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佐賀県指定文化財一覧

索引 佐賀県指定文化財一覧

佐賀県指定文化財一覧(さがけんしていぶんかざいいちらん)は佐賀県指定の文化財や史跡等を一覧形式でまとめたものであるが、全てを掲載しているわけではない。 2017年6月28日時点で、佐賀県指定文化財は316件。内訳は、有形文化財224件(建造物20件、美術工芸品114件(絵画19件、工芸品41件、書跡・典籍4件、彫刻28件、歴史資料12件、古文書10件)、考古資料90件)、無形文化財2件、民俗文化財28件(有形民俗文化財9件、無形民俗文化財19件)、記念物62件(史跡47件、天然記念物15件)。.

70 関係: 加部島千栗八幡宮吉野ヶ里町吉野ヶ里遺跡多久市多久聖廟大迦葉太良町嬉野市小城公園小川島山水画岡田三郎助岸岳城上峰町両界曼荼羅三岳寺 (小城市)三韓征伐三要元佶仁比山神社伊万里市伊東玄朴伽藍佐賀城佐賀市佐賀県徳川家康応神天皇レオン・ボナボタン (植物)イヌマキイスノキ唐津市入法界品神功皇后神埼市祐徳稲荷神社稲佐神社狩野孝信狩野探幽白石町百武兼行鍋島元武鍋島勝茂鍋島直茂菩薩華厳経誕生院高伝寺高良山...谷文晁鳥栖市鹿島城 (肥前国)鹿島市黄檗美術龍造寺隆信船塚古墳 (佐賀市)與賀神社與止日女神社阿弥陀如来阿難釈迦釈迦三尊李氏朝鮮櫛田宮武雄市水車新北神社文殊菩薩普賢延命菩薩 インデックスを展開 (20 もっと) »

加部島

加部島(かべしま)は、東松浦半島北部、唐津市呼子町の呼子港の沖約500mの玄界灘に位置する島。佐賀県唐津市に属し、大字は唐津市呼子町加部島。.

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千栗八幡宮

一の鳥居(町指定文化財)慶長14年(1609年)鍋島藩祖・鍋島直茂奉納の石造肥前鳥居 本殿 境内中央の建物は粥祭で参拝者に「お粥試」の粥を供覧するお粥堂、右奥は摂社・武雄神社。 千栗八幡宮(ちりくはちまんぐう)は、佐賀県三養基郡みやき町にある神社。肥前国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。.

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吉野ヶ里町

吉野ヶ里町(よしのがりちょう)は、佐賀県東部に位置する町。神埼郡に属する。.

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吉野ヶ里遺跡

吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)は、佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵にある遺跡。国の特別史跡に指定されている。 およそ50ヘクタールにわたって残る弥生時代の大規模な環濠集落(環壕集落)跡で知られる。1986年(昭和61年)からの発掘調査によって発見された。現在は国営吉野ヶ里歴史公園として一部を国が管理する公園となっている。.

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多久市

多久市(たくし)は、佐賀県の中央部に位置する市。.

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多久聖廟

多久聖廟(たくせいびょう)は、佐賀県多久市に設けられた孔子廟。1708年(宝永5年)竣工。.

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大迦葉

大迦葉(だいかしょう、Mahā-ka-śyapa)は釈迦十大弟子の一人。仏教教団で釈迦の後継(第2祖)とされ、釈迦の死後、初めての結集(第1結集)の座長を務めた。頭陀第一といわれ、衣食住にとらわれず、清貧の修行を行った。 摩訶迦葉、摩訶迦葉波、迦葉、迦葉波とも呼ばれる。なお迦葉は古代インドではありふれた名であったといわれ、仏弟子中には三迦葉という三人兄弟や十力迦葉という名前も見受けられるが、摩訶迦葉とは別人である。.

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太良町

太良町(たらちょう)は、佐賀県の南端に位置する町で、藤津郡に属する。.

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嬉野市

嬉野市(うれしのし)は、佐賀県西部に位置する市。嬉野温泉が所在する。.

