66 関係: 反魂香、古庫裏婆、否哉、多田克己、大座頭、天狗礫、夜泣き石 (小夜の中山)、妖怪、安珍・清姫伝説、安永 (元号)、小袖の手、小雨坊、屏風のぞき、岸涯小僧、京極夏彦、人面樹、人魚、今昔画図続百鬼、彭侯、影女、後神、和漢三才図会、アヤカシ (妖怪)、国書刊行会、倩兮女、火前坊、火間虫入道、灯台鬼、硯の魂、稲田篤信、紅葉伝説、羅城門の鬼、画図百鬼夜行、燭陰、煙々羅、狂骨、目競、目目連、白粉婆、白澤、隠れ里、芭蕉精、芸能、青行燈、風狸、角川書店、高田衛、鬼一口、鬼童丸、鳥山石燕、...、蜃気楼、茂林寺の釜、蓑火、雨女、蛇帯、蛇骨婆、村上健司、機尋、殺生石、毎日新聞社、毛羽毛現、泥田坊、滝霊王、朧車、日本の妖怪一覧、1781年。 インデックスを展開 (16 もっと) »
反魂香
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「返魂香」 反魂香、返魂香(はんこんこう、はんごんこう)は、焚くとその煙の中に死んだ者の姿が現れるという伝説上の香。 もとは中国の故事にあるもので、中唐の詩人・白居易の『李夫人詩』によれば、前漢の武帝が李夫人を亡くした後に道士に霊薬を整えさせ、玉の釜で煎じて練り、金の炉で焚き上げたところ、煙の中に夫人の姿が見えたという。 日本では江戸時代の『好色敗毒散』『雨月物語』などの読本や、妖怪画集の『今昔百鬼拾遺』、人形浄瑠璃・歌舞伎の『傾城反魂香』などの題材となっている。『好色敗毒散』には、ある男が愛する遊女に死なれ、幇間の男に勧められて反魂香で遊女の姿を見るという逸話があり、この香は平安時代の陰陽師・安倍晴明から伝わるものという設定になっている。また、落語の「反魂香」「たちぎれ線香」などに転じた。 なお明朝の万暦年間に書かれた体系的本草書の決定版『本草綱目』木之1返魂香では、次のとおり記載されている。.
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古庫裏婆
鳥山石燕 『今昔百鬼拾遺』より「古庫裏婆」 古庫裏婆(こくりばばあ)は、鳥山石燕による江戸時代の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にある日本の妖怪で、老婆のすがたをした妖怪。.
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否哉
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「否哉」 否哉(いやや)は、鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にある日本の妖怪。.
多田克己
多田 克己(ただ かつみ、1961年7月24日 - )は、東京都出身の日本の妖怪研究家、作家、グラフィックデザイナー。世界妖怪協会・世界妖怪会議評議員。 中国の妖怪に関して造詣が深く、それらの流れを汲む日本の妖怪の解説書も執筆。また、国書刊行会による妖怪図鑑の編者でもある。 友人である京極夏彦の百鬼夜行シリーズに登場するキャラクター「多々良 勝五郎(たたら かつごろう)」のモデルでもある。.
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大座頭
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「大座頭」 大座頭(おおざとう)は、鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』にある日本の妖怪。 解説文には以下のようにある。 現代語訳は以下の通り。 妖怪研究家・村上健司は、夜に徘徊している座頭の姿を石燕が異形視し、妖怪として描いたとしている。また妖怪研究家・多田克己によれば、江戸時代には座頭は幕府の庇護のもとで金融業にも携わっていたことから、鬼のように恐ろしい借金取りとしての座頭の姿を描いたものとしている。.
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天狗礫
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「天狗礫」 天狗礫(てんぐつぶて)とは、石が空から突然降ってくるという現象。 海外ではこういった現象の総称をファフロツキーズと呼ぶ。.
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夜泣き石 (小夜の中山)
夜泣石鳥山石燕 『今昔百鬼拾遺』解説文に「遠州中山で妊婦が殺され…」とあることから、本項の夜泣き石を描いたものとされる 夜泣き石(よなきいし)は、静岡県(旧遠江国)掛川市佐夜鹿の小夜の中山(さよのなかやま)峠にある石。夜になると泣くという伝説があり、遠州七不思議のひとつに数えられる。 地図上では佐夜の中山と表記されるが、夜泣き石の伝説においては小夜の中山と表記されることが多い。このページでは小夜の中山とする。.
