site/museum/shunzei.html)久曽神昇「特別展『藤原俊成の古典』に寄せて」(蒲郡市博物館『特別展 藤原俊成の古典』、1991年 p.62-64) 藤原 俊成(ふじわら の としなり)は、平安時代後期から鎌倉時代初期の公家・歌人。名は有職読みで「しゅんぜい」とも読む。藤原北家御子左流、権中納言・藤原俊忠の子。はじめ勧修寺流・藤原顕頼の猶子となり顕広(あきひろ)を名乗ったが、後に実家の御子左家に戻り、俊成と改名した。法名は釈阿。最終官位は正三位・皇太后宮大夫。『千載和歌集』の撰者として知られる。.

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藤原範永

藤原 範永(ふじわら の のりなが)は、平安時代中期から後期にかけての貴族・歌人。和歌六人党の一人。藤原北家長良流、内匠頭・藤原中清(仲清)の子。官位は正四位下・摂津守。.

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長唄

長唄(ながうた)は、近世邦楽の一ジャンル、三味線音楽の一ジャンル、江戸の音曲の一つであり、正式名称は江戸長唄(えど ながうた)という。 またこれとは別に、地歌の一分類として上方長歌(かみがた ながうた)がある。.

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QED 六歌仙の暗号

『QED 六歌仙の暗号』(キューイーディー ろっかせんのあんごう)は、高田崇史による推理小説。QEDシリーズの第2作である。.

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柿本人麻呂

柿本人麻呂(百人一首より) 柿本人麻呂(かきのもと の ひとまろ、斉明天皇6年(660年)頃 - 神亀元年(724年)3月18日)は、飛鳥時代の歌人。名は「人麿」とも表記される。後世、山部赤人とともに歌聖と呼ばれ、称えられている。また三十六歌仙の一人で、平安時代からは「人丸」と表記されることが多い。.

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歌人

歌人(かじん)とは、和歌または短歌を詠む人物のことをいう。歌詠み(うたよみ)ともいう。.

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歌舞伎

歌舞伎(かぶき)は、日本固有の演劇で、伝統芸能の一つ。重要無形文化財(1965年4月20日指定同日文化財保護委員会告示第18号「無形文化財を重要無形文化財に指定する等の件」)。歌舞伎(伝統的な演技演出様式によって上演される歌舞伎)は2005年にユネスコにおいて傑作宣言され、2009年9月に無形文化遺産の代表一覧表に記載された。.

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江戸三座

江戸三座(えど さんざ)は、江戸時代中期から後期にかけて江戸町奉行所によって歌舞伎興行を許された芝居小屋。官許三座(かんきょ さんざ)、公許三座(こうきょ さんざ)、また単に三座(さんざ)ともいう。江戸には当初数多くの芝居小屋があったが、次第に整理されて四座になり、最終的に三座となった。 三座は江戸時代を通じて日本独自の伝統芸能である歌舞伎を醸成、明治以降も歌舞伎の殿堂として大正末年頃まで日本の演劇界を牽引した。.

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河竹黙阿弥

黙阿弥 河竹 黙阿弥(かわたけ もくあみ、旧字体:默阿彌、文化13年2月3日(1816年3月1日) - 明治26年(1893年)1月22日)は、江戸時代幕末から明治にかけて活躍した歌舞伎狂言作者。本名は吉村 芳三郎(よしむら よしさぶろう)。俳名に其水(そすい)。別名に古河 黙阿弥(ふるかわ-)。江戸日本橋生まれ。.

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清元節

清元節(きよもとぶし)または清元(きよもと)とは、三味線音楽のひとつで、浄瑠璃の一種。主として歌舞伎や歌舞伎舞踊の伴奏音楽として用いられる。.

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源頼実

源 頼実(みなもと の よりざね)は、平安時代中期の官人・歌人。源頼国の三男。和歌六人党の一人。.

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源頼家 (摂津源氏)

源 頼家(みなもと の よりいえ)は、平安時代中期の官人・歌人。源頼光の次男。後に叔父頼範の養子となっていたとされる。『尊卑分脈』による官位は従四位下、蔵人、筑前守。.

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漢文

漢文(かんぶん)とは、古代中国の文語体の文章のこと。または近代中国人・朝鮮人・日本人・ベトナム人によって書かれる古典的な文章語のうち、漢字を用いて中国語の文法で書かれたものをいう。.

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惟喬親王

惟喬親王(これたかしんのう、承和11年(844年) - 寛平9年2月20日『日本紀略』(897年3月30日)は、平安時代前期の皇族。文徳天皇の第一皇子。官位は四品・弾正尹。小野宮を号す。.