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小城公園

小城公園(おぎこうえん)とは、佐賀県小城市小城町に所在する都市公園。前身の桜岡公園の名で呼ばれることもある。園内の小高い丘「桜ヶ岡」を借景にした庭園「自楽園」があり、周辺には約3,000本の桜が咲く。また、岡山神社と烏森稲荷神社の2つの神社、また丘の頂部には古墳があるほか、都市公園として運動場が設けられている。日本さくら名所100選および日本の歴史公園100選に選定されている。.

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小川島

小川島の位置 小川島(おがわじま)は、佐賀県唐津市呼子町の北の沖合に位置する人口約550人、約160世帯の離島である。 呼子港とを往復する定期船「そよかぜ」が1日に5便あり(但し11月1日~3月14日までは4便)、片道約20分かかる。そのほか海上タクシーも運航している。 主産業は漁業で、イカ、ウニ、アワビ、サザエなどが多く採れる。島周辺はイカの好漁場で、一本釣りも行われており、呼子町の名物にもなっている。島の南部に第2種漁港の小川島漁港がある。 小川島は、長崎から壱岐を経て1595年に伝わった捕鯨によって繁栄した。島に移住した中尾氏が小川島を本拠地とし、千人以上を率いて捕鯨を行った。その繁栄振りは、長崎くんちの「鯨の潮吹き」は繁栄していたころの3代中尾茂啓が中心となって作られた、との逸話も残っているほどである。捕鯨は18世紀初頭から昭和初期にかけて興隆を見せ、鯨にまつわる民話や唄なども残っている。鯨の供養のため1863年(文久3年)に建立された鯨鯢供養塔は、今でもその面影を伝えている。また、大正時代に建てられた鯨見張所が保存されており、1974年には供養塔と共に県の重要有形民俗文化財として指定された。さらに2006年に発表された水産庁の未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選にも選ばれている。.

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山水画

山水画(さんすいが)は、中国で発達した絵画のジャンルである。現実の景色の再現を意図した作品もあるが、型による山岳樹木岩石河川などの添景を、再構成した「創造された景色」が多い。.

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岡田三郎助

岡田 三郎助(おかだ さぶろうすけ、1869年1月22日(明治2年1月12日) - 1939年(昭和14年)9月23日)は佐賀県に生まれ、明治~昭和にかけて活躍した洋画家である。女性像を得意とし、日本的な感覚の洋画に秀作を残している。東京美術学校(現・東京藝術大学)教授。第1回文化勲章を受章。 妻・岡田八千代は小説家・劇作家で、小山内薫の妹である。.

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岸岳城

岸岳城(きしたけじょう)は、肥前国(佐賀県)に存在した日本の城(山城)。もともとは鬼子岳城と書いた。.

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上峰町

上峰町(かみみねちょう)は、佐賀県の東部にある町。.

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両界曼荼羅

両界曼荼羅(りょうかいまんだら)は、日本密教の中心となる仏である大日如来の説く真理や悟りの境地を、視覚的に表現した曼荼羅である。.

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三岳寺 (小城市)

三岳寺(さんがくじ)は、佐賀県小城市小城町池上にある臨済宗南禅寺派の寺院。山号は医王山(いおうさん)、中興は徳川家康の側近三要元佶(閑室)。.

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三韓征伐

三韓征伐(さんかんせいばつ)は、神功皇后が新羅出兵を行い、朝鮮半島の広い地域を服属下においたとされる戦争を指す。神功皇后は、仲哀天皇の后で応神天皇の母である。経緯は『古事記』『日本書紀』に記載されているが、朝鮮や中国の歴史書にも関連するかと思われる記事がある。新羅が降伏した後、三韓の残り二国(百済、高句麗)も相次いで日本の支配下に入ったとされるためこの名で呼ばれるが、直接の戦闘が記されているのは対新羅戦だけなので新羅征伐と言う場合もある。吉川弘文館の『国史大辞典』では、「新羅征討説話」という名称で項目となっている。ただし三韓とは馬韓(後の百済)・弁韓(後の任那・加羅)・辰韓(後の新羅)を示し高句麗を含まない朝鮮半島南部のみの征服とも考えられる。.

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三要元佶

三要 元佶(さんよう げんきつ、天文17年(1548年) - 慶長17年5月20日(1612年6月19日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての臨済宗の僧。号は閑室。佶長老、閑室和尚。現在、一般的には閑室元佶とよばれている。.