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妖怪
妖怪(ようかい)は、日本で伝承される民間信仰において、人間の理解を超える奇怪で異常な現象や、あるいはそれらを起こす、不可思議な力を持つ非日常的・非科学的な存在のこと。妖(あやかし)または物の怪(もののけ)、魔物(まもの)とも呼ばれる。 妖怪は日本古来のアニミズムや八百万の神の思想と人間の日常生活や自然界の摂理にも深く根ざしており、その思想が森羅万象に神の存在を見出す一方で、否定的に把握された存在や現象は妖怪になりうるという表裏一体の関係がなされてきた。.
安珍・清姫伝説
竹のひと節 日高川」 義太夫節『日高川』の場面を描く。楊洲周延画。 安珍・清姫伝説(あんちんきよひめでんせつ)とは、紀州道成寺にまつわる伝説のこと。思いを寄せた僧の安珍に裏切られた少女の清姫が激怒のあまり蛇に変化し、道成寺で鐘ごと安珍を焼き殺すことを内容としている。.
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安永 (元号)
安永(あんえい)は日本の元号の一つ。明和の後、天明の前。1772年から1781年までの期間を指す。この時代の天皇は後桃園天皇、光格天皇。江戸幕府将軍は徳川家治。.
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小袖の手
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「小袖の手」 竜閑斎画『狂歌百物語』より「小袖手」 小袖の手(こそでのて)は、鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』などの江戸時代の古書にある日本の妖怪。小袖(袖口の狭い高級な和服)の袖から、幽霊らしき女性の手が伸びたもの。.
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小雨坊
小雨坊、鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』 小雨坊(こさめぼう)は、鳥山石燕による江戸時代の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にある日本の妖怪。 雨の降る中に立つ僧侶のすがたで描かれている。石燕によると、「小雨坊は 雨そぼふる夜、大みねかつらぎの山中に徘徊して 斎料(ときりやう)をこふとなん」とあり、雨の夜に修験道の霊山・大峰山や葛城山に現れては、斎料(ときりょう。僧侶に対する布施)乞うという情報が読み取れるが、詳細は不明。 昭和・平成の妖怪関連の文献では、旅人から粟(アワ)あるいは少量の食物や小銭をねだる妖怪として小雨坊が解説されていることがある。山田野理夫の著書『東北怪談の旅』では、寛文11年(1671年)に雨の降る津軽街道の山中で、小雨坊なる者が旅人に粟をねだったという話が紹介されている。粟をねだる行動はこの話にある小雨坊の行動を引用したものであり、津軽地方のものとして紹介されているこの小雨坊と石燕の描いた小雨坊とは無関係であると考えられている。.
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屏風のぞき
屛風闚」 屛風闚(びょうぶのぞき)は、鳥山石燕による妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にある日本の妖怪。.
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岸涯小僧
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「岸涯小僧」 岸涯小僧(がんぎこぞう)は、鳥山石燕の江戸時代の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にある妖怪。「岸崖小僧」との表記もある。 画図には全身が毛に覆われた河童のような妖怪が描かれており、石燕による同書の解説文によれば、やすりのような歯を持ち、川辺で魚を獲るものとされている。山口県の民俗語彙には「タキワロ」という山の妖怪があり、これが海に入るとエンコ(河童)になるといわれ、「タキ」とは「崖」を指すことから、岸涯小僧はこのタキワロの類との推察もある。 水木しげるロードに設置されている「岸涯小僧」のブロンズ像 水木しげるの著書によれば、口を開けた姿が歯車の雁木に似ているところから「雁木小僧」とも表記し、おかっぱ頭のような髪、手足に水下記を持ち、魚を捕えて頭から食べるとある。岸辺で岸涯小僧に遭遇した魚屋は、最も安くて大きな魚を1匹投げて逃げ出したとされている。 実際には、『今昔百鬼拾遺』以外の古典や民間伝承に岸涯小僧の名は確認されておらず、文献によっては伝承を伴わない、絵画のみの妖怪として分類されている、石燕の創作物との指摘もある。そのような事情から、民間伝承における河童と同類とはいえないとの意見もある。.
