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偽ドミトリー3世

索引 偽ドミトリー3世

偽ドミトリー3世(にせドミトリーさんせい)(; False Dimitri III,?‐1612年)は、動乱時代のロシアのツァーリ僭称者。イヴァン4世の末子ドミトリー皇子を名乗った3人のうちの最後で、同時に最も動向の不明な人物。 シドルカという名の助祭だったらしい。ナルヴァ川以西から突然現れ、イングリア地方のイヴァンゴロドで1611年3月28日に皇子ドミトリーであると宣言した。翌1612年3月2日、モスクワ近郊を荒らしていたコサックによってツァーリに推戴され、コサックの報復をおそれたプスコフの指導層が彼を迎えて忠誠を誓ったため、「プスコフの悪党」と呼ばれた。しかし同年5月18日プスコフを脱出、逮捕されてモスクワ当局に引き渡され、処刑された。.

16 関係: 助祭偽ドミトリー1世偽ドミトリー2世ナルヴァ川モスクワロシア帝国プスコフツァーリイングリアイヴァン4世イヴァンゴロドウグリチのドミトリーカール・フィリップ (セーデルマンランド公)コサック動乱時代1612年

助祭

助祭(じょさい、)はキリスト教における教会職務のひとつで、ギリシャ語のδιάκονος(奉仕者の意)を語源とする。カトリック教会では、司祭につぐ職位。正教会では「輔祭」の訳語を、聖公会などプロテスタントでは「執事」という訳語を用いている。 ラテン語ではdiaconusといい、トリエント公会議では「聖職位階の上位」であったが、第2バチカン公会議ではそれまで存在した副助祭、祓魔師、読師、守門という四つの下級叙品が廃止されたため、現代では「聖職位階の下位」(『教会憲章』29項)となっている。 第二バチカン公会議以来、助祭を司祭への通過点や、ミサなどの典礼における単なる「司祭の補助」と見なすのではなく、助祭として固有の職務を再確認する方向に進んでいる。これに伴い司祭には叙階されず、既婚者もなりうる終身助祭 (permanent deacon) の制度が復活し、最近では日本でも登場し始めている。 また、中世以降(現教会法でも)、助祭は男性に限られているが、カルケドン公会議などで40歳以上の独身女性の叙階を認めるなどの例が教会の歴史において見られる。 Category:キリスト教の称号・役職 Category:カトリック en:Deacon id:Diakon pl:Diakonat.

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偽ドミトリー1世

偽ドミトリー1世(にせドミトリーいっせい、Лжедмитрий I, False Dimitri I, 1582年10月19日 - 1606年5月17日)はモスクワ国家のツァーリ(在位1605年7月21日 - 1606年5月17日)。動乱時代にイヴァン4世の末子ドミトリー皇子を僭称した最初の人物で、その権利によって即位し、ドミトリー2世と数えられた。.

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偽ドミトリー2世

偽ドミトリー2世(にせドミトリーにせい)(Лжедмитрий II; False Dimitri II, ? - 1610年12月11日(グレゴリオ暦12月21日))はロシア帝国の動乱時代にイヴァン4世の末子ドミトリー皇子を僭称した2人目の人物。トゥシノを本拠としたことから、「トゥシノの悪党」と呼ばれた。.

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ナルヴァ川

ナルヴァ川(エストニア語:Narva jõgi)は、ペイプシ湖からエストニアのナルヴァ、ロシアのイワンゴロド両市の間を流れフィンランド湾に注ぐ、両国の国境線となる川である。1956年にナルヴァ貯水湖(貯水量:191km2)が造られた。川の全長は75km、川幅の平均は300m水深は5mで、最大の支流はプリュッサ川である。 ナルヴァ文化とナルヴァ市の名前の由来となった。.

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モスクワ

モスクワ(ロシア語:Москва́ IPA: マスクヴァー、)は、ロシア連邦の首都。連邦市として市単独でロシア連邦を構成する83の連邦構成主体のひとつとなっており、周囲を占めるモスクワ州の州都でもある。ただし州とは区別され「モスクワ市」(Город Москва)となる。人口は約1150万人でヨーロッパで最も人口の多い都市であり、世界有数の世界都市である。漢字による当て字は莫斯科。英語で発音した場合には、モスコーあるいはモスカウ(Moscow )のようになる。.

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ロシア帝国

ア帝国(ロシアていこく、 ラスィーイスカヤ・インピェーリヤ)は、1721年から1917年までに存在した帝国である。ロシアを始め、フィンランド、リボニア、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナ、ポーランド、カフカーズ、中央アジア、シベリア、外満州などのユーラシア大陸の北部を広く支配していた。帝政ロシア(ていせいロシア)とも呼ばれる。通常は1721年のピョートル1世即位からロシア帝国の名称を用いることが多い。統治王家のロマノフ家にちなんでロマノフ朝とも呼ばれるがこちらはミハイル・ロマノフがロシア・ツァーリ国のツァーリに即位した1613年を成立年とする。.

