ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

伊勢貞丈

索引 伊勢貞丈

伊勢 貞丈(いせ さだたけ、享保2年12月28日(1718年1月29日) - 天明4年5月28日(1784年7月15日))は、江戸時代中期の旗本(幕臣)・伊勢流有職故実研究家。江戸幕府寄合・御小姓組蕃士。旗本・伊勢貞益の次男、兄は貞陳。子に娘(伊勢貞敦室)。幼名は万助、通称は兵庫、平蔵。安斎と号した。有職読みでテイジョウと呼ばれることもある。 伊勢氏は元々室町幕府政所執事の家柄であり礼法に精通し、江戸幕府3代将軍徳川家光の時に貞丈の曾祖父伊勢貞衡(さだひら)が召し出された。享保11年(1726年)、兄貞陳が13歳で夭折して伊勢氏は一旦断絶したが、弟である貞丈が10歳で再興、300石を賜り寄合に加えられた。この時、12歳と年齢を詐称している。延享2年(1745年)9月13日に28歳で御小姓組に番入り、儀式の周旋、将軍出行の随行などにあたった。貞丈は特に中世以来の武家を中心とした制度・礼式・調度・器具・服飾などに詳しく武家故実の第一人者とされ、伊勢流中興の祖となった。 天明4年(1784年)3月致仕し麻布に隠居したが、5月28日に死去、享年67。但し、幕府には卒日は6月1日と届けだされ、『寛政重修諸家譜』には6月5日と記載されている。法名は「長誉」、西久保大養寺(現:東京都世田谷区大吉寺)に葬る。家督は婿養子・竹中定矩の3男貞敦が病気を理由に辞退したため、貞敦の子で外孫の伊勢貞春が継承した。大吉寺に書像が残る。 有職故実に関する著書を数多く残し、『平義器談』『四季草』『貞丈雑記(子孫への古書案内、故実研究の参考書として、宝暦13年から亡くなるまでの 22年間にわたり、武家の有職に関する事項を36部門に分けて記したもの)』『貞丈家訓』『安斎随筆(公家・武家の有職故実や事物の起源、字訓の正誤などを広く随録したもの)』『安斎雑考』『安斎小説』『刀剣問答』『軍用記』『犬追物類鏡』『座右書』『武器考証』『鎧着用次第』『包結図説』『条々聞書貞丈抄』『神道独語』などがある。 森鴎外は、貸本屋であまたの随筆類を読み尽くしたのち、伊勢貞丈の故実の書等に及ぶようになれば貸本文学も卒業となる、と記している。.

57 関係: 執事さかやき吉川弘文館天明外孫室町幕府寛政重修諸家譜小姓組小烏丸中央公論新社中世中公新書世田谷区幕臣享年享保延享伊勢氏伊勢流征夷大将軍徳川家光制度先代旧事本紀礼式竹内誠道具非理法権天額田巌西久保 (東京都港区)調度貞丈雑記折形東京都森鴎外武家江戸幕府江戸時代深井雅海服飾有職読み有職故実旗本旗本寄合席政所12月28日 (旧暦)1718年1726年1745年1784年1980年...1月29日2005年5月28日 (旧暦)6月1日 (旧暦)6月5日 (旧暦)7月15日9月13日 (旧暦) インデックスを展開 (7 もっと) »

執事

執事(しつじ)とは、役職名であるが、使用された時期や場所によって意味合いが異なってくる。.

新しい!!: 伊勢貞丈と執事 · 続きを見る »

さかやき

さかやき(月代)とは、江戸時代以前の日本にみられた成人男性の髪型において、前頭部から頭頂部にかけての、頭髪を剃りあげた(抜き上げた)部分を指す。さかやきを剃った髪型のことは、野郎頭や半髪頭と表現される。.

新しい!!: 伊勢貞丈とさかやき · 続きを見る »

吉川弘文館

吉川弘文館(よしかわこうぶんかん)は日本史関連を主軸とした老舗の出版社。1857年(安政4年)に、吉川半七により設立。戦後1949年(昭和24年)に株式会社として現在に至る。.

新しい!!: 伊勢貞丈と吉川弘文館 · 続きを見る »

天明

天明(てんめい)は日本の元号の一つ。安永の後、寛政の前。1781年から1789年までの期間を指す。この時代の天皇は光格天皇。江戸幕府将軍は徳川家治、徳川家斉。.