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京極夏彦
京極 夏彦(きょうごく なつひこ、1963年3月26日 - )は、日本の小説家、妖怪研究家、アートディレクター。世界妖怪協会・世界妖怪会議評議員(肝煎)、関東水木会会員、東アジア恠異学会会員。「怪談之怪」発起人の一人。北海道小樽市出身。北海道倶知安高等学校卒業、専修学校桑沢デザイン研究所中退。代表作に『百鬼夜行シリーズ』、『巷説百物語シリーズ』など。株式会社大沢オフィス所属。公式サイト「大極宮」も参照。.
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人面樹
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「人面樹」 人面樹(にんめんじゅ、じんめんじゅ)は、鳥山石燕による江戸時代の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にある中国の伝承上の木。.
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人魚
人魚(にんぎょ)は、水中に生息すると考えられた伝説上の生き物である。世界各地に類似の生き物の伝承がある。それらがすべて同一の種に属するという保証はないが、ここではそれらを総称して人魚と呼ぶ。.
今昔画図続百鬼
『今昔画図続百鬼』(こんじゃくがずぞくひゃっき)は、1779年(安永8年)に刊行された鳥山石燕の妖怪画集。雨・晦・明の上中下3巻構成。.
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彭侯
寺島良安『和漢三才図会』より「彭侯」 鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「彭侯」 彭侯(ほうこう)は、中国に伝わる木の精霊。.
影女
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「影女」 影女(かげおんな)は、鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にある女性の姿の妖怪。石燕の解説文によれば、物の怪のいる家で、月影に照らされた女の姿の影が家の障子に映るものとされる。.
後神
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「後神」 竜斎閑人正澄画『狂歌百物語』より「後髪」 後神(うしろがみ)は、鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』などにある日本の妖怪。.
和漢三才図会
アシカ(右)とオットセイ、38巻72頁明治17年翻刻の中近堂版 『和漢三才図会』(わかんさんさいずえ)は、寺島良安により江戸時代中期に編纂された日本の類書(百科事典)。正徳2年(1712年)成立。.
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アヤカシ (妖怪)
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「あやかし」 アヤカシは、日本における海上の妖怪や怪異の総称。 長崎県では海上に現れる怪火をこう呼び、山口県や佐賀県では船を沈める船幽霊をこう呼ぶ。西国の海では、海で死んだ者が仲間を捕えるために現れるものだという。 対馬では「アヤカシの怪火」ともいって、夕暮れに海岸に現れ、火の中に子供が歩いているように見えるという。沖合いでは怪火が山に化けて船の行く手を妨げるといい、山を避けずに思い切ってぶつかると消えてしまうといわれる。 また、実在の魚であるコバンザメが船底に貼り付くと船が動かなくなるとの俗信から、コバンザメもまたアヤカシの異称で呼ばれた。 鳥山石燕は『今昔百鬼拾遺』で「あやかし」の名で巨大な海蛇を描いているが、これはイクチのこととされている。.
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国書刊行会
株式会社国書刊行会(こくしょかんこうかい、Kokushokankokai Inc.)は、東京都板橋区に本社を置く日本の出版社。1971年設立。.
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倩兮女
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「倩兮女」 『平家化物たいぢ』。右上の女の生首に「女の首けらけら笑いするぞ 物凄し」とある。 倩兮女(けらけらおんな)、けらけら女は、鳥山石燕による江戸時代の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』に描かれている日本の妖怪。.
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火前坊
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「火前坊」 火前坊(かぜんぼう)は、鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にある日本の妖怪村上健司編著 『妖怪事典』 毎日新聞社、2000年、107頁。ISBN 978-4-6203-1428-0。。.
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火間虫入道
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「火間蟲入道」 火間虫入道、火間蟲入道(ひまむしにゅうどう)は、鳥山石燕による江戸時代の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にある日本の妖怪。.
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灯台鬼
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「灯台鬼」 灯台鬼(とうだいき)は、『平家物語』、『源平盛衰記』、『和漢三才図会』、井沢長秀『広益俗説弁』、平康頼『宝物集』などに述べられている説話。 鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』によれば、唐人風の衣装に身を包んだ者が、名前の通り火の灯った燭台を頭の上に乗せている村上健司編著 『日本妖怪大事典』 角川書店、2005年、228-229頁。ISBN 978-4-04-883926-6。。同画図によると、その正体は人間である。.