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仁比山神社

仁比山神社(にいやまじんじゃ)は、佐賀県神埼市神埼町的にある神社。旧社格は県社。.

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伊万里市

伊万里市街地遠景 伊万里市(いまりし)は、佐賀県の西部にある市である。かつて伊万里港から積み出しを行っていた磁器(伊万里焼)で有名である。.

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伊東玄朴

伊東玄朴旧宅にある像 伊東 玄朴(いとう げんぼく、寛政12年12月28日(1801年2月11日) - 明治4年1月2日(1871年2月20日))は、江戸時代末期(幕末)から明治にかけての蘭方医。江戸幕府奥医師。名は淵。近代医学の祖で、官医界における蘭方の地位を確立した。妻は長崎のオランダ語通詞・猪俣傳次衛門の長女・照(1812年 - 1881年)。.

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伽藍

法隆寺西院伽藍。正面が中門 伽藍(がらん)は、僧侶が集まり修行する清浄な場所の意味であり、後には寺院または寺院の主要建物群を意味するようになった。サンスクリット語のの音写で、「僧伽藍摩(そうぎゃらんま)」「僧伽藍」が略されて「伽藍」と言われた。漢訳の場合は「衆園(しゅおん)」「僧園(そうおん)」などと訳された例があるが、通常「伽藍」とのみ呼ばれる。.

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佐賀城

佐賀市中心部の航空写真。中央やや右下に「逆コの字型」の佐賀城跡の堀が現存している。東側の堀と、本丸・二の丸を隔てる中堀は埋め立てられている。国土画像情報(カラー空中写真)国土交通省による 佐賀城(さがじょう)は、佐賀県佐賀市にあった日本の城。古名は佐嘉城。別名、沈み城、亀甲城。江戸時代初頭に完成し、外様大名の佐賀藩鍋島氏の居城であった。.

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佐賀市

佐賀市中心部の航空写真。中央やや右下に「逆コの字型」の佐賀城跡の堀がある。 佐賀市中心部。佐賀県庁より佐賀駅方面 佐賀市中心部及び周辺住宅街。佐賀県庁より東側 嘉瀬川 佐賀市(さがし)は、佐賀県の県庁所在地で、同県最大の人口を擁する市である。施行時特例市。 佐賀県の経済・行政の中心地。有明海から脊振山地までを縦断する市域を有し、市街地は佐賀平野の中心付近に位置する。秋には嘉瀬川河川敷を中心に佐賀インターナショナルバルーンフェスタが開催され、バルーン(熱気球)の街として賑わう。.

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佐賀県

佐賀県(さがけん)は、日本の九州地方の北西部にある県である。県庁所在地は佐賀市。 唐津・伊万里・有田などは古くから陶磁器の産地として有名。玄界灘と有明海の2つの海に接する。令制国の肥前国東部に相当する。明治の府県制成立の際、同国は佐賀県と長崎県の2県として分立した。.

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徳川家康

徳川 家康(とくがわ いえやす、)または松平 元康(まつだいら もとやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。江戸幕府の初代征夷大将軍。三英傑の一人。「海道一の弓取り」の異名を持つ。 家系は三河国の国人土豪・松平氏。幼名は竹千代。通称は次郎三郎のちに蔵人佐。諱は今川義元に偏諱をもらい元信(もとのぶ)次いで元康と名乗るが今川氏から独立した際に「元」を返上して家康に改める。 勅許され永禄9年12月29日(1567年2月18日)に徳川氏に改姓。本姓は私的には源氏を称していたが徳川氏改姓と従五位の叙位に際し藤原氏と称し遅くとも天正16年(1588年)以降に源氏を再び称している。.

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応神天皇

応神天皇(おうじんてんのう、仲哀天皇9年12月14日 - 応神天皇41年2月15日)は、第15代天皇(在位:応神天皇元年1月1日 - 同41年2月15日)。諱は誉田別尊(ほむたわけのみこと)、誉田別命(ほんだわけのみこと)、大鞆和気命(おおともわけのみこと)。誉田天皇(ほむたのすめらみこと/ほんだのすめらみこと)、胎中天皇(はらのうちにましますすめらみこと)とも称される。麛坂皇子と忍熊皇子は異母兄にあたる。.

