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佐竹義格

索引 佐竹義格

佐竹 義格(さたけ よしただ、元禄7年12月11日(1695年1月25日) - 正徳5年7月19日(1715年8月17日))は、出羽久保田藩の第4代藩主。父は第3代藩主・佐竹義処(義格は三男)。母は布施氏(智清院)。幼名は千代助、千代丸。通称は源次郎。官位は従四位下侍従、大膳大夫。.

27 関係: 多賀谷峯経天徳寺宝永久保田城久保田藩佐竹義峯佐竹義処佐竹義苗御目見徳川綱吉出羽国元禄元禄地震秋田市秋田県正徳 (日本)浅野綱長12月11日 (旧暦)1695年1700年1703年1708年1709年1715年1月25日7月19日 (旧暦)8月17日

多賀谷峯経

多賀谷 峯経(たがや みねつね、元禄8年(1695年) - 宝暦9年7月15日(1759年8月7日))は出羽久保田藩の家老。久保田藩士で檜山所預の多賀谷氏当主。戸村家分家の戸村処風(すみかぜ)の子で、初め戸村一学家の当主。のち実兄・多賀谷格重(ただしげ、通称:酉之助、彦太郎)の養嗣子となる。幼名は万千代。通称は左兵衛、隠居して下総。俳号は敬之堂梅坡。 峯経が行った自家栽培用の茶の植樹が北限の茶とされる檜山茶の始めとされる。.

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天徳寺

天徳寺(てんとくじ)は、秋田県秋田市にある曹洞宗の寺院。本尊は聖観音。久保田藩(秋田藩)主佐竹氏の菩提寺である。秋田県指定史跡。.

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宝永

宝永(ほうえい、旧字体: 寶永)は日本の元号の一つ。元禄の後、正徳の前。1704年から1711年までの期間を指す。この時代の天皇は東山天皇、中御門天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉、徳川家宣。.

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久保田城

久保田城(くぼたじょう)は、羽後国(旧出羽国)秋田郡久保田(現在の秋田県秋田市千秋公園近辺)にあった城郭である。.

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久保田藩

『天保国絵図』より「出羽国秋田領」 久保田藩(くぼたはん)は、江戸時代の藩の一つである。秋田藩(あきたはん)とも呼ばれる「秋田市史 第四巻」7頁。。久保田城を居城とした。藩主は佐竹氏で、室町時代以来の常陸守護の家柄であったが、関ヶ原の戦いにおける挙動を咎められて出羽国(後の羽後国)秋田へ移封された。石高は約20万石(実高は約40万石)。家格は大広間詰国持大名。 支藩として、新田分知された家が2家有る他、2代義隆の実家亀田藩(岩城氏)が事実上の支藩となっていた時期もあった。.

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佐竹義峯

佐竹 義峯(さたけ よしみね)は、出羽久保田藩の第5代藩主。第3代藩主・佐竹義処の弟で、出羽岩崎藩初代藩主・佐竹義長の次男に生まれる。母は松浦信忠の娘(松浦鎮信の養女)・聖相院。正室は筑前直方藩主、黒田長清の娘・利姫(円宗院)。幼名は仙寿丸、求馬。初名は義恭(よしゆき)。.

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佐竹義処

佐竹 義処(さたけ よしずみ、旧字体・正式表記: 佐竹 義處)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。出羽国久保田藩の第3代藩主。.

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佐竹義苗

佐竹 義苗(さたけ よしみつ、寛文11年(1671年)- 元禄12年6月18日(1699年7月14日))は、出羽久保田藩3代藩主・佐竹義処の長男。母は越前松平直政の娘。正室は徳川光貞の娘・育姫(徳川吉宗の姉にあたる)。諱は初め義林、後に義苗。通称は次郎。官位は四品、従四位下、修理大夫。.