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硯の魂
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「硯の魂」 硯の魂(すずりのたましい)は鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にある妖怪。硯の精(すずりのせい)水木しげる『決定版日本妖怪大全 妖怪・あの世・神様』 講談社(講談社文庫) 2014年 398頁 ISBN 978-4-06-277602-8とも呼称される。 墨をするための道具である硯(すずり)の上に小さな武士たちが描かれており、以下の解説文が添えられている。 赤間ヶ関産の石硯を文具として愛用していた者が、『平家物語』を読みながらまどろんでいると、硯の中に海が現れ、やがて源平の合戦のような様子になったという意味である。これは、徐玄之(じょ げんし)が夜中に読書をしている最中に粟や米ひと粒大の甲冑をつけた数百の人物を案(つくえ)や硯の上に見たという説話をもとにしたものであるとも見られる。徐玄之の説話は『異聞実録』などに記載されている。 赤間ヶ関(山口県下関市)は源平合戦における平家の終焉の地であり、かつて下関での壇ノ浦の戦いで滅びた平家の怨霊が硯に宿ったものであるなどと推察されている。硯は赤間ヶ関の名産品であるとともに、平清盛が宋からり賜った硯「松陰」を平重盛が法然の手に帰したという逸話があることから、平家一門との関連も深い。 昭和・平成以降の妖怪関連の文献では、この硯を使うと素晴らしい字が書けるようになる佐藤有文 『日本妖怪図鑑』 立風書房 1972年 137頁という解説、あるいは、これを使用していると硯の中から海の波音や激しい合戦の音が聞こえてきたり人の声や『平家物語』の語りが聞こえてくるという解説がされることもある。また付喪神(器物が変化して生まれた妖怪)の一つであるとする解釈も見られる。.
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稲田篤信
信(いなだ あつのぶ、1947年6月28日 - )は、日本近世文芸の研究者。首都大学東京名誉教授、二松学舎大学文学部教授。 愛媛県生まれ。広島大学教育学部卒、1981年東京都立大学大学院国文学専攻博士課程中退、富山大学教養部助教授、都立大学教授、教授、2007年首都大学東京教授。1993年「近世小説史研究 -和文系読本の世界」で都立大学文学博士。2012年定年退任、名誉教授、二松学舎大学特別招聘教授。 高田衛の弟子で、上田秋成、石川雅望など近世読本が専門。.
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紅葉伝説
紅葉伝説(もみじでんせつ)は、長野県の戸隠(とがくし)、鬼無里(きなさ・現、長野県長野市)、別所温泉などに伝わる鬼女にまつわる伝説。平維茂(たいら の これもち)が鬼女・紅葉(もみじ)と戦い、討ち捕る話である。.
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羅城門の鬼
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「羅城門鬼」 羅城門の鬼、羅生門の鬼(らしょうもんのおに)は、平安京の正門・羅城門に巣食っていたといわれる鬼。平安時代の謡曲『羅生門』などに登場する村上健司編著 『妖怪事典』 毎日新聞社、2000年、363-364頁。ISBN 978-4-620-31428-0。。.
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画図百鬼夜行
『画図百鬼夜行』(がずひゃっきやこう、がずひゃっきやぎょう)は、安永5年(1776年)に刊行された鳥山石燕の妖怪画集。前篇陰・前篇陽・前篇風の上中下3巻。『百鬼夜行』とも。.
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燭陰
『山海経』より「燭陰」 『今昔百鬼拾遺 雲』より「燭陰」 燭陰(しょくいん)は、古代中国の地理書『山海経』の巻17「海外北経」に記載のある、中国の神。.
煙々羅
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「煙々羅」 煙々羅(えんえんら)または煙羅煙羅(えんらえんら)は、鳥山石燕による江戸時代の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にある日本の妖怪の一種で、煙の妖怪。.
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狂骨
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「狂骨」 狂骨(きょうこつ)は、鳥山石燕による江戸時代の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にある日本の妖怪の一種。平成以降には、京極夏彦による小説『狂骨の夢』でも知られる。.
目競
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「目競」 月岡芳年『新容六怪撰 平相国清盛入道浄海』 目競(めくらべ)は、鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にある日本の妖怪。『平家物語』の『物怪之沙汰』において、武将・平清盛が遭遇したという妖怪を描いたもの。.