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レオン・ボナ

レオン・ジョゼフ・フロランタン・ボナ(Léon Joseph Florentin Bonnat, 1833年6月20日 - 1922年9月8日)は、フランスの画家。.

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ボタン (植物)

ボタン(牡丹、学名:Paeonia suffruticosa)は、ボタン科ボタン属の落葉小低木。 または、ボタン属(Paeonia)の総称。 別名は「富貴草」「富貴花」「百花王」「花王」「花神」「花中の王」「百花の王」「天香国色」 「名取草」「深見草」「二十日草(廿日草)」「忘れ草」「鎧草」「ぼうたん」「ぼうたんぐさ」など多数。 以前はキンポウゲ科に分類されていたが、おしべ・花床の形状の違いからクロンキスト体系ではシャクヤクとともにビワモドキ目に編入され、独立のボタン科とされた。APG IIIではユキノシタ目とされる。.

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イヌマキ

イヌマキ(犬槇、学名:)は、マキ科マキ属の常緑針葉高木。関東〜四国・九州・沖縄、台湾の比較的暖かい地域に分布する。.

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イスノキ

イスノキ(蚊母樹、柞、Distylium racemosum)は、暖地に自生するマンサク科の常緑高木。別名、ユスノキ、ユシノキ、ヒョンノキ。.

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唐津市

虹の松原(国の特別名勝) 唐津市(からつし)は、佐賀県の北西に位置し玄界灘に面する市。福岡都市圏(福岡相対都市圏)を形成する都市の一部である。.

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入法界品

『入法界品』(にゅうほっかいぼん)とは、大乗仏教経典『華厳経』の末尾に収録されている大部の経典(品)。サンスクリットの原題は『ガンダヴィユーハ・スートラ』(梵: Gandavyūha Sūtra)。 スダナ少年(スダナ・クマーラ、善財童子)が、文殊菩薩に促されて悟りを求める旅に出発、53人の善知識(仏道の仲間・師)を訪ねて回り、最後に普賢菩薩の元で悟りを得る様が描かれる。 一説には、東海道五十三次の53の数字の由来は、この『入法界品』にあるとされる。.

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神功皇后

功皇后(じんぐうこうごう、成務天皇40年 - 神功皇后69年4月17日)は、仲哀天皇の皇后。『日本書紀』では気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)・『古事記』では息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)・大帯比売命(おおたらしひめのみこと)・大足姫命皇后。父は開化天皇玄孫・息長宿禰王で、母は天日矛(あめのひぼこ)裔・葛城高顙媛。応神天皇の母であり、この事から聖母(しょうも)とも呼ばれる。弟に息長日子王、妹に虚空津比売、豊姫あり。 三韓征伐を指揮した逸話で知られる。.

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神埼市

埼市(かんざきし)は、佐賀県東部に位置する市。.

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祐徳稲荷神社

徳稲荷神社(ゆうとくいなりじんじゃ)は、佐賀県鹿島市にある神社である。旧社格は県社。別名鎮西日光。 伏見稲荷大社、笠間稲荷神社とともに日本三大稲荷の一つに数えられる。年間300万人の参詣者が訪れる。これは九州の神社では太宰府天満宮に次ぐ参拝客数である。衣食住、生活全般の守護神として、商売繁盛、家運繁栄などで尊崇されている。.

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稲佐神社

佐神社(いなさじんじゃ)は、佐賀県杵島郡白石町に鎮座する神社である。国史見在社の「稲佐雄神」に充てられている。旧社格は県社。.

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狩野孝信

狩野 孝信(かのう たかのぶ、元亀2年11月25日(1571年12月11日) - 元和4年8月30日(1618年10月18日))は、安土桃山時代の狩野派の絵師。通称右近。狩野永徳の次男で狩野光信の弟。息子は狩野探幽、狩野尚信、狩野安信。確証ある遺品は少ないが、時代の転換期にあって狩野派を支えた功労者といえる。.

