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伊治呰麻呂

索引 伊治呰麻呂

伊治 呰麻呂史料には伊治公呰麻呂(これはり/これはる の きみ あざまろ)とあるため、これに準じて記される場合も多いが、姓の「公」(きみ)を付けたものである。(これはり/これはる の あざまろ、生没年不詳)は、8世紀後半の日本、奈良時代の東北地方で活動した蝦夷の指導者。姓は公。官位は外従五位下・上治郡大領。 宝亀11年(780年)に伊治城 神護景雲3年2月(769年3月)、伊治郡内(のちの栗原郡城生野村、現・宮城県栗原市築館城生野[つきだてじょうの]と推定される)に築かれた城柵。で宝亀の乱(伊治呰麻呂の乱)を起こした。.

50 関係: 城柵反乱参議同音異字多賀城大崎市大伴真綱大領外位奈良時代宝亀宝亀の乱宮城県官位中納言強奪征伐従五位俘囚カバネ出羽国国府神護景雲築館町紀広純続日本紀生没年不詳牡鹿郡音読み道嶋大盾蝦夷蝦夷征討訓読み誤記講談社学術文庫関口明藤原小黒麻呂藤原継縄陸奥国陸奥国司東北地方栗原市栗原郡漆紙文書按察使日本769年778年780年8世紀

城柵

城柵(じょうさく)は、7世紀から11世紀までの古代日本において大和朝廷(ヤマト政権、中央政権)が築いた軍事的防御施設である。 現代の歴史学では特に北東と南西の辺境に置かれた政治行政機能を併せ持つものに限って言うことが多い。個々の城柵は、「多賀柵」など「柵」の字を付ける場合と、「多賀城」など「城」の字を付ける場合があり、城も柵も「き」と呼んでいた。北東は蝦夷、南西は隼人に対する備えとして置かれ699年(文武天皇3)12月には、のちの日向・大隅国府に近接した地点に三野(日向国児湯郡三納.

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反乱

反乱・叛乱(はんらん、rebellion、insurgency、uprising)とは、国家等の支配者に対して被支配層が個人で、もしくは徒党を組み、暴力的、破壊的、示威的行動によって何らかの不満を表明し、その不満の原因解決を迫り、あるいは被支配層みずからの手で不満の原因を解決しようとする行為である。 漢字圏の歴史上の叛乱には「~の乱(らん)」とのみ呼ばれるものもあるが、「乱」に反乱の意味はなく、この場合の「乱」は単に「世が乱れること」を意味している。 また、国家的規模でなくとも、軍隊の構成員や船の乗組員などが共謀して公然と上官等の権威に対抗する場合も反乱という。この場合の反乱には英語では「」の語が充てられる。 なお、この語はあくまで反乱を「起こされる側」の表現であり、実際に「起こす側」が自ら反乱と言うことはなく「決起」などと呼ぶ。 フィクションにおいては人間同士にとどまらず、人間以外の動物などの人間と同等の意思や知性等を持たない生物、人工知能などの無生物が人間に対して牙をむくような場合も反乱として扱われる。.

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参議

参議(さんぎ)は、日本の朝廷組織の最高機関である太政官の官職の一つである。四等官の中の次官(すけ)に相当する令外官で、納言に次ぐ。唐名(漢風名称)は宰相・相公・平章事・諫議大夫。和訓はおほまつりことひと。 宮中の政(朝政)に参議するという意味で、朝政の議政官に位置する。.

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同音異字

同音異字(どうおんいじ)とは、同じ音の語や字でありながら、別の文字であること。通常の熟語のほか、伊東と伊藤(いとう)、東海林と庄司(しょうじ)、仙台(宮城県)と川内(鹿児島県)(せんだい)のように、人名や地名でも見られる。 ここでの「音」の意味は「発音」の意味で、「音読み訓読み」の「音」ではない。訓読みの「病む」と「止む」も同音異字である。 逆に、「下手」は「へた」「しもて」「げしゅ」「したて」、人名の東海林は「とうかいりん」「しょうじ」と、複数の読み方がある。このように、同じ漢字で異なる複数の読みがある場合は同字異音という。 漢字にはもともと同音異字のものが多く、中国から日本に伝わる際に中国語の読みが日本で読みやすいものに置き換えられた際に、中国語で似通った音がまとめられ、同音異字の文字が非常に多くなった。 同音異字の場合、ほとんどの場合は字義が異なるので同音異義(どうおんいぎ)となる。しかし、「奇手」と「鬼手」、「特徴」と「特長」、「実情」と「実状」のように同音同義の例もある。.