目目連
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「目目連」 目目連(もくもくれん)は、鳥山石燕の画集『今昔百鬼拾遺』にある日本の妖怪。 荒れ果てた家の障子に無数の目が浮かび上がった姿で描かれており、解説文によれば碁打ち師の念が碁盤に注がれ、さらに家全体に現れたものとある。 妖怪漫画家・水木しげるの次女・悦子は、中学時代の修学旅行先の京都府の旅館で、障子の格子に目のようなものが浮かび上がって動き回る現象を、同級生たちと共に目撃しており、水木はそれを「目目連だ」と語ったという。.
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白粉婆
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「白粉婆」 白粉婆(おしろいばばあ、おしろいばば)または白粉婆さん(おしろいばあさん)は、奈良県吉野郡十津川流域に伝わる老婆の妖怪。.
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白澤
白澤の日本でのイメージ 鳥山石燕 『今昔百鬼拾遺』の「白澤」 白澤または白沢(はくたく)は、中国に伝わる、人語を解し万物に精通するとされる聖獣である。 「澤」と「沢」は同字の旧字体と新字体(当用漢字体)であり、新字体を使う現代日本語では「白沢」を使うのが本則であるが、部分的に旧字体を使う書籍などで(新字体の文章中であっても)旧字体の「白澤」が使われることがある伊藤清司 監修・解説『怪奇鳥獣図巻』2001 工作舎、底本: 作者・年代不詳(江戸時代)、底本の該当箇所の典拠:『雲笈七籤』の「軒轅本紀」。 『三才図会』によると、東望山に白澤と呼ぶ獣が住んでいた。白澤は人間の言葉を操り、治めるものが有徳であれば姿をみせたと言う。(『佩文韻府』や『淵鑑類函』ではこれを『山海経』からの引用とするが、実際の『山海経』にこのような文はない)。徳の高い為政者の治世に姿を現すのは麒麟(きりん)や鳳凰(ほうおう)に似ている。 黄帝が東海地方を巡行したおりに、恒山に登ったあとに訪れた海辺で出会った『雲笈七籤』の「軒轅本紀」と言われる。白澤は1万1520種に及ぶ天下の妖異鬼神について鳳凰や麒麟、白澤は吉兆の印としても知られる。語り、世の害を除くため忠言したと伝えられる。.
隠れ里
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「隠れ里」。右下に見えるネズミと小判は「鼠浄土」に見られる「地下にいる鼠が福をもたらす」話と通じている。その左には「嘉暮里」(かくれざと)の暖簾が見える。 葛飾北斎『北斎漫画』より「家久連里」(かくれざと) 隠れ里(かくれざと)とは日本の民話、伝説にみられる一種の仙郷で、山奥や洞窟を抜けた先などにあると考えられた。「隠れ世」などの呼称もある。.
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芭蕉精
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「芭蕉精」 芭蕉精(ばしょうのせい)は、鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にある怪異。芭蕉の霊が人の姿をとるなどして人を化かすというもの。.
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芸能
芸能(げいのう)とは、芸術の諸ジャンルのうち人間の身体をもって表現する技法のことである『大百科事典 4』、1202頁。。職業として芸能に携わる者を芸能人と呼ぶ。 また、日本に古くからあった芸術と技能は特に日本伝統芸能を参照。.
青行燈
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「青行灯」 青行燈(あおあんどん)は、百物語の会に現れるとされる日本の妖怪である。.
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風狸
鳥山石燕画『今昔百鬼拾遺』より「風狸」 葛飾北斎画『北斎漫画』より「風狸」 風狸(ふうり)は、中国および日本の妖怪。風生獣(ふうせいじゅう)、風母(ふうぼ)、平猴(へいこう)とも呼ばれる。中国の『本草綱目』、日本の鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』、根岸鎮衛の『耳嚢』、『和漢三才図会』など江戸時代の各種文献に名が見られる。.
角川書店
角川書店(かどかわしょてん)は、日本の出版社・KADOKAWAのブランドの一つ。東京都千代田区に事業所を置く。 本項では、ブランドカンパニー化以前の株式会社角川書店についても解説する。.