新しい!!: 伊勢貞丈と天明 · 続きを見る »

外孫

外孫(がいそん)は、父系制の家族制度のもとで、他家に嫁いだ娘が生んだ子のこと。「そとまご」とも言う。 戦後の日本においては、内孫(嫡孫)と外孫の違いはあまり意識されることはなく、外孫の語が用いられることも少ない。.

新しい!!: 伊勢貞丈と外孫 · 続きを見る »

室町幕府

花の御所(室町殿) 室町幕府(むろまちばくふ)は、足利尊氏が京都において軍事貴族(武家貴族)として創始した武家政権。その称は3代将軍足利義満が京都北小路室町(現在の今出川通と室町通が交わる付近)に造営した花の御所(室町殿)に由来する。足利幕府ともいう。足利氏が15代にわたって将軍職を継承したが、織田信長によって事実上の滅亡に追い込まれた。.

新しい!!: 伊勢貞丈と室町幕府 · 続きを見る »

寛政重修諸家譜

『寛政重修諸家譜』(かんせいちょうしゅうしょかふ)は、寛政年間(1789年 - 1801年)に江戸幕府が編修した大名や旗本の家譜集である。1,530巻。文化9年(1812年)10月に完成した。『寛政譜』と略称される。.

新しい!!: 伊勢貞丈と寛政重修諸家譜 · 続きを見る »

小姓組

小姓組(こしょうくみ)とは、江戸幕府及び諸藩の組織で、軍事を司る番方(武官)のひとつ。.

新しい!!: 伊勢貞丈と小姓組 · 続きを見る »

小烏丸

小烏丸(こがらすまる)は、平家一門の家宝であり刀工「天国」(あまくに)作と伝えられる日本刀。なお、ここでは現在皇室御物になっている小烏丸(無銘)について記載している。.

新しい!!: 伊勢貞丈と小烏丸 · 続きを見る »

中央公論新社

株式会社中央公論新社(ちゅうおうこうろんしんしゃ)は、日本の出版社である。読売新聞グループ本社の傘下。略称は中公(ちゅうこう)。 本項では、旧法人の株式会社中央公論社(ちゅうおうこうろんしゃ)についても述べる。.

新しい!!: 伊勢貞丈と中央公論新社 · 続きを見る »

中世

中世(ちゅうせい、英語:middle ages)は、狭義には西洋史の時代区分の一つで、古代よりも後、近代または近世よりも前の時代を指す。17世紀初頭の西洋では中世の観念が早くも定着していたと見られ、文献上の初見は1610年代にまでさかのぼる。 また、広義には、西洋史における中世の類推から、他地域のある時代を「中世」と呼ぶ。 ただし、あくまでも類推であって、西洋史における中世と同じ年代を指すとは限らないし、「中世」という時代区分を用いない分野のことも多い。 また、西洋では「中世」という用語を専ら西洋史における時代区分として使用する。 例えば英語では日本史における「中世」を通常は「feudal Japan」(封建日本)や「medieval Japan」(中世日本)とする。.

新しい!!: 伊勢貞丈と中世 · 続きを見る »

中公新書

中公新書(ちゅうこうしんしょ)は、中央公論新社(読売新聞グループ)が発行している新書レーベルの1つ。現行の新書レーベルでは岩波新書に次ぐ歴史がある。サブレーベルとして中公PC新書、中公新書ラクレがある。.

新しい!!: 伊勢貞丈と中公新書 · 続きを見る »

世田谷区

世田谷区(せたがやく)は、東京都の特別区の一つで、東京23区の南西部に位置する。東京都内最大の人口を有する特別区。.

新しい!!: 伊勢貞丈と世田谷区 · 続きを見る »

幕臣

幕臣(ばくしん)は、幕府の長である征夷大将軍を直接の主君として仕える武士のことである。 一般的には、江戸時代において徳川家の臣下のうち、1万石未満の禄を与えられた旗本および御家人と呼ばれる身分の者のことを指す。 彼ら旗本・御家人は、所領を与えられた者でも領地への下向を行わずに江戸に常時居住し(交代寄合として大名同様参勤交代を行うものもいた)、自身の知行高に定められた軍役を果たす準備を満たして将軍家の常備直轄軍事力としての役割を果たす一方で、江戸幕府の各種の役職(軍職の番方や吏務職の役方)を果たし、幕府の軍人・官僚として仕えた。 幕臣は幕藩体制のもとで特権を認められる世襲の武士身分であったが、江戸時代中頃から経済的に窮乏するようになり、下層の御家人の間では御家人株の売買による身分の流動が見られた。.