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プスコフ

プスコフ(プスコーフ、Псков、ラテン文字転写の例: Pskov、エストニア語・フィンランド語: Pihkva、 Pleskau、 Psków)はロシアの都市。プスコフ州の州都であり、主教座などのあるロシアの宗教の中心地のひとつにしてロシア有数の古都でもある。ヴェリーカヤ川およびその支流プスコフ川に沿ってクレムリンや古い町並みが建っている。エストニアとロシアとの国境からは東へ20kmしか離れておらず、中世には国境防衛と国境貿易でロシア有数の大都市として繁栄を謳歌した。人口は202,780人(2002年国勢調査)。 至聖三者大聖堂.

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ツァーリ

ツァーリ(царь)あるいはツァール(ブルガリア語、セルビア語、ウクライナ語:цар)は、ブルガリア・ロシアなどスラヴ語圏で使用された君主の称号。当初は、ギリシャ語の「バシレウス」と同様に東ローマ皇帝や聖書に登場する王を指す語であったが、やがて(大公の称号より上ではあるが皇帝の称号より下である)一部の国の王やハーンを指す語としても用いられるようになった。 ラテン語「カエサル」やギリシア語「カイサル」のスラヴ語形。そもそもは、ローマ皇帝やその継承者である東ローマ皇帝の有する称号として「カエサル」という語が用いられており、その称号を周辺の国家が用いたもの。その際に発音が変化して「ツァーリ」や「ツァール」となった。モスクワ大公らが用いたこの称号を西欧語において「王」と訳すか「皇帝」と訳すかについては中世ヨーロッパにおいても外交上の問題として議論があった。漢語においても「王」とも「皇帝」とも訳す。 民話においては、「善き王」を意味する。.

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イングリア

イングリアの旗 イングリア(Ingria)は、ネヴァ川流域の、フィンランド湾、ナルヴァ川、ペイプシ湖、ラドガ湖に囲まれた地域の歴史的名称。スウェーデン語でインゲルマンランド(Ingermanland)、エスト語でインゲリ(Ingeri)、フィン語でインケリ(Inkeri)、ロシア語でイジョラ(Ижора)またはインゲルマンランディヤ(Ингерманландия)と呼ばれる。現在のサンクトペテルブルクを中心とした地域である。.

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イヴァン4世

イヴァン4世(Иван IV Васильевич / Ivan IV Vasil'evich、1530年8月25日-1584年3月18日 / グレゴリオ暦3月28日)は、モスクワ大公(在位1533年 - 1547年)、モスクワ・ロシアの初代ツァーリ(在位1547年 - 1574年、1576年 - 1584年)。イヴァン雷帝(Иван Грозный / Ivan Groznyi)という異称でも知られる。当時の表記はヨアン4世またはイオアン4世(Иоан IV / Ioan IV)。ヴァシーリー3世の長男、母はエレナ・グリンスカヤ。.

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イヴァンゴロド

イヴァンゴロド(Ивангород、ラテン文字表記の例: Ivangorod、Jaanilinn、ヤーニリン)はロシア北西部、レニングラード州の西端にある都市。人口は11,206人(2002年国勢調査)。.

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ウグリチのドミトリー

ドミトリー・イヴァノヴィチ(Дмитрий Иванович, 1582年10月19日 - 1591年5月15日)は、ロシアのツァレーヴィチ、ウグリチ公。雷帝イヴァン4世とその7番目の妻マリヤ・ナガヤとの間の息子。 正教会の聖人でもあり、ウグリチのドミトリー(Дмитрий Углицкий、Dmitry of Uglich)とも呼ばれている。.

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カール・フィリップ (セーデルマンランド公)

ーデルマンランド公カール・フィリップ(Karl Filip, hertig av Södermanland, 1601年4月22日 - 1622年1月25日)は、ロシア・ツァーリ国の大動乱期におけるツァーリ僭称者。スウェーデン王カール9世と、その2番目の妻ホルシュタイン=ゴットルプ公女クリスティーナとの間の2番目の王子。グスタフ2世アドルフの弟。.

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コサック

ック・ママーイ。コサックの理想像。 コサック(козак、哥薩克)は、ウクライナと南ロシアなどに15世紀以降に帝政ロシアの農奴制から逃亡した農民や没落貴族で形成された独特の軍事的共同体、またはその共同体の一員である。18世紀以降から帝政ロシアによる自治剝奪後に国境警備や領土拡張の先兵、国内の民衆運動の鎮圧などを行った。.

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動乱時代

動乱時代 (大動乱、スムータ、Смутное время, Smutnoye Vremya)は、ロシアの歴史で、1598年のリューリク朝フョードル1世の死去から1613年のロマノフ朝創設までの時代を指す。 1601年から1603年にかけて、ロシアは、当時の人口の3分の1に相当する200万人が死ぬというに見舞われた。また、1610年から1613年にかけてはツァーリ不在のに陥った。さらに1605年から1618年にかけてのロシア・ポーランド戦争で、ロシアはポーランド・リトアニア共和国に占領され、民衆の蜂起が起こり、皇位簒奪者、皇位僭称者が次々現れた。.

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1612年

記載なし。

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