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御目見

御目見(おめみえ)とは、江戸時代に大名や旗本が将軍に直接拝謁すること。また、その資格。「上聴」とも呼ばれる。 江戸時代の武士には、どの藩でも藩主にお目通りする資格がある「上士」と、それがない「下士」の区別があった。一般に「侍」(さむらい)と呼ばれたのは前者の方で、後者はかつて戦場でも騎乗の資格がなかったことから「徒歩」(かち)と呼ばれた。 幕府内では、石高一万石未満の徳川家家臣で、総登城や年賀節句など将軍が出御する儀式に参列することが許されている者を「旗本」、そうでない者を「御家人」と呼んだ。また旗本は、規模は小さいながらも実際に知行地をもつ一領主であったことから、庶民からは俗に「殿様」(とのさま)と呼ばれた。一方の御家人は、切米で俸給されたので「旦那様」(だんなさま)と呼ばれた。 江戸城内における年中儀礼の式次第や諸大名の格式をはじめ、故事、旧例、有職、法規などを網羅した注釈書『柳営秘鑑』には、以下の記述がある。 近世武家社会において御目見は家督の相続に際して嫡子として認められる所作のひとつとなっており、成人の嫡子が存在しても御目見を済まさない場合は家督相続者として認められなかった。.

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徳川綱吉

徳川 綱吉(とくがわ つなよし)は、江戸幕府の第5代将軍である。.

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出羽国

出羽国(でわのくに)は、かつて存在した令制国の一つ。東山道に属する。.

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元禄

元禄(げんろく、旧字体: 元祿)は日本の元号の一つ。貞享の後、宝永の前。1688年から1704年までの期間を指す。この時代の天皇は東山天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉。.

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元禄地震

元禄地震(げんろくじしん)は、元禄16年11月23日(1703年12月31日)午前2時ごろ、関東地方を襲った巨大地震。 震源は相模トラフの房総半島南端にあたる千葉県の野島崎と推定され、東経139.8度、北緯34.7度の地点震度分布による推定で、断層破壊開始点である本来の震源、その地上投影である震央ではない。にあたる。マグニチュード(M)は7.9-8.5と推定されている。元禄大地震(げんろくおおじしん、げんろくだいじしん)あるいは元禄の大地震(げんろくのおおじしん)とも呼ばれ、大正関東地震に対比して元禄関東地震(げんろくかんとうじしん)の名称もしばしば使用される。 大正12年(1923年)に起きた関東地震(関東大震災)と類似のタイプの海溝型地震である上に、震源分布図も類似することから大正関東地震以前の相模トラフ巨大地震と考えられている。ただし、地殻変動は大正関東地震よりも大きいものであった大正関東地震の震源域に加えて、房総半島南東沖も震源域となる連動型地震であった可能性が指摘されている(詳細は「相模トラフ巨大地震#再来間隔」参照)。。大規模な地盤変動を伴い、震源地にあたる南房総では海底平面が隆起して段丘を形成した元禄段丘が分布し、野島岬は沖合の小島から地続きの岬に変貌したという。 江戸時代中期の元禄から宝永年間は巨大地震、噴火が続発した時期であり、本地震の4年後の宝永4年(1707年)にはM 8.4-8.6(Mw 8.7-9.3)と推定される宝永地震、および宝永大噴火も発生している安藤雅孝(1974): 東海沖か房総沖で大地震, 科学朝日, 34, No.3, 34-37.

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秋田市

千秋公園 秋田市(あきたし)は、秋田県の沿岸中部に位置する市で、同県の県庁所在地である。中核市に指定されている。東北の日本海側では最大の都市である。.

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秋田県

秋田県(あきたけん)は、日本の東北地方の県の一つで日本海に面する。県庁所在地は秋田市である。.

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正徳 (日本)

正徳(しょうとく)は日本の元号の一つ。宝永の後、享保の前。1711年から1716年までの期間を指す。この時代の天皇は中御門天皇。江戸幕府将軍は徳川家宣、徳川家継。.

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浅野綱長

浅野 綱長 (あさの つななが)は、江戸時代前期の国主外様大名。安芸広島藩第4代藩主。浅野家宗家5代。.

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12月11日 (旧暦)

旧暦12月11日は旧暦12月の11日目である。六曜は仏滅である。.

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1695年

記載なし。

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1700年

17世紀最後の年である100で割り切れてかつ400では割り切れない年であるため、閏年ではない(グレゴリオ暦の規定による)。。.

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1703年

記載なし。

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1708年

記載なし。

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1709年

記載なし。

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1715年

記載なし。

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1月25日

1月25日(いちがつにじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から25日目にあたり、年末まであと340日(閏年では341日)ある。.

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7月19日 (旧暦)

旧暦7月19日(きゅうれきしちがつじゅうくにち)は、旧暦7月の19日目である。六曜は先勝である。.

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8月17日

8月17日(はちがつじゅうななにち、はちがつじゅうしちにち)はグレゴリオ暦で年始から229日目(閏年では230日目)にあたり、年末まであと136日ある。.

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