新しい!!: 伊勢貞丈と幕臣 · 続きを見る »

享年

享年(きょうねん)とは人が「天から享(う)けた年数」という意味であり、この世に存在した年数である。「行年(ぎょうねん)」ともいい「娑婆で修行した年数」、「行(時が進むの意味)『漢字源』学研、「行」の項を参照。の年数」の意味。「享年70(満68歳)」(数え年の場合)のように用いる。享年を数え年ではなく満年齢で表し「享年68(歳)」と表すこともある。.

新しい!!: 伊勢貞丈と享年 · 続きを見る »

享保

享保(きょうほう、きょうほ)は日本の元号の一つ。正徳の後、元文の前。1716年から1736年までの期間を指す。この時代の天皇は中御門天皇、桜町天皇。江戸幕府将軍は徳川吉宗。.

新しい!!: 伊勢貞丈と享保 · 続きを見る »

延享

延享(えんきょう)は日本の元号の一つ。寛保の後、寛延の前。1744年から1748年までの期間を指す。この時代の天皇は桜町天皇、桃園天皇。江戸幕府将軍は徳川吉宗、徳川家重。.

新しい!!: 伊勢貞丈と延享 · 続きを見る »

伊勢氏

伊勢氏(いせし)は、日本の氏族で桓武平氏維衡流の氏族。室町時代には室町幕府の政所執事を世襲、江戸時代には旗本として仕え、武家の礼法である『伊勢礼法』を創始し、有職故実の家として知られた。.

新しい!!: 伊勢貞丈と伊勢氏 · 続きを見る »

伊勢流

伊勢流(いせりゅう)は、伊勢氏によって確立、伝承された武家礼法の流派 安藤綾信 『安藤家の伝承ごと:茶道・香道・礼法』 東洋出版 2005 ISBN 4809682064 pp.118-119.

新しい!!: 伊勢貞丈と伊勢流 · 続きを見る »

征夷大将軍

征夷大将軍(せいいたいしょうぐん 旧字体:征夷大將軍)は、朝廷の令外官の一つである。「征夷」は、蝦夷を征討するという意味。 飛鳥時代・奈良時代以来、東北地方の蝦夷征討事業を指揮する臨時の官職は、鎮東将軍・持節征夷将軍・持節征東大使・持節征東将軍・征東大将軍などさまざまにあったが、奈良末期に大伴弟麻呂が初めて征夷大将軍に任命された。征夷大将軍(征夷将軍)の下には、征夷副将軍・征夷軍監・征夷軍曹、征東将軍(大使)の下には、征東副将軍(副使)・征東軍監・征東軍曹などの役職が置かれた。 大伴弟麻呂の次の坂上田村麻呂は阿弖流為を降して勇名を馳せたが、次の文室綿麻呂が征夷将軍に任ぜられた後は途絶えた。平安中期に藤原忠文が、平安末期には源義仲が征東大将軍に任じられたが、もはや蝦夷征討を目的としたものではなかった。なお、後述のとおり、義仲が任命されたのは征東大将軍であり、従来考えられていた征夷大将軍ではなかったことが明らかにされている。 平氏政権・奥州藤原氏を滅ぼして武家政権(幕府)を創始した源頼朝は「大将軍」の称号を望み、朝廷は坂上田村麻呂が任官した征夷大将軍を吉例としてこれに任じた。以降675年間にわたり、武士の棟梁として事実上の日本の最高権力者である征夷大将軍を長とする鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府が(一時的な空白を挟みながら)続いた。慶応3年(1867年)徳川慶喜の大政奉還を受けた明治新政府が王政復古の大号令を発し、征夷大将軍職は廃止された。.