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狩野探幽

狩野 探幽(かのう たんゆう、慶長7年1月14日(1602年3月7日) - 延宝2年10月7日(1674年11月4日))は、江戸時代初期の狩野派の絵師。狩野孝信の子。法号は探幽斎、諱は守信。早熟の天才肌の絵師、と評されることが多いが、桃山絵画からの流れを引き継ぎつつも、宋元画や雪舟を深く学び、線の肥痩や墨の濃淡を適切に使い分け、画面地の余白をに生かした淡麗瀟洒な画風を切り開き、江戸時代の絵画の基調を作った。.

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白石町

白石町(しろいしちょう)は、佐賀県の中南部に位置し、有明海の広い干拓地と干潟で知られる町である。杵島郡に属する。.

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百武兼行

武 兼行(ひゃくたけ かねゆき、1842年7月14日(天保13年6月7日) - 1884年(明治17年)12月21日)は、日本の洋画家、外交官。日本で最初に洋画・裸婦像を描いた人物・フランスで初めて洋画を学んだ日本人といわれる。龍造寺氏に仕えた戦国武将の百武賢兼の直系の子孫にあたる。.

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鍋島元武

鍋島 元武(なべしま もとたけ)は、肥前小城藩の第3代藩主。.

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鍋島勝茂

鍋島 勝茂(なべしま かつしげ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。肥前国佐賀藩初代藩主。.

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鍋島直茂

鍋島 直茂(なべしま なおしげ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、実質的には大名。戦国大名・龍造寺隆信の家老。肥前佐賀藩の藩祖。 なお数回改名しており、本項では便宜的に後期の名乗りである直茂で統一して解説する。.

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菩薩

菩薩(ぼさつ、梵名ボーディ・サットヴァ(बोधिसत्त्व, bodhisattva) の音写、bodhisatta)は、仏教において、一般的には、悟り(菩提, bodhi)を求める衆生(薩埵, sattva)を意味する。菩提薩埵とも音写される。.

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華厳経

『華厳経』(けごんぎょう、Avataṃsaka Sūtra, アヴァタンサカ・スートラ)、正式名称『大方広仏華厳経』(だいほうこうぶつけごんきょう、Buddhāvataṃsaka-nāma-mahāvaipulya-sūtra, ブッダーヴァタンサカ・ナーマ・マハーヴァイプリヤ・スートラ)は、大乗仏教経典の1つ。 経名は「大方広仏の、華で飾られた(アヴァタンサカ)教え」の意。「大方広仏」、つまり時間も空間も超越した絶対的な存在としての仏という存在について説いた経典である。 元来は『雑華経』(ぞうけきょう、Gaṇḍavyūha Sūtra, ガンダヴィユーハ・スートラ)、すなわち「様々な華で飾られた・荘厳された(ガンダヴィユーハ)教え」とも呼ばれていた。.

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誕生院

誕生院(たんじょういん)は、佐賀県鹿島市にある新義真言宗大本山の寺院。山号を密厳山(みつごんざん)と称する。本尊は錐鑽身代不動明王。.

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高伝寺

伝寺(こうでんじ)は、佐賀県佐賀市にある曹洞宗の仏教寺院。山号は恵日山(えにちさん)。 梅の名所としても知られる。.

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高良山

良山(こうらさん)は福岡県久留米市の山。高牟礼山(たかむれやま)、不濡山(ぬれせぬやま)、青山山、梶山(かじやま)、琴弾山(ことひきやま)などとも呼ばれる。古来、宗教的な山として崇められ高良大社が築かれ、また、軍事的な要衝でもあったため神籠石式山城や住厭城などの遺跡が見られる。.

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谷文晁

谷文晁(たに ぶんちょう、宝暦13年9月9日(1763年10月15日) - 天保11年12月14日(1841年1月6日))は、江戸時代後期の日本の画家。 諱は正安。はじめ号は文朝・師陵、後に文晁とし字も兼ねた。通称は文五郎または直右衛門。別号には写山楼・画学斎・無二・一恕。薙髪して法眼位に叙されてからは文阿弥と号した。江戸下谷根岸の生まれ。.

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鳥栖市

鳥栖ジャンクションの位置 鳥栖市(とすし)は、佐賀県の東端に位置する市である。.