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多賀城

多賀城(たがじょう/たがのき、多賀柵)は、現在の宮城県多賀城市にあった日本の古代城柵。国の特別史跡に指定されている(指定名称は「多賀城跡 附 寺跡」)。 奈良時代から平安時代に陸奥国府や鎮守府が置かれ、11世紀中頃までの東北地方の政治・文化・軍事の中心地であった。なお、多賀城が存在した頃は「平安海進」により、周囲は現在と大きく異なる地形をしていたため注意が必要。.

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大崎市

大崎市(おおさきし)は、宮城県北西部の大崎地方に位置する市。.

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大伴真綱

大伴 真綱(おおとも の まつな、生没年不詳)は、奈良時代の貴族。官位は従五位下・陸奥介。.

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大領

大領(だいりょう).

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外位

外位(げい/がいい)とは、律令制における位階体系の1つ。中央の貴族・官人に与えられた内位に対して傍系と看做される。.

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奈良時代

奈良時代(ならじだい)は、日本の歴史の時代区分の一つで、平城京(奈良)に都が置かれた時代である。平城時代(へいじょうじだい)ともいう。日本仏教による鎮護国家を目指して、天平文化が花開いた時代である。.

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宝亀

宝亀(ほうき、正字体:寶龜)は、日本の元号の一つ。神護景雲の後、天応の前。770年から781年までの期間を指す。この時代の天皇は光仁天皇。.

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宝亀の乱

宝亀の乱(ほうきのらん)は、奈良時代の日本の東北地方で起きた反乱。宝亀11年(780年)、陸奥国の一部地域(のちに陸前国、宮城県などと呼ばれる地域)にて、大和朝廷(ヤマト政権、中央政権)に対し、俘囚(服属蝦夷)の指導者が軍を率いて起こしたもので、首謀者の名を採って伊治呰麻呂の乱(これはりのあざまろのらん、これはるのあざまろのらん)とも呼ばれる。.

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宮城県

地形図 宮城県(みやぎけん)は、日本の東北地方にある県。東は太平洋に面し、西は奥羽山脈に接する。県庁所在地は仙台市。.

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官位

日本における官位(かんい)は、日本史では人が就く官職と、人の貴賤を表す序列である位階の総称、古代朝鮮史(高句麗・百済・新羅)においては人の貴賤の序列として定められた位のことである。ともに中国の影響を受けたものだが、中国史では官位という言葉は用いない。 官職と位階との相当関係を定めたものを官位相当といい、各官職には相当する位階(品階)に叙位している者を任官する制度を官位制(官位制度、官位相当制)という『日本歴史大事典 1』小学館、2000年(平成12年)、768頁。日本において、官職と位階は律令法(律令制)によって体系的に整備された。位階制度については「位階」の項目を、官職については「日本の官制」を参照のこと。以下、日本における官位制について概説する。.

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中納言

中納言(ちゅうなごん)は、太政官に置かれた令外官のひとつ。太政官においては四等官の次官(すけ)に相当する。訓読みは「すけのものまうすつかさ」あるいは「なかのものまうすつかさ」。.

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強奪

強奪(ごうだつ、きょうだつ)とは、暴力行為などによって他人の所有物を奪い取る行為のことである。ほとんどの国家において刑事罰の対象とされる行為である。日本の刑法では窃盗罪、恐喝罪、強盗罪とされている。.

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征伐

征伐(せいばつ、conquest または subjugation)とは、反乱を起こした勢力を鎮圧したり、反社会的な犯罪集団・賊などを、武力で処罰(懲罰)したりすることをいう。 「征討」(せいとう)・「討伐」(とうばつ)も征伐とほぼ同義語であり、罪ある者や手向かう者を攻め討つ意味で使われ、歴史用語としては上位者・正当な国家権力(朝廷や幕府)が反逆した下位者・罪人を攻め討つという意味で使われる。反対語的に使用される用語に「反乱」(はんらん)があり、政府周辺や政権をめぐる軍事反乱などに使われる。 「征伐」・「征討」・「討伐」と呼ばれている事件の一部に対しては、差別用語と見なす立場をとる識者もいる。それに対し、当時の意識は、そのような後世における政策的意識とは相違があるので、歴史学上の見地とは峻別されるべきという批判がある。 最近は使用例が減り、征伐に代えて「平定」(へいてい)を用いる用語例が増えている。 また、東洋においては征伐には道徳的意味が込められており、伝統的に反乱を起こした諸侯を天子が討ち平らげることとされる。.