新しい!!: 伊勢貞丈と征夷大将軍 · 続きを見る »

徳川家光

徳川 家光(とくがわ いえみつ)は、江戸幕府の第3代将軍(在職:1623年 - 1651年)。2代将軍秀忠の次男(嫡男)である。母は浅井長政の娘で織田信長の姪にあたる江。乳母は春日局(福)、乳兄弟に稲葉正勝、稲葉正吉、稲葉正利がいる。 15人の徳川将軍のうち、(父親の)正室の子は、家康・家光・慶喜の3人のみであり、さらに将軍の御内室(御台所)が生んだ将軍は家光のみである。.

新しい!!: 伊勢貞丈と徳川家光 · 続きを見る »

制度

制度(せいど、, )は人間行動の定型化されたパターン。社会関係を円滑に営むために社会を構成する集団の構成者や、その社会の統治者によって定められた決まりごととして定式化され公認されていることが多い。集団の構成者個々の意志は別として集団の構成者全員が締結した契約として考え得るほど拘束力を強めることがある。制度の効力はそれを定めた各集団に限られるが、他の集団に対しても影響を与えている。社会全般に関わる制度を社会制度という。法治国家に於ける制度は法によって定められている。 改革(かいかく)は既存の制度、機構、組織等を改めることである。 社会に於ける制度は、構成者の持つ権益を守り、相互の利害を調整することを目的としている。この目的を達成するためには、構成者全員が納得する形で定める必要があるが、現在に於いても利害関係の衝突から定めることが困難な場合がある。.

新しい!!: 伊勢貞丈と制度 · 続きを見る »

先代旧事本紀

『先代旧事本紀』(せんだいくじほんぎ、先代舊事本紀)は、日本の史書であり、神道における神典である。『旧事紀』(くじき)、『旧事本紀』(くじほんぎ)ともいう。全10巻からなり、天地開闢から推古天皇までの歴史が記述されている。 序文に聖徳太子、蘇我馬子らが著したとあるが、江戸時代の国学者である多田義俊、伊勢貞丈、本居宣長らによって偽書とされた。現在では大同年間(806年~810年)以後、延喜書紀講筵(904年~906年)以前に成立したとみられている。 物部氏の氏族伝承など部分的に資料価値があると評価する立場の者もいる。.

新しい!!: 伊勢貞丈と先代旧事本紀 · 続きを見る »

礼式

式(れいしき).

新しい!!: 伊勢貞丈と礼式 · 続きを見る »

竹内誠

竹内 誠(たけうち まこと、1933年 - )は、日本の歴史学者・江戸時代学者、徳川林政史研究所所長、江戸東京博物館名誉館長。.

新しい!!: 伊勢貞丈と竹内誠 · 続きを見る »

道具

道具(どうぐ)とは、.

新しい!!: 伊勢貞丈と道具 · 続きを見る »

非理法権天

非理法権天(ひりほうけんてん)は、近世日本の法観念を表しているとされる法諺。.

新しい!!: 伊勢貞丈と非理法権天 · 続きを見る »

額田巌

額田 巌(ぬかた いわお、1911年9月12日- 1993年11月)は、日本の工学者。包結研究家。学位は工学博士、文学博士。.

新しい!!: 伊勢貞丈と額田巌 · 続きを見る »

西久保 (東京都港区)

西久保(にしくぼ)は東京都港区にあった地名。およそ現在の虎ノ門二~五丁目に当たる。愛宕山西側にって窪地を形成する。.

新しい!!: 伊勢貞丈と西久保 (東京都港区) · 続きを見る »

調度

調度(ちょうど)とは、身の回りに置かれ、日常生活において用いられる道具・家具・その他日用品の類を広く指して用いる言葉。時代や階層によって対象になる事物は異なった。.

新しい!!: 伊勢貞丈と調度 · 続きを見る »

貞丈雑記

貞丈雑記(ていじょうざっき)は、江戸時代後期の有職故実書。 16巻,36部。伊勢貞丈著。子孫への古書案内,故実研究の参考書として,宝暦 13 (1763) ~天明4 (84) 年の 22年間にわたり執筆。草稿のまま伝わったのを岡田光大が校訂して天保 14 (1843) 年に刊行した。 現代の翻刻として平凡社東洋文庫から全4冊で刊行されている(島田勇雄校訂).