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鹿島城 (肥前国)

鹿島城(かしまじょう)は、佐賀県に存在した平城。.

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鹿島市

鹿島市(かしまし)は、佐賀県の南部にある市である。旧藤津郡。.

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黄檗美術

檗美術(おうばくびじゅつ)とは、黄檗宗に関連した美術をいう。主に隠元隆琦が渡来した江戸時代前期より日本に将来された中国明清の美術様式で、書・画・彫刻・工芸などに及ぶ。 隠元隆琦らの渡来僧によってもたらされた黄檗美術は、古黄檗のある中国福建一帯の美術様式であるだけではなく、当時中国の中心地であった江南一帯に流行した先進文化であった。この伝播の期間はおよそであるが隠元が渡来し宇治萬福寺が開創した17世紀中頃から、第21代住持大成照漢が没する天明4年(1784年)までとすることができる。その間萬福寺では異国情緒あふれる環境が維持され、全国51カ国一千ヵ寺といわれる黄檗寺院にこの美術様式が受用された。鎖国体制にある江戸時代においてこのように広く長く海外からの文化が伝播したことは極めて異例であった。 急激に日本に広まった黄檗美術は、その初期の段階から和様化が進み江戸文化に深く浸透しその形成に重要な要素となった。特に絵画や書に顕著な影響が認められ、伝統的な様式を刷新する原動力となった。.

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龍造寺隆信

龍造寺 隆信(りゅうぞうじ たかのぶ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。肥前国の戦国大名。 仏門にいた時期は中納言円月坊を称し、還俗後は初め胤信(たねのぶ)を名乗り、大内義隆から偏諱をうけて隆胤(たかたね)、次いで隆信と改めた。 「五州二島の太守」の称号を自らは好んで用いたが、肥前の熊の異名をとった。少弐氏を下剋上で倒し、大友氏を破り、島津氏と並ぶ勢力を築き上げ、九州三強の一人として称されたが、島津・有馬氏の連合軍との戦い(沖田畷の戦い)で不覚をとり、敗死した。.

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船塚古墳 (佐賀市)

船塚古墳(ふなづかこふん)は、佐賀県佐賀市大和町にある古墳。形状は前方後円墳。佐賀県指定史跡に指定されている(指定名称は「船塚」)。 佐賀県では最大規模の古墳で、5世紀中頃(古墳時代中期)の築造と推定される。.

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與賀神社

與賀神社(よかじんじゃ、与賀神社)は、佐賀県佐賀市にある神社。旧社格は県社。 「与賀神社」とも書き、官公庁での案内など大部分はこちらの表記が用いられている。.

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與止日女神社

與止日女神社(よどひめじんじゃ、与止日女神社)は、佐賀県佐賀市にある神社。式内社、肥前国一宮で、旧社格は県社。 「淀姫神社」とも書き、別称として「河上神社」、通称として「淀姫さん」とも呼ばれている。.

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阿弥陀如来

阿弥陀如来(あみだにょらい)は、大乗仏教の如来の一つである。梵名はアミターバ()、あるいはアミターユス ()といい、それを阿弥陀と音写する。阿弥陀仏(阿弥陀佛)ともいい、また略して弥陀仏ともいう。 梵名のアミターバは「量(はかり)しれない光を持つ者」、アミターユスは「量りしれない寿命を持つ者」の意味で、これを漢訳して・無量光仏、無量寿仏ともいう。西方にある極楽浄土という仏国土(浄土)を持つ(東方は薬師如来)。.

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阿難

阿難(あなん、アーナンダ、阿難陀の音写略、名前は後述)は、釈迦の十大弟子の一人。多聞第一(たもん・だいいち)と称せられた。禅宗は摩訶迦葉の跡を継いで仏法付法蔵の第3祖であるとする。.

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釈迦

釈迦(しゃか)は、紀元前5世紀前後の北インドの人物で、仏教の開祖である。.

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釈迦三尊

釈迦三尊(しゃかさんぞん)は、仏教における仏像安置の形式のひとつである。飛鳥文化を代表する彫刻で、法隆寺にある本尊、聖徳太子死後の623年に妃や皇子達が鞍作鳥に作らさせた。.

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李氏朝鮮

李氏朝鮮(りしちょうせん、朝鮮語ハングル表記:이씨조선)は、1392年から1910年にかけて朝鮮半島に存在した国家。朝鮮王朝、朝鮮封建王朝とも呼ばれる。朝鮮民族国家の最後の王朝で、現在までのところ朝鮮半島における最後の統一国家でもある。李朝(りちょう)ともいう(「李王朝」の意)。高麗の次の王朝にあたる。 1392年に高麗の武将李成桂太祖(女真族ともいわれる)が恭譲王を廃して、自ら高麗王に即位したことで成立した。李成桂は翌1393年に中国の明から権知朝鮮国事(朝鮮王代理、実質的な朝鮮王の意味)に封ぜられた。朝鮮という国号は李成桂が明の皇帝朱元璋から下賜されたものであり、明から正式に朝鮮国王として冊封を受けたのは太宗の治世の1401年であった。中国の王朝が明から清に変わった17世紀以降も、引き続き李氏朝鮮は中国王朝の冊封体制下にあった。東人派や西人派、老論派、南人派など党派対立が激しく、政権交代は対立する派閥の虚偽の謀反を王に通報で粛清という形が多く、多くの獄事が起こった。1894年の日清戦争後に日本と清国との間で結ばれた下関条約は李氏朝鮮に清王朝を中心とした冊封体制からの離脱と近代国家としての独立を形式的かつ実質的にもたらした。これにより李氏朝鮮は1897年に国号を大韓帝国(だいかんていこく)、君主の号を皇帝と改め、以後日本の影響下に置かれた。大韓帝国の国家主権は事実上、冊封体制下における清朝から日本へと影響を受ける主体が変化するものであった。1904年の第一次日韓協約で日本人顧問が政府に置かれ、翌1905年第二次日韓協約によって日本の保護国となり、1907年の第三次日韓協約によって内政権を移管した。こうした過程を経て1910年8月の「韓国併合ニ関スル条約」調印によって大韓帝国は日本に併合され、朝鮮民族の国家は消滅した。.

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櫛田宮

櫛田宮(くしだぐう)は、佐賀県神埼市神埼町神埼に所在する神社である。.

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武雄市

武雄市(たけおし)は、佐賀県の西部に位置する市。中心には開湯以来1300年経つ武雄温泉があり、この温泉には日本銀行や東京駅の設計を行った辰野金吾設計の楼門があり、国の重要文化財に指定されている。.

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水車

再現された三連水車 (山梨県・山中湖村花の都公園) 日本の水車の動画。左上から水が流れ落ちている。 水車(すいしゃ)は、川などの水流の力で回転する一種の原動機である水の位置エネルギーを回転運動のエネルギーへ変換する機構であるとも言える。。電動機や蒸気機関が普及するまでは、揚水・脱穀・製粉・製糸などに広く使用されていた。現在でも少数ながら水田の揚水用などで見ることができる。揚水用(ノーリア)には様々なタイプがあり、有名な物は三連水車などがある。水流の力により水を水車の横に付けた容器でくみ上げるタイプの物が多い。.

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新北神社

新北神社 (にきたじんじゃ)は、佐賀県佐賀市にある神社。.

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文殊菩薩

文殊菩薩(もんじゅぼさつ)、梵名マンジュシュリー(मञ्जुश्री, 、別名:マンジュゴーシャ、मञ्जुघोष、mañjughoṣa)は、大乗仏教の崇拝の対象である菩薩の一尊。一般に智慧を司る仏とされる。 文殊は文殊師利(もんじゅしゅり)の略称。また妙吉祥菩薩(みょうきっしょうぼさつ)などともいう。曼殊室利等とも音写し、妙吉祥、妙徳、妙首などとも訳す。文珠菩薩とも書く。 三昧耶形は青蓮華(青い熱帯睡蓮の花)、利剣、梵篋(椰子の葉に書かれた経典)など。種字はマン (मँ maṃ) 。.

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普賢延命菩薩

普賢延命菩薩(ふげんえんめいぼさつ)は、仏教における信仰対象である菩薩の一つ。サンスクリットのVajramoghasamayasattva(「大安楽不空真実菩薩」の意)に当たる。.

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