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浮世絵

浮世絵(うきよえ)は、江戸時代に成立した絵画のジャンルである。本来、「浮世」という言葉には「現代風」「当世」「好色」という意味もあり、当代の風俗を描く風俗画である。大和絵の流れを汲み、総合的絵画様式としての文化的背景を保つ一方で、人々の日常の生活や風物などを多く描いている。演劇、古典文学、和歌、風俗、地域の伝説と奇談、肖像、静物、風景、文明開化、皇室、宗教など多彩な題材がある。大別すると、版本の挿絵、一枚摺の木版画、肉筆浮世絵の3種類に分けられる。当然、木版画が量産されるようになる以前には肉筆画のみしか存在しなかったわけで、巻物などの肉筆浮世絵が含まれる。肉筆浮世絵は、形式上、屏風絵、絵巻、画帖、掛け物、扇絵、絵馬、画稿、版下絵の8種類に大別される。また、浮世絵師は和装本の挿絵、表紙の仕事も並行して行った。広義には引き札、鏝絵、泥絵、ガラス絵、凧絵 ねぶた絵なども浮世絵の一種といえる。ただし、現代においては一般的には多色摺りの木版画錦絵のことを指すことが多い。.

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文屋康秀

文屋康秀(百人一首より) 文屋 康秀(ふんや の やすひで、生年不詳 - 仁和元年(885年)?)は、平安時代前期の歌人。文琳とも。縫殿助・文屋宗于または大舎人頭・文屋真文の子。子に文屋朝康がいる。官位は正六位上・縫殿助。六歌仙および中古三十六歌仙の一人。.

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文徳天皇

文徳天皇(もんとくてんのう、天長4年8月(827年) - 天安2年8月27日(858年10月7日))は、平安時代前期の第55代天皇(在位:嘉祥3年3月19日(850年5月4日) - 天安2年8月27日(858年10月7日))。諱は道康(みちやす)。田邑帝とも。 仁明天皇の第一皇子。母は左大臣・藤原冬嗣の娘、皇太后・順子。.

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文楽

文楽以外の人形浄瑠璃である。 『静御前』 JR新大阪駅 文楽(ぶんらく)とは、人形浄瑠璃文楽のこと。大阪で成立し本拠地とする人形浄瑠璃の系譜。 1955年に(人形浄瑠璃文楽座の座員により演ぜられる)文楽が文化財保護法に基づく重要無形文化財に指定された。2003年ユネスコ「人類の口承及び無形遺産に関する傑作の宣言」、2008年「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」への掲載、そしてユネスコ無形文化遺産保護条約が発効した2009年9月の第1回登録であらためてユネスコの無形文化遺産に登録された。2017年現在は公益財団法人文楽協会を公演団体とし、大阪市の国立文楽劇場を中心に公演を行っている。 1684年、古浄瑠璃を独自に発展させた「義太夫節」の始祖である竹本義太夫が、大坂に「竹本座」を建て、自らの義太夫節の演奏と人形による三業(後述)での人形浄瑠璃の興行を始めた。その後、竹本義太夫の弟子が独立し豊竹若太夫を名のって興した「豊竹座」と競うなど、隆盛の時代には複数の興行元を数えたが、明治初期には興行元が「彦六座」と「文楽座」の2座のみとなった。その後に彦六座が解散、興行が文楽座のみとなったため、「文楽」という2字の名称が、すべての人形浄瑠璃の代表的存在、ならびにその代名詞と化したものである。 なお、文楽および文楽座という名称の直接的由来は、兵庫県淡路出身の植村文楽軒という人物が興行元であった上述の文楽座ではあるが、前述どおり、義太夫節の始祖が大坂で直接成立させた人形浄瑠璃の一形態の系譜であるため、人形浄瑠璃文楽を成立させた源流=淡路ということではない(淡路には淡路人形浄瑠璃が存在する)。 しかしながら、大坂で成立したその「義太夫節+人形」という人形浄瑠璃の系譜をしめす呼称がない(あるいは消失してしまっている)ため、その系譜を示す語の実例として、たとえば現在の人形浄瑠璃文楽の技芸員における演奏的特徴を示す語として「文楽系」と呼ぶことがある(それに呼応する語には「彦六系」などがある)。 人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)は日本の伝統芸能で、浄瑠璃と人形によって演じられる人形劇。明治以降、文楽座が一定規模以上の人形浄瑠璃の公演を行う唯一の公演団体となったため、「文楽」の名称が人形浄瑠璃と同義に用いられる場合もある。 この記事では文楽を中心に、文楽系統の成立以前の人形浄瑠璃、および文楽以外の人形浄瑠璃についても説明する。「人形浄瑠璃」については浄瑠璃も参照のこと。.

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日本の中古文学史

日本の中古文学史(にほんのちゅうこぶんがくし)は、中古(およそ平安時代)の日本文学の歴史である。.

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日本古典文学大系

日本古典文学大系(にほんこてんぶんがくたいけい)は1967年までに、また新日本古典文学大系は2005年までに岩波書店が出版した日本の古典文学を対象とした全集である。.

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慈円

慈円(じえん、旧字体:慈圓、久寿2年4月15日(1155年5月17日) - 嘉禄元年9月25日(1225年10月28日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の天台宗の僧。歴史書『愚管抄』を記したことで知られる。諡号は慈鎮和尚(じちん かしょう)、通称に吉水僧正(よしみず そうじょう)、また『小倉百人一首』では前大僧正慈円(さきの だいそうじょう じえん)と紹介されている。 父は摂政関白・藤原忠通、母は藤原仲光女加賀、摂政関白・九条兼実は同母兄にあたる。.

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