新しい!!: 伊勢貞丈と貞丈雑記 · 続きを見る »

折形

折形(おりがた)礼法は、広く普及した折り紙(おりがみ)の源流。和紙を手づから折り目正しく折り、物を心を込めて包み渡す 600年以上の歴史を持つ日本の由緒正しき礼法の1つである。 古文書によれば、原型は鎌倉時代に誕生。 室町時代の三代将軍、足利義満が武家独自の礼法としてこれを明確に制定した。 指南役である高家(伊勢家、小笠原家、今川家(後の吉良家)の、 伊勢家は主に内の礼法(殿中の礼法)、小笠原家は主に外の礼法(主に弓馬礼法)を任せ 大名・旗本などに限って家伝(口頭伝承)、と共に雛形を使い秘伝伝承した。 その武家の礼法の一つが折紙礼法(おりがみれいほう)、または折形(おりがた)である。 ただし現在一般的に広く知られる日本の折り紙(おりがみ)は江戸時代には、折紙礼法(おりがみれいほう)が遊戯用に発展し 本来の礼法、作法、意味、目的を失ってしまった。 江戸時代中期の故実家であり、伊勢家(殿中の礼法を指南する高家)伊勢貞丈(いせさだたけ)はこれを憂い、 貞丈雑記(ていじょうざっき)や包結図説(ほうけつずせつ) にて将軍家に伝わる本来の、階級別、用途別に和紙と折り方を使い分け、その意味や目的を明記し、正しい折形礼法(おりがたれいほう)を後世に 唯一正しい文献として秘伝の内容を後世にこれを一般の民にも広め残した。 折紙(おりがた、おりかた)には流派はなく、原点を調べていくと全て この武家の礼法一つになる。前述の包結図説(ほうけつずせつ)にも伊勢流、小笠原流といったものはなく あえていうならば将軍流(武家礼法)一つであるとされている。 折紙(おりがみ)、折紙礼法(おりがみれいほう)、折形(おりがた、おりかた)とを分けて呼ぶようになったのは昭和初期ごろ。 礼法学者、美学者であった山根章弘(やまねあきひろ)は、本来、折紙礼法(おりがみれいほう)と呼ばれていた礼法である折り紙(おりがみ)が、 遊びの折り紙と混同され本来の姿を留めなくなってきたため、また遊戯折紙と折紙礼法を明確に分ける為に、 「折る方法」と読まれ誤解を招きやすい呼称折形(おりかた)を折形(おりがた)と呼び直した。 吉凶に則らないデザイン、和紙の香りの組み合わせや、水引の本数、で創作された「折形」は「折形」とはいわず、遊戯折り紙または折紙デザインに なってしまった。デザインを研究するものではない。 「折形」とは本来の意味、吉凶の原則、折り手順、渡し方から受け取り方、置き方までが、明確に決まっている礼法である。 例えていうならば、現代の祝儀袋(あえて、折形の祝儀包みと差別化)には10本の水引きが糊で貼られているが 水引きひとつとっても、本数は陽数である必要があり、1、3、5、7、9本(弔事は4本)以外の水引きはあってはならず 10は、0すなわち陰の最低の位の数であるため、あってはならない。市販の祝儀袋には間違っているものが多く散見される。 貞丈雑記(ていじょうざっき)や包結図説(ほうけつずせつ) を見れば本来の礼法・込められた本意からいかに外れているかが明確だ。.

新しい!!: 伊勢貞丈と折形 · 続きを見る »

東京都

東京都シンボルマーク。1989年(平成元年)に旧東京市の成立100周年を記念して同年6月1日に制定。「東京都の頭文字の「T」を中央に秘めている『都政 2012』東京都生活文化局広報広聴部広報課 編集・発行、2012年3月発行。東京都が作成した、240ページほどの冊子。」と解説されている。(都の木はイチョウではあるが)イチョウの葉の形を象ったわけではない、という。 東京都(とうきょうと)は、日本の首都事実上の首都。詳細後述であり、関東地方に位置する東京都区部(東京23区)、多摩地域(市部、西多摩郡)、島嶼部(大島支庁・三宅支庁・八丈支庁・小笠原支庁)を管轄する広域地方公共団体(都道府県)の一つである。都庁所在地は新宿区(東京と表記する場合もある)。 都公認の英語の表記はTokyo Metropolis (Tokyo Met.) 。他にはTokyo PrefectureとTokyo Metropolitan Prefectureがある。.