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高田衛
衛(たかだ まもる、1930年4月17日 - )は日本近世文学研究者。東京都立大学名誉教授。 富山県砺波市生まれ。生家は老舗料理旅館の水月楼(現:すいげつろうホテル)。早稲田大学第二文学部日本文学科卒業、同大学院文学研究科修士課程、東京都立大学大学院博士課程修了。立正学園女子短期大学(現・文教大学女子短期大学部)、都立大学、近畿大学の教職を歴任。 専攻は上田秋成研究であったが、1980年に中公新書で『八犬伝の世界』を刊行し、馬琴『南総里見八犬伝』を道教的な視点から分析し、伏姫を文殊菩薩、八犬士を八大童子とみる説を出して注目を集めた。以後、近世後期の幻想文学の紹介に力を注ぐ。1999年、『女と蛇 表徴の江戸文学誌』で第8回やまなし文学賞受賞。現在、同賞選考委員長。 高田による『八犬伝』の解釈については、徳田武(近世漢文学者、明治大学教授)が批判、徳田-高田の論争が展開された。.
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鬼一口
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「鬼一口」 鬼一口(おにひとくち)とは、日本の説話において、鬼が一口にして人間を食い殺すことをいう。.
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鬼童丸
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「鬼童」 鬼童丸、鬼同丸(きどうまる)は、鎌倉時代の説話集『古今著聞集』などに登場する鬼。.
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鳥山石燕
蓮池の茂みから現れ出でた河童を描く。 鳥山 石燕(とりやま せきえん、正徳2年(1712年) - 天明8年8月23日(1788年9月22日)は、江戸時代中期の画家、浮世絵師。妖怪画を多く描いたことで知られる。.
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蜃気楼
春夏型の蜃気楼(富山県魚津市沖) 秋冬型の蜃気楼(富山県魚津市沖) 蜃気楼(しんきろう、仏・英:mirage、独:Fata Morgana)は、密度の異なる大気の中で光が屈折し、地上や水上の物体が浮き上がって見えたり、逆さまに見えたりする現象。光は通常直進するが、密度の異なる空気があるとより密度の高い冷たい空気の方へ進む性質がある。蜃(大ハマグリ)が気を吐いて楼閣を描くと考えられたところから蜃気楼と呼ばれるようになった。.
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茂林寺の釜
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「茂林寺の釜」 茂林寺の釜(もりんじのかま)とは松浦静山の随筆『甲子夜話』に登場する化け狸の話である。昔話『分福茶釜』のモデルとされる(インターネットアーカイブによる記録)。.
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蓑火
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「蓑火」 蓑火(みのび)は、近江国(現・滋賀県)彦根に伝わる怪火。.
雨女
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「雨女」 歌川芳幾画『百物語 雨女』 雨女(あめおんな)とは、雨を呼ぶとされる日本の妖怪。また、その行動が雨を呼ぶかのように思える女性もこう呼ぶ。.
蛇帯
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「蛇帯」 蛇帯(じゃたい)は、鳥山石燕による江戸時代の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』で描かれている日本の妖怪の一つで、帯の妖怪。.
蛇骨婆
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「蛇骨婆」 蛇骨婆(じゃこつばばあ)または蛇五婆(じゃごばあ)は鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』にある妖怪。.
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村上健司
村上 健司(むらかみ けんじ、1968年(昭和43年) - )は、日本のライター。妖怪愛好会隠れ里現会長(第2代)。東京都出身。東京映像芸術学院卒業。 日本各地の妖怪伝説を巡るのが趣味で、それを題材にした著書を記している。水木しげるの発案から創刊された季刊妖怪マガジン『怪』の執筆者の一人。京極夏彦の著書に登場する「沼上蓮次(ぬまがみ れんじ)」のモデルでもある。.
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機尋
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「機尋」 機尋(はたひろ)は、鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』で描かれている日本の妖怪の一つで、布の妖怪。機(はた)で織られた布がヘビの姿と化したもの。 『今昔百鬼拾遺』の解説文によれば、ある女性が外出して帰らない夫への怨みを抱きながら機を織っていると、その怨みの念が織っている布にこもり、蛇の姿と化して夫の行方を探しに行くものが機尋であるという。 近藤瑞木によれば、浄瑠璃や歌舞伎などで大蛇の巨大さを表す時の類型的表現に登場する語句「二十尋(はたひろ)」から「機」(はた)を連想し着想されたものではないかと考えられている。また、妖怪探訪家・村上健司によれば、邪心(じゃしん)と蛇身(じゃしん)の語呂合わせで創作された妖怪とされる。 布がヘビと化したという伝承は確認されていないが、水中から機織の音が聞こえる機織淵、機織池という伝説は日本各地に伝承されており、それらは水神が水底で機を織る音をさせていると言われることから、機織りとヘビとは無縁ではないとの説もある。.
殺生石
殺生石(せっしょうせき)は、栃木県那須町の那須湯本温泉付近にある溶岩。 付近一帯には硫化水素、亜硫酸ガスなどの有毒な火山ガスがたえず噴出しており、「鳥獣がこれに近づけばその命を奪う、殺生の石」として古くから知られている。松尾芭蕉も訪れており『おくのほそ道』にその様子が記されている。 現在は、観光客が多く訪れる観光名所となっている。ただし、ガスの排出量が多い場合は立ち入りが規制される。.
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毎日新聞社
株式会社毎日新聞社(まいにちしんぶんしゃ、英称:The Mainichi Newspapers Co., Ltd.)は、日本の大手新聞社の1つである。現在は、持株会社毎日新聞グループホールディングスの子会社となっている。.
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毛羽毛現
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「毛羽毛現」 水木しげるロードに設置されている「毛羽毛現」のブロンズ像 毛羽毛現(けうけげん、けうげげん)は、鳥山石燕の画集『今昔百鬼拾遺』にある毛むくじゃら姿の日本の妖怪。同画集の解説文では希有希見とも表記される、これは「稀にしか見ることがない」という意味である。文献によっては希有希現という漢字表記も見られる。 石燕による解説文には「惣身に毛生ひたる事 毛女のごとくなれば」と毛との関連から『列仙伝』などに記載されている体に毛の生えていたとされる中国の仙人「毛女」(もうじょ。秦の始皇帝に仕える宮女だったが、秦が滅んだために山中に逃れ、松葉を食べて生き延び、170年の歳月を経た末に空を飛ぶほど身の軽い仙人になった。体に毛が生えていたとされる。)がそのすがたの形容として挙げられている。 昭和・平成以降の妖怪関連の書籍では、毛羽毛現は家の周囲や床下のように湿った場所に棲み、これがいる家には調子の悪い人・病人が出るという解説や、病人を出す性質から疫神の一種と考えられるなどの解説がとられていることがもっぱらである。しかし一方で、石燕による毛羽毛現についての記述そのものは毛だらけで稀にしか見ることがないという情報しかなく、このような解説は江戸時代の民間伝承に直接あたったものではないと指摘されている。.
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泥田坊
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「泥田坊」 鳥取県境港市・水木しげるロードに設置されている「泥田坊」のブロンズ像。 泥田坊(どろたぼう)は、鳥山石燕による画集『今昔百鬼拾遺』にある日本の妖怪。.
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滝霊王
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「滝霊王」 滝霊王(たきれいおう)は、鳥山石燕による江戸時代の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にある妖怪。 滝の中に不動明王が現れた姿で描かれており、石燕による解説文では「諸国の滝つぼよりあらはるると云 青竜疏に一切の鬼魅諸障を伏すと云々」と述べられている。詳細は不明だが、実際には妖怪ではなく、不動明王そのものを描いたとの説もある。 また、滋賀県の天台宗の寺院・葛川息障明王院には、かつて開祖の相応和尚が滝壺から引き揚げた霊木で不動明王像を彫って尊体としたという伝説があるが(詳細は明王院 (大津市)#相応による草創を参照)、この伝説をモデルとして描いたものが滝霊王だとする解釈もある。.
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朧車
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』より「朧車」 朧車(おぼろぐるま)は、鳥山石燕による江戸時代の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にある日本の妖怪の一つで、牛車の妖怪。.
日本の妖怪一覧
日本の妖怪一覧(にっぽんのようかいいちらん)は、日本の妖怪の中で、よく知られているものの一覧。妖怪と関係の深い歴史上の人物、神格、概念も含まれる。 フィクション作品に登場する創作妖怪は、:Category:フィクションの妖怪、:Category:妖怪を題材にした作品を参照。.
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1781年
記載なし。
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燭龍。