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従五位

従五位(じゅごい)とは、日本の位階及び神階における位のひとつ。正五位の下、正六位の上に位する。贈位の場合、贈従五位という。近代以前の日本における位階制度では、従五位下以上の位階を持つ者が貴族とされている。また、華族の嫡男が従五位に叙せられることから、華族の嫡男の異称としても用いられた。.

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俘囚

俘囚(ふしゅう)とは、陸奥・出羽の蝦夷のうち、朝廷の支配に属するようになったもの。日本の領土拡大によって俘囚となったもの、捕虜となって国内に移配されたものの二種の起源がある。 また、主に戦前戦中には戦時捕虜の身分にあるものも俘囚と呼んだ。.

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カバネ

姓(カバネ、可婆根)は、古代日本の大和王権において、大王(おおきみ、天皇)から有力な氏族に与えられた、王権との関係・地位を示す称号である。 以下、特別の補足がない限り「氏」は「うじ」、「姓」は「かばね」と読む。.

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出羽国

出羽国(でわのくに)は、かつて存在した令制国の一つ。東山道に属する。.

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国府

国府(こくふ、こう)は、日本の奈良時代から平安時代に、令制国の国司が政務を執る施設(国庁)が置かれた都市。 国府付近には国庁のほかにも国分寺・国分尼寺、総社(惣社)が設置され、各国における政治的中心都市であるとともに司法・軍事・宗教の中心部であった。なお『和名抄』によると、古くは「国」ではなく「島」とされた壱岐や対馬には「島府」が置かれたとされる(まだ確定はされていない)。 律令制の衰退にともない立地の優位性を失い廃れたり所在不明になった国府もある一方、いくつかの国府所在地は、現在でも静岡市・姫路市・岡山市・大分市など大きな都市として発展している。.

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神護景雲

護景雲(じんごけいうん)は、日本の元号の一つ。天平神護の後、宝亀の前。767年から770年までの期間を指す。この時代の天皇は称徳天皇。 この年号以後、四文字元号が使われたことはない。四文字元号の中では唯一「天平」の文字が入らないが、天平神護から「神護」の名称を引き継いでおり、この年号までがいわゆる『天平文化』の範疇である。.

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築館町

築館町(つきだてちょう)は、宮城県の北部に位置した町である。古くから奥州街道の宿場町として栄えた。2005年4月1日に栗原郡全町村が合併し、栗原市(くりはらし)となった。.

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紀広純

紀 広純(き の ひろずみ、生年不詳 - 宝亀11年3月22日(780年5月1日)は、奈良時代の公卿。大納言・紀麻呂の孫。左衛士督・紀宇美の子。官位は従四位下・参議。勲等は勲四等。.

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続日本紀

『続日本紀』(しょくにほんぎ)は、平安時代初期に編纂された勅撰史書。『日本書紀』に続く六国史の第二にあたる。菅野真道らが延暦16年(797年)に完成した。文武天皇元年(697年)から桓武天皇の延暦10年(791年)まで95年間の歴史を扱い、全40巻から成る。奈良時代の基本史料である。編年体、漢文表記である。略称は続紀(しょっき)。.

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生没年不詳

生没年不詳(せいぼつねんふしょう)とは、歴史上の人物の生没年がともに不明であることを示す。 生没年(せいぼつねん)は、ある個人の生まれた年(生年)、死亡した年(没年)をあわせた名称であり、伝記を記述するに当たって重要な要素の一つである。.

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牡鹿郡

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音読み

音読みは、日本語における漢字の字音による読み方である。.

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道嶋大盾

道嶋 大楯(みちしま の おおたて・おおだて、生年不詳 - 宝亀11年3月22日(780年5月1日))は、奈良時代の官人。名は大盾とも。 陸奥国牡鹿郡の大領。近衛中将・道嶋嶋足の一族とみられる。 伊治呰麻呂を卑しい夷俘の出と侮っており、恨みを持った呰麻呂により、宝亀11年(780年)に殺害された。また、直後には紀広純も殺されている(宝亀の乱)。.

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蝦夷

蝦夷(えみし、えびす、えぞ)は、大和朝廷から続く歴代の中央政権から見て、日本列島の東方(現在の関東地方と東北地方)や、北方(現在の北海道地方)などに住む人々の呼称である。 中央政権の地域が広がるにつれ、この言葉が指し示す人々および地理的範囲は変化した。近世以降は、北海道・樺太・千島列島・カムチャツカ半島南部にまたがる地域の先住民族で、アイヌ語を母語とするアイヌを指す。 大きく、「エミシ、エビス(愛瀰詩、毛人、蝦夷)」と「エゾ(蝦夷)」という2つの呼称に大別される。.

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蝦夷征討

蝦夷征討(えみしせいとう)とは、日本の古代において蝦夷に対して朝廷が行った征討である。中央史観の強かった時代には蝦夷征伐と呼ばれた。.

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訓読み

訓読み(くんよみ)とは、日本語において、個々の漢字をその意味に相当する和語(大和言葉、日本語の固有語)によって読む読み方が定着したもの。一般にひらがなで表記される。字訓(じくん)または単に訓(くん)ともいう。漢字の中国語における発音に由来する「音読み」と対照される。.

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誤記

誤記(ごき)とは書状、用紙、文書などに起り得る単語や文字の意図しない入れ替え(誤字)や脱落(脱字)、追加などによって発生する誤りである。誤表記。特に印刷においては誤植と呼ばれる。 このような誤りは不注意の結果によるもので、故意による結果ではないが、訂正されなければならない。例を挙げると、法廷速記者が損害賠償の額を誤って書き取ったとしても原告はそれに束縛されることはない。 また、秘書や事務員による誤記は経営者など上の人間への非難を反らして、身元がわかりにくく責任の少ない下の人間へ責任転嫁するために使われる常套文句でもある。.

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講談社学術文庫

講談社学術文庫(こうだんしゃがくじゅつぶんこ)は、講談社刊の文庫判・学術書レーベル、1976年(昭和51年)に発足。シンボルマークは、古代エジプトで知識や学問の象徴とされていた「トキ」(アフリカクロトキ)の姿をした神トートである。 単行判・選書新書の(改訂・改題も含む)再刊、古典新訳のみならず、文庫書き下ろしでの出版も多い。約40年間で2000冊代を刊行、重版多数の書目がある一方で、初版のみで品切絶版となった書目も多い。 2011年(平成23年)より、電子書籍版を購入できるiOS用のアプリケーション「選書メチエ&学術文庫」をApp Storeを配信している。.

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関口明

関口 明(せきぐち あきら、1947年 - )は、日本史学者、前札幌国際大学教授。 北海道出身。1976年北海道教育大学札幌校卒。1980年北海道大学大学院文学研究科。静修短期大学講師、同助教授、同教授、札幌国際大学現代社会学部教授。2003年「古代東北の蝦夷と北海道」で北大文学博士。2015年退任。.

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藤原小黒麻呂

藤原 小黒麻呂(ふじわら の おぐろまろ)は、奈良時代の公卿。藤原北家、従五位下・藤原鳥養の次男。官位は正三位・大納言、贈従二位。勲等は勲二等。.

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藤原継縄

藤原 継縄(ふじわら の つぐただ)は、奈良時代後期から平安時代初期にかけての公卿。藤原南家の祖である左大臣・藤原武智麻呂の孫。右大臣・藤原豊成の次男。官位は正二位・右大臣、贈従一位。桃園右大臣あるいは中山を号す。.

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陸奥国

奥国(むつのくに)は、かつて存在した令制国の一つ。東山道に属する。 明治維新後、出羽国とともに分割された後の陸奥国については、陸奥国 (1869-)を参照。.

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陸奥国司

奥国司(むつこくし)は、陸奥国の国司のことである。701年から775年までは、陸奥守、陸奥介、陸奥大掾、陸奥少掾、陸奥大目、陸奥少目の各1人を定員とした。775年に小目が2人に増えた。.

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東北地方

東北地方(とうほくちほう)は、日本の地域のひとつであり、本州東北部に位置している。「奥羽地方(おううちほう)」ともいう。 その範囲に法律上の明確な定義はないものの「そもそも『〜地方』といわれる範囲に、法律上の明確な定義はない(総務省)」 首都圏と関東地方・山梨県を含むか含まないか 『日本経済新聞』 平成24年6月16日S3面、一般には青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県の6県を指す『日本地名大百科』、小学館、1996年、pp.776-777 ISBN 4-09-523101-7。これら6県は、本州の約3割の面積を占める。東北地方は東日本に位置するが、気象や歴史地理学などでは北海道と一緒に北日本とされる。.

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栗原市

栗駒地区は稲屋敷に広がる水田地帯2005年9月撮影。 栗原市(くりはらし)は、宮城県北西部に位置する市。市全域で栗駒山麓ジオパークをなす。.

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栗原郡

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漆紙文書

漆紙文書(うるしがみもんじょ)とは、廃棄文書を漆の入った容器の蓋紙にし、それに漆が浸潤したことによって、腐らずに残った古代の文書。1973年(昭和48年)に多賀城跡(宮城県多賀城市)で初めて発見された 国立歴史民俗博物館。.

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按察使

按察使(あぜち)とは.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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769年

記載なし。

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778年

記載なし。

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780年

記載なし。

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8世紀

イスラム帝国の拡大。ウマイヤ朝時代までにイスラム帝国は中央アジアからイラン・イラクを経て、エジプト・北アフリカを超えてイベリア半島まで拡がった。 ウマイヤド・モスク。ウマイヤ朝第6代カリフのワリード1世により705年にシリアのダマスカスに建築された現存する世界最古のモスクで、カアバ・預言者のモスク・岩のドームに次ぐイスラム教第4の聖地として巡礼者が絶えない。 イスラムの書法。すでに正統カリフ時代にはクルアーンの編纂が行われていたが、この世紀になると洗練された書体が生み出され用いられた。画像はアッバース朝初期に置かれた都クーファの名から「クーフィー体」と呼ばれた書体によるクルアーンの一節。 円城(ムダッワラ)都市バグダード。アッバース朝の第二代カリフ・マンスールによって766年に完成したこの都市はティグリス川に面した交通の要衝で最盛期にはその人口は100万人を擁した。アラビア語で「平安の都」を意味するマディーナ・アッ=サラームとも呼ばれる。画像はアッバース朝時代のバグダードの再現地図。 エローラ石窟群。画像は8世紀にインドのラーシュトラクータ朝の君主クリシュナ1世によりヒンドゥー教のシヴァ神の住むカイラス山(須弥山)になぞらえて建てられた第16窟のカイラサナータ寺院。 ボロブドゥール遺跡。インドネシアのジャワ島ケドゥ盆地にある大規模な仏教遺跡で、シャイレンドラ朝のダルマトゥンガ王時代に造営された。 唐の世界帝国。西域での覇権を確立した唐は華やかな異文化交流で知られることになる。画像は706年に造営された章懐太子李賢の墓の壁画「賓客図」で、黒衣で禿頭の人物は東ローマ帝国の使節と考えられている。 楊貴妃。絶世の美女として名高いばかりでなく、治世後半の玄宗皇帝の寵愛をほしいままにしたことで「傾城」とも「傾国」とも呼ばれる。安禄山の乱に巻き込まれ悲劇的な最期を遂げた。画像は日本の上村松園による歴史画。 大秦景教流行中国碑。781年にキリスト教ネストリウス派(景教)信者で中央アジア出身の伊斯がその伝来の経緯を記録した石碑。画像はその拓本の一部で、碑題の上に十字架があるのが読み取れる。 唐三彩の駱駝。8世紀前半まで唐は中央アジアの覇権を握り交通の要衝を保持していた。画像は駱駝に乗るソグド人と思われる西域の商人(上海博物館蔵)。 国立アジア美術館(ベルリン美術館)蔵)。 天平文化。遣唐使の頻繁な行き来により盛唐の文物が招来され、710年に遷都された平城京では国際色の豊かな文化が花開いた。画像はこの時代を代表する東大寺法華堂執金剛神。 平安遷都。桓武天皇により平城京から長岡京を経て平安京に都が遷った。平安京は長きにわたって都となり「千年の都」と呼ばれるようになる。画像は桓武天皇の肖像(延暦寺蔵)。 キー・ローのモノグラムの頁(Folio 34r)でトリニティ・カレッジ (ダブリン大学)図書館が所蔵している。 アーヘン大聖堂宝物館のカール大帝の胸像。カール大帝の800年の「西ローマ帝国復興」は東ローマ帝国との間に「二帝問題」の軋轢を生んだ。 8世紀(はちせいき、はっせいき)は、西暦701年から西暦800年までの100年間を指す世紀。.

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