新しい!!: 伊勢貞丈と東京都 · 続きを見る »

森鴎外

森 外(もり おうがい、1862年2月17日(文久2年1月19日) - 1922年(大正11年)7月9日)は、日本の明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医(軍医総監=中将相当)、官僚(高等官一等)。位階勲等は従二位・勲一等・功三級・医学博士・文学博士。本名は森 林太郎(もり りんたろう)。 石見国津和野(現・島根県津和野町)出身。東京大学医学部入学時は第一大学区医学校予科卒業。 大学卒業後、陸軍軍医になり、陸軍省派遣留学生としてドイツでも軍医として4年過ごした。帰国後、訳詩編「於母影」、小説「舞姫」、翻訳「即興詩人」を発表する一方、同人たちと文芸雑誌『しがらみ草紙』を創刊して文筆活動に入った。その後、日清戦争出征や小倉転勤などにより、一時期創作活動から遠ざかったものの、『スバル』創刊後に「ヰタ・セクスアリス」「雁」などを発表。乃木希典の殉死に影響されて「興津弥五右衛門の遺書」を発表後、「阿部一族」「高瀬舟」など歴史小説や史伝「澁江抽斎」等も執筆した。 晩年、帝室博物館(現在の東京国立博物館・奈良国立博物館・京都国立博物館等)総長や帝国美術院(現日本芸術院)初代院長なども歴任した。.

新しい!!: 伊勢貞丈と森鴎外 · 続きを見る »

武家

武家(ぶけ)とは、日本における軍事を主務とする官職を持った家系・家柄の総称。江戸時代には武家官位を持つ家系をいう。広義的に現代では武士一般を指すこともある。.

新しい!!: 伊勢貞丈と武家 · 続きを見る »

江戸幕府

江戸城天守 江戸幕府(えどばくふ)は、1603年に征夷大将軍に任官した徳川家康が創設した武家政権である。終末期は、一般的には大政奉還が行われた1867年までとされる(他に諸説あり、後述)。江戸(現・東京都)に本拠を置いたのでこう呼ばれる。徳川幕府(とくがわばくふ)ともいう。安土桃山時代とともに後期封建社会にあたる。.

新しい!!: 伊勢貞丈と江戸幕府 · 続きを見る »

江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

新しい!!: 伊勢貞丈と江戸時代 · 続きを見る »

深井雅海

深井雅海(ふかい まさうみ、1948年-)は、日本の歴史学者、聖心女子大学教授。財団法人徳川黎明会徳川林政史研究所副所長。近世政治史が専門。.

新しい!!: 伊勢貞丈と深井雅海 · 続きを見る »

服飾

服飾(ふくしょく)とは、人がその身体の上にまとう衣服や装身具(装飾品)類、またそれらの組み合わせの様式である。衣装(衣裳)(いしょう)ともいい、また特に装いに注目して服装(ふくそう)とも言う。服飾や服装という用語には主に2つの用いられ方があり、ひとつは衣服・被服などとほぼ同義で用いられ、もうひとつは身体と衣服が一体化した姿(着装姿)、またそれらの一定の組み合わせの様式を指すブリタニカ百科事典「服装」。本項では主に後者について論じる。 服飾は時代、民族、地域、性別、年齢、階級、職業等によって異なり、また着用機会によっても異なる様式が用いられる。それらの様式は禁令や服装規定( ドレスコード)やファッション(流行)、あるいは民族主義、ナショナリズム等によって強化され、人間社会において、多くの服飾の様式は特定の属性や思想等を表現するものとなっている。特に民族服(民族衣装)は、地域の(または亡命者の)自己同一性を表し、文化の独自性を強調し、国家の尊厳の源となる。また、通過儀礼や祝祭、祝日には特別な衣装が着用される場合も多い。例えば成人式の特別な衣装、新年やクリスマス等の特別の晴れ着等である。 服飾は基本は自らの立場・状況、また嗜好に応じた様式が選択されるが、意図的にそれとは違う服飾が着用される場合もある。例えば、自らの立場を隠して活動するための変装、一時的に異なる立場の装いを楽しむ仮装、演劇や舞台芸術における扮装等である。仮面舞踏会やキリスト教文化圏における謝肉祭、アメリカ合衆国におけるハロウィン等、特別な衣装として仮装が求められる場合もある。.

新しい!!: 伊勢貞丈と服飾 · 続きを見る »

有職読み

有職読み(ゆうそくよみ)は、日本において古来からの慣例に従って、漢字で書かれた語を特別な読み方で読むこと。.

新しい!!: 伊勢貞丈と有職読み · 続きを見る »

有職故実

有職故実(ゆうそくこじつ)とは、古来の先例に基づいた、朝廷や公家、武家の行事や法令・制度・風俗・習慣・官職・儀式・装束などのこと。また、それらを研究すること。.

新しい!!: 伊勢貞丈と有職故実 · 続きを見る »

旗本

旗本(はたもと)は、中世から近世の日本における武士の身分の一つ。主として江戸時代の徳川将軍家直属の家臣団のうち石高が1万石未満で、儀式など将軍が出席する席に参列する御目見以上の家格を持つ者の総称。旗本格になると、世間的には「殿様」と呼ばれる身分となった。旗本が領有する領地、およびその支配機構(旗本領)は知行所と呼ばれた。 元は中世(戦国時代)に戦場で主君の軍旗を守る武士団を意味しており、主家からすると最も信頼できる「近衛兵」の扱いであった。.

新しい!!: 伊勢貞丈と旗本 · 続きを見る »

旗本寄合席

旗本寄合席(はたもとよりあいせき)は、江戸幕府の3,000石以上の上級旗本無役者・布衣以上の退職者(役寄合)の家格。正しくは、寄合という。旗本の家格にはほかに高家・小普請組がある。若年寄支配。交代寄合は旗本寄合席に含まれ、寄合御役金を支払うが、老中支配である。幕末には交代寄合を含め180家が存在した。.

新しい!!: 伊勢貞丈と旗本寄合席 · 続きを見る »

政所

政所(まんどころ)は、.

新しい!!: 伊勢貞丈と政所 · 続きを見る »

12月28日 (旧暦)

旧暦12月28日は旧暦12月の28日目である。六曜は先負である。.

新しい!!: 伊勢貞丈と12月28日 (旧暦) · 続きを見る »

1718年

記載なし。

新しい!!: 伊勢貞丈と1718年 · 続きを見る »

1726年

記載なし。

新しい!!: 伊勢貞丈と1726年 · 続きを見る »

1745年

記載なし。

新しい!!: 伊勢貞丈と1745年 · 続きを見る »

1784年

記載なし。

新しい!!: 伊勢貞丈と1784年 · 続きを見る »

1980年

この項目では、国際的な視点に基づいた1980年について記載する。.

新しい!!: 伊勢貞丈と1980年 · 続きを見る »

1月29日

1月29日(いちがつにじゅうくにち)は、グレゴリオ暦で年始から29日目に当たり、年末まであと336日(閏年では337日)ある。.

新しい!!: 伊勢貞丈と1月29日 · 続きを見る »

2005年

この項目では、国際的な視点に基づいた2005年について記載する。.

新しい!!: 伊勢貞丈と2005年 · 続きを見る »

5月28日 (旧暦)

旧暦5月28日は旧暦5月の28日目である。六曜は友引である。.

新しい!!: 伊勢貞丈と5月28日 (旧暦) · 続きを見る »

6月1日 (旧暦)

旧暦6月1日(きゅうれきろくがつついたち)は旧暦6月の1日目である。六曜は赤口である。.

新しい!!: 伊勢貞丈と6月1日 (旧暦) · 続きを見る »

6月5日 (旧暦)

旧暦6月5日(きゅうれきろくがついつか)は旧暦6月の5日目である。六曜は仏滅である。.

新しい!!: 伊勢貞丈と6月5日 (旧暦) · 続きを見る »

7月15日

7月15日(しちがつじゅうごにち)はグレゴリオ暦で年始から196日目(閏年では197日目)にあたり、年末まであと169日ある。誕生花はネムノキ、カンナ。.

新しい!!: 伊勢貞丈と7月15日 · 続きを見る »

9月13日 (旧暦)

旧暦9月13日は旧暦9月の13日目である。六曜は先負である。.

新しい!!: 伊勢貞丈と9月13日 (旧